その時、目の前が急に真っ暗になった。
足元からふわっと消えていくように視野が狭くなり同時に意識が遠のいていく。
まるで締め落とされたときの感じ。


「あれ、あれ? あたし、どうしたんだろ…」


ふわーっと倒れていく身体を支えられない。伸ばした手が空をつかんだ。
誰かが背中に手を回し、抱きかかえてくれたのを感じたきり、何もわからなくなった。


 ――周囲の声が消えてくよ。


夢を見てた。

パパの肩に担がれて、頭に花輪を被って、皆から祝福されてる夢。
シンジも隣でお父さんに担がれてるの。
そう思ったら、シンジは黒ずくめのタキシード姿に変わってた。
あたしはいつの間にかレースのドレスをつつまれて長いヴェールが風になびいてた。

もしかしてこれって。
ええっ、まだ早いよ、あたし達まだ高校生なんだよっ!

これ、夢? そうか夢ならいいか。でもなんて気持ちのいい夢だろう。
何もかも願いがかなってしまうっていう夢なんだわ。

多分これは神様だか御先祖様だかからのご褒美よね。
でもそれじゃあたしはこんなこと願ってるって言う事? そんなぁ、そうなのかな。

まぁいいや。なんていっても、あたし今日は頑張ったもんね。
つまり、あたしが最強ってことよっ!えへん、ぷいっ!

 

 


 

− 38 −

「今日はちょっと内緒の話」


こめどころ       2005.3.12(発表)



 





月曜日。あたしはまだ病院に入院中だ。

担ぎ込まれたのは日曜の午後だった。だから担ぎ込まれた病院から大きな病院に直ぐに転送された。
そこで一番大事な脳の検査を幾つか受けた。
そっちが心配ないと分かってからもひびの入った骨とかひどい打撲の処置をされて、一晩入院。
今朝やっと家の近くの病院に再入院した所ってわけ。
途切れ途切れになってる、昨日の記憶。

だから、せっかくの表彰式には出れなかったのさ。残念無念。
ま、こういう事態はよくあることなんだけどね、この無差別クラスでは。

やっぱり勝ったとは言え谷原さんは強敵だったということよね。
ダメージから考えたらあの人も私も五分って所だったんだけど、今朝の新聞見たらあの人準決勝で
脚の骨にひびが入ってたらしい。普通ならその時点で試合放棄よね。今時いい根性してると思う。
女だからってちっとも手加減しなかった。全くの五分で戦ってくれた。そういう意味でも気持ちのいい奴だった。

あたしだったら…やっぱり意地でも出てたわね。煩いわねぇ、あたしもどうせいい根性してるわよ。
え?誉めたつもりだったの?うん、そんならいいけど。

谷原さんはその上決勝であたしのキックで歯を3本だめにして、左の肋骨1本折って2本ひびだったって。
普通あんな高い所は蹴らないんだけど、あたしも追い詰められてたからちょっと変則ね。
だからそれが逆にうまくフェイントになって打撃を取れた原因かもしれない。
右脚の膝蓋骨周辺の靱帯も痛めたみたいよ。あたしのほうは彼の正拳を十字受けしたときに攻撃の後手に
掛かった蹴りがダメージを与えた程度。肩甲骨への打撃も打撲で済んでいる。
全体としては意外なほど被害がなかったの。
組んでいるときに目をちょっと相手の柔道着に擦られて痛めた位でそれもたいしたことじゃない。
腹部への数回の打撃と、足裏の脹脛への蹴り。これが最大のダメージかな。大分内出血してた。

とは言っても危ない場面はあったのよ。ほら、シンジが「落ち着けっ」て叫んだときね、
前髪が舞い上がるほどの強力な前蹴りが踏みとどまった顔寸前を過ぎたあれ。
あれはもしシンジの声がなかったら、あたし完全にやられてたと思う。
あれを凌いだ後も防戦一方だったよね。あそこでもシンジの声援で一気の目が覚めたの。
だって、あいつの声って、耳にびんびん響くんだもん。あんな大声が出せるなんて凄いよね。
いつもは話し声なんかでも男の子にしてはむしろ小さいのにさあ。

