この作品に登場する町にはモデルがあります。
ただしそれをそのまま書くと、全員ベタベタの関西弁になりますので、
あえて場所は特定していません。

時代背景がわからない方でも、
楽しんで読んでいただければ幸いです。





同じ町の元市民だった、tweety様に捧ぐ

 

 
500000HIT記念作品

- Somewhere in those days -

 

(7)

昭和42年4月13〜14日 木曜日・金曜日その壱


2004.9.20         ジュン

 










「ほう、そんなに面白かったのかい?」

「うん、物凄く面白かったよ。でね、今日はシンジと赤影ごっこするの」

 クリスティーネのベッドに登っていきそうないきおいでアスカが熱心に喋る。
 よほど、昨日の夜に見た特撮テレビ時代劇がお気に召したようだ。

「アスカが悪者をするのかい?」

「はん!アタシは赤影に決まってるの。だってアタシは赤が大好きなんだもん!」

「おやおや、じゃシンジちゃんが悪者かい?」

 アスカは唇を尖らせた。

「そんなのダメ!シンジは青影なの。アタシの仲間なんだからっ。勝手に悪者にしないでよ」

「ははは、じゃ悪者無しで忍者ごっこをするつもりなのかい?こりゃお笑いだ」

「グランマの意地悪!」

 アスカはユイを振り返って見た。期待を込めて。
 ユイはにっこりと微笑んで、しかし拒絶した。

「ごめんね。おばさんはチャンバラはちょっと…」

「ぐふぅ…」

「ははは、それじゃ正義の忍者たちは訓練しかできないね」

 アスカはつまらなさそうに身を起こしたが、ぱっと顔を輝かせた。

「ねえねえ、悪者にしていい?」

 誰を…が抜けているが、もちろんユイには察しが付いた。

「おじさんを?構わないわよ。蝦蟇法師でも幻妖斉でも好きなようにして頂戴」

 アスカがぽかんと口を開けた。

「あれ?どうしたの、そんな顔して」

「だって、詳しいもん。昨日一緒に見てなかったのに」

「あ、はは」

 ユイはばれたかというような顔でぽりぽりと頬を掻いた。

「先週見たからよ。新番組の時に」

「あ、そっか。でも、凄いよ。覚えてるんだ」

「はは、実はシンジちゃんよりも熱中して見てたりしてね」

 クリスティーネの揶揄にユイは顔を赤らめた。
 文学や歴史が好きな彼女にとって、あの番組はツボを突いていたのだ。
 始まった途端のナレーションで引き込まれてしまったのだ。
 『豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃……』という語りは、ほほぅそうきたかとユイに思わせた。
 その上、ちゃんと木下藤吉郎や竹中半兵衛まで出てきた。
 番組が終わった後に、シンジに説明をしてしまったほどだ。

「くわっ!それでシンジがあんなにいろいろ知ってたのね!」

 ユイは吹きだしてしまった。
 きっとアスカにいいところを見せようと思ったのだろう。
 シンジは母の受け売りの知識を披露したのに違いない。

「へぇ、それはなかなか面白そうだねぇ。あ、そうだ」

 クリスティーネは傍らの財布から500円札を出した。

「ユイさんや、文具店に行って折り紙を買ってきてくれないかい?」

「ええ、いいですよ」

 ユイは差し出された500円札を受け取るまいとしたが、クリスティーネの微笑には負ける。
 仕方なしに受け取ったお札を折って、小さながま口に入れた。

「アスカも行くっ!」

「じゃ、一緒に行きましょうか」

「やった!」

 この年頃の子供は自分だけでお店に入ることがなかなかできない。
 したがって、こういう機会に大人にくっついてお店に入るのは願ってもないチャンスなのだ。

「ああ、ユイさん。アスカがあれが欲しいこれが欲しいって駄々をこねても買っちゃいけませんよ」

「えええっ!グランマのウルトラいじわる!」

「それからシンジちゃんにお土産なんて言われても相手にしちゃいけないからね。
 この子は欲しいと思ったら何がなんでもって感じになっちゃうんだから」

 アスカは火星人か明石の蛸かと思わんばかりに、唇を突き出した。
 そんな彼女の表情が面白く、ユイとクリスティーネは大笑いしてしまった。



 笑われたアスカはしっかり復讐した。
 右手に折り紙、そして左手にはノートが2冊。
 ウルトラマンとバルタン星人が戦っている絵柄のものと、東宝の怪獣映画の写真が表紙のノートだ。

