織姫と彦星の話。
 もちろん古代中国に遠い遠い星の世界から異星人がやってきて、そんなおはなしを伝えたわけではない。
 恒星に人型生命体が住んでいる筈はないのだから。
 もちろん、どこかの戯作者がその行事にぴったりの話を創作したのである。
 ただし、元ネタというものはどこにもあるわけで。
 実際にとある村落でベタベタの夫婦がいて、毎日毎日片時も離れようとはせず、
 家事も労働もまったくしようとはしなかったのだ。
 裕福な家庭の子女だったので、召使が面倒を見ていたのだが余りに酷すぎた。
 そこで二人を別れさせたのだが、今度は腑抜けのようになってしまったので、
 一生懸命に働けば一年に一度だけ会わせてやると約束し、二人はそれに従った。
 これが元ネタ。
 ただし、本当の話は1年に一度なんてそれでは生きていく張りがないと、
 手に手を取って故郷を出奔。その後二人がどうなったのか誰も知るものはなかった。

 

 

 

すべては世界の平和のために

− 1 −

「ネルフ司令誕生」


333333HITリクSS

2004.6.19         ジュン

 


 

 

 

 さて、アスカとシンジの話だ。
 まだ二人は出逢ってもいないし、運命に定められた二人などということを当然知りもしない。

 ところが当人たちが知らないことを結構な人数が…というよりもある組織が知っている。
 その名は特務機関ネルフ。
 日本政府にも知られてはいないが、ドイツに本部があるゼーレという秘密組織の下部機関になる。
 そのゼーレは何のために存在するかというと、世界平和のためだ。
 で、その大層なお題目のためにゼーレがしているのはまず調査だ。
 殆ど知られていないが、世界各地の古代都市。
 そこで様々な古文書が発見されている。
 それらの中には容易ならざる内容のものも多いのだ。
 死海文書と呼ばれるものもそうだった。
 ただし、そこに書かれていたセカンドインパクトというものはまったく起きず、使徒等も発見されない。
 その文書はただの人騒がせな創作物だったという結果に終わる。
 はっきり言ってそのほとんどがそういう眉唾物の文書であることは確かなのだ。
 しかしながら世界の平和のために準備は怠ってはいない。
 もしその文書が本物ならどうなる?
 防ぐことができたのに滅亡への道を進むことになってしまうではないか。
 そうした古代文書に書かれた予言の謎を解き、
 それが悪いものであれば、その予言を防ぐために弛まぬ努力を続ける。
 それがゼーレであり、下部機関であるネルフの仕事なのだ。
 実際には彼らの努力のおかげで何の事件も起こっていないので、
 その成果を評価することはまったくできない。
 しかしながら、起きていないこと自体が成功であるのだと彼らは信じ、
 彼らに資金を融通している世界中の影の男たちも納得している。

 

 


 

 

 話はとあるメーカーをリストラされた中年男が、今日も今日とて就職活動先の会社に丁重に断られ、
 失意のどん底で公園のベンチにへたり込んでいるところから始まる。

「まったく…もうすぐ失業保険も切れる…どうするんだ、碇ゲンドウ。
 まだシンジは中学1年なんだぞ。今日もこうやって父さん頑張ってねとお弁当を作ってくれて…。
 おお、ユイ。私はどうすればよいのだ…」

 膝の上にお弁当を広げ、たこさんウィンナーをパクつきながら、
 青空を見上げて5年前に亡くなった妻に向かって嘆き、辺りを憚らず涙を流す。
 はっきり言って、かなり不気味である。
 たまに通りかかる子供づれの母親などは踵を返して公園から出て行くくらいだ。
 ましてやゲンドウはでかい図体に無愛想な顔つき。
 いくら優秀であっても面接で断られるのが常である。
 それに精一杯努力して笑顔をこしらえている履歴書の写真はかえって怖い。