あたしのベッドの横に座って、じっと話を聞いていてくれたヒカリが、初めて口を挟んだ。


「碇君の声なんか、あたしちっとも聞こえなかったけど。ねぇ?」

「あの大歓声の中よ。例え拡声器のボリュームいっぱいにしたって聞こえやしないわよ。」


一緒に来ていたミサトもそう言ってにやにやと笑った。


「シンちゃんの声援が欲しかったあんたの願望の声じゃなかったのかしらね?」

「そ、そんなこと無いッ!…イタタタタ。」

「ほらほら、骨は大丈夫だったけど、内臓には結構ダメージがあるってお医者様がおっしゃられてたでしょ。」


起き上がりかけて痛さのあまり丸まったあたしを、そっとベッドに横たえたママ。
肝臓から下腹部に掛けて鈍痛がいつまでも残っている。
なんでも内臓組織が壊れた時に出る反応酵素の数値がとんでもなく高いんだって。
つまりそれだけ内臓の組織が損傷を受けて壊れてるんだと、そういうこと。


「ねえ…ママにもシンジの声は聞こえなかった?」

「そうねえ、あの時は自分の声すら聞こえないくらいだったし。でも…」

「だって、だって本当に。」

「そうね、私は信じるわよ。あなたの話。私にも同じ経験があるから。」

「そうなの?」

「ええ、だから信じるわ。あなたの話。シンジ君とあなたは特別なのかもしれないわね。」

「と、特別ってそんな事ないわよ。」

「そうかしら。そうだったらとてもロマンチックだとママ思うけどな。」

「だって、あいつなんかお見舞いにも来てくれないしさ・・・」


思わず言わなくていい事を言ってしまった。


「何言ってんのよアスカ。シンジ君をなだめるの大変だったんだよ。」

「そうよ。試合の後あなたが倒れたのをシンジ君が抱え上げて、医務室に抱えて走ったんだよ。
もうそれこそ私たちなんか追いつけないくらいのスピードでさ。
みんなあっけに取られて後を追っかけたんだけど、全然追いつけなかったんだから。」

「え、ええ〜。そんな事あったんだ。もう!恥ずかしい奴!信じらんないことすんのねっ。」


そう言いながらわくわくするような気持ちが溢れてくる。まるで御伽噺の王子とお姫様みたいじゃない。


「だから、あんたが幾らそんな事言っても、だぁれも信じてくれやしないのよ。」


ミサトがまた例の禍々しい笑いを浮かべて言った。ヒカリも似たような笑いを浮かべてる。
しかし何よ、この新聞の地方版の写真は。こんな証拠写真があるから何も言い返せないんじゃないの!
決まり技のカッコいい写真なんかはこんなに小さくてあたしがシンジとパパにキスしてる写真ばっかり
こんな大写しにしてどういうつもりよ。
こ、これじゃまるで――フンだ。信じてくれなくたっていいもん。どうせその通りだもん。


「その場面さ、テレビでも昨日の夜も今朝も全県放送で何回も放映されてんだなぁ、これが。」


ヒカリが妙に嬉しそう(面白そうと言うべきか)にしてると思ったらそういうことかっ!


