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 タヌキ
 

 

LASから始まる
 
新たな戦い
 
12

 


 

タヌキ        2005.02.04

 

 










 急いで学校を出たシンジを出迎えたのは、ネルフの人間ではなかった。

「ミスターシンジ・イカリ? 」

 高級外車の窓から顔を出したのは、明らかに白人と分かる中年の男性である。肩幅もあ
り、昔はスポーツで鳴らしただろうという体格は、シンジの倍近くある。

「はい? あのう、どちらさまでしょうか」

 シンジは怪訝そうな表情をした。

「おう、申し遅れました。わたくし、マリアの父、ジョージア・マクリアータと言います」

 男が自己紹介した。にこっと笑うと人好きのする顔になる。

「あっ、どうも」

 シンジが軽く挨拶をした。

「マリア、見かけませんでしたか? 休校になったと聞いて迎えに来たのですが、まだ来
ないのですが」

 ジョージアの問いにシンジは後ろを振り返る。

「さっきまで保健室で僕の看病をしてくれていましたよ。まだ、保健室にいるはずです」

「保健室の場所を知りません、案内してくれませんか? 」

「いいですよ」

 マリアに世話になったばかりである。シンジは車を止めて出てきたジョージアを伴って
保健室へと戻った。

「こちらです」

 保健室の扉を開けたシンジは中を見て驚きの声を出した。

「マクリアータさん」

 倒れているマリアの元へ駆け寄る。

「マリア」

 ジョージアも続いた。

「意識がない。保健の先生はいないし」

 シンジはどうして良いか判らないのだろう、眼を左右に振る。
 ジョージアがマリアを軽々と抱きかかえる。

「ミスタ・イカリ。マリアを車まで運ぶのを手伝って下さい。病院まで運びます」

「はい」

 急いで車に戻り、後部座席にマリアを横たえる。

「病院の場所が分かりません。道、教えて下さい」

 ジョージアにそう言われてシンジはマリアの隣に乗り込んだ。

「揺れますので、マリアを押さえててください」

 シンジにそう命じるとジョージアは車を発進させた。

「市民病院は、次の信号を右です」

 マリアに膝枕をしながらシンジが指示する。だが、車は信号を曲がらずにまっすぐ走っ
ていく。

「ジョージアさん、道が違ってますけど」

 マリアの息づかいが激しくなってきたこともあってシンジの口調がわずかに厳しくなっ
た。

「良いんだよ、碇シンジくん」

 ジョージアの口調がなめらかなものに変わる。

「あなたはアメリカのエージェントなんですね」

 さすがのシンジも自分が罠に落ちたことに気がついた。

「賢い子供は好きだね。わかったならじっとしていてくれるかな。これほど話が綺麗に進
むとは思ってもいなかったのでね。ロシアの熊どもに感謝しなければいけないね」

 ジョージアが楽しそうに鼻歌を歌う。
 シンジの手がドアに伸びたのをルームミラーで見たのか、ジョージアが剣呑な声をだす。

「走っている車から飛び降りるのはおすすめしないな。特にこの第三新東京市は要塞都市
だからね。アスファルトも特別製で固いと聞いた。死ぬことになるよ」

「アメリカの思い通りにされるぐらいなら死にます」

「いいのかい、マリアも死ぬことになるよ」

 ドアを開けかけたシンジの手が止まる。ジョージアの声が氷点下に変わる。

「どういうことですか? マクリアータさんはあなたの娘でしょう」

「ふふふ、そう言うところはまだ子供だねえ。とても世界を破壊できる人間には見えない
よ。君は、純真すぎる。世の中の裏というものをもう少し知った方が良い」

 ジョージアが笑った。

「嬉しいことにね。この出来損ないと私に血のつながりはない。こいつは、アメリカ国民
でさえないんだよ。不法移民の誰かが産んだ子供さ。2001年生まれでなければとっく
に排除されていた。本当は、戸籍もない、要らない子供なんだよ」

