前作までの設定を引きずっております。先にそちらをお読みいただけると幸いです。
 タヌキ
 

 

LASから始まる
 
新たな戦い
 
11

 


 

タヌキ        2005.01.03

 

 










 唯一残ったエヴァ、初号機の専属パイロットである碇シンジを手にしたものが世界を制
する。使徒と呼ばれた共通の敵との戦いを終えた人という種族は、再び同族で争うことを
選んだ。それは少しだけ優しくなった人類に幻想を抱いていた14歳という少年の心を傷
つけるに十二分である。シンジが願った補完を唯一知っている惣流・アスカ・ラングレー
は、それを避けたいが為に裏で自分が動き、シンジを守り抜くつもりであった。
 しかし、シンジは知ってしまった。20世紀世界を二分した大国への復帰を狙うロシア
から派遣された刺客、イリーナ・ガルバチョフという少女によって。


「アタシ、どうしよう。とうとうシンジに知られてしまった」

 いつもより早くに連れ出されていった碇シンジを見送ったアスカが力のない声で呟く。

「どうしたんですか? 三佐」

 アスカの補佐役として病院に詰めているネルフ諜報部別班班長水城一尉が驚いたように
アスカの顔を覗きこむ。

「シンジの信頼を裏切ってしまった。ああ。どうしたらいいの? もう、シンジはアタシ
のことを捨てるかもしれない」

 アスカが酷く落ち込む。

「惣流さん」

 水城一尉が部下から女としての先輩に変わる。アスカがシンジに依存しきっていること
をよく知っている。

「なにがあったの? 」

 優しい声にアスカが震える瞳で見上げる。

「昨日から……」


 イリーナへの献血しすぎで倒れたシンジが病室に戻ってきてからのことをアスカは話し
た。鬱ぎ込むシンジ、アスカと眼をあわそうとしないシンジ、返事をしてくれないシンジ、
かつて使徒戦役終盤のようだ。アスカにとって怒鳴りつけられるよりも堪えた。

「今回だけじゃないのね? 過去にも何かあったのね」

 さすがに人生経験豊富な? 諜報部員である。アスカの様子から気づいたようである。

「バルティエルのことを覚えている? 」

 アスカの問いに水城一尉が答える。

「エヴァ参号機に寄生した奴ですね。確か初号機が殲滅したはず」

「詳細は知らないの? 」

「はい。みっともない話ですが、あの頃ちょうど加持リョウジがトリプルスパイだと判っ
たばかりで、諜報部はその後始末で手一杯だったもので」

 水城一尉が小さく肩をすくめる。口調はすでに部下に戻っている。
 無理もない。加持リョウジは、それほど諜報部では重視された存在だった。司令であっ
た碇ゲンドウの懐刀、エヴァ弐号機専属パイロット惣流・アスカ・ラングレーの専属ガー
ド、作戦部長葛城ミサトの元恋人、技術部長赤木リツコの同級生、そしてネルフの諜報副
部長。司令部、保安部、作戦部、技術部、諜報部とネルフの根幹全てに太いパイプを持っ
ていた未来の幹部候補生だったのだ。それが、日本内務省と秘密組織ゼーレに雇われたス
パイであったのだ。ネルフの機密など筒抜けも良いところである。加持がスパイだと判っ
てからの諜報部は、他部からの嘲笑を浴びながら後始末に奔走、それこそ周囲のことなど
何も見えない状態であった。

「参号機のパイロットが誰だったかも知らないわけね」

 水城一尉が頷くのを見てアスカは話を進める。

「鈴原トウジ、この名前に覚えはない? 」

「碇シンジ二尉の友人では? 」

「そう。使徒に乗っ取られた参号機に搭乗していたパイロットは、フォースチルドレンに
選抜されたばかりの鈴原だったの。それをシンジ以外全員が知っていた」

「どういうことですか? 」

「リツコは言う気がなかった。ミサトは言えなかった、アタシはミサトが言うべきだと思
っていた。ファーストがどう思っていたかは知らないけど、アイツも言わなかった。そし
てシンジは親友がエントリープラグに居るとは知らされずに殲滅を命じられた」

「妙ですね。惣流三佐が知っているのに碇二尉が知らないと言うのは……」

「アタシの場合は偶然だったわ。加持のところに遊びに行ったら、ちょうどフォースチル
ドレンの履歴がモニターに出ていたのよ。もっとも今から思えば、あれもアタシたちを壊
すための策略だったんだろうけどね。ちょうどあのころ、アタシはシンジにシンクロ率で
負けて精神的に不安定だった。シンジに負けたくないという意識が鈴原のことを知ってい
ながら言わないだろうと計算されていた。そして、シンジが鈴原が載っていることに気づ
き、同居しているアタシがそのことを黙っていたと知ったとき、アタシとシンジの信頼は
完全に崩れた」

 あの時、アスカの言い訳をシンジは聞こうともしなかった。当時のアスカにとってそれ
は理不尽としか思えなかったが、今から思えば、なんと馬鹿だったのだろう。言えなかっ
たのなら謝れば良かった。シンジにトウジは倒せない。だからアタシがやらなきゃ。その
決意が間違っていたとは思わないが、戦う間もなく敗れてしまったのでは、言い訳にもな
らない。

「あとは奈落の底に落ちていくようにアタシたちは壊れて、ゼーレの思惑通り人類補完計
画は発動した。加持は見事に役目を果たしたのよ。まあ、今は生きているかどうかさえ分
からないけどね」

 アスカの声には何の感情も含まれていない。

「そして、アタシは今回も同じ事をしてしまった。人に優しさの可能性を見て人類を再生
を望んだシンジに醜い争いごとを見せたくない。アタシはそう思ってシンジに4人娘のこ
とを教えなかった。でも、今から思えばそれはシンジを一個の人間と観ていないというこ
と。シンジをアタシより下だと見ていたの。そう、アタシが守ってあげる。なんと傲慢な」

