徒然
2009.08.31 月曜日
久しぶりに八月さんが目を覚ました。お別れの日だった。
「んじゃ、そろそろ行くかな」と八月さんは言った。
「夏は終わった」と私は言った。
「アカネに会ったんだ?」と八月さんは荷造りしながら訊いた。
「昨日ね」と私は答えた。
デレンス・ターキーのハンドバックにお菓子と歯ブラシと一ヶ月分の衣服を入れ(入るはずが無いと思うけれど、入ってしまうものは仕方ない)、軽く片手で持つ。
茶色の細身のズボン、白いカッターシャツ、黒いベスト、灰色のキャスケット帽を身に付け、赤色のジャケットとバッグを手に持った八月さんを玄関まで見送る。
艶々と光沢を放つ革靴を履き、八月さんは振り返った。
「さようなら八月さん」と私は言った。
「おさらばだ私」と八月さんは言った。
八月さんが行ってしまうのを見送って、私は玄関の扉を閉めた。
台所に入り、冷蔵庫を覗いてもうコーラが残っていないことを確認する。
お湯を沸かし、紅茶を作って飲んだ。
コーラの季節は終わったのだ、と私は思った。
2009.08.30 日曜日
『夏はまだ終わっていない同盟』のアカネに会いに行った。
「おいーっす」と私はいかりや長介のマネをしながら言った。
「似てねぇー」とアカネは言った。
「あ、こんにちは。いらっしゃいませ」とタカシ君が礼儀正しく挨拶をした。
「次行ってみよー」と私はいかりや長介のマネを披露した。
「……ぷ、くく、ふ、は、あははは!」とタカシ君は大笑いした。
可愛い。こんなに可愛いのに、どうして女の子じゃないんだろう、と私は思った。
「勘違いするなよ。タカちゃんはモノマネが似てるから笑ってるんじゃないぞ。あまりにも似て無さ過ぎるから笑ってるんだ!」とアカネは言った。
「そ、そんなことないですよぉ」とタカシ君は言った。
「気にするな。アカネはタカシ君の困った顔が見たいだけだ」と私は教えた。タカシ君は困った顔も可愛い。
持って来たシュークリームをタカシ君に渡し、アカネの部屋に向かった。
アカネと話をした。認めたくは無かったけれど『夏はまだ終わっていない同盟』の解散が可決された。
2009.08.29 土曜日
近所を散歩していたら、タカシ君とバッタリ会った。
「こんにちは」とタカシ君は礼儀正しく挨拶をしてきた。
「こんにちは」と私は答えた。ちょっと大人っぽく落ち着いた声で発音してみた。
タカシ君は学校の制服を着ている。
「おや、どうして制服を?」と私は聞いてみた。
「一学期の終わりごろ、流行り風邪があったので休校だったのです。その休みで遅れた授業を補填するために、今年の夏休みは昨日で終わり、今日から新学期が始まりました」とタカシ君は答えた。「しかし、明日は日曜で休みです。あまり意味が無い日程の組み方ですよね」
そういえばそんなニュースをやっていたな、と私は思った。あれは今年の事だったのか。
「アカネはどうしてる?」と私は聞いた。
「寝てます」とタカシ君は答えた。「本当は、起きなくちゃいけないのに。夏はまだ終わってないんだよ、とか言って寝てしまいました」
「夏はまだ終わってないぞ」と私は真実を話した。
「しっかりしてください」とタカシ君は言った。
2009.08.28 金曜日
昼過ぎに起きる。
庭を掃除して、水をまいた。木陰に入って休憩をする。根元に腰を下ろして目を閉じる。
蝉が鳴いている。遠くで車が走っている。風が梢を揺らし、髪を撫でる。
短く切ってもらった髪は軽い。
そういえば八月さんはどこに行ったのだろう、と私は思った。まだ八月さんは居るのだろうか。
目を開ける。空は青い。
「おーい」と私は八月さんを探してみる。「どこだー」
返事は無い。
もはや夏の終わりが近づいているみたいだ。