 その言葉にシンジが激昂した。

「要らない人間なんているはずない」

 シンジの怒りをジョージアは軽くいなしてみせる。

「甘いねえ。セカンドインパクトで地軸が狂って以来、人類は前代未聞の食糧難に陥って
いる事ぐらいは知っているだろう。世界一の大国アメリカといえども不要な人間に食べさ
せるだけの余裕はない。国にとって必要でない限り排除する。そうしないと有用な人間が
生きていけないからね」

「人の必要不要を誰が決められると言うんです? 」

 シンジの怒りはおさまらない。

「神様じゃないことだけは確かだね。だけどな、碇シンジくん。正義の味方ぶって正論を
吐くのは良いが、使徒との戦いでエヴァンゲリオン初号機が傷つくたびにどれだけの費用
がかかり、そのお金を出すために何万人が死んだか知っているかい? 君がもうちょっと
うまく操縦できていれば、こんな女一人の命云々より遙かに多くの人間が助かったんだよ」

 ジョージアにそう言われるとシンジは黙るしかなかった。

「もっとも君が戦ってくれなければ、人類は滅んでいたけどね。30億人を助けたんだ、
数万人やそこらが餓死したり病死したことなんてものの数でもないと言うかい」

 ジョージアの言葉はシンジの心の闇を鋭く浮き上がらせていく。

「だから、今更一人ぐらい見捨てる人間が増えてもどうということはないかな、碇シンジ
くん」

「…………」

「ついでに教えておこうか。マリアの症状はね、いつもの事なんだよ。上書きされた記憶
と本当の記憶とのせめぎ合いが原因で起こるものでね。だから、私たちは簡単に彼女を治
せる。もう一度上書きしてやればいい。ただし、あと2時間以内に治療を始められればと
言う制限付きだがね。間に合わなければ、彼女の脳は二人分の記憶に耐えかねて崩壊して
しまう」

「どうすれば良いんです? 」

 シンジの口からあきらめの籠もった声が絞り出される。

「だまって乗っていてくれれば結構。逃げようとすると私は遠回りしたくなるかもしれな
いよ。ドライブは嫌いじゃないのでね」

 ジョージアの声にはたっぷりと笑いと毒が含まれていた。



 ネルフ本部では掴まえた石塚元保安部長とロシア軍特別情報部クリヤコフ大佐の尋問が
始まっていた。
 2メートルほど離されて二人は椅子に縛られている。
 まず、石塚にミサトが近づいた。

「お元気そうね、石塚元二佐」

 ミサトのこめかみに血管が蠢いている。無理もない、作戦部はこの戦いで実にその戦力
の半分を失っている。

「ふん、お偉い副司令様のご機嫌は悪いようですな」

 石塚が悪意のある口調で返す。

「そうなの。女の機嫌が悪いとき、男がどうすればいいかぐらいはわかっているわよね。
ひたすらご機嫌を取るの。さあ、あたしの機嫌が良くなるような話を聞かせてくれる? 」

 ミサトが笑いながら言うが、その眼は笑っていない。

「悪いが、わたしは君のような女が好みじゃないのでね、機嫌を取る気にはならないな」

「あら、これだけのボディに興味がないなんて、あんたホO? 女に欲情しないなら、こ
んなもの必要ないわよねえ」

 ミサトが拳銃を抜くと石塚の股間に照準を合わせる。

「脅しなどきくものか」

「そう、じゃ、ロシアのおっさん、あんたはどう? 喋る? 」

 ミサトが向けた水にもクリヤコフは瞑目したまま答えない。

「仕方ないわねえ。穏便な余生を送らせてあげたかったんだけどね」

 ミサトの言葉に石塚の肩がわずかに揺れる。クリヤコフに変化はない。

「リツコ、あんたの出番だわ」

「そう。良かった。ミサトに任せておいたら原型留めなくなっていたでしょうからねえ。
アスカに怒られるとこだったわ」

 シンジの心に大きな負担をかけることになったロシアの留学生イリーナ・ガルバチョフ
狙撃に石塚は大きな役割を果たしている。アスカは烈火のごとく怒り、石塚の生きたまま
での引き渡しを求めていた。

