アスカ誕生日記念SS

 

64歳になっても

 

ジュン   2009.12.4

 

 

 

 少女の蒼い瞳はまっすぐに愛しい少年の部屋の窓を見上げていた。
 彼女が立っているのは、少年の家の裏手にある小さな神社の中である。
 既に陽はとっぷりと暮れ、街路の街灯は神社のわずかながらも林というべき場所にまでは差し込んでこない。
 神社には入り口に古びた照明があるもののそこも林からはやや離れているので、それらの薄明かりが何とかものの区別をつけてくれる状況だ。
 はっきり言うと、結構物騒な場所ともいえる。
 変質者がもしそこにいたならば赤金髪の少女が佇んでいるのを見て舌舐めずりして近寄ってきそうな状況である。
 事実、近くの街路には痴漢注意の看板もあるのだ。
 そんな物騒極まりない場所に彼女が立っているのは簡単な理由である。
 少年の家の前では部屋の窓が見えない上に、人通りが多くぽつんと佇んでいると不審がられてしまう。
 さりとて裏手の方は逆に人通りが少なすぎ、そんな場所で立っていると不審者そのものであろう。
 もっともそんな論理的な考えで彼女がそこにいたわけではなく、つまりは彼の部屋を監視(という言葉を彼女の頭では選んでいた)するに絶好のポイントがそこだったというだけのことだ。
 もちろん彼女もこのような危なっかしい場所に好き好んでいるわけではない。
 やむを得ないことだからである。
 口喧嘩をしてしまった少年と仲直りをしたい。
 しかし、そのきっかけがなかなかできない。
 その上、タイムリミットが迫っている。

 昭和56年12月4日金曜日、午後8時前。
 惣流・アスカは白い息を唇から漏らしながら、蛍光灯で白く浮き出されている部屋の窓をじっと見つめていた。






 アスカが立っている場所から少年の部屋の窓までの距離はほぼ15m。
 ときおりちらりと黒い影がカーテンを横切る時があり、その度に彼女ははっと胸を躍らせる。
 しかし、それから何も進展するわけがなく、アスカは忸怩たる思いでただじっと窓を見つめていた。
 
 そもそも、彼女が全面的に悪いのである。
 今日、12月4日は彼女の誕生日だ。
 14歳になるアスカは幼馴染であり、仲が良い友人の一人である、碇シンジからのプレゼント受け取りを拒否した。
 それはあまりに粗末なものだったからである。
 カセットテープが1本。
 しかも何の曲が入っているのかまったくわからない、インデックスに何の文字も書かれていない代物だったからだ。
 その上、忍耐強く「この中に何の曲が入っているのか」と低い声で質問したアスカに対して、シンジはこう言っただけだった。

「た、たいしたもんじゃないよ」

 いつもならば下を向いてそういうのが彼の常だったが、この時は違った。
 それが彼女の癇に障ったのである。
 まるでアスカがするようにそっぽを向いて、そんな言葉を発したのだ。
 本来そういう言動を目にすればアスカはまず自省すべきところだろう。
 なるほどこういうことをすれば相手は腹が立つものだ、と。
 ところが、彼女は素直に自分が腹を立てただけだった。
 いつものように。

 渡されたタイミングも悪かったのかもしれない。
 昨年まではシンジからの誕生日プレゼントは結構早めに入手していた。
 休みの日ならば午前中。
 学校がある時は帰宅してすぐだった。
 残念ながら誕生日パーティーなるものは惣流家では行ってくれない。
 何故ならば僅か3週間後にクリスマスがやってくるからである。
 開催の趣旨は違うものの、ケーキにご馳走にプレゼントと来れば二者の見た目はほとんど変らない。
 金持ちとはいえない惣流家としてはそのふたつをまとめてしまうのは当然だろう。
 もっともプレゼントだけは誕生日とクリスマスは別物として渡されるのでアスカとしては特に不満はない。
 それに12月4日の晩餐も彼女の好物が並ぶのだから、友人を呼んだパーティーを開いてくれなくてもかまわない。
 友人を招いて誕生パーティーとしゃれ込むほど惣流家は裕福ではないのだ。
 女手ひとつで娘を育てている母親にどの口でパーティーなど要望できるものか。
 仮にそんなことを口にすれば無理してでも準備してくれると思えばこそ絶対に言えやしない。
 ぱっと見は大雑把そうに見えるアスカだったが、実は繊細な性格もかなり持っているのである。
 戦死したラングレー少尉とは正式に婚姻していないので恩給や遺族年金などといった類のものはアスカ母子は手に入れられない。
 少なくとも家賃を払う家ではなく、母親が育った町で祖父が住む家に迎え入れられたのだから彼女たちは幸福だった。
 家を飛び出した娘を何も言わずに許した祖父も今はもう他界している。
 死期を悟った彼が相続関係やアスカの学資に対する資金を処理していたことを葬儀を終えた後に弁護士から知らされたと、最近になってアスカは母から聞いた。
 父親の顔は写真だけしか知らず、祖父もまた物心がついた頃に亡くしているアスカはただ一人の肉親である母親のことをこの上もなく愛している。
 そして、今はもう一人。
 幼馴染で、これまで子分扱いをしていた碇シンジのこともまた愛していた。
 好きだ、というレベルを通り越して一気に、愛している、と自覚してしまっているのはおそらく燃え上がりやすい惣流家の血筋のなせる業だろう。
 ただし、その愛情をわかりやすく描写できないのもまたその血筋の影響か。
 ことに今年の誕生日プレゼントについては愛情に目覚めてから初めてとなるだけに余計に期待を膨らませすぎたのかもしれない。
 そのために、シンジの態度を見て頭にきてしまったのだろう。
 そして、その場でシンジを玄関から追い出してしまったのだ。
 