「げげーーーっ!ほんとにぃっ!」

「ええ、パパも私もしっかり見届けましたもの。パパは真っ赤になって怒ってたわよ。」

「そうそう、わしは金輪際全く認めておらんっ!とかテレビでも怒鳴ってたけどね。」

「だってその場にいたじゃない、パパ。」

「あの時は嬉しさのあまり目に入っても気にしてられなかったってことね、きっと。」

「夜のニュース番組のキャスターさんも『お父さんにとっては思わぬ伏兵が現れたという事でしょうか。』
とかコメントしてたわよ。」

「な、な、なんですってぇぇぇ〜っ。」


顔中が熱くなって、ぽっぽぽっぽ言ってるのが自分でわかった。
思わず布団の中に顔を埋ずめて「もういやー。」とか叫んでいるしかできなかったのよ。

もう恥ずかしいったら無いわよ〜。


「だからね、退院して初登校の時はとにかく気を強くもってね。ぷっ、くくくく。」

「あははははは!」

「うふふふふふ。」


こ、こいつらあぁっ! そう思ったけど何もいえなかったわけで。あぁもうだめ。
あたしはばったりベッドに倒れて溜息をついた。点滴パックがぐらぐらと揺れた。

ひとしきり笑いさざめいた後で、奴等は出て行き、母親がいの無いママも見送りについて行ったようだった。


かちゃ。

その時、静かにドアがの開く音がした。


「そ、惣流さん、入っていいですか。あの、碇ですけど。」


シ、シンジだあぁっ。あたしはうろたえた。うろたえまくったあげくタヌキ寝入りを決め込むことにした。
だって、一体どんな顔して見せればいいのよ。点滴が2本繋がったままじゃ逃げるに逃げられないし。
寝たふり!これしか無いじゃん。


「誰も…いないのかな。でもロック開いてるし。」


ママの馬鹿、適当にドアを閉めたからロックが掛からなかったんだわ。


「お邪魔します… あ、寝てるんだ。」


ガチャン、プシュッ。今度こそオートロックの掛かった音がした。


「おばさんもいないし。アスカ、アスカ? 熟睡か。疲れてるんだな、まだ。」


あーん、シンジの顔が見たいよ。でも面と向かうのは恥ずかしいのよ。
この難しい、百尺下の乙女心を誰か知るらん。ああもうめちゃくちゃ。


「こんなに点滴の管つけて、まさか本当は重症って言う事はないよね。」


ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。それはただのブドウ糖液と、肝臓と膵臓の解毒剤です。
蒲団の下から伸びているコードはただの監視用モニターの心電図なの。
凄い重症みたいに見えるだけなのよ。あたしは元気だから心配しないで。

シンジが心配してる。こんな蒲団被ったままじゃ、顔色とか見えないから余計に心配させちゃうじゃない。

あっそうだ。


「う、うう〜ん。」


あたしは、寝返りを打つふりをして布団をはいだ。

バサッ。

これでよしっ。と思った瞬間なんか肌寒い?


「えっ。」


シンジが息を呑んだ気配。室内には心電図のモニター音だけが響いてる。
軽い毛布と布団は、払った勢いでベッドの下に落ちちゃったみたい。
あたし、そうだ、心電図の端子を寝巻きの前をはだけて胸や手足首なんかにつけたまま…きゃ、前、開いたままっ?
でも今更動け無いッ。まずいっ、まずいよこれ。
ほんの少しだけ薄目を開く。
布団を床から拾い上げ、それを抱いたまま真っ赤になってやや顔を横に向けて視線を落としているシンジ。

よかった。真っ直ぐ見たりしてない。でも。
それって、高校生の男の子としては不自然じゃ… 何考えてんのよあたしのバカッ。

大体あたしは最近耳年増って言うか、ヒカリあたりに悪い情報とか影響、受けすぎてんのよ。


「あ、―――アスカ。」


シンジのかすれた声。 

えっ。シンジ、こんどはじっとあたしの胸を、身体を、見てる。見てる。え、どうしよう。
あたしの身体は、あちこちに包帯が巻かれてる。眼帯もつけてる。
こんな痣だらけの傷だらけの身体なんか見せたくなかったな、ってあたしってば何考えてんのよっ!
問題は80%全裸状態でいるというこの状況でしょうっ!

部屋にはロックが掛かってるし、考えたらあたし、絶体絶命。
シンジは眠ってるあたしに何でも出来るわけで。
思わず身体をキュッと縮めていた。乙女の本能というもの? シンジ、信じてるけど。


シンジは暫くじっとしてたけど、布団をそっとあたしに掛けてくれた。
あたしは心底ほっとして、同時に心の中でシンジに詫びた。疑った事。試すような真似をしちゃった事。

心を落ち着けて、ゆっくりと、目を見開いた。
目の前には頬を幾分染めたシンジの顔があったんだけど、とても目を合わせる事なんかできない。
それはシンジの方も同じ事だったようで。