「おや、買っちゃったのかい。ダメだねぇ、甘いよ、ユイさん」

「すみません。おばあちゃんにお手紙書くからって」

「いつも顔を合わせてるじゃないか」

「ドイツに行ってから書くんですって」

「向こうにもノートは売ってるじゃないか。しかもどうして2冊なのさ」

「へへへ。いっぱいお手紙書くの」

 にんまり笑うアスカはしてやったりという表情。
 
「どうせ、ノートの表紙が目当てなんだろ。この悪ガキが」

「ふふん、シンジにもひとつあげんの」

 厳格なことを言いながらも、やはり孫には甘くなってしまうクリスティーネは仕方がないという表情で首を振った。
 そして、アスカから折り紙を受け取る。

「何つくるの?グランマ」

「ん?ちょっと待ってな」

 クリスティーネは器用に紙を折る。
 そして、完成したのは…。

「わっ!手裏剣!」

「どうだい。これはいいだろ」

「うんうん!凄い凄い!」

「へぇ、こんなのができるんだ」

「おや、ユイさんは折り紙はしなかったのかい?」

「してましたよ。でも、手裏剣なんかつくったことありませんでした」

「なるほど、鶴とかお人形とかかい?うちはよく作らされたよ。キョウコのヤツにさ」

「キョウコに?」

「ああ、すこぶるつきのお転婆だったからねぇ。
 何しろ身体が周りの子よりも一回り大きかったから、すっかりガキ大将さ。
 近所の子を引っ張りまわしてチャンバラや草野球。
 生傷の絶えない子だったねぇ。膝小僧はいつも赤チンが塗られていたよ」

 想像できる。
 近所の空き地で暴れまわっているキョウコの姿が。
 でも、そうやって遊びながらもきっと勉強もしっかりしていたのだろう。
 毎日が遊びに勉強に凄く忙しかったのではないかと思う。
 そんな時分に出会っていたら、友達になれたかな?
 多分、友達になっていたら私もお転婆の仲間入りをしていたかもしれない。
 そんなことを思いながら、ユイはクリスティーネに手裏剣作りの講習を受けていた。
 手裏剣を10個作り、残りの折り紙で鶴を折る。
 アスカにも折り方を教えたが、なかなか鶴にはなってくれない。
 一生懸命に折り続けて、ようやく少しくたびれた鶴の完成。
 4羽の美しい鶴と、1羽の不恰好な鶴がベッドサイドの台の上に並んだ。

「くぅぅ。悔しいよぉ。私ももっと綺麗に折りたいっ」

「ははは、アスカは初めてだからね」

「練習すればすぐに上手になるわよ」

「ホント?じゃ、練習する!だから…」

「帰りに折り紙を買ってくれと。ダメだよ、ユイさん」

「はい、わかってます。家に帰って、新聞紙を切って作ります」

「ああ、それがいいよ。アスカ、しばらくはそれで練習だ。綺麗に折れるようになったら本物の折り紙を買ってやるよ」

「ぐふぅ、わかったわよ。練習する」

 シンジにもさせてみよう。
 そう思ったユイだったが、ある予感に顔を綻ばせた。
 もしかすると、シンジの方が上手いかもしれない。
 そうだったなら、アスカちゃんはムキになるだろうなぁと。



 アスカはムキになった。
 新聞紙で練習しているから手はもう真っ黒。
 お昼ごはんが終わってから、まずは手裏剣を使って忍者ごっこ。
 近くの空き地でひとしきり暴れてきてから、お昼寝。
 そのあとに、折り紙の練習となったのだが、シンジはすぐに鶴を折れるようになった。
 アスカはまだまだ綺麗に折ることはできない。
 ユイに言われて何度も石鹸で手を洗ってくるのだが、真っ白だった石鹸の方もすっかり黒ずんできた。
 半ばべそを掻きながらそれでもアスカはやめない。
 この根性は凄いわ、きっと母親譲りなのね。
 こうなれば付き合うしかないわねとユイは覚悟を決めた。
 そして午後4時前になって、ようやく形になってきた。
 折り続けること2時間。
 これはうちのシンジには真似できないわね。凄い粘りと根性だわ。
 感心したユイがアスカを見ると、満足げ上げたアスカの顔は真っ黒。
 インクの色がついた指で顔を触ったのだろう。
 ユイはアスカを流しに連行し、タオルと石鹸でごしごし洗う。
 痛いよぉと悲鳴を上げるがお構いなし。
 綺麗になったアスカにユイはご褒美をあげることにした。
 厚紙を切って、それに輪ゴムを2つ付ける。
 その厚紙をアスカに赤いクレヨンで塗らせる。
 できあがったのは、赤い仮面。
 輪ゴムを耳に引っ掛けてアスカは得意満面。
 腕を組んで、すっくと立つ。
 そしてにやりと笑うと、高らかに叫んだ。