 あいつ、どんな表情していたっけ…。

 アスカは臍を噛んだ。
 実際覚えていないのである。
 彼女からプレゼントをつき返されたとき、シンジがどんな顔をしたのか。
 びっくりしたのか、怖がったのか、それとも、……悲しげな表情を?
 彼女は溜息を吐き、ゆっくりと首を横に振った。
 確かめておくべきだった。
 ほんの少しでも余裕があれば目にすることができたはずだ。
 それが何故できなかったのかを彼女はよく知っている。
 思わず涙が出てきそうになったからだ。
 期待が大きかったからこそ落胆も大きい。
 涙を見られたくなかったので、彼をすぐさまたたき出したのである。
 そして、今それを後悔しているというわけだ。

 帰宅していた母親にはちゃんと理由を説明している。
 それは母の用意したご馳走をぱくぱくと食べることができなかったからだ。
 自分が馬鹿だから彼からのプレゼントをつき返した。
 だから食欲もないので箸が進まないのだ、と。
 そんな娘に対し、母親は素っ気無い態度をとった。
 心のこもった料理に対してあまりに酷すぎる。
 だからそのもやもやした気持ちをすっきりさせてくるまで帰ってくるなと、ジャンバーを娘にぶん投げて家から追い出したのだった。
 ちゃんとプレゼントを貰ってくるまで帰ってくるんじゃありませんよと、母親はアスカの目の前で鍵をがちゃりとかけたのである。、
 その時点ではアスカはやる気満々だった。
 後押ししてくれる母の気持ちもよくわかり、意気揚々とシンジの家に向かって駆け出していったのだ。
 そして……。
 
 彼女は少年の家の前を駆け抜けてしまった。

 僅かな道のりを走っている途中でどういう風に話を切り出すべきか悩み始め、遂に結論を出せず足を止めることができなかったのだ。
 そのままアスカは彼の家の裏手にある小さく寂れた神社の境内に駆け込んだ。
 ここは二人でよく遊んだ場所なので勝手はよく知っていた。
 鬼ごっこやかくれんぼうなどをした小さな林の中でアスカはようやく立ち止まった。
 それから自分の頭を己の拳でごつんごつんと叩いたのだ。
 自分でもよくわかっている。
 あのまま勢いでシンジの家に突進していたならばまだしも、こうして一段落してしまうとなかなかインターホンを押すなりドアをノックするなりといった行動がとれやしない。
 
 こうしてアスカはシンジの部屋の監視行動を取ることになったのであった。
 しかしながらその行動には、“いつまで”という制約がない。
 それを決めることができるのは彼女自身だけだ。
 そのこともアスカは承知しているし、だからこそ溜息と貧乏揺すりを繰り返しているのである。
 頭の中では何度もシナリオを組みなおしていた。
 どう謝るか、いかにしてプレゼント(らしきもの)を今一度入手するのか。
 もはやプレゼントの内容がどんなものであろうが問題ではない。
 それを受け取ることが彼女の主題なのである。
 ごめんなさい、私が悪かった、ありがたくプレゼントをいただくわ…。
 他人から見れば実に簡単な言葉なのだが、それを素直に発することができるのならば世話はない。
 きちんと家の前で立ち止まり、今頃はプレゼントを手にしてにこにこしながら帰宅していることだろう。
 それもまたわかっているのだが、やはり足は動いてくれない。
 林の横手にある家から、テレビの音が漏れ聞こえる。
 さすがに12月だから窓もカーテンもしっかり閉められているので、そこの家の者に不審者が神社の林にいるなどと通報はされないだろう。
 バラエティ番組か何かの騒々しい音が僅かにアスカの耳に届くが、それは彼女の心をさらに焦らせるだけの雑音に過ぎない。
 もうすぐ8時になろう。
 時間がない。
 
 恋愛は人を臆病にする、という。
 そのことを耳にしたとき、アスカはかんらと笑った。
 馬鹿みたいと読んでいた雑誌をぽんと放り投げたのだ。
 それはたった半年前のことだ。
 その頃にはまだシンジは子分扱い状態であり、彼に恋心など抱いていなかったのだった。
 しかし今はどうだろう。
 彼を失うということを想像しただけで身体が震えだしそうなほどの恐怖を感じてしまう。
 今のアスカがその記事を読んだならばうんうんと大きく頷くところだろう。
 ともあれ、彼女はプレゼントをつき返したことで彼に嫌われたのではないかと疑心暗鬼なのである。
 アスカはまたもや大きな溜息を吐いた。
 その溜息のあまりの大きさにぎくりとして周りを見渡す。
 街灯の光も届かない雑木林はよくよく目を凝らさないとものの判別も難しい。
 当然のことながら誰もいないことを確認すると、今度は意図的に特大の溜息を吐きついでに自分への悪態も吐き出した。

