100000HITしていただいた透夜さまのリクエストです。

お題は…。

「1、月夜の砂漠。2、シンジが記憶喪失。3、レイ、暴走」というお題を頂きました。

ということで、100000HIT記念SSは…。

 

 

 


 

 綾波レイは忍び足で廊下を歩いた。

 深夜2時。草木も眠るといいたいところだが、この時代ではそうもいかない。

 草木は眠っているだろうが、人間が眠っていないのである。

 従って、住宅地といっても幹線道路に近い碇家では戸外の音が何かしら聞こえてくる。

 車やバイクの音。時には緊急自動車のサイレン。

 その代わり、家の中は静寂そのものだ。

 レイが足音を忍ばせる気持ちはよくわかる。

 しかも、彼女が向かっているその先は碇シンジの寝室なのだから。

 といっても、夜這いをかけるわけではない。

 彼女はシンジの秘密を探ろうとしていたのだ。

 

 

熱砂の恋

 


100000HITリクSS

2003.11.24         ジュン

 

 

 碇シンジはレイの従兄妹だ。

 幼少の折に事故で両親を失ったレイはずっと碇家で育てられている。

 が、この家にも母親がいない上に父親が考古学者で海外に出て行くことが多くほとんど家にいない。

 しかもこの男は学者という建前で実はトレジャーハンターを兼業でしているらしい。

 もちろん、碇家の生活費はそちらの裏家業で賄われている。

 家の中には売り物にならなかった世界のあちこちの骨董品が転がっている。

 二人が中学生になるまでは家政婦が住みこみしていたので、家事には困らなかった。

 今は同級生の二人が家事を分担している。

 シンジは決してかっこよくはないが、レイにとっては思慕の対象となっている。

 彼女は従兄妹でも結婚できることは調査済みだった。

 ただし、シンジの方にその気はまるっきりない。

 小さいときから「お兄ちゃん」と呼んでいたのを最近は「碇君」と変えた。

 家族や兄弟という立場ではなく異性を意識するようにしたのだが、シンジはその深い意味に気がついていない。

 確信犯的にレイが半裸で家の中を歩いていても、「服着ないと風邪ひくよ」くらいのことしか声もかけず見向きもしない。

 女性に興味がないのかとも思ってしまうほどだが、部屋にその手の本やビデオを隠していたのを発見し、

 結局自分が恋愛対象として見られていないことを再確認する羽目となってしまった。

 まあ、現状としてはシンジ以上の異性にめぐりあっていないためか、レイはいまだにシンジの事をあきらめきれないでいるわけだ。

 

 最近、シンジの様子がおかしい。

 あの真面目な彼が授業中によく居眠りをしている。

 その癖夜更かしするでもなく、日付けが変わるころにはもうベッドに入っているようだ。

 そして朝起きてきたときには、欠伸を連発している。

 変に思って聞いてみても要領を得ない。

「うん、よく覚えてないんだ。気がついたら朝なんだけど眠くてさ」

「夢は…見てないの?」

「夢かぁ…。そういや見てないな、最近」

 苦笑するシンジ。

 レイは心配でならなかった。

 いつからこうなったのだろうか?

 そう。あの夏休みの旅行以来だ。

 

 珍しく正式の学術調査団の一員として中央アジアにいる父親の元に、8月の終わり頃に二人は向かった。

 たまにはそういう仕事もしておかないと、某大学の客員の座を失ってしまう。

 結構その肩書きで海外での活動−トレジャーハンターとしての活動が巧くいくことがあるのだ。

 新東京大学の調査チームが砂漠地帯の遺跡を調査している。

 そんな場所に子供がふらふらやってきたのだから、メンバーは驚いた。

 当の碇ゲンドウ本人が顔色を変えた。呼んだ覚えがなかったからだ。

 二人をゲンドウの名前を騙って、わざわざゴビ砂漠まで呼び出したのは赤木リツコ博士。

 トレジャーハンターとしてのゲンドウを学会からの依頼で監視するうちに…、まあ木乃伊取りが木乃伊になったわけだ。

 ゲンドウは籍を入れてもいいとは言っているのだが、子供たちへの遠慮がリツコにはある。

 別に媚びているわけではない。単に夏休みにどこにも遊びに行ってない二人を可哀想に思っただけの話だ。

 だが、アルピノのレイには砂漠の陽射しはきつい。

 せっかく現地に行ったもののほとんどテントから出ない毎日だった。

 シンジの方はレイに悪いと言いながらも、遺跡に出かけ嬉しそうにしていた。

 そのあたりは父親の血のなせる業だろうか。

 地下宮殿らしき洞窟を発見していたチームに朝から晩まで一緒にいた。

 そんなシンジのことをレイは羨ましく、そして愛おしく感じていた。

 

 それから1ヶ月。

 シンジがおかしくなったのは日本に帰ってきてからである。

 

 抜き足、差し足、忍び足。

 レイは真っ暗な廊下を進む。

 典型的な日本家屋の碇家だ。

 少しでも気を抜くと床が軋む。

 目指すはシンジの部屋。

 真剣なのだが、今の自分の様子を考えると思わず笑ってしまう。

 年頃の女の子が男の子の部屋に忍んで行くなんて…。

 笑いながらも、知らずに頬がぽっと赤らむ。

 ちゃんと眠っていればいいのだけど…。

 レイはシンジの寝顔を思い出した。

 無警戒で何の心配もなさそうな無垢な寝顔。

 どうして血なんかつながってるんだろう?