「あたしの方がましだったと思ってももう遅いからね」

 ミサトはそう言うと石塚に手を振る。

「後で会いましょうね。まあ、今度会うときは、あたしのこと忘れ果てているでしょうけ
ど」

 ミサトは振り返ることなく出ていった。

「どういう意味だ。薬でも使うというのか。自白剤など効かないぞ。それぐらいの訓練は
つんでいる」

 石塚の声がわずかに震えている。ついこの間までネルフの保安部長だったのだ。ネルフ
の尋問手段は全部熟知している。だが、不安は消せてないようだ。

「薬? あら、そんな前世紀の遺物のような手段は執りませんわ。石塚元二佐」

 リツコが婉然と笑う。アスカやミサトに押されて目立たないが、リツコも世間で言えば
まれに見る美女なのだ。それも知的な美女だ。だが、今の笑いは心の底まで凍らせるほど
冷たい。

「石塚元二佐もロシアの大佐も、MAGIが生体コンピューターだと言うことぐらいはご
存じでしょ」

 そう言われて初めてクリヤコフが目を開いた。

「ふふふ、生体コンピューターは、人間とダイレクトにシンクロできるのが特徴の一つ。
そう、あなた達の脳とMAGIを直結して脳の記憶を読みとる。実に簡単で確実な方法で
すわ。薬とか催眠術というような曖昧な手段ではありません。嘘をつくとか、隠し事をす
るとかというレベルどころか、自己暗示や機械的な記憶の刷り込みで偽の情報を覚え込ま
されていてもその下にある事実をあっさりと暴いてくれます」

 リツコは楽しそうに説明を続けていく。

「そうそう。あなたが忘れていることもさらけ出してくれます。子供の頃無くしたおもち
ゃはどこに置いたのかとか、初恋の彼女がどんな顔だったかとか」

「そんなことが出来るものか。人間の脳は未だに何もわからないブラックボックスのはず
だ」

 石塚が喚く。

「そのブラックボックスを開けたのが、私の母、赤木ナオコ。そしてそれを読みとったの
は、私。赤木リツコ」

 感情のないリツコの言い方にさすがのクリヤコフも顔色を変えていく。

「心配しないで大丈夫。やり方は脳に電極を差しこむだけ。脳は痛みを感じないわ。それ
に情報を引きずり出された後の脳は使い物にならなくなるから、組織を裏切った罪悪感も
感じなくて良いし。舌を噛んでも無駄よ。脳死に至るまでの4分間、それだけ有れば十分
だから」

「悪魔め」

 クリヤコフが低い声で罵る。

「ええ。否定はしないわ。でもあなたたちも同じ。ようやく命がけの争いから解放されて、
年齢らしい生活、楽しみ、そして恋を経験し始めたあの子たちを再び戦いに巻きこんだあ
なた達も悪魔。私たちは、あなたたちを決して許さない」

 リツコの顔に怒気が走る。

「だったら、貴様たちも同じではないか。いや、我々よりもたちが悪い。使徒戦役の頃を
思い出してみろ。チルドレンたちをおまえたちはどう扱った? 実験動物、いや道具にし
たではないか。子供たちの心を壊すために、おまえがやったことはどうなのだ? 参号機
のコアに誰を使った? ダミープラグシステムを開発したのはだれだ? 」

 さすがは元保安部長である。機密扱いであるはずの情報を良く掴んでいる。 

「自己弁護する気もないわ。私、いえ私たちがあの子たちにしたことは決して償えること
ではない。死んでお詫びなどという逃げもしてはいけない。だからこそ、私たちは全力で
あの子たちを護るの。シンジくんとアスカが二人の未来を手にする時、あの子たちが私た
ちの手助けが必要で無くなる時、それまでは死ぬことも許されない。贖罪が果たされるほ
ど軽い罪ではないことぐらい知っているわ。でもね、あの子たちに会えて良かったと思い
ながら二度と目覚めない眠りに着けるように努力したい。それが私たちが生きている目的、
生かされている理由。そのためには鬼にでも悪魔にでもなる」

