もう一度ジュウシマツを

 

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「――今、目の前にある誘惑」


 

こめどころ       2004.8.6(発表)








 葛城先生と加持コーチは僕らが後ろにいるのにお構い無しで存分に恋人らしく振舞った
ものだから、こっちはたまらなかった。頼むから少しは遠慮してよと何回も思った。
アスカも顔を真っ赤に染めて見てみぬ振り。最初のうちはくすくす笑ったり耳打ちしていた
程度だったけれど、だんだん頬にキスしてみたり、身体に触ったり、際どい会話をしたりと、
健全な高校生としては我慢できない状態にまでエスカレートしていった。
いや、正直に言えば僕は本当のところちょっと興味あったけどね。

もちろんそんな状態で高速道路で運転しているわけだから危険この上ない。


「シンジ、あたしもう駄目。変になっちゃいそう。」


いや、それはそれでいいかなー、なんて少し思ってた僕は、いらだった様なアスカの声に
我に返ったわけで。耳を象のようにして、ミサトさんの喘ぎ声なんかを聞いていた僕は、
正気にかえって、アスカが恥ずかしさにずっと身を縮みこませている事にやっと気付いた。
いや、その時には既に恥ずかしさを通り越し怒りで上気して真っ赤になっていたんだ。

一緒になって怒ってみせるしかなかった。
え、だってそれ以外どうすればいいっていうんだよ。相手は他ならぬアスカなんだよ。

その彼女が、僕に涙の残る目で、怒りながら頼んだんだ。時々ハンドルを取られて、大きく
進路が揺れる。怖いのと、二人のラブラブ状態を見せ付けられるのと、ダブルの攻撃で
僕も相当おかしくなって来ていた。


「ねぇ、次のインターで降りて長距離バスで帰ろうよぅ。」

「出発してからもう1時間経ってる。半分の行程、もう来てるんだよ。あと一時間我慢できない?」

「出来ないわよっ。ミサトッたら何よ!あのでれでれ女々しい態度はっ。」


本当は大人のラブシーンをこのまま見ていたかったのもあってちょっと残念だったけれど(しつこい)
僕は加持さんに耳打ちして、長距離バスを拾って帰る事にすると告げた。


「す、済まんなシンジ君。」

「済まんて、そんな口紅だらけの顔して言っても説得力ありませんよ、加持さん。」


ミサトさんは何も言わないというか言えないのか、ずっと向こうを向いて身体を縮めていた。
僕は苦笑するしかなかった。若い恋人同士ってこんなものなのかな。僕らももう少し大人に
なればこういう感じになってしまうのかな。



僕らは降り立ったパーキングに乗り入れているバスに乗って、眼下に広がっている大きな湖に
向かった。爽やかな高原の風と青々とした湖水。そこには白樺と草原と白砂があり、暫くの間
僕らは十分にそこに腰を下ろし、お喋りを楽しむ事ができた。さっきまで狭い室内で悶々と
していたのが嘘のようだ。
夏は始まったばかりで余り人気もない。葦の茂みが僕らを他所からの視線から遮ってくれる。
日常を離れ、柔道のことも忘れ、ただ僕の腕の中のアスカの事だけに没入する事ができる。
湖面を渡ってくる風に吹かれ、僕の女の子で心をいっぱいにし、軽く抱きあってその甘い香り
を胸いっぱいに吸い込む。川柳の木陰で僕は幸せだと思う。
意識して恋人らしい事を語りかけようとしたけれど、明るいこんな場所ではうまく話せない。


「そ、惣流って、とてもいい匂いだ。君の髪の匂い。」

「な、なに言ってるのよ。…あなたも、お、男らしくて素敵な匂いだと思うよ。」


互いに呼びあう言葉も、なかなか名前で呼び合えない。そんな風に緊張してしまう。


「ぼく、僕のは、ただの汗の匂いさ。」

「私のも、多分合宿所の洗濯石鹸と、いつものリンスの匂いだわ。」

「違うよ。これはア、アスカの匂いだ。元気でいつでも力いっぱい生きてるアスカの。」


やっといつものように名前で呼べた。そのまま身体をきつく抱き締める。うなじに顔を寄せる。
そこに顔を押し付けた。赤い髪が僕の視野を遮り、その香りが僕を取り巻く。


「だめ、そんなとこに顔を近づけちゃだめ。あ、だめよ。」


女の子に溺れるってこういうことなのかと思う。僕の身体は脈打ち、こんな清浄な景色の中に
いてもアスカを求める気持ちで一杯になった。そんな彼女を打ち壊したいような気持ちを押さえ
込み、ひたすら愛しいと思う気持ちだけを純粋に追いかける。頬ずりをして僅かに顔を上げる。


