コタツを持ち上げると綺麗な四角い跡が残った。とんでもない事だ。

 幾らなんでもこれは酷すぎる。
 少し反省しながら少女はゴミ袋をつかんでその中に丸めたレポート用紙や、
 めがねを拭いた後のティッシュや、お菓子の殻なんかを放り込み始めた。
 そうするとコタツの上のジュースの空き缶が転げ落ちてきた。それもかまわず放り込む。
 とにかく全部一袋にまとめて時間的余裕があったら後で分別すればいいやと思ったのだ。
 とにかく5時には敵襲があるのだ。
 この時ばかりはいつも狭い狭いと文句を言っている部屋が、6畳しかないことに感謝した。
 隣の4畳半は寝室だからと言って立ち入らせないようにしよう。
 ああ、それから脱ぎ捨てたままになっているブラウスやセーターも何とかしなくちゃ。掃除機もかけなくちゃ。
 パソコンの横に溜まっている灰皿も、跡形もなく消し去らなければならない。
 クリスマスで飲んだワインのビンや缶ビールまでがそのまま台所に林立してるのだ。
 あれもなんとかしなくちゃ。ああ! 流しも、トイレも、窓ガラスもっ!


「うるさいなあ、一体何を始めたのよ。」


 隣の部屋に住んでいる同じ研究室仲間の綾波レイが顔を覗かせた。






 

幸せをつかんだとき

 

こめどころ 




 







「あっ、レイ! いいとこに来たぁ。お願いお願い!お掃除手伝って!」

「掃除ぃ〜〜?嫌よあたしだって掃除なんか大っ嫌いだもん。」

「お願いッ! なんでも条件飲むから!」

「う〜〜ん、よっぽど困ってるみたいねえ。何事よ。」

「か、彼が・・・来るの。」


 ずざあああ〜〜っと青いシャギーを前髪に入れた少女は飛び退った。


「な、なんて無謀なことをっ! あんた、碇君と別れたいわけっ!」

「そんなわけないでしょッ! だから頼んでるんじゃないのよ〜〜。」

「だって、今日日曜日だよ。生ゴミリサイクルゴミ、ビンゴミ、不燃ゴミ、電池危険物ゴミ。

 何も出せない日だよっ。まとめた後どこに置くんだよ。」

「うぇえ〜〜〜ん、どうしよう。捨てられちゃうよう〜〜。」


 もはや赤金の髪をした少女は、瞳一杯に涙をためている。

 これはさすがに友人として女同士として見捨てるわけにはいかない状況である。


「しょうがないっ!とにかくゴミ袋に何もかもぶちこむのよっ!」

「ありがとう〜〜レイ〜〜。」

「惣流アスカ!この貸しは高っかくつくよ〜〜覚悟の上だね。」

「神様仏様阿弥陀様レイ様〜〜。」


 膝を突いて手を合わせるアスカ。


「あんた、ドイツ系の外国人でしょうが。」

「もうとっくにマリア様には見捨てられてるもん〜〜。」

「そうだよねぇ、女の子の癖にこの惨状じゃねえ。」


 レイは溜息をつくと腕まくりをし、猛然と流しに溜まった茶碗なんかを洗い出した。

 アスカは2度もコンビニとの間をゴミ袋やクレンザーやカビキラーを買いに自転車で吹っ飛ばした。


「窓、窓開けてっ!それからあんたはトイレ掃除っ! 

いい?舐めてもいいくらいに磨き上げて、ぴっかぴかにすんのよっ!」

「えと・・・ゴム手袋ない。」

「なあに甘ったれてんのよっ!
 そこにある古いパジャマ引き裂いてそれで洗剤かけた後をごしごしこするのよっ!
 後でちゃんと手を洗えば汚くなんかないっ!」

「はっ、はああいいっ!」


 吹っ飛んでいって必死にこすり始める。
 それを見たレイは、思わず微笑んだ。


 ・・・可愛くなっちゃって。よっぽどシンジ君に嫌われたくないんだねえ。
 ま。これで少しは懲りるかな。


「よう、何の用、いきなり呼び出すなんて。」

「あっ、来た来た。マナッあんたはね、窓ガラス拭きよ。毛筋ひとつ程も汚れを残すんじゃないよっ!」


 いきなり普段は物静かなレイに頭ごなしに言われては抵抗のしようもなく、只、ひたすら言うなりになるしかない。
 高校に入ってからするすると背が伸びたマナは、貴重な手の届かない所攻撃要員として呼びつけられたのだった。
 ちらりとアスカの方を見ると目が合った。

