こ、この作品は…超ローカルかつノスタルジックの世界です。
読:んで欲しいけど、う〜んエヴァを好きな人にはどうなのかな…ってな感じの作品です。
はっきり言ってエヴァキャラを借りただけですね。
この作品世界がわかる人、全国に3人くらいはいるかな…?
近鉄の球団名売却騒動にショックを受けて書きました。
 
 

全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
 
 
 

 

 

 


 ガタゴンッガタゴンッガタゴンッガタゴンッガタゴンッガタゴンッ!

 
 僕は目を見張った。そして耳は悲鳴を上げそうだ。
 見ているこっちの身体もがたがた揺れている。
 周囲には耳を劈くような轟音が響いていた。
 電車が線路を走るだけでこんな凄い音がするなんて!

「どないや、凄いやろ。日本にここにしかあらへんねんで」

「う、うん」

 僕は鈴原君に大きく相槌をうった。
 鈴原君は満足げににたりと笑っている。

「本当は違うぜ。四国にもあるし、チンチン電車ならあちこちにある」

「ケンスケ、お前こっちに越してきてもう2年やろ?ええ加減に大阪弁話せや」

「話してるじゃないか。発音はすっかり大阪弁だろ?」

「そらそやけど、使うとる言葉が標準語やんけ」

「仕方ないだろ。うちの家族みんな東京の人間だからな」

「わかったわかった。おい、センセはこんなんになったらあかんで」

「こ、こんなのって?」

「郷に入ったら郷に従えって、ようじいちゃんが言うとった。こっちに来たんやさかいな、大阪弁をしゃべらなあかん」

「そ、そうなの?」

「当たり前やないか」

「そうしたらトウジが東京に引っ越したら、東京弁を喋るんだな」

「アホ言え。誰がそんなん喋るかいな。大阪の人間には誇りがあるんや」

「これだよシンジ。トウジってこういうヤツだから」

「う、うん」
 
 その日は、僕が引っ越してきてから2週間目の日曜日だった。
 同じクラスの鈴原トウジ君と相田ケンスケ君に誘われて、野球場に行くことになったんだ。
 クラスの中でもガキ大将的な鈴原君が僕のどこを気に入ったのか“センセ”と呼んで相手をしてくれる。
 相田君は鈴原君の一番の友達でいつも一緒にいる。
 彼も僕と同じで関東の方から引っ越してきたんだけど、鈴原君が言うように変な関西弁を話している。
 文章は標準語なのに、発音だけ関西弁なんだ。
 僕もいずれこんな口調になってしまうんだろうか?
 
 その時の僕、11歳になろうとしている僕はそんなことを考えていた。
 今のことを明かしてしまえば、僕の言葉は発音も文章も完全な関西弁になっている。
 それは彼女も同じだ。
 ケンスケ…相田君は結局そのままの言葉で今まできてしまっている。
 きっと仕事柄日本だけじゃなくて世界中を飛び回っているからじゃないだろうか。
 それにひきかえ僕と彼女はずっと関西に住んでいる。
 当然、トウジ…鈴原君までのすさまじい関西弁までとはいかないけど東京出身とは思えないような言葉遣いになっている。

 この話を書き始めるときにどこから始めようか悩んだ。
 すると、彼女が後から僕を羽交い絞めにしながら言うんだ。

 「当然、出逢った時からに決まってるでしょ。この世界はその時から始まったのよっ」

 僕は彼女には逆らわないようにしている。
 できるだけ、ね。
 まあ今回については、彼女の言い分がもっともだ。
 ということで、僕が彼女と出くわした日から話をはじめようと思う。
 それは昭和46年…あ、僕たちは昭和の方がわかりやすいけど西暦の方がいいかも。
 1971年5月のある晴れた日曜日。兵庫県は西宮市。阪急西宮北口駅のホームに僕は立っていた。
 

 

 

幸せは球音とともに

ー 1971編 



 

2004.2.7        ジュン

 
 
 

 