 アスカは自分の行為がどれほどシンジを傷つけたか、あらためて衝撃を受けていた。

「惣流三佐……」

 水城一尉が髪の毛を振り乱して喚くアスカに言葉を無くしている。

「あなたは知らないわよね。サードインパクト時、神になったシンジが望んだ本当のこと
を」

「はい」

「シンジが望んだのは、アタシ。アイツはアタシを欲しがった。他人としてシンジがシン
ジであるために必要な認識者として。同じトラウマを持つ同じ存在として。そしてアタシ
が生きていくためにはアタシと関わりのあった人が必要。ミサト、リツコ、マヤ、ヒカリ
たち。彼女たちにも人間関係はあった。その連鎖は無限の広がりを持つ。だからシンジは
LCLに溶けこんだ人類に再生のチャンスを与えた。心の壁を再びまとう勇気のある人の
存在を」

「…………」

 アスカの話に水城一尉は沈黙した。言う言葉を持たないと言うより唖然としているとい
うべきだろう。無理もない、自分が、いや、世界全ての人間の存在が、このわずか14歳
の少女の為だと言われたのだ。そして、それが真実だと理解できる地位に彼女はいた。

「だから、アタシとシンジは絶対に同格でなければならないの。でも、アタシはそれを判
っていながらやってしまった」

 アスカの首が再びうなだれる。
 それは辣腕諜報部部長惣流・アスカ・ラングレー三佐ではなく、14歳の恋する乙女、
惣流・アスカ・ラングレーの姿であった。

「惣流さん」

 どのくらい静かな時間があったのだろう。すすり泣くアスカに水城一尉が声をかけた。

「いいじゃないですか。人というものは失敗して成長していくんです。惣流さんの判断は
間違ってなかったと思いますよ。わたしは碇さんと知りあってまだ数ヶ月にしかなりませ
んけど、彼の性格は有る程度理解してます。彼は何でもかんでも自分の中に取りこんで、
自分を責め、自分を罰することで他人を傷つけまいとする。一見すると優しそうに見えま
すが、そうではないですよね。そうすることで彼は物事を正面から受け止めないで、受け
流そうとしている。違いますか? 」

「…………」

 アスカは俯いたまま頭を小さく上下に振る。

「それに対して惣流さんは、全てのものを自分の正面に置いて突き破ることで前に進んで
いこうとする。自分を傷つけないためなら他人を傷つけることも平気。一見すると強引な
がら物事を積極的に捕らえているようですが、根本的な解決しようとはしていない。やは
り逃げて居るんです。違いますか? 」

「…………」

 再びアスカが首肯する。

「二人は結局同じなんですよ。逃げているだけ」

 普段なら反発するこの言葉にさえアスカは対抗できない。気迫無くうなだれたまま。

「でも、逃げても良いんじゃないですか? 惣流さんも碇さんもまだ14歳なんですよ。
わたしが14歳の時って、こんな争いのことなんか考えてませんでしたよ。セカンドイン
パクトの3年後でしたけどね。日本の復興はほとんどなってましたし、人口が減ったおか
げで子供は大切にされました。学校に通って友達とテレビのアイドルのことや同級生の男
の子の話で毎日を潰すだけでした。問題から逃げるどころか、問題すら無かった。それが
普通の14歳なんです。全部自分で背負おうなんて、増長するにもほどがあります」

 水城一尉の声が厳しくなる。

「水城……」

 アスカはわずかに顔を上げる。

「一人なら逃げても二人なら立ち向かえる。そうなんでしょ、あなたたちは」

 水城一尉が優しくなり、お姉さんのように諭す。

「ガキエル、イスラフェル、サンダルフォン、世界中の軍隊が束になってもかなわない使
徒を二人の協力でいくつ倒しました? 一人だったらどれ一つ倒せてないんじゃないです
か? 」

「ええ」

 アスカは思い出していた。あの数ヶ月の中で充実していた頃を。目に光を取り戻し始め
る。

「判っていた。アタシとシンジが息を合わせれば、何でも出来るって。でも、それを認め
ることをアタシの存在、トップエリートとしての矜持が許さなかった。協力しないとなに
もできない子供だと思われたくなかった。だからシンジを排斥しようとした」

「それが間違いだったって気づいたんでしょ」

「うん」

 アスカが子供のように素直に応える。

「だったら、どうすればいいかはわかるはずです。惣流さんは、碇くんのことが好き、碇
くんは惣流さんの事が好き。なら、なにも心配はいらないはずです」

「ふん、違うわ。好きじゃなくて大好きなのよ」

 アスカはようやく自分を取り戻せた。




 誰もいない教室に入った呂貞春、マリア・マクリアータ、フランソワーズ・立花・ウオ
ルターは、碇シンジを入り口で待機させると室内の点検に散った。
 三人が机の中、教壇、窓、電灯の傘と注意深く探っているのをシンジは、力のない眼で
見ている。