 そんな彼の前に立つ男がいた。
 ふと気付き顔を下ろすと、目の前の男は30前後の無精ひげ。
 真面目な顔をしようとしているのだが少しにやつき加減になっている。

「なんだ、お前は。この弁当はやらんぞ」

 愛息弁当をぎゅっと抱きしめるゲンドウ。
 男はそんなものはいらんとばかりに首を振る。

「碇ゲンドウさんですね」

「そうだが?」

「いい仕事があるんですけどねぇ」

 にやっと笑う男にゲンドウは眉をひそめた。

「年収はいくらだ。300万はないと家のローンが払えんぞ」

「さぁね、それは私が決めることじゃないので。ただここに支度金があります」

 男は手にしたアタッシュケースを少し開いた。
 ゲンドウは表情に乏しい。
 この時も眉をひそめただけだ。

「いくらある」

「5000万」

「それは…税引き後の金額か?」

「多分」

「それでは困る。正確に教えてくれ」

 加持は舌を巻いた。
 この男のことはすっかり調査済みだ。
 家のローンの残額は4271万と5094円。
 自分には生命保険をかけていたが、若い妻にはまったくかけてなかった。
 病院の費用その他で500万余の借金があり、それは彼の退職金で何とか返却した。
 彼にとっては喉から手を出したいくらいに欲しい金。
 そこに5000万だ。
 ところがアタッシュケースいっぱいの札束にも顔色を変えず、あまつさえ税引き後かどうかを事前に確認する。
 しかも表情も変えずにだ。
 もしかすると、かなりの大物に化けるかもしれないぞと、加持は思った。
 で、その大物候補生であるゲンドウは内心焦りに焦っている。
 はっきり言ってこれが税引き前でもかまわない。
 当座は充分しのげる金額なのだ。
 それなのに、何と不器用なんだろう俺は。
 彼が自分の情けなさにがっくり来ているのも知らずに、加持はゲンドウの評価を上げていた。
 本部に電話し、作戦部長のミサトに馬鹿か阿呆かと罵られた上で、
 そんなの税引き後でいいじゃないよ、私の腹が痛むわけでもなしと電話をたたっ切られる。
 加持が苦笑しながら返事をすると、ゲンドウは重々しく頷く。
 彼が電話をしている間、ゲンドウは何を食べているかもわからないまま愛息弁当を最後の一粒まで平らげていた。
 その泰然自若とした様子にも、加持は評価を上げた。
 なに、ゲンドウは弁当を残して息子の悲しむ顔を見たくないだけだったのだが。

「では、一緒に来てくれんか」

「どちらへ」

「銀行だ。少しでも早く返さねば勿体無い」

「ほう…では、ご一緒しますか」

 ゲンドウは表情を崩さない。
 彼はまず亡き妻に感謝した。
 きっとお前のおかげに違いないと。
 さらに、この金の所為で命を落とす羽目になっても後悔しないと決意した。
 そして、スキップしたくなる気持ちを一生懸命に抑えて重々しく歩みを進めた。
 スキップしたくても足が縺れるだけなのをよく知っていたからだ。
 また、この得体の知れない男を同行させたのは、
 こんな大金を持って歩くのが怖かっただけの理由だ。
 ただ加持はまたも誤解していた。
 得体の知れぬ男から得体の知れぬ金をまったく表情も崩さずに受け取り、
 その男と金を従えて悠然と歩いていく。
 まったくたいした男だ。
 計画のひとつとはいえ、この男がネルフの一員になることはネルフのためにもいいことかもしれない。

 去年の秋。
 落葉が舞い散る第三新東京市、ある小さな児童公園での出来事である。

 

 


 

 

 そして半年。
 ゲンドウはネルフの司令室で悠然と座っている。
 この男の態度というものは実に驚嘆すべきところがある。
 何を言われても表情も変えずに、的確に返事をする。

「うむ」「いいだろう」「君に任せる」

 実際これ以外の言葉は必要ないし、ゲンドウには理解もできなかった。
 技術部長のリツコが決裁を求めてきても、彼女が何を言っているのか1/3も理解できず
 「うむ、任せる」と頷いただけだ。
 その自信と信頼にあふれた様子に鋼鉄の処女と噂されていたリツコがあっさりと心を奪われてしまった。
 そして…。
 男と女の関係になった後、素顔のゲンドウを知ってもリツコの恋心は消されはしなかった。
 亡き妻・ユイと同じことを言う金髪黒眉毛の30女にゲンドウの傷ついた心は癒されていったのだ。
 「あなたって可愛いわね」などと言ってくれる女性など、世界にただ一人ユイだけだと思い込んでいたのだから。