『なんなのよ、これは!』

 口をパクパクさせると、アスカの方はひたすら両手を頭に上で合わせて、へこへことするばかり。
 なーにか・・・しょうないなあ・・・


 約2時間で部屋の中は片付いた。


「へえ、シンジ君が来るのかあ。何でまた急に。今まで立ち入らせてなかったじゃない。」

「実は今日ね、遊びに行こうと思って昨日あいつのクラブハウスに行ったのよ。
 そうしたらね、ほら1年生のあそこのマネージャーがいるでしょ。
 アノコがね、シンジのこと買い物に付き合ってくれないかって誘ってたの。
 誘惑みえみえで・・・」

「なかなか目が高いわね。碇君に目をつけるとは。大して目立つ人じゃないのに。うんうん。」


 レイは納得言った様子で肯く。


「それは脅威よね。あの子凄く可愛いもんな。」


 腕を組んだマナもうんうんと頷く。


「それでつい、明日はシンジはうちに泊まりに来るので遠慮してくれないって。」

「おおおお〜〜〜!」


 綾波レイらしからぬ叫びと、マナの含み笑いの声。


「そりゃまた大胆な発言ですねえ。所有宣言と同時に自らを投げ打つ約束を?」


 しかしながらさすがに驚いた様子。
 そりゃあそうだ、3人は長い付き合いだからアスカとシンジが好きあってるのは知っているけれど、
 まだ大人の関係じゃないのも知っていたから。
 特に自分の部屋に入れたり彼の部屋に入ったりもしてないことも。


「投げ打つって・・・そうでも言わないと、あいつあの子に付き合っていきそうだったし。
 クラブのユニフォームの購入の手配だったから断りづらい事だったの。」

「成る程、地の利は時の利は彼方にあったわけね。」

「そりゃあもう、本土決戦あるのみね。」

「他人事だと思って・・・レイってほんとに性格変わったよね。」


 恨めしそうにレイを見上げるアスカ。


「そう?わからないわ。」

「こんなときばかり昔の台詞つかって。」

「昔のアスカだったら、行きたきゃいけばいいでしょッ!
 あいつのことなんか知らない!って、言ったんじゃないかな?」


 ばらばらっと、床に涙がこぼれた。びっくりしてアスカを見る二人。


「だって・・・だって・・・あたし、シンジの事大好きなんだもの。
 前みたいに意地を張ってられないくらい好きなんだもん。
 どうして、こんなに弱くなっちゃったんだろう。自分でもわかんないよ。
 あいつから、目が離せないんだもん。
 大好きで、大好きで、ついシンジを見てるの、目で追ってるの、シンジの声を聞くと身体がぽうっとなるんだもの。」


 あっけに取られているレイとマナ。アスカ、何時の間にこんなに女の子になっちゃったの?
 これじゃまるで、本当に恋する乙女みたいじゃない。
 泣きじゃくって、シンジへの想いを、こんなに素直に出せるなんて。
 アスカ。よかったね、あなた、本当に幸せをつかんだんだね。良かったね。

 泣いているアスカを見て、自分たちも涙が滲んでしまうレイとマナだった。


「わ、わたしも、もう少し素直にならなくちゃいけないかな。ムサシに。」


 マナが言うと、レイも目をちょっとこすって言った。


「そうね・・・愛する人がいる。愛してくれる人がいる。私たちはその為に生きてるのね。」


 ・・・そう、幸せになるには素直になると言うことが必要なのね。
 ・・・それは、戦いに赴くよりもずっと勇気のいることなのかもしれない。




 埃だらけになった3人は、近くのお風呂屋さんに駆け込んで、笑いさざめきながら頭を洗い、背中のながしっこをした。
 ほかほかにゆだってアパートに戻ると、ドアの前にシンジがなんだか一杯荷物を持って立っていた。