「赤影参上っ!」

 赤い仮面の下に見える、青い瞳はとても綺麗だった。
 そう思ったのはユイだけではなかった様だ。
 シンジも少しぼけっとアスカを見つめ、その後幼児本来の欲求に目覚めた。

「いいなぁ、アスカ。僕も赤影したい」

「はん!アンタは青影なの。それとも蝦蟇法師する?」

「そんなのやだよ」

「じゃ、白影は?凧に乗れるよ」

「やだよ。僕あんなおじいさんじゃないもん」

 その時、アスカの知らない声がした。

「邪魔するよ」

「あら、伯父さま」

 玄関の扉を開けてきたのは、白髪の冬月だった。
 その彼を見た途端にアスカが叫ぶ。

「あ!白影さん発見っ!」

 見慣れない幼女に指を指されて冬月は眉間に皺を寄せた。
 この白影は仲間になってもらえなかったので、小さな赤影と青影は再び空き地へと手を繋いで向かった。
 残った冬月はあの金髪の幼女がシンジの婚約者だと聞いて笑みを漏らす。

「ふふ、これじゃユイよりも早いな。結婚相手を見つけたのが。ん?」

「そういえばそうですね。誰に似たんだか」

「お前じゃないか、それは。あいつの方は放っておいたら一生結婚などできんぞ」

 ユイは首を捻った。

「そこがわからないんですよね。世間の人ってどうして目がないんだろう?」

 冗談抜きで真剣にそう考えているユイに冬月は苦笑する。

「そうか、惣流医院の孫娘か。なるほど、あのお転婆娘の面影があるわい」

「まあ、伯父さまはキョウコをご存知なのですか?」

「ああ、知っとるよ。うちの工場の廃材を盗みに来たことが何度もあるぞ、あいつは」

「あらま」

「空き地に秘密基地をつくるんだとかなんとかで、あちこちの工場のゴミを集めておったんじゃ」

「でもゴミなんだから盗みじゃないじゃありません?」

「ああ、それはそうだがな。だが、あんな場所に子供にうろつかれると、危なくて仕方がない。
 今ほどダンプやトレーラーが走っていたわけではないが」

 少し懐かしげにその頃を思い出している冬月だった。

「ところでな、あいつのことだが」

「ふふ、ぼけっとしていたんじゃありません?」

「ああ、仕事中はいつものように一心不乱だったが、昼休みに弁当を食べた後、ぼうっと空を見つめておったわ」

「空を」

「それがまた似合わない姿でな」

「酷い!伯父さまったら」

 まったくどうしてこの姪っ子は心底あの男に惚れ抜いているのだろうか。
 まあ、悪い男ではないことはこの2年でよくわかったが。
 何よりあの無愛想な面体がすべてをぶち壊している。
 ところが意外に他の工員たちからの評判はいい。
 仕事以外の付き合いをまったくしていないにも関わらずだ。
 あのパチンコ屋での行動も誰かが耳にして笑い話になった。
 それも本人の前でだ。
 正直冬月はハラハラしてその成り行きを見守ったものだ。
 案の定、ゲンドウは鼻でふんと笑った。
 するとどうだろう。
 みんなよりいっそう笑い出したのだ。
 無愛想というのも度を越すと逆に可愛げが出てくるのかもしれない。
 まあ、それも下町ならではというところだろう。
 そういう意味ではユイが私を頼ってきたのは間違いではなかった。
 いや、もしかすればこの聡明な姪っ子はそこまで読んでいたのかも知れぬが。

