不適合者


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ふじさん        2004.11.19

 

                                










見知らぬ町。ユイさんに書いてもらった地図を見ながら駅へと向かっていく。

光り輝くネオンも、色鮮やかな明かりも。

今のアタシには、只のモノトーン。

アタシがこの世界に適合できない人間なんだと、強く感じさせる。

色を失った眼。

そのうち、色は只の文字へと、その意味を変え。

アタシの感情もまた、モノクロになっていくのだろうか。

と、考えてしまう。

目に眩しい新緑の森も。

喜びに栄える春の花も。

そんなものも、アタシにはもう見えないんだろうか。

そう考えて、可笑しくなった。

今までだって、そんな景色を見たいと思ったことが、無かったことに気付いたからだ。

「さて」

これからどうしようか。

駅に着いたって電車賃なんて無いし。

(さすがにユイさんに、そこまで頼めなかった)

そもそも家に帰るつもりが無いんだから、あっても無くてもどちらでも良いんだ。

家にいるのは忌々しい義母だけだろう。

(向こうだってそう思ってるんだから、なんて呼んだってかまうもんか)

仕事を途中でやめてまで帰ってくるほど愁傷な父ではない。

学校に呼び出されたことをひどく怒るだろうけど―。

結局はそれは、自分が学校に呼ばれたことが怒りの理由であって

他人に怪我をさせたからとか、アタシに何かがあったから。

そんなことには、これっぽちも気が回らないに違いない。

(言ってやったらどうなるだろう)

『アタシのことが心配じゃないの』と。

ふと、そんなことを考えてしまう。

『こいつは、いったい何を言っているんだろう』と。

そんな呆けた顔をして、アタシを見るんだろう。

あいつ等のそんな顔をみられるのなら、それはそれで、やってみる価値はあるかもしれない。

そんなことを考えて、少し笑った。



考えのまとまらないことを、むしろ楽しみながら町を歩いていく。

どんな景色を見てもモノクロなら、人間の顔など見る気にもならない。

俯きながら人ごみを歩いていくと。

ドン。

っと道を急いでいたサラリーマンに肩で跳ね飛ばされた。

「ちょ!!」

文句を言ってやろうと、顔を上げると

視界の隅に鮮やかな白いカッターシャツを着た少年の姿が目に飛び込んできた。

アタシは怒りも忘れて、一瞬見た。

カッターシャツの少年の姿を追い求めていた。

会社が終わる時間帯なのか、道にはどんどんと人が増え

少年の後姿を覆い隠してしまった。

アタシは帰宅への途につく人たちの波を押し分けるように

駅とは反対の方へと一瞬見た少年を追いかけていく。

嫌な顔をするが、気にはしていられない。

とにかく邪魔だ。

半ば強引に体当たりするように突っ込ませながら進んでいく。

チラチラと白のシャツが見え隠れする。

向こうもよろけながら、人ごみを歩いているみたいだ。

(追いつける)