 レイは自分の血を呪った。

 さて、そう広くもない家だ。

 すぐに目的地に到着した。

 レイは軽く頷き、襖に手をかけた。

 音をさせないように、ゆっくりと、慎重に、開いていくと…。

 

 襖の向こうは、砂漠。

 

 レイは硬直してしまった。

 日本家屋の襖の向こう側が砂漠。

 しかも、先が見えないほどの広さだ。

 その上、天井であるはずの場所には降るような星空が広がり、おまけに満月が輝いている。

 あの砂漠にそっくり。

 日差しの所為で日中は見ることのできなかったレイである。

 したがって、夜の砂漠は毎日眺めていた。

 隣にシンジがいて、シートの上に腰掛けて星空を見上げていた。

 ふとシンジの肩に頭を傾けると…。

「眠いの?」

 どうしてもロマンチックな関係にはなれないのね…。

 心の中で滝のような涙を流した覚えもある。

 そんな思い出のある砂漠にそっくり。

 いや、あそこでもあんなに星が多かったのに、この空はもっと凄い。

 ひとつひとつの星が輝きを増し、お月様も大きい。

 レイは恐々足を踏み入れた。

 さくっ。

 足が砂に軽く沈む。

 慌てて脚を引っ込める。

 固い床板に戻された足の裏に、レイは違和感を覚えた。

 くるっと足の裏を返してみると、靴下についているはずのものがない。

 砂粒の欠片もないのだ。

 そんな…。確かに足の裏には砂の感触があった。

 それなのに、砂粒がついていない。

 レイは床にかがみこんで、右手を部屋の中に入れる。

 そして、砂を掬い上げる。

 細く白い指の間から、さらさらと零れ落ちる砂粒。

「本物の…砂」

 レイは掌に掬った砂をよく見ようと胸元に寄せた。

 するとどうだろうか。掌に乗っていたはずの砂がどこにもない。

 レイは自分の目を疑った。

 もう一度、手を襖の向こう側に入れ、砂を掬ってみる。

 そこに砂はある。

 確かに砂の手触りがそこにはある。

 しかしそのままこちら側に手を持ってくると、襖の敷居の真上で砂は消滅してしまう。

 何度試しても同じだった。

 そして、レイは気がついた。

 こんなことをしている場合ではない。

 碇君は…?

 月明かりに照らし出されている砂漠に、シンジの部屋の痕跡などどこにもない。

 レイはそろりと足を中に入れる。

 足の裏にしっかりと砂の感触がある。

 もう片方も砂の上に。

 これで身体をすべて敷居の向こう側、つまり砂漠の上に置いたことになる。

 二、三歩歩いてみる。

 砂の感触だけでなく、砂漠の夜特有の肌寒さ、それに風までちゃんと感じる。

 ふと気になって、レイは振り返った。

 入り口がなくなってしまうのではないかと不安になったからだ。

 それはあった。

 何とも異様だが、砂漠の真ん中に突然日本家屋の廊下が見える。

「どこでもドア…?」

 国民的アニメを思い出したレイである。

 夢を見ているのではないかと頬をつねって見たが、痛い。

 

「何してんの?」

 