「ホント、馬鹿。馬鹿アスカ」

 この時、彼女はいい事を思いついた。
 ここは神社の境内である。
 何の神様か調べたこともないほどに身近すぎる場所にある神社だが、そこに住まう神様に助けを求めようとしたのだ。
 苦しい時の神頼みというではないか。
 要は神様を利用して背中を後押ししてもらおうと考えたわけだ。
 アスカはもう一度シンジの部屋の窓を見上げた。
 カーテンには何の影も映っていない。
 その時隣家のテレビから流れる『太陽にほえろ!』のメインテーマが微かに耳に届いた。
 とうとう8時になった。
 こうしてはいられないと、アスカは林の中を進んだ。
 おそらく母親は箸もつけずに自分の帰りを待っているだろう。
 そのことを考えると動かないといけないと思うのだが、それでもいままで足は動いてくれなかった。
 ところが今、神頼みをするという行為のために彼女の足は現金なものですいすい動いてくれた。
 さすがに小さい時から走り回っている場所である。
 暗闇の中でもそう苦労もせずに彼女は林から出てお社の前に向かった。
 そして賽銭箱の前に立ったアスカはある事実に気がつき「あ〜あ」と己を嘆いた。
 ポケットには財布が入っていない。
 地獄の沙汰も金次第というではないか。
 ここにいるのは鬼でなく、いくら神様であっても無料で願い事をかなえて欲しいというのは虫がよすぎるだろう。
 賽銭も入れずに頼みごとなどすれば逆に罰が当たるのではないだろうか。
 
「どうしよう…」

 思わず漏れた独り言に反応はない。
 反応したのは自分自身だった。
 アスカはぎこちなく笑った。
 ご利益の前借は可能だろうか、と考えたのだ。
 かえって神様の怒りを買ってしまわないか?
 しかし…。
 溺れる者は藁をもつかむ。
 そのアスカの連想はいささか間違っていたものの、それでも彼女は神様にお願いするに当たり最大限の取引をしようと思ったのだ。
 もし、シンジと恋人同士になれるのならば、来月もらえるはずのお年玉から1000円を賽銭箱に入れるという条件を出そうとした。
 だが、やはりそれは神様を試すというとんでもない行為ではないか。
 アスカは腕組みをした。
 例えばこういう方法はどうだろう。
 毎月100円を賽銭箱に入れるというのは?
 これならば1年で1200円、10年で12000円、20年で24000円!ふうっ!
 今のアスカにとってはとんでもない大金である。
 お年玉は母親から5千円に碇家から3千円、おそらく1万円に満たないというのがアスカの取らぬ狸の皮算用だ。
 それでももし一生をシンジと過ごすとして今から約50年で60000円だ。
 50年といえば64歳。
 その時までお賽銭を続けているということはとりもなおさずシンジと結婚しているということではないか。
 身勝手な計算に笑みを漏らしたアスカだが、すぐにその金額を思い返してがっくりときた。
 10万円にも届かないときている。
 額ではない、気持ちだ。
 そう自分に言い聞かせようにも、最近コマーシャルで見たビデオデッキとやらの新製品が20万円ほどらしい。
 ビデオデッキという代物がいくら凄いものであろうとも、シンジへの恋心を叶えるという方がアスカにとっては明らかに比重が重い。
 いや、比べようがないのだ。
 よし、清水の舞台を実際に見たことはないが、その舞台から飛び降りるつもりで、月に500円でどうだ。
 それならば…。
 アスカは暗算した。
 年で6000円、10年で60000円、20年で120000円!!!
 アスカはぽんと手を打った。

「28年で16万8千円になるわ」

 28年という半端な年数で計算したのはアスカではない。
 その声は彼女の唇から発せられたものではなかった。
 一瞬、社の中からかと錯覚したが、その声はアスカの背後からでかけられていたのだ。
 その声を聞き、何者かと考える前にアスカはびくりと背中を震わせた。
 それはそうだろう。
 ここは真っ暗な小さな神社の中だ。
 いきなり声をかけられれば驚くのが当然である。
 アスカは恐る恐るではあったが、すぐに振り返った。
 その声音には何となく馴染みがあったからだ。
 かなり砂に埋もれ気味の石畳の上に立っていたのは金髪の女だった。
 アスカは眉を顰めて、腰に手をやった。

「ママ!驚かさないでよ」

「でも、いくら大金でも最初の500円を入れずに願い事をするのはどうかしら?」

 腕組みをした女はにんまりと笑う。

「だって、持ってないんだから仕方ないじゃない」

 アスカはまるで小さな子供のように膨れっ面を見せた。
 そのような表情を見せるのは身近な、つまり母親にだけである。
 こういう時母は優しく微笑んで…。

「はっはっは!そんな顔してたんだ、私って」

 おかしそうに笑う女を見て、アスカは顔色を変えた。
 違う。
 よく似ているが、母親とは違う。
 それにあの化粧は何だ。
 真っ赤な口紅に濃いアイシャドー。
 まるで…そう、水商売の女のようではないか。
 しかし、その顔は…。