少しだけ歩いて周囲を探す。
家の中に八月さんはいた。居間で眠っていた。よく日焼けした肌が扇風機の風で冷やされている。
台所でコーラを飲んで、タバコを吸って、本を手に取ったが読まずに八月さんを眺めていた。
2009.08.27 木曜日
電話がかかってきたので、仕事をすることになった。
ホンダ・スーパ・カブに乗って出かける。
仕事は通行人のエキストラだ。
撮影のために封鎖された歩道を、端から端まで適当に歩く。
本当に、ただただ適当に歩く。ただの通行人がモデル歩きなんかをしてはいけない。
つつがなく仕事は終わり、いくらかのお金を得た。
貴重な体験をした。
今まで秘密にしていたけれど、私の趣味は間違い電話に間違いだと悟らせないことである。
2009.08.26 水曜日
髪が伸びてきたので散髪をすることにした。
八月さんが切りたいと言ったので、お断りした。
「なぜ?」
「うん。普段の行いがアレだからじゃないかな」
そういうわけで、美容室に行った。
メチャクチャ綺麗なお姉さんに髪を切ってもらった。すごく、とても、非常に、気持ちよかった。
久しぶりに恋をしそう。
2009.08.25 火曜日
クーラの掃除をした。フィルタについた埃を払い、水ですすぎ、日光で乾燥させる。乾燥させている間に、本体をみがく。
乾かしている間、家の中は暑いので冷たいシャワーを浴びる。寒くなったので、暖かいシャワーを浴びる。髪を洗い、体を洗う。
もう少し胸が大きくなれば良いのになと思いながら自分でマッサージをして、手が疲れたので諦める。
湯船に浸かりながら、八月さんがにやにや笑っているのが非常にむかつく。
「いつからそこに」と私は尋ねた。
「挟めるくらい巨乳になりたいにゃん、って言ってた所から」
「何を挟む……」途中で気付いたので口を閉じた。「にゃんなんて言ってない」
「案外気持ち良くないらしいよ、挟むの」
「いらない知識を植えつけるな」
そのあとも散々セクハラをされたので、最後には満身の力を込めた握りこぶしを叩き付けた。
2009.08.24 月曜日
お風呂上りに爪を切りながらコーラを飲んでいると、八月さんが夏休みの宿題を始めた。
どうやら、日記をまとめてつけているらしい。
「毎日書かないのに日記とはこれいかに」と私は言った。
「毎日のことが書いてるからギリギリセーフ?」と八月さんは言った。
「アウトー」と私は言ってあげた。
「アウトかー」と八月さんは言った。
日記を見せてもらうと、何一つ本当の事は書かれていなかった。
「……これはつまり、アルジャーノンに花束を、みたいな日記形式の創作作品なのかな」と私は言った。
「あ、じゃあそれで良いや」と八月さんは言った。「自由研究という事で。な?」
誰に提出するんだろう。そう思いながら爪にやすりをかけ、コーラを飲み、タバコに火をつけた。
2009.08.23 日曜日
八月さんとテレビゲームをすることになった。
野球のゲームと、サッカーのゲームと、バスケットボールのゲームと、ストリートファイターZERO3があった。
「なんか、古いのばっかだな」と八月さんがバイオハザードを手にしながら言った。
「最近ゲーム買ってないから」と私は答えた。
清原はライオンズに、カズはヴェルディに、ジョーダンはブルズに所属している。
「しかし、古いものでも面白いものはありんす」と八月さんがおいらん口調で手にしたソフトは、あの名作マリオカートだ。
三時間ほどぶっ通しで遊んだ。室内の空気はクーラによって二十五度に保たれ、コーラは良く冷え、アイスクリームは甘く、私と八月さんは薄着で、マリオとルイージはずっと走り続けた。
2009.08.22 土曜日
