シンジは目を覚ました。 午前1時に寝るとき確認したが、もう一度ベッドサイドのデジタル置時計を見る。 もちろん確認するのは時間じゃない。日付の方だ。 0214。 間違いない、2月14日だ。 よし!義理でいいからたんまり貰うぞっ! 大きく息を吸い大きく頷くと、日付から時間に目を移してシンジは目を大きくした。 7時55分! まずいっ!遅刻するっ! シンジは素早く制服に着替えると、鞄を引っつかみ扉を開けようとした。 その1秒後、シンジはしたたかに身体を扉にぶつけてしまっていた。 いつもの癖でノブを捻って身体で扉を押し開けようとしたのだ。 「痛っ!」 ノブを回してみる。 ちゃんと回る。 今度はそのノブを押してみる。 扉は開かない。 鍵!……はついていない。 「ど、どうしてだよ。どうして開かないんだよ」 「それはね…」 扉の向こうから声がした。 誰の声かとも一瞬たりとも考えたりはしない、聞き慣れたその声。 「これは夢の世界だからよ」
「な、何言ってんだよ。夢なわけないじゃないか」 シンジはさっきの身体をぶつけた痛みを思い出していた。 念には念を入れて、頬を抓ってみる。 「痛っ!」 「アンタ馬鹿ぁ。ひょっとしてこんな夢見たことないの?感覚のある夢を」 「そんなの見たことないよ。いつもの冗談だろ。やめてよ、遅刻するだろ」 「じゃ、夢だって証拠を見せてあげようか?」 「ああ、見せてよ。もう、早く行かないと、今日は大事な日なのに」 「だったら扉から離れてよ」 「うんいいよ。早くしてよね」 シンジはいつものアスカの冗談だと確信していた。 隣人で幼馴染のアスカには小さな時から振り回されてきたのだ。 こんなにはっきりした夢なんかあるはずないじゃないか。そうシンジはアスカのくだらない冗談と決め付けていたのだ。 だからこそ、気は急くものの悠然とベッドサイドに腰掛けたのである。 扉がゆっくりと開いた。 どうせアスカが扉を押さえつけてたのに決まってるよ。だいたいアスカはいつも子供じみた……。 その瞬間、シンジの思考回路は停止してしまった。 バレンタインデーに本命義理にかかわらずチョコを一番たくさん貰った者が、
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開いた扉から入ってきたのは、真っ赤なビキニのアスカだった。
季節は冬。 微笑みながら部屋に入り、後ろ手で扉を閉めたアスカはその赤いビキニ以外は身につけていない。 プールや海水浴に友達や家族で行ったことは何度もある。 でもアスカはビキニなんか着ていたことはなかった。いつもワンピース型を着ていたのだ。 シンジはだらしなくも口を半開きにし、目を丸くしてアスカの肢体に魅入っていた。 「どう?私の身体。綺麗でしょ」 催眠状態のようなシンジはふわふわと何度も頷いた。 「こんなの夢じゃないと見られないわよ。ま、アンタがいつも見たい見たいと思っていたからこうして夢に出てきたんだけどね」 「ぼ、僕が?」 「当たり前じゃない。そうでなきゃ、この私がアンタの前でこんな格好して出てくると思う?」 シンジは考えた。 アスカは人知で計ることのできない、とんでもなくぶっ飛んだ思考と行動力を持っている。 「ほら、見てぇ」 聞いたこともないような甘えた声を出すアスカ。 モデルやアイドルの水着写真のように、微笑みながら色々なポーズを取る。 「ゆ、夢なの?これ、本当に」 「だから言ってるでしょ。これは夢だって」 「で、でも、どうしてアスカが」 「さっきも言ったでしょ。アンタが私の水着姿を見たいって願っていたからじゃないの」 「そ、そうだったんだ」 アスカは内心ほくそえんだ。 これで単純なシンジは洗脳状態に堕ちた。 まずは計画第壱号改は成功ね。
