「はんっ!バッカらしいっ!」

 そう叫ぶとともに、惣流アスカは手にした紙を引き裂いた。
 周囲の者たちは破り捨てるとまでは予測していなかったので「おいおい」と当惑した表情だったが、ただ一人赤い瞳の少女だけは薄い微笑のままで呟いた。

「大丈夫。それはオリジナルじゃないから」

「あったり前じゃない。誰がプリントアウトされたものをオリジナルだって思うってのよ。アタシは馬鹿らしいと思ったから破いただけ。存在を抹消したいと思うならあんたの部屋に忍び込んでハードディスクぶっつぶすわよ」

「ふふ、すでに数箇所にコピー済み」

「でしょうね。で、文芸部員様がどうしてわざわざこのアタシに高尚な作品を読ませるってわけ?趣味悪いわよ」

「小説が?それとも読ませること?」

「両方!」

 アスカは肩をすくめた。
 そして周囲にいるメンバーの顔を見渡す。
 洞木ヒカリだけは困ったような笑みを浮かべていたが、男子二人、鈴原トウジと相田ケンスケはにやにや笑っており。明らかにこの場の状況を楽しんでいるようだった。
 こういう会合の場合、なぜ学生は体育館裏を選ぶのだろうか。
 梅雨に入っていたのだが、運良く空はからりと晴れている。

「何を題材にするにしても実在の人物を出すことないじゃない」

「発表するときは名前を差し替える。すでに文芸部のPCにはそちらのバージョンで保存済み」

「はいはい、で、何かの不都合があって、印刷したものはオリジナルだったってオチになるんじゃないの?ま、それはそれでいいけどさ」

「いいんだ」

 思わず突っ込んでしまったのはヒカリだった。
 プライバシーの侵害だと騒ぎ立てるのが見えるとみなで話をしていたからである。
 アスカはヒカリに向かってけろりとした顔で頷いた。

「だっていくら名前を差し替えようが、書いてるのがレイで出てくるのが金髪美人とか鈍感な青年ってなってたら、読んだ人間はみんなアタシと馬鹿シンジを想像するでしょうが」

 綾波レイ改め碇レイはふふふと微笑んだ。

「ま、そういうことになったら、当然アタシの攻撃を受けるってことは承知なわけよね。で…」

 アスカはレイを見つめた。

「狙いは何?そこの2馬鹿じゃあるまいし、アタシを怒らせて楽しもうって事じゃないでしょ」

「この小説を発表されたくなかったら、さっさと誕生日プレゼントを渡すこと」

「はぁ?アンタ、ちゃんとあげたでしょうが。3月31日に」

「私にじゃなく、お兄ちゃんに」

 ふんとアスカは鼻を鳴らした。
 意味がわかっていてわざと混ぜっ返したのだが、レイは顔色一つ変えずあっさりと受け流す。

「どうせちゃんと準備しとるんやろ?ぐだぐだせんとセンセにはよ渡さんかいな」

 我慢しきれずに横槍を入れてきたトウジだったが、アスカはそちらには目もくれずにヒカリに言葉をかけた。

「ヒカリ、アンタのだんな、ぶん殴っていい?」

「だめ」

「蹴飛ばすのは?」

「それもだめ」

 ヒカリは優しく微笑んだ。
 この“アンタのだんな”という呼び方は何とかしてくれとアスカに何度も申し入れたのだが彼女はどこ吹く風かとばかりに改めはしない。
 もっとも“だんな”と呼ばれてトウジは怒らないばかりか、実はヒカリ本人も嬉しかったりするのだから仕方がない。
 時の政府は人口増加のために早婚を奨励しているので、ヒカリはできるだけ早く本当の意味での自分の“旦那”の座にトウジを置きたいと思ってる。
 そして、その時にはアスカと互いの“旦那”の愚痴を言い合いたいものだとも考えているのだ。