その日の朝早く、サクリファイスは家を出て行った。知り合いを尋ねる旅の途中だったらしい。
八月さんは号泣しながら別れを惜しみ、サクリファイスはキリっとした表情で別れを告げた。私は眠い眼をこすりながら、おにぎりを二つ握ってサクリファイスに持たせた。暑いから、なるべく早く食べるんだよ、と忠告しておいた。
二度寝をしてから目を覚ますと、もうお昼だった。カップラーメンに卵を落として昼食にした。八月さんはテレビのお笑い番組を見ながらお腹を抱えて笑っている。
「食べないの?」と私は八月さんに聞いた。
「夏バテで食欲無ーい。アイスしか食べれなーい」と八月さんは答えた。
「御飯食べない子にはアイス無しだよ」と私は言った。
「お母さんひどい!」と八月さんが言った。
私は思いっきり力を込めて八月さんの額に手刀を叩き込んだ。
「誰がお母さんだ誰が」
ブツブツ文句を言いながら、八月さんはカップラーメンを一つと、おにぎりを六つ食べた。夏バテには程遠いスコアだと思った。
2009.08.21 金曜日
八月さんは猫じゃらしでサクリファイスと遊んでいる。
私は台所でタバコを吸いながら本を読んでいる。
窓の外は今日も晴れで、やたらと青い空が視界のほとんどを埋めていた。
「おや、どうされたのだ。窓の外にたいやきでも飛んでいるのであるか? こう見えましても、我輩、たいやきが大好物である」
「え、あ、ううん。窓の外にたいやきは飛んでないよ」と私はサクリファイスに教えてあげた。
「……そうであるか。たいやきは窓の外を飛んではいないのだな……」
サクリファイスは八月さんに抱えられて、ぶらぶらと揺れながら意気消沈している。
「まあまあ、たいやきは無くてもアイスクリームはあるよ」と八月さんが言った。腕が疲れたようで、サクリファイスを放した。
冷蔵庫から棒アイスを三本取り出し、各々一本ずつ食べた。
2009.08.20 木曜日
庭に猫が迷い込んでいたので、ベランダのガラス戸を開け、家の中に誘い込んでみた。
「ほぅら、こっちは涼しいぞ〜。薄着の美女が二人もいるぞ〜」と八月さんが言った。
あの猫がメスだったら意味無いな、と私は思った。思った事をそのまま言った。
「あの猫がメスだったら意味無いな」
「いや、キンタマ付いてるからオスだよ」と八月さんは言った。
「……」はしたない、と私は思った。
「はしたない」とオス猫が言った。
猫が喋った、と私は思った。八月さんもびっくりした顔をしている。
「しかし、ふむ、なるほどそちらはいかにも快適そうな様子。しばらくお邪魔致しましょう」
短い足を動かして、猫が入ってきた。礼儀正しく自己紹介を始めた。
「我輩は猫である」とその猫は言った。
「名前は?」と私が聞いた。
「サクリファイス・ピジョンブラッドである」にこりと笑いながら猫が言った。「はるか以前では鳥であり、しかる後に犬になり、今は猫である。我輩である」
2009.08.19 水曜日
気温が摂氏百度(推定)を越えたので、クーラのスイッチを入れた。
今年は冷夏だと言われているし、事実、例年よりかは幾分気温が低い。
しかし暑いものは暑い。クーラを使わずして文明人と言えるだろうか。否。それは文明人とは言えまい。
そんなわけで、室内は快適だった。
畳の上に寝転んで、座布団を枕にして雑誌を読んだ。
「ここだけ冬になってる!」
外から帰ってきた八月さんが叫んだ。
「おかえり」と私は言った。
ちゃぶ台の上にコンビニのビニール袋を置いて、八月さんはクーラの真下に移動した。冷風を全身に浴びている。ワンピースの肩ヒモをずらして、ストンと脱ぎ捨てた。
私はしばらく、じっと目を凝らして八月さんの全身を眺めた。眺めてからおもむろに口を開いた。
