もう一度ジュウシマツを

 

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「絡み合ってもつれ合う赤い?糸」


 

こめどころ       2004.6.24(発表)








 都市部よりはよほどましな夜の空気。冷やりとした空気の中を煙がゆっくり移動していく。
時折吹き抜ける風は背後の深い森の香りを運んでくる。

 アスカと碇がやっと帰ってきたのは何と12時だ。一体4時間近くも何してたのやら。
2人は、正気じゃないように、ふらふらと宿舎に近づいて来た。揺れる心を抑えるように、
ゆっくりとした歩調で。すぐ近くにいる私に気がつかないまま道場の雨戸にがたんとぶつか
ると、そこに2人は寄りかかって、そのまま綺麗に晴れ上がった空を見上げ何か話し出した。
うっとりした幸せそうな顔しちゃって。

さすがに私も疲れてたので咳払いしたら2人は飛び上がってきょろきょろあたりを見回して、
やっと縁側にある石の下駄履きに腰掛けてる私に気づいた。2人してまるで悪い事でもして
来たみたいに竦んじゃって。私は手に持っていた簡易灰皿に煙草を押し付ける。こみ上げて
来るくすくす笑いを堪えて宿舎へ続く廊下の戸を開けてやった。

まったく、私が待っていなかったらどこから宿舎の中に入るつもりだったのかしらね。

 迷惑なアスカはその後私の蒲団に潜りこみ、ぼそぼそといつまでも『今日の出来事』を語り
続けた。おかげで翌朝の朝練はめちゃくちゃきつい事になる。それは遅くまで外から帰ってこ
なかった上に、話し込んでいるアスカの『報告』に耳をそばだてていた同室の女の子たち皆も
同じだった訳。

「相談なんだけど」とか。「困っちゃうよね、」とか「どうしたらいいと思う?」とか…
全部惚気(のろけ)よ惚気! アスカは尋ねるけど答えなんか皆決まってるのよ!
内容なんか私は絶対あきらかにしないからね、もうバカバカしくてやってられないって事!
そりゃあ、色々アスカの望んでいる方向に導いてやったのは私だけど、こんなことになろう
とは。薬が効きすぎたってとこね。


「起床、起床!みんな起きなさいっ!」


がらがらと雨戸があいて、強烈な朝日が射し込んでくる。空気は冷たいくらいだが日光は既に
今日の暑さを保証している。まぶしいっ、一斉に悲鳴が上がる。雨戸を開けているのはアスカ。
何なのよこの子は。この無駄な元気は一体どこから来てるのよ。この子だって2、3時間くら
いしか寝ていないはずなのいにぃ。「うおー。」と、男の子達の声も聞こえてくる。きっと
向こうも碇に叩き起こされてるんだわ。それを考えると、一夜明けたあの二人の恥ずかしい
ご対面のシャッターチャンスじゃないのよっ。こうして寝てなんかいられないわっ。
私は根性で目蓋を開けると、蒲団を蹴飛ばした。


「洞木、昨日はごめんよ。あのあとアスカが随分面倒みてもらったんだって。」

「碇にしては良く頑張ったみたいね。良かったじゃない。」

「ま、まあね。」


洗面所の長い洗い場で碇が話しかけてきた。アスカにも呆れたけど、こいつも元気ねぇ。
こっちはまだ頭の芯がなんだかぼーっとしているって言うのに。


「だめだねむてぇーっ!」


そう言って頭を蛇口の下に持っていって頭をざぶざぶ洗い出した馬鹿がいる。碇の方も何か
話していたってことかしらね。


「きゃーっ!」

「やめなさいようっ!水が飛ぶじゃないっ。」


周囲の女子は非難ごうごうだが、そう言って騒ぎになってくると次々と付和雷同するのが男子っ
てもんなのよ。たちまちあっちでもこっちでも騒ぎが起こる。


「皆急いで!後4分で道場前の庭に集合よっ!先輩たちもう集まってきてるわよっ!」

「キャーッ、待ってよっ。」 「やべえぞっ、お前早く場所開けろよっ!」


アスカが背後を通り過ぎながら叫んでいった。


「ほら起きなさい、起きろっていってるだろっ、このっ!」

「ぎゃああっ、どこ蹴ってんだよ惣流ぅっ!」


まだ眠り込んでいる男子を部屋から引きずり出してるんだ。
何のかんの言ってもアスカは面倒見いいわね。

げしげしげしっ!あ、無惨。

あれがなきゃもっともっとモテモテなんだろうけどアスカ。あれじゃ碇しか我慢できないわ。
碇もよく耐えてると思う。という事は立派で完璧なカップルみたいに見えるんだけど割れ鍋に
綴じ蓋って関係に近いんでしょうね。あの二人。


「ヒカリッ、あんたも早く行きなさいっ。」


はいはい、わかったわよもぅ。幸せもんは他者に対する思いやりに欠けるようになるって事か。
――アスカの恋愛にちょっかい出したのは私の過ちだったかも。


「遅いぞっ、もう5分早く起きんかっ!」


ざわつく道場前。みなジャージズボンと上半身は思い思いのシャツ姿。ランニングやらTシャツ。
男子は裸の奴もいる。碇はTシャツの袖を引きちぎった奴を着てる。なかなか野性的で良いじゃん。
随分ここ暫くの間に変わったわよ。男らしくなったという事なんだろうね。アスカはなんていうか、
惚れ直したってとこもあるのかしらね。