「で、伯父さまはあの人を笑いものにしにわざわざ来たんですか?」

「ふふ、まさか。それほど暇ではない。実はドイツの大きな会社と契約話が持ち上がってな…」

 冬月はユイに事情を説明した。
 ゼーレというドイツの医療機器会社が冬月の造っている精密機器の性能に目をつけたのだ。
 この話がまとまれば、今の何十倍の規模で会社が大きくなる。
 その上、既にその用地の見当もつけているのだ。
 この街より30km北方の田園地区。
 県が工業団地を作ろうとしている場所で、高速道路にも近い。

「まあ、それは素晴らしいお話。で、この私に何を?」

「ユイ。碇をわしにくれんか。あいつなら外人とでも平気で喋れる。後にも退かん。
 副社長になって前よりも大きな家に住んで、暮らしも前以上になる。
 きっとあいつはわしの片腕になって…。いずれはわしの後を継がせても」

 その時、ユイが卓袱台からすっと下がって、畳に頭をつけた。

「ごめんなさい!伯父さま、それは許してくださいっ!」

 ユイのその姿に冬月は大きく息を吐いた。
 もしかしたらと淡い期待を抱いてやってきたのだが、やはり無理だったようだ。

「あいつは絶対にいい経営者になるぞ」

 冬月の声にはさっきのような張りはもうなかった。
 
「あの人はお医者さまが天職なんです。夢の仕事なんです。
 たとえそのお仕事で偉くなっても、一生後悔するはずです」

「あいつに確かめたのか?どちらかを選べと訊けば…」

 顔を上げたユイはにっこり微笑む。

「間違いなく、そのお仕事を選ぶと思いますよ。絶対に」

「何と。それはどういうことだ?」

「だって、逃げられるんですもの。辛く苦しい道から。
 医者に戻る方があの人にとれば何十倍も苦しむんですよ。
 暮らし向きがよくなるのであれば、私たちへの言い訳にもなる。
 今、心が揺れ動きだしたあの人からすれば絶好の逃げ道になるんですよ。
 選ばないほうがおかしい」

 ユイはきっぱりと言い切った。
 その言葉の辛らつさに冬月は舌を巻いた。
 
「それがわかっていて、お前は亭主に辛い道を歩ませようと…」

「はい」

 ユイに躊躇いはまるでない。
 しかも微笑みながら言ってのけているのだ。

「あいつもお前みたいな妻を娶って幸せなんだかどうかわからんな」

「あら、どうして?絶対に幸せですよ。あの人には私が必要なんです」

「凄い自信だな。まったく」

「ええ、自信なら凄くあります。だから、あの人は逃がしません。
 ここで医者をしてもらいます。だって、もう外堀は埋まっているんですもの。
 今、あの人が逃げる手伝いを誰かがするのなら、
 それが例え伯父さまであっても許しはしません」

 冬月は苦笑した。
 どうやら会社のことは自分で何とかせねばならないようだ。
 仕方がない。
 お前が考えている通りにやってみなさいとだけ言い残して、冬月は部屋を出た。
 ゆっくりと階段を降り、そして工場のある南の方へ歩いていこうとした時だ。

「ああっ、酷いよ、アスカ。僕だって赤影したいよぉ」

「うっさいわねっ。赤はアタシの色だって何べん言ったら気が済むのよっ」

 二人の声が聞こえてくる。
 冬月はその声に誘われるように足の向きを変えた。
 アパートと長屋の間の路地を進むと、すぐ近くに資材置き場崩れの空き地がある。
 二人はそこで遊んでいるようだ。
 隣のアパートの角を過ぎるとすぐに子供たちの姿が見えた。
 少し山になっているその頂に、赤い仮面をつけたアスカが腕を組んで立っている。
 冬月には子供がいない。
 早くに妻を亡くし、そのまま独身を通してきたのだ。
 精神的にはユイを実の娘のように考えていたようなところもあったと、自ら認めている。
 だからこそ子供が遊ぶ姿というのは彼にとって感傷的なものでさえあった。