 ゲンドウはそのリツコに聞いてみた。
 何故この自分がこんな仕事をして大金をもらえるのかと。
 まだ時期が来ていないため、リツコは彼の口を自分の唇で塞いだ。

「世界平和のためよ」

 ただそれだけ囁いて。
 まあいい。
 よくわからないが、有能な部下は私を信頼して仕事をしている…。どんな仕事なのか未だによくわからぬが。
 毎月会社にいたときの5倍以上の給料をもらえるし、こんな美人が愛を語ってくれる。
 その上、これは世界平和に繋がっているのだ。
 言うことは何もない。
 シンジもきっと幸福だろう。

 

 

 

 そのシンジは呆然とした。
 中学校から帰ると、家の前に青い外車が停まっていたのだ。
 その外車に首をかしげながら、彼はポケットから鍵を取り出しドアの鍵穴へ。

「へ?」

 手ごたえなし。
 ど、泥棒?
 シンジはゆっくりと扉を開いた。
 そして恐る恐る首を覗かせる。
 すると、玄関の奥の方から水音が。シャワーの音だ。
 なんだ、父さんか。
 久しぶりに帰ってきてたんだ。
 大変なんだな今度の仕事は。ずっと出張ばかりだし。
 でも、給料はいいみたいだよね。家のローンが返せたって涙ぐんでたもん。
 だけど、あの外車は父さんには似合わないよ。うん。
 ちょっとからかってやろっと。
 シンジは悪戯心で一杯になり気が付かなかった。
 玄関に転がっている女物の靴の存在に。

 シャワーの音はやんでいた。
 シンジはほくそえみながら脱衣所の扉に手をかける。
 きっと父さん困った顔するぞ。あんな若者向きの車なんてって言ったら。

「父さん!」

「キャアアアアアアアアアアアアアッ!」

 彼女は前を隠そうともせずに、まずシンジの頬を往復ビンタし、
 そして大きくシンジの急所を蹴り上げた。
 潰れてしまわなかったのは後の展開にとって幸いだったとしかいえない。
 おそらくは足を動かせ始めてから自分が全裸であることに気付いたのだろう。
 そんなことをすれば丸見えだから。
 シンジは廊下に弾き飛ばされながら思った。
 生えてた…。
 それから慌てて急所を押さえて、廊下をぴょんこぴょんこ飛び跳ねる。
 目の前でばしんと閉まった扉はシンジが飛び跳ね続けている間、静寂を保っていたが、
 やがてものすごい勢いで開かれた。
 濡れそぼった金色の髪をそのままに、タンクトップにホットパンツの外国人の少女が飛び出してくると、
 苦しむシンジの首根っこを引っつかんで廊下に引きずり倒す。
 そして仰向けになったシンジに馬乗りになると、
 ほっぺに往復ビンタの連打。

「アンタ、誰よ!見たわね、見たわね、見たわね、見たわね、見たわね、見たわね、見たわね、見たわねっ!」

 見たわねの分だけシンジの頬に手形が刻まれる。
 確かにシンジはあの一瞬ですべてを見てしまった。
 彼女の下っ腹に小さな黒子があったところまで。
 彼女の乳首が綺麗なピンク色をしていたのも。
 彼女の顔が綺麗な顔をしていたことも。
 そして、今タンクトップから見え隠れするブラジャーの色が淡い水色だってことも。

「アスカぁ、そのくらいにしておきなさいよ」

 知らない女の人の声。
 アスカと呼ばれた少女はその声に見向きもせずにシンジの胸倉をぐいっと掴む。

「うっさいわね!こいつ痴漢じゃない!ぶっ殺してやる」

「その子、シンちゃんよ。ここの家の子」

 アスカの手が止まった。
 息がつまりかけていたシンジはホッと一息。

「何よ、ここの家の子は痴漢なの?」

 誤解だといおうとしたけど、声にならない。

「あのねぇ、シンちゃんは入るときに父さんって言ってたでしょ。間違えたのよ」

「え…」

 アスカは思い出した。
 確かにそうだ。その通りだった。
 でも、ここで引き下がるわけには行かない。
 何しろ彼女はすべてを見られてしまったのだから。
 思春期を迎えてから素っ裸というものを人目に晒したことはない。
 それをよりによってこの極東の地でわけのわからない日本人の痴漢少年にしっかりと見られてしまったのだ。