 背後から女性の声がした。

 はっとして、ゆっくりと首を声の方向に向ける。

 そこに立っていたのは、レイと同じような年頃の少女だった。

 まるでシンドバットの物語にでも出てくるようなエキゾチックな衣装に身を包んだ、

 金髪の美少女が砂の上に仁王立ちしている。

 レイは身体を少女の方へ向ける。

 そして、赤い瞳で少女を見据えた。

「あなた、誰?」

「私?」

「そう、あなた…」

「私は、ラングレー王国の第一皇女にして王国、いや世界随一の魔術師。名前はアスカ・ラングレーよっ!」

 レイは自分で皇女だと申告しているアスカと名乗る少女をじっくりと見た。

 なんだか、不愉快。

 なぜかはわからないが、とにかく初対面だがこの少女は気に入らない。

「何よ、その顔は。ぶすっとしてさ」

 レイの不快感がそのままアスカに伝わったようだ。

「ま、アンタのことはもともと私の気に入ってないのは確かだけど」

「もともと…。それ、どういうこと?」

「はん!」

 アスカの目がきらりと光った。

「アンタ、私のシンジに惚れてるでしょ!」

 その言葉はレイの度肝を抜いた。

 みんなに秘密にしていることが…、当のシンジにさえ気づかれていないというのに、どうしてこの奇妙な少女がそれを知っているのか。

 アスカは不敵に笑った。

 その笑みはレイのこめかみを引き攣らせた。

 しかも、私のシンジ、とはどういうことなのだ。

「ふふふ、気に障ったかしら?でも、シンジはもう私の虜よ」

「嘘…」

「はん!文句があるなら、これを見てから言うことね!」

 アスカが指を鳴らした。

 その瞬間、レイの目前の空間に映像が突然映った。

 そこにはアスカの膝枕で気持ちよく眠っているシンジの姿が。

 レイは愕然となってしまった。

 エスニックな調度品に囲まれた部屋の中心に敷かれている複雑な模様のカーペット。

 そこに横座りになっている、目の前の少女と同じ格好をしているアスカ。

 そして、パジャマ姿のシンジ。

「あれは…誰?」

「あれは私」

「じゃ、ここにいるのは?」

「ふふふ、これも私」

「滅茶苦茶。信じられない。そう、やっぱりコレは夢なのね」

「残念だけど、夢じゃないわ。こんなの簡単じゃん。これだから庶民は困るのよねぇ」

 アスカはにやりと笑った。

 当然、レイはカチンと来た。

「庶民って何。魔法使いじゃあるまいし」

「あら、実は私、その魔法使いなのよね」

 アスカは平然と言ってのける。

「そんなものいる筈ない」

「頭固いわね。ほら、見なさいよ」

 アスカはレイにあかんべぇと舌を出した。

 同様に映像のアスカもレイに向かって舌を出す。

「わかった。あなたたち、双子、なのね」

 アスカは肩をすくめた。

「救いようがないわね。じゃ、これでどう?」

 彼女がもう一度指を鳴らすと、映像が消え、周囲の景色が一変した。

 青い空。石造りの建物。行き交う人々。そして豪奢な宮殿らしき建物が正面に見える。

「どう?ま、現実じゃないけどね。5000年くらい前のここの風景よ。

 で、あの宮殿に住んでいたのが私の一族」

 アスカはレイの前をうろうろ歩きながら、また指を鳴らす。

 風景がまた変わった。

 あの宮殿の中なのだろう。

 大広間で宴が催されている。

 そこの一段と高い場所に玉座があり、そのひとつにアスカが座っていた。

「これは私の14回目の誕生日の御祝。この2週間後に、私は死んじゃったんだけどね」

「死んだ?じゃ、あなたは幽霊」

「幽霊ねぇ。ちょっと違うんだけどな。私の能力が強すぎて、身体が滅んでも心が死ななかったのよ」

「わからない。何、それ」

「ん…。普通、私くらい能力の高い者はね、身体が死んでもすぐに別の肉体を得て再生するのよ」

 レイは考えていた。

 あまりに突拍子もないことを言われて、はいそうですかと納得はできない。

 本当なら勝手にすればと話を切って、さっさと退散したいところなのだが、今はそれができない。

 シンジのことが気がかりだからだ。

 したがって、理解不能なアスカの説明を聞かざるを得ない。

 そんなレイに向かって、アスカは根気よく説明を続けた。

 彼女が死んだのは、突然落ちてきた隕石によるものであった。

 街の一角が直撃を受け、その衝撃であたり一帯は陥没した砂に埋まった。

 アスカは地下の祈祷室にいたのだが、天井の一部が崩れ命を失ったのだ。

 本来ならば、一族の者が術を使うことにより彼女は再生されるはずだったのだが、

 その場所にいた全員が死亡し、地上にいたものはもとより全滅していたわけだ。

 そのため、アスカは身体を再生されることなく、5000年の長きに渡って暗闇に閉じ込められていたということだ。

「あら、じゃ今回の遺跡発掘で再生されたってわけ?」

「残念。それならよかったんだけどねぇ。それがそう巧くいかないのよね」

「何故?って聞いて欲しい?」

「はん!嫌味なヤツね。術を知ってる人間がいないじゃない。

 私が心を操りながらじゃ、術は効かないしね。正気で術をかけてくれないとね…。

 そんな奇特な人間がいないと無理なのよ。この状態じゃ使える魔法はたかがしれてるしね」

「そう?じゃ、あなたはずっと、そのままなのね」

 アスカは肩をすくめた。

「そういうこと」

 レイはニヤリと笑った。

 でも、この程度しか使えないというのに、こんな術を見せている。

 では本当なら物凄い魔術が使えるというわけだ。

 それにシンジの心を虜にしているというのは、レイにとって許せない。

 絶対に許すことが出来ない。

 何とかこの悪い魔法使いを退治しないと。

 そう心に誓うレイだった。

 そのためにはアスカの弱点を探さないといけない。

「そう…あなた、凄いのね」

 レイは精一杯の笑顔を作った。

 だが、アスカはそのぎこちない笑顔を素直に受け取った。

「はん!当たり前じゃない!」

 誇らしげに胸を張るその仕草は、とても魔術師には見えない。

 これならうまく騙せそうだ。

 レイは唇の端で笑った。

 そして、彼女は現在の状況を何とか聞きだそうとした。

 シンジの部屋が何故砂漠になっているのか。

 シンジがその間の記憶を何故なくしているのかを。

 

 聞き出す努力は必要ではなかった。

 アスカはそれは饒舌に説明してくれた。

 これは自分を侮っているのか、それとも相当の自惚れ屋かのどちらかだとレイは決め付けた。

 しかもそれは後者が強いだろうと、時間が経つにつれてレイは思うようになった。

 自分の誘導に実に簡単に乗ってくるのだ。

 

