もう一度ジュウシマツを

 

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「レイ 暗躍する」


 

こめどころ       2004.5.4(発表)5.29(修正補筆掲載)







 いつものようにアパート前で待っていると、レイ一人だけが歩いてきた。挨拶を交わし、並んで坂
を降りていく。葉が目立ち始めた桜の花びらが風が吹くたび一度に落ちてくる。歩道の花びらが掃き
寄せられたように排水溝に溜まって行く。こんなに大量の花びらが落ちてもどこも詰まっていないの
はそんなところにまで手を突っ込んで毎朝掃除をしている人がいるからだ。例えば、うちのお父さん
の様に。その習慣は結婚した時にドイツで暮らした2年ほどの間に身に付いたんだって。
 アメリカでは大抵の場合街の人々が集まって、お金を出し合って歩道管理を請け負う会社を雇うの。
だから自分で街頭の掃除をしたことはなかったんですって。ところがドイツの街では自分たちの家の
前の歩道は自分で管理するというのが徹底してる。もし冬に前の歩道で転んで怪我をした人がいたら、
治療費はその家の人が出すなんて決まりもある。まぁそこを法律で決めてしまうのがいかにもドイツ
式なんだけど100%合意ができっこないという現実下で(例えば街路掃除の負担金を払えないよう
な人もいるわけだから。)清掃の徹底を期すなら法を作るべき、というのが、ドイツ式合理性と言う
物なんだろうと思う。法で強制するなら払えない人に援助をするのも当然という事になるでしょう?
何時までも徹底しない規範にしがみ付いて弱いものだけが馬鹿を見る日本とどっちが良いか、日本人
の趣味なら仕方ないけど。
ああ、いけない。直ぐこういう「理屈」を言うからあたし友達が少ないんだよね。その数少ない友達
――というか未来の「妹」と一緒にいる時に考える事じゃないのは確かね。ただでさえこの子、口数
少ないんだから。
「シンジは?」
結局これを尋ねてしまった。聞かないでおこうと思ってたのに。
「休むって言ってた。」
もう、そんなのわかってるてば。見ればわかるもの。問題は何故休むのかとかまだ立ち直れないとか。
「シンジ、何か言ってた?」
「お姉ちゃんにもう大丈夫だからって伝えてくれって。昨日はあなたを追い返して悪かったって。
それからありがとう、とても感謝してるって。」
ほら、そんなに伝言頼まれてたくせに。それに「お姉ちゃん」って言われるのすごく恥ずかしいんだよ。
とても嬉しいけど。レイに認められたみたいで。
「休んでるくせに。心の痛みは身体に出るもんなのよ。良く寝られたのかな。」
「良く寝ていたわ。昨日も話してるうちに眠っていたし、今朝も蒲団から私が出たとき寝てたし。」
「え?もしかして一緒に寝たの?」
「ええ、昨日は久しぶりに手を繋いで寝たの。そうっと解くのが大変だった。」
あ、あんた達しょっちゅうそんなことしてるわけ?そりゃついこの間までレイは小学生だったわけ
だけどさ、一応もう私より大きいくらい女らしいわけで、胸だけは勝つけど、いや、そうじゃなく。
「お兄ちゃんは泣くのを我慢した後は身体にぶつぶつが出るの。目蓋の裏とか口の中とかにも。」
「なにそれ、まさに身体に出るわけ?」
「泣けばいいのよ、お兄ちゃん。」
前を真っ直ぐに見たままレイが呟く。何をそんなに頑張らなくちゃいけないと言うの。
「そうよね。――で、でもっ、あんたの胸の中で、なんて駄目だからね。」
「むかしは良く抱きしめあって寝たわ。ひとつの布団の中で。そうするととても落ち着いたの。」
「あんたがシンジの胸の中で寝るのもだめっ!」
あたしは思わず叫んだ。もう周囲に森の原の生徒がいるのに。慌てて口に手を当てるがもう遅い。
レイは苦笑したように微かに微笑んだ。私は顔中が火を噴いたように熱くなったのを感じた。
「だから昨日は手を繋いで寝ただけだし、問題はないと思うけど。」
「ま、まあ仲良し兄妹だから手を繋いで寝るだけなら…」
「大丈夫、私まだ生理来て無いし。」
「お、お馬鹿っ。そんなこと!」むっと手を口にあて声を潜め「そんなこと、大きな声で言わないの。」