「じっとしてて。誰も周りにはいないから。」

「だって、だって。」


アスカのきれいな唇に自分のを重ねる。唇をたっぷり味わって、次は袖なしのブラウスの腕と
脇の境目に唇を押し当て、もう一度アスカの香りを胸いっぱいに吸い込む。


「いや、くすぐったいからだめ。」

「何時も君のほうが主導権とるくせに。」

「そうよ、今日に限って何よ。シンジの癖に生意気よ……」


声が途切れる。いつかはそういうことになるとしても、それは今ではない。今はただアスカと
いう僕の彼女を感じていたいだけ。でも、車の中での興奮が少し残っているのか、自分で自分を
危ぶむ部分を感じていた。だから僕はしばらくして腕時計を見ると、そろそろ行こうかと声を掛けた。
アスカはちょっと不満そうだったけど、思いは僕と同じだったのかもしれない、素直に肯いた。



でも結局、バスの中では僕の思いはどうあれ、僕らはヒンシュクの目で眺められる事になる。
どう見たって大学生には見えない僕らがいくら奥の席といっても、ぴったり抱き合って時々
女の子に頬擦りなんかされてたら、ねぇ。
バスは殆ど僕らの他には4,5人しか乗っていなかったけれど、特に保守的な土地柄だ。
皆一様に目を逸らし、ちらちらと非難の目で僕らを睨む。


「や、やめなよアスカ。」

「だってなんか変な気分なんだもの。あんたあたしがくっ付いてたら嫌だって言うわけ?
人の目がそんなに気になるわけ?どうしてあたしの事しか目に入らないっていう境地に
到れないかなあ。」


そんなこと言ったって、急に「アスカ教徒」としての悟りが開けたりするもんか。
幾ら頼んでもアスカは聞かばこそだ。湖畔での様子とはたちまち攻守逆転だ。ずるいよアスカ。
君は他に人がいて、僕が君に襲い掛からないような場所にいると、安心してからかうんだから。

ちょっと鼻にかかったような甘えた声は、普段の会話を交わしている時や、特に練習中の凛々しい
アスカからは全く想像もつかない。蕩けたような眼差しとのぼせたようなピンクの頬、熱い吐息。
僕だけに見せてくれるそういう様子は、恋人として嬉しくもあるけれど。


「君は車の中ではミサトさんがでれでれべたべたしてるって怒ってたじゃないか。」

「あったりまえよ。知り合いとか教え子の目の前ですることじゃないでしょ。」

「他人の前でだってすることじゃないよ。」

「日本には『旅の恥は掻き捨て』って名言があるじゃない。昔の人はいい事言うわね。」

「あれって名言なのかよ。恥じることに気づかない人は人ではないと言う警句なんじゃないの?」

「うるさい、黙れ。」


笑いながら言うアスカを僕が押さえられっこない。ジュウシマツのオスが身体を膨らませて
メスに迫る『さえずり』で、メスが圧倒されて大抵受け入れてしまうように、僕もアスカの
こういう我田引水な強引さに適わない所があるんだ。僕らって雌雄逆転カップルなのかな。


「この際、私達の幸せの為には、少々の犠牲者はやむをえないという事よ。」


そう言ってアスカはとうとう僕の腿の上に転がり込んでそこを枕にした。仰向きになって
僕の頭を引き寄せ、とうとう僕は逆らえきれずに唇を重ねてしまった。アスカの唇の薫り
を、僕はもう覚えてしまっている。唇を合わせてしまえば僕はもうアスカの言いなりだ。
前の椅子の陰になっているとはいえ、何をしてるかは直ぐわかってしまう。
乗客の皆さんごめんなさい。運転手さんごめんなさい。