一瞬頭にそうよぎったとき、フッと少年の姿が消えてしまった。

「たくっ!」

少年を見失なったあたりまで来て、あたりを見渡すが

人波はさらにその勢いを増し、いよいよ押し出されるように

道路とは反対側のビルの壁際まで流されてしまった。

前ばかり見ていたために気づかなかったが

ビルとビルとのあいだに、人が一人やっと通れるくらいの隙間が合った。

騒がしいメインストリートから、少し外れただけの

それは、別世界に通じていそうなほど、不気味な雰囲気をかもし出していた。

「なんか、やな感じ」

目を細めて、暗闇の中を探るように見渡すと。

曲がりくねった細い道の奥から、少年がひょいっと

顔を出したのが、暗闇の中のはずなのに、なぜかはっきりと見えた。

「あっ!」

アタシが小さくそう叫ぶと

わっと驚いた顔を見せて奥に引っ込んでしまった。

一瞬の間も空けることなく、アタシは奥へと走っていった。

疲れ果てていた体が嘘のように軽かった。

ハッハッハっと小刻みに息を吸い、暗闇に目を凝らし

道に落ちているゴミを飛ぶように避けていく。

なんで自分がこんなことをしているのか、まったく理解はできないでいる。

『おにごっこ』

頭の隅に浮かんだ言葉に、一瞬なんともいえない思いが胸に込みあがってきた。

思わずとまりそうになる足を強引に動かして。

曲がりくねった道を進んでいく。

姿は見えないけど、まだそう遠くにはいっていない気がする。

いよいよ、奥まった場所まで来たときには

ビルからもれる明かりだけが、道を照らしているくらいで

このまま進んでいっても、どこかの道に抜けていきそうな感じがしない。

「鬼ごっこ…」

思わずつぶやいてしまって、さらに暗澹たる気分になった。

小さいころに、ママと二人で鬼ごっこをしたときの記憶がよみがえってくる。

(かくれんぼだったかな…)

どちらだろうと、たいした差はない。

重要なのは、ママがいなくなってしまったこと。

最初はゲームだとわかっていたはずなのに。

しだいに恐怖が自分の中で暴れだした。

(まるわかりの場所に隠れていたんだけどね、ママは…)

泣いてしまったアタシを見て、すごい勢いで飛んできたママを

思い出して、少しだけ心があったかくなった。

(結局、ママは『見つかっちゃったわね』といって、晩御飯に
アタシの大好きな物を作ってくれた)

「アタシ、何食べたんだっけ…」

小走りだった足は、もうすでにゆっくりとした歩調にかわっていて

アタシはゆっくりと道なりに角を曲がった。

暗闇の中、探るように足元に注意してゆっくりと進んでいく。

悲鳴を上げたとしても、誰にもその声は届かないかもしれない。

街の中にありながら、隔絶された場所。

結局、数歩進んだところで、道は途切れた。

なんのことはない、ただの行き止まり。

進路を阻んでいる、正面の壁に手を当ててみると、ひんやりとした感触が伝わってくる。

「ふむ」

なぞるように手を下に動かし、そのまま壁から手をはなした。

左右を見れば、右側はただのビル。

左側には、もうひとつのビル。

しかし、左側のビルの壁には錆びたような鉄の扉。

そこには赤色のペンキで『非常口』と、かすれた文字で書かれている。

(道を間違えた?)

暗かったし、自信は無いが、他にいける場所があったとは思えない。

そもそも、一本道だったはずだ。

ここから出るためには、アタシが入ってきた場所しかない。

とすれば、少年はまだこのどこかにいるはず。

すれ違ったり、隠れたりする場所が無かったいじょう少年もここまでは来たはず。

錆び付いた非常ドアのノブに手を当てようとして少しだけ迷う。

手に鉄錆がついてしまいそうだったからだが

こんな状態でも、そんなことを気にしていることがばかばかしかった。

一気にドアノブに手をかけ、手首を内側に捻るようにまわしてからドアを引っ張った。

しかし、ガンッ!と言う音がするだけで、ドアは開かない。

今度は、手首を外側に捻るようにまわして、ドアを開けようとしたが

結局同じことの繰り返しだった。

それから、数回同じ事を繰り返したが、結果が変わることは無かった。

目線を上に移せば、ビルのどの部屋からも明かりは漏れていない。

いくら社員が帰宅する時間帯といっても、どの部屋にも明かりが

ついていないというのはおかしい。

恐らく、現在では使われていないビルなんだろう。

ひとつ息を吐いてから、今度は周りを良くみわたしてみる。

よくあるパターンを考えてみる。

つきあたりの塀をのぼって、向こう側に逃げる。

そう思って、壁を見てみるが、とても人間がのぼれる高さではない。

あとは、マンホールを開けて、下水道へと逃げる。

暗い足元を探してみるが、都合よくマンホールなどあるはずも無い。

そもそも、女の子一人から逃げるために、マンホールを開けて

下水に逃げ込むなどという少年は、存在しないだろう。

なんだか、本格的にばかばかしくなってきた。

(なんでアタシが追わなきゃいけないわけ?)