 
 話を始める前に、まずは僕のことを書いておかないとね。

 僕の家は宝塚市の高台にある。
 父さんが転勤になって大阪工場の偉い人になったらしい。
 当分は転勤がないからって、結構大きな家を…買ったのか借りたのかは子供である僕にはわからない。
 家族は3人だけだから、部屋は4つもいらないのにね。
 でも東京の団地にいた時よりもずっと大きくなった家は楽しい。
 テレビだってこの機会にカラーテレビに変えた。
 引っ越す前のクラスでは白黒を使っていたのはうちと後2軒くらいだったからね。
 少しだけ恥ずかしかったんだ。
 だってウルトラマンの色が白黒で、本や5円ブロマイドで見るような銀赤じゃないんだもの。
 これは嬉しかった。うん、今年から新しいウルトラマンが始まったから。
 5年生になってもって母さんに笑われるんだけど、好きなものは仕方がない。

 で、僕の通うことになった小学校は家から15分くらいの坂の下にある。
 去年木造校舎が取り壊されたばかりで、真新しいコンクリートが目に痛いくらいの白さだ。
 僕は小学校5年生。
 日向先生に連れられて教室に行き、新しいクラスメートの注目を浴びた日のことだ。
 その日はゴールデンウィークの2週間後の月曜日だった。
 油布きをしたばかりなのだろう。強い臭いがまだ教室から抜けていない。
 それに教室の隅にまだ黄色い残骸が残っているのが目の端に留まる。
 転校はもちろんはじめてだ。 
 物凄い緊張感に包まれて、僕は教壇の横に立った。
 足は幸いにも震えてないけど、心はぶるぶる震えている。

「はい、注目!」

 はっきり言って、注目なんかされたくない。
 だけど、転校生はいつだって注目の的になるものと決まっている。
 当然、40以上の目が…いや一人に二つづつ付いてるんだから80以上か。
 その80以上の黒い瞳が僕を見つめている。
 もちろんそこにあるのは、憎しみとか親しみじゃない。
 好奇心がいっぱいの視線だ。
 僕をその視線の標的にしたままで、日向先生は黒板に僕の名前を大きく書き始めた。

「碇シンジ君だ。この名字は難しいな。小学校で習う字じゃないからね。
 みんな間違えるなよ。イカリって読むんだからな」

「は〜い!」

「もう覚えたで!」

 この時ひときわ大きな声で叫んだのが鈴原君だった。

「先生より難しい名前やなぁ。ほんまに」

 その瞬間に、鈴原君の頭の中では僕の名前は“センセ”として固定されてしまったようだ。
 これ以来、今に至るまで鈴原君は僕を“センセ”と呼び続けている。
 かなり白髪が目立ってきた今でも。あ、僕じゃないよ。彼の方。
 僕の髪は黒々として、相田君のように生え際が頭のてっぺんまで後退もしていない。
 奥さんがいいからよね、きっと。奥さん本人はそう仰っている。
 理由はわからないけど、まあ髪の件についてはありがたいことだ。
 おっと自慢と惚気で脱線してるよ。話をあの教室に戻そう。
 この時僕はびびってしまった。
 何しろ声も大きかったけど、鈴原君は態度も極めて大きい。
 最後尾の席で背中を思い切り背もたれに預けて、傾けた椅子の前の足をぶらぶらさせている。
 子供特有の本能でこいつがクラスのガキ大将だと察した。

「わかったか、鈴原。どうせお前のことだから、まともに名前では呼ばんだろうけどな」

「せやね、そらそうや。あはは!」

「こら、うるさいぞ。調子に乗りすぎだ。黙ってなさい」

 さすがに先生だ。
 親しげに喋っていても、締める時には締める。

「すんません」

 そう言って頭を掻く鈴原君の様子にクラスが笑い声に包まれた。

「よぉし、それじゃ自己紹介をしてもらおうかな」

 来たっ!今朝から練習していたんだ。
 間違えないように言わなきゃ。

「えっと、碇シンジといいます。
 東京から引っ越してきました。家は武○が丘です。
 よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる。
 よし完璧だ。そう思って頭を上げると、不満そうな80以上の瞳が僕を見つめていた。
 えっ?どうして?
 凄い圧迫感が僕を締め付ける。
 みんなの顔なんかは見えず、何故か目だけが見えていた。

「趣味は何だよ?」

 一番前に座っていた黒ぶちメガネの男の子が変な発音で質問してきた。
 彼が相田ケンスケ君だ。僕と同じく東京から2年前に引っ越してきたんだということはその後に知った。
 この時はそれを知らなかったものだから、無理して標準語を使ってるんじゃないかと誤解してしまった。