「ふふん、鳩が豆鉄砲食らったような顔してる。そうよねぇ、私もびっくりしたもの。私が、急に現れたときは」

 アスカは息を呑んだ。
 女の言葉をもう一度自分の頭の中で反芻する。
 私もびっくりした。私が現れたとき?
 どういう意味だ。
 ストレートにとれば…。

「ふふふ、困ってる。そうよねぇ、SFじゃあるまいし、時を越えて来たなんて。ほらっ」

 女はいきなり何かをアスカめがけて放り投げた。
 もしそれが強い勢いならば咄嗟に避けただろうが、ゆっくりとした放物線を描いて飛んでくるものをアスカは思わずキャッチしてしまった。
 暗がりではあっても銀色に光るその物体は容易に受け止めることができたのだ。
 アスカは掌にあるその物体をしげしげと検分した。

「500円硬貨。それを1回目のお賽銭にすれば?」

 ニヤニヤ笑う女にアスカは「ふん!」と鼻を鳴らした。
 どうも気に入らないヤツだ。
 この居丈高で傍若無人で唯我独尊的な言葉つき。
 まったくもって気に入らないこと甚だしい。
 それにこの500円硬貨とは何だ。
 確かに500という数字は書いてあり、裏側に日本国と五百円という漢字が刻まれていた。
 しかし、アスカはそんな硬貨を見たことは一度もない。

「何がお賽銭よ。アンタ、偽札…じゃないわね、偽硬貨偽造団?」

「あらま、そうね。この当時じゃ500円硬貨はまだなかったっけか。何年製?その500円玉」

 にんまりと笑みを返され、アスカはもう一度硬貨を裏返した。
 薄暗がりの中で年号は読みにくかったが、ようやく見えた年号を見て眉を顰める。

「へい…せい……?13年」

「よく読めたわねぇ。そう、平成。もう昭和じゃないんだなぁ…、これが」

「はんっ、馬鹿らしい。これじゃニセモノにもなんないじゃない。勝手に年号決めちゃってさ。
たとえおもちゃでもこんなの作ったら犯罪になるんじゃないのぉ?」

「作ったのは私でなく造幣局。平成13年といえば2001年か、今から20年後になるわね。あ、因みに私が来たのはその8年後からよ」

「20…」

 アスカはあきれ果てるとともに、少し薄気味悪くなった。
 この女性は狂人ではないか。
 先ほどからにやにや笑ってばかりだし、それに実に偉そうな態度と口調である。

「残念。私は狂ってなんかないわよ。正常この上ないわ。あ、それからね、私エスパーでもないから」

「はぁ?」

 エスパーという言葉を聞き、アスカはせせら笑った。
 しかし、その笑みはしばらくすると硬直してしまったのである。
 その時、彼女はようやく気がついたのだ。
 この金髪の女性はアスカが口にしていないことに対して返答しているではないか。
 これは…テレパシーか?

「違う違う。だから超能力なんてないってば。私はあなたなんだから、自分にそんな能力がないって事はよぉくご存知だと思うんだけど」

 にやにやにやにや。
 その面白くて仕方がないという笑顔を睨みつけたアスカは先ほどの疑問に戻った。
 そうなのだ。
 この女は自分がアスカであると主張しているのである。
 しかも何十年後の未来から来たアスカだと。
 その時、アスカが感じたのは話の荒唐無稽さに対する馬鹿らしさではなかった。
 
「アンタ、いくつ?」

「まあ、あなたって計算できないの?私はそんなお馬鹿さんじゃなかったと思うだけど」

「くわっ、確認しただけじゃない。はんっ!」

 アスカは先ほどの会話から逆算した。
 自分の誕生日が1967年12月4日。
 2001年に8年足すと2009年だから…。

「げぇっ、42歳ぃぃぃ!嘘ぉっ!」

「見えないでしょう?まだ20代でしょうってよく言われるの」

「おばんっ!」

「殴るわよ、自分におばんなんて言われたくないわ」

「だって、おばんじゃない!42ぃ!アタシ、42になったらアンタみたいにけばけばしいおばんになっちゃうわけぇ?やだぁ!そんなの信じらんないっ!」

「ふん、馬鹿な娘。10年経ったら24歳。30年経ったら44歳、50年なら64歳になるのが当たり前でしょうが」

「やだ…」

 アスカは顔を歪めた。
 未来を夢見ることは子供の特権だ。
 どんな大人になるのだろうか。
 そんな未来予想図に心ときめかすことはままあろう。
 しかし、こうして目の前に28年後の自分を見せ付けられると幻滅してしまうのも仕方がないといえよう。
 せめて10年後程度ならまだしも28年後はあまりに遠すぎる。
 しかも品の良い中年女性ではなく、あきらかにけばけばしいおばさんが目の前で腕組みをしているのだ。
 事の真偽を問う前に、そのショックの方が上回った。

「そういえばビートルズにあったわよねぇ。64歳になっても愛して頂戴だか、愛しているだか、そういうの」

 自称42歳の惣流アスカはわざとらしく嘯く。
 その顔を14歳の惣流アスカは呆然と見つめる。

「で、信じた?」

「信じたくない」

「それは困るわねぇ。せっかく未来からやってきたのに」

「だって…」

 42歳のアスカは面白げに笑った。

「そうね。自分だけしか知らない事実ってヤツを聞かせればいいのよね」

 その言葉を聞き、14歳のアスカはごくりと喉を鳴らした。
 もしああいうことやこういうことを言い出せば、即座に否定してやろうと。
 つまり自分を観察していればわかるようなことをである。