「あ、危ないっ!悪者の忍者が来たわよ!」

「え?どこどこ?」

 まわりをきょろきょろするシンジにかまわず、アスカは手にした手裏剣を投げる。
 そのひとつがシンジに当たる。

「あ、何すんだよ。僕に当たっちゃったじゃないか」

「そんなのすっと避けなさいよ。アタシは透明忍者を狙って投げてんのよ。アンタも青影なんでしょうが」

「やっぱりちゃんと敵がいないとダメだよ。お父さんが帰ってきてから二人でやっつけちゃおうよ」

 仮面のアスカはう〜んと腕組みする。
 
「じゃ、今は何して遊ぶのよ」

「えっと、手裏剣を投げる練習とか」

「やだやだ、そんなのつまんないよぉ」

 アスカは山からぴょんと飛び降りる。
 
「それより、喉渇いちゃった。お水飲みに帰ろ」

「あ、僕も…」

 即座に合意に達した二人がアパートに帰ろうとした時、冬月が目の前に出てきた。

「あっ、白影さん」

「違うってば、おじさんだよ。えっと、それでお父さんの行ってる工場の社長さんだって。それに凧に乗ってないだろ」

「だってぇ、髪の毛が白いんだもん」

「それにさ、お父さんを蝦蟇法師にするんなら、小父さんは幻妖斉になっちゃうもん」

 二人の会話は冬月にはまるで理解できない。
 そこで共通の言葉を彼は用いた。

「喉が渇いたのなら、アイスキャンデーでも食べるか?」

 二人は大きく頷いた。

「こっちこっち、一番近いのは文房具屋さんだよ」

「おじさん、早く早く!」

 それぞれの手を二人に引っ張られて、冬月は唇の端に笑みを浮かべて普段より早い歩みで進む。
 空き地の奥の身体ひとつがやっとの広さの路地を何度か曲がって抜けると、表通りに出る。
 ほう、こんなところに。
 塀を乗り越えさせられたり、破れを潜ったりさせられなかっただけでもましというものか。
 街中の獣道というような道を通ってきた冬月の素直な感想だった。
 そんなことを思って抜けてきた路地の奥を見ていると、
 子供たちはもう既にアイスクリームのボックスにしがみついていた。

「アスカ、何する?」

「アタシ、ミルクキャンデーっ」

「じゃ、僕も」

「おじさんはどれ?」

 アスカが振り返って微笑む。
 ああ、可愛いな。そう思った冬月は「同じでいいよ」と言って、
 ボックスの横に出てきていたでっぷり太ったおばさんに代金を支払う。
 さあ、ではどこかで…と言おうと振り返った冬月だったが、
 すでに二人は紙を破ってアイスキャンデーを舐め始めていた。
 しかたあるまい。子供なんだ。
 すでに老域に差し掛かっている冬月は子供たちの隣でアイスを舐める羽目になった。

「やったっ!あたりよっ!」

 舐め終わった棒にあたりのマークが入っているのを見て、アスカが躍り上がって喜ぶ。

「えっ!凄い!僕も…」

 急いで食べるシンジだったが、彼の棒にはあたりマークはない。

「ちぇっ、はずれだ」

「へっへぇ〜ん、アタシ凄いでしょ!」

 まるでオリンピックで金メダルを取ったかのように得意満面のアスカ。
 
「ふふ、わしのもはずれだ」

 冬月の言葉を聞いて、アスカは「残念でした」と笑いかける。
 そしてぺこりと頭を下げて、「ごちそうさまでした」と大声で言う。
 慌ててシンジも続いた。
 いささか面映ゆい。あまり子供に接することがない彼だから。

「どうするの、あたりは?すぐ食べるの」 

「ううん、これはね。蝦蟇法師にあげる。悪者になってもらうんだから」

「あ、そうか。お父さん、きっと喜ぶよ」

「じゃあねぇ、おじさん、これシンジのパパに渡してくれる?」

 アスカは冬月に向ってあたりの棒を突き出した。

「ああ、いいよ、ちゃんと渡しておく。で、蝦蟇法師とは何だ?」

 好奇心で訊いた冬月だったが、
 その結果はその場でアスカとシンジに『仮面の忍者赤影』の第一話を再現させることになった。
 止めるに止められず、文房具屋の隣でずっと見なければならない羽目と相成ったわけだ。
 もっともそれは少しも不快ではなかったのだが。

