もう一度ジュウシマツを

 

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「合宿所にたどり着いたけど」


 

こめどころ       2004.6.4(発表)






 レイと別れて改札まで来るとちょうど案内表示板がパタパタとひっくり返って仙台方面行きの
特急がもう直ぐやってくる事が表示された。この路線は夏休みの間はいつもよりずっと混むので
指定を取らないと座れないのだけど、みどりの窓口を見るとずらりと人が並んでいてとても間に
あいそうになかった。乗車券と自由席特急券だけを自動窓口で買ってホームに駆け下りた。
自由席特急の乗降口には運のいい事に誰もいなかった。表示板をよく見ると、次の列車は臨時に
海水浴客向けに出たやつで時刻表に載っていない奴だったのだ。これなら何とか座って行けそう。
いつもなら鍛錬の為にも座らないけど、今日は昇段審査の後って事もあってとにかくくたくただ。

その場に腰を降ろしレイが渡してくれたバッグを点検する。下着4日分とタオル3枚、パジャマ
とTシャツと替えズボン。あと水着。この包みはおにぎりかな。財布も入っていて中身は5万円。
洗ってある柔道着がバッグの外側にくくりつけてある。道着って言うのは結構かさばるんだ。
合宿の日程表。あ、これはレイが貰ってきたのかな。裏表紙の名前の欄に『バカシンジ』って。
惣流がうちに届けてくれたのか。彼女と学校で鉢合わせした時の表情を思い出した。




『ほんとに?ああもうっ、こんな事言うつもりなかったのにっ、あたしこんな情け無いことっ!』


泣き声?振り返ると、長い金髪をたらしたままアスカは両手でしきりと顔を擦りあげていた。え・・・


『馬鹿シンジッ、もう嫌になったなら嫌って早く言ってよっ!』


アスカはそのまま駆けていってしまった。追いかけようと思って、でも足が動かなかった。
泣いてた。あの元気でいつでも明るいあいつが泣いてた。――泣かせてしまった。




白く照り返すコンクリートだけが背景の記憶に残っている。――アスカは誤解したままなのかな。
それでもこんな物を持ってきてくれてるなんて。まだあいつ、僕の事待っていてくれてると思って
いいんだろうか。僕は両手でパシッと自分の顔をはさむように叩いた。遠くで警笛の音がした。
臨時特急が来る事を告げるアナウンス。僕は立ち上がりズボンの尻をはたいた。




 やってきた列車は結構混んでいたがまだ空席が残っていた。帰省の親子連れ、学生グループ、
上着を脱いでしきりと汗を拭いているサラリーマン。お土産をぶら下げたお年寄りの夫婦。夏季
ゼミか補習か、しきりと参考書を見比べている高校生。しがみ付きあうようにして目をつぶって
いる若いカップル。この時期の乗客はいつもよりずっと雑多だ。その中の空席に腰を降ろした。
奥の席で目をつむっていた会社員らしき人が目を醒まして慌てたようにホームに目を走らせる。
そして立ち上がると通路の人を押しのけるように急いで降車していった。おかげで僕は海側の席
に座る事ができたが、あの人は間に合ったんだろうか。鞄から、アルミホイルに包まれた握り飯
らしき物を取り出し、鞄を網棚に載せた。列車が動き出した。ざわついていた室内は一部の人間
以外はまた静かになった。暫く街の中を走る。かぶりついたお握りの中の焼いた鮭が香ばしい。
塩がよく利いている。ずっと激しい運動をしていた僕にぴったりの味付けだった。さすがにレイ
自身武道をやっているだけの事は有る。感心した。そこに回ってきた車内販売から麦茶のボトル
を買ってがぶ飲みし、更に大きなお握りを2つ食べた。こんな大きい握り飯をよくレイが握れた
もんだ。巻きつけた海苔もちょっと炙ってあって芸が細かい。腹いっぱいになって眠気が挿して
きた。