「はしたないから、服を着なさい」
「そのセリフ、そっくりそのままリボンでも添えてお返しする」
あまりジロジロ見られると恥ずかしいので、急いで下着を着けて、服を着た。
2009.08.18 火曜日
私はアルコール中毒ではない。コーラ中毒だ。
一日に一本くらい飲んでいる。飲むと、喉が洗われる感覚がして好きだ。
窓の外を見る。雨が降っている。台所でアルコールの入ったコーラを飲みながら、タバコを吸い、本を読んでいる。
「アメリカの三大発明って知ってるか?」と八月さんが聞いてきた。
「知ってる」と私は答えた。
2009.08.17 月曜日
「昨日は危なかった」と八月さんは冷や汗を拭いながら言った。
「何が?」と私は言った。
「あのショッピングモール、あきらかにゾンビが出るタイプだった」
「あー」と私は言った。
八月さんの言いたいことは、少し分かる。ゾンビ映画で、主人公達が立てこもって一晩中戦う舞台。そういう感じだった。
「昼間に行って良かった。もし夕方から行っていたら、今頃ロッカーに隠れてゾンビをやり過ごそうとしている場面だよ」
最後は精肉屋の地下室でゾンビ化した八月さんとの一騎打ちだな、と私は思った。
昨日買った漫画に、そういう場面があった。
2009.08.16 日曜日
日曜日なので買い物に出かけた。八月さんが、新しい服を買いたいとダダをこねたからだ。
ついでなので私も服を買うことにした。さらについでに本も買おう。
郊外のショッピングモールまで緑色のマツダ・ロードスターに乗って行く。700台くらい止まれる駐車場に、今はだいたい三分の一くらい車が止まっている。
車を降りて、駐車場を出て、アーケードの端っこを歩き、服屋さんに入る。八月さんが好きなブランドだ。たしかデレンス・ターキーとかそんな感じの名前。
わりとえっちな服が多い。かと思えば、シンプルで素朴な服もある。でもシンプルでありながら少しひねくれている。八月さんのよく着ている、パッと見清楚な白いワンピースも、よくよく見てみれば端っこの方に大っぴらに言えない単語が、装飾された字体で刺繍してあったりする。
八月さんは赤色のTシャツ(シースルー)と黒色のレギンス(スパッツのことらしい)と群青色のホットパンツ(H・P)を買った。
私は男物の水色をしたカッターシャツを買った。襟の形が普通のものに比べて少し変わっている。こんな細い男がいるのか、と思うくらい着る人を選ぶシルエットだ。
本屋に寄って直感で一冊本を選び、それを買って帰った。
2009.08.15 土曜日
非常に限定された条件下ではあるけれど、私には特殊能力がある。
それが発揮される場所は、本屋。
私には、本を手に取るだけで、その本が面白いかどうかを判別する能力がある。手に取るだけというのは言いすぎかもしれない。
本のタイトル、装丁、重さ、紙質、匂い、味、雰囲気。
そういう物をひっくるめて判断する。
面白いものに当たる確立は、90%くらい。
ただ単に、読むものほとんどを面白いと感じているだけかもしれない。最近そう思わなくも無い。
2009.08.14 金曜日
読書にも飽きたので、テレビのスイッチを入れて映画のDVDを見ることにした。
本棚を見やると、数少ないDVDがケースにキチっと収まって背表紙を見せている。ほぼ全て洋画だ。
そして思い出す。アニメのDVDは本棚ではなく、押入れの中に入れっぱなしだった。
今はもう別れてしまったけれど、以前交際していた人はあまり良い表情をしなかった。年上の、仕事が良く出来る人だった。
なんで分かれたんだっけなぁー、としばらく思い出そうとしてみたけれど何も思い出せなかった。名前は思い出せたが顔は思い出せないことに気付いて、少しだけ良く分からない気持ちになった。