「どうしたのよ、あれ」

 マリアがシンジに向かって顎をしゃくりながら呂貞春に問う。

「わかりません。わたしが最後に会ったときは、あんなんじゃなかったですから」

「まるで死んでいるみたいですね」

 呂貞春の答えにフランソワーズが続ける。

「あれじゃあ、データーにあったサードインパクト前とまったく同じじゃない」

 マリアの意見に二人も同意する。

「あの乳だけ女は、死んでないんでしょ」

「ええ。意識不明の重態には違いないですが、命は取り留めたようです」

 昨日味方によって撃たれたイリーナは、応急処置が早かったのとシンジの身を犠牲した
献血によって助かっていた。

「碇、ちょっと来なさい」

 マリアがシンジを呼ぶ。シンジは無表情なままで近づく。

「何があったのよ? 」

 左手を腰にあててびしっと右人差し指を突きだすその姿は往事のアスカの雰囲気そのま
まである。

「ほっといてよ」

 シンジの声は、聞き耳を立てていないと判らないほど小さい。

「碇さん」

「もう、ほっといてくれよ。僕はもう駄目なんだよ。僕が居るとまた人が傷つくんだ。ア
スカも僕なんかと一緒にいたら殺されてしまう。やっとエヴァから解放されて普通の女の
子になれたのに。僕が居てはいけないんだ」

 シンジの声はだんだん引きつるように大きくなっていく。

「なんなのよ。あんたの言っていることまったく判らないわよ」

 マリアがいらつく。

「ちゃんと説明しなさいよ」

 マリアの手がシンジの襟を掴む。

「静かに」

 フランソワーズが耳を澄ます。校庭を走る足音をとらえたらしい。

「突破された? 」

 呂貞春の顔色がすっと変わった。

「おそらく」

「ちっ、ネルフの諜報部もたいしたこと無いわね」

 シンジの襟を乱暴に突き放しながらマリアが愚痴る。
 三人の手が鞄の中に突っこまれ、黒光りする鉄のかたまりを取り出す。

「ロシアの特殊部隊ですからね。そこらの軍隊では相手になりませんよ」

 呂貞春が教室前方の扉へと走りながら言う。

「後ろは私が」

 フランソワーズが後方の扉に向かう。
 机を倒してバリケードを作り、廊下に橋頭堡を築く。

「ここに入ってなさい」

 マリアが机を倒して簡単な陣地を作りそこにシンジを放りこむ。マリアの担当は窓側で
ある。

「予備はスリーマガジン、48発だけか。無駄弾は使えないわね」

「大丈夫、今頃援軍が向かっているはずです」

「急いで欲しいです」

 三人は緊張しながらも余裕を失っていない。だが、彼女たちは援軍を送りだすべき本部
が襲撃されていることを知らない。

「そろそろ来ますわ」

 フランソワーズがそう言ったとき、まず、校舎入り口で派手な爆発音がした。

「単純なトラップだけど引っかかってくれたようね」

 マリアがほっとした顔を見せる。世界最強といわれるアメリカ海兵隊の特殊部隊シール
ズと肩を並べるロシア特殊部隊スペツナズの名前は、恐怖をもって語られている。

「でも、これで残りのトラップは全部無駄になりました」

 フランソワーズがため息をつく。
 成功は同時にトラップがあると教えてしまったことにもなる。三階にあるこの教室まで
に仕掛けた数々のトラップは今や時間稼ぎでしかない。有ると判っていて罠に落ちるやつ
はいない。

「一気に攻め上がってこないだけいいと思いなさい」

 マリアが手鏡で窓の外を窺う。頭を出すほど無謀ではない。

「玄関前に3人、1人が別れたわ」

「特殊部隊の一個分隊は五人。となると一人倒れてくれた」

「甘いわね」

 呂貞春の考えをマリアが一蹴した。

「いくらネルフの諜報部がぼんくらでも1人も人数を減らせないとは思えない。だから進
軍してきたのは二個分隊と考えるべきね」

「となるとまだ居ると」

「ええ。おそらく最初から裏手に回ったのが二人はいるはず」

 マリアは口調だけでなく戦術的な判断もアスカそっくりである。相当兵士としての訓練
を積んでいる。

「となると全部で最低五人を相手にしなければならないということですか」

 フランソワーズの顔が固くなる。

「素人に毛の生えた程度のあたしたちでは時間稼ぎが精一杯。それも何分延ばせるかとい
うレベル。排除は絶対無理」

「逃げた方が良い。僕を置いて逃げればいい。あいつらの目標は僕だから、みんなには手
出ししないと思う」

 シンジがぼそっと呟くように言う。

「あんた馬鹿ぁ? それが出来るくらいなら最初からやっているわよ。あんたを守るため
にあたしたちが苦労して居るんだからね。第一ここで逃げたら、レースから降りなきゃな
らない。このマリア・マクリアータさまがそんな無様なまね出来るわけ無いでしょう」

 マリアがシンジを怒鳴りつける。

「でも、そうしないと死んじゃうんだよ」

「うっさいわね。あんたはそこで頭抱えて震えていればいいの」

 マリアがそう言ったとき、呂貞春が発砲した。

「来た」

 その声にマリアはさっと腰を落とすと窓際に這う。壁にもたれるようにして再び手鏡で
様子を窺う。
 甲高いラッパのような音が続く。敵方の自動小銃だ。

「さすがはネルフです。小銃弾くらいなら防いでくれます、この机」

 呂貞春が感動の声をあげる。かつて適格者候補を集めていた第一中学校である。備品は
全て対テロ用の特殊なものばかりである。

「ということはガラスも防弾よね」

 マリアは、様子を観るために開けていた窓をそっと閉める。とたんに小銃弾が撃ちこま
れるが、全部はじき返す。

「きゃあ」

 大きな拳銃の発砲音が響き、悲鳴が上がる。

「大丈夫? 」

 呂貞春が前を向いたままフランソワーズに声をかけた。

「はい。一人に当たりました」

 どうやらフランソワーズは怖がりながらも目標を撃った。相当の腕のようである。

「効いてないようですけど」

 特殊部隊は全身を防弾スーツで覆っている。女子中学生が撃てる程度の拳銃弾では傷つ
けることさえできない。

「衝撃は伝わっているはず。殴られた程度のね」

 マリアが叫ぶ。確かに当たった特殊部隊の隊員は、這うようにして階段室へと戻ってい
く。
 何発かのやりとりが続いた。

「7時か。人通りが増えるわね、そろそろくるわよ」

 マリアが拳銃を左手に持ちかえ右手のひらをスカートで拭く。汗が出ているのだ。
 廊下を挟んで反対側の窓が大きな音を立てた。上からロープで下りてきたのだ。防弾ガ
ラスのおかげで一撃で割れることはないが、その心理的な恐怖は大きい。