だいたい、なんで逃げるんだ。

逃げるから、追ってしまったんだ。

「ばっかみたい…」

少年に言ったのか、それとも自分に言ったのか…。

結局少年は、自分が気づかなかった道から逃げたんだろう。

そう思うことにして、未だ足元を見つめていた視線をスッと正面に戻した。

擦れた『非常口』の文字の横。

錆びた非常ドアの中から、顔だけがこちらを見ていた。

瞬間、少年にしては、まつ毛の長い瞳と目があった。

「うわっ「いやぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」

アタシの意識は、ゆっくりと闇の中へと落ちていった。







ポツ…ポツ…。

『アスカちゃん』

だれ?

『…できる?』

ママ?

『約束…』

ママなの?

まって。

「置いていかないで!!」

ポツ…。

どうも、意識を失っていたみたい。

ポツ…。

なにか夢を見ていた気がする。

漠然としていて、よく思い出せない。

意識を失うのは、今日で二度目。

最悪だ。

グワングワンと頭の中がまわっている。

ハァっとひとつ息をつけば、うっすらと白くなる。

ポツっと頬とに雨があたる。

上を見上げれば、真っ黒な雲が夜空を覆い隠している。

今にも本格的に降り出しそうだ。

「だ、、だいじょうぶ?」

「!?」

突然の声に体に緊張が走る。

体勢は倒れたままだ。襲われたら、抵抗するのも難しい。

血液の回りが悪い。二回の失神のせいだろう。

口の中を噛むほどに歯を食いしばる。

うっすらと血の味が広がってくるが気にはしていられない。

倒れた原因を思い出せば、阿呆のように空を見上げていた自分が恨めしい。

体に力を込める。痛む箇所は無い。

頭が猛烈に痛いが、意識の外に強引に押し出す。

戦える。瞬時にそう結論を下し。

声のしたほうを見る。

そこにいたのは――。

真っ白な少年だった。

いや、正確には、真っ白なカッターシャツを着た少年が

アタシの横に屈むようにして様子を伺っている。

とりたてて目立つ少年ではない。

さらさらの黒髪。

頬は健康そうにうっすらとピンク色をしている。

目はどこかで見たことのある雰囲気をもっているが

おどおどと左右にゆれている。

女の子みたいに長いまつ毛。

そう、それは、間違いない。

気を失う瞬間に見た顔だ。

ためていた力を爆発させるように、両手に力をこめ

屈んでいた少年の足をなぎ倒すように、蹴りを放つ。

体勢は悪かったが、まともに食らえばしばらくは立てないはずだ。

手加減をするつもりはない。

ビュ!!

改心の一撃だった。

体調がすぐれないことを考えてみれば、ベストの選択。

そう思った瞬間。それはおこった。

無理な体勢からはなった蹴りは、見事に目標の少年の足に一撃を加えたかに見えた。

しかし、蹴りはそのまま少年の足をすり抜けていった。

『かわされた!?』

なぜ。

考えがまとまる暇も無く、アタシはもんどりうって倒れた。

「わっわっ!!」

横で声が聞こえたが、どうしようもない。

息が止まる。地面をこするように体が動き。

数回、回転してから壁にぶつかって、ようやくとまる。

全身に痛みが走り、身動きが取れない。

むちゃな体勢からの蹴り。

しかし、痛みのおかげで、思考は逆にはっきりとしてきた。

体を丸めるように抱えて、痛みをやり過ごす。

壁から顔を出すような奴だから、躊躇無く攻撃を加えたのだ。

蹴りがすり抜けたところで、不思議ではない。

物質をすり抜けるという現象自体が不可思議なのだが

それは、事実として受け止める。

それを否定したところで、事態が良い方向に向かうわけではないからだ。

オカルトを信じる信じないは関係ない。

今ある事実に対して、どう対処をするか――。

「ね、、ねぇ大丈夫?」

反射的に、体をさらに丸める。

「何にもしないよ?」

その言葉をきいたとき、なぜか体の力が抜けた。

やさしかったから?