検札の車掌さんに起こされた時には、列車はもう海岸線と平行に真直ぐ走っていた。急な眠気に
襲われ膝の上にペットボトルを置いたままうとうとしてしまったようだ。先に合宿に行った連中
は、きっと歓声を上げて海側の窓に鈴なりになったに違いない。僕らの柔道部は中高併せて43人、
女子24人と男子19人。どういうわけか合併以来ずっと女子部員が多い。僕ら元修永館組は、元々
20人前後で活動を続けていたのだが女子との合同以来、大抵の男女合同クラブは人数が増えた。
今まで文化部帰宅部だった連中が部活に参加するようになったからだ。「地の塩」の女子は可愛
い子が多いからそれを目当ての奴が多いのも当然なんだけど、柔道部やアメフト部のように練習
の厳しさで知られている所や、元々女子がやれない所は余り関係ないと思っていた。地の塩には
女子柔道部は無いはずだったので、総合武道部なんて物が存在してると知った時は驚きだったな。
特にあの赤毛の小柄な女の子に、僕は締め落とされそうになったのと同時に、何かを刷り込まれ
ちゃったのかもしれない。あの子の輝くような元気な声とか笑顔とか自信たっぷりな偉そうな態
度とか。そしてそのくせ僕だけに見せる、妙に繊細で、脆そうな部分とか。

ゴオッという音と共にトンネルを向こう側に抜ける。一転して豊かで深い隣県の森の中だった。
荒れ果てたススキの高原と岩肌だけしかない山向こうの高原と比べると別天地のように潤い深い
場所だ。広葉樹林の森は日が差し込んで明るく、命の息吹に溢れているのがわかる。ゆっくりと
減速しつつ列車はスロープを描いて山を下っていく。急に森が開けると目の前には遠い山に囲ま
れた広いみどりの平原。そして弧を描いた大きな湾とそこに流れ込む美しい川を車窓から望む事
ができた。ここが合宿所のある駅なのだった。僕らの駅から2時間強の北の国の駅だった。


 鞄を担ぎ駅前からダラダラ坂を下っていくと、まず漁船の溜まりに出てそのむこうの岩礁の岬
を回ると、白い砂浜がずっと続いていた。幅の広い防波堤の上を歩いていく。所々で戯れている
大学や高校生くらいの集団が目に付く。この辺には別荘や合宿所が多いので、そこにやってきた
連中が用事や練習の合間に海で遊んでいるんだろう。まあ、僕らの合宿にしても折角男女混合に
なったのだからむさくるしい学校での強化合宿じゃなくて、楽しくリゾート合宿もかねて互いに
お近づきになりたいという、甘い動機だってあったに違いない。
あれ、誰かが手を振っている、と思ったらうちの連中じゃないか。今日は休養日だったっけ?


「まぁ堅いこと言うなよ。指定日に雨が降ったら動けないだろ。こういう天気の良い日に前倒し
で休みを取っておこうと、そういう話になったんだ。」

「まあ、それも一理有るか…本末転倒って気もするけどな。あれ?惣流がいないようだけど。」

「惣流さん、練習日なのに遊びに行くなんてダメだって。一人で練習するって来なかったのよ。」

「合宿所に残ってるわけ?一人で?」

「あ、わ、私達随分誘ったんだよ。でも惣流さんて結構頑固な所があるから。」

「わかったよ。どっちにしろ僕は荷物置いてこなくちゃ。様子も見ておくよ。」

「ごめんね。お願いできる?」

「ああ、いいよ。」


誘ったのに来なかった、か。去年までの先輩たちが聞いたら怒るだろうな。怒られたらこんな風に
遊んでたりはしなかっただろう。来年の下級生はこれが当たり前なんだと思うだろう。そうなって
しまえば、誰も辛い練習をこらえなくてもいいものだと思ってしまう。名門とか言っても誰かが
そう言いだしてしまえば崩れ落ちてしまうものなんだ。試合に勝つことではなくて、ここに柔道と
いうスポーツを楽しむ為に来る子達が増えれば、厳しい練習はあっというまに駆逐されてしまう。
それが伝統とか言う物なんだ。危うい薄皮のような物なんだ。みんなはその事に気づいていない。
もちろん僕だってアスカとの事がなかったら、武道を学ぶという事をそんな風には考えなかっただ
ろう。水着姿の可愛い女の子達と遊ぶ事の方がずっと楽しいに決まってるじゃないか。武道なんて
別に特殊な事をやってるわけじゃない。スポーツの一種なんだからと言って何のさわりがあるだろう。