アスカは冗談?で言ったことだったろうし、葛城先生や加持コーチにしても悪気があった訳
ではない。皆が少しずつ、より弱いものにほんの少し負担を順送りしただけだった。
そのスタートは誰だったのだろう。それは誰でもない、アスカのことで僻んで、特訓を始め、
小鳥の世話も何も出来なくなって妹にそれを押し付けていた僕だった。そうでなかったら
父さんたちだってこんなに介入してくる事はなかっただろう。

押し付けていた? いや、僕はジュウシマツの存在自体をその時失念していたんだ。
すっかり忘れて、アスカのことばかり考えていた。
それでいいのか。良いわけはない。奇しくも彼女が言った通りの事が起きてしまうのだった。






 そんな訳で、僕らはジュウシマツに遅れること5時間にしてやっと自宅に帰りついた。
何か合宿自体よりも、帰路の騒ぎですっかり消耗してしまった。殆ど同時に加持さん達も
到着。直ぐにジュウシマツ達の飼育箱を一階の縁側に運びこんだ。

その時、僕は異変に気づいた。ジュウシマツ達の呼び交わす声に勢いがないのだ。
さすがにこれだけ騒がれると、小鳥たちもグロッキーになったのかと最初は思った。
だがそれは、それだけに留まらずもっと深刻なダメージを彼らに与えていたんだ。
僕は凍りつきそうになるほどの衝撃を受けた。飼育箱の奥隅に小鳥がうずくまっていた。
全部で5羽が落木していたのだ。

飼育箱の隅でそれぞれ灰青色の目蓋を閉じ、身体を膨らませてうずくまり、ぶるぶる震え
ていた。明らかに熱当たりだった。それぞれの飼育箱の食べ残した青菜は一様に萎びていて、
水も汚れていた。僅か5時間前まで小鳥たちは元気だった。僕らが高速のサービスエリアで別れ
たのが10時半。そして現在4時。僕らがちゃんとしていれば昼には家に帰っていてなんの問題
もなかったはずだった。なのにその間にアスカと僕は、途中下車して大きな湖の湖畔でデートを
してたし、コーチたちはコーチたちでしかるべきところで情熱をぶつけ合っていたに違いない。
当然日陰になるところに車を止め、窓も開けてあった。だがそれでも自力では自然の中で生きて
いけないほど家禽化した、ひ弱なジュウシマツたちには過酷な状態であったんだろうと思った。
青ざめて詫びるミサトさんと加持さんだったが、2人の責任ではない。
小鳥を飼った事もない2人は素人なのだ。付いていなければならなかったのは僕とアスカの方
だったのだ。頭の片隅にあった当然すべき事よりも、今目の前にある誘惑に負けてしまったんだ。
僕は激しく後悔したが、いまさら後の祭りだった。

落木していた5羽を風通しのいいかごに移し、涼しい部屋で冷たい水をたっぷり与えた。
大きな動物と違って無理にでも水を与える事ができないし、身体を冷水タオルで包むこともできない。
ただそっとして見守ることしか出来ないんだ。

――あたしのせいだ、あたしが我まま言って遠回りさせたから。

アスカは自分を責めて泣きじゃくりながら世話をしてくれたけど、結果がどうなるかはわかっていた。



次の日の朝、3羽は床でそのまま固くなっていた。結局、それが浮かれていた僕への報いだった。
――ジュウシマツ達への侘びを必ずしなければならない、そう思った。

レイがいたらなんて言われただろう。赤い瞳を更に怒りの紅に染めて、僕を叩いたかもしれない。
僕は一人で浮かれて自分の義務を怠った。義務を怠ればどういう事態を引き起こすか。
そんなことはわかりきった事だったのに。生き物を飼う事の怖さを僕は忘れていた。
いつものようにジュウシマツ達の世話を終えてから、僕は冷たいシャワーを浴びた。
身体がしゃきっと引き締まる。
気合を入れなおしてしっかりとした生活をおくらなくちゃ。訓練は継続しなくちゃ意味が
ない。合宿明けで手を抜けばあっというまに筋肉と反射は衰えてしまう。その日から僕はさらに
柔道に熱中し始めた。

