この作品は「新薬」の続編です。まずは、「新薬」をお試し下さい。

 

 

 

 

認  知 〜はじまりの朝〜

 

Act.1 私の笑顔

 

 

 

 

 

「ただいま……」

 

 あいつが帰ってきた。

 きっと私の泥だらけの靴を見て、びっくりしているに違いないわ。

 そして、アイツの反応は次の3つのどれか。 

 1.「何してんだよ、アスカ。傘渡しただろ」と怒る。

 2.「どうして僕の仕事増やすんだよ」と拗ねる。 

 3.何も言わずに靴を洗う。頭の中で『平常心』を繰り返しながら。

 まあ、こんなとこね。

 どれにしても、結局靴を洗うのはアイツなんだけどね。

 私の靴を洗えるなんて、アイツも幸せよね。

 

「アスカ、怪我はしてない?」

『へ?何、この反応は』 

 アイツはバスルームへ向かったようだ。

 一旦洗面所の中に入って、すぐに出てきた。

 玄関の方へ向かっている。

「だって、靴が凄いことになってるから。事故かなんか…」

「アンタ馬鹿ぁ。ただ汚しただけよ」 

「そうか。良かったぁ。びっくりしたよ、ホント」 

 アイツの声は再びバスルームへ移動していく。

「僕、シャワー浴びるから…」

「ご勝手に、ど〜ぞ」

「うん」

 洗面所の扉が閉まる。

 そして微かにシャワーの音が聞こえてきた。

 アイツも心配性よね、ホント。

 その時、私はいつの間にかニコニコ笑っている自分に気が付いた。

 

 あれ?どうして、私は笑ってるんだろう?

 さっきまでの不機嫌な私は何処に行ったの?

『怪我は…』『事故…』『良かったぁ…』

 アイツの言葉…。

 嬉しいんだ、私。アイツの言葉が…。

 じゃ、何?さっきまでの不機嫌は?

 不機嫌になったのは、アイツから傘を受け取ってから…。

 あれ?どういう事なの?

 頭の中で何かが急に動き出した。

 物凄い数のパーツに分かれたジグソーパズルがどんどんできあがっていく。

 

 あれ?あれ?

 私、一人にされたから?

 誰かにかまって欲しかった。

 そうなの?

 誰かって、誰にかまって欲しかったの?

 誰でも良かったの?

 違う…、みたいね、どうも。

 じゃ、誰よ?

 パズルはもうすぐ完成する。

 もう少し。

 でも肝心のパーツが見つからない。

 

 あ〜、駄目。わからない。

 大体頭が重いんだから……、て、タオル巻いたままじゃない!

 あわわわわ、髪の毛痛むじゃないの!

 もう!バカシンジのせいだからね!

 私はタオルを外して、脱衣かごに放り込もうと洗面所に向かった。

 シャワーの音はまだ聞こえる。

 アイツにしたら長いわね。 

「あ、アスカ、靴は明日までには乾かないから、他の靴を使ってよ」 

「了解」 

 感心、感心。

 何も言わなくても、靴を洗ってるのね。

 ホント、主夫の鑑ね。

 そうそう、主夫っていえば、こんなに湿ったタオルをかごに入れたら、またブチブチと小うるさく言われるわ。

 えっと、直接洗濯機に放り込んで、と。 

 あれ?先客が…。

 びしょ濡れのカッターシャツにズボン、靴下。

 あ、私の靴下も。

 無意識にこっちに入れるなんて、私も成長したもの…。

 じゃなくて!ど〜して、アイツの服がびしょ濡れなのよ!

 私は大声を張り上げた。

 「ちょっと!バカシンジ、どうして、あんた濡れてるのよ!傘持ってたじゃないよ」 

「あ、ごめん」 

 なんで謝るのよ、コイツは。 

「傘、貸しちゃったんだ。1年生が困ってたから」 

「こ、困ってたって、貸したら、アンタが困るでしょうが!」 

「あ、そうだね。はは、でも本当に困ってたから」 

「何格好付けてんのよ。はは〜ん、相手は女の子だったのね」 

「へ?違うよ」 

 そうよね、そうだわ。

 コイツにはそんな事できない。

 話しながらもコイツは手を休めていない。

 ゴシゴシとブラシで靴を洗っている音がする。 

「あの…、でも1人は女の子だったんだ。本当に可愛らしいカップルでさ」

「はい?」 

 カップルって、カップルよね。 

「彼氏が足を怪我していて、走って帰ることもできなくてさ。

 彼氏が『君だけでも走って帰ってよ』なぁんて言うんだ。

 そしたら彼女がね、『馬鹿ね、そんなことできるわけないでしょ』て言い返してさ」 

 私は気が抜けた。

 コイツ、カップルに相合い傘させるために1本しかない傘、貸したっていうの?

