シンジ誕生日記念SS

 

お好みの結末

 

ジュン   2012.6.11

 




 

 

 

 まばゆいばかりの陽射しが窓越しに室内までふりそそいでいる。
 テーブルに向かって座っている女性の白めの服がベージュに見えかねないくらいに、壁面の白さが目に痛いほどに際立っている。
 そのような状況だというのに、金髪の女は青い眼をしばたかせることもなく微笑んだまままっすぐに前を見ている。

「お誕生日おめでとう。シンジ、愛してるわ。心の底から」

 その瞳には嘘偽りの影をまったく宿らせておらず、彼女の言葉が真実であることを証明していた。

「はい、プレゼント。何かわかる?」

 彼女はひざの上から両手で机の上に何かを置いた。

「ふふ、わからない?あなたの欲しがっていたものよ。ああっ、もう、せっかちなんだから。ええ、そう、チェロの弓」

 楽しそうに笑った彼女は少し目を宙にさまよわせながら言った。

「まあね、そりゃあ高かったわよ。でもさ、あなたの欲しいものだし…。さすがにチェロそのものはいきなり買うのって。ううん、例のお金があるから余裕で買えるけど、やっぱり本体はあなたと選びたいし」

 ぽっと頬を染めた彼女は照れ隠しのために立ち上がった。

「さ、お料理しなきゃ。今日はご馳走よ。あなたの大好きな煮込みハンバーグ。もちろんポテトも添えてね。ぜぇ〜んぶ食べてくれるわよね」

 机に背を向けた彼女は振り返ってにっこりと微笑んだ。

「うん、私もあなたのこと大好き!」

 彼女の耳には愛する人からの「君が好きだよ」という言葉がしっかりと届いていた。
 
 しかし、そのような言葉は、いや、彼女以外の人物すらその部屋には存在しなかった。
 白壁に包まれた部屋のただひとつの入り口と思しき扉にはドアノブがなく内側からあけることができない。
 そして、燦々と陽射しが降りそそいでいる窓の手前には鉄格子がはめられ、これもまた外からしか開け閉めができないガラス窓には部屋からは指一本触れることができない構造になっていた。
 部屋にあるものは固定されて動かすことのできない椅子とテーブル、そして簡素なベッドだけで装飾物は何一つない。
 だが、しかし、そういう環境下にもかかわらず、患者は幸福そのものに明るく笑い喋り続けた。











「アスカは、ずっと…」

「ええ、碇さん。あの日からずっとこの調子です」

「あの…、治りますよね。元のアスカに戻りますよね」

 青年は真剣な面持ちで、隣に立つ白衣の女性に語りかけた。

「難しいですね、はっきり言って。時間が解決してくれるかどうか。それに…」

「はい」

 表情をこわばらせる青年に医師は冷徹な調子で言った。

「回復した方がかわいそうだと私は思いますよ。患者の気持ちにあなたは応えることができないのですから。また同じことの繰り返しか、それとも自ら命を絶つか」

「先生っ」

 声を荒げようとした青年の手を傍らに寄り添う女性が優しく包む。

「碇さん、あなたは結婚したばかりの奥さんと別れることができますか?患者はあなたたちの結婚式で、その教会で昏倒して、あのようになったんですよ」

 女医は明らかに青年を責めていた。
 友人たちから聞いた話では、患者はずっと青年に恋愛感情を抱いていたにもかかわらず、彼はまったくその気持ちに気がつかずに5年間一緒に暮らし、そして大学の4年間は同じ部屋に暮らすことはなかったが、ワンルームマンションの同じフロアに住み、ほとんど同じときを過ごしたという。

「患者は針の筵の上で10年…。鈍感にもほどがあるのではないでしょうか?友情と思い込んでいたということですか。男女間の友情もあるとは思いますが、周囲の人が気づいていたというのに」

 青年は唇を噛んだが少年の頃のように俯かず、マジックミラー越しにかつての同居人を見た。
 14歳の精神を宿した25歳の肉体の彼女には当時の少年が見えているのだろう。
 だが、使徒戦の頃はもちろん、その後も彼女はあんなに素直な様を彼に見せたことはなかった。
 もしあのように振舞われていれば?
 彼は彼女のことを好きだった時代を思い出していた。
 しかし、もう遅い。
 青年は今、傍らの女性を心の底から愛していた。
 結婚したばかりの妻と別れるなど考えることもできない。
 まして不器用な彼が彼女を愛人にすることはできないだろう。
 
「記憶が戻らないほうが幸福かもしれませんね」

「先生…」

「あなたにできることは何もありません。むしろあなたは面会禁止扱いにすべきでしょうね」

 女医は冷たく語ったが、最後にひとつだけ質問があると青年に言う。

「6月6日はあなたの誕生日ですね」

 はい、と青年は短く答えた。

「何年の6月6日か私にはわかりませんが、患者はおそらく、その一日をずっと繰り返しているのです」

 青年は潤んだ瞳でマジックミラーの向こうの世界を見た。
 その世界は彼女のもの。

「その日のことを彼女は後悔しているのでしょう。きっとあなたの誕生日を祝おうとしたのに何かの理由でそうできなかった。その日が彼女にとって人生最大の分岐点だったのでしょうね」

 女医は静かにマジックミラーの扉を閉める。
 その瞬間、ダンスを踊っているかのようにくるりと身体を回転した娘の長い金髪が靡く中、彼女の素晴らしい笑顔が見えた。

 それが青年が彼女を見た最後の姿だった。

 

 

 

 

 

 

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