 シンジの部屋が砂漠になっているのは、夜中の1時から5時くらいまでの4時間だという。

 ただ部屋自体が砂漠になっているのではなく、その時間にシンジが眠っている場所にアスカの術が効果を発揮するというわけだ。

 もしシンジが茶の間で眠っていれば、その茶の間が砂漠化するようである。

 といってもシンジのその時の状況をアスカが感じ取り、問題がない場合に術を使うようだが。

 そしてその間にシンジとの逢瀬をアスカは楽しんでいた。

 但し、シンジは眠っているだけだ。

 アスカの膝を枕にして。

 アスカはその時間をひたすら彼の髪を撫で、頬を触り、話しかける。

 たとえ返事がなくとも、彼女にとっては至宝の時間なのだ。

 ところがその眠っているはずのシンジは、アスカの術によって肉体と意識を中央アジアの砂漠にまで飛ばしているのだから、

 結局は身体も精神も休めていないのだ。

 したがって、毎日徹夜をしているような体調になってしまう。

 それを少しでも解消するために、その間の意識を絶っているのだとアスカは言った。

 だから彼にはその間の記憶がない。

 彼のことを考えてなのか、死なれてしまうと元も子もないからなのかはレイにはわからなかった。

 少なくとも、今のままではどんどんシンジが体調を崩していく。

 そして、ついには…。

 結局のところ、アスカはシンジを自分の世界に引きずり込もうとしているのだ。

 レイは断定した。となれば、何とかしなければならない。

 こんな化け物にシンジを奪われてなるものか。

 レイはその持てる限りの知恵と勇気と愛想を総動員して、アスカに対抗することを決意した。

「じゃ、碇君があなたのところに飛んでいるわけ?」

「そうね。凄いでしょ!」

「でも、あなたの術はここでは効かない、はずでは?」

「効かないわよ。私の宮殿でシンジに術をかけたんだもん。

 だから、シンジが無意識に私のところへ行きたいと思ってくれているから、こんな辺鄙な場所からでも何とかなるわけよ」

 あの砂漠の住人から辺鄙と言われるとなんとなく腹が立つ。

 その腹立ちは心の奥に隠して、レイは必死に愛想笑いを浮かべた。

「でも、碇君の意識がないのに、あなたのことを想うだなんて変」

「仕方ないじゃない。あの時、私のことを可愛いって言ってくれたんだもん!」

 実に嬉しそうにアスカは言い放った。

 

 あの時。

 そう、シンジが地下宮殿に足を踏み入れた日のことである。

 リツコの権威のおかげで、シンジは発見したばかりの場所に足を踏み入れることが出来た。

 そこで、シンジは床の隅に転がっていた人骨を何気なく手にしたのだ。

「あら、それ頭蓋骨ね」

 あっさりと言い放つリツコだった。

 慌てて床に戻そうとしたシンジだったが、続いての言葉にもう一度その骨を見直したのである。

「まだ若いわね。女の子みたいだし」

「わかるんですか?そんなこと」

「ほらこれ見たらわかるわよ」

 リツコは散らばっている大腿骨らしい骨を手にした。

「骨折してるわね。まあ、この場の状況から考えると、何かの突発事故がおきたみたい。地震かしら」

 シンジは周りを見渡した。

 天井の石があちらこちらに落ちている。

「じゃ、この子はその事故で…」

「多分ね。あ、骨は元の通りに戻しておいて」

 そう言い残すと、リツコは自分の仕事に戻った。

 シンジは両手で持った頭蓋骨を見下ろした。

 何千年前かわからないけど、事故死した女の子。

 そのことを考えると、自然に涙が溢れてきた。

 ぽとりと頭蓋骨の落ちた一滴の涙。

 すべてはそこから始まったのである。

 

「嬉しいじゃない。どこの誰かもわからない女の子のために涙を流してくれるなんてさ」

「碇君は…優しいから」

「そのおかげでさ、私も部分復活できたんだけどね」

 

「き、き、君は誰?」

「私?私は、アスカ」

「アスカ?」

「うん。アンタが持ってるその骸骨だった女の子。信じてくれる?」

 突然、目の前に現れた場違いなほどエキゾチックな衣装に身を包んだ金髪の美少女。

 その青き瞳でにこやかに微笑みかけられて、シンジの心は千路に乱れた。

 思い切り不気味なシチュエーションだが、こんなに可愛くアプローチされれば思春期の男の子としては仕方あるまい。

 その上、周りの人間といえば、動きが止まっている。

「み、みんなどうなったの?」

「ああ。これ?ちょっと時間を止めたのよ」

「じ、時間を止めたって!君、魔法使いのなの?」

「まあ、そんなとこね」

「凄い!」

 ストレートにシンジに言われ、アスカは真っ赤になってしまった。

 魔法が存在することが常識の世界だったのだ。

 あがめられることはあっても、感動されることはない。

 しかも、アスカは恋する気持ちを持たないようにされてきた。

 あそこまでの魔術は輪廻継承とされていた。

 つまり子孫に伝わるのではなく、アスカ本人が姿形を変えるだけでその実体は変わることがなかったのだ。

 女になるか男になるかはその時の状況で決まっていた。

 アスカが覚えているだけで700年以上、輪廻を繰り返してきた。

 世界一の魔術師という権威と実力のおかげで、くだらない恋心は必要とされなかったのだ。

 家族を持つ、子供を持つことは国の乱れになることだから。

 アスカ自身もそれが正しいと信じて、半世紀も一人で生きてきたのだ。

 だからこそ、こうやって暗闇の中に5000年もの長い時間を閉じ込められていても自我を保つことが出来たのである。

 そして今、シンジが零した一滴の涙で短い時間だったが姿を現せた。

 死霊であっても、この5000年話をしたことはなかったのだが、生きている人間、シンジと楽しい会話もすることが出来た。

 アスカは幸せだった。

 このまま朽ち果てても、暗闇の中で閉じ込められ続けようが…。

 そのように観念した時、シンジが言ったのだ。

「ねえ、また会える?」

「無理ね。もう力がなくなってきたもん」

「えっ!そ、そんな!」

「ふふ、いいのよ、もう…。アリガトね、楽しかった」

「だ、ダメだよ。どうやったらいいの?教えてよ。僕、もう一度、君に会いたい」

「どうして?」

「だって…君、凄く可愛いから」

 口ごもりながらも、シンジははっきりとアスカのことを可愛いと告げた。

 その赤い顔を見て、すっかり無常感に捉われていたアスカの心が変化した。

 世界一の魔術師が、恋の魔法にかかり始めたのである。

 だが、まだアスカは自分の気持ちに正直ではなかったのだ。

「ふっ…、もし、もしさ、ホントにまた私に会いたいんなら、明日もう一度ここに来て、また涙をその骸骨に零してよ。

 そしたら…。また少しだけでも力が使えるから。でも、無理にしなくても、いいからね」

 そう言い残して、アスカは消えた。

「あら、どうしたの?シンジ君。ぼけっとして」

 リツコの言葉に我に返ったシンジは、時間が普通に流れていることに気がついた。

 そして、捧げ持つようにしていた頭蓋骨をしげしげと見た。

 これが…アスカだったんだ。

「ダメよ、持って帰っては。貴重な資料なんだから」

 そっけなく言うリツコに頷いて、シンジはアスカの骨を慎重に床に置いた。

 