 それに人の惚気話なんか聞いても、楽しくなんかないじゃない。

 コイツ、本当にとんでもない馬鹿ね。決定!

 その馬鹿は楽しそうに話し続けている。 

「それでさ、彼氏が『この傘借りちゃったら、先輩が困るんじゃないですか?』て言うんだ」 

 当たり前じゃない。何考えてるのよ、コイツは。

 そんなことを思いながらも、私はいつの間にか、洗濯機に寄りかかって床に座り込んでいた。

 コイツの話を聴く体勢になっている。

 コイツの間抜けな話に呆気にとられながら、それでも何故か心の中が暖かくなっている。

 私自身が気付かない間に、見つからなかったピースが埋まっていく。

「すると彼女が彼氏に言ったんだ。あ!」 

 アイツが口をつぐんだ。

 ブラシの音もしない。

「どうしたの?バカシンジ、お〜い」 

「うん…」

「彼女は何を言ったのよ?ちょっとぉ、話しの途中で辞めないでよ」 

「怒らない?」 

「どうしてよ」 

「いや、あの、その…。怒らない?」

「怒らないわよ。でも続けないと怒るわよ」

「わかったよ」

「早く言いなさいよ」

 アイツの手は止まったままだ。

 シャワーの音が響くだけ。

「彼女が、ね、『きっと惣流先輩と一緒だから』て言ったんだ」

 アイツの声は小さかったけど、水音に負けずに私の耳まできちんと届いた。

『きっと惣流先輩と一緒だから』

 私は…、何も喋れなかった。

 ここは暑いわ。

 そう、アイツがシャワー使ってるから。

 その熱気がこもって……。

 また、ピースが一つ、はまった。

「それで彼女が僕に笑いかけたんだ。

 『そうですよね』って。僕は何かとても嬉しくて、うなずいちゃったんだ。

 馬鹿だよね、アスカはとっくの昔に帰っちゃったのに」

 私…、私…。

「僕、二人に見つからないように裏口から走って帰ったんだ。

 でも雨に濡れても気持ちよかったんだ。どうしてかわかんないけど」

 コイツはやっぱり馬鹿なんだ。

 

 でも…、嬉しい、私も。

 

 え!

 どうして?

 どうして、私が嬉しくなるのよ?

「お〜い、アスカぁ。怒ってない?返事してよ」

「怒ってないわよ」

「良かった」

「で、それより、どうして今の話で私が怒るわけ?」

「いや、つまり…」

「つまり、何よ」

「僕と…、ア、アスカが、1本の傘で帰る、てことになるから」

「ふ〜ん」

「あ、あの…、怒ってない?」

「くどいわね、怒るわよ!」

「あ、ごめん」

 しばらくして、ブラシを使う音が聞こえてきた。

 ゴシゴシゴシ……。

 相合い傘か…。

 私とアイツが1本の傘で…。

 ぼふっ!

 暑い!ここは暑いわ!

 のぼせてしまうじゃない!

 そうよ、シンジが傘を貸してしまうのを知ってたら、

 一人で帰らずに待っててあげてやっても別に構わなかったのよ。

 そしたら、私とアイツは…、相合い傘……。

 ぼふっ!ぼふっ!

 風邪引いたのかな、熱があるみたい、顔が熱いわ。

 でも寒気はしない。

 むしろ暖かいくらい…。

 違う、違う、違う!

 相合い傘、のためじゃないのよ。

 アイツが濡れて帰ったら…。

 そうよ!私が困るんじゃない。

 アイツが寝込んだら、誰が食事を作るのよ。

 誰が洗濯するのよ。

 そ、それに、その間に使徒が襲来したらどうするのよ!

 人類が滅亡するじゃない!

