徒然
2011.08.12 金曜日
2011.08.11 木曜日
八月さんをカードゲームでコテンパンにやっつけて勝利の一服を燻(くゆ)らせていると、携帯電話にメールが届いた。八月さんはデッキを握り締めて不貞寝している。
「出かけるよー」と私は八月さんに声をかけた。
「買い物ー?」と八月さんは寝返りをうってこちらを向いた。サラサラの長髪が頬にかかり、唇をくすぐって滑り落ちる。
「負け犬がメシ食わしてくれだって」と私は言った。
「しゃーねーなー」と八月さんは言った。しかたがないな、という意味だ。
タンクトップの上からシャツを羽織り、ジーンズをはく。ジーンズの左後ろポケットに財布を、右後ろポケットにタバコをつっこんだ。
八月さんは胸元にレースのついた黒いシャツを着て、葛城ミサトみたいなホットパンツをはいた。細かい刺繍が施された白い日傘を左手に持つ。
私と八月さんは玄関から行儀良く外に出た。
住宅街の静かな道を歩く。私は日陰を選んで進んだ。八月さんは日傘をくるくる回しながらうろちょろしている。
しばらく蝉の声を聞きながら歩き、小さな神社についた。鳥居をくぐって石畳を進むと負け犬とサクリファイスがいた。
「お久しぶりであります」と負け犬が言った。
「久方ぶりである」とサクリファイスが言った。
私と八月さんも適当に挨拶をした。
「こっちに来てたんだね」と私は二匹に言った。
「昨日ついたばかりであります」と負け犬は言った。
2011.08.10 水曜日
八月さんは居間で『初代』を見てる。私はキッチンで冒険シナリオを作っていた。
TRPG(テーブルトーク・アールピージー)のシナリオは、市販の物を買うか、ファンサイトで配布されている物をダウンロードするか、自作するか。
私は自作するのが好きなので、暇な時間を見つけて書き溜めている。作るのに慣れていると、プレイ中にアドリブを入れるのに焦らなくて済むようにもなる。
適当にシナリオの骨組みだけをいくつか作って、机の上を片付けた。
タバコに火をつける。口にタバコを挟んだまま立ち上がり、冷蔵庫からコーヒーを取り出してグラスに注ぐ。立ったまま左手にグラスを持ち、窓の外を見た。煙を吸い込んで、吐く。
タバコとグラスを交互に口へ運ぶ。窓は大きく開けてあり、風がそよそよと入り込んでいる。煙がゆらゆらと揺れる。
窓の外は今日も晴れている。青空と大きな白い雲。家の中でゲームをするにはとてもよろしい天気だ。
テレビは八月さんが使っているので携帯ゲーム機を起動した。
宇宙に進出した人類が地球に反旗を翻し、人型機動兵器を使って陣地を取り合うシミュレーションゲーム。
序盤に作成できるユニットは少ない。資金をやりくりして少しずつアドバンテージを稼ぎ、新たなユニットを開発、設計、生産、運用していく。
その涙ぐましいやりくりを嘲笑うかのように敵方に新兵器が登場する。白色の綺麗な塗装。胸部には鮮やかな青色が映え、赤い盾を持って私の軍を次々と撃破してくる。一対一では明らかに性能負けしている。どうやって勝つんだこんなの。化け物か。
大兵力を差し向けて勝利するものの、向こうの一機を破壊するのにこちらが払った代償は最新鋭機を一機含む合計八機。
失った兵力を取り戻す前に、白い悪魔が今度は二機攻めてきたのを確認して、私は静かにゲーム機の電源を落とした。
窓の外を見ると、すでに陽は落ちかけて空が赤く染まっていた。
「メシ食いに行こうぜー」と八月さんがキッチンへ入ってきた。声が少しかすれている。
「おうイエー」と私は応えた。私の声も少しかすれている。
二人とも、今日始めて言葉を発した。
2011.08.09 火曜日
コンビニへ行き、飲み物を買うついでにカードを買ってきた。
八月さんはビニールを破いてカードを取り出す。私はそれを見ている。昨日八月さんが持っていたカードは本当に拾ったらしい。ポイ捨てはよくないと思う。
「完成!」と八月さんが言った。
「完成?」と私は訊いた。
「ゲームで使うデッキが完成したんだぜ!」八月さんの口調が変わっている。
「んじゃ、ちょっくらやってみますか」と私は言った。
居間の卓袱台を挟んで向き合う。
「じゃーんけーん」と私は腕を振りながら言った。先攻後攻を決めるためにじゃんけんをするためだ。
「ぅおれのタァーン! ドロォー!」と八月さんは気合充分でカードを一枚、山札から引いた。
あぁ、アニメじゃ先攻後攻を決めるのは省略されてるからか。アニメキャラがいちいちじゃんけんしてたんじゃ、テンポ悪いもんな。
数ターン経過して、だんだん八月さんのテンションは通常運転になってきた。たぶん疲れたんだろう。あるいは我に返ったのかもしれない。
学生時代の同級生も同じ感じだったなぁ、と随分遠い記憶を掘り返した。あの娘、作中のキャラにかなり入れ込んでたな。モノマネせがまれて随分練習したもんだ。……そんな事を思い出していたのがいけなかったのかもしれない。
八月さんの召喚したモンスターが、私に向けて攻撃宣言をした。
「ふぅん、甘いぞ! リバース・トラップ、オープン! 『リビング・デッドの呼び声』!」
私の墓地からモンスターを蘇生させるッ!