「小学3年のとき、校長室の水槽に餌を全部ぶちまけて、金魚を全滅させたのは…」

 アスカはびくりと身体を震わせた。
 まさか蓋が取れて全部水槽に落ちてしまうとは考えが及ばなかったのである。
 しかも食べ過ぎて金魚が死ぬなど想像もしなかったのだ。
 犯人を捜す先生たちの前に彼女は名乗り出ることができなかった。
 激怒する先生も怖かったのも事実だが、それ以上にシンジが「ひどいことするよね」と言ったことが大きい。
 その日、アスカは家に帰ると仏壇にありったけの線香に火を点けて供えた。
 そしてもちろん、母に叱られたのだが、金魚の件だけは口が裂けても言わなかったのである。
 そのことをこの女は知っていた。
 見られていたのか。

「は、はは、誰かに見られていたとはアタシも不覚よね…」

「あらまぁ、だめか。じゃ、給食のおかわりを迅速にするために、自分が当番の時は自分の分だけ少なめに配膳していたっていうのは?」

「ははははは!そ、そんなの、見ていればわかることじゃない!」

 わからないようにしていたところがアスカのずるがしこいところだった。
 そしておかわりの時はこれでもかというくらいにお皿に盛り上げたものだ。
 
「う〜ん、それもだめか。それじゃ、これはどう?ポール・マッカートニーにファンレターを出そうとして30秒であきらめたっていうのは」

「えっ」

「確かこれは昨日の夜の出来事よね。英語で書こうとして「Dear Paul.」でいきづまってしまって便箋はビリビリに裂かれてゴミ箱に」

「ご、ゴミ箱を見た…んでしょう。ははは…」

 力なく笑うアスカだが、もうこれは間違いなかろうと思い始めていた。
 これ以上、これまでの短い人生の中で数多く重ねてきた悪行を羅列されてはたまらない。

「も、もういいわ。で、アンタは何のために?」

 その時、42歳の女性の顔から笑みが消えた。
 毒々しい真っ赤なルージュとどぎついアイシャドーがさらに迫力を増す。

「いい?このまま家に帰るの。馬鹿シンジのことなんか忘れなさい」

「馬鹿シンジって言うなっ。馬鹿シンジを馬鹿シンジって言っていいのはアタシだけっ」

「だから、私はあなた。だから私も馬鹿シンジって言っていいの」

「ぐ…」

「まあいいわ。埒があかない。結論から言うわよ」

 42歳のアスカは14歳のアスカを厳しく睨みつけた。
 
「とにかくすぐに家に帰るの。そうしないと…」

「銃を持った殺人犯でも来るっていうわけ?」

 少し声がしわがれてしまった。
 それほど未来の自分から受ける圧迫感が強かったのだ。
 母親に叱られるのも慣れてはいるがやはり怖い。
 その母親に似た未来の自分。
 ぱっと見は似ているがそこには自分に対する愛情の欠片も見えない。
 寧ろ憎しみか。
 唇を歪めた42歳のアスカは鼻で笑った。

「馬鹿らしい。話は簡単なの。今すぐ帰ってしまわないと、あなたはとんでもないろくでなしと結婚することになるのよ」

「はぁ?」

 話が予想外のフィールドに飛んだ。
 未来の自分の語った言葉をアスカは吟味する。

「それって…?」

「ふんっ!女に働かせて、自分は酒とかギャンブルとか、ああっ、もう我慢できないわ!
いい?碇シンジなんて最低の男よ。浮気はどんどんするし、悔しかったら自分もしたらいいって…」

 憎々しげに言い募った中年女性は唇をぐっと噛む。

「ち、ちょっと待って。シンジが、まさか…」

「ふん、人は見かけによらないって本当よ。あいつがあんなに酷い男だなんて…」

「じ、じゃ…」

 大きな溜息を吐いた42歳のアスカは説明した。
 この日、結局シンジの家に赴いた彼女は誕生日プレゼントを手にした。
 そのカセットテープにはアスカの好きなビートルズのラブソングが録音されていて、最後には『When I'm sixty-four』が入っていた。
 そしてケースに小さくしまわれていた紙にこう書かれていたのだ。

「64歳になっても一緒の家で一緒に食事がしたいと思っています。あ、もちろん、アスカとだよ。お願いだから、僕とずっと一緒にいてください」

 くだらなさげに口にされた言葉だったが、14歳のアスカには実に魅力的な文面である。
 彼女はぱっと顔を輝かせた。

「ホントっ?最高じゃない!シンジ、大好きっ!」

 思わず口走ってしまい、アスカはさっと顔を赤らめた。
 他人の前で自分の思いを吐露したのは初めてだったからだ。
 もちろん未来の自分は他人ではないのだが、心情的には彼女を自分だと受け付けたくない気持ちがアスカを支配していた。