「エヴァンゲリオンを見よう」と八月さんが提案した。すでに押入れの中に上半身を突っ込んでガサゴソと漁っている。
「あー、うん、そうですね」と私は呆と答えた。
答えてから、あの人に答えるような喋り方をしてしまっていることに気付いて、また複雑な気持ちになった。
「……うわ! 限定DVDBOX! 素晴らしい! テレビ版と映画、どっち見ようかな! 痛い! 頭打った! ああ! カウボーイビバップ限定DVDBOX! ケーキの箱を模した入れ物! すげぇ! 実物初めて見た! うひゃぁ! OVA版ヘルシング! しかも全部限定版! 天井低すぎ! 頭痛い! 少佐のレリーフ! 眼鏡は別パーツなのか! 良く見るとアンデルセン神父も眼鏡は別パーツ!」
今の八月さんみたいな言動をした私を見て、あの人が見せた、微妙そうな表情を思い出した。やっと顔が思い出せた。
2009.08.13 木曜日
普段私はズボラな性分で、家の掃除などはおろそかになっている。ゴミはなんとか捨てているので、ゴミ屋敷にはなっていない。
たまに掃除をすると、やたらと凝る。ちょっとした大掃除だ。ありとあらゆる汚れが駆逐される。不眠不休三食昼寝付で掃除をした。
「あふぅ〜、き、気持ちいぃ〜」と八月さんが悩ましげな声で床を転がる。
「……疲れた」と私は呟いて床を転がる。
ゴロゴロ。ゴロゴロ。
今日はお寿司を食べよう。わさびはたっぷりで。
2009.08.12 水曜日
日焼けの跡がものすごく痛いので、一日中家の中で大人しくしていた。
台所でアルコール入りのコーラを飲んでタバコを吸って本を読む事しかできない。
いつも通りだ。
八月さんは虫アミを持って、外で蝉取りをしている。日焼けをしない、強靭な皮膚が羨ましい。
蝉を手に持ったまま家の中に入ろうとしたので、喉が裂けるくらい叫びながら家中の戸締りをして鍵をかけた。
虫は少し苦手だ。少しだけ。だから、そんな、ニヤニヤ笑いながら窓に張り付いて蝉の腹を見せないで……。
2009.08.11 火曜日
久しぶりに外に出て、日光浴をしてみようと思った。庭に椅子とテーブルを持ち出し、コーラ(アルコール入り)と本を持って光を浴びる。
しばらくして、汗をかきはじめる。Tシャツの袖で顔の汗を拭った。
八月さんが水着で庭に出てきた。水まき用のホースとシャワーヘッドを持って、空に向かって水を出した。八月さんは気持ち良さそうに水浴びをしている。
あまりに気持ち良さそうだったので、私も水着に着替えて乱入した。
「アレは? アレは持ってないの?」と八月さんが聞いた。
「たしか納戸に入ってたはず」私はそれに答えた。
「出していい? 出していい? いや、出す!」
納戸をひっくり返して、八月さんが子供用のビニールプールを持ってきた。水をためて馬鹿みたいに遊んだ。
やばい。超楽しい。
2009.08.10 月曜日
台所で本を読んでいた。テーブルの上にはアルコールの入ったコーラと、灰皿、火の点いたタバコが置いてある。
視線は本に向けたままタバコを手に取り、一口吸い、灰皿に戻す。飲み物を一口飲み、コップをテーブルの上に戻す。
キリの良い所まで読んだので、しおりをはさんで本を閉じた。少し息を吐く。
夏の日差しが傾いて、部屋の中を紅く染めようとしている。蝉がどこか遠くで鳴いている。家中の窓を開けているが、風は無い。
電灯の消えたままの薄暗い居間に、八月さんは寝転んでいる。またお腹を出して寝ている。扇風機は首を振って、八月さんの頭の先から足の先までだけを扇いでいた。
八月さんはスタイルが良い。背は高く、脚は長い。お腹は引き締まって細く、腰は優美な曲線を描いている。細い腕は自由に伸び、万歳のような格好だ。