 リツコが、厳しい顔で二人を見た。手にしたリモコンのスイッチを入れる。

「どうせ行き着く先は地獄。先に行ってなさい」

 椅子に電流が流れ、リツコの冷たい声を聞きながら二人の意識が落ちた。



 発令所に戻って作戦部の被害を確認していたミサトの元に悲鳴の様な報告が上がってき
た。

「なんですってええ、シンジくんをロストしたですって」

 ミサトの声が発令所に木霊する。クリヤコフを連行して本部に来ていた諜報部飯田一尉
が、その声に顔色を無くして跳びだしていった。

「どういうことよ。諜報部と作戦部が学校の警備に出ていたはずでしょ」

「それが、諜報部はロシア特殊部隊の残存部隊との交戦で、作戦部は本部援護のために…
…」

 怒り狂うミサトに日向が首をすくめる。

「馬鹿どもがあ。飛車角取っても王将を詰められたらどうにもなんないじゃない。マヤ、
急いでMAGIでシンジくんの行方を追って」

「やってます。ですが、発信器の存在が確認できません」

 マヤが泣きそうな声をだす。シンジの衣服、携帯電話、鞄、学生手帳には半径50キロ
有効な電波発信機が取り付けられている。素っ裸にでもされない限り発信器とシンジを切
り離すことは出来ない。

「電波をシャットアウトしているのね」

 ミサトは通信部のオペレーターに問うた。

「アスカに、諜報部長に連絡は入れた? 」

「それが、病院が隔離状態となっていますのでつながりません」

 アスカを護るためのシステムは、電磁波兵器から彼女を護るためにネルフ総合医療セン
ター三階を完全に隔離してしまう。また、その制御コンピューターへのハッキングやクラ
ッキングを防止するために回線も物理的に途絶してしまう。

「ちっ」

 ミサトは舌打ちすると拳銃の残弾を確認し、発令所から出た。

「通じないなら直接行くしかないわ」



 シンジロストの報告は直ぐにリツコの元にももたらされた。

「赤木先輩、シンジくんをさらったのは、日本政府でしょうか? それともロシアでしょ
うか? 」

 マヤが不安そうな顔で訊く。

「違うわ、日本政府は動いていないし、ロシアは、クリヤコフが最後の兵力だったから」

 発令所に戻ったリツコが首を振る。すでにあの二人からの情報は手にしている。

「となると何処なんでしょうか? 」

 アメリカとEUはまだ無傷に近い。中国の残党も少ないとはいえ確認されている。

「わからないわ。でも、見つけ出すわよ。マヤ、MAGIに第三新東京市の交通監視カメ
ラのデーターを洗い出せなさい。とりあえず、第一中学校門前の信号機のものを出して」

「はい」

 リツコに言われて直ぐにマヤが必要な映像をモニターに投影する。シンジが登校した五
時過ぎからの映像が流れる。
 リツコが声を出す。

「止めて、この外車の映像を拡大して」

 運転席に白人の中年男性が座っているのが確認できる。後部座席にも人影は見えるが、
屋根が邪魔して顔がわからない。

「赤外線フィルター」

「駄目です、なにも映りません」

 熱源をサーチする赤外線に反応がない。特殊コーティングがされているのだ。

「人物照会。この車を追いかけるわ」

 リツコの目が車の中で笑っている白人の男を睨みつけた。

「監視衛星の使用をロシアに申請しなさい。脅しかけて良いわよ」

「了解です、先輩」

 早速にクリヤコフの情報は交渉の道具として使われた。



 ミサトのルノーはエンジンの回転を6000から下げることなくネルフ総合医療センタ
ーの玄関へ着いた。三段跳びに階段を駆けあがり、3階の閉じられた装甲扉の前に立つ。

「アスカ、開けなさい」

 装甲扉を蹴りあげながら大声で怒鳴る。ミサトの蹴りにチョバムアーマーが揺れる。
 内部で待機していた諜報部員が慌ててアスカの元へ跳んでいく。隔離状態になった病棟
の開放にはアスカの認証コードが必要なのだ。