 レイは内心かなりむっとしていた。

 他人の惚気話を聞くほど腹の立つものはない。

 その上、相手が自分の好きなシンジなのである。

 そのシンジがこともあろうに死霊相手に優しい言葉をかけている。

 だが、その感情を表に出してはいけない。

 あくまでこの悪い魔法使いをたぶらかさないと。

 レイは引き攣った笑いを何とか自然に見せようと努力しながら、アスカに話の先を促した。

 

 翌日。

 シンジはアスカの元を訪れた。

 彼女のことを想えば、涙などいくらでも流せる。

 昨日の夜だって、5000年も一人ぼっちだったアスカのことを考えて枕を濡らしていたのだ。

 頭蓋骨を手にした途端に、ぼろぼろと涙が零れた。

 二滴、三滴…。

 乾ききった骸にシンジの涙が滲みこむ。

 すると、周囲の時間が止まった。

 不自然な格好でリツコの姿勢が止まっているからすぐにわかる。

「アスカ…?」

 自分の名前を呼ぶ言葉に、アスカはおずおずと応じた。

「来て…くれたんだ」

「当然だろ。約束したじゃないか」

「う、うん…。アリガト」

 実はこの一日はアスカにとって数百年にも匹敵するほどの長さに感じられたのだ。

 あんなことを言っていたけれど、本当にシンジは来るのだろうか。

 自分に会いに。

 アスカは彼に一切魔術をかけていない。

 そこまでの力は戻っていなかったからだ。

 ところがシンジはやってきた。

 そして、彼の涙が沁みこんできた瞬間、アスカは恋の魔法に完全にかかってしまったのだ。

 だが、実体化するほどの魔法は使えない。

 あくまで時間を止めて話をする程度。

 

「じゃ、どうして、こんな魔法が使えるの?おかしいわ」

「そ、それはね…」

 アスカが真っ赤になった。

 その時、レイはいやな予感に襲われた。

「シンジがキスしてくれたの」

 やっぱり…!

 レイはこめかみの血管が切れそうになった。

「まさか、骸骨に?」

「うん。信じられなかった。突然キスしたんだもん」

 ぶちぶちぶち…!

 アスカ。絶対に消してやる。

 

「な、何すんのよ、いきなり!」

「あ、ご、ごめん。こうしたら力が上げられるんじゃないかって、そう思って。ごめんよ」

 アスカはシンジをまっすぐに見ることが出来なかった。

 身体中に力がわいてくる。

 5000年ぶりに。

 しかし、アスカにはそのことよりもシンジにキスされたことの方が重要だったのだ。

 生きている人間の唇ではなく、干からびた頭蓋骨の、しかも剥き出しになっている歯にである。

 アスカが感動しない方がおかしい。

 このとき、アスカは決意した。

 自分の持てる限りの力を使って、シンジとともに過ごしたいと。

 