想像もして無い事をぽろっと言わないでよ。こっちがおたおたしちゃうじゃないの、心臓が弾けそう。
そうか来てないのね。だから背が高いんだ。私も結構遅かったけどね。確か中2も終わり…中3になって
からだったか。その割には伸びなかったな。まぁこれなら普通の日本人か。低くは無いけど中途半端ね。
もう10センチないとドイツじゃちびの部類だけど。
ああもう、何か今日は無用に頭が余計な所まで回転しちゃう。
とにかくっ。レイはどっちにしろ不用意な発言が多すぎる。そこがまた余計純粋な感じがするんだけど。
おいおい教えてやらなくちゃ。姉としてねっ。どうせこれでまた「なぜ」とか言うんだから。
「なぜ?」
 ほらやっぱり。あんただって小学校で保健の時間に習ったでしょう? 男女の生理の違いとか、男の子に
対してモラルとして気をつけなきゃいけないこととか。個室で2人きりになってはいけないとかさ。
女子校だからその辺省いたのかしら。そう言えば「地の塩」の小等部には男の先生っていなかったわよね。
「そ、それは――何故でもっ!」
あたしも大きな口は叩けないわね。それに碇家は目下新婚さんなんでしょ。シンジだって刺激を受けて無い
ことは無いだろうし。ああ、あたしも気をつけなきゃいけないわよね。でも昨日は特別よね。
もう一呼吸遅れてたら、あたしあいつの事きっと抱きしめて、一緒に泣いてたと思う。
ほっておけなかった。あの時のあいつ。あんなになって、それでも我慢しようとしてた、あいつ、シンジ。
あいつだって――多分。
「朝、やっぱり苦しそうだったの。昨日は私が行ったけれど、今日はお姉ちゃんでも大丈夫だと思う。」
「行くわっ、早引けしても行くっ。」
あたしは迷いもせず、勢い込んで叫んだ。
「そう、じゃ、これ渡しとく。家の鍵。私お兄ちゃんの欠席届け出していくから。失礼します。惣流先輩。」
学内に入ると言葉遣いが一変する辺りさすが体育系ね。でも…
い、家の鍵っ! これってもしかしてあたしはもうあの家の家族ってこと?
レイが修学館校舎の高等部事務所に向かうのを見て、あたしは一目散に地の塩高等部校舎事務所に向かい、
全速力で走り出した。ポケットでチャラチャラ鳴る鍵の音がまるでクリスマスのトナカイのベルのように
弾んで聞こえた。シンジが寝てる部屋に行ってもいいって事なんだから、あたし、あたしって!凄い!
昼のショートホームルームが終った瞬間、教室から飛び出ようとしたあたしの制服の襟を誰かがつかんだ。
「ぐえっ!な、なに、羽仁先生?」
シスター・マリア・マグダラ。地の塩一の堅物のシスターではあるがあたしとは何故だか馬が合う先生。
「アスカラングレー、言って置きますがくれぐれも間違いのないようにね。」
あたしの目を覗き込むように。あ、早退届けを出したのを読んだのね。
「な、何の事です? 今日はお母さんの調子が悪いから弟の面倒を見に家に…」
「神に誓って?」
「え、あ、あのう…」
「別に邪魔はしないけど私にだけは本当の事を言って行きなさい。いざというときの為よ。」
何でそんなに嬉しそうな顔をして言うのよ〜。
「間、間違いって何です?それって碇くんに言うべき事であたしに言う事ではないでしょう?」
「いいえ、あなたの事だから言っておくんです。あなたはとんでもなく情熱家なところがありますからね、
本当にお祖母様そっくりなんっだから。」
「お、お祖母ちゃんをご存知なんですかっ。」
シスターはさらににっこりと笑った。
「でなかったら、あなたみたいな跳ねっ返り娘が、地の塩に入れるのかしら?」
「あ、パパったらそれで急に転校をとか言い出したわけか…」
「頑張りなさい、碇くんは修永館でも評判のいい男の子で、あなたにもお似合いだわ。
でもまだ高校生と言う事は忘れないで頂戴、いいわね。」
「で、できるだけ努力します。」
「まあ、それでいいわ。行きなさい。ただ清浄なものや強い薬は身体にいいんだけど、
弱っている人には劇薬だという事を忘れないように。いいわね。」
「??? は、はい。」
手を離された私はゲートの開いた競争馬みたいに廊下を走っていった。
「これでよかったのかしらね、レイさん。」
この釘を刺された一件がレイの差し金だという事は、ずっと後になってから知った。