「ちっ」

 マリアが駆けだしていく。
 それも計画だったのだろう、今度は教室の窓が大きな音を立てた。




「諜報部一斑より連絡、ロシア特殊部隊と遭遇」

 発令所右隅に席を与えられている通信オペレーターが悲鳴をあげるように報告した。

「ちっ。まずいわね。この状態では援軍を出せない」

 ミサトがモニターを睨みながら指を噛む。

「アスカの病院は? 」

「ちょっと待って下さい……異常なし、ただし、閉鎖体制に入ったとのことです」

 リツコの質問にオペレーターが応える。

「閉鎖状態。じゃ、そっちからの援軍も期待できないわね」

「このままじゃ、シンちゃんを連れて行かれてしまうわよ」

 技術担当副司令と作戦担当副司令が顔を見合わす。ともに焦りが浮かんでいる。
 ネルフは1時間の戦いに良く耐えていた。

「MAGIを回線9014056に繋いでくれたまえ」

 そう命じたのは、発令所の一番奥に座っている冬月コウゾウである。

「司令代行」

「急いでくれ」

 冬月が戸惑った顔のリツコをせかす。

「繋がりました」

 オペレーターが叫ぶ。
 執務机の電話を取り上げた冬月がしゃべる。

「ひな鳥は親鳥の元へ」

「リツコ、あの回線はどこに繋がっているの? 」

「分からないわ。司令権限での秘匿回線だから。マヤ、トラップ」

 ミサトに応えながらもリツコは休むことはない。本部ビルの壁が爆発し、破片が路上に
まき散らされる。接近していた敵が退いていく。だが、これが最後のトラップであった。

「厚木から戦闘爆撃機1個小隊離陸」

 日向が淡々と報告する。

「装備は分かる? 」

「映像処理します……対地ロケットと40ミリ機関砲だけのようです」

「こっちに航空戦力がないことをしっているからねえ」

 ミサトがぼそっと口を開く。

「あと3分で対空ミサイルの射程に入ります」

 日向はモニターから目をはなさい。

「兵装ビルを政府の管理下にされたのが痛いわね」

 サードインパクト後、ネルフと日本政府は交渉を繰り返した。結局、政府はネルフ存続
の費用を出す変わりに兵装ビルを全て放棄することを求めた。

「本部ビルとしてここだけ残っただけでもよしとしないとね」

 ミサトのぼやきをリツコがたしなめる。

「分かっているわよ。日向君、対空ミサイルポッドフルオープン、全弾発射。出し惜しみ
はなしよ」

「了解です」

 研究機関として生き残ったネルフに武器の補充はない。使い切った兵器は二度と手に入
れることはできない。だが、ここでやられたら終わりである。

「壁にとりつかれました」

 マヤの切迫した声が響く。

「残り何人ぐらい? 」

 リツコがマヤに訊く。

「半径200メートル以内に生命反応は25名です」

「ミサト、作戦部は何人生き残っている? 」

「あたしをいれて16名」

「撃ち漏らしたのを頼める? 」

「分かったわ」

 ミサトが腰のホルスターからSIGザウエルを取り出し、残弾を確認する。そのまま発
令所を出て行った。

「マヤ、弾薬庫の床を揚げて」

「了解です」

 重い音とともに侵攻第一陣の死体を載せたまま、弾薬庫の床がせり上がる。

「撃って」

「はい」

 かつて兵装ビルとして使われていたとき、弾薬庫の防犯として非引火性炭酸ガスレーザ
ーが装備されていた。リツコはそれを地上に向けて水平発射した。
 炭酸ガスレーザーの能力は切断性に優れることである。ボディアーマーと言えども豆腐
と変わらない。欠点は射程が短いことだ。
 空気で威力は減弱される。
 だが、不用意に近づいていた数名は薙ぐように放たれるレーザーで両断される。他にも
致命傷とは言わないが、足を失ったもの、腕を肘から切り落とされたものが数名でた。

「いくわよ」

 その混乱に乗じて武装した作戦部の面々がミサトの号令で、二階の窓から一斉射をくわ
える。

「ちっ。ひるむな。アイツらを倒せば後は素人と女だけだ」

 石塚元保安部長がビルの影からわめくが、ボディアーマーを無視して死を運ぶレーザー
目の当たりにしては、動きが鈍くなるのが道理。7名が戦線から脱落した段階で、再び侵
攻部隊は退いた。

「どうします? このままでは……」

 ネルフを陥落させMAGIを手中にしてこそ、政府相手の交渉もできる。被害だけをま
き散らし撤退したと有っては、全員がテロリストとして指名手配されるだけ。

「破壊された装甲車から武器を持ち出せないか? 」

 通信が使えない。石塚の命令は伝令という形で伝えられていく。
 そのとき、上空で爆音が聞こえた。





「しまった」

 駆け出しかけたマリアは、背後の窓から異音がするのを聞いて振り返った。四方から攻
撃される場所を三人で守るには、誰かが二方を担当しなければならない。遊軍としてマリ
アがそれを担っていたが、同時に両方から攻められればどうしようもない。