賢明な読者諸君はもうお分かりだろう。 これはアスカが一ヶ月以上考えに考え抜いた作戦だった。 クリスマスの告白作戦に敗北してから、この日に照準を合わせてシナリオを練ってきたのだ。 あの時はアスカの作戦が甘すぎた。 家族同士のクリスマスパーティーのはずが間抜けなシンジの所為でとんでもない人数が参加してしまったのだ。 鈴原家がパーティーをしないと聞いて彼の妹を可哀相だと思い、トウジ兄妹を招待した。 二人だけじゃ来にくいだろうとケンスケを呼び、日頃の鈍感さを忘れたかのようにトウジのためにヒカリも招待した。 そしてヒカリだけじゃケンスケが可哀相だと思い、マナたち女子数人も招待したのだ。 アスカもきっと喜ぶだろうと思い込んで。 ヒカリからシンジの策略(と、アスカは決め付けた)を聞いたアスカは天を仰いだ。 |
※『葛城ミサトセミヌード写真集』………脱がないグラビアアイドルとして人気を誇っていた彼女だったが、大台を前にやや人気の陰りを見せてきた。そこで起死回生の一策としてセミヌードという手段を取った。一気にヘアヌードまでいかなかった所が功を奏して、発売後爆発的な売り上げを示したのだ。
※赤いビキニ………“こんなこともあろうかと”とは思ってはいなかったが、シンジと二人きりで夏の海岸に…という妄想がデパートの水着売り場で爆発し衝動買いしたものである。 |
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自分の誕生日イベントの時にシンジに告白させる作戦に失敗していたからだ。 当然、クリスマスのその日にシンジをその気にさせるようにあれこれ作戦を考えていたのである。 ヒカリには相談していたのだが、問題はシンジに気があるマナたちだった。 |
※誕生日イベントの失敗………パーティーが終わったあとに二人きりになりムードを盛り上げて告白させようとした。ところが景気付けに呑もうとしたシャンメリーをキョウコのカクテルと間違えてしまい、超暴れん坊将軍モードに突入しすべての計画は無にかえったのだ。 | |
アスカの気持ちを知っているヒカリは表面上は申し訳なさそうにパーティーに来た。
ただし心の底では恋しいトウジにおおっぴらにプレゼントをあげる事ができ、 パーティーは盛り上がった。ただ一人、アスカを除いて。 あとでヒカリに手を合わせて謝られたのだが、アスカの脱力感は夥しかった。 ただ、この失敗した作戦の中にも収穫はあった。 いや収穫とは言えないかも知れない。寧ろ、障害を発見したのだ。 間違いなくマナたちはシンジにLOVEしてる。 シンジが鈍感だから今のところは大丈夫だが、そのうちに彼女たちの気持ちに気づくだろう。 そうなると、ふらっと交際を始めてしまうかもしれない。 許さない!そんなの絶対に許さないわっ! クリスマスの深夜にアスカの絶叫が近隣に響いた。 ベッドで眠ろうとしていたシンジもその叫び声を聞いたのだが、 |
※シンジに気があるマナたち………間違いないとアスカは決め付けていたが正解である。シンジは結構人気があったのだ。それに、アスカにしてみればこんな天才金髪美少女が惚れるくらいなのだから、シンジを好きにならない女が存在すること自体が信じられないのである。
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そう、シンジにとってアスカはあまりに近すぎて交際の対象としては思ってはいないようなのだ。
だからこそアスカは焦っていた。 こっちから告白するのは恥ずかしいし、もし断られたらと思うと絶望感に打ちひしがれてしまう。 でも、もうすぐあのイベントがやってくる。 カップル製造イベントとして名高いバレンタインデーだ。 もしこの日に本命チョコだとマナたちに渡されたら…。 アスカは身震いした。 まずい!絶対にまずいわっ! 正月の深夜にアスカの絶叫が近隣に響いた。 お屠蘇でベッドにへたり込んでいたシンジもその叫び声を聞いたのだが、 そこで、アスカは夜も眠らずに計画に没頭した。 夜は眠らなくても授業中に眠っているので睡眠時間は確保できていたのだ。 |