「シンジィ!もう来たの!」

「ちょっと早いかなあと思ったけど、ほら、鍋物の準備とかしてきたから!
 レイやマナも来るかなって思ってさぁ!」


 早めに掃除が済んでてよかった。と、胸をなでおろす3人。しかし・・・



『大馬鹿者の朴念仁ね、あいかわらず。』

 マナがつぶやく。

『わたし、時々、碇くんて本当にあの司令の息子かなって思うことある。』

 レイもぼそぼそと言う。

『あいつ、ほんとにあたしのことどう思ってるんだろう。不安になっちゃう。』

 アスカががっくりと肩を落とす。

『頑張れ、今日はこのレイちゃんが何とかしてあげる。』


 少女たちは一瞬で会話を終らせると、シンジに笑いながら手を振った。



「そうか、残念だね。レイはマナの所にお泊りに行くのか。」

「前からの予定だったので家族も楽しみにしてるしね。ムサシも来るし。」

「そう、だから悪いけど。ゆっくりしていきなさい、アスカのとこに来たの初めてでしょ。」


 途端に頬を染めるシンジとアスカ。
 ちなみにレイがマナの所に泊まるのは、むろん部屋中がアスカの部屋から出たゴミ袋で埋まっているためである。


「そうだ、碇君ちょっと。」


 レイが思いついたようにシンジを呼ぶ。


「何?綾波。」

「あなた、幸せってものがどういうものだか知ってる?」

「うん、今僕はとても幸せだよ。」

「でも、その中でそれがなければ幸せには絶対なれないものってあるでしょう。」

「なければならないもの?」

「そう。大切なものほど儚くて失くしやすいもの。しっかりつかまないとだめなの。」

「なんだろう・・・」

「時間は何時までも同じように流れない。明日死ぬかもしれない所で私たちは戦ったわ。」

「そうだったね。」

「そのときの自分を思い出して。勇気を出して。」


 レイの目は、何時になく真剣だった。


「言葉にしてね。」

「え・・・」


 車は発進した。それをシンジは見送った。






 二人きりの食事が終った。ぴかぴかに磨き上げられた友情の部屋はシンジを十分に驚かせた。
 さすがに女の子は綺麗にしてるんだなあと、感動するほどだった。
 一緒に暮らしていた頃とはやっぱり違うよね。
 アスカももうすっかり・・・大人なんだもの。

 ・・・大人。

 洗い物をしているアスカの後姿を見てシンジはやっと気がついた。

 僕らは・・・いつの間にか大人になってたんだ。

 タオルで手を拭いて、アスカがコタツに戻ってきた。
 コタツに足を入れるとシンジの脚に膝が当たった。慌ててシンジは脚を引っ込める。
 丸くて優しいアスカの膝小僧の感触が足の裏に残ってる。
 匂い立つようなアスカの姿を改めて意識した。


 ・・・そうだよね、僕らはもう14歳の時とは違うんだね。
 でも、僕は心配なことがある。
 僕は、愛されたことがない、愛すると言うことがどうも良く分からない。
 そんな自分が、本当に人を・・・アスカを・・・愛しつづけていけるのだろうか。


 コタツの上にはみかんがざるに入って置かれている。シンジのお土産だ。


「ねえ、シンジ。」

「うん?」

「思うんだけど、この温州みかんとおこたの取り合わせって凄いよね。」

「冬の定番だね。」

「ほら、いちいちナイフがなくても手でむける柑橘類って世界中にこれしかないんだよ。」

「そうなの?知らなかった。言われてみればそうだね。」


 二人は同時にみかんに手を出した。ちょっと戸惑った後、笑顔をかわした。


「こんなに簡単に皮がむけるなんて素敵よね。あっ!」


 そう言いながら皮をむいていたアスカが悲鳴を上げた。


「どうしたのっ!」

「しぶきが目に入って・・・いたたた。」


 とっさにシンジはアスカの横に行って顔を上向けた。


「こすっちゃだめだ。もっと痛くなるよ。」

「でも・・・」

「目、軽くつぶって・・・力抜いてね。」

「はい。」


 シンジは顔を近づけると、そっとアスカの瞼に、まつげに沿って舌を這わした。


「あ・・・ん。」


 アスカはびっくりしたが、我慢した。アスカの目に滲んだ涙は薄い塩味がした。
 微かに、ミカンの香りも。


「よく・・・埃とか。ミカンのしぶきとか、シャンプーが目に入ったときに・・」


 ああ、そうだ。思い出した。
 母さんにこうやって抱えられて睫を舐めてもらったっけ。
 ああ、どうして今まで忘れてたんだろう。
 ・・・安心できる、膝の上の感触。柔らかな。
 母さんの思い出。愛された思い出・・・僕にもあったじゃないか。
 忘れてなかった。忘れてなかったんだ。
 僕にも、愛された思い出があったんだ。