「それよ、それ。私はおっちょこちょいだから、こんな見え透いた手に引っかかってしまったのよ。本当に馬鹿」

「何言ってんのよ。これこそアタシが待ち望んでいた展開じゃない」

「だ、か、ら。馬鹿シンジは酷い亭主になるの。で、私は苦労するわけ。そこで、この日この時あなたさえ馬鹿シンジの家に行かなきゃ…」

「ふんっ、そんなの運命じゃない。もし行ってなかってもいつかは…」

「それがそうじゃないのよね。実は馬鹿シンジはこの誕生日プレゼントに賭けていたわけ。
もし、私にふられたら、その時は霧島マナのプロポーズを受けるつもりだったって後で聞いたのよ」

「マ、マナぁ?あいつ、ぶっ殺す!」

 そういえば最近隣のクラスの彼女がよくシンジの周囲に出没していたような気がする。
 アスカの顔を見ても別に変な表情を浮かべていないどころか親しげに笑いかけていたのだ。
 それは演技で実は彼女はシンジを狙っていたということか。
 アスカは歯軋りせんばかりにマナに対し憤りを覚えた。

「ね?だから、お願い。手荒なことはしたくないのよ。自分の身体だし」

 下手に出る42歳の自分をアスカは自信たっぷりに笑った。

「手荒って何?刺し殺すとか?そんなことしたら自分の存在が消えちゃうんじゃない?」

「き、消えたっていいわ。今の地獄のような生活はもう耐えられない」

「はっ!」

 アスカは吐き捨てるように笑った。

「そんなのアンタのやったことでしょ。アタシはアンタみたいになんないもんねっ」

 いつしかアスカは腰に手をやり、足を思い切り地面に踏ん張っていた。

「いい?よぉく聞きなさいよ!アタシはシンジをそんなろくでもない男にしないからっ。
ふんっ。つまり、アンタのやり方が悪かっただけじゃない?アタシのシンジはもっといい男なんだから」

「だ、だから、あなたは私なんだから、どうがんばっても…」

「バッカじゃない?自分の失敗を人に押し付けるんじゃないわよ。まっ、でもアンタの望み通りになるかもね」

 14歳のアスカはにんまりと笑った。

「私がシンジとラブラブで一生を過ごせば、今のアンタは消えちゃうでしょうが。さっき言ったわよね。消えたっていいってさ」

「そ、それは…!」

「問答無用。アンタも惣流アスカなら毅然とした態度で最後を迎えなさいってのよ。
ま、これが赤の他人の存在を消すって言うなら気が引けるけどさ。
何たって自分だもん。あ、子供は?」

「いないけど…」

「なら、全然OK!さっさと消えて頂戴、アタシの失敗作さん」

 アスカはきっぱりと言うと、手にしていた500円硬貨を指で弾いた。
 硬貨を受けとめた“失敗作”は唇を噛んだ。
 42歳の自分の脇を通り過ぎる時、彼女の目は一瞬たりともそちらには向かない。
 14歳のアスカが見ていたのは、自分が描く素晴らしい未来予想図だったのだ。
 しゃりしゃりと砂音をさせて彼女は通りの方へ出て行った。
 残された42歳のアスカは寂しげに笑って見送り、そしてその身体はすっと虚空に消え去った。
























「おお、寒っ」

 アスカはばたばたと玄関から脱衣所兼洗面所に駆け込んだ。
 そこにいた金髪の女性はきゃっと悲鳴を上げたが、すぐにほっとした笑顔を浮かべる。
 何しろ風呂に入ろうと下着姿だったからだ。

「なんだ、ママか。えっ、で、でも、何よ、その顔!」

「綺麗でしょ」

「どこが!ママ、頭大丈夫?42歳になっておかしくなっちゃったとか?」

 このようなどぎつい化粧をした母親の顔を娘は一度も見たことがなかった。
 まさかこの日のためにわざわざ激安ショップで安物の化粧品を購入していたと知るよしもない。

「何言ってんの。ほら、早くどきなさい。早く顔洗いたいの!」

「あ、もうっ。うわっ、冷たい!風邪ひいちゃうじゃない」

 戸外で冷え切ったコートが背中に触れて少女は悲鳴を上げる。

「さっさとお風呂に入ればいいだけの事。ほらほら」

「横暴!」

 素早く下着を脱ぎ捨てると少女は風呂場に飛び込む。
 扉が乱暴に閉められるのを見て、アスカはふふふと笑った。
 そしてお湯を出すと化粧を落とし始める。

「どこ行ってたの?そんなに顔塗りたくって」

 風呂場からわんわんと反響した娘の声が届く。
 
「ちょっとね。歴史の検証…、いや、違うわね。歴史を作りに行ったっていう方が正しいかな」

「はい?」

「いやぁ、やっぱり私は可愛いわねぇ」

「はぁ?変なママ」

 風呂場からジャバジャバという水音が響く。
 ごしごしとタオルで乱暴に顔を拭くと、アスカはいつものスッピンフェイスに戻った。
 鏡の中の自分の顔を見て、彼女は今会ったばかりの14歳の時の自分を思い出した。
 若い。とにかく、若い。
 肌なんかぴちぴちしていて、押せばぷるぷるしそうなほどの…、今の娘たちの肌と同じだ。
 だが、14歳の自分はなんと単純なのだろうか。
 自分をよく知っているだけに誘導することの何と簡単なことか。
 いや、母親が自分を御していたのと同じ、そして今子供たちの気持ちのわかりやすさも同じかもしれない。
 これが親子というものか。