 そ、そりゃぁ、エースパイロットのこの惣流・アスカ・ラングレー様がいる限り、絶対に大丈夫なんだけど…。

 アイツだって、それなりに役に立ってるし…。

 そ、そうよ!私は人類の心配をしているのよ!

「ちょっと、アンタ!」

 突然の私の大声に、アイツは驚いてブラシをすっ飛ばしたみたい。

 カラコロとブラシが転がる音がバスルームに反響する。

「な。何?」

 何怯えた声出してんのよ、コイツ。

「アンタ、風邪なんてひいてないでしょうね!」

「あ、ごめん。大丈夫だと思う。たぶん」

「たぶん、じゃ駄目なの!しっかり暖まるのよ!」

「うん…、これ洗い終わったら」

「アンタ馬鹿ぁ!先に身体暖めてから、そんなことしなさいよ」

「うん…。でも泥汚れは早めに…」

 ドシッ!

 私は、バスルームの扉を座ったまま蹴飛ばしていた。

 無意識に手加減(じゃなくて足加減)していたせいか、大惨事にはならなかったけど、結構大きな音が響いた。

「ひっ!」

 また情けない声を出すアイツ。

「今すぐ熱いシャワーを浴びなきゃ、アンタ殺すわよ」

 私は精一杯の低音でアイツに凄みをきかせた。

「わ、わかったよ…」

「わかればいいの。さあ、さっさとしなさいよ」

 はん!これで人類滅亡の危機は回避されたわ。

 さっすが、超冷静な判断力よね。

「ありがと…、アスカ」

 呟くような声が聞こえ、アイツが頭からシャワーを浴びる気配がする。

 へ…、何よ、それ?

 どうしてアイツに感謝されないといけないのよ。私は人類の…。

 あれ?

 どうしたんだろ?何か変…。

 私は立ち上がって、洗面台の鏡を見た。

 そこには、湿った紅茶色の長い髪に包まれた、13才の少女の笑顔が…。

 な、何て顔してるのよ、私!

 これ、本当に私の顔?

 こ、こんな顔!こんな表情…。

 こんな笑顔…。

 嘘。違うわよ、私がこんな笑顔をするわけない。

 私はおずおずと右手を上げた。

 鏡の中の少女も、私の真似をするかのように手を上げる。

 私はその手を頬にあてた。

 暖かい…。

 同じように頬に手をあてた少女の笑顔を私は魅入られたように見つめ続けた。

 これ…、これ、アイツの笑顔、そっくりじゃない。

 幸せいっぱいて感じで、本当に嬉しそうで……。

『アスカ、美味しい?』『おはよう、アスカ』 『あ、待っててくれたんだ』 

 どうしてアイツはこんな透き通った笑顔ができるのか、私には理解できなかった。

 どんなに作り笑いをしても、あんな笑顔にはならなかった。

 それだけお子様ってことね、と結論づけていた私。

 その私が…、こんな笑顔を浮かべている。今!

 どうして、私にもできたの?

 『ありがと…、アスカ』

 嘘…。

 アイツの、あの一言?

 それだけ?

 たった一言で、私こんな笑顔になっちゃったの?

 それって、それって、それって……?

 ま、まさか、嘘よ、嘘。

 私は呆然として、洗面所から出ていった。

 そのまま、自分の部屋に入って、ベッドに身を投げ出す。

 わかんない。全然、わかんない。

 あんなヤツを。

 この惣流・アスカ・ラングレー様が?

 エヴァのエースパイロットにして、

 13才で大学卒業、容姿端麗、眉目秀麗、空前絶後の天才美少女……、その私が?

 最後の一枚が、はまろうとしている。

 パズルが完成されようとしているのに、自分自身が邪魔をしている。

 あと、たったの一枚なのに。

 完成したパズルを見ることが…、それを認めたくないの。

 認めない。

 認めてたまるモノですか!

 どうしてあんなヤツに、この私が!

 己が創り上げた虚像に自ら陥った少女は、純粋な想いを認める術を知らなかった。

 何故私が同居を止めないかという疑問に、せっかく答が示されたというのに、

 私はそれが答だと認めようとはしなかったわ。 

 

 

 

 私が、アイツを…。好きだということを。

 

 

 

 

 

認  知  〜はじまりの朝〜

  

Act.1 私の笑顔

 

− 終 −

 

 

「認知」Act.2へ続く