※暴れん坊将軍モード………アスカがこのモードに突入したときにはもう誰にも止めることができない。但し、実はシンジが一言言えば暴れん坊将軍モードから甘えん坊将軍モードに切り替わるのだが、それは先の話である。
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しかもさらなる睡眠時間の確保と告白の機会を作るために、 毎日放課後にシンジの部屋に乱入しそのベッドで晩御飯まで眠っていたのだ。 その結果睡眠時間は充足されたが、シンジは何も行動に出はしなかった。 こんなに美しくて健康な天才金髪美少女が無防備にすぐ傍に眠っているのに、 |
※晩御飯………アスカはシンジの家で晩御飯を食べるのが日課になっている。碇家の夫婦と違い、惣流家の夫婦はベタベタである。思春期の娘にとって目の毒なのでアスカは碇家に避難しているのだ。もちろんこれは建前で、実際はシンジと少しでも一緒にいたいがためなのである。但し、惣流夫妻がベタベタなのは事実であることは確かであり、実は碇夫婦も隠れベタベタであることは両家だけの秘密なのだ。 | |
アスカはさらにショックを受けた。
私のどこが悪いのよぉっ! 成人の日の深夜にアスカの絶叫が近隣に響いた。 CDを聴いていたシンジもその叫び声を聞いたのだが、 さてそれからはアスカはさらに計画に没頭したのだ。 食事をしているときも、歩いている時も、テストを受けている時も。 おかげでテストは生まれて初めて53点という惨めな点数を取ってしまった。 |
※天才金髪美少女………惣流・アスカ・ラングレーが本人を形容するのに用いる言葉である。あまりに大仰でありまた自負心が強すぎるのだが、現実にそうである以上誰も文句がつけられない。但し、陰では天災金髪美少女と読み替えて用いられることも多いという。 | |
但し彼女の名誉のために真実を伝えておこう。
アスカは8分26秒で満点の回答をテスト用紙に記入したのだ。 では何故100点満点が53点に化けてしまったかというと、こういうことだ。 答案を書き上げた彼女には見直す必要がない。 それはアスカが天才金髪美少女であるからに他ならない。 したがって、残りの41分34秒は暇である。 当然その時間は、シンジ獲得大作戦の計画立案に割り当てられなければならない。 そして、目の前にはプランニングに格好のペンと紙。 早速彼女はテスト用紙を裏返して、シナリオを練り始めたのだ。 テスト終了のチャイムが鳴ったとき、用紙の半分までシナリオは埋められていた。 しかも消去してしまうには惜しい内容のようにその時はアスカには思えた。 彼女は躊躇なく手にした消しゴムを投げ捨て、計画書の空白部分をびりびりと破く。 裏を返すと、残ったのは答案の下半分だった。 アスカは鼻で笑うと、空白にクラスと出席番号、そして、惣流・アスカ・ラングレーと殴り書きするのだった。 アスカの前の座席の少女は後から回ってきた答案用紙が半分に千切られているのを見て、びくんと背中を震わせた。 かなり驚いたのだろう、それからしばらくはちらちらとアスカを盗み見していたのだから。 こうして、アスカ史上初の53点という答案が出来上がったのである。 しかしながらその計画書を家に帰ってしげしげと眺めてみるとあちこちに不備な点があり、 それだけ熱中していたためか、アスカは夢の中でもシュミレーションをするようになってしまった。 