「いくぞっ!」


 先輩たちの号令いっか、準備体操を終えた我々は全員はいつもよりずっと早いペースで庭を飛び
出し、一気に階段を駆け下って行った。ランニングだけでも一体どのくらい走らされるのやら。
大体私は準部員で合宿参加は自由だったのに、なんで来ちゃったんだろう。参加したからには同じ
ペースで日程をこなさなければならない。一気に浜辺まで出たが先輩は止まらない。少し先の鵜の
岩まで行くらしい。いつもはここで小休止だったのに話が違うと、一瞬ざわめきが起き掛けたが、
それも直ぐ納まった。先輩の命令は絶対って言うのが体育系のルールだからしかたがない。鵜の岩
を回った後でやっと小休止だ。アスカとシンジがニコニコしながら人数を数えている。つくづく化
け物だわこいつ等。同じように3時間も寝ていないというのになんでにこんなに無駄に元気なのよ!


「2列縦隊、向かい合ってそこで打ち込み稽古30本!男子は50本!」


息がまだ切れたままで、さすがに悲鳴が上がった。ここで30本。実際には300回の動作が加わ
るのだ。さすがに国体レベルの先輩たちは違う。その練習量を余裕でこなしてるのはアスカとシンジ
だけだ。くやしいけどこいつらのエネルギーは侮れないわ。恋愛って∞エネルギー機関みたいなもの
なのかしら。
いつもの2倍量の朝練をこなしてやっと朝ご飯にありついたわけだけど何か食欲が出なくて。
無理にでも食べろ、身体が保たないぞ、というOB達の怒鳴り声に気の弱い子なんかは男女問わず目に
涙を浮かべて何とか押し込んでいく。低血圧で朝はダメなんですなんていう言い訳は獣のような
先輩たちには伝わらないわけで。私も牛乳が飲みきれなくてむせそうだった。隣の男の子が前を向い
たまま小声で「こっちに回せや。」と言ってくれた。そっと渡すと一気に飲み干してくれて助かった。
感謝。鈴原もいいとこ有るじゃない。











 「レイ、ほんとに一人で大丈夫なのか。」


お父さんの声が妙に猫撫で声っぽく聞こえる。実際そうなんだろうけど。


「大丈夫、大丈夫に決まってるじゃない。お父さんは過保護すぎるよ。」


そういえば、小学校までは全国大会なんかには必ず父兄同伴という規則があったわね。


「だけど、あなたは一人で家から遠くに出る事があまりなかったでしょ。ちょっと心配なのよ。」


学校と家の往復以外、余りどこかへ行きたいとも思ったことなかったものね。


「あら、リツコ母さんは女もすべからく独立して行動するべきであるって主義じゃなかったの?」

「それは出来るようになってからすれば良いことで。」

「リツコ君、さすがにそれはおかしいだろう。」


私も思わず笑ってしまった。お父さんは未だにリツコ母さんの事、時々こんな呼び方をする。


「大丈夫よ、お兄ちゃんたちと一緒の合宿所だもの。アスカ姉さんも一緒だし。」

「アスカ君はともかく、シンジが何の足しになると言うのだ。」

「そうですよねえ。」

「わしとしては、セキュリティースタッフをつけたいくらいだ。」


 夫婦の息が合ってるのは良い事だと思うけど全然信用が無いね、お兄ちゃん可哀そう、なんて。
今日から弓道部も合宿。お兄達の合宿所と同じ場所なんだけど大分格が高い所。10日間で12万円。
元々弓道部は地の塩の広告塔みたいな部活で、部員も今でも殆ど圧倒的に女子ばかり。共学にしては
珍しい光景かもしれない。

 今のお父さんたちとの会話は集合場所の駅前広場で行われているわけで、どの子も大体両親が車で
送りに来てる。もう中学生だと言うのに、これも女子校ならではの溺愛ぶりの発露って事なのかしら。
朝7時、一般客で駅が込み始める前。まだ空気は幾分涼しい。
それにしてもグリーン車一車両貸切って言うのはちょっと贅沢すぎるんじゃないかしらね。

 うちの合宿所へ入る前に、是非手合わせをという高校の合宿所に寄って行く事になっている。
インターナショナルハイスクールの主に外国籍の高校生たちだ。普通ならアスカちゃんもここに通う
のが順当だったのかもしれない。だけれどアスカちゃん自身が日本生まれの日本育ちだから、自分の事
を外国人だっていう意識が無いって常々言ってたわ。それでいて「ガイジン」としてしか意識できない
自分が毎日鏡に映る訳で、その辺の自分自身の内面と外面との齟齬というか一致しない部分についての
不具合を何時も感じている。そういう事に私はアスカちゃんと相通ずる物を感じる。多分彼女の方も。
私はアスカちゃんとの間に近しいものを感じる。同じ音が私達の間に流れている様に思う。