「舞い戻れ! 『青眼の白竜』!」
「お、おー?」と八月さんは言った。
「ウワハハハハー! 強靭! 無敵! 最強ぉ!」
もう何年も前、八月さんに見せたアニメDVDよりも二世代前の作品、通称『初代』に登場するキャラのモノマネを条件反射で行い、そのままの勢いでゲームに勝利した。
「人がはしゃいでる所見ると醒めるよねー」片付けをしながら八月さんが言った。
胸の古傷、同じ場所に同じ言葉が刺さった。でも、すごく似てるんだぞ。
2011.08.08 月曜日
午前中に家の掃除を適当に済ませ、お昼御飯にラーメンを食べ、次の冒険シナリオを考えようとキッチンの机に筆記用具とルールブックを置いた。
「おい」と八月さんが声をかけてきた。
「なにー?」と私は応えた。
「デュエルしろよ」と八月さんはカードゲームを持って下手糞なモノマネを披露してくれた。
「ハマったのか」と私は言った。カードゲームを題材にしたアニメDVDを押入れから発掘して、テレビの横に置いておいたのが功をそうしたようだ。
「そのカードはどうしたの? 拾ったの?」と私は尋ねた。
「先に言うとかチョーひどい。『カードは拾った』って言いたかったのに!」と八月さんはご立腹だ。
私は小さく喉を鳴らし、準備を整える。そして口を開く。
「おい、デュエルしろよ」
「そっくりー! すげぇ!」八月さんは驚いた。
「あ、ありがとう」とシンジ君の声で言った。
「キャー! シンジくーん!」八月さんは興奮した。
「綾波を……、返せッ!」と新ネタを披露した。
「キャアァー! シンジさーん!!」八月さんは大はしゃぎだ。
「えー、続きましてー」気分が乗ってきた。
窓の外を、青い空を背景に真っ白い飛行機雲がグングンと伸びていく。影はクッキリと濃く、風は穏やかで、庭の木が微かに音を立てて揺れていた。
2011.08.07 日曜日
昼前に目覚めて、キッチンでタバコを吸っているとアカネとタカシ君が起きてきた。
「おはよう」と私は声をかけた。
「おあよう」とアカネは応えた。目が開いていない。
「そちらの漆黒の剣士さまもおはよう」と私はタカシ君をからかった。
「お、おはようございます」とタカシ君は可愛く応えた。
アカネは勝手に冷蔵庫を開け、瓶入りの牛乳を取り出した。私は何も言わない。
「アカネさん、勝手に冷蔵庫を開けるのは失礼ですよ」タカシ君がちゃんと躾をしてくれるからだ。
「メンゴメンゴー」とアカネは誠心誠意まごころを込めた謝罪をよこしたので手刀を差し上げた。
アカネは泣きながら、顔を洗うために洗面所へ向かった。
私はタバコを消し、戸棚からグラスを二つ取り出して机の上に置く。
「たんとお飲み」冷蔵庫からペットボトルに入ったコーヒーを取り出しながら言った。新品だったので力を入れて封を開け、グラスに注いで半分だけ飲む。
タカシ君は少し迷って、コーヒーをグラスに注いだ。
「牛乳は飲まないの?」と私はタカシ君に尋ねた。タカシ君は、たしか身長を伸ばしたがっていたはずだった。
「アカネさんが、小さい方が好きだって言ってたので」タカシ君はこっそり私に教えてくれた。
……躾られているのは、はたしてどちらなのだろうか。
2011.08.06 土曜日
彼らのパーティは、辺境にあるハマジリ村の近くに集結しつつあるゴブリン(背の低い人型の、醜い怪物)の野営所に奇襲をかけた。
「主よ、我が望みの喜びよ!」
まず、美少女ドワーフ神官であるエスメラルダが彼女の信ずる神に祈りを捧げ、パーティに加護を与える。具体的には命中率とダメージに+1ポイントだ。
「はん! こんなやつら、私一人で充分だってのに。さっさと眠れ! 『ヴォワ・ドルミール』!」
次に、傾国の超絶ツンデレ美エルフ術師であるグルナが眠りの呪文を敵陣のど真ん中へ放り込む。