「はん!例え間違えたとしても許されることじゃないわ。たっぷりお仕置きしてやんないと」

 シンジは思った。
 これ以上のお仕置きっていったい何をされるんだろうか。
 すでに口の中は数箇所切れているし、○○は未だにずきんずきん痛む。
 これって使い物になるんだろうか?
 もしかしてまだ未使用なのに、初期不良で修理不能?
 ついこの前、父に買ってもらった誕生祝のDATプレーヤーがいきなり電源が入らなかったことを思い出し、
 シンジは暗澹たる気分になった。
 きっと僕の運命はこんな感じなんだ。
 そんな陰鬱な表情のシンジをアスカは憎憎しげに見下ろした。

「何よ、その顔は?はん!全世界の至宝とも言うべきこの惣流・アスカ・ラングレー様の
 輝くばかりのヌードを拝ませていただけたっていうのに!ええ?何よ、暗い顔しちゃって」

「僕…もう使えないかも…壊れちゃったかも…」

「はぁ?」

 咄嗟に意味がわからず、シンジのお腹の上で首を捻るアスカ。

「まだ、痛いのぉ?」

 もう一人の女の人の声にシンジは首を捻った。
 すると、目の前に蹲った女の人の下半身。
 ミニスカートの中は丸見えだ。
 というよりも、シンジの場所からは彼女の脚とその隙間からはっきり見える黒いパンティーしか見えない。

「あの様子じゃあねぇ、アスカ、急所蹴りしたでしょ」

 下半身が喋った。
 ちょっと甘えたような口調の声。
 顔は見えないけど、この声と美しい脚、
 そして扇情的な黒い下着から、この声の持ち主は美人だとシンジは断定した。

「仕方ないじゃない。こ、壊れたんならそれも運命よ!」

 そんな運命イヤだ。
 シンジは痛感した。

「はん!当然の報いよ!」

 そう叫んだのは、彼女の右足の甲にある感触が甦ってきたから。
 ふにゃっとした…。
 アスカは顔を真っ赤にしてその不気味な感触を与えた少年のお腹にずんとお尻を乗せた。

「ぐへっ!」

「あらン、重いの?シンちゃん」

「は、はい…」

「し、し、失礼ねっ!」

 アスカは怒った。
 当然だろう。
 ドイツでは同年代の女の子の中でかなり小さい方なのだ。
 そのことを思い切り気にしているアスカにとっては、重いといわれることは心外だった。
 頭にきたアスカはそのお尻を何度もバウンドさせる。

「げほっ!」

「だ、ダメよ、アスカ。シンちゃん、吐いちゃうわよ!」

「吐けばいいじゃない。吐けばっ!」

 とは叫びながらも吐かれるのはイヤだ。
 そこでアスカはお尻の場所をすっとずらせた。
 どちらにかと言えば、当然シンジの顔には近づけたくはない。
 思春期の娘が自分の股間を男の顔に近づけるのを無意識に避けるのは当たり前だ。
 するとどうなったかは明らかだ。
 真っ赤になってドイツ語で叫びまくり、リビングの方へ走り去ってしまった。

「ふふぅ〜ん、シンちゃんもやるもんだ」

 別にシンジは何もしていない。
 ただ壊れていなかっただけ。
 濡れ髪の金髪美少女と身体を接していれば、本人の知らぬ間に変形していてもおかしくない。
 ひとまずよかったと胸を撫で下ろし、そしてようやく質問した。

「あの…どちら様でしょうか?」

 そう、ここはシンジの家なのだ。

 

 