「ミサトが来て騒いでいるですって? 水城、用件を聞いてきて」

「はい」

 アスカに言われた水城一尉が装甲扉越しに声をかけた。

「葛城二佐、水城一尉です。本部は無事ですか? 」

「とろいこと言ってんじゃないわよ。さっさとここを開けなさい。シンジくんが大変なの
よ」

 ミサトは完全に頭に血が上っている。

「碇二尉が……」

 水城も蹴りあげられたように走った。シンジのこととなると我を失うアスカの怖さを身
にしみて知っているからだ。

「シンジに何があったのよ」

 封鎖を解いたアスカは、病室に駆けこんできたミサトを問いつめた。

「シンジくんが、さらわれたわ」

「どういう事よ。アンタたちシンジの身の安全は保証するって、最初に言ったはずよね」

 アスカは烈火のごとく怒った。

「ごめん、日本政府とロシアの攻撃を排除するだけで手一杯だったのよ」

 ミサトが素直に謝る。だが、アスカの気持ちはおさまらない。

「なに惚けたこと言ってんのよ。アンタやリツコへの罰は後で考えるわ。で、シンジはど
こ? 」

「それがわからないの」

「MAGIで探したんでしょ」

「あたしが出てくるときはまだなにもわかってなかったわ」

 ミサトが悔しそうに言った。

「水城、飯田一尉と連絡は付く? 」

「お待ちください」

 水城が有線で飯田一尉の携帯電話にかける。

「出ました、どうぞ、ハンズフリーです」

 水城が電話を病室のスピーカーに繋げた。

「飯田、アンタ今どこ? 」

「第一中学校に着きました」

 アスカの問いに飯田一尉が答える。心なしか声が震えている。

「申し訳ありません、惣流三佐」

「いいわ、ロシアのボスを掴まえるようにと命じたのはアタシだからね。で、シンジの警
護に当たっていたはずの連中は? 」

 飯田一尉が一瞬口籠もる。

「……全員やられてます。ロシアの特殊部隊相手に一斑6名では厳しすぎたようです」

「そう。悪いけど感傷と弔いはシンジを取り返してからよ。急いで周囲を探って」

「了解です」

「それと、呂貞春とEU女とヤンキー娘の行方もね」

 アスカは電話を切った。

「そうだわ、戦自」

 ミサトが慌ててネルフ本部へ電話をかけた。

「リツコ、戦自の空挺が出張っているとか言ってなかった? 」

「冬月司令に訊いてみるわ。ちょっと待ってて。それと、シンジくんを乗せた車の運転手
がわかったわ」

「誰よ? 」

 横からアスカが割りこんで叫ぶ。

「マリア・マクリアータの父。ジョージア・マクリアータよ」

「あの女め。シンジに手出ししたわね。コロシテヤル」

 アスカの眼が血走る。

「呂貞春とあの偽物女はなにやってたのよ」

 アスカのもくろみではEUのフランソワーズとアメリカのマリア・マクリアータをぶつ
けることでお互いに牽制させシンジへの手出しを防ぐはずだった。

「アスカ、聞こえる? 」

 電話がリツコの声を流す。

「司令から戦自に問い合わせて貰ったわ。第一空挺団が、ロシアの特殊部隊を制圧したそ
うよ。その時はまだシンジくんも少女たちも無事だったらしいわ」

「そう」

 アスカが爪を噛みだした。真剣に物事を考えるときの癖である。

「あと、ジョージアの車の移動が遅れながらだけどトレースできたわ」

「何処へ向かっているの? 」

 黙りこんだアスカに変わってミサトが問う。

「ハミルトン薬品の研究所よ、たぶん」

「それって、もしかしてジョージアの勤務先? 」

「ええ。アメリカオレゴン州に本社を持つペット用の薬品を開発販売している会社。ネル
フが公開したLCLのデーターを使った新薬の開発を進めるために、3ヶ月前に設立され
た。MAGIで洗ったけど登記簿に記入されている役員たちにアメリカ政府関係者は一人
もいないわ」