確かにそれもある。

しかし、決定的だったのは、その声が震えていたから。

丸めていた体から、頭だけ少年のほうに向ける。

たったそれだけで、ズキリと痛んだ。

少年はびっくりしたように、数歩後ろに下がった。

「アンタ、なに?」

だれ?ではない。

何者か?でもない。

その質問の意味を理解してか、少年はその目に涙をためるようにして

俯いてしまった。

(これじゃ、まるでアタシが悪者みたいじゃない)

泣きたいのはこっちだ。

頭の中で愚痴をいいつつ質問を変える。

「こんなところで、何してたのよ」

ビクッと体をこわばらせてから、きょろきょろと左右を見渡し、やっと聞き取れるような声で

「き、、君が追いかけてきたから…」

その答えに、アタシは本日三度目の失神ができないものかと本気で考えてしまった。






痛む体をひきづって、壁に体をよりかける。

肺から大きく息をだし、全身の力を抜いていく。

なかば、少年を無視するように、再び空を見上げれば

小降りだった雨が次第にその勢いを増してきている。

「なんで、アタシが追いかけたら逃げるわけ?」

見ようともせずに、問いかける。

「だ、、だって僕を追いかけてきたから」

おどおどした言い方に、頭痛が激しくなる。

「何でアタシが追いかけたら逃げんのよ!!」

ストレスに毛が逆立つ錯覚さえ覚え、顔を少年に向ける。

怒鳴り声に驚いた顔をした少年が、そこにはいた。

『さらさらの黒髪』

『頬は健康そうにうっすらとピンク色をしている』

さっき自分に与えた印象が、再びやってくる。

寒空のしたでも、青くなることなく、つややかな桜色の唇。

モノクロの世界で、少年だけは衰えることの無い

スポットライトをうけているかのように、はっきりと色がついている。

「ア、、アンタ、、なんで色が…」

声がかすれて、うまく喋れない。

そもそも、ここは薄暗い路地裏だ。

厚い雲に覆われ、月明かりなど期待できない。

なのに、はっきりと浮かび上がるように少年は存在している。

触れることのできない体。

ドアをすり抜ける体。

「お、、ばけ?」

あまりに陳腐な結論に、現実感がない。

少年は、悲しそうに自分の両手をみぎり締める。

「わかんないんだ…」

でも!でもさ!

勢いをつけて、言葉をつむいでいく。

「だれにも僕のこと見えないみたいなんだ!でも、君だけは僕が見えたみたいで
それで、突然追ってきたから!なんだか、怖くて、それに君怖い顔してたし!すごく!」

相手も考えがまとまらないのか、支離滅裂なことばかりを繰り返している。

雨はいよいよ本格的に降り出し、アタシだけを濡らしていく。

打撲で熱を持っていた体に、心地よい。

モノクロに沈む世界、その中で唯一輝き、色鮮やかに存在するものは、幽霊か。

さらに現実感は喪失していく。

自分の存在が、すでに現実より『あちら』側に近づいているのか。

そんなふうに思ってしまう。

「じゃアンタ自分がお化けかどうかもわからないってわけ?」

「うん!」

なんなのよ!その期待に満ちた目は!

そういう目で見られるのは、ウンザリなのよ!

「はっ」

意図的に、侮蔑の意味を込めて意味をなさない言葉を吐き捨てる。

だが、めげることも無く、アタシに聞いてくる。

「君には、僕が見えるんだろ?だから追ってきたんじゃないの?」

「見えるわよ。だから?」

なにか、アンタに意味があるのか?そういう意味を込めて言い放つ。

「なにか、僕のことわからないかなって、そう思って」

「そう思って?アンタ逃げたじゃない!」

「あれは…ほら、君がすごく怖い顔をしてたから…つい」

でも、気になったから、顔だけ出してみたんだけど…。

まだ、馬鹿が馬鹿なことをのたまっている。

アタシはといえば、がくっと力が抜け膝の間に顔をうずめてしまう。

「僕のこと…わからない?」

「わかるわけ、ないでしょ…」

もう、体力と精神力は限界に近づいているのか、妙に素直に答えてしまう。

怒や憤りを持続させるには、今日はいろいろなことがありすぎた。

雨は勢いを増すばかり。今夜は、嵐になる。

このまま濡れていると、肺炎にでもなるかもしれない。

良くても、風邪はひくだろう。

「でも、僕のこと、追いかけてきたじゃ…」

「それは…」

(アタシ、なんでコイツのこと追いかけてたんだっけ)