 ダイニングテーブル。
 学校に行く前に綺麗に片付けたはずのそこには、
 父さんのためにと冷蔵庫で冷やしていたビールの缶が散乱し、
 買い置きのおつまみやおやつの袋が散らばっていた。
 シンジは哀しかった。
 台所は彼の城なのだ。
 母が死んで後、傷心の父が危なっかしい手つきで台所仕事をするのを見て、一念発起。
 家庭科の先生に習って、家事をマスターしていったのだ。
 もともとその方面に素養があったのだろう。
 自分と父親に弁当を作り、帰るかどうかわからない父親の分も用意できるように夕食を考える。
 ネルフの執務室で泣きそうな顔で…周りからはそう見えないが…、
 今日は帰れないので晩御飯はいらないと息子に伝えるゲンドウの気持ちは充分息子に伝わっていた。
 その父親に心配させないようにシンジはがんばってきていた。
 家の中も綺麗に掃除され、洗濯物もちゃんと整理されている。
 いつお嫁に行っても大丈夫なほどだ。
 その彼にとって、目の前の惨状は胃が痛くなるような光景なのである。

「えっとぉ、まず自己紹介。
 この美し〜いお姉さんは、株式会社ネルフの営業部長葛城ミサトでぇ〜す」

「あ、父さんの」

「そうよぉ、碇社長に毎日こき使われてんの!」

「へぇ…」

 こんな若くて、美人のお姉さんが営業部長だなんて…。
 へ…?
 碇…社長……?社長っ!
 シンジは立ち上がった。

「あ、あ、あの!と、父さんがし、し、しゃ、社長?!」

「あらン、知らなかったのン?」

 ミサトは頭の中で親友の言っていた言葉を思い出した。
 きっとあの人息子さんには社長をしてるだなんて言ってないわ。恥かしがり屋さんだから。
 はいはい(けっ!)と聞き流していたのだが、なるほどその通り。
 まあリツコにも春がきてよかったわねぇ。
 私の春はどこに行ってしまったのかしら?
 ミサトは新しい缶を開けると、ぐびぐびぐび。一気に飲み干した。

「知りませんよ!どうして中途採用でいきなり社長なんですか!」

「ふっふっふぅ。それはね、それだけの能力を持っているってことなのよ」

 ミサトは思わせぶりに笑った。
 事実は違う。
 彼が社長になったのは、ネルフの、そしてゼーレの計画の一環だ。
 すべては世界の平和のために。

「でも…」

 尚も首を捻るシンジにミサトはいきなり確信に突入した。

「で、社長の命令なの。
 なかなか帰れないから、監督役として私に同居しろって」

「ええっ!」

 立ち上がったままのシンジはびっくり仰天。
 こんな若くて美人で営業部長の人が僕と同居?
 へ…?
 家事を万全にこなすシンジだけに、結構頭のまわりは早い。
 そうでなくては、3箇所のスーパーでいいものを安く入手することなどできないからだ。

「あ、あの…。営業部長って忙しいんじゃないんですか?それなのに監督なんてできるんですか?」

 げっ!
 美人のお姉さんに言われたら簡単に納得すると思っていたのに、
 この子ったら意外に冷静じゃないの!
 ミサトは慌てた。
 筋書きでは営業課の社員となっていたのだが、作戦部長という身分のプライドから
 アドリブで部長に格上げしてしまったのだ。
 確かにそうだ、シンジの言うとおり。
 社長が帰れないほど忙しい会社なのに、営業というもっとも忙しい部署の部長がのんびり監督できるわけがない。

「そ、それは…」

 ミサトは口ごもった。
 何と嘘をつこう。
 考えながら、視線は何となくテーブル上に散乱する空き缶へ。
 その視線を追ってシンジは勝手に了解した。

「あ、ごめんなさい。わかりました。もういいです」

「へ?わ、わかったの?」

「父さんも酷いですよね。何か、仕事で失敗しちゃったんでしょう?
 それで自棄酒飲んだり…。休学…じゃないや、なんかそんな罰なんでしょう?」

 ひ、酷い…。
 酷い誤解だ。
 ミサトはもう1本ぐいっと空けたくなったが、それでは誤解を思い切り上塗りしてしまう。
 彼女は涙を呑んで呑んだくれ懲罰部長の汚名を被る決意をした。
 こうなったら、とことん呑んだる!