まあさすがに夢だけに自分に都合のいい展開だったが、このことがアスカにヒントを与えたのだ。 シンジを夢の中に誘導して、その夢の世界で彼氏彼女の関係にまで突き進む。 相手は鈍感大王のシンジである。 少しショックを与えれば夢の現実の区別がつかなくなるだろうと、アスカはそのショックの与え方を研究した。 そして自分の恵まれた容姿を活用することを決意したのだ。 なるほど一糸纏わぬ裸身をさらけ出せば、さすがの鈍感大王でさえショックを受けるだろう。 ただその場合は、鈍感大王が淫蕩魔王に変身してしまう可能性が高い。 シンジの部屋でおそらく2バカから回ってきたのだろう。ヌード写真集を発見したからである。
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※53点………アスカが過去に取った最低得点は86点である。これは花丸(幼稚園)以来の記録である。今回のこの53点という記録は生涯破られることがなかった。
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もちろん、発見した禁制品は即座に押収し陰部胸部を黒マジックで塗りつぶし、押収場所へ速やかに返還している。
それでも抜け荷をあきらめない悪徳商人碇屋だから、その方に対する興味と関心は並々ならないものがあるのだろう。 従って、ヌードでショックを与えるのは断念せざるを得なかった。 いつかは全てを許してもいいとは思っているが、まだ中学生だし、それに順を追ってそこに至る方がいいのに決まってる。 いきなり肉体関係になってしまうと、その点だけでの繋がりになってしまわないかと懸念したわけである。 その点での繋がりという事を考えたときに、 このようにしてこれまで誰にも見せたことのないビキニ姿でシンジの度肝を抜くという、作戦第壱号改が策定されたのである。 ひとたび作戦の出だしが決まってしまえば、あとは簡単だった。 できたっ!やったっ!やったわよぉっ! こうして2月12日の深夜にアスカの絶叫が近隣に響いた。 禁制品を食い入るように見ていたシンジもその叫び声を聞いたのだが、
さて、そのバレンタインデーの朝。 作戦第一号改は成功したらしく、シンジは呆然とアスカの水着姿を眺めている。 もちろん、冬の朝である。水着でいるとくしゃみの一つもしないとおかしいのだが、そこは智謀の塊であるアスカだ。 そこに抜かりはなくシンジが熟睡している間に、前日にこっそり入手しておいたリモコンでエアコンのスイッチを入れ部屋を温めておいたのだ。 当然のことながら水着で隣家から来たわけではなく、制服の下に着てきたのである。
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※2バカ………世間では3バカと呼称されているが、アスカの中ではシンジは当然自分だけの馬鹿であるため、残りの二人が馬鹿なのである。もちろん、表面上はシンジを加えて3バカとアスカも口にはしているのだが。乙女心は複雑なのである。
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後の姑となる碇ユイには台所で平伏し、今後の作戦に支障がないよう協力を要請して今回の作戦遂行の許諾を受けている。