「趣味?」

「そやな、趣味や。言うてみんかいな」

「えっと…チェロとか…」

 恐る恐る口にする。
 どんな反応をされるのかわからないから。

「何や、それ」「お前知っとるか?」「知らへん」

 予想したとおり、みんな騒ぎ出した。
 ほらね、母さん。だからチェロはいやだったんだよ。
 まだバイオリンの方がみんな知ってるもの。

「私、知ってる」

 教室の真ん中あたりから女の子の声がした。
 みんなの視線がその子に集中する。
 おさげ髪の少しそばかすがある女の子だった。
 彼女は洞木ヒカリさんと言って委員長だった。
 この時期に女の委員長って言うのは本当に珍しかった。
 後にそのことを知った時、僕が咄嗟に連想したのは『おれは男だ!』だった。
 あれにウーマンリブが出てくるからね。
 彼女についてはまた語るときが来るだろう。
 いや語らないと彼が煩いからね。現在の彼女の夫が。
 ただし、ウーマンリブと言っても彼女の場合は僕たちが悪さをしない限りは怒ったりはしないんだけどね。
 彼が惚れこんでしまったのも無理はないといえる。 

「楽器の名前よ。チェロって」

「へぇ、そうなんや」

「教科書のっとんか?」

 みんな一斉に音楽の教科書を机から取り出した。

「どれどれ?」

 日向先生も相田君の開いた教科書を覗き込む。

「わからへん」「どれや?」

 みんな一生懸命に教科書のページをめくる。

「ちょっと貸してみなさい」

 ついに教科書を取り上げて真剣にページをめくりだした先生。
 困ったなぁ。

「ああ、あったぞ。みんな32ページをめくりなさい」

 一斉に開かれる32ページ。

「ここの下の方に写真があるだろ。オーケストラが写ってるやつだ。
 そこの後の列の左から…」

 そこで先生は僕を見た。
 よかった。これで間違われなくてもすむ。
 みんなコントラバスとかその辺りの楽器と一緒くたにしてしまうんだもの。
 先生が訊いてくれてよかったと思う。

「あの、これです」

「うん、やっぱりこれだな。みんな、左から三人目の人が持っているのがチェロだ」

 その瞬間、教室中に歓声が上がった。

「すげぇ」「こんなの弾くんや」「かっこええっ!」

 中には拍手してくれる子もいる。
 何だ…僕って凄いんだ…。
 心持ち胸を張り、少しだけ天狗になってしまう僕だった。
 何だかその時、やっと視界が広がったような感じがした。

 

 こんな感じで巧くクラスに溶け込んだ僕は、何故か鈴原君に気に入られてしまった。
 でも彼は言葉や態度は乱暴だけど、暴力を振るうような子じゃなかった。
 相田君も僕に親しげにしてくれた。
 ただ一点を除いて。
 それは…。
 
「何やてぇ。好きなチームがあらへんのかいな」

「嘘だろ。おい」

 空き地で三角ベースをしていたときだった。
 一緒に遊んでいたクラスの連中に一斉攻撃を受けたんだ。
 この当時は好きな野球チームのない男の子なんて皆無と言ってよかった。
 野球のルールを知っていて、尚且つ自分の好きなチーム名を胸を張って言うのが普通の男子だ。
 逆に女子で野球が好きだって子はほとんどいない。
 そんな時代に、僕みたいな野球はできるけどプロ野球に興味がないなんてみんなには信じられなかったんだ。
 とにかくうちは野球を見ない。
 父さんは野球中継を見るくらいならこっちの方がいいとテレビ漫画を見せてくれていた。
 その点では凄くありがたい父さんだけど、僕が野球に興味を示さなかったのはこれが原因だったのかもしれない。
 但し、そういう僕は男子の中で異端児だ。
 そうだろうなぁ。東京でもほとんどの男子がジャイアンツ帽を被ってたもんね。
 こっちは半分がジャイアンツの帽子。半分が阪神の黒字に黄色のマークの帽子。
 そして、“H”のマークの帽子を被っている男子が数人いる。
 最初はそれが何の帽子かわからなかった。
 少年野球のチームの帽子かなぁと思っていたんだけど、プロ野球のだったんだ。
 散々鈴原君に怒られたけど、パリーグのチームなんか全然知らないもん。
 「お前、日本シリーズ見てへんのか!」って怒鳴られても、だからうちでは野球を見ないんだってば。
 鈴原君は誇らしげに胸を張って「阪急ブレーブスの帽子や!」と教えてくれた。
 その阪急の帽子を被ってるのが鈴原君と相田君、そしてあと3人くらいだった。
 そして、その空き地で僕の返事をみんなは聞いた。
 阪急のことは知らなくても好きなチームはあるだろうと確信していた彼らは呆然としたんだ。