 工場に帰る道すがら、冬月はこみ上げてくる温かいものに心が和んでいた。
 あいつも覚悟を決めて医者にとっとと戻ればいい。
 まあ、私からは何も言うまい。
 ユイに任せておこう。
 冬月はポケットからあたりの棒を取り出して眺めた。
 これを渡した時にあいつはどんな顔をするのだか。
 そして、あの文具屋でどんな顔をして食べるのか見てみたい。
 きちんと食べて帰り自分の棒が当たりか外れだったかを教えてやらんと、
 子供たちががっくりするぞとも言っておかんとな。
 しかしまあ、あいつがその蝦蟇法師とかになって二人に斬られる真似などできるのか?
 どうも想像ができん、と冬月はくすくす笑いながら、
 黒いスモッグが重く圧し掛かっている臨海工業地区へ歩いていった。



 その翌朝。
 シンジは幼稚園に。
 ゲンドウは工場に。
 ユイはアスカと一緒に洗濯と掃除をしていた。 
 花嫁修業だから手伝うんだとアスカは、待っていてねというユイの言葉を聞かない。
 一人でした方がぱっぱと早く済むんだけどなぁ、
 とは思いながらもこれが姑の責務かとユイはアスカにあれこれ指示していた。
 碇家には掃除機はないから、箒と塵取が主役。
 身に余る大きさのその二つを両手で何とか抱えながら、アスカはゴミを掃き取っていく。
 何度も失敗しゴミを広げる結果になるのだが、姑たるもの手出しはしてはならない。
 その間にユイは洗濯物を干さねばならない。
 留守に見えては泥棒に入られるかもしれないという言い訳で、惣流家の物干し台を拝借する。
 もちろんクリスティーネの許可は得てある。
 元の碇家は平屋だったので、裏庭に洗濯物を干していた。
 だから、彼女にとってこの物干し台というものは言わば憧れの場所だった。
 空に少しでも近くなるというのは、心が軽くなるような気がする。
 それに今日はこの場所にお似合いのものを洗濯していた。
 あの押入れの中の旅行鞄から出してきたもの。
 もうすぐ使うようになるのだから、綺麗に洗濯しておかないと。
 アイロンだってきっちりかけちゃうんだから…。
 だから、これを使うようになってよね…。
 ユイは風にはためく洗濯物を見上げた。
 診療所の物干し台には白衣が似合う。
 彼女は大きく頷いた。
 もうすぐこの白衣をあの頑固者に着させてあげるんだから、と。

 洗濯物を干していると、自宅の窓の向こうにアスカの姿が見える。
 大きな箒を抱えて一生懸命に畳の上を掃いているアスカ。
 ああいう姿を見てると意地悪はできっこないわねぇ。
 
「おぉ〜い、アスカちゃぁ〜ん!」

 思わず声をかけてしまった。
 びっくりして、箒を畳に落としてしまうアスカ。
 おまけにその箒は塵取の上に落ちてくれたので、アスカのせっかくの苦労は無となった。
 あちゃぁ、まずいことをしちゃった!
 半ば泣きべそをかきながら振り返ったアスカに、ユイは手を合わせて謝る。

「ごめん!ごめんねっ!」

 アスカはこくんと頷く。
 きっと声にもならないくらいショックだったのだろう。

「おばさんすぐに戻るから、お掃除はしなくていいわよ」

 責任を感じたユイの言葉にアスカははっきりと首を横に振った。
 そして泣きべそのまままた箒を手にする。
 ユイは慌てた。
 ああいう顔をされてしまうと堪らない。
 手早く洗濯物を干すと、アパートに戻った。
 それでもアスカは箒を手放さない。
 ユイは困り果ててしまった。
 その反面、クリスティーネとキョウコに通じる頑固さとか強情さが凄く微笑ましく思える。
 結局、ユイは自責の念からアスカを買収することにした。
 


 クリスティーネの病室に現れた時、アスカは満面の笑みでその手に黄緑色の袋を持っている。

「ん?何だいそれは。駄菓子屋の袋みたいだけど」

「ふっふぅ〜ん、見て見てぇ」

 その袋をさかさまにすると、中から流れ落ちてきたのはたくさんの派手な色をした包みのお菓子。
 シスコのウルトラマンチョコレートである。
 しかも10枚も。

「こら、アスカ!」

「ち、違うもん。え、選んだのはアタシだけど。お母さんが買ってくれたんだもん」

「アンタが駄々を捏ねたんでしょう!」

「違うってばっ。お母さんが何がいいかって言うから…」

「ユイさんっ」

 アスカを睨みつけたその形相そのままにクリスティーネが顔の角度を変える。
 こ、怖い!
 ユイもまるで母に叱られるが如き有様になってしまった。

「あ、あの、それがですね、お宅の物干しを借りて洗濯物を干していたら、うちの窓にアスカちゃんが見えたので…」

 いつもに似ず、くどくどと喋る。
 ああ完全に言い訳だ。
 それでも、ユイは懐かしくて涙が出てきそうになった。
 お母さんに最後に叱られたのはいつだったっけ。
 こんな感じで言い訳するのはミッションスクールの高等部の時先生に叱られて以来?
 そんなことを考えながら言葉を発しているうちに、ユイはだんだん可笑しくなってきた。