「ところで僕らの合宿所ってどこ?」

「聞いて驚け、あそこの白い建物だ。」


仲間の一人が指差した方を見上げると次の高い岬の根元辺りの尾根筋に白い建物が数軒とお寺らしい
大屋根が見えた。


「もしかして、あそこまで徒歩で階段って、よくあるパターンか?」

「ご名答。575段あるってよ。さらに、」

「車が走る道とか無いのか?」

「有るにはあるが緊急、業務用でしか出入り口のバーを開けてくれないんだ。」

「合宿施設だから全て修行である、と言う事らしいぜ。」

「まーったくこんな所借りてきやがって。初日にマネージャーは海に沈めてやった。」

「ホントにみんなで海に放り込んだのよ。呆れちゃうわ、男の子達って。」

「確かに海まで直線で1kmだけどな。気の遠くなるような往復の階段を含めてだ。しかも飯は
朝しか出ない。後は自炊なんだぜ。」

「自炊がいやなら、駅前の定食屋まで走ってこなきゃならない。合宿所から階段コミで往復2kmだ。」

「よくもまあ、こんな所で潰れずに合宿所を経営してられるもんだよ。」


口々に訴えかけられる不満。こりゃ相当溜まってたんだな。


「しかも、惣流が何か張り切っちゃててさ、もう気合入りまくりで過激なメニューを組んで押し
付けるんだ。参っちゃうよ。何のために外部合宿に来たんだか。勉強時間まで決められてんだぜ。」

「じゃあ、今日の休みは惣流の合宿日程を無視して遊んでるわけ?」

「惣流にも少しは反省してもらわんとな。みんなの意志の尊重。それが民主主義というもんや。」

「明日の土曜からは顧問やOBも来る。今のうちに休んでおかないとまた厳しい事になるしな。」


なんだか聞いてるうちにむかむかしてきた。何のための合宿だ。誰かに管理されなくちゃ出来ない
合宿練習なのか?あの気の短いアスカがこんな状況で5泊も我慢してたなんて信じられない。


「ああ、ちょっと碇。話があんのよ。みんなは向こうで引き続き遊んでらっしゃい!」


洞木さんが言うと、みんなはばらばらと散っていった。


「碇、切れんのはアスカに会ってからにしなさい。」

「あいつら・・・」

「待ちなさい。あんただって自分が練習するようになったから怒ってるだけでしょ。偉そうにする
のはまだ早いんじゃない。」

「そんな言い方無いだろ。」

「あんた、3ヶ月前までどんな練習してたわけ?特訓3ヶ月で随分偉くなったのね。」


少しムカッとしたけど確かにその通りだった。僕が特訓してたなんて事アスカすら知らないのに
何故知っているんだろう。洞木さんは容赦なかった。じろりと睨まれて僕はタジタジとなった。


「あんたが急にやる気になったからって、他のみんなもそうあるべきとは言えない。そうでしょ。」

「アスカはそこまで考えて我慢してるって言うの?」

「私は一応アスカの親友ってことになってるからね。まぁあの子の考えてる事もわかるわ。」


洞木さんは薄笑いを浮かべて僕を見た。
こいつはホントに何考えてるんだか、情報網も凄いから適わない。


「とにかく早く行ってあげなさい、アスカのとこへ。それで事も進み始めるんじゃないかな。」

「わかった、今はそうするよ。」

「碇。」

「なんだよ、洞木。」

「惣流って言わないで、アスカって言ってたね。」

「えっ、そ、そうかい?」

「暫く一緒にいる所見なかったけど、仲は進展してたって事か。」


会ってない。話してもいない。だけれど僕は彼女の事をずっと近くに感じるようになっている。


「そんなことない。あいつには嫌われちゃってるかもしれないんだ。」

「やれやれ、二人とも本当に不器用なんだねえ。」


洞木さんはそばかすの残る顔をくしゃっと笑い顔にして、僕の肩をぽんと叩いた。


「ん、なんだよ。」

「安心しなさい。アスカも碇と一緒よ。シンジに嫌われたのかもって、ずっと。」

(え、それってどういうこと。)