「もう、大丈夫?アスカ。」


 ゆっくりと、アスカの大きな瞳が開いた。
 ・・・僕の一番大切な女の子。そして、僕に大切なことを想いださせてくれた。

 女の子って、不思議だ。男は女の子にいつも救われているのかもしれないね。



「うん。もう痛くないよ、平気。」


 それから、不思議そうに尋ねた。


「どうして、シンジの目にも涙がたまっているの?」

「あはは、僕もミカンがはねたみたい。」


 アスカは体を入れ替えてシンジの頭を膝に乗せると、自分がされたのと同じようにシンジの睫に舌を這わせてそっと舐め取った。


「アスカ・・・」

「なに?シンジ・・・」

「ありがとう。もう痛くないよ。」

「でも、もう片方も涙が滲んでる。」


 そういうと、アスカはもう片方の目にも唇が触れるほど顔を寄せて、ゆっくりと丹念にシンジの涙を舐め取った。
 目を開けると、アスカの青い瞳があった。


「・・・アスカ。僕ね・・・よく目に埃がはいるんだ。」

「あたしも・・・」


 二人はそのままそっと抱き合った。コタツに入った足が暖かい。
 同じように触れ合っている頬が温かい。コタツの布団が柔らかい。
 シンジは座布団を折り曲げて頭の下に敷き、アスカはシンジの脇のくぼみに頭を預けた。
 アスカの長くて豊かな髪は、さっき洗ったときのリンスとシャンプーの匂いがした。


「アスカ。僕は、アスカを幸せにしたい。アスカの幸せって何。」

「・・・知らない。」

「僕の幸せは・・・今だ。」

「そう・・・」

「今、こうしてる、この時が一番幸せだ。」

「そう。」

「アスカが腕の中にいて・・アスカの香りがあって・・・
 こうやって少し眠くなりかけてる、こたつの中で・・・
 君を、お嫁さんにして・・ずっと、幾つもの冬をこうして。」

「・・・幾つもの冬を。」

「アスカ・・・」

「ん・・・」

「kiss、するよ。」


 アスカの、ばら色の唇が少しだけシンジに向かって開いた。
 上下に開いた唇が少しづつ離れて行く。


「シン・・・」


 シンジの唇の中で「ジ」と言う音が溶けた。







 さて、こうして3人の少女の一人は幸せを無事つかんだ。
 大量のゴミ袋を開き分別しなおすのにアスカが徹夜をしたことがあったのも御愛嬌だった。
 2週間がかりで、ゴミを出し終わった(中には2週間に一度しか収拾のないゴミもあるので)あと、
 彼女に部屋はいつも綺麗で、ぴかぴかだったことを彼女の名誉のためにも付け加えておこう。
 厚い友情はその後も維持され、レイやマナが初めて彼を部屋に入れるときも、
 協力しあって部屋を磨いたことも付け加えておこう。






「ツバサ! ツバサ! ちゃんとお部屋を片付けなさい!」

「あーもう、いまやろうと思ってたのにい。」

「お部屋をちゃんと片付けないと彼も呼べないでしょ。」

「そんなの・・・いないもん。」

「そうかしら?ここに何かお手紙が着てるんですけど。」

「あーーっ!それあたしのっ!」


 アスカは愛娘のツバサが飛びついた手紙をさっと上に持ち上げた。
 いまどきわざわざ手紙を送るとは、なかなか古風な好男子と見た。


「お掃除したら、わたしたげるわ。」

「ひどーいっ!パパに言いつけてやる!」

「パパだってお部屋の掃除はしなさいって言うわよ。
 ママが一生懸命お掃除したお部屋で、パパはプロポーズしてくれたんですもの。」

「はいはい!ようございましたね!じゃあ、掃除やるから出てって。
 それから絶対中身見たらだめだからね!」

「見ませんとも。」



 アスカは居間に戻ると、そこにいたシンジを見て大声を上げた。


「ああ、またこんなにコタツの周りをゴミだらけにして、
 コタツを上げたら四角い跡ができるんじゃないかしら?」

「あ、ははは、そうだね・・・後で片付けるよ、・・・はいはいすぐにね。」


 立ち上がったシンジはちょっとぼやいた。


「うちの奥さん、ちょっと綺麗好き過ぎるんじゃないのかなぁ。」











幸せをつかんだとき           02-Feb-2003 komedokoro


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<アスカ>こめどころ様から、またまたとってもいいお話を頂いたわ!
<某管理人>うわっ!毎度おおきに。ほんまにありがとうございます。
<アスカ>こめどころ様ってホント大人よね。アンタも見習ってみなさいよ!
<某管理人>あの…。書きたいのはヤマヤマなんですが、その…。
<アスカ>ま、アンタにあんなに美しい描写は出来ないでしょうけど。何事も特訓、特訓…。
<某管理人>ふへ!そや、アップの準備してこな。
<アスカ>あ、また逃げ出した。この根性無しが。じゃ、いつものように私が。

 レイもマナも私とシンジのことを認めてくれているの。
 まあシンジは相変わらずって思っていたら、あわわわ!
 火口の時と一緒で、私の危機にはとっさに体が動いてくれるのよね。
 これから二人は大人の関係…ぼふっ!は、恥ずかしいわね、もう!も、もういいでしょ、じゃあね!

 ホントにいいお話をありがとうございました!
 
 

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