「そんなことはどうでもいいのよっ。それより、文芸部員のあんた、もう少し文章とか台詞、何とかしなさいよ」

 腕組みをしたアスカはレイを睨みつける。
 そして、立て板に水の如く小説の欠点をあげたてたのだ。
 あんなに短時間で読みきり破り捨てたというのによくもこんな細部まで記憶しているものだと、レイ以外の連中はあきれ果てた。
 話題をそらすためだという目的はよくわかっているのに、ここまで喋られてしまうとつい聞き入ってしまう。
 そもそもレイがしこしこと手帳にメモしているのだから肝心の話は中断してしまった。

「了解、よくわかった。修正に二日頂戴」

「はっ、あんた馬鹿ぁ?アタシは編集でも部長でもないってぇの。あと、キャラの方もね。つ…」

 そこで一瞬、ほんの瞬間的に言葉につまったアスカをレイ以外の連中は見逃さず、トウジとケンスケは顔をそらして笑いをこらえる。

「妻がよくわからないのよね、喋らないしさ。まあ、喋らないにしても何か描写してないとあまりに空気よ、空気」

「だって、お兄ちゃんのお嫁さんはアスカだから」

 「うっ」とも「ひっ」ともつかないような短い叫びを口の中でもらしたアスカは今の発言を受け流そうとしたが耳の先がほんのりと赤くなっている。

「それに!」

 声を励ましたアスカはにやりと笑った。

「せっかく女医出すんだから、どうして『無様ね』とか言わさないのぉ?もっとリツコっぽく描写すればリアルでいいんじゃない?」

「駄目。絶対」

「どうしてよ。アタシたちが出るんなら…」

「お母さんにあんな役させられない。却下」

 鰾膠もない、とはこのことか。
 レイはこれ以上その発言を続けるならばただでは済まさないとばかりにアスカを睨みつける。
 アスカは吹き出しそうになったがさすがに堪えて、碇家の親子関係は極めて良好のようで何よりねとの言葉を心の中だけに収めた。

「で、メガネ。さっきから写真撮りすぎじゃない?」

「ああ、気にするな。記念だ、記念」

「せやで、惣流が晴れてセンセとカップルになる記念日やからな」

「バッカじゃない?何が記念日よ。あんたたち、まだ写真売ってるんじゃないでしょうね」

「ア、アホか。そんなもんとっくに廃業しとるわ」

 慌てて無罪を主張するトウジはちらりとヒカリを窺う。
 二人が彼氏彼女になったとき、ヒカリが出したたった一つの条件がそれだったのだ。
 女生徒生写真の販売中止、および在庫の処分。
 トウジは拒否しただろうか?とんでもないことである。
 彼は即座にケンスケのもとに赴き、渋る相手を説得し、懇願し、そして土下座寸前までに至って、ようやく廃業へとこぎつけたのだ。
 もっともケンスケ自身、いつまでも副業中心で写真を撮っているわけにもいかないなと思っていたのも事実だったのが幸いした。
 交換レンズなどの資金調達のためには、こっそりと普通にアルバイトをしているケンスケだった。
 トウジの様子を見て微笑を浮かべたヒカリを目の端にとらえたアスカは彼女もまた嬉しかった。
 “旦那”の良さは自分にはよくわからないが、それでもあれほど性格がいいヒカリが愛する男なのだし、シンジが親友と明言するのだからそれなりにいい男なのかもしれないと思う。
 残りの馬鹿、“メガネ”に関してはさらに正体不明だが馬鹿二人と同じ馬鹿仲間なので、“いい”馬鹿なのだろうと判断していた。
 
「今日は俺たちも邪魔はしないからな。シンジの誕生日パーティーは明日に伸ばすぜ」

「馬鹿らしい。誕生日パーティーなんて。子供じゃあるまいし」

「アスカ。私たちはまだ子供なのよ」

 ヒカリが落ち着いた声音で言い、アスカも反論はしなかった。
 ほんの2ヶ月ばかり前、碇レイの誕生日パーティーを突然開いたとき、どういう表情をすればいいのかわからないと戸惑ったレイのことを思い出す。
 使徒戦以降急速に精神的成長を遂げつつあり専門書を閉じ小説を読むようになった彼女だが、内面的な感情が爆発的に増していくのにひきかえ表情や仕草の方は以前とあまり変わらない。
 口数だけは格段に増えたがそれでもヒカリと比べれば大いに無口だといえる。
 しかしながらレイをもう人形とは揶揄などできないし、する気もないアスカだった。
 