「これ、何を笑ってるの。私は怒ってるんだよ」

「ご、ごめんなさい。つい、懐かしくて」

「何言ってんだよ、もう。この子ったら」

「あれ?涙まで出てきちゃった。変ですよね。はは」

 ごしごしと手の甲で目を拭うユイを見て、アスカは首を捻った。

「ねぇ、グランマ。どうしてお母さんは泣いてるの?怒られて悲しいの?」

「ははは、アスカはそう思うのかい?どうだろうかねぇ」

 クリスティーネにはユイの涙のわけはわかっている。
 ユイは十代前半で母親を失っているのだから。
 それにその涙はクリスティーネ自身も少しほろりとさせたのである。
 違う民族のこの自分をまるで母親のように感じてくれているのだから。

「本当にごめんなさい」

「いいえ、許しませんよ。これは一ついくらなんだい?え」

「えっと、20円だよっ」

「てことは、こんなものに200円も使ったのかい。馬鹿じゃない?それで晩御飯のおかずが仕立てられるでしょうに」

「そ、そうですよね。何考えてたんだろ、私」

「グランマったら、もう許してあげてよ。お母さんが可哀相だよ」

 いけしゃあしゃあとアスカが言う。
 クリスティーネがすぐさまアスカの頭をこつんと叩いた。

「調子がいいよ、この子は。いくらウルトラマンとかが好きでもそんなに買う子がいますか」

「でもでも、流星バッチが欲しいんだもん!」

「何だよ、それは」

「あたりが入ってたら、流星バッチがもらえるんだよっ」

 ああ、懸賞つきのお菓子か。
 まったく、そんなものに乗せられて…。
 
「いっぱいあるからって次々と食べるんじゃないよ。虫歯になって痛い目に遭うよ」

「うん、1日5個でいい?」

「馬鹿。1日1個だよ」

「ええっ!そんなのヤダ」

「じゃあ、これはユイさんに頼んで返してきてもらうよ」

「ぐわっ!グランマのウルトラ意地悪!」

 しかし、アスカは納得せざるを得ない。
 それでも、今日の一枚をもう食べようとしている。
 慎重にウルトラマンと怪獣が描かれている包装紙を破いていくアスカ。

「こら、おやつまで待ちなさい」

 祖母の制止をまるで聞かず、アスカは赤い包装紙をきれいに取り去った。
 そして…。

「あ、え、ええええっ!」

 病室にアスカの絶叫が響き渡った。

「静かにせんか、アスカ」

「アスカちゃん、病院ですよ」

「あたっちゃった……」

 呆然とした顔でアスカが中に入っていたカードを二人に示す。
 その小さなカードにユイとクリスティーネは顔を近づけた。
 確かにそこには、流星バッチがあたったことが書かれている。
 そして15円切手を同封して、シスコに送れとも。

「おやまぁ」

「あたっちゃいましたね」

「へ、へへ、へへへへへ、あ、あたった、あたった、あたったぁっ!」

 昨日のアイスのあたりとはレベルが違う。
 アスカも東京でずっと買い続けてきたが、一度もあたったことはなかった。
 ユイもシンジに時々買い与えていたが、もちろんあたりはまったくない。
 アスカがはしゃぎまわるもの無理はなかった。
 そのあとは、三世代の女たちは目の色を変えてチョコレートの包装紙を開いた。
 もちろん、食べるのは一日一個として、あたりの有無を確かめたわけだ。
 結果は最初の一つだけがあたり。
 アスカは病室を踊りまわって喜んだ。