「ダミーか」

 ミサトが呟く。

「日向君、聞こえる? 」

「なんですか? 葛城二佐」

 ミサトの呼びかけに日向が応えた。

「作戦部で動ける連中に第一種装備を用意させて」

 第一種装備とは、歩兵携行型ミサイルや迫撃砲を含むネルフとしては最高の軍備の状態
を指す。

「無茶です。作戦部で今動けるのは、10人もいませんよ」

「無理でも何でもかまわないわ。急がないとシンジくんがアメリカへ連れて行かれてしま
うのよ」

 ミサトが怒鳴りつける。

「落ち着きたまえ、葛城くん」

 スピーカーから冬月の声が聞こえた。

「人質の奪回に第一種装備は無茶だ。それにネルフは元々対使徒戦を目的として作られた
組織だ。こういうことには慣れていない」

「ですが、冬月司令……」

 すがるミサトを冬月が諭した。

「君が、シンジくんやアスカくんのことを護りたいと思っている気持ちはよくわかる。そ
れは私も同じだ。みんな変わらない。焦ってはろくなことにならないぞ。こういうときだ
からこそ慎重に行動せねばならぬのではないかな」

「そうよ、ミサト。私たちは出来ることをする。それが大切なのよ」

 リツコがミサトを宥める。

「冬月司令」

 黙っていたアスカが声を出した。

「なんだね、アスカくん」

 実にこれがサードインパクト後二人が交わした最初の会話であった。

「日本政府と戦自を抑えこんで貰えますか」

「うむ。それぐらいは老人の仕事だな。赤木博士のおかげでこちらには切り札が手に入っ
たことだしな」

 冬月がアスカの申し入れを受諾する。

「戦自の空挺をもう一度借りてください。あと、シンジの日本国外への移動を阻止するた
めに第三新東京市全土に飛行禁止措置をお願いします」

「わかった」

「アスカ、あなたシンジくんをアメリカは空輸すると見ているの? 」

 リツコが口を挟む。

「その可能性は少ないと思う。でも準備はしておかないと。アタシはシンジを運び出すの
は船だと思う」

 飛行機と同じで船もその船内は船籍国の領土と同じ扱いを受ける。領海内なら臨検でき
ても公海となると外交問題に発展するだけに手出しがしにくい。

「潜水艦かもよ」

 ミサトが思いついたように言う。

「それは違う。こうやってシンジをさらったことが知られたら、誰もが思いつくのは、潜
水艦での脱出。ヘリで駿河湾沖に待機している潜水艦に運んでしまう。そうなると手出し
はまず出来ないわ。当然こちらはそれに対処するような手段をとる。戦自の海上部隊の
対潜水艦能力は世界一よ。領海内で潜水したままだったら、無警告で撃沈されても文句
は言えない」

 アスカの頭脳が音をたてて回っている。

「なら船も同じじゃない。こっちは直ぐに船を抑えるわ」

 ミサトが反発する。
 アスカは予想していたかのように返す。

「アメリカ船籍とは限らないのよ。アメリカにくっついて世界制覇のおこぼれを貰おうと
いう国はいくらでもある。駿河湾に集まっている船全部を抑えることは出来ないわ」

 第三新東京市は、使徒戦役による消費先として世界中から物資を受け取っていた。今も
復興という名で石油、木材を始め、鉄鋼、木綿、食料品などを満載した船が数え切れない
ほど集まっている。出ていく船、入ってくる船も多く、とても全てを把握することは難し
い。
 ミサトがにやりと笑う。