大の字というよりも、×印になって寝ている。あまりに無防備過ぎる姿だった。
頭の奥が少し熱くなったが、空手の有段者がやるように深く呼吸をし、一拍置いてから夕食の仕度を始めた。
2009.08.09 日曜日
「やはり、夏が舞台の作品は、無条件に好きになってしまうわけだ」と八月さんは弁解した。
「あぁ、そうなんですか」と私は言った。
「だから、決して、ショタ好きというわけでは無い」
言われて見れば、そうかもしれない。
シンジ君はショタと言うほどショタなわけでは無いし、他のショタキャラにはかんばしい反応は見られなかった。
「ただ単に、シンジ君が好きなだけなんですね」
「それに異論は無い」と八月さんはキッパリと答えた。
「あ、ありがとう」と私はふざけてシンジ君の声で言った。
「……えへへー」と八月さんは笑った。
本気で照れてしまうところが、八月さんの持ち味なんだろう。
2009.08.08 土曜日
今まで言う必要が無かったので言わなかったけれど、私の趣味はアニメキャラクタの声真似を練習することである。
他にはどんな物まねが出来るのか、八月さんに根掘り葉掘り聞かれた。
「続きましてー」と私は続けた。「アニメ、ワンピースより、モンキー・D・ルフィ」
「海賊王に、俺はなるッ!」
「あはははは! に、似てるー!」
畳を叩きながら八月さんは笑い転げた。
楽しくなってきたので、今日は一日中物まね大会が開かれた。どうしてもと八月さんがねだるので、シンジ君の声で甘い言葉を囁いたりした。
どんどん調子に乗った八月さんは、無理難題を次々にぶつけてきた。寝不足がたたり、不必要にハイになった私は快く承諾した。
色々と八月さんの性癖が判明して、グッタリした。
八月さん、ショタ好きだったんだ……。
2009.08.07 金曜日
八月さんは不貞腐れている。昨日のおふざけに、私が付き合わなかったからだろう。
部屋の隅に、ダンボールで作ったマイクが転がっている。
「ノリ悪いなー。せっかく面白いネタ考えてたのになー。あーあ、本当にノリ悪いなー」と八月さんがブツブツ文句を言っている。
「朝の四時に、熟睡中の私を叩き起こして、ムリヤリラジオごっこをやらせた事の方が悪いと思う。そもそもなぜ関西弁」
寝不足なので、私は非常にテンションが低い。喋り方が綾波レイみたいになっている。
「お、ちょっと綾波レイに似てる」と八月さんが言った。
「え、ほんと?」と私は少し嬉しくなって聞いた。
八月さんは何も言わず、満面の笑みを寄こしただけだった。からかわれたのだ。
「畜生、畜生!」と私はシンジ君の物まねをしながら言った。
八月さんは、びっくりした顔で口を阿呆みたいに開けていた。
「そっくり……」
私の十八番だった。
「え、え? どうして? なんでそんなに上手なの!?」オタオタしながら八月さんが詰め寄って胸倉を掴んできた。冗談抜きで滅茶苦茶痛い。
「そ、そんなこと言われたって、わからないよ……」調子に乗って物まねを続けた。
「キャー! シンジくんー!」至近距離で八月さんが叫んだ。耳が痛い。
「シンジ君が好きなの?」と私は素に戻って聞いた。
「愛してる」と目をハートにして八月さんは言った。
2009.08.06 木曜日
あ、あー。テステス。ただいまマイクのテスト中。……これ電源入ってる? テステス。ただいま迷子の捜索中。
よっしゃ、オーケー。始めましょう。
ON AIR
「八月さんと!」「私の」
「スーパー・レディオ・ショー!」
BGM 徐々にデクレッシェンド
八月「いぁー、暑いですねぇ。そんなわけで今日も始まりましたスーパー・レディオ・ショー。略してSRS! 今夜も元気百倍八月と!」