「ようするに邪魔をするなというわけね」とユイはあははと笑った。 「はい、お母様」と真剣な面持ちで答えるアスカに、ユイは今回は成功するかもねと微笑ましく思うのであった。 階下のユイは静まり返っている2階に聞き耳を立てる。 もし不穏な物音がすれば、手にしたフライパンが狼と化した息子の頭に炸裂するわけだ。 そういったことになり実際にフライパンを振りかざしたとしても、どうせ襲われた筈のアスカが狼息子を庇うことだろう。 その結論に至ったところで、ユイはフライパンを五徳へ戻した。 「ねぇ、貴方。目玉焼き食べる?」 「ああ。頼む」 「で、今日はずる休み?」 ゲンドウは眼鏡を人差し指ですっと押し上げた。 「ああ、バレンタインデーだからな」 「義理チョコももらえないからって、ずる休みするなんて高校生並みね」 「私は……本命が一つあればそれでいいのだ」 ユイは吹き出した。そんなに照れるんなら言わなきゃいいのに。 ゲンドウの照れ顔を見分けられるのはこの世界でユイただ一人だけだった。
「本当に夢なんだね」 「そうよ。アンタは心の中でいつも私を求めていたの」 「そうなんだ。気づかなかった」 アスカは微笑を絶やさない。 だが、今のシンジの一言は彼女の乙女心をそれは深く深く傷つけたのだ。 これを癒してもらうのに、彼女はシンジに一生かけて償わせることを決意していた。 しかしながら、今はダメだ。夢の中であることを徹底しなければならない。 アスカは鋼鉄の如き意志の力で微笑み続けた。 その微笑にシンジは次第に惹き込まれていく。 「ぼ、僕は…」 シンジがベッドサイドから立ち上がった。 そ、そうよ。その調子よ。 私の魅力に悩殺されなさい。 「アンタは自分の気持ちに気づかなかったのよ。本当はずっと私のことを好きだったの」 さすがにこのセリフは声が上ずった。 「そ、そうなのかな…」 首を捻るシンジに、アスカはさらに攻撃を続ける。 「そうよ。小さいときから私のことを好きだったの」 「小さいとき?」 「そうそう、小さいときよ。幼稚園のときなんかどう?」 「幼稚園か…」 シンジが懐かしそうな顔をした。 「あっかちゃん、可愛かったなぁ…」 「シンジだって可愛らしかったわよ」 アスカもつい釣り込まれてしまった。 あの頃からシンジ一筋だったのである。 幼稚園のときのシンジの笑顔。天真爛漫とはあのことを言うんだと今でも思う。 隣に引っ越してきたとき、初めて会ったシンジの笑顔にアスカはクラクラ来てしまったのだ。 この笑顔を自分のものにしたい。
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※制服………水着姿になるために脱いだ制服はきちんと畳んで廊下に置いてある。その制服によからぬ考えを抱かせぬように、碇ゲンドウはその妻の手により一階台所に幽閉されていた。
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独占欲の強さは自分でも認めている。 但し、今のアスカにはシンジを独占できるなら、他の何もいらないと断言するだろう。 何でもあげる。何もいらない。 だから、ちょうだい。シンジを。 「それなのに、今のアスカは…」 陶酔状態に入りかけていたアスカは、シンジの一言に現実に引きずり戻された。 「な、な、な、何よそれは」 「だって、あっかちゃん可愛かったから」 「そ、そ、その言い方じゃ、まるで今の私が可愛くないみたいじゃないのっ!」 夢の中の登場人物がついに我を忘れてしまった。 しかしながら、当のシンジが鈍感大王の異名通りにアスカの変化に感ずいていない。 まあそこのところは本人がアスカの望み通りに夢の世界にいるものだと思い込んでしまったのだから仕方がないとも言える。 「今のアスカは…」 「今の私はどうだって言うのよっ!」 そう。これがアスカがこれまで遂行してきたシンジ獲得作戦が失敗してきた最大の理由である。 頭に血が上ってしまい、我を忘れ、ついでに作戦の目的及び計画すら忘れてしまうからなのだ。 アスカは真っ赤なビキニ姿で、腰に手をやり仁王立ちしていた。 そんなアスカをシンジは蕩けたような眼差しで見やった。 「あっかちゃんは可愛かったけど、 今のアスカは…。うん、綺麗だ」
ぼふっ!