 地の塩は、留学生や在日子弟を積極的に受け入れているから、毛色や目の色で差別するなんて事は
全然無い。世界を見回せばそれが当たり前のことで、お父さんが私をここに入れたのも、アスカちゃん
のうちの人が彼女を転入させたのもその辺の事情が絡んでいるかもしれない。


「それよりも、小鳥の世話、本当にお願いね。」

「問題ない。わしが必ずやっておく。」

「出掛けに私もチェックするから。」

「取り込みのほうも、純子さん(家政婦さんの事だ)に必ずお願いしておきますから。」

「本当だよ。もし何かあったら私もそうだけどお兄ちゃんに申し開きできないんだから。」

「やるといったら必ずやる。親を信用しろ。」


お父さんは胸を張って髭を撫でた。でも仕事が絡むと他の事忘れてしまいそう。リツコ母さんは
輪をかけてそういうところがあるし、余計心配。
頼みの綱は純子さんだけど――この人もお母さんとウマがあっているだけあって何となく浮世離れ
してる感じがするの。そんな少し困った事態。しょうがないから毎日電話をかけようと思う。

私達は整列し、お父さんやお母さんたちに手を振りながら改札口を通ってホームに下りていった。





午前中の練習が終ると正午からは3時間の休憩が入る。この間に買出しに出かけ、夕飯の食材を
買い込んでくる。昼飯自体は簡単な物で済ませる事が多い。


「ほらっ、できたよっ!」

「ええ〜〜っ、今日もそうめんかよ。」

「もっとスタミナの付くものを食わせろよ。」

「だから晩飯はいつも豪華にしてるじゃねえか。午後の練習もあるんだ、昼に溢れるほどは食え
無いのは当たり前だろ。朝いっぱい食ってるじゃねえか。足りなきゃせんべえでも齧ってろ。」


食い物の件になると殺気だった口喧嘩になる。とにかく腹の減る運動なんだよ、柔道って。
僕はマネージャーに夕飯の予算を尋ねた。大体一人当たり2千円だという。10日間の合宿で、
5万円の予算。宿泊費は一泊2500円だから2万5千。一日の食費は僅か2500円だ。朝は
合宿所で出してくれる。昼の予算は500円。学校の援助が一人一泊500円でるが、それは
夜食の握り飯と、午後のジュース代とか昼食の副食費で消えてしまう。交通費は自分持ちだ。
それでも今まで結構夕食は豪華だったらしいのはマネージャーと洞木さんの頑張りのおかげだっ
たようだ。3食セット付きの合宿も有るのだが、十何代か前の合宿で足りないという文句が
圧倒的になって自分たちでやるから合宿費を下げさせたようなんだ。その頃は人件費が安くて
手伝いの人を雇えたらしいんだよね。伝統とか言ってないで今できない事はやめればいいのに。
そんな事を話していたら通りかかった加持さんが笑って言った。


「ああ、その件では俺達も随分苦労したんだ。まだ柔道部の人数が多かった頃だったから一年生を
こき使って何とかしてたんだがな。高2卒業が増えたり、柔道やる奴が減ってくるときついよな。
――俺たちも変えようとはしたんだがOB会の許可が下りなくてな。」

「OB会の許可が下りないって?」

「強硬に反対する古き良き時代のファンが多くてな。その中心が。」

「あ、ナンカ分かっちゃいました、僕。」

「そうか、さすがだな。」

「髭面の人…なんじゃないですか。」

「その通りだ。」


加持さんは嫌な笑いを浮かべた。そうか…こんな所でも父さんは猛威を振るっていたのか。
だが、それだけではなかったんだよね、父さんの『猛威』は。
3日目(皆にとっては8日目の土曜日)にOB総覧なんていう行事が有る事を僕は知らなかった
わけで。


僕らが全員正座する中を、正面にOBが入場してきた。


「礼っ!」


その途端に加持さんたち指導の先生たちが号令をかけた。
僕らは畳に手を突き深く礼をした。


「なおれっ!」


僕は唖然として、それから声を張り上げそうになって慌てて自分の口を押さえた。そのまま横を
見ると、アスカもまた口をぱっくり開けて、呆然としている。


「パ、パパ・・・」


ええっ!見ると正面には大柄な濃い赤毛で青い目の大男が柔道着をゆったりと着て正座していた。
も、もしかして、いや、確実にあれはアスカのお父さん?
でもッ、そんなことよりその隣に腰を降ろした、やたら迫力の有る髭面の男。それは紛れもなく。
勘弁してよ、父さん。







第28話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 き、き、き、来たっ。
 
ちょっとパパとシンジんとこのパパって知り合いなの?
 いやそれよりライバル?仇敵?
 私とシンジってひょっとしてロミオとジュリエット?
 どうなるの、私たち。
 それより、洞木ヒカリさん。
 未成年者喫煙の罪で…。
 ま、色々と(面白がって)画策してくれたわけだし今回は見逃してあげるわ。
 それに鈴原と間接キスしたのに気付いてないなんて灯台下暗しってヤツね。ぐふふふふ。
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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