「……俺は、いつまで戦い続ければいい……? いや、今は迷っている状況じゃない。戦わなければ、俺は復讐を果たせなくなる。俺の国を、父を、母を、妹姫を、民を奪ったあいつらを地獄に叩き落す力を付けるために。それまで俺は、……俺は戦い続けるッ!」
黒い鎧に身を包み、悲しみに満ちた思い出を胸に剣を振るう、銀色の髪で紅い右瞳と金色の左瞳をした亡国の王子、武芸全般と魔法の才能に恵まれ、その容姿はすれ違う人々が男女隔てなく振り返る程の美しさで、前世は天使で、異性からのアプローチには鈍感で、それでいて頭脳は明晰で抜け目が無い性格をしており、さらに伝説の勇者の血筋で、えーとあとなんだっけ、笑顔があどけないとか、ついつい妹にするのと同じように女の子の頭を撫でてしまうとか、とにかくドワーフとエルフの『中の人達』が悪ふざけしまくったキャラクタ設定を律儀に守るタカシ君ことアポステル・ネメシス=ラ・パラディーゾ改め、流浪の黒剣士アンヘルが背負った大剣を抜き放って切り込む。
多少苦戦しつつゴブリンを蹴散らし、ボスキャラが登場。ホブゴブリンを満身創痍で退けて、ハマジリ村へ帰還した。
雑談を交えながらレベルアップの処理を行い、第一回の冒険は無事に終了した。
2011.08.05 金曜日
剣と魔法と薄暗い地下迷宮。徘徊する異形、畏怖を撒き散らす竜、神々しく輝く翼を持つ天の使い。
そういうのが大好物だ。
仲間を募り、隊列を組み、役割を分担し、注意深く罠を避けて進む。
騎士は盾を持ち、戦士は槍を構え、剣士は刃を磨き、神官は祈りを捧げ、術師は呪文を呟き、盗賊は注意深く目を凝らす。
そういうのが大好きだ。
「というわけで今からダンジョンに潜ります」と私は言った。
「チョー得意」と八月さんは言った。
「これやんの久しぶりだなー」とアカネが言った。
「僕は初めてです」とタカシ君が目をキラキラさせて言った。すごく可愛い。
用意するもの。ルールブック、キャラクターシート、ダイス、筆記用具、気心の知れた仲間、想像力。あと飲み物とお菓子。
私達はまず、自分の分身となるキャラクタ作成に取り掛かる。ダイスを投げて能力値を決め、皆と相談しながらパーティのバランスを考えて種族と職業を選んだ。
アカネはドワーフの神官、八月さんはエルフの術師、タカシ君はヒューマンの剣士を選んだ。
私は進行役、ダンジョン・マスタだ。
用意したシナリオを手に取り、私は口を開く。
「君たちは今、首都ロンデニオンの酒場、『銀の猪亭』に居る……」
2011.08.04 木曜日
目を開ける。床の上で眠っていたみたいだ。電灯は煌々と点灯し、クーラは冷たい空気を吐き出し、テレビは明るく、ゲーム機は唸りをあげている。
寝オチ、という奴だ。ゲーム画面を見ると、私のキャラクタは町の真ん中でマッチ棒みたいに突っ立っている。
私は身体を起こすとデータを記録し、ゲーム機の電源を落とした。
ストレッチをすると身体はバキバキと音を立てて、痛くて少し気持ち良い。気持ち良いけど痛いのか、痛いから気持ち良いのか。
時計を見るとそれは11:34を表示していた。午前だろうか、午後だろうか。カーテンの隙間から光を感じないから午後なんだろう。
台所へ行き、冷蔵庫からヨーグルトを取り出して立ったまま食べ始める。一人暮らしが長くなれば行儀も悪くなる。家から出ない生活をしていれば服も着なくなる。
今は八月さんが居るのでパンツとTシャツは着ている。右の内腿を見ると赤くなっている。虫にでも咬まれたのだろうか。痒くは無いので無視する。
「虫だけに」と八月さんが言った。
「……ひどい」と私は言った。あまりにも酷すぎる。
「後から悔いるから後悔なんだよ」と八月さんは言った。