特に理由があったわけではないことに、今更気づく。

しいて言えば、光る白いシャツをみて無意識のうちに

モノクロとの違いを見つけ、追わなければいけない。

と行動に出たのかもしれない。

(でも、コイツにそんな事いったってねぇ…)

そう思う。

「どうだっていいでしょ」

それきり、無視を決め、体を縮めるようにして

両手で膝を抱える。

体育座りみたいだけど、体温をにがさないようにするには、一番いいような気がした。

膝の上にあごを乗せ、これからどうしようかと考える。

馬鹿はとぼとぼとこちらに歩いてきたかと思うと

少し間をとるようにして、アタシの隣に同じようにして座った。

ほんのりと、暖かさを感じたが、錯覚だろう。

もう、お互い何も言葉を交わすことなく

雨の降る路地裏で、膝を抱え座っている。

幽霊少年と家出少女。

世界からはじき出された。不適合者たち。

笑えるくらいに、シュール。

それも、まぁいいかな。そう思ってしまった。


もう、どれだけこうしていただろう。

感覚が麻痺していく中。沈黙を破るように喋りかけられた。

「ねぇこのままじゃ、風邪引くよ?」

「…」

「僕さ、今日君に会うの実は二回目なんだ」

その言葉に、わずかに首だけ動かして、反応する。

「橋の上にいたでしょ?」

どこか、ぼんやり、あのときのことを思い出し手首に巻かれた、包帯をみる。

雨にぬれ、うっすらと血が滲んでいた。

「あっそ…」

少年の背格好からすると、受ける印象よりどこか幼い喋り方が少し気になる。

「あのあとさ、実は…」

言いにくそうにしているのを感じ取り、頭の中に

嫌な想像がよぎったが、どうでもよかった。

「母さんにも合ったんだ」

君を連れてった人…。

さすがに、その発言には多少ショックを受けた。

「アンタ、ユイさんの子供なの!?」

「う、、うん」

「確かアタシと同じくらいの年の時に…」

(殺されたんじゃ)

最後の言葉だけは、何とか飲みこむことができた。

そして、別の質問をする。

「名前は?」

「…碇シンジ…」

聞いてから、しまったと思った。

名前など聞いてしまうと、あとあと面倒なことになりそうだと思ったからだ。

すでに、かなり面倒な事態になっているというのに。

話題を変えるように、質問を浴びせる。

「なんで、こんな所にいんのよ」

(幽霊でだって、ママの傍に入れるなら、アタシは絶対に離れないのに)

「何度も母さんを呼んだんだけど、ぜんぜん答えてくれないし
何か怒らせちゃったかなって、思ったけど思い出せないし…」

そこまで一息に言うと、少し恥ずかしそうにしてから、あたしをチラッと見て

「だから、とりあえず一緒についていったんだ」と付け加えた。

「病院の中にもいたの?」

なんだか、アタシとユイさんの会話を聞かれたかもしれないと思うと少し嫌な感じがした。

「最初はね…でも君が寝てる間に、何度も母さんを呼んだんだけど
ずっと見えてもないみたいだったし…それで、なんか変だなって思ったんだけど
傍にいるのが悲しくて、ずっと外で待ってたんだ」