「C4……」

 振り返ったマリアが見たのは、弾丸では貫けない強化ガラスを破壊するために貼り付け
られたプラスチック爆薬であった。
 電気を流さない限り投げようが燃やそうが爆発せず、どのような形にもなるプラスチッ
ク爆薬は、便利な兵器として世紀を超えて使われている。強化ガラスとはいえ、爆薬には
勝てない。

「碇」

 マリアの叫びにシンジが反応した。
 音よりも早く光がマリアの目を襲ったとき、マリアの身体は何かに突き飛ばされて倒れ
た。机の角で打った背中が痛いのだろう、一瞬顔をゆがめる。
 ぱらぱらとガラスの破片が周囲に落ちてくるが、マリアの身体には当たらない。変わり
に重いものが上に乗っている。

「い、碇」

 マリアは碇に抱きしめられていた。

「馬鹿……」

 マリアでなくても分かる。割れるガラスから庇ったシンジの背中がどうなっているかは。

「こぉのぉお」

 マリアはシンジの肩越しに、割れた窓から顔を出した特殊部隊の隊員の顔に銃撃を放つ。
 さすがに顔にアーマーは付いていない。的確に射抜かれて黒い固まりが窓の外にぶら下
がった。

「大丈夫ですか? 」

 外から呉貞春の心配そうな声がする。が、銃を撃つことは止めていない。低い発射音と
排出された薬莢が床に当たる金属音は途切れない。

「まずい、碇が今の爆発に巻きこまれた」

「えっ」

 大きな声はフランソワーズだ。やはり銃声は続いている。

「生きてますか? 碇さんは? 」

 呉貞春も慌てているが、二人とも持ち場を離れることができない。一人がパニックにな
れば、陣地とも言えないここは崩壊する。
 もし、ここにアスカがいたなら……シンジに被害が及んだ段階で終わっていただろう。

「待って」

 マリアが震える手でそっとシンジの首筋に手を当てて脈を取ろうとしたとき、廊下側の
窓が轟音を発する。

「きゃあ」「あっ」

 呉貞春とフランソワーズの中間、裏庭に面した廊下の窓が内側へと膨れて割れる。
 マリアはシンジにのしかかられて動きがとれない。誰も対処できない敵に侵入を許す。
終わりだと思われたとき、割れた窓から身体半分を乗り出した特殊部隊員の顔がはぜた。
 追いかけるように甲高い狙撃銃独特の音が聞こえてきた。
 続いて銃声がいくつも鳴る。呉貞春もフランソワーズも発砲していない。

「えっ」

 呉貞春が間の抜けた顔を机の陰から出す。いままで息つく間もなく撃ち続けられていた
小銃の音がしなくなったのだ。

「呉さん、静かになりましたね」

 フランソワーズが、振り返る。

「まだいたの? 」

 重いものを倒したような音に呉貞春が、反応する。銃口を階段口に向け数発威嚇射撃を
する。

「撃つな、我々は味方だ」

 階段口から明瞭な日本語が聞こえる。

「ネルフの方ですか? 」

 呉貞春は油断していない。

「いや、違う。良いかな顔を出しても」

「両手は上に上げて下さい」

 呉貞春の銃は下がることなくポイントし続けている。そこへ、ロシアの特殊部隊とそっ
くりな装備の兵士が現れた。違いはボディアーマーの色だけ。ロシアが漆黒なら、こちら
は深緑。

「戦略自衛隊第一空挺団第三中隊瀬戸曹長だ。冬月司令代行の依頼を受けて救出に来た」

 がっしりとした体格の兵士は、穏やかに笑う。

「証拠はありますか? 」

「問い合わせて貰うしかないが、現在第三東京市はMAGIの関与で特殊回線意外は不通
なんだがね」

「ネルフ本部が襲われているのですね」

「鋭いな、お嬢さん」

「分かりました。衛生兵はいますか? 」

 呉貞春は、救出を受け入れることにした。碇シンジが怪我をしたと有っては、危ない賭
でも受けるしかない。我を張ってシンジを殺してしまうことはできない。

「ああ、おい佐賀」

 瀬戸の言葉にもう一人出てくる。彼はボディアーマーさえ身につけていない。

「けが人はどこだ? 」

「中です」

 呉貞春の銃口は佐賀を追い、瀬戸にはフランソワーズが狙いをつけている。

「彼か? 見たところ傷らしい傷はないが」

 佐賀によってシンジの下から救い出されたマリアが目を疑う。確かにシンジの背中には
傷どころか、制服に穴さえ開いていない。

「そんな。あのガラスの爆発をまともに受けたはず……」

 爆発が嘘でなかったのは、シンジの周囲に大量の破片が転がっていることでも分かる。

「怪我してない。じゃ、なんで倒れているのよ」

 マリアが腑に落ちないとばかりに首をかしげる。

「どうやら、心理的に多大な負担がかかって、脳がオーバーヒートしたみたいだな。戦場
ではよく見られることさ。しばらくすると目を覚ますが、そのときに錯乱するかも知れな
いから、気をつけるように」