「信じられへん。こんなヤツ初めて見たわ」

 口々に僕をからかうみんな。
 こういう展開は東京で慣れてたんだけど、この後が違った。
 相田君が特訓だと言い出したんだ。

「何の特訓や?」

「生の野球を見たら考えが変わるかもしれないだろ?一度も見たことがないんだろう?シンジ」

「うん、ないよ。相田君」

 僕はまだみんなのことを呼び捨てにはできないでいた。
 本当は早く同じ風に呼び合いたいんだけど。

「せやからどないするんや?」

「日曜日にさ、西宮球場行こうや。俺、友の会のタダ券持ってるから」

「おっ!それええなぁ、何枚あるんや?」

「3枚」

「ほなら、わしとセンセとケンスケやな。決定」

 ガキ大将の裁量には誰も逆らえない。
 ということで、僕の意向はまったく聞かれずに日曜日の野球観戦が決定した。
 でもまあ、プロ野球の特訓だなんてどうなるんだろう?
 その日西宮球場では鈴原君たちのひいきの阪急ブレーブスと近鉄バファローズってチームが対戦するらしい。
 よくわからないけど、両方電車の名前だよね。
 

 

 そして運命の日曜日。
 僕は阪急西宮北口駅のプラットホームでびっくりして立ちすくんでいた。
 大阪に行く時は宝塚線の方を使っていたので、この駅を通るのは初めてだったんだ。
 それを知った鈴原君たちが凄いものを見せてやるとホームの端へ僕を連れ出した。
 そこから見えるのは…そう、プラレールでよく見る特殊な線路だった。
 十字に交差している線路。
 でも実際の線路でこんなのは見たことがなかった。

「こ、こんなの、ぶつからないの?電車が」

「アホか。そんなんならんように駅員さんががんばっとるんや」

「がんばって、できるの?」

 我ながらいい質問だったと思う。
 考え込んだ鈴原君は相田君に助けを求めた。

「ちゃんと機械で制御してるんだ。ダイヤモンドクロスって言って、こんなに電車が通る場所では珍しいんだぜ」

「へぇ、そうなんだ」

「せや。凄いやろぉ。迫力満点や。あの下の地下道通って行くんやで」

「物凄い音だぜ。話をしていても全然聞こえないんだ」

 相田君の言った通りだった。
 電車が頭上を通過する時には地下道全体が震えてるような気がした。

「す、凄いや。本当に!」

「せやろ。へへへ」

 嬉しそうに笑う鈴原君。
 後で相田君に教えてもらったけど、鈴原君のお父さんはこの電鉄会社で働いているそうだ。
 相田君も引っ越してきたときここに連れてこられたんだって。
 どうやらこの場所が鈴原君の自慢の場所のようだ。
 
 その轟音が響く地下道を通って、南側の改札口に出る。

「あかんわ。やっぱし近鉄相手やったら客入らんで」

 まばらに歩く通行人を見て、鈴原君が肩をすくめた。

「アホ。いつものことだろ」

 相田君が大胆にも鈴原君を阿呆呼ばわりする。
 但し、これは引っ越してきた早々に相田君に教えてもらった。
 関西の人間にアホと言っても怒られないばかりか親近感が沸くそうだ。
 逆に馬鹿とは口が裂けても言ってはいけないんだって。
 間違いなく真剣に怒り出すそうだ。
 関東の人に阿呆なんて言ったらいけないのと一緒なんだ。
 おかげでかなり言葉を選んで話す癖がついちゃった。
 こんな馬鹿げた事で…いや違う、阿呆らしい事でけんかをするのはイヤだ。
 家でこのことを母さんたちに話したら、父さんがにやりと笑ったんだ。
 きっと会社で試してみるつもりなんだ。
 頼むからそんなことでクビになんかならないでよ。