早朝、道着に着替えるといつものランニングコースに向かった。今日もかなり暑くなりそうだ。
坂を下り、アスカのうちの前まで来るとそこで赤い髪の女の子が柔軟体操を繰り返しているのが
見えた。いよいよ暑さは本格的に厳しく朝とは言え日差しもきつい。体力がついて以前のように
ちょっと走ったくらいでは汗が出るようなことは無くなったが、毎朝走るこの7kmの距離は、
高低もあって結構きつい。
途中には電信柱がまだ残っている地区もあって、そこでは一本ごとに全力疾走を繰り返す。
目的地の公園に着くと互いに打ち込みを200本ほど繰り返す。戻ってくれば全身水を被った
ようになる。アスカと別れ、その後で浴びるシャワー、そして冷蔵庫から冷水をだして一気に
あおるのは実に爽快だ。その後で朝食を取り、再び学校に出かけていく。

柔道部の練習は毎日朝8時半から12時まで。その後学校の一般プールで泳いだり夏の間も開い
ている学食で昼食をとったりする。大体2時頃からは図書館で勉強をしたり塾に行ったり補講を
受けたりする。4時からは全国大会の男子女子混合の3種目地区予選に出場するメンバーの特別
練習がある。父さんの依頼で警察からも指導に来てくれるようになった。練習はその為一気に
効率が上がった。僅か1時間の練習だが密度が違う。休み一切無しの一時間は甘い練習3時間より
過酷だ。僕とアスカ以外のメンバーは初日は全員が吐いたり貧血を起こしたりしたほどだった。
だがそれでもさすがに脱落者はいなかった。アスカが無理無理でも引っ張った合宿のスケジュール
は無駄ではなかった。強くなること、自分の身体が意のままに動く事に喜びを感じられる実感は
驚くほど自分に自信をつける。その喜びを日々実感出来ることが辛い練習に耐えるに繋がるんだ。

僕とアスカは自然と少しだけ距離をとっていた。
別段仲たがいしたわけでもなく、今は試合のことだけを考えたいとお互い思っていたからだ。
普段はいつも通り過ぎ、勉強を一緒にすることも一緒に帰ることもあった。
だけど今は、互いの距離を保って冷静に日々を過ごしていく事。激情に流されない事。互いを
欲する気持ちを御すること。その事がアスカをより深く解釈し、理解することになると信じた。





あっという間にまた月日が過ぎた。アスカと、僕を始めとするレギュラー部員は休み明けの試合に
出場し、それぞれ昨年を越える成績をつかんだ。アスカはついにこの地区での優勝を手にして、
その上の県大会に進出することになった。

惣流アスカ、遂に県大会に!

地方版に大きく載ったのは、アスカは随分前から注目の選手ではあったけれど、選手層の厚い
この地区ではなかなか勝ち抜けず、高校になってしまってからは男女の肉体的な地力の差から
もう上がってくるのは難しいというのが大方の予想だったからだ。だが、その予想がその通り
ならば、無差別級に女性の出場枠なんか元々設けても仕方がないということになるじゃないか。

アスカの優勝が決まって礼をし終わった瞬間、僕らは一斉にアスカに向かって突進し、アスカも
僕らに向かって飛びついてきた。周囲には同時に報道陣と応援の人たちも詰め掛けたので、僕らは
アスカを覆い隠すような形で輪になってガードし廊下から女子部員と共に更衣室に逃げ込ませた。
だが、県大会は地区大会優勝者同士の更に高レベルな戦いとなる。
アスカはここからもっと勝ち抜いていけるんだろうか。僕は不安だった。それはアスカも同じで、
あせりが更に練習を厳しくしていく。だがこのままの練習でいいんだろうか。


「えー、本日は君らに新しい先生を紹介いたします。」


全校朝会。中高等部の全員が集まるこの朝会は月に一度だけ催される。その席で校長がこう
切り出したとき、誰もが珍しいなと思った。私立学校には当たり前の事だが転勤がない。
辞めていくのは定年か自己都合に限られる。やってくる先生はその補充であり、大抵は春だけ
だからだ。だが現れたその人を見て、僕らは大いに驚いた。


「葛城ミサト先生。保健体育を担当していただきます。先生は京都の…でありまして、代謝
内分泌生化学教室にて、人間の筋肉構造に関わる論文を…この研究は第8回ジフルワーク医学
生理賞を受賞した優秀な…」