 しかし、本当に時を越えることになるとは驚いてしまった。
 ドラマやアニメのように特殊効果も何もなく、ただ神社の中に入って行っただけで28年の時間を越えるとは呆気なさ過ぎる。
 行きも帰りも同様だった。
 せめて光に包まれるとかそういう類のものがあれば演出効果はあっただろうにと思うものの、そんなことに文句を言うことはなかろう。
 とにかく、あの神社の神様のおかげで今の幸福があるのだから。

 あの時会った42歳の自分が演技をしていたと気がついたのはあれからすぐのことだった。
 月曜日になって学校に登校すると、アスカは霧島マナを体育館の裏に呼び出したのだ。
 私の男に手を出すなと凄んだのだが、何と彼女は予想外の反応をした。
 とっくに玉砕しているのに古い傷口に触れるなと泣かれてしまったのである。
 それは半分以上嘘泣きであったが、マナは1週間前にシンジにきっぱりと断られていたのだった。
 もしアスカが振り向いてくれなくても一生彼女を思い続ける、などと言われてしまったらねぇとマナは呆れていた。
 その時点で未来の自分は背中を押しに来てくれたんだと気がついたアスカだ。
 だが、その後シンジからとんでもないことを彼女は聞いている。
 この誕生日プレゼントを受け取ってもらえなければ、彼はもうアタックすることはなくずっと見守り続けようという決意をしていたのだ。
 シンジという少年が優柔不断のように見えて一度決めてしまえば頑固なまでに心を動かさないことをアスカは知っていた。
 危なかった…とアスカは心底ほっとした。
 もしあの時42歳の自分が現れなければどうなっていたことか。
 自分から謝ることができずにそのまま家に帰っていた可能性が高い。
 あの瞬間というのは彼女の人生にとって大きなターニングポイントであったのだ。
 そのために未来から自分がやって来たに違いない。
 となれば、42歳になれば理屈はわからないまでも自分は時間を飛ぶのだろうと彼女は決め付けた。
 記憶が薄れてしまわないように、あの時どんなことを言ってどんな動きをしたのか、アスカは秘密のノートに書きとめたのである。
 もしこんな準備をして何も起こらなければ笑うしかないだろう。

 28年後に素晴らしい演技をするために、アスカは精一杯生きた。
 三人の子宝にも恵まれ、何よりも愛するシンジはこの上もなくいい夫だ。
 今も一番上の娘と一緒に誕生日用の食事を作っているところだ。
 仕事から帰ってきてすぐに料理にかかるのも例年通りだが、勤務先で同僚たちにさんざん冷やかされて定時退社してきたのも恒例行事だろう。
 2番目の子供で長男の方はおそらく文句を言いながらも、近くで一人暮らしの祖母の下へご馳走のお裾分けに向かっているはず。
 もちろん渡すだけですぐに帰るわけがなく、祖母とあれこれ話しこんでいるのだ。
 いい加減に同居しようと主張する娘夫婦に彼女は好き勝手にさせてくれと取り合わない。
 一緒に住むとぼけてしまうと言うのだ。
 そして末っ子が食事より先に風呂に入るのは部活動の汗を流してしまいたいということに違いない。
 もうすぐ大会だからと毎日遅くまで練習しているこの娘が一番容姿的にはアスカに似ていた。
 しかし、どうして剣道なんかを選んだのだろうかとシンジはいつも不思議に思っている。
 あんな防具も胴着も臭いスポーツをわざわざ選ばなくても、と専業主婦のアスカは愚痴をこぼしながら洗濯にいそしんでいた。
 ただし、彼女の方は娘が剣道をするようになった理由を察している。
 別の小学校から来た男の子が剣道部に入っていて、そのために2ヶ月遅れで娘も剣道部に入ったのではないか。
 もちろんそれをすぐにわかったわけではなく、娘の言動を見ているうちにそうではないかと確信したのだ。
 だがその推測を夫には話しなどしない。
 恋愛などまだ早いと自分のことなど棚に上げて大騒ぎするのは目に見えているからである。

「ふふん…」

 鏡の中のアスカは満足気に微笑んだ。
 これで28年間ずっとプレッシャーに感じ続けていた一大イベントが終わった。
 こうして普段どおりの自分でいるということは、今日会った、いや28年前に戻って会った14歳のアスカは自分とまったく同じことをしたのだろう。
 それにしても…。
 アスカは苦笑した。
 きっとまともに説明したならば、14歳のアスカは奇妙な行動を取ったに違いない。
 何といっても天邪鬼で、唯我独尊で…。
 だけど、危なかった。
 14歳の自分が大見得を切ったとき、思わずしてやったりと笑ってしまいそうになったのだ。
 必死でしょげた表情をしたのだが、そんな演技を彼女はまったく見てくれていなかった。
 実際自分も見た記憶がないのだから。