「せやから今日はおまはんが、その、祝ったれや。まあ、ご馳走なんか並べんでもええけど、どうせ準備しとるんやろ?」

「何をよ」

「誕生日のプレゼント。お兄ちゃんへの」

 アスカは無言だった。
 していないとすぐに切り返せばよかったのかもしれない。
 だが、この連中にはそう主張しても嘘だと見え見えなことを知っているだけに喉元まで出かかった言葉を引っ込めたのだ。
 言葉の代わりに溜息を吐き、そして肩をすくめた。

「ネタはあがってるんだぜ」

 ケンスケは一度使ってみたかった取って置きの台詞を放ったが残念ながら映画の刑事や探偵のような歯切れはなく、背伸びをする少年そのものといった雰囲気しか醸し出せない。
 ところが容疑者ならぬアスカはあっさりと軍門に下ったのだ。

「あっそ。ネタってことは見られてたって事ね。楽器屋さんでしょ」

「お、おう。証拠写真もあるんだ」

「あんた、そのうちストーカーとかに間違われて警察に捕まるわよ。見せなさいよ」

 すっと突き出した手に、ケンスケは恐る恐るデジタルカメラを差し出した。
 一番高価な一眼レフタイプではないものの愛用の光学ズームカメラだからアスカに壊されやしないかとびくびくしていたのだ。
 しかしながらアスカが暴力的だというのはあくまで日頃の言動からくるイメージにすぎず、実際に物理的な暴行を彼女から受けたのは使徒とそしてシンジだけだった。
 もっとも前者と後者の受けた暴行のレベルには果てしなく差があることもこれもまた事実である。

 アスカは受け取ったデジカメのモニタ画像を睨みつけた。
 そこに写っているのは楽器店から出てくるところのアスカであり、彼女の胸に抱かれるようにギフト包装された長い箱状のものが見える。
 さらにその表情は幸福この上ないという感じで、見ているのが自分自身というのに思わず微笑みたくなってしまったほどであった。
 アスカは観念したかのように目を閉じると、黙ってデジカメを差し出した。
 ほっとした様子で受け取ったデジカメをケンスケがそそくさと鞄にしまいこむのを横目で見ながら、トウジはにんまりと笑いながらアスカに語りかけた。

「わかったやろ。証拠もあるんやからじたばたせんとさっさとプレゼントを渡しぃや。ついでに好きやって言うてしまえ」

 じろり、と特大のオノマトペがアスカの背後に浮かんで見えるくらいの気迫で彼女はトウジを睨みつけた。
 慌てて目をそらし音が鳴ってくれない口笛を吹いてごまかそうとするトウジだったが、更なる攻撃をアスカは敢行しない。
 彼女はレイに向かって歩み寄ると、その肩にぽんと手を置いた。

「ありがとね、レイ。プレゼントはもう無駄にならないと思うわ」

 それだけ言い残すとアスカはさっさと歩き出した。
 しっかりとした足取りで迷いもなく。
 その後姿をヒカリは微笑みを浮かべて見送った。
 レイも硬くはあるが唇をの両端が持ち上がっていて、自分の書いた小説のような未来にならないだろうという予感をしていた。
 このままアスカが歩み去ればいい幕切れになるところだが、ここで声をかけてしまうのが馬鹿の馬鹿たる所以である。

「お〜い、俺たちには何もなしか?」

「礼のひとつも言わんかいな」


 アスカはどう応えただろうか?
 振り返った彼女は口を開くと、赤く長い舌をべろりと出した。

「べぇぇぇぇ〜だっ」

 

 

 

 

 

 

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