「やるわね、アスカ。あなた諜報部より作戦部が向いているわよ。どう、あたしの下で副
部長やってみない」

「冗談。アンタの下で働くくらいなら、ネルフやめてバイトするわ。第一、日向さんをど
うするのよ? 」

「日向君には悪いけど、他の部署に回って貰おうかなって」

 ミサトがそう言った後、スピーカーの向こうから男の泣き声が聞こえた。

「この話は置いといて。船なら、荷揚げに紛れてシンジくんを連れ出すことも難しくはな
いわね。それに夜にこっそりと小型ボートを接舷するという手もあるわ」

 ミサトが話を元に戻す。

「冬月司令、急いで市内の交通を遮断してください」

 アスカの求めに冬月が答えた。

「それはかまわないが、第三新東京市は今復興工事の真っ最中だ。いつまでも交通をとめ
ておくことは出来ないぞ」

 アスカは口の中で根性無しと罵ったが、幸いそれは横に立っている水城一尉の顔をしか
めさせただけだった。

「どのくらい可能ですか? 」

「三日が限度だ。今のネルフでは精一杯だ。すまんな」

 特務機関としての権限を失ったネルフに過去の力はない。

「いえ。それでかまいません。お願いします」

 冬月の苦労がわかったアスカは不満を飲みこんだ。

「その間に何とかするしかないか。情報が少なすぎる」

 アスカは腹立たしさを隠さない。漁夫の利を得たように見えるアメリカだが、そんな偶
然を待っていたとは思えない。

「すでにルートは決まっていると見るべきか」

 アスカは独り言を口にした。
 リツコの声がアスカを思案から引きずり出す。

「アスカ、良い報せよ。ロシアの地上監視衛星を手に入れたわ。現在稼働中の全機がMA
GIとデータリンクしたから、リアルタイムで動きを追えるようになったわ」

「ブラックアウトタイムは? 」

 アスカは冷静に問う。監視衛星は地球の周りを回っている。ずっと日本の上に居るわけ
ではない。

「夕方4時から8時、深夜12時から早朝4時、朝8時から正午」

「その間に動かれたら終わりか」

 アスカがまた思考の海に沈み始める。

「葛城さん」

 日向の切迫した声がスピーカー越しに伝わる。

「どうしたの? 」

「ジョージアの車の周囲に6台の車が……あっ、止まりました。シンジくんの反応が出ま
した。くそっ、また消えました。全部別方向に走りだしました」

「やられたわね」

 ミサトが唇を噛んだ。

「シンジくんを積み替えたようね。あるいは、積み替えた振りだけかもしれないけど」

 リツコが冷静に分析する。 

「7カ所ともなると詳細を知るには時間がかなりかかりますよ」

 マヤが絶望的なことを口にする。

「7カ所同時に襲うわけにもいかないわね」

 ミサトが悔しげな声を漏らした。
 人質奪還作戦とはいえ、それはアメリカ諜報機関の出先を制圧することでもある。かな
りの抵抗が予想されるだけに、こちらも戦力を整えていかなければならない。いまだに戦
自の一部と和解していないネルフにそれだけの戦力を手当てすることは難しい。

「くっ」

 仕方なかったこととはいえ、戦自の陸上部隊を壊滅に追いこんだのはアスカである。ア
スカの心に痛みが走った。

「とにかく、全力でシンジ君を捜し出すしかないわ。タイムリミットは72時間。マヤ、
第三新東京市にあるアメリカ系企業のリストアップと駿河湾から3日目以降出航する船の
一覧を出して」

「了解です」

 リツコとマヤは動きだしたようだ。

「戦自の空挺師団へ行って来るわ」

 ミサトも病室を出て行く。電話より直接行った方が交渉しやすい。
 アスカは、手元のノートパソコンに第三新東京市の全図を出したが、小さすぎることに
舌打ちする。これではアメリカのアジトが判明してもその全部を視界に入れられない。