「で、アタシをつけてたってわけ?」

コクッとうなずく。

「橋の上で声をかけたとき、君は聞こえてたみたいだったから」

「アンタ、いつから幽霊やってんの?」

言ってから、なんて馬鹿な質問だろう。と自分にあきれてしまう。

「今日君に会うちょっと前。気づいたら知らない町の中にいたんだ…」

道歩いてる人に聞いても、だれも答えてくれないしさ―

そう言うとハァっとため息をひとつついて。

ちっとも深刻そうな雰囲気をださないで「どうしよう」なんていっている。

アタシは、幽霊云々よりも、さっきから気になっていることがある。

この横にいる少年、どうしても見た目より幼い印象が拭えない。

とてもじゃないが、中学生の喋り方には聞こえない。

「アンタ、何歳?」

「え?10歳だけど?」

何の疑問も無く、答える。

「アンタ自分の格好みていってんの?」

そういうと、コイツは初めて自分の格好を見るとでもいうように

着ているものに目を向けた。

「なに、この服?」

「アタシに聞くんじゃないわよ。どうみたって学生服でしょ」

すでに、学校でのテンションを保つのは不可能。

不思議なほどに落ち着いている。

「だって、僕小学生だよ?」

「アタシに聞くんじゃないっていってんでしょ!!」

つい、大きい声を出してしまう。

怒りからとかムカついたから、とかではない。

ゴホッゴホッと咳がでた。

なんとなく――。

なんとなくだけど、こう思ってしまったから。

こいつが殺されたのはアタシと同じくらいの年齢のとき。

そうユイさんは言った。

幽霊はこの世に未練がある。そんな話をどこかで聞いた気がする。

殺されたときのショックで、記憶が飛んでしまった。

きっと、それが正解なんだと、どこかで確信していたから

なぜか悲しくて、声を荒げてしまった。

コイツの未練。それはいったいなんだろう。

どうしようもなく、悲しかった。





「ねぇ君は?」

だれ?なに?その質問の続きはなんだったんだろうか。

咳が出そうになるのを無理やりに押し込める。

のどが引きつって、ひりつくような痛みに顔をわずかにしかめる。

軽く反動をつけるようにして、立ち上がる。

予想していたよりも体が揺れたのは、疲れのせいか、熱のせいか。

(どこかで雨宿りをしなきゃ)

瞬間うかんだのは、ユイさんのいた病院。

軽く頭を振って、いつの間にか横にいるた碇シンジという少年をみる。

どこにいったって、きっとこいつは着いてくる。

幽霊から――。まぁまだ幽霊と決まったわけではないけれど。

幽霊から逃げるなんていうのは、言葉遊びにもならない。

(状況が把握できてもいないのに、ユイさんにあわせるわけにはいかない)

今度こそ、はっきりと熱のせいで体が揺れたことを自覚した。

このまま雨に当たっていれば、最悪自分は死ぬ。

『死』

そういうことに対して、現実感があったことは一度も無い。

ママが死んだとき。そう、ママが死んだときでさえ。

アタシは自分もいつかは死ぬんだなんて考えもしなかった。

だから今も死というものにたいして、恐怖感はない。

このまま、雨にうたれて結果として死んだとしても別にかまわない。

恐怖の無いものに対して、無理やり虚勢を張る必要も無いのだから。

ただ、このまま死ぬつもりも、また当然無い。

判然としない、父と義母の顔が浮かんでくる。

あいつらを喜ばせるだけだからだ。

体の一番奥が燃えるようにあつい。

ブルッと体が震えた。

一度震えだした体は止めることもできず、小刻みに震え続けていく。

ばれない様にした、小さなため息は、真っ白な軌跡を残し消えていった。




子供だったんだと思う。

そして、今もまだアタシは十分に子供だと思う。

どこからどこまでが子供で、どこからが大人なのか。

そんな、どうしようもない事ばかりが、さっきから頭の中を駆け巡る。

(結局は、他人、第三者から大人に見られるか、子供に見られるのかってことで、きまる)