シンジの発言はアスカのハートを直撃した。 綺麗だなどといわれたのは初めてだったのだ。 色白のアスカの顔は真っ赤になり、そして胸のどきどきは超高速でブレーキがかからない。 きゃっ!どうしよう。どきどきが止まんないよぉ。嬉しいよぉ。 シンジに綺麗だなんて言ってもらっちゃったよぉ。 足に力が入んないよぉ。もう、ダメ。ふらふらしてきた……。 「ど、どうしたの?アスカっ!」 「だ、だってぇ…」 「わっ!どうしたんだよ、その声。ど、ど、どうしてそんな甘えた声で…」 「シンジがぁ綺麗だってぇ言ってくれたんだもん」 語尾にハートが何十個もつきそうなほどの甘え声である。 二人の出逢いから9年強。こんなアスカを見るのは初めてだった。 ただでさえ条件反射で動きがちで対応能力に乏しいシンジだ。 文字通り、うろたえてしまった。 「あ、あ、あの、アスカ?これは夢なんだからね。何言ってもいいだろ」 「じゃあぁ、今のは嘘なのぉ?」 「う、う、嘘じゃないよ。綺麗だ。うん。間違いなく綺麗だよ」 「ほ、本当ぅ?嬉しいよぉ」 「ち、ち、ちょっと待ってよ。い、い、いつものアスカと違うじゃないか」 「だってぇ、夢の中なんだもん」 「だ、だ、だからだよ。いつもの夢の中のアスカと違うじゃないか!」
へ?
アスカの思考回路が復旧した。 夢の中のアスカとは何だ? 「何それ。私と私がどう違うのよ」
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※独占欲………アスカは欲しいものはすべて所有しないと気がすまない。小学校1年の時にシンジが使用したスプーンやフォークを机に隠匿し、その臭気で惣流家の主婦が強制的に押収したこともある。この件に対する実例は枚挙に暇がないので割愛する。 | |
彼女は初めての甘えん坊将軍モードからノーマルモードに切り替わった。 その口調に甘えた感じは微塵も感じられない。 「話しなさいよ。何がどう違うのか」 こんな調子で言われても、かえってシンジは安心したようだ。 少しホッとしたみたいに話し始めた。 「だってさ、いつも出てくるアスカは僕に冷たいんだもん」 「いつもって?」 「えっと、毎晩かなぁ。今日だって、この夢2回目だろ」 「そ、そ、そ、そうね、2回目よね」 慌てふためき調子を合わせるアスカ。 そうなのだ。シンジは二度目の夢を見ていることになるのである。 「1回目の夢の時だってさ、僕がキスしようとしたら殴る蹴るだよ」 「き、き、き、き、き、き、きっ!」 もうダメだ。 アスカの計画は頓挫してしまった。 嘘の夢の中で自分を好きだという事を自覚させようとシナリオを練っていたのに、 実際の夢でシンジが自分にキスしようとしていたという。 この計画に一切なかったシンジの発言はアスカの言語中枢を麻痺させてしまった。 完全にお猿さん状態で、「キス」とも言えずに「き」を繰り返し続けた。 「いつだってそうじゃないか。大体僕の夢に出てくる女性って、アスカしかいないんだよ。 他の女の子なんて一人も出てこないじゃないか。 それなのに、いつもいつもアスカは僕を酷い目に合わせてさ。 毎晩、僕がキスしようとしたりすると僕はぼこぼこにされるんだ。 それに今みたいに水着姿なんか見せてくれたことないしさ」 まるで愚痴のようにべらべらと喋り続けるシンジの言葉はアスカのハートを的確に襲っていた。 シンジの夢には自分しか女性が登場しない。 その上毎晩、夢の中でシンジが自分にキスを迫っている。 「じ、じ、じ、じ、じ」 「じゃあ」という言葉さえ言うことができない。 |
※甘えん坊将軍モード………暴れん坊将軍モードと同様に彼女はこのモードにおいても人前ということをまったく意識しない。とくにこの新規モードに至っては『世界は二人のためにある』というより『この世界には二人しかいない』と思い込んでいるため、その影響による精神汚染は甚大なものがある。 | |
まるで自分が夢の中にいるみたいだ。 ま、まさか、これって私の夢?夢落ちってヤツ? いやよ、いや、いや。そんなの絶対にいや。 アスカは自分の頬をパンパン掌で叩き続けた。 「あ、アスカっ!何してんだよ。やめろよ!」 彼女の異常な行動にシンジは仰天してしまった。 慌てて、アスカの両手を掴む。 「な、何考えてんだよ」 「だ、だ、だ、だって、