「水城一尉、急いで大きな市内地図を用意して。それを置くテーブルも」

「了解しました」

 水城一尉が走っていった。

「どうしたんですか、皆さん大忙しのようですけど」

 そこへ呂貞春とケンスケがのほほんとした顔を出す。

「ア、ア、アンタ。今まで何やってたの? 」

 アスカが叫び声をあげる。

「休校になったので帰ろうとしたら相田さんと出会ったのでちょっとお茶などを……」

「惚けてんじゃないわよ」

 呂貞春の説明を遮ってアスカが怒鳴った。

「シンジがアメリカにさらわれたのよ」

「えっ、そんな馬鹿な。マクリアータさんはそんなことしないと……」

 呂貞春が間の抜けた表情で言い訳をする。

「アンタ馬鹿ぁ? そんなことが起こったからみんな大慌てなのよ。何がどうなったのか
きちっと説明しなさい」

 アスカに叱りつけられてしゅんとしながらも呂貞春は今朝病院を出てからのこと全てを
話した。

「そう。あのヤンキー娘、そんなことを言っていたの」

 話を聞いたアスカは少し落ち着く。

「正々堂々と女の戦いを挑んでアスカさんからシンジくんを奪い取るんだってマクリアー
タさんは……」

 呉貞春が泣きそうな顔をする。責任を痛感しているのだ。

「学校の映像を見たんだろ、シンジがどうやって連れ出されたか判っているはずなのに、
何をさっきから呂に当たっているんだ惣流? 」

 ケンスケが泣き出した呂貞春をかばって前に出た。

「あっ、そうだった」

 アスカが急いでノートパソコンを操る。
 隔離状態の病棟は物理的に外界と遮断されるために監視カメラの映像さえ見られない。
それとシンジがさらわれたパニックで録画が有ることさえアスカは忘れていたのだ。

「ちっ、玄関の映像も廊下のやつもきれているわ」

「ごめんなさい、ブービートラップを仕掛けたんです。たぶん、その爆発で」

 呉貞春が詫びる。

「もう良いわよ、謝らなくて。シンジと付き合ったこの半年で、一生分のゴメンは聞いた
から」

 アスカはめまぐるしくキーボードを操作する。

「あった、保健室の映像に映っているわ。シンジが一人で出て行ったわ。あっ、ヤンキー
娘が倒れた。シンジと中年白人が戻ってきた。ヤンキー娘を抱えて……」

 アスカはマリア・マクリアータの言った宣言が嘘でないことを理解した。

「ふん、良い度胸じゃない。気に入ったわ。アタシのシンジを奪おうなんて、百万年早い
ことを思い知らせてあげる」

 アスカは闘志を全身にみなぎらせた。



 シンジはマリアとともに車を乗り換えさせられた。車は変わったが運転はジョージアの
ままである。乗り換えた車は集まっていた車と離れて第三新東京市のはずれへと向かう。
三十分ほどして車が止まった先は郊外に良く見られる庭付きの一軒家であった。
 拳銃をかまえた東洋人に迎えられてシンジは家の中へ連れこまれる。

「マクリアータさんはどうなるんです? 」

 マリアは引き離され、シンジは一人で窓もない地下室に閉じこめられた。

「随分、娘を気に入ってくれたようだねえ。父として嬉しいよ」

 血のつながりなど無いと言っていたジョージアがからかうように笑う。

「心配しなくて良い。マリアは今治療中だ。二日もすれば元通りになる」

「よかった」

 シンジが心底ほっとした顔をする。

「良くないね。君は、優しすぎる。敵の女にそこまで心配するのは、おかしいよ。全ての
人類を愛しているとでも言うつもりかね、碇シンジくん。それは神に対する冒涜だよ」

 ジョージアが口の端をゆがめる。

「まあ、こちらとしてはあの女を人質にできるからありがたいがね。あいつもやっと我が
偉大なる合衆国の役に立ったというわけだ」

「…………」

 シンジはジョージアを憎しみの籠もった眼で見た。

「おやおや、君の愛する対象に私は入っていないようだね。では、退散するとしよう。そ
うそう、逃げようなんて考えない方が良いよ。君を殺すことはしないが、マリアが傷つく
からね。君が一度逆らうごとにマリアのどこかを潰すよ。私としては、君のような青臭い
考えの子供は大嫌いなんだがね、本国から丁重にお連れするようにと命じられているもの
でね、マリアでストレスを発散するしかないんだよ」

 ジョージアは薄ら笑いを浮かべ、一度凄まじい眼でシンジを睨みつけると地下室を出て
行った。
 一人になったシンジは、膝を抱え頭をそこに挟み込むようにして座る。

「アスカ、ゴメン」

 小さな声がこぼれた。

                            



                                続く


 

 

後書き
 お読み頂きありがとうございます。

タヌキ 拝

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 タヌキ様の当サイトへの17作目。
 ア、アメリカのやつっ!
 ロシアの熊はアンタ(タヌキさんアスカ)に任せたわ!
 このアメリカのオタンコナスは私が直々にぐちょんぐちょんにしてやる。
 ああ、これからどうなるの?
 
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。

 

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