 佐賀はそう言うと両手を頭の上にのせたまま、教室を出て行く。

「騎兵隊の出番は終わったようだな。じゃ、またな。可愛いお嬢さんたち。紅い稲妻に会
ったら、済まなかったと伝えておいてくれ。状況終了、帰営する」

 瀬戸が綺麗な敬礼をして背中を向けた。


「とりあえず、碇さんを保健室で寝かせましょう。わたしが付いていますから」

 呉貞春が、机を教室に戻しながら提案する。

「いや、あたしが碇の面倒は見る。結果はどうあれ、あたしを庇ってくれたのは、こいつ
だから」

 マリアが静かに拒否した。

「…………」

 呉貞春の目になにを見たのか、マリアが苦笑する。

「そこまで卑怯なまねはしないわよ。決めたのよ、堂々とセカンドチルドレンを破って、
こいつをあたしのものにするってね」

「じゃ、お願いします」

 呉貞春が、にこっと笑った。

「本部は大丈夫なんでしょうか? 」

 二人の間にフランソワーズの不安そうな声が割り込んだ。援軍がネルフからのものでは
ないと分かった瞬間、三人は本部にも襲撃の手が伸びていることを悟っていた。





「対空ミサイル到達します」

 市街地への被害を懸念して迎撃ポイントは芦ノ湖上空に設定されている。音速でお互い
の距離を縮めたミサイルとジェット機の出会いは、霊峰富士を目の当たりにした風光明媚
な所。
 20発を超える対空ミサイルと戦自の空軍部隊の主力機は、命を賭けたダンスを踊り始
める。

「近接信管作動」

 日向がパネルを操作する。精密機械の固まりである戦闘機、ちょっとしたショックや破
損で動きが変わる。迎撃ミサイルはなにも直撃する必要はない。戦闘機の側で破片をまき
散らすだけで良いのだ。

「ミサイル9番から18番まで自爆。敵機損傷軽微」

「残り11発か」

「19番20番撃墜されました」

「21番から26番自爆、敵機一機コントロールを失った模様、墜落します」

「よし」

「27番、28番、撃破されました」

「最後の一発、頼むぞ」

「29番、水面に誤爆」

「くそっ」

「敵機二機、進路を第三新東京市に。あと、10分で到着」

「まずいな」

 日向が唇を噛む。 

「新たな反応3つ、浜松からです。早い、これは、配備されたばかりのF-28フライング
シザースです。3分半で来ます」

 オペレーターが跳び上がるように振り向く。
 F−28、セカンドインパクトの余波で崩壊寸前だったアメリカ軍需産業を吸収した日
本の航空機メーカーが開発し、昨年正式採用が決まったばかりの最新鋭戦闘爆撃機である。
巡航速度はマッハ3を凌駕し、あらゆる迎撃ミサイルよりも早い。「落ちない戦闘機」と
呼ばれる戦自の次期主力戦闘機である。

「迎撃ミサイルはもうない。ここまでか」

 日向は自己の判断を越えるとして地上部隊の迎撃に出ているミサトに連絡を取る。

「わかったわ。全員の脱出を」

「了解」

 日向がため息をつく。本部の放棄、それはネルフの最後を意味する。MAGIには、自
滅プログラムが流され、二度と回復させることはできない。

「赤木博士」

 日向が背後に立つリツコに顔を向けた。
 MAGIはリツコの母であり、そして全てである。それをいま殺さなければならない。
MAGIに残されている情報を他人に渡すことは絶対に許されない。