「シンジ。来てくれたんだ。」


布団を引っ張りあげ、目だけになって挨拶をした。
そう言うと、シンジはちょっと眩しそうな顔をしながら言った。


「もうさっき、一度来てたんだけどさ。ミサト先生と洞木もいたから遠慮したんだ。」

「そうだったの。その方が確かによかったかもね。あたし、眠ってた?」

「少し眠くなる薬でも入っているのかもしれないね。疲労を取らないといけないから。」

「そうかもね。肝臓の薬が入ると眠くなっちゃうの。」

「さっき、廊下でDr.に会って聞いたんだ。内臓を痛めてるのと一部の打撲も厳しいって。どこか痛む?」

「ううん。」


嘘。本当は胸の中が熱くて苦しくて。でもこれは病気じゃないの、知ってる。
この病気は薬じゃ治せないのを知ってる。


「あのさ、シンジ。」

「なんだい。何か食べたい物でもある?売店に売ってる物なら買ってくるよ。」

「そうじゃないよ。」


思わず苦笑しちゃった。よかった、これはいつものシンジだ。
ちょっと鈍感で、たまにキスを交わすくらいがやっとの、臆病で優しいいつものシンジ。
あたしが一人で意識してるのが馬鹿みたいな気持ちになっちゃう、あたしの――彼と言っていいのかな。

そうか、今日はあたしの方が立場強かったんだっけ。心の中でにんまり。


「シンジ、ちょっとこっちに来てよ。」

「何。」


シンジはあたしの顔の上にかぶさるように顔を重ねた。


「な、なによ。」

「いや、呼んだのは君だろ。」

「そ、そうよね。シンジ、あたし昨日頑張ったでしょ。約束どおり優勝したわよ。」

「そうだね。さすがはアスカだ。」

「あんたも鈍いわね。 だから! …ご褒美っ。」

「そ、そんな約束してたっけ。」

「ばーか。そんなのあたしが決めてただけに決まってんでしょ。それとも・・・」


あたしがぎゅっと睨むとしょうがないなと言う顔。

あっ、こいつ生意気。シンジのくせに生意気っ! ねだられたら光栄と思いなさいよねっ。

普通なら男の子のほうから頼むモンでしょ。そうよ、だいたいなんであたしが頼まなきゃなのよ。


「がたがた言わないで、ご褒美くれればいいのっ。」

「わかったよ。」


急に真剣な顔になったシンジ。あたしは不安になって顔を傾けると救いを求めるような気持ちになって窓を見た。
そこにはママが買って来た黄色いエニシダの花の束がいけてあって、その向こうは青空が見えた。

何も言わないまま、シンジの手があたしの頬に添えられて、あたしは彼の目と向き合った。

さっきの目とは違う、男の子の目。
あたしの唇にシンジの口が触れそうになって、シンジはあたしの頬に置いていた手を首筋にスライドさせた。
もう片方の手があたしの額を軽く抑え、あたしを枕に押し付けた。額が沈むとあたしの身体は首を中心に仰け反った。
閉じていたあたしの唇はぽっかりと隙間を開けた。まるで――シンジを待ち望んでるみたいに。
本当は今までと違うシンジの態度に少し脅えていた。少し怖かった。
なのに――温かい手があたしから抵抗する力を奪うの。

ああ、どうしてこんなに動悸が高まっちゃうんだろう。まるでシンジにこの音が聞こえて欲しいと願ってるみたいに。

シンジはゆっくりとあたしに自分の唇を重ねた。
エレベーターの中のあわただしく荒々しいキスとは違う。合宿のときの軽くついばむキスとも違う。

情感の篭った、あたしが多分望んでいた通りの大人っぽい口付け。あたしの唇はきっと震えてた。

そのままじっと、随分長いこと重ねられていた唇。シンジの事をもっと欲しいという想いが微かに唇を開かせた。
シンジの、多分あいつの舌の先が唇に触れ、あたしはその舌を押し戻そうとするように自分の舌をあてた。
その先同士があっという間に絡み合った。あたし、シンジを受け入れてる。絡む舌が心地良いと感じてる。

シンジはあたしの頭を抱え込むようにして胸の上まで自分の身体を重ねてきた。
本能的に抗おうとしても全然動けなかった。疲れてるからでも、痛めているからでもない。
シンジはちゃんとあたしが痛くないように身体を浮かせてくれていたもの。

――なのに、まるで力が入らなかった。どうして?