「それで、魔法を使ったのね」

「そうよ。シンジも自分に術をかけていいって言ってくれたしね」

 勝ち誇ったように笑うアスカを八つ裂きにしてやりたいと思うレイ。

 しかし、それを心の中だけに留めておくために彼女も持てる限りの力を使った。

 それは魔法でもなんでもない、忍耐力という力だったが。

「でも、その術のせいで、シンジの記憶が消されてしまうのよね」

「酷い。自分勝手。碇君を返して」

「はん!返してあげてるでしょ。毎朝」

「うっ…」

「言っときますけど、私のシンジは血のつながっている者を恋人にするような神経は持っていませんからねぇ」

 アスカはニヤリと笑った。

 思わず、叩けるかどうかもわからないままにアスカの横っ面を引っ叩こうとしたレイだったが、

 アスカの言葉に息を呑んだ。

「でも、術を使えばそんなの簡単にクリアできんのにね。庶民って不幸よね」

 レイはすばやく計算した。

 血縁関係がなくなる。シンジの心の障壁がなくなる。猛烈アタック。シンジ陥落。

 にやり。

 これこそが私に残された最後の手段。

 そのためにはこの馬鹿な魔法使いを利用しなければ。

「あなたなら、簡単なの?」

「はん!そんなの滅茶苦茶簡単よ!指先1本でちょちょいのちょいよ」

「じゃ…」

「でも、今はできないわねぇ。実体がないから」

 レイは言葉に詰まった。

 アスカに身体を与えてしまうと、魔力の持ち主だ。あっという間にシンジをゲットされてしまうだろう。

 となれば、アスカはこのままの状態にしておいて、その魔法だけを使わせたい。

 そんな虫のいい話が巧くいくだろうか。

 だが、やるしかない。

 巧くおだてて…。

「じゃ、他の人には出来ないの?」

「できるわよ。そんなの簡単じゃん」

 アスカはあっさり言ってのけた。

 レイはごくりと唾を飲み込んだ。

「簡単、なの?」

「呪文と手順さえ間違わなければね。あ、アンタみたいな馬鹿にはできっこないけどさ」

 アスカは見下したような口調で言った。

 我慢我慢。

 いや、これを利用すれば。

「そう、私馬鹿だから。きっと難しいのね」

「はん!まあ、庶民には無理よね。1時間もかかるような呪文を覚えられるわけないしね」

「あなたは、覚えてるの?」

「アンタ馬鹿ぁ?私を誰だと思ってるのよ」

「ラングレー王国の第一皇女にして、世界一の魔術師」

「何よ、わかってんじゃん。30時間かかるような呪文でも大丈夫よ。何なら試してみましょうか?」

「そんな長いの、いい。短いのでいい」

「そうね。今日はもう時間もないし。じゃ、明日の夜にその1時間ものでも聞かせてあげるわ。

 一度聞いただけで覚えられるわけないから、アンタには真似できないけどねぇ」

 すべてわかってるわよとでも言いたげに、アスカはにんまり笑う。

 そして、指を鳴らした。

 その瞬間。月夜の砂漠は陰もなく消え、いつもどおりのシンジの居室が現れた。

 レイは大きくため息をつき、シンジのベッドのそばに歩み寄る。

 安らかに眠っているシンジ。

 きっとアスカのことを無意識に思い出しているのだろう。

 そう考えると腹立たしいが、そういう思いを弾き飛ばすような効果がシンジの寝顔にはあった。

 レイは誓った。

 なんとしても、アスカの言っていたあの魔法を使って、シンジと赤の他人になるのだ。

 そして、二人は恋人同士に…。

 ぽっ…。

 顔を赤らめたレイは、アスカのことを思い出しほくそえんだ。

 お馬鹿で、時代遅れな魔法使いさん。

 今はレコーダーというものがあるのよ。

 一言半句、すべて録音してその通りに実行してあげるわ。

 最後に笑うのは私、綾波レイ。

 レイは高らかに笑うすべを持っていなかったので、ふふふと唇を歪めるにとどめた。

 その笑顔の方が、アスカよりよほど魔法使いのように見えた。

 

 


 

 

 レイは一人、中央アジアを目指して飛ぶボーイングの機内にいた。

 その術を使うには、アスカの頭蓋骨が必要だったのだ。

 それはそうだろう。

 呪文だけで術が使えるのなら、魔法使いだらけになってしまう。

 それにレイの目的のためには、その方が都合がよかった。

 シンジとの血縁関係をなくした上に、アスカの頭蓋骨を痕跡を残さぬように粉砕してしまうのだ。

 そうすれば、彼女の魔力をもってしてもどうしようもないだろう。

 彼女自身もポツリとそのことを漏らしていた。

「調査団の馬鹿に壊されたらどうしよ…」

 頭蓋骨を壊されれば、彼女のかけた魔術はすべて解けてしまうそうだ。

 レイの計画は今のところ彼女の思い通りに運んでいる。

 彼女に甘いゲンドウは、迎えにわざわざリツコを向かわせると約束してくれた。

 少しそりの合わないリツコであったが、道案内としては最適だ。

 空港から女子中学生が一人で砂漠の真ん中まで行けるわけがない。

 まあ、その空港まで一人で行くこと自体が凄いことなんだが。

 

 リツコはほとんど話しかけてこなかった。

 話題が合うとは思えないので、その方がレイにはありがたかった。

 そして、彼女は口の中で何度も呪文を繰り返した。

 完璧に記憶している。

 呪文も、手順も。

 ナイフで腕に傷をつけるのは少し怖いが、魔術を成功させるためだ。

 アスカの力を借りるために、頭蓋骨に少量の血を振り撒かないといけない。

 その魔術をやってみるとアスカに言ってみると、彼女は馬鹿にしたように笑った。

「はん!一度聞いただけで出来るわけないじゃん!それにもし失敗したらアンタ消えちゃうのよ。ま、その方が私には都合がいいけどねぇ」

 消えるのは、あなたの方。

 レイは自信たっぷりに笑った。

 絶対の自信がある。

 

 そして、レイは一言半句呪文を間違わず、そして手順も完璧にこなした。

「へぇ…アンタってけっこうやるじゃない。ま、私に比べたらたいしたことないけどね」

 せせら笑うアスカだったが、次の瞬間その顔色を変えた。

「ちょっとアンタ、何すんのよ!待ちなさ…」

 ぐわしゃぁっ!

 レイは手近な石で頭蓋骨を粉砕した。

 あっさりと砕け散るアスカの心のよりどころ。

 心の片隅では可哀相だとは思ったが、手の方は容赦なく破片をさらに細かく砕いていく。

 何度も何度も。

 まるで機械のようにその動作を繰り返す。

 その手をリツコが握った。

「はぁ…何てことを。これは重要な人類の遺産なのよ。酷いことするわねぇ」

 やっとレイは我に返った。

 頭蓋骨は跡形もなく砕かれている。

 レイはリツコの手を振り解いて、大きく息を吐いた。

「これで…おしまい」

「もう…仕方ないわね。何とかするしかないじゃない」

 リツコはまだ未練がましく頭蓋骨の破片を見下ろしている。

「さあ、帰らないと。碇君が一人で待ってる」

 レイは踵を返し、出口に向かおうとした。

 日本に帰ろう。

 少しでも早く。

 碇君が待っている。

 

 その時である。

 一瞬、空気が動いたような気がした。

 レイは足を踏みしめた。

 地震ではない。それにほんの一瞬だけだった。

 