自分がいくら虚勢を張ろうとも――。

ずぶ濡れになった中学生がいたら、偽善という善を持った人間に通報されるだろう。

それが、当人にとっては、どれほど迷惑なのかを考える前に。

24時間やっているコンビニだろうとレストランだろうと。

体を温められればどこでも良いのだけれど、入ることはできない。

居場所が無い。それはすでに嫌というほど考えたことだったはず。

頭から追い出そうとしても、いつだってそれは無駄だった。

「ねぇ風邪引くよ?」

そんなことは、わかってる。そう言いそうになって、やめる。

幽霊らしき少年。

いい加減、中学生の自分が少年というのもどうかとは思うが、自分が十歳だというのなら、

外見はともかく、少年といっても間違いではないのかもしれない。

「…そうね」

どこまでも呑気にみえる少年。

(本人は精一杯心配している顔をしているつもりなんだろうけど)

自分だけがシリアスになっているのが、馬鹿馬鹿しくなってくる。

「でも、行く場所も無いのよ。お金も無いしね」

おどけたように、両手を広げる。

そんな態度が、似合わないかなっと、少し顔があつくなるのがわかったが

少年は気づいた様子も見せない。すこしだけ、そのことに感謝した。

アタシからまともな答えが返ってきたのが嬉しいのだろう。

満面の笑みで、非常口と書かれたドアを指差した。

笑い顔を見て、心臓が跳ね上がった。

怒りのせいではない。ただそれだけはわかった。

わかったのは、たったそれだけだったのだけれど。

初めての感情。表情に、戸惑いが出るの止めることはできなかった。

隠すように、顔だけ非常口のほうに向けた。

「さっきアンタを探してたときに、開けようとしたけど
開かなかったわ」

つとめて冷静に言ったつもりだった。

うまくいった自信は、まったくなかったが。

「え?中から見たとき鍵なんかかかって無かったよ?」

そう言うと、さっさと自分だけ吸い込まれるようにビルの中に入っていってしまう。

「ちょっ!!」

慌てて声をかけるが、すでに遅かった。

少年の言ったことを信じるわけではないが、もう一度取っ手を握り、手前に引いてみる。

結果は変わるはずもなく、ドアは開かない。

2.3回繰り返すが、結局開かない。

視線をノブにむけたとき、なんとなく嫌な予感がして顔を上げた。

「!?」

少年の顔が目の前にあった。

悲鳴を上げなかったことは、賞賛に値すると思う。

たとえ、しりもちをついていたとしても。




思う存分、罵詈雑言を浴びせたあと、アタシは立ち上がる。

けれど、不思議と悪い感情はわかなかった。

子供のけんか、そう、子供同士の―。

不思議そうな顔をして、それでもまだ妖怪のように

ドアから顔を出したままの少年。

不思議と暖かいものが、胸にあふれてくる。

少しだけ、体に活力が戻ってきた気がする。

それが、たとえ錯覚だったとしても、気にはならなかった。

「アンタ!ちょっと顔引っ込めてなさい!」

笑顔になることを、今度は隠そうともせずに、正面にいる

少年に言い放つ。

顔に『?』マークをつけたまま、迷っている少年にアタシはわざとらしく

眉間にしわを寄せる。

それでも、引っ込もうとしない少年。

少年少年少年少年少年少年!!

もう呼びにくい!アタシがなんと呼ぼうと

それは、自分の勝手なのだと、理由をつけ叫ぶ。

「顔を引っ込めろって言ってんのよ!ヴァカシンジ!!」

あまりのことに、一瞬顔を引きつらせ。

そのあと慌てて引っ込んでいくシンジを見届けると、アタシは

自分でも不思議なほど笑顔になっていく。

体ひとつ分ドアから離れ、すっと腰をおとす。

そしてアタシは確信を持って、ドアノブに蹴りをはなった。

ガツッ!!