私「私でお送りいたします」
拍手 口笛 クラッカの音
八月「さっそくやけどー」
私「なんでしょう」
八月「最近、ろっ君とクーちゃんが気になるねん」
私「六月君と九月さん?」
八月「そやねん。あいつら付き合ってるんちゃうかなと思ってるねん」
私「あー、そうなんですか。それは素晴らしいですね。愛、これに勝るものはありません。素敵なお話、ありがとうございましたー」
八月「うわ、〆た! 一瞬で話〆た!」
私「また来週ー」
八月「早っ! もうちょtt……
2009.08.05 水曜日
「暑い。マジムリ」と八月さんはのたまった。
私は台所の椅子から立ち上がり、ゆっくりと八月さんのいる居間へと歩き、だらしなくお腹を出しながら扇風機の前に寝そべる八月さんに襲い掛かった。
体重をかけないように気をつけて馬乗りになり、誤って引っ掻かないようにゆっくりと八月さんの口に両手の親指をつっこみ、口が裂けないように慎重に力を込めて両側にひっぱった。
「ひゃめへー」(訳:やめてー)と八月さんはダラダラ寝そべりながら言った。
「ふぅははははー! 鳴け! わめけ!」と私は言った。
暑い。マジムリ。
2009.08.04 火曜日
蝶になった夢を見た。夢を見ている蝶になった私は、自分が蝶になったことに気付いていない。そもそも私であったことすら覚えていない。
たまに蝶は夢を見る。私になった夢だ。
私は、私が蝶であった事を覚えているのか。
私が蝶なのか、蝶が私なのか。
そんな事を考えながら、アルコール入りのコーラを飲みつつタバコを吸った。
2009.08.03 月曜日
私はよく本を読む。
なんでも読む。SF小説から時代小説まで、なんでもだ。ある日はカート・ヴォネガットを読み、ある日は司馬遼太郎を読み、またある日はロード・ダンセイニや村上春樹を読む。
森博嗣や時雨沢恵一や荒木飛呂彦や乙一や小川洋子や加納朋子やオノ・ナツメやレイ・ブラッドベリや池波正太郎やハワード・フィリップス・ラヴクラフトや和月伸宏やレイモンド・チャンドラーや佐伯泰英や川上弘美や加持尚武やフランツ・カフカや田中芳樹やあずまきよひこや天野こずえや中島敦や梨木香歩やらを読む。
というような事を八月さんに言ったら、八月さんはこう言った。
「サザン・オールスターズが好き」
「あ。私もー」
このあとカラオケに行った。
2009.08.02 日曜日
昼間から台所で、アルコール入りのコーラを飲みながら文庫本を読んでいると、八月さんが窓から入ってきた。
八月さんは、生地の薄い、白いワンピースを着ている。長くて真っ直ぐな髪をキラキラと光らせながら、意味も無くターンをした。
「この、ふわりと舞い上がったスカートの裾が、体の回転よりも少し遅れて巻きついてくる感覚がたまらなく好き」と八月さんは言った。
「私は、チラッと見えた八月さんのふくらはぎの膨らみ方が、わりと好きだ。と言いなさい」と八月さんは私の真似をしながら言った。
「私は、チラッと見えた八月さんのふくらはぎの膨らみ方が、わりと好きだ」と私は言ってあげた。
大体の場合、私は親切で思いやりがあり、人に喜ばれることを自分の幸せと感じ、そしてなによりもわりと暇な方だ。
「よろしい」と八月さんは言った。八月さんは私よりも、もっとずっと暇そうだった。
2009.08.01 土曜日
昼の2時から夜の2時まで働き、ホンダ・スーパ・カブに乗って帰ってきた。
コンビニに寄って弁当を買い、少し歩いて自分の家に入る。
玄関で靴を脱ぎ、室内に足を踏み入れ、電灯のスイッチを押す。
「やあ、遅かったわね。おかえり」と八月さんは言った。
「待ち伏せしていたな」と私は言った。
「なに、偶然さ」と八月さんは言った。