「そんなに急ぐことはないんじゃないの、レイ」

「レイ?そんな馴れ馴れしく…!」

 レイはその耳を疑った。

 あのリツコがこんな口調で喋るだなんて。

「何を馬鹿なこと言ってるの。義理とはいえあなたは私の娘でしょう」

「え…」

 おかしい。

 何か、おかしい。

「それに、シンジは一人じゃないでしょ。アスカちゃんがいるんだから」

 レイの顔色が変わった。

「アスカ…ちゃん?」

「せっかくフィアンセと二人きりなんだから、あまり邪魔をしない方がいいわよ」

「ふ、フィアンセ?」

 鸚鵡返しのようにリツコの言葉を受けるレイ。

 まさか、まさか…。

「それに、実のお兄さんのことを碇君だなんて変よ。いつものように、お兄ちゃんって言いなさい」

 とどめの一言だった。

 意識を失って倒れる寸前、アスカの高笑いが聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 レイは膨れっ面で座っていた。

 テーブルの向こう側にはアスカが申し訳なさそうに身体を小さくしている。

「説明して」

「しないとダメ?」

「当たり前」

「どうしても?」

「当然よ。どうして私がお兄ちゃんの妹で、しかも本当の兄弟なの?

 リツコママだっていつの間にか籍が入ってて、同居してるし。

 アスカだってお兄ちゃんのフィアンセになってる上に、うちにしっかり同居ってどういうこと?

 それに…私の口調や性格、変わってしまってるじゃない!

 これ、全部、あなたのしたことなんでしょ!」

「はは…、したのはレイなんだけどね」

「そうか、わかったわ。あなた、私に嘘の呪文を教えたんでしょう。

 しかも私に血まで流させて!」

 レイは包帯を巻いた左腕を掲げて見せた。

 次第に戸惑いが消えてきていることに、彼女は驚いていた。

 あんなに無口で感情表現が苦手だったのに、この自分はどうだろうか。

 ぽんぽんと言葉は出てくるし、表情だって素直に出せているのがよくわかる。

 きっとそれもアスカの魔法なのだろう。

 それは…少し…いや、かなり感謝はしているが、シンジと実の兄妹にされてしまったのは許せない。

 学年だって一つ下に落とされてしまっている。

 そういえば、1年生には渚カヲルという男子がいて、結構それが…ぽっ…。

 ぶるぶるぶる!

 レイは大きく頭を振った。

 まずい!だんだん術が強くなってきている。

 お兄ちゃん以外の男子に興味を持つなんて!

 ああ、お兄ちゃんじゃない!あ…、何て呼んでいたんだっけ?

 レイは必死にアスカを睨みつけた。

 そのアスカは別に大きな態度に出ているわけではなく、ひたすら恐縮している。

 世界最高の大魔術師の癖に。

「ごめんっ!本当にごめん!私にはああするしかなかったのよ。レイには本当に感謝してるわ。

 そうだ、これからぜんざいでも奢ってあげるからさ。許して!」

 両手をあわせて拝むように謝るアスカ。

 そこにはラングレー王国の第一皇女の威厳は微塵もなかった。

 年頃の女子中学生そのものである。

 レイは…尚もアスカを問い詰めようとしていたが、口の中に涎が…。

 ぜんざいを食べたい。

 違う違う。私、こんなキャラじゃない。

 私の魅力は神秘性じゃないの。こんなに明るい……。

 その時、買い物に出かける(会談のために体よく追い出したのだ)前にレイへ言い残していったシンジの言葉が甦った。

「レイって、いつも明るくて元気で、本当に可愛い妹でよかったよ」

 ああ、嬉しい。

 そうか。お兄ちゃんは明るくて元気な妹キャラが好きなんだ。

 それじゃ、今の私ってぴったりじゃない!

 よかった……って、ダメよ、ダメ。

 そりゃあ他人になってふられちゃったら一生傍にいられないけど、

 実の妹だったら死ぬまで「お兄ちゃん!」って甘えられるわよね。

 それって、ラッキー!