どうして―― そう思った途端、シンジはあたしの口の中を蹂躙しはじめた。
あたしの舌もそれにまるで協力しているようにシンジを迎えいれ、次第に気持ちが昂ぶっていく。
あたしの舌もシンジの中に入っていく。シンジの歯、シンジの頬の裏側。
溜まった唾液を飲み込んだ。シンジも。それを汚いとは全然思わなかった。不思議だよね。

頭の裏側が、陶酔で遠くなっていく。ジーンと痺れていく。そんな感覚だった。

シンジの唇が突然唇からはずれ、仰け反ったように差し出されていたあたしの首に吸い付いた。
そこをゆっくりと、あたしの匂いをかぐように耳元に向かって唇が這い上がっていく。

ざわざわと木の枝が揺れている。急に強い突風が吹くのはどこかで夕立になっているからだ。


「は、はぁ。」「ふわ、ぁんっ。」


だめ、そんなのだめ。首をすくめるようにしてシンジの胸を押し返した。
シンジはそこから離れ、頬に頬を押し当て熱い肌の感触を共有した。喘いだ拍子に飛び出たむき出しの肩。
そこから首へのラインにシンジが目をやってるのがわかる。シンジの手がそこに伸び、肩ごと抱きしめた。
もう一度、激しいキスが始っていた。
さっきよりもさらに深い、蕩けるようなキス。腰や腿にあてがわれた男の子の手。

求め合うキス。あたしは本能的にそれを知った。頭の中が、半ば考えるのを止めようとしてる。
もうこれ以上進んだら、引き返せなくなっちゃう。こんな病室でこれ以上はいや。


「だめ、シンジ。だめ。」


声を絞り出した。でも、なんてか細い声だろう。


「アスカ。僕――」

「だめよ。…お願い。」


シンジはわたしを布団ごと抱きしめた。両手があたしの身体を布団の上から感じ取っている。
今までの抱擁とは違う。今のシンジは、若い獣みたいになってあたしを知ろうとしているんだ。

あたしは尚もそうやってあたしを抱きしめているシンジに途惑っていた。どうしたらいい?
ううん、それは嘘かもしれない。あたしの中にもシンジに呼応する声がしてるのを意識していたから。
シンジに胸を押し付け、熱い吐息を漏れる、身体ごとこいつに反応している。

ベッドの上で、押し合う。シンジの手を払いのけたり押しのけたり。
ジーンとした痺れは後頭部だけでなく、身体の奥からも呼応している証(あかし)。


「だめ、ね、シンジ、止めよ。」

「アスカ。」


それから揉み合いになった。腰にあてがわれていた手が、あたしの脇腹を撫でていた。気持ちいい。
あたしの胸のふくらみにもシンジは手を伸ばし、優しくさわっている。むずがゆいような感覚。
あたしのふくらみをシンジはどう思ってるんだろう。ゆっくりと――触れている指に力が加わって。
わたしのお乳を確認してるように。思わず大きく吐き出したあたしの吐息。

こんなことをシンジが望んでるなんて、それを自分は喜んでるなんて。
もっと、触れられていたい?あたし自身もそれを望んでる?


「アスカ。」

「ダメ、だったら――、ね、シンジ、ちょっと待って。」


シンジの頬が熱い。あたしの身体中も気が狂ったように反応してる。
熱くなってる――い、ぁぁ。
もう何度目のキスかもわからない。霞んだ目の中でシンジが動いてる。シンジの手も、熱い身体、男の子の身体。
熱いため息、荒れた呼吸音にあたしのそれも重なる。

シンジ、あたしを求めてる。あたしもどこかで、それに答えてもいいと思ってる。我慢できないほど強い思い。
そのままもっと長い時間があったらどうなったかわからない。
でもその時、ホンの偶然だったんだろうけど、あたしを抱き直そうとしたシンジの手があたしの肢の奥に触れて
しまった。身体中に電気みたいなものが走った。もうあらかた無くなり掛けていた防衛本能みたいなもの、
一瞬で身体中の毛が逆立った。


「きゃ・・・っ!」「うわっ!」


膝がシンジの腹部に食い込むように打ち込まれ、あいつの身体が跳ね上がった。
同時に無意識に掌底をシンジの顎に押し当てるようにして放っており。
かわいそうなシンジは変な声を上げながらベッドの向こう側に転がり落ちて行った。