八月さんは茶色いハーフパンツ(私のだ)にだらしなく脚を通し、丈の短い黒と赤のタンクトップを着ていた。白いお腹がチラチラと覗いている。
食べ終わったヨーグルトの容器をゴミ箱に捨て、手で口を拭い、冷蔵庫からペットボトルに入ったコーヒーを出す。コップには注がず、直接飲む。洗うのが面倒だからだ。タバコに火を点ける。
換気扇を回し、しばらくダラダラとタバコを吸う。口の中が乾いたらコーヒーを飲む。
「めし食いに行くかー」タバコを消しながら私は言った。
「おうイエー」と八月さんは応えた。
顔を洗い、髪をとかし、ズボンを履いた。財布をポケットに突っ込み、準備は完璧に整った。玄関に向かおうとすると、八月さんが私の肩に手を置いてこう言った。
「ブラはつけようね」
すごく優しい顔だった。
「いくら必要ないと言ってもね」
一言多い。
2011.08.03 水曜日
八月さんは窓を出入り口代わりにするのが好きだ。玄関の扉を開ける事も多いけれど、窓から入ってくる頻度もけして少なくない。
窓の外でサンダルを脱いで、窓枠に素足を乗せて華麗に進入してくる。長い髪がサラサラ揺れて滑らかに広がり、そして元の形に戻る。
白いワンピースに、どこかの令嬢が被るような白い帽子を左手に持ち、首からゴツイ双眼鏡を下げている。
「すぐ隣にベランダがあるじゃん」と私はゲームをしながら言った。
「ベランダには窓が無い」と八月さんは応えた。
「ふぅん」と私は言った。
ゲームに一区切り付いたので、データを記録して電源を落とす。メガネを外して、仰向けになって寝転んだ。しばらくそのままの体勢でじっと止まる。
「何してんの?」と八月さんが聞いた。
「だらぁっとしてる」と私は答えた。
私は今だらぁっとしてる。
2011.08.02 火曜日
「ニート」と八月さんがとても酷い事を言った。
「電子の旅人と呼んでくれても良いよ」と私は答えた。手にはゲーム機のコントローラを握っている。
画面の中の私は耳が長くて、魔法金属で作られた鎧を着込み、弓と短刀を持ち、魔法を使っている。
「このキャラ顔がそっくりなんだけど」と八月さんが言った。
「わりと細かくフェイスメイク出来るゲームなんだよ」と私は教えてあげた。「ここまで似せるのは難しいけれど」
「でも身体は似てないんだねダブリュー」と八月さんは私の胸を見て言った。
「ダブリュー?」
「このキャラ巨乳じゃんw、ってこと」
私はまずメニュー画面を開き、ゲームデータを記録し、丁寧にゲーム機の電源を落とした。テレビ台にキッチリとゲーム機を収納し、テレビ台の扉を閉める。
私は何も言わず、八月さんに襲い掛かった。憎しみと悲しみと羨望とがごちゃまぜになった気持ちを抱えて、思う存分揉んでやった。
力が少し強かったのか、八月さんは痛がっていた。
ははっ、ざまぁw ざまぁ……。
2011.08.01 月曜日
失業中なので求職中。なのでずっと部屋の中でゲームをしていた。
玄関の方から金属をこすり合わせるような音が聞こえたので、何か武器になりそうな物を探してから確認しに行こうと思う。
ペンタブレットのペン、ローマ土産の小さな灰皿、ライター、2リットルのペットボトル、木製のペーパーナイフが部屋の中に落ちている。
3秒だけ考えて、大人しく工具箱の中から重たいレンチを取り出した。室内用の茶色いハーフパンツを履き、何年か前に買った水色のカッターシャツを着る。いつものようにレンチを袖の中に隠した。
玄関に行くと八月さんが後ろを向きながら、こっそりとドアを閉めている所だった。振り返って私と目が合う。
「ま、待ち伏せしていたな!」と八月さんが叫んだ。黒いワンピースにフリフリのレースが付いた純白のエプロンを重ね着している。
「なに、偶然さ」と私は言った。いつもと逆だな、と私は思った。