「せやな、ま、客がおらん方がわしらも好き勝手できるさかいにええか」

「そうだな。また大声出すか」

「大声って何?」

「何やセンセ、そんなことも知らんのかいな。野球を見にきたら大声出さなあかんねんで」

「えっと、がんばれ!とか?」

「それもあるけどな。まあいいや、行ったらわかるぜ」

 大きなリュックサックを背負い直して相田君がにやりと笑う。
 僕はその笑みに邪悪なものを感じた。
 そう、父さんの笑い方に通じるものがあったんだ。
 父さんがあの笑いを漏らした時は大抵とんでもない、そしてくだらないことをしでかす時だ。
 この間もにやりと笑って自分の部屋にいた僕を手招きしたかと思うと、おもちゃのばねを2階から階段を一段ずつ降ろして見せるんだ。
 平成の時代になってこのおもちゃの名前が“スリンキー”って呼ばれていることを知ったんだけどね、この頃はただの“ばね”って名前で通っていた。
 1階まで止まらずに降ろして見せて得意げな顔をしている父さんに、僕はこのばねのおもちゃは東京の団地で散々遊んだことを教えてあげた。
 「ふん、問題ない」って父さんはいつもの口癖で居間に入っていったけど、悪いことをしちゃったと反省した。
 多分僕が喜ぶと思ってどこかで手に入れてきたんだと思う。世紀の大発明だと思い込んで。
 いずれにしても、何かある。ただ声援を送るってことじゃなさそうだ。
 そうは思ったものの駅前から球場までの風景に不吉な予感は忘れてしまった。
 ずらりと並ぶお店の前でおでんやお好み焼きを屋台みたいに売っている。
 こういうのははじめて見たので、ついついきょろきょろと見渡し足取りが遅くなる。

「こらセンセ。はよ行かんとあかんやないか。置いてくで」

「あ、待ってよ」

「そうだ、シンジは名鑑買っておけよ。選手の名前誰も知らないんだろ」

「う、うん」

「ほら、あのおばちゃんとこ行って買って来いよ」

 相田君に促されて、ゲートの前でメンバー表を売っているおばさんに50円を渡す。
 プロ野球選手名鑑と表紙に印刷された冊子を渡されて、僕は小走りに鈴原君のところへ走る。

「あれ?相田君は?」

「ケンスケは友の会の引き換えに行っとる。入場券に換えんと入れんさかいにな」

「あ、そうなんだ」

 頷きながらも今ひとつそのシステムがわからない。
 これもあとでわかったんだけど、阪急百貨店の友の会会員になれば色々と特典があるそうだ。
 野球や歌劇の入場券や宝塚ファミリーランドの入園券なんかがもらえるらしい。
 ファミリーランドの大観覧車が見える場所に住んでいるけど、僕はまだあそこに行ったことがない。
 たぶん夏休みにでもみんなで遊びに行くんだろうなぁと思っていたくらいだ。
 そして、初めて見た野球場の正面ゲートはとてつもなく大きく威圧感があった。
 何だか僕の方にのしかかって来そうな気がする。

「どや立派なもんやろ。え?」

 この野球場も阪急の持ち物らしい。
 つまりこの西宮球場も鈴原君の自慢の種なわけだ。 
 まあ、でも自慢したい気持ちはよくわかる。

「甲子園はおっきいけど、人が多すぎてゆったり野球が見られへん。 
 これくらいが一番ええんや」

 そう言いながら改札ゲートをくぐる。 
 その時にカードを一枚渡された。 

「何、これ?」 

「ラッキカードや」 

「ホームラン打ったりなんかしたら当たりの番号が放送されるんだ。 
 その番号がこのカードの番号と同じだったら商品がもらえるのさ」 

「そうなんだ」 

 何だかよくわからないけど、当たります様に。 
 改札を入るとすぐに、ソースのいい匂いが充満していた。
 売店でお好み焼きや焼きそばを売っている。 

「場所覚えときや、センセ。あとで買いに来るさかいに」 

「今買わないの?」

「アホか。こんなんは野球見ながら食べるもんや」 

「そうだぜ。アツアツをな」 

「うん、わかったよ」

 口の中に湧いた唾液をごくんと飲み込んで、僕は急な階段を昇る。 
 結構きつい階段だなぁ。
 踊り場で曲がって上の回廊に出る。 
 さっさと進む二人の背中を追って、回廊を歩く。
 でもどうして歌劇のポスターばっかりなんだ?そりゃあ阪急と宝塚は同じ会社だって母さんが言ってたけど。やっぱり野球とは合わないよ。 
 回廊に僕たちの靴音がこだまする。
 こんなにお客さんが少ないの? 
 野球をしない男の子なんかいないのになぁ。パリーグって人気がないって聞いたけど、本当にそうなんだ。 