何も言えないでいる僕に洞木さんはもう一度笑いかけて、ツインテールをつば広帽子の下で揺らし
ながら走っていってしまった。あいつって、なんか謎の女だよな。



 僕は鞄を担ぎ直すと、とにかく合宿所下の階段に向かって早足で歩き出した。5分ほどで階段下に
たどり着いた。見上げると、首が痛くなるような急峻な階段が、左右の巨大なヒバに包まれるように
上に向かってまっすぐに伸びている。こんな長くて急な階段を見るのは生まれて初めてだ。僕は2段
ずつその階段を昇り始めたけれど、うまく歩幅があわない。一段ずつ昇っていくように作られている
んだろうか。半分まではそんなに辛くはなかったけど、その先から、急に石段の高さがきつくなった。
中間点は少し広場になっていて、座れるような平たい大石がある。そこには立て札があって、年配の
方は休むようにと書かれていた。水も湧いていてアルミの小さなコップが置かれていた。ただし。

『修行のためにこの階段を昇っている者は休んではならない』

そういう看板が墨で黒々と書かれ、御丁寧に掛けられていた。

――ああそうかい、飲まないよっ。

僕は意地になって更にその上へと進んでいった。階段の高さが段ごとに違い、不揃いできついったら
無い。下半分はウォーミングアップってことか。昔の人もしゃれた事するじゃないか。足運びがまま
ならない事がこんなにきついとは思わなかったよ。大して時間はかかっていないのだろうけど、とに
かく辛い。脚がパンパンになった感じだ。でももう少しだ、先が見えてきたぞ。

何とかたどり着いた。しかしそこは寺の山門に過ぎなかった。合宿場はどこにあるんだろう。目の前に
あった山門に掛かっていた板を木槌で叩くと、木の枠がガラッと開いた。優しそうな顔のお坊さんだ。


「あ、あの、合宿に来たんですけど。」

「あ、そうですか。山門横の小路をどんどん行けば出ますから。では。」

「えっ、あ、あのっ!」


小路、小路って? あの細い獣道みたいなあれ?

草が茂っているだけで、道自体は結構広かった。高低のあまり無い道を静かに歩き続けた。その後は
また坂道だ。今度は階段ではなく木の根っこがその代わりだった。歩きにくいったら無い。また汗を
たっぷり搾り取られた。

いきなり砂の敷き詰められた広い庭に出た。そこが合宿所だった。何校かが一緒に合宿しているはず
だが、そこはしんと静まり返っていた。せみ時雨もとうに慣れてしまって、煩いとは思わないように
なっていたので。


「ごめん下さい!」


玄関側に回り込むと、僕は大声で叫んだ。だけど誰も出て来はしなかった。
黒い板に白く、私立森の原学園中高等部御宿とだけ記されていた。その隣にはInternational
high school New Tokyoと描かれた看板、さらにJ体育大学付属高校の名も記されていたのだった。

その時だった。急に道場棟らしき所から大歓声が湧き起こった。






第22話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 遂に今回から新作よっ。
 
ふふふっ、来なさい、シンジ。
 私のところに。私がギュッと…首絞めしてあげるから。
 ずいぶんと遅くなってくれちゃって。
 ま、途中でヒカリに会えたからアスカ情報はきっちり入手できたからいいか。
 問題は…一緒に合宿している高校。
 どっかで見た名前よね。
 次回をどきどきして待ちなさいよっ!
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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