「マヤ、プログラムオーディン解凍開始」

「先輩……」

 マヤがリツコの顔を見上げる。

「早くしなさい」

「はい、プログラムオーディン解凍します」

 マヤの手がキーボードの上に走る。

「待ちたまえ」

 再び冬月の声が響く。

「司令代行……」

「結果を見てからでも遅くはあるまい。はさみがどちらの首を断ち切るのかをな」

 冬月の言葉が終わるのを待っていたかのようにオペレーターが驚愕の声をあげる。

「F-28対空ミサイルを発射、目標、厚木を出た戦闘爆撃機」

「なんだって」

 日向が立ちあがり身を乗り出してモニタ−に食い入る。

「接触します。厚木からの戦闘機二機撃墜を確認」

「司令代行、あれは? 」

 リツコが振り返った。

「やれやれ、助かったな」

 立ちあがっていた冬月が腰の抜けたように座る。

「戦自への和解工作が功をなしたと言うことだ。厚木は近いだけにいろいろあってな。思
い切って浜松に絞ったのだが、間に合うとは思わなかった」

「浜松の戦闘機より交信。チルドレンに伝えられたしとのことです」

「読み上げたまえ」

 冬月が促す。

「貴君らが日本国民である限り、我ら盾とならん。以上です」

「よし、感謝すると伝えてくれたまえ」

 冬月がほっとした顔を見せる。

「よっしゃ、こうまでしてもらってなにもできないじゃ、メンツに関わるわね。作戦部に
命令、フル武装で突撃する」

 発令所に戻ってきていたミサトが興奮した声をあげた。





「今の爆発音は何だ? 」

 石塚元保安部長が雷鳴のように空気を揺るがした音に首をすくめる。

「厚木を出た戦闘機がやられたようです」

 ビルの屋上で見張りをしていた隊員からの伝令が伝える。

「おのれ、最後の切り札まで……」

 石塚が悔しさに顔をゆがめたところへ、装甲車に向かわせた隊員が、迫撃砲を一門持ち
帰ってきた。

「これだけが無事でした。弾薬は2発限りですが」

「かまわん、2発とも撃ちこんでやれ」

「了解」

 すぐに据え付けられた迫撃砲に105ミリ弾が装填される。
 シャンペンを抜くような音を残して迫撃弾が放物線を描きながらネルフ本部ビルに命中
した。

「なんだ? 」

 あまりに近距離過ぎて警報も出せなかった。

「4階フロアーに爆撃」

「被害は? 」

「作戦部員2名が重傷を負いました。フロアーは壊滅状態です」

「迫撃砲。装甲車の中に無事なのがあったのね」

 ミサトがほぞをかむような顔をする。

「きゃあ」

 もう一度衝撃がビルを揺らした。

「今度はどこ? 」

「3階です。被害者はいませんが、2階への通路が破壊されました」

「先輩、レーザー出力回路に異常。発射できません」

 マヤがリツコに告げる。

「最後の迎撃システムがダウンしたわ。ここからはあなたの仕事よ、ミサト」

 リツコがミサトに顔を向ける。

「任せておいて。窓から出るわ。スモークを発射、総員ガスマスク装着。綱渡りの開始」

 生き生きとしてミサトが走りだす。

「やっぱり、闘う女神の称号は葛城二佐のものだよなあ」

 うっとりとして日向が見送った。
 ネルフ周囲はスモークで何も見えない状態である。

「撃つな、同士討ちしかねん」

 石塚の補佐をしているSAT出身の警部がどなる。

「馬鹿もの。これはレーザーが使えなくなった証拠だ。いよいよネルフの連中が打って出
て来るぞ。味方の犠牲など気にせず、撃ちまくれ」

「石塚警視」

 警部が呆然とする。周りを囲んでいたSATの隊員たちもあっけにとられる。針のよう
な隙が生まれ、足音が交錯した。

「部下は大切にしなきゃね、元保安部長さん」

 石塚のこめかみに銃口を押し当てながらミサトが話しかけた。





「予定時刻を30分過ぎて連絡無しか。失敗したな」

 ロシア陸軍諜報部クリヤコフ大佐が腕時計に目をやる。

「本部襲撃班は寄せ集め、予想された事態だが、サードチルドレン誘拐班は我がロシアの
誇る精鋭たち。それが作戦を完遂できぬとは、意外とやるな、この国も」

 クリヤコフは、一人滞在していたマンションを出た。しっかり発火装置のタイマーを仕
掛けている。火災を起こすことで証拠隠滅をはかるのである。
 マンションの地下駐車場を通り抜けて少し離れたタイムパーキングに向かう。クリヤコ
フ大佐は、そこに車を止めている。
 リモコンでドアロックを開錠したクリヤコフ大佐の、動きが止まる。

「手にした鞄を落とせ。そのまま、両手を頭の後ろで組め」

 飯田一尉がゆっくりと拳銃を手にして現れた。





 第一中学校は臨時休校になった。被害があまりに大きかったからである。もっともその
大多数が、呂貞春たちの仕掛けたトラップによるものだったが。
 残っている生徒は、保健室のベッドで寝ている碇シンジとその付き添いとして隣に座っ
ているマリアだけ。
 すでに陽は中天に輝いている。シンジが気を失ってから5時間は経った。ときどき思い
出したようにうなされるシンジとそのたびに優しくその胸にシンジの頭を抱え込むマリ
ア。慈母のような絵が何度か繰り返された。そして……

「駄目だぁ……もう人が傷つくのは見たくない」

 シンジが暴れ出した。マリアが抑えるようにシンジを抱く。

「ア、アスカ」

 シンジの目が開いた。柔らかい感触と甘い少女特有の匂いに惑乱したのか、いるはずの
ない人物の名前を口にする。

「区別が付かないということは、まだステディな関係にはなってないわね」

 静かにシンジの身体から離れながらマリアが小さく笑う。

「マ、マクリアータさん、け、怪我は? 」

 焦点があったシンジがベッドから飛び起きた。

「大丈夫。アンタのおかげで傷一つ無いわ。礼を言うわ」

 マリアはシンジの前で両手を広げてみせる。

「でも、でも、僕のせいでみんなに迷惑がかかった。僕の側にいなければマクリアータさ
んが、危ない目に遭うことはなかったんだ」

 シンジがベッドを両手で叩く。

「僕は、僕は、やっぱりいてはいけないんだ」

 シンジの目から涙がこぼれる。

「馬鹿言うんじゃないわよ。この世にいらない人間なんていない。アンタがいらない人間
なら、あたしはいてはいけない人間なのよ」

 マリアが叫ぶ。シンジが驚いた目でマリアを見る。

「知っているんでしょ、あたしたちのこと」

「うん」

「中国の呉貞春は、あんたと共通の趣味をもつ。ロシアのイリーナ・ガルバチョフは、マ
ザーコンプレックスのあるあんたの性的な嗜好に合わせ、フランソワーズ・立花・ウオル
ターは、惣流・アスカ・ラングレーそっくりな容姿、そしてあたしはあんたの恋人惣流・
アスカ・ラングレーと同じ性格。ねえ、まったく同じ性格の人間が存在すると思う? 」

 マリアの問いにシンジは首を左右に振った。

「そう、あたしの性格は人為的に上書きされたもの。14年生きてきたあたしは、消され、
あんたを籠絡するためだけの人形として作りなおされた」

 人形という単語にシンジの身体がびくつく。人形はシンジの大切な二人の少女、その両
方を傷つける言葉なのだ。

「でもそのあたしを碇は庇ってくれた。生きていく値打ちのない人形のあたしを」

 マリアが寂しそうに言う。

「そんなこと言うなよ。値打ちがないなんて言うなよ。マクリアータさんは、誰かに命じ
られて僕の看病をしてくれたんじゃないんでしょ。自分の意志でついていてくれたんでし
ょ。だったら、人形じゃない。人形は言われたことしかできないから。それにマクリアー
タさんの過去は消えてしまったかも知れないけど、未来は無くなった訳じゃない。未来は
自分で作ることができる。だから、いてはいけないとか価値がないなんて言わないでよ」

 シンジが一生懸命にマリアを説得する。

「やっぱりあんたは馬鹿だわ。自分で言っていることがそのまま自分に返さなきゃいけな
いことに気づいていないじゃない。いてはいけない人間がいないなら、あんたも必要な人
なんだよ」