「お〜い、置いて行くぞ」

「あ、ごめん。待って!」

 先に階段へ上っていく二人が光に包まれた。
 本当にそんな風に見えたんだ。 
 まばゆいばかりの白の中に溶け込んでいく二人。
 そんな幻想を見ているような感じさえする。 
 そして、僕もその光の中に。 
 急に明るいところに出て一瞬目がくらむ。 
 登りきったところに立っている二人の横に並ぶと、視野が大きく広がった。 
 僕は息を呑んだ。

「でや?センセ」

「す、凄いや…」

「ホンマもんはごっついやろ?大きゅうて、広ぅて」

「うん、こんなに大きいんだとは知らなかったよ」

 眼前に広がるグラウンド。
 それを取り囲む観客席。 
 内野の土の色が何だか凄くきれいだ。 
 芝生はところどころ禿げていたけど、それでも黄緑色が鮮やかに見える。 
 そして濃緑色のスコアボード。 
 練習している選手たちの姿が小さく見える。 
 こんなに広い場所で野球ってやってるんだ。 
 ちらりとテレビで見た感じと全然違う。 
 テレビならほんの短い距離に見えるピッチャーとバッターの距離がとんでもなく遠く感じる。 
 絶対に僕ならワンバウンドでも届きやしない。 
 僕なんか情けないへたっぴぃだけど、ここの風景を見たら思い切り野球をやりたくなった。
 うん、何だかこう…勝手に身体が動き出しそうな感じだ。

「どうやら、シンジも野球の神様に捕まってしまったみたいだぜ」

「当たり前や。ここ見て感動せえへんヤツは男やない」

「まあ、そうだな。ほらシンジ、行くぜ」

 重そうなリュックを背負い直して相田君が歩き出した。
 向かった先は内野の自由席。
 もちろん阪急の応援だから1塁側だそうだ。 
 鈴原君を挟んで3人で並んで座る。

「どや、ここらへんで?」

「ああ、ここならばっちりさ。福本の盗塁もちゃんと狙える」

「?」

 相田君は目を輝かせながら、リュックからカメラを取り出した。 
 しかもカメラだけじゃなくて、大きなレンズみたいなものも出してくる。

「それ何?」

「望遠レンズ。オヤジのを借りてきた」

「凄いやろ。ケンスケはカメラマンになるんが夢なんや」

「鈴原君は?」

「わしか?わしは阪急電車の運転手や。あのダイヤモンドクロスをガタゴト言わせもって走り抜けるんや!」

「そうなんだ…」

「センセは何や?あのチェロとか言う楽器を弾く人になるんか?」

「はは、多分無理だよ。僕なんて」

「ほな何になりたいんや?」

「わからないよ、まだ」

「さよか。ま、がんばりや」

 そう言うと、鈴原君はすぅぅ〜と大きく息を吸い込んだ。

「こりゃっ!近鉄!いくら練習してもあかんでっ!」

 うわっ!
 びっくりした! 
 突然大きな声で鈴原君が叫んだんだ。 

「そうだ!今日も阪急が勝つぞっ!」

 相田君も叫ぶ。
 な、何なんだ。 
 近くのおじさんたちがげらげらと笑って僕たちの方を見る。 
 は、恥ずかしいよ…。 
 だけど、二人の叫び声を契機にあちこちのおじさんが大声を上げ始めた。

「あかんあかん、今日も負けやで」

「7連敗確実や!」

「昨日鈴木で負けとるからもうどないにもならんでぇ」

 怖い…。 
 鈴原君たちも続けて大声を上げる。 
 僕はそこに座っていることが苦痛でたまらなかった。 
 もともと関西弁って乱暴な印象があったから、こんな感じで叫ばれるといっそう恐ろしく感じてしまう。

「ほら、センセも野次らんかいな」

「や、やじ…?」

「そうや、すかっとするで」

 あんな大声…。
 生まれてから出したことあるんだろうか。
 赤ん坊の頃にはそりゃあギャアギャアないていたんだろうけど、それは母さんに向かって泣いてた訳で。
 こんな人前で大声を出すなんて、僕にはできっこないよ。 
 僕はぷるぷると首を左右に振る。