玄関の引き戸の鍵を廻すとカチリと音がした。もう一箇所の鍵も外すと静かに引き戸をあける事ができた。
シンとした板の間、その奥の座敷、人気はなかった。シンジ、まだ部屋で眠っているのかしら。
「おじゃましまーす。」
潜めるような声をあげて、そっと靴を脱いで叩きに上がった。玄関を閉め廊下を進むと2階に続く階段が。
そこを静かに上って行った。南側の奥の部屋がシンジの部屋だ。ドアノブを静かに廻し覗き込むと、そこに
眠り姫のようにシンジが横たわって目をつぶっていた。シンジだ…シンジがいる。あたしは廊下側の壁に
寄りかかって激しく息を吸った。何でこんなに息が苦しいのよ。ただ、友達の見舞いに来ただけじゃない。
もう一度部屋の中を覗き込む。シンジの顔を確認する。幾らか青白い頬をして僅かに苦しげな表情をして
いるのはあたしの気のせいだろうか。
「う…うん…」
気のせいなんかじゃない、顔をゆっくり傾けたシンジの額は汗ばんで光っていて、眉間に皺がよっている。
うなされているのか、苦しい思いをしているのか。私は鞄の中で来る時に買った冷却パットを潰し、粘性
のあるそれを、シンジの額をハンカチで押さえて汗を拭った後貼り付けた。そのひんやりした感触で気が
付いたのか、シンジは薄っすらと目を明けた。
「だ、だれ?」
弱々しい声。かすれて、小さな子供のような不安感を感じさせる声。可哀そうで涙が滲んでしまう。
あたしは黙ったままシンジの枕元でじっとしていた。シンジの手が額に振れ、冷却パッドに触れた。すると
安心したように彼は手を蒲団の上に落とし、静かに目を閉じた。熱でもあるのか、すぐに規則正しい呼吸音
に戻った。また眠ってしまったようだ。
こうして枕元に座っている。あたしにはそれしか出来ない。シンジがこんなに苦しんでいるのに。不安でい
るのに。あたしは何もしてあげられない。静かに廊下に出て、お風呂場で洗面器を探し、それに冷蔵庫から
氷を入れ水を入れ、軒先に干してあったタオルを入れてシンジの部屋に運ぶ。直ぐにぬるくなってしまった
冷却パッドを剥がし、タオルを絞って目から額までを覆う。シンジが溜息をついた。私の手に触れ指で僅か
にさすっていった。多分レイかリツコさんだと思っているんだわ。その方がシンジは安心できるんだ。
そんな事を何回も繰り返した。洗面器の水も数回取り替えた。シンジはずっと眠ったままうなされ、タオル
を変えた時だけ、暫く穏やかな表情になる。外が次第に暗くなり時計を見ると既に7時だった。レイはまだ
帰ってこない。リツコさんや小父様は9時頃まで帰らないとレイが言っていた。どうしよう。
そうだ、とにかくジュウシマツを部屋に入れてやらなくちゃ。
気が付いて窓を開けた。大きな金網がジュウシマツの巣箱の上に掛けられてある。これなら百舌の爪は届か
ない。2つのカゴを踏ん張って部屋の中に運び入れ、餌と水、巣箱の底の汚れた新聞紙を取り替えた。
「さぁ、綺麗になったわよ。気持ちいい?」
思わずうちでよくやるように小鳥たちに話かけた。嬉しそうに跳ね回る小鳥たち。その声が部屋に満ちる。
そう、そんなに嬉しい?そんなに喜ばれるとわたしもうれしくなっちゃう。
「惣流…?」
振り返ると、シンジが半身を起こそうとしていた。額のタオルがベッドに落ちた。
よほどびっくりしたのか、シンジは口を開けたまま随分何もいえないでいて、やっと最後にこう言った。
「ずっと、いたのかい。」
「そうよ。やっと気が付いた。」
そこから先は、あたしも喉が詰まっていつもの声にならなかった。
「アスカ。ずっとここにいたのは、アスカだったんだね。…ありがとう。」
「何よ、馬鹿。昨日は追い払ったくせに!シンジの癖に!」
声を励まして憎まれ口を利いた。そうじゃないと声も詰まって泣きそうだったのよ。
「何よ、小鳥の世話までさせて自分はグーグー寝てるんだから。暢気なものね。」
「ごめん、アスカ。怒らないでよ。」
あたしはもう我慢できなくなって言った。
「馬鹿、誰も怒ってなんか無いわよ。そんなんで怒るわけ無い。あたしは『シンジのアスカ』なんでしょ。」
「そうだったよな。――僕はもっとアスカに我まま言っても良かったんだよね。」
「そうよ、そうじゃなきゃ約束違反よ。あたしはあんたの面倒を見る権利があるのよっ、忘れないでっ。」
「ごめん、もう忘れないよ。僕にはアスカがいるんだってこと。」
あたしはシンジのベッドの前にひざまづいて、シンジの蒲団に顔を埋め、叫んだ。
「そうよ!あたしはシンジの、シンジにっ。もうっ!」
混乱したまま突っ伏して叫び、シンジはあたしのくしゃくしゃになった髪を撫でてくれた。
あんたはもう小鳥だけを見てちゃ駄目なんだからね!
あたしがいるんだから、あたしはあんたのもんなんだからっ。
「あたし、あたしっ、シンジのために何も出来ないなんて嫌だっ。何もさせてもらえないなんて嫌っ。
あたしが、あたしが一番にシンジを助けに来れなきゃ嫌。嫌、嫌―っ!」
あたしは泣き叫び、シンジはおろおろして謝り続けた。
その時、もうとっくにレイが帰ってきてて廊下ですっかり聞いてただなんて、ちっとも知らなかった。






第16話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 家の鍵っ!
 
こ、これって妹公認ってことよね。
 ぐふふふふふふふふふふ。
 とはいうものの、レイってお姉さんみたい。ま、背は私より高いけど。
 さてさて、シンジも私に心を開いてくれたみたいだし…。
 今回はレイ様々ねっ。
 しっかりチェック&管理されてるみたいだけどさ。
 このままラブラブ一直線!…になるような情けないシンジじゃないか。“男!”を目指してるもんね。
 そこんとこがちょっと心配。
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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