 シンジとミサトがこんなやり取りをしている間、
 アスカは脚を組み、腕組みをして、テーブルから左90度の方を向いて座っていた。
 面白くもなさそうな顔をしてガムをくっちゃらくっちゃら噛んでいたのだが、
 その実、このやり取りが面白くてたまらない。
 右の耳をダンボのようにし、右の目を少し外側に寄せて様子を窺っていたのだ。
 そんな不自然な姿勢から見えるのは、シンジの顔がちらちら。
 さっきのことを思い出すと、今でもかぁっと身体が熱くなり、胸がばこんばこんする。
 裸を見られた。男に。
 しかもあんな蹴りまでしてしまったから、あそこまで見られてしまったかもしれない。
 将来のマイダーリンにでも見せることを躊躇うような場所を。
 まったく何てことだ。
 私は留学のために来たっていうのに、どうしてこんな目に会わなきゃいけないんだろう。
 復讐してやる。
 アスカは固く決意した。

「ところで、あの…」

「ミサトでいいわよン」

「じゃ、ミサトさん。あの…こちらの方は…」

 シンジの視線がアスカに動いた。
 慌てて瞳を前…つまりあらぬ方向に向けるアスカ。

「あ、そうね。この子はね…」

「惣流・アスカ・ラングレー。さっき言ったでしょ」

 紹介されるのが嫌いなアスカは、そっぽを向きながら吐き捨てた。

「そーりゅー・あすか・らんぐれい?あの…えっと、日本語じょうずですね」

「はん!」

 アスカは右手でテーブルを叩いた。
 衝撃で空き缶が床にぼろぼろと零れ落ちる。
 すかさず拾おうとするシンジ。
 床に跪き、ひとつずつ空き缶を拾う。
 と、目に入ってしまうのが、二人の女性の脚。
 成熟したミサトのむっちりとした脚と、すらっとしたアスカの組んだ脚。
 絶景だ。
 アスカのパンティーはブラと一緒で水色なんだろうか?
 ふと、そう思い、我に返る。
 アスカの綺麗な脚がすっと動いたから。
 蹴られる!
 そう察知したシンジは素早く動いた。
 空き缶を抱え、元の通りに座り直す。
 途中でテーブルの天板にごつんと頭をぶつけたのはご愛嬌。

「私は1/4日本人の血が混じってんの。だからうまくても当然じゃんっ!」

 いつものように驕り高ぶった感じでアスカは言い放った。
 こんな風に言えば、純血の日本人としては何かいちゃもんをつけてくるだろう。

「え、でも、生まれて育ったのは日本じゃないんでしょ」

 予期せぬ質問にアスカは思わずこくんと頷く。

「じゃ、やっぱり凄いや。いっぱい勉強したんですね」

 ああ、ダメ。
 抑えることができない。
 私は褒められるのに弱いのよ…。
 本人が自覚している通りに身体は素直に反応した。
 アスカはニンマリと笑うと、得意げに頬杖をついた。

「ま、まあね、ち、ちょっとばかし、勉強したかな?」

 日本人に馬鹿にされまいと、留学が決まってから半年。
 寸暇を惜しんで日本語をマスターしたのだ。
 ちょっとばかりというのは大いなる謙遜である。

「へぇ、天才なんですね、じゃ」

 アスカは見えないところで脚をぶらぶらさせる。
 う、嬉しい!
 “天才”とあともう一つのキーワードはアスカの虚栄心を大きく揺さぶるのだ。
 笑顔はもう止まらない。

「そ、そうかなぁ。そりゃあ、私は14歳で大学卒業してるけどさ」

 これは謙遜ではなく、自慢そのものだ。
 もっと褒めて欲しいとあからさまに言っているわけ。
 こういうところは子供そのもので、だからこそ大学という大人社会には馴染めなかったのだ。

「えっ!14歳で大学!」

 シンジは丸見えの落とし穴に頭から突っ込んでいった。

「そうよ。卒業したの。去年ね」

「うわぁっ!」

 シンジは素直に驚いた。
 それはシンジの成績がいい方だからだろう。
 彼が父親の負担にならないように国立大学を目指すために、
 どれだけの勉強をしないといけないのかよくわかっているのだ。
 だからこそ、自分と同じくらいの歳で大学を卒業したと言っている彼女に手放しで敬意を表してしまった。

「凄い、凄い!本当に天才なんだ。それに…」

 シンジは口ごもった。
 しまった。いきおいで言いそうになってしまった。

「それに、何?」

 アスカは先を促した。
 もっと言って、もっと!