「なんや、ノリが悪いなぁ。そんなんあかんで!」

「で、でも、僕…」

「あかんあかん!」

「まあいいじゃないか。試合が始まったらシンジだって我慢できなくなるぜ」

「さよか。ま、そやろな。ほな試合待ちやな」

 ふぅ…、何だか死刑執行が延びただけのような感じ。 
 試合が始まっても怒鳴るなんてできないよ、絶対に。 
 不安で一杯の僕を余所に試合開始へのセレモニーが始まった、
 お客さんは……やっぱり少ない。
 どれくらいっていうのはわからないけど、空席の方が圧倒的に多い。
 パリーグって人気ないのかな?
 国歌斉唱のあとに、メンバーが発表される。 
 近鉄の選手の時は鈴原君たちは黙っていたけど、阪急の選手が紹介されると喝采をあげはじめた。

「ええぞ!福本ぉ!」「加藤、今日もホームラン打てよっ!」

 二人とも凄いや。恥ずかしくないのだろうか?
 でもまあ、周りのおじさんたちも二人の野次を聞いて変には思ってないようだ。
 どちらかというと、好意的な感じさえする。 
 だけど、自分が野次を飛ばすとなると…。 
 そんな勇気は僕にはありやしない。 

「どないや、センセ。まだ恥ずかしいかぁ?」

「う、うん…」

 思わず俯いてしまう。

「あかんなぁ。ま、もうちょい様子見よか」

 試合が始まる。
 阪急の投手はあっさりと三者凡退に切って取った。 
 そして、一回の裏の阪急の攻撃。 
 小柄なバッターが左のバッターボックスに立つと、相田君がカメラを構えた。

「打てよ。いや、フォアボールでもいいぞ。とにかく塁に出ろよ、福本」

「盗塁の写真撮ったら、わしにもわけてぇな」

「OK。そのためには塁に出てもらわないと」

 僕は名鑑を調べた。 
 福本豊。身長…って、こんなの見てもどんな選手だかわからないよ。

「あのさ、福本って…」

「おおっ!」

 周りの歓声にグラウンドを見ると、福本って選手がベンチに帰っていく。 

「何があったの?アウト?」

「スコアボード見たらわかるやろ。アウトやアウト。
 ホンマに近鉄の癖にエラーしたらええんや」

 わからない。
 確かにグラウンドを見ていたら野球の進行自体はわかるけど、 
 選手のことがわからないだけに面白くない。
 二人に聞いても試合に夢中で満足の行く説明をしてくれない。
 う〜ん、何だか一人だけ別世界にいるようだ。 
 それでも僕は二回裏までは我慢した。
 だけどもう限界だ。 
 そう、母さんの付き合いでデパートに行って婦人服売り場でぽけっと待たされているのと似たような気分だ。
 いや、最近は僕の奥さんも少し長すぎる。
 この前も…って、また脱線しそうになっちゃった。

「あのさ、ちょっとブラブラしてきていい?」

「ああええで。迷子になんなよ」

 チラッと僕の方を見て、あっさりと返事が返ってきた。
 試合に夢中になってるから、僕なんてどうでもいいんだ。
 少し寂しい。
 熱心にグラウンドを見ている二人の姿をちらちらと振り返りながら、僕は階段を上がる。
 ふともう一段上の席が目に入った。 
 二階席だ。あそこからならどんな感じで見えるのかな? 
 僕はあそこまで上がる道を探した。座席の方には階段は見当たらないということは一度回廊に戻るの? 
 まあいいや、暇だから、行ってみよう。 
 階段を下りて薄暗い回廊に出る。そして何の気なしに右手に向かう。
 たぶん試合中だからだろう。全然人気がない。
 ぶらぶらとポスターとかを眺めながら歩いていく。
 時々歓声が聞こえてくるけど、僕の耳にはただの伴奏にしか聞こえない。
 鈴原君たちが熱中するほどの感動を野球には覚えることができない。
 球場を…そしてグラウンドを見たときは背中に何かが走ったんだけどなぁ。
 やっぱり野次を叫ばないといけないって言われたのがダメだったんだと思う。
 つまり僕は逃げ出したってことじゃないか。
 僕は力なく笑った。
 嫌なことから逃げ出して…この後僕はどこに行けばいいんだ?