そんなシンジに構わず、ベッドの上であわてて服装を直す。心電図端子が全部外れて警告音が鳴っていた。
布団は半ばはがれ、剥き出しの胸と腰、脚が投げ出されていた。きちんと服装を直し、ベッドの上に正座した。
激しい呼吸と、おそらく紅潮した顔を一刻も早く普通に戻さなくては。布団を被る。
あと数秒でナースさんが飛んでくる。シンジは憑き物が落ちたように、床に座り込み頭を振っている。


「そこの椅子に座ってっ。ナースさんがすぐ来ちゃうから。」

「う、うん。」


さっきとは別人のようにうち萎れている。今回悪かったのはあたし。
先生たちが言ってたのはこういうことだったのね。男の子が怖いだけじゃない。自分たちだって同じなんだ。
暴発はしないかもしれないけど、燃え上がってしまったら押さえがきかなくなるのは同じなんだ。
例え、好き合ってる同士でも。


プシュッ、ガチャッ。

ロックが外れてドアが開いた。


「惚流さーん、どうかしましたか。」

「あ、すいません。寝返りしたら端子が外れちゃって。」

「ああ、それでね。」


ナースさんは何も言わずにカーテンを引き、端子を付け直してくれた。
カーテンが開くとシンジはもういなかった。
そりゃそうよね、いきなり裏切られたって言うか、ひどい目に会ってほっぽり出されたんだから。
男子の面目丸つぶれって奴?


「怒ってないといいけど。後で電話しておこう。」


そう口にした所で、ママが部屋に戻ってきた。結局下の待合室辺りでまた喋っていたんだわ。


「あら、アスカ。一体どうしたの。」


その時になって、あたしは自分が泣いているのに気付いたんだ。身体や脚が震えてる。
あたしは、シンジの事が怖くなっちゃったんだ。ううん、本当はずっと怖かったんだ。
軽はずみな事をしたと、ひどく後悔している自分。そんな自分にやっと気づいたんだ。
あたし…あたし…まだまだ、子供なんだってこと。その事を思い切り意識した。
部屋に差し込む光はすっかり翳り、もう灯りをつけなくちゃいけない時間だった。


「あ、あたし――」

「どうしたの一体。またシンジ君のことなの?」

「う、うん。」


あたしは、さっきあった事を正直にママに話した。


「そうかぁ。アスカもそんな事が起きる年頃になったのね。」


ママは窓の外の残照を眺めながら呟く様に言った。


「ごめんなさい・・・」

「そうね、パパが知ったらなんていうかしらね。でも私は多分パパとちょっと意見が違うわ。
シンジ君という男の子を信頼してるからかな。もちろんあなたの事もよ。
アスカ、あなたもいつか実際男の子と結ばれる日が来ると思うのよ、今日じゃなかっただけでね。」


あたしは、きっと不思議そうな顔をしていたに違いない。
いけない事をしちゃった、と思ってるあたしは、当然叱られるものと思っていたから。
今のママはママじゃなくてまるで一人の女性としてそこにいるようだった。


「その時がくれば男女は自然に結ばれるって言う人もいるけど、私はそうとも思ってないの。
その事はあなたも今日よく分かったんじゃないかしら。」

「うん。」

「シンジ君とだからそうなってしまったとあなたは思うかもしれない。でもそうじゃないのよ。
若い頃の恋が怖いのはね、その場の空気にも、優しい言葉にも、甘いマスクにも、流れにも弱いということなの。
何でこんな事になってしまったんだろうって思った時にはもう間に合わない。
本当に好きな人に何もいえない立場になってしまっていることもあるのよ。」


思った事もないことだった。けれど、今のあたしには何も言えなかった。
だって、今まさにその事を体験したばかりだったのだから。
でも、他の人とだってそうなるかもしれないなんて考えられなかった。


「信じられないって顔してるわね。でも何時でもあなたが冷静なときばかりとは限らない、そうでしょう?
人には心が乱れたり、冷静にものを考えていられない一瞬が確かにある。頭に血が上ってたり、お酒を飲んだり
したときとか、錯乱してる時だってあるでしょう?」