鈍い音とともに、わずかにドアに隙間が開くのが見えた。

何のことは無い、さび付いていただけなのだ。

蹴ったせいで開いたのか、何度も引っ張っていたときに

すでに緩んでいたのか、そんなことはわからないけど

アタシは、ドアノブつかむと勢いよく開いた。

その中にいる少年。

ついさっき、言い訳よろしく、シンジと呼ぶことに決めた少年が

どんな顔をしているのかを、想像しながら――。





はたして、そこにいたシンジの顔は自分にとって

どんな意味を持っていたんだろうか。

もしかしたら、意味があったのかもしれない。

「中もたいして暖かくないわね」

薄暗い廊下を進んでいくと、程なく小さな部屋に着いた。

部屋の中には書類の束などが、無造作に捨てられていて

隅には凹んだ小さな金属製の丸いゴミ箱が倒れていたりする。

他には、足のひしゃげた机とそれに、はまるようなイスが

ワンセット放置されているくらいか。

何かに怯えるようにしながら、シンジはアタシの後ろについてくる。

僅かに町の街灯でも差し込んでいるのか、不思議とうっすらとした

明るさを保っている。

だいぶ前に放置されていたらしいビルの中は、人が入った気配

が感じられず、取りあえずは朝までいるくらいなら安全なのかもしれない。

小走りに、捨てられた机にいくと、いくつかある引き出しをあさる。

耳をふさぎたくなる、嫌な音を上げながら、上から順番に

開けていくが、目当てのものが見つからない。

雑然と要らなかった小物が詰め込まれていて、探しづらい。

アタシは、引き出しを全部机から引き抜いてしまって、床の上にぶちまける。

「何してんの?」

相変わらず、幽霊の癖にあたりをビクビクと見回しながら聞いてくる。

けれど、取りあえず今はかまわず

アタシは他の引き出しも同じように床に中身を出していく。

使えそうに無いものは、適当に端によせていき、数回そんな作業を繰り返すと

目的のものを見つけることができた。

「あった!」

自分の予想が当たったことに多少嬉しさを感じつつシンジに対して、解答を見せる。

「…ライター?」

「そ、使い捨てライター」

タバコを吸っていた人が、捨てていったんだろう。

そういって、ふってみせると、幸いなことに

多少は中身が入っているのか、液体がゆれている様子が見えた。

「なんに使うの?」

コイツさっきから、質問しかしてこないわね。

そんなことを考えながらも。

「忘れてるかもしれないけど、アタシは寒いのよ」

それだけ言うと、すぐに歩き出す。

部屋に散らばっていた書類の束を集め、隅に転がっていたゴミ箱の中に、無造作にいれていく。

適当に一枚破り、使い捨てライターで火をつけようとするが

かじかんだ手でうまくできない。

手を丸め、息を吹きかけてから、再度挑戦する。

心配していたような、火がつかないということも無く。

数回繰り返したときに、うっすらとした火がともった。

紙に火が燃え移るのを確認してから、火種をゴミ箱の中に入れる。

一瞬の間があってから、火は他の紙にも燃え移っていく。

わーっというシンジの歓声を横に、アタシはモノクロの炎を不思議な気持ちでみつめていた。

書類の束は、まだいくらか手元に残っている。

いくらかも持たないだろうが、体を温めることくらいはできるかもしれない。

今は何時だろうか。昼まではしていた時計はすでに、手元には無い。

学校でのことは、もう遠い昔の出来事のようだ。

シンジのこと、アタシのこと。

考えなければいけないことは、山ほどある。

雨降る夜は、まだ長い。

ひとまず、体を休めよう――。

汚れた床に腰を下ろし。

色の無い炎の暖かさと、横にシンジが座るのを

感じながら、アタシはゆっくりと眼を閉じた。




 





            続く
 



 

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 出た、出たっ。
 私のシンジが出てきたわ。
 って、シンジは幽霊?
 第1回目で出せ出せってやかましく言ったから、
 文字通り“出した”わけぇ?
 そんなぁ幽霊なんてやだよぉ!
 ほら、「不適合者」アスカも私と一緒に抗議しなきゃ…って、
 ああ、まだアンタはシンジのことをあまり知らないのよねっ!
 シンジは世界で一番いいヤツなんだから、アンタが頑張らないとダメなのよっ!
 さあ、次回が完結編。どうなんのかな?楽しみっ!

 シリアスムードたっぷりの小説、ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、ふじさん様。

 

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