 どかっどかっどかっ!

 何だろ、この音?
 音のするのは僕の進行方向。軽くカーブした回廊の向こう。

 どかっどかっどかっ!

 音は続いている。
 そして、その音と一緒に声も聞こえてきた。

「まったく、うざったいわねっ!どうなってんのよ!やる気あんのっ!アイツら!」

 女の子…だよね。この声は。
 じゃ、どかっっていう音は? 
 まるで吸い寄せられるように、僕は足を進めた。
 どんどん大きくなる音。

 突然、彼女は僕の世界に現れた。
 いや、本当にそんな感じだったんだ。
 薄暗い中でもきらきら光る金髪を振り乱して、運動靴で壁をどかどか蹴っている。
 僕はただ呆然とその外国人の女の子を見つめていた。
 その視線に気づいたのか、彼女がこっちに顔を向ける。 
 青い瞳が僕を見据える。
 そして、その唇が開いた。

「アンタ馬鹿ぁ?ぼけっと見てんじゃないわよっ!」

 そう。
 これが僕と彼女との出逢いだった。

 神様。野球の神様。ありがとうございます。

 彼女と出逢わせてくれて。

 

 

 次回 1971編 〜中〜に続く


 

 


 
<あとがき>


 ああ、ごめんなさい。
 こんなの読ませて申し訳ない。正直なところ「EXPO'70」よりもマニアックです。
 プロフィールにありますように、私は35年以上近鉄バファローズのファンです。
 今回(2004年2月初)の球団名売却騒動でもしかすると身売りにまで発展するのではとどんどん不安になっています。
 ということで、今ここで書いておかなきゃって気持ちになったわけです。
 ですので、エヴァ小説では絶対になく、また「EXPO'70」のように全国民が知っていた話題でもない、本当にローカルなことを書いていこうとしています。
 今回はわかる人だけ読んでいただければ結構です……と、かなり弱気です。
 わからないところがあれば何なりとご質問下さい。
 あ、この1971編では試合自体はフィクションです。こういう試合は現実にはありませんでした。

 では、少しだけ語句の説明を…。

 宝塚市……兵庫県の実在の市名です。シンジはここの六甲山側の山手に住んでいるということにしています。私も一時期この町に住みましたが、もちろん下町でした。

 5円ブロマイド……袋を引くスタイルのブロマイドです。私は熱心に購入していましたが、中学の時に知らぬうちに捨てられてしまいました。ぐすん!

 黒ぶちメガネ……ケンスケは銀縁ではありません。当時そんなメガネをかけてる子供なんて…。

 おれは男だ!……日本テレビの青春ドラマ。ヒロインの吉川操がウーマンリブを推進していました。

 阪急ブレーブス……オリックスブルーウェーブの前身です。この当時、とにかく強かった。そして選手も実に個性的でしたね。

 プラレール……知ってるよね。私はこれを6畳間一杯で展開しました。ええ、娘のためにというよりも自己満足でしたよ。

 ダイヤモンドクロス……これをYAHOOで検索すれば音が聞けるサイトがありました。いや懐かしかった。知らない人にはただの騒音(?)

 スリンキー……スリンキードックのおかげでこのおもちゃがこの名前だったことを知りました。今でも売られていますね。大抵一ヶ月くらいでもつれてしまい使いものにならなくなってしまいました。

 選手名鑑……西宮球場のゲート前の道でおばちゃんが立ち売りしてました(多分違法)。選手名のリストだけの冊子でした。

 阪急友の会……この当時クレジットカードなんて流通してませんでしたからお客を確保するための戦略でした。うちの母も加入してましたね。

 ラッキーカード……今は珍しくありませんが、当時は斬新でした。当たったことないけど。

 お好み焼き……100円でした。毎回買っていましたね。それと回廊にあった屋台のうどんも。

 福本豊……凄い選手でした。四球で塁に出ると盗塁。そして2番が送りバント。3番が犠牲フライ。はいノーヒットで一回に早一点。対戦した投手はいやだったと思います。

 鈴木啓示……最後の300勝投手と言われています。もし彼が某セリーグの球団にいれば…巨人全盛期の時代に弱小チームで連続20勝をしていたのですから。

 加藤英司……何故か相手側から「アホの加藤」と野次られていました。実は若き私もその一人で野次ってました。その彼が十数年後に近鉄に来るとは!

 

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