「え、えっと…」

 シンジは躊躇う。
 彼の生涯でそんなことを言ったことがなかったためだ。
 恥かしい。

「言ってよ。言いかけたことは言わなきゃ」

 アスカが微笑んだ。
 くわぁ…。
 シンジは真っ赤になってしまった。
 最初は乱暴な女の子だと思っていたけど、やっぱり可愛い。
 いや可愛いだけじゃなくて、もっと…。

「あ、あの、その…」

「何?」

「そ、そんなに綺麗だし!って!!!!」

 碇シンジよ。
 何もそんな大声で叫ぶ必要はない。
 だが恥かしさを振り払うために気張った結果の大声だ。
 もう一つのキーワードを目の前で大声で叫ばれ、
 アスカはノックアウト寸前だった。
 こ、こいつ、いい。いいわ。絶対にいい。
 復讐を誓ったはずのアスカはシンジの評価を180度変えた。

 こいつは私の召使にしよう、と。

「アスカ?で、あっちの話はいいかな?もう」

 ニヤニヤして見ていたミサトが頃はよしと突っ込む。

「何が?」

 昇天寸前のアスカは生返事。

「ホームステイの件よ。あんた、こんな小さなぼろっちい家絶対にイヤだって言ってたでしょ」

「ホームステイ?この…人がですか?」

「そうよン。この子の面倒も見ろってね。人使いが荒いんだからねぇ」
 
「えっ!こんなに綺麗な人と一緒に住めるんですか」

 碇シンジは何処か間が抜けている。
 彼は何故ここで複数形を使わなかったのだろうか。
 綺麗な人、と単数で言ったがために一人は大喜びし、もう一人は大ショックを受けた。
 ついさっきアスカのことを綺麗だといったのだから、
 アスカは自分のことだと断定し、天にも昇る気分。
 片やミサトはやっぱり若い方がいいのね、これだからガキはダメなのよと、またビールをあおった。
 もうアスカは心ウキウキである。
 生まれてこの方こんなに綺麗だと言われたことはない。
 まあ日本で生まれて育っていれば、いやというほど聞けたはずだったのだが。
 日本に着いてここに直行したのだから日本人との接触はほとんどなかった。
 したがって、手放しで誉めそやすシンジの言葉はアスカを有頂天にした。
 なんでも最初に言ったものが勝ちなのだ。

「は、は、はは、そ、そうね。す、住んであげてもいいかな…ってね」

「ど、どうしよう。あ、あなたのような人に合うような部屋って…」

「あ、別に私は…。ずっと宿舎みたいなとこだったから、そんなに広くなくてもいいわよ」

 ミサトはあきれかえっていた。
 ドイツから散々わがままを言い続けてきたアスカがこの変わり様だ。
 自分がなまじ美人なだけにアスカの容姿を褒めたことは一度もない。
 いや、褒めてはいけなかったのだ。
 そういう言葉はゼーレから禁じられていた。
 この2年ばかり、アスカの周囲にはゼーレの包囲網が形成されていたのだ。
 アスカを好みそうなタイプの男性は近寄れないようにし、
 学友、宿舎のメンバー、すべてゼーレの息のかかったものが配置され、
 男も女も大柄でスタイルもよく、整った顔の者ばかり。
 アスカはただのチビでやせっぽっちのガキだと思い込むようにしていたのだ。
 何故?
 すべては世界の平和のために。

 だからこそ、アスカの受けた衝撃と感動はとてつもなく大きかったのだ。
 大学に上がるまでは美少女だと信じていたから余計にである。
 大人の目から見ると、私なんかダメダメなんだと学業に邁進していたわけだ。
 卒業して大学院に進もうとしていたところ、特待生留学の話があった。
 何故か一年近く待たされ、その間ずっと大学の図書館に通う毎日を強制された。
 そして突然現れたミサトに連れられて来日。
 どこにも寄らずに空港からいきなりシンジの家へ。
 これからここに住むのだと言われ、シャワーを浴びていらっしゃいと。
 旅の疲れを癒していい気分の湯上りに、突然見知らぬ少年に全裸を見られた。
 内心うきうきしていたのが最低の気分になって、家主だというその少年と同席。
 それがこの賞賛の嵐だ。
 舞い上がってしまうのも無理ないかもしれない。
 和やかな空気に碇家のダイニングが包まれていた。