 しかし…。
 アスカはことを成し遂げた安堵感とともに、ずっと考え続けてきたことを頭に思い描いた。
 何故、時を越えたのだろうか。
 あの神社は何故自分にこんな便宜を払ってくれたのか。
 不思議この上ない。
 もっともあの後は感謝の気持ちも込めて、週に一度は神社の掃除に赴き、もちろんお賽銭も欠かしていない。
 母親もシンジもどうした心境の変化かと笑ったのだが、このような人生の大事を手助けしてくれたのだからこれでも足りないくらいだと内心思っていた。
 宮司もいない、寂れた神社なのだが、もしかすると昔から霊験あらたかな場所だったのかもしれない。
 現実に自分は幸福であり、素晴らしい人生を満喫しているのだから。
 そのようにアスカは思うようにしてきた。

 彼女はすっかり忘れていたのである。
 3歳の頃の出来事を。











「おじ〜ちゃん、はやくほんやさんいこぉ〜よ。あすかねっ、かいじゅ〜ずかんがほしいのっ」

「待ちなさい。お賽銭を…。アスカ、このお札を持ってなさい」

「おさいせんてなぁに?」

「うむ。願いごとをするときに神様に奉じるもの…。わからんかの、まだアスカには」

 本を買うための500円札をアスカに渡しておき、祖父は小銭を探した。

「ねがいごと?」

「そうじゃ。おお、あった」

 5円玉を手にした祖父は賽銭箱に放り込み手を合わせる。

「なにをおねがいしたの?」

「アスカが幸せになるように、じゃ」

 えへへと笑う孫娘の顔を見ていつも厳しい顔が崩れてしまいそうになるのをようやく堪えた祖父だったが、さすがに次の瞬間には血相を変えた。

「じゃあ、あすかも!」

「ま、待てっ」

 間に合わなかった。
 アスカは500円札を賽銭箱に入れてしまったのだ。

「へへ、あすかはなにをおねがいしよっかな。はんばぁぐになりますように、にしよっかな」

「アスカ。500円は…その…つまり…多すぎるというか…」

 さすがに社の前で5円程度が相応しいとも言えなかった。
 祖父は苦笑すると、アスカの頭に手を置いた。

「500円も入れたのじゃから、ハンバーグ程度のお願いじゃ神様に失礼かもしれんぞ。もっと凄いことをお願いしなさい」

「ん!わかった。じゃあねぇ…」

 アスカは目を輝かせて社に向かって怒鳴った。

「あのね、あすかはしんじちゃんのおよめさんになりたいのっ」

 引っ越してきたばかりの孫娘は公園で知り合った男の子の名前を挙げた。
 それから何度か家に遊びに来ているので祖父もその子の顔はよく知っている。
 少し頼りなげだが、優しそうで何より笑顔が可愛い。
 しかし、いきなりお嫁さんと言い出すとは惣流家特有の猪突猛進の性格がなせる業か。

「お、お嫁さん、か。それはまた、うむ、凄いの」

「うん!」

 祖父は優しく微笑んだ。
 孫娘の嫁入り姿など絶対に見ることはできまい。
 この身体が後1年もつかどうか。
 何はともあれ人生の終わりに娘や孫と暮らすことができ自分は幸せ者じゃと彼は思った。

「よし、それでは一度家に戻るぞ」

「えっ、どぉ〜して?ほんやさんは?」

「本を買うお金をアスカが賽銭箱に入れてしまったではないか」

「ああっ、じゃ、かえしてもらう」

 賽銭箱に突っかかっていこうとする孫娘を祖父は抱きとめた。
 お金を取りに戻るだけで本屋には必ず行くと聞き、アスカは満面の笑みで応える。
 彼女は祖父と手をつなぎ、神社から出て行った。
 
 もし御神体が口をきいたならば、賽銭の額と、そして願いごとの内容に、「その願い叶えてとらす」と自信ありげに言ったことだろう。
 この寂れた神社が恋愛成就の霊験があらたかであるという事はほとんど知られていない。

 

 

 

 

64歳になっても      − 終 −

 


<あとがき>

 危ない、危ない。
 間に合わないと覚悟しました、今回だけは。
 するとLASの神様が動いたのでしょうか。
 12月2日の夜に発熱。
 これは新型か?と思うほどの高熱で、正直これを言い訳にできると思ってしまいました(汗)。
 3日は仕事を休んでうんうん唸り続け、パソコンの電源は入れていたものの1行しか書けず。
 その夜も38度を越えていたので翌日の仕事も病欠が決定。
 その翌朝、37度台に落ちました。
 新型じゃなかったのね…って、流行りモノが苦手な私ですからこういう時でさえ天邪鬼にも普通の風邪で高熱を出しちゃうんですね(苦笑)。
 咳をすると頭や肩に響きますが、着込んでいればほとんど咳も出ない。
 ということで、何とか形にできました。
 昭和の時代の話ですが、あえて昭和短編集には収録させませんでした。
 ちょっと違うかなと思いましたので。
 最後の場面は、64歳になったアスカが孫娘に神社の神様の霊験あらたかさを語って聞かせるというバージョンもありました。
 お前も誰かを好きになったらここの神様にお祈りすればいい。
 あまりみんなに広めるんじゃないよ、とウィンクするアスカで終わるというものです。
 この方がタイトルに合うかとも思いましたが、やっぱりトモロヲさん(名前は出してませんけど)を出したかったのかな?

 まだ気だるさが残っていますので、文章のおかしさや誤字脱字が不安でなりませんが(汗)。
 ともあれ、誕生日おめでとう。 



 

2009.12.04  ジュン

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