 ああ、もうダメ。綾波レイが消えちゃう。

 碇レイ、こんにちは。

「本当にごめんね、レイ。

 どうしても、シンジと一緒に生きて、普通の人間として一生を終えたかったのよ。

 だから、もう魔法も何も使えない様にしたの。死んだら、それっきり。アンタたちと一緒なのよ。

 そのために、アンタの心を利用しちゃったの。許して!」

 平謝りするアスカを許してもいいかもと思い始めたレイだった。

「だからね、少しでもみんなが幸せになれるように最後の魔法で、ちょこっと設定を変えたのよ。

 きっと喜んで貰えるってさ。こんなのダメだった?」

「ダメ!」

「……」

 アスカは顔を伏せた。

「団子も1皿つけないと、許さない」

 その言葉を聞いて、アスカは顔を上げた。

 レイはにっこり笑っている。

「お兄ちゃんが帰ってきたら、3人で行きましょ!」

「レイ!」

「ねえ、それより設定変えたのってそれだけ?」

「それだけって?」

「あなたの資産は?無収入でここに住んでいるんじゃないでしょうね」

「へ?収入?」

「まさか、うちの収入で食べているわけ?ただの居候?」

「そ、そんなの、いるの?」

 レイの語気にたじたじとなるアスカ。

 そこには世界一の魔術師の威厳も何もなかった。

 レイはわざとらしく大きな溜息をついた。

「まったく、お姫さまだか魔術師だかしらないけど、浮世離れしてるというか…。

 自分の手で稼いだことのない人間は始末に悪いわ」

 念のために言っておくと、レイもただの居候であった。

「どうせ魔法を使うのだったら、碇家を億万長者にしてくれたらいいのに。

 収入がそのままで食い扶持が一人増えるのよ。これからどうすればいいのよ」

「ほ、ほら、リツコママが…」

「黙りなさい。そんな機転も利かないで何が世界一の魔術師よ。

 じゃ、何?さっき奢ってくれるって言ってたおぜんざいもお団子も安倍川もちも結局碇家の財布から出るんじゃない」

「あ、安倍川は言ってない……」

「で、何か宝石とかそういうのは持ってきてないの?」

 睨み付けるレイに、アスカは恐る恐る首を振った。

「へぇ…裸で来た訳?あ、そういえば、その服。私のじゃない!」

「あ、あの…。ごめんなさい!」

「じゃ、あなたには何が出来るの?」

「何がって…、魔術はもう…」

「そうね、普通の人間になったって言ってたから、もう力はないのよね。それじゃ、他に出来ることはないの?

 天才級の頭を持ってて大学くらいすぐに入れるとか、ロボットの操縦が出来て正義の味方が出来るとか、何かないの?」

「ない」

 アスカはまた俯いてしまった。

「ふん。それじゃ、まったくの能無しじゃない。いくら元は魔法…」

「あ!」

「何かあるの?」

「世界一、シンジのことが好き!」

 ばしんっ!

 レイの拳がテーブルにめり込むかのように見えた。

「ひっ!」

 赤い瞳がアスカを睨みつける。

 ただ、シンジのことだけにアスカも引くつもりはない。

 正直、そのアスカの青い瞳の力がレイには気に入った。

 お兄ちゃん…シンジのことが本当に好きなようだ。

 あのまま永遠の命を得ることだって出来たのに、普通の少女としてシンジとともに生きる道を選んだのだから。

 まあ、そのことだけは認めてあげよう。

 心の中でそうは思いながらも、レイは口を閉じなかった。

 この元魔法使いとはいい友達になれるかもしれない。

 でも、私を1年勝手に落第させたのは許せない。

 あ、でも1歳得したってこと?

 ふふふ…、なんだか、こういうのって楽しい。

「自分勝手もいい加減にして欲しいわ。この、へっぽこアスカ!だいたいあなたは…」

 レイの口撃はシンジが帰宅するまで続いた。

 どうやらそれでレイの気は治まったようだ。

 あんなに偉そうにしていたアスカをここまでへこますことができたのだから。

 アスカは帰ってきたシンジに玄関先で飛びついた。

「シンジぃ。レイがいじめるぅ〜」

「お兄ちゃんおかえりなさい。こら、へっぽこアスカ!お兄ちゃんから離れなさい!」

「ただいま、レイ。もう、アスカったら、家ではどうしてこんなに甘えん坊なんだ?」

「だって、シンジのことが好きなんだもん!」

 耳元で宣言されて、見る見るシンジの頬が赤くなる。

 設定ではずっと一緒に暮らしてきたフィアンセなのだが、実際には初めて会ってからまだ2ヶ月くらいしか経っていない。

 知識ではわかっていても、心はまだ不慣れなのだ。

「やめてよね。年頃の妹の前でベタベタするのは」

「へ〜んだ」

 シンジの首にすがりついたまま、アスカがあかんべぇと舌を出した。

 レイは微笑んだ。

 まあ、いいか。こういうのも。

「じゃ、おぜんざい食べに行きましょうか」

「え!僕帰ってきたばかりじゃないか。また出かけるのかい?」

「そうよ!アスカが奢ってくれるんだって」

「へえ、じゃ行こうか」

 シンジがいたずらっぽく笑った。

「あ、あの、お金が…」

「またお小遣い全部使っちゃったの?」

「ご利用は計画的に」

「うっ、兄妹でいじめる」

「ははは、じゃ、僕が奢ってあげるよ」

「わっ、シンジ大す」

「お兄ちゃん、大好き!」

 アスカの声はレイの大きな声にかき消された。

 そして、レイはすばやくシンジの右腕をゲットした。

 慌ててシンジの左腕に飛びつくアスカ。

「うわ!二人ともやめてよ。重いっ」

「へっぽこアスカ、手を離しなさいよ」

「アンタこそ離せば。このブラコン!」

 両腕に人も羨むような美少女を引っさげてシンジは歩き出した。

 シンジにはアスカが遺跡に現れた魔法使いだという記憶はない。

 きっと、アスカ自身も、レイもそのことをいつの間にか忘れてしまうだろう。

 

 古代魔法王国の第一皇女アスカ・ラングレーは、こうして一介の名もない少女に転生した。

 そして、魔法の系譜はここに完全に途絶えた。

 ただ、恋の魔法だけは人の世が続く限りいつまでも継承されることだろう。

 人が人のことを想う気持ちがある限り。

 

 

 

熱砂の恋 おわり

 

2003.11.24

 

 


<あとがき>

 透夜様よりいただいた、100000HIT記念リクエストSSです。今回は一気に書きました。

 リクエスト内容は、1、月夜の砂漠。2、シンジが記憶喪失。3、レイ、暴走。

 以上のお題でした。

 まず最初に。レイ、ごめんなさい!

 暴走というお題のためとはいえ、結局アスカのいいように利用されてしまってます。(またお叱りをいただくかも…びくびく)

 どうしてもアクションモノで行きたくはなかったので、こういう話になりました。

 魔法って難しいです。やっぱり日常話のほうが書きやすい。そういう自分を再確認しました。

 

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