 なぁんだ、こんな調子じゃ別にこんな遠大な計画なんて要らないじゃない。
 ミサトは馬鹿らしくなり、またビールのプルトップを開けた。
 ぷしゅっ。
 あんな文書なんかやっぱり当てにならないのよ。
 ほぉら、これなら二人はすぐにラブラブのカップルになるわよ。
 いったいこの計画にいくら使ったんだろ?
 そのうちの1%でいいから私に回して欲しいもんよ、まったく。
 こうなるとこれでいい思いをするのは碇家の親子とリツコだけってこと?
 もう、やってられないわよ!
 ごくごくごく。ぷふぁあっ!
 見て御覧なさいよ、すっかり仲良くなってるじゃない。

「えっ!じゃ、僕の方が先に生まれてるの?
 全然そうは見えないよ。大人っぽいし、綺麗だし、高校生くらいかと思った」

「は、はは、そ、そう?私、そういう風に見える?」

「うん!そうだ。晩御飯に何食べる?来日祝いにご馳走作るよ」

 う〜ん、いい感じ、いい感じ!
 お姉さんの仕事も簡単に終わりそう!

「う〜ん、何でもいいわよ。日本の料理って食べたことないしさ」

「あ、こっちに身寄りとかいないの?そうりゅうって名前めずらしいし」

「ふふん、アンタ書ける?惣流って」

「えっと、こう?」

 シンジはチラシの後に“双竜”と書く。
 それを見て、アスカは吹き出した。

「何よこれ。私、ドラゴンなんかじゃないわよ。こう書くのよ」

 アスカはシンジの手からボールペンを引っつかむと、その横に大きな字で書いた。

「ふふん!いい漢字でしょ」

「えっと…」

 シンジは苦笑した。

「ごめん読めないよ」

 そこで言葉をとめておけばよかったのだ。
 素直なのも時によりけりだ。

「書くほうは少しヘタなんだね」

 アスカの笑顔が凍りついた。
 シンジは知らなかったのだ。
 話すのよりも、読むのよりも、書くことが一番難しいことを。
 アスカが手首が痛くなるくらい必死に練習したことを。

 和やかな雰囲気は霧散した。

 アスカはシンジの両頬に手形を残し、2階に上がり手近な部屋に立てこもった。
 シンジは何が悪かったのか、必死に考えたがわからない。
 その様子を見て、ミサトはあの文書の正確さに舌を巻いた。

 

 初めて会った時、明日香は身体を清めていた。
 そして明日香は真司に努力の成果を辱められた。
 二人の間には溝が作られた。
 (現代語訳)

 

 やっぱり凄いわ、あの文書は。
 ま、文書に沿うようにシャワー浴びさせてたんだけどさ。
 それでもきっちり文書どおりの結果になっちゃうし。
 だけど変な名前よねぇ。いや、露骨って言うか。
 古代中国の人ってどういうセンスしてたんだろ?

 

 『獲明真書』

 

 明日香が真司を獲るということだと、ゼーレ及びネルフのメンバーは理解していた。
 そのことに間違いはない。
 ただ読み方が違った。

 獲る・ASUKA・SHINJI・文書

 すなわち、LAS文書である。

 こじ付けではない。この文書の作者はその意図を持ってタイトルをつけたのだ。
 6千年の歴史を超えて現代に甦ったこの文書。
 これがそれだけの時を越えている事は科学的に証明されている。
 この文書に何が記載されているのか、それは次回のお楽しみ。
 

 

 

 

すべては世界の平和のために

− 1 −

「出会いはいつも突然に」

〜 おわり 〜

 

次回に続く

 


<あとがき>

 A6M4様よりいただいた、333333HIT記念リクエストSSです。今回は苦しみました。

 リクエスト内容は、1、七夕。2、エヴァ本編キャラ総出演。3、世界平和。

 以上のお題です。一回で書ききるのは(例によって)無理でした。七夕はまだ繋がってませんね。

 あと2〜3回で書けるかな?

 今回登場は、アスカ、シンジ、ゲンドウ、加持、リツコ、ミサトのみなさん。あ、ユイも入るよね。

 

 

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