長々と続く紹介の間、ミサトさんは澄ました顔で校長先生の隣に立ち、目立たないように視線を
生徒たちの上に走らせていたが、直ぐにアスカの赤い髪に気づいたようだった。
その途端、多分ミサトさんはここがどこだか忘れちゃったんだと思う。Vサインを僕らに向けて
突き出した。わっと沸く生徒たち。校長は何か自分の話におかしいところがあったかとあわてて
原稿を読み返す。その直後は生徒たちのざわめきがほんの僅かに残ったが5秒もせずに納まった。


「もともと女子部は保体の教師が一人足りなかったっていうんだけど、よくもまあうまく潜りこ
んで来たものよね。」

「まさか…もしかしてまた父さんの計画のひとつなのかも。」


昼休み、アスカと弁当を食べながら情報交換をした。
女子部男子部共に来たばかりの先生には、噂を越えるような話はなかった。


「うちのパパも…一緒に何か企んでいるって事なのかな?」

「まさかそこまで。」


そう言って口ごもる。あの人たちならやりかねないと思ったからだ。


「そのまさかかもしれないわよ。」


僕らが座っている森の中のベンチ。その後ろの茂みから唐突に姿を現したのは洞木ヒカリだった。
本当にこの人は忍者かなんかの子孫じゃないだろうか。


「合宿中にはあの人はJ大付属の教師だって言ってたけど、あくまで休職中の先生の代わり。
いわゆる産休教師だったわけよ。その先生は夏休み明けから出てきたから失業したわけね。それ
で今度はこっちの先生の産休代理で来たって事。なんでもその期間を試用期間として、正式に
採用されるらしいわよ。加賀美先生は2年間育児休暇も取るんで、どうせならこの際欠員になっ
てる分も補充しようって事らしいわ。」

「そんなことどこから聞いてきたのよ。」

「ふははは、私に隠し事は出来ないわよ…って、本当は合宿の最終日に本人から聞いてたんだ。
だから宜しくって。」

「早耳のヒカリを抱き込んでおけばこれからも何かと便利って事か。敵もやるわね。」

「て、敵ってアスカ。」

「敵に違いないでしょう。ミサトはあんたに対して特別な親近感持ってるみたいだしさぁ。」

「だって、若く見えるけどリツコ母さんと同級生なんだよ。幾つ年上だと思ってるんだよ。」


洞木さんが笑い出した。


「全く、あの強面のアスカが、碇の事になるとホントに見境なくやきもち焼くのね。」

「だ、だって!こいつ全然はっきりしないんだもんっ!」

「そ、そんなことないだろっ。僕は何度も君にはっ。」


そう言いかけて口をつぐんだ。洞木の前で迂闊なこと言ったらすぐにも結婚が決まったとか
いう話にされちゃいそうだと思ったから。


「ま、いいわ。パパにはもう結婚の申し込みをしてくれたわけだしね。」

「ア、アスカッ!それはっ。」


そう叫んだけど、洞木は既に薄笑いを浮かべていたわけで。勘弁してくれよ、もう。


「それでね、早速だけど今日の放課後の練習から部活の方には来るらしいわよ。」

「ええっ、こんなに直ぐに?」

「校長からの要請は、県大会初出場の惣流アスカさんの専任コーチとしても宜しくって事
なんだってさ。こんな事にわざわざ要請が出るって事は多分。」

「父さんの仕業だ。」「パパも噛んでるわね。」


どうしようもない。しごきに近いような訓練がまってるんだろうなと思いながら覚悟を決め
武道場へ出向いた。でもミサトさんは僕らが思いもよらなかったことを口にする。


「県大会に出場するのは女子1名、軽量級の尾鷲さん、男子軽重量級1名碇シンジくん、
混合無差別1名アスカ惣流さんですね。」


そう、一応僕もまた今回奇跡のように県大会に出場できたんだ。優勝した奴が練習で足を折り
繰上げの出場という情け無い出かたではあったけれどね。アスカと一緒に県大会に行けると
いう喜びの前には、カッコいいとか悪いとかそんなことはどうでもいい事だった。


「それでは今日から試合当日まで7日間のスケジュールを発表します。
今日、明日,明後日はせいぜい1,2kmのランニング程度以外練習は禁止。4日目武道場に
集合してもらいます。4、5日目に試合当日のための練習をしたいと思います。6日目は移動日。
7日目が試合となります。それでは今から配るプリントをよく読んで頂戴。」

「えええぇぇっ!」


悲鳴のような声が部員たちの喉から迸った。この大事な時に練習禁止だってっ!