 マリアの瞳が大きく潤む。

「でも、アリガト。そう言ってくれたことが嬉しい」

 マリアがシンジの胸の中に飛び込んだ。

「あたしはここにいていいんだよね」

「う、うん」

 シンジはマリアの匂いに戸惑いながらも強く頷く。

「サードインパクトが起こったのかどうかは知らない。あたしは気が付かなかったから。
でも有ったんでしょ。碇がその引き金になった」

 マリアの話にシンジが頷く。

「でもあんたは人の世界を選んだ。神として自分が望んだものだけと生きていくこともで
きたのに、あんたは見も知らぬ人の復活を願った」

「違うよ。そんなご大層なものじゃない。僕はアスカに側にいて欲しかった。アスカに側
にいて良いといって欲しかった。ただ、それだけだったんだよ。僕は矮小で卑怯な人間な
んだよ」

「自分を卑下するのはもう止めなさいよ。あんたがそんな小さな人間なら、ドイツの至宝
惣流・アスカ・ラングレーが惚れ込むことはないわ。イリーナが命を賭けて全てを話そう
とするはずもない。呉貞春があんたをあきらめたのに日本に残る必要もない。そしてあた
しがあんたをここまで欲するはずもない」

「マクリアータさん……」

「ふふふ、最初はあんたは獲物でしかなかった。あたしの魅力ですぐに思い通りにできる
はずの。でも、あんたと共にいるうちに変わったわ。あんたは優しい。無限とまで言える
ほど優しい。セカンドインパクトの余波で産み落とされたあたしは、社会にとって邪魔者
でしかなかった。生かされていたのは2001年生まれだから。そう、EVAとシンクロ
できるかも知れないから。あたしは生まれてすぐにアメリカの某研究所に引き取られた。
そこでありとあらゆる実験をされ、EVAとシンクロできるかどうかを試された」

 マリアが感情を無くした顔で淡々と語る。そうしないと辛すぎてたまらないのだろう。

「しかし、アメリカ第二支部で事故が起こった。そう、S2機関の暴走による消滅。慌て
たアメリカは残ったEVA参号機を差し出し、チルドレン養成をあきらめた。あたしたち
は宙に浮いたわ。しかし、軍事機密に触れすぎたあたしたちは解放されず、そのまま研究
室に残された。そしてサードインパクト。世界に唯一残ったのがEVA初号機だと分かっ
たとき、国は適合者であるシンジを手に入れるため研究所に命じて、あたしたちを使うこ
とにした。その手段が碇の好きな惣流・アスカ・ラングレーと同じタイプの人間を作り出
すこと。研究室に残っていた女子全部にラングレーの性格を上書きした。今までの人格の
上に無理矢理別人を乗せる。発狂しない方が不思議。無事に生き残ったのはあたしだけだ
った」

「そんな……なんてことを」

 シンジが義憤の声をあげる。

「国は国民を守るために有るんじゃないの? そんな非道が許されるはず無い」

「国は国で有るためには強くなければならない。そうしないと国民を守れない。そのため
には国民に犠牲を強いても良い。それが国なのよ」

「矛盾しているじゃないか」

 そう言いながらもシンジに言い返す言葉はない。最後の戦いで生き残るためにネルフ侵
攻を戦自に命じたのは日本政府であった。

「でももう止めた。国なんかあたしに何もしてくれない。ああしろこうしろと言うだけ。
でもあんたは違う。いわば敵であるあたしのために命さえ投げ出してくれる。ラングレー
が惚れ込んだのも分かるわ」

「いや、そんな」

 シンジが照れる。

「だから、宣言。マリア・マクリアータは碇シンジが欲しい。イリーナにも負けない。フ
ランソワーズに譲らない。何よりもラングレーに渡さない。何年先になるか分からないけ
ど、バージンロードであんたの隣に立つのはあたし」

「えっ、それは困るよ。僕はアスカが……」

 シンジの口をマリアの人差し指が封じる。

「あんたが言ったんでしょ。あたしには未来があるって。だから未来に向けて努力する。
あたしはそう言っているのよ」

「うん。わかったよ」

 シンジはそう応えるしかない。そこで拒否してしまうとさきほどの言葉が嘘になる。

「さっ、今は帰りなさい。ラングレーが不安で泣いているわ。あんたには責任があるのよ。
ラングレーにね」

「そうだね。ありがとう」

「あたしも甘いわね。あんたを手に入れるチャンスだったのに。寝ている間に既成事実を
作っちゃえば……ね」

 マリアが本当に惜しそうな表情を浮かべる

「あはははは」

 頭を掻いてシンジが保健室を出て行った。マリアが保健室の扉の所まで見送りに出る。
 シンジの背中が廊下を曲がって見えなくなるまでにこやかに笑っていたマリアの顔が苦
しげにゆがむ。

「くっ。頭痛が酷くなってきたわね。そろそろ限界かしら。夢は実現しそうにないわね」

 後ずさるように保健室へ戻ったマリアが、シンジの寝ていたベッドに倒れこんだ。





「アスカ、ごめん。僕はアスカを絶対に信じなきゃいけなかったんだ。君は僕の半身なん
だ。もっと話をしなければいけなかったんだ」

 保健室でマリアが意識を失っていることに気づくことなく、学校を出たシンジはアスカ
の元へと急いでいた。

                                



                                続く


 

 

後書き
 新年明けましておめでとうございます。昨年は拙作をお読み頂き感謝しております。
 ようやくロシア編終了です。次はアメリカ編の予定です。

タヌキ 拝

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 タヌキ様の当サイトへの16作目。
 ロシアは撃退できたわ。
 でも問題はいっぱい。
 私とシンジは何とか復活できそうだけどね。
 でもまあMAGIが通信妨害していたのはよかったわよねぇ。
 もし保健室の二人の様子を見ていたら私がまたどうにかなってしまいそうだもん。
 マリアの癖にやるじゃない。ここはまあ感謝しておいてやるわ。
 だけどあの娘、大丈夫なの?
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。

 

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