「シンジ、早く帰ってこないかなぁ。きっとびっくりするわよぉ」

「そうね、凄く羨ましがるわ、きっと」

「あ、そっか。これ一つしかないんだ。うぅ〜」

 アスカはまるで仔犬のような唸り声を上げた。
 そして、きっぱりと宣言した。

「アタシ、もう一個あてる!それで、シンジとおそろいにするのっ」

 その意気込みは買うが、お金を出すのは大人たちだ。
 早速クリスティーネから小言を言われたが、アスカの気持ちは揺らがなかった。
 絶対にもう一つあててやると。



 幼稚園から帰ってきたシンジは文字通り目を丸くして、あたりのカードを見つめた。
 
「す、凄いやっ!入ってたんだ。本当に入ってたんだ。僕、あたりなんか一枚も入ってないんだって思ってたよ」

「へへへへへへへ!凄いでしょ、私っ!」

「うん、うんっ!凄いよ、アスカって。アイスはあてるし、流星バッチもあてるし、信じられないよ」

 その時のアスカの鼻はきっとピノキオよりも長く高かっただろう。
 何しろシンジからのこの賞賛を受けたくて、今を遅しと彼の帰りを待ち望んでいたのだ。
 
「ふっふぅ〜んっ」

 声にもならないほどの歓びなのであろう。
 その日の昼寝は、アスカは興奮しきってしまいまったく眠ることができなかった。
 隣ではシンジがすやすや。
 相手をしてもらえないアスカは、こっそりチョコレートを食べようとしてユイに逮捕される。
 彼女としては早くチョコレートをなくしてしまい、もう一つあてようという高尚な理由からの行動だったが。
 お尻を一発叩かれたアスカはお布団に強制連行。
 ユイに添い寝をしてもらっているうちに、いつの間にか眠ってしまった。



 アスカはまったく気付いていなかった。
 そして、周囲の大人たちは少しだけそのことを予感していた。

 アスカは彼女の人生で一番のあたりをすでに引いてしまっている事を。
 この前の日曜日の夜。
 光の国に帰っていくウルトラマンに別れを告げるために、わざわざ物干し台まで上がっていったこと。
 そのおかげでシンジと出逢えた事など、アスカはまるで認識していない。
 クリスティーネはアスカがシンジと友達になったために、心臓麻痺から蘇生できた事を知っている。
 そしてユイは逆にクリスティーネと知り合い、彼女の命を救うことで彼女の念願が叶うかもしれない事を知っていた。
 さらにゲンドウも己の生き方がぶれはじめた事をそれとなく了解していた。
 何かが大きく動き始めている。
 こんな小さな子供たちのふとした出逢いが、周囲の大人たちの人生を変えはじめていた。

 願わくは、すべてがうまく進むことを。
 ユイは願った。
 彼女にとっては神の使いのような、アスカの寝顔に。



 


 バルタン星人が出た!
 アスカは流星バッチでシンジに連絡。
 そして胸ポケットに入っているフラッシュビームを…。
 
 ない!
 あれがないと、ウルトラマンに変身出来ない。
 
 フォッフォッフォッ。
 不気味に笑うバルタン星人が、アスカの方を見下ろした。
 
 ひ、ひええええっ。怖いよぉ!
 
 その時、空から凧が飛んできてスーツ姿の冬月が
 アスカに向かってフラッシュビームを投げた。
 しかし、受け止めたそれはアイスの当たり棒。
 
 げげげげぇっ!ダメじゃないっ!

 その時、走ってきたシンジがウルトラマンに変身する……。


 目覚めたアスカは少し不愉快気に隣のシンジを睨みつけた。





<あとがき>

 木曜日のお話と金曜日のその壱です。

 上の画像の流星バッジ。実は私のです。
 あのあたりのカード…といってもどんなものかは覚えていませんが、
 流星バッジが当たったとわかった時は、まさに天にも昇る思い。
 ただし、ピンの部分は私のは取れています(泣)。
 ここだけ合成いたしました。はい。
 シスコのウルトラマンチョコレートは原色の包装紙に包まれてました。
 あの絵もけっこう好きでしたねぇ。
 あの当時のウルトラマンや怪獣の絵は味があってよかった。
 20円。下町育ちの私には高価なものでした。

 因みに私はモデラー(元、ね)の癖に折り紙は苦手です。

 次回は!金曜日の続き。彼女が登場します。いや、ミサトさんではありません。
 彼女はこの役のオーディションにまた落ちてしまいました。はい。

 

 

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