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レイからの後書き

 わたしはレイ。このお話の主人公碇シンジの妹です。

わたしが合宿から戻ってみると、お兄ちゃんが出迎えてくれました。でも何か元気がないので
どうかしたのかって尋ねてみました。
そうすると、お兄ちゃんはますます萎れて、合宿から帰ってくる間に小鳥たちを3羽も死なして
しまった事を話してくれました。

「どうしてそんなことになったの?」

ついそう言いそうになったけど、この質問が役に立ったことはおそらく世界が始まってから一度
もないという事を知っていたから、お兄ちゃんにはこれからそうならないようにするにはどうすれ
ばいいのか解決してるの?と尋ねてみました。
お兄ちゃんは深く肯きました。そうでさえあれば、お兄ちゃんはわざと小鳥を死なせたりする人じゃ
ないのをわたしは十分知っているんだから問題はないと思い、悲しんでいるお兄の頭を抱えて撫で、

「可哀そうな事をしちゃったわね。」

と囁きました。

「僕が馬鹿だからこんなことになったんだ。もう2度とこんな事は繰り返さない。」

そう何度も繰り返した声が震えていたので、わたしは黙って何度も肯きました。





 今日はお盆の迎え火。火を焚き、ナスのウマとキュウリのウシにお素麺を掛けて。
いつみてもナスの方がウシに見えるます。昔のウマってころころしていてウシは胴が長かったのかしら。
回り灯篭を置くと部屋中を綺麗な影が動き回ります。小さい頃はこれが怖くて泣いたりしたそうです。

 門の前で、お父さんは腕組みをしたまま何か考えているし、リツコ母さんは仏壇のお供え物を整え、
お兄ちゃんは鉦をチンチンと敲きながら先導し、わたしはウマとウシを持って仏間に入って行きます。
だからわたしにとって、浴衣はこのお盆の迎え火や送り火と分かち難く結びついているのです。
浴衣を出すと、鼻先にお線香の匂いが甦ります。少し悲しく、厳粛な雰囲気。亡くなった誰かを
優しく思い出す時間。お母さん、わたしを産んでくれたお母さんはわたしにそっくりだったって。


 悲しい事は何度も起こります。でもそれが繰り返されるのはものの本質を誰も見極めていないから。
戦争も喧嘩も憎み合いも交通事故も火事も、皆同じ。失敗の原因はいろいろなものを見ていないから。
大抵の事は人の心のうちに原因があると思う。善意からの手助けが憎しみの元になったり恨みの元に
なったりする。砂場での喧嘩と大きな戦争はどこかで繋がっているんだと思います。
それと同じように、お兄ちゃんはジュウシマツの面倒を見ていることで、人に優しくすることや、
口にしない想いを推し量る事ができるんだと思う。わたし自身も本来の激しい気性を抑えていられる
ところがあると思います。
巣の中にぽつんと卵が生まれていたときの驚き、卵が割れ雛が這い出してきたときの喜び、餌を運ぶ親鳥、
それを受け取る雛鳥。羽が生えて小鳥らしくなった頃のひよひよと鳴く声の愛らしさ。
そんな物がわたしから棘々しさを取り除いてくれます。意地悪をする人、髪や目の色を笑う人にも
心を乱されずにいられる強さを、ジュウシマツの優しさが与えてくれる。
この世で一番弱い生命の一つ。それが、一番強い心を与えてくれる。

多分、顔も覚えていないお母さんが、お兄ちゃんを通じてわたしに残してくれた大事な心。
だから、ありがとうございます。わたしのお母さん。







第31話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

 


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 やっちゃった…。
 
シンジからジュウシマツのことを忘れさせてしまうだなんて、
 私の魅力にも困ったものだわ。
 でもあまり落ち込みすぎたらシンジがまたへこんじゃうかもしれないし。
 ここは涙を汗にかえるしかないってことよ。
 次回はいよいよ県大会になるのかし。
 がんばんのよ、シンジっ。
 私?アスカはもとからがんばんのに決まってんじゃない。
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、こめどころ様。

 

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