「あてつけとか、まだ取り返しが付く事なのに絶望して自殺したり、そういうこと?」

「そうね、そういうこともあるかもしれないわね。例えどんな事があったとしても、それに十分な余裕を持って
対処できるだけの知恵と賢さを女性は持たなきゃいけないって事よ。恋をするには資格がいるって事かな。
もっと高い視座を持たなきゃいけないってことでもあるわ。
もしかしたら自分の行いが新しい命をもたらす事だってあるのが女性にとっての恋ということでしょう?
自分だけの事を考えてるわけにはいかないわね。」

「男の子は?」


思わず尋ねてしまった。もしそういう事があったら、あいつならどう振舞うだろう。


「シンジ君がその時どう振舞うかもわからない程度で結ばれたいと思う?」

「ううん。でも、今のシンジならどうするかくらいは想像つく。」

「そうよね。あなたはキスがして欲しかった。シンジ君はしてくれた。ちょっと暴走したのは二人の共同責任ね。」

「だって――」


言いかけて、言うのをやめた。だって幾らなんでも恥ずかしかったから。自分もそれを望んでたかも、なんて。


「だって、シンジなんか、ほんのボーイフレンドで弟みたいなもんだと思ってたんだもん。油断してたのよ。」


ママにはそれが照れ隠しだって直ぐにわかっちゃったでしょうけど。


「ねぇアスカ。男なんて弱いものなのよ。キリストが十字架にかけられたとき偉そうにしていた男の弟子たちは
全て逃げ出し、最後まで公然と付き従っていたのは、女たちだけだったでしょう?」


そう言えばママとパパって最初教会で出会ったらしい。


「うろたえて逃げ出してしまうのは、男たちなのよ。弱い存在なの。
でもその弟子たちはマリアたちの言葉を信じキリストの復活を信じるようになる。
男と女ってこういうものなのかもしれないわね。男たちは否定したがるでしょうけど。」


そうね、男なんて大体において馬鹿ばっかしよ。もちろんシンジは違うけど…違うといいな。


「でも、どうであるにせよ、先に心を開きあってからじゃないと互いの事はわからないわね。
開いたその先になお深く埋もれている物があるのが人間と言う生き物。それも含めて好きになりあう。
それは賭けって言ってもいいくらいのリスクがある。ダメだったらやり直せばいいってものではないわね。
恋を経て愛に到る。それって自分を投げ打つだけの覚悟があってこそのもの。
女はそれを昔から続けてきたのに、男は限られた人しかその境地にはなかなか到れない。
アスカちゃん、あなたこれからが大変よ。」


そう言って、ママはにっこり笑った。パパってば考えたらどうしてこんな綺麗で聡明な人をママに出来たのかしら。
そんなに気が付くわけでもないし、優しくもなくてぶっきらぼうで、威張りんぼで、酒飲みなのに。


「ほんと。結ばれる前も、結ばれてから先も、女は男の面倒をみてやらなくちゃいけないのね。」


あたしはママと顔を見合わせて笑った。明日シンジがおどおど謝って来たら、笑って許してやろう。
それからあたしは言った。


「ねえ、もう一つ聞いてもいい?ママはパパのどこがよくて結婚したわけ?」


ママはびっくりしちゃうほどカーッと真っ赤になった。あらら。














第39話へつづく

『もう一度ジュウシマツを』専用ページ

 

もう一度ジュウシマツを(38)今日はちょっと内緒の話 2005-03-12 komedokoro






「もう一度ジュウシマツを」第38話です。
……。
読者として、わくわく。
管理人として、はらはら……(笑)。
12禁作品です。小学生の方は読まないように(爆)。

あそこで止まってよかった。いや、管理人としてではありません。
二人の初めてが病室というのはさすがにまずいでしょう。
もっとしかるべき場所で…あ、でもここでは掲載できないなぁ。残念だけど。
ともかくアスカのお母さんの話はいいですね。
父親という存在と違って、ただ叱るだけではない。
いや、こういう話をされると叱られるより堪えるものです。
ゲンドウがシンジに諭すような話をするはずもないし…。
何とか自分で成長してもらいますか。かわいそうだけど。

どうやら、シンジ君は病室のアスカというシチュエーションでは歯止めが利かなくなるようで(笑)。
本当に内緒のお話でした。今回は。
ご投稿、ありがとうございました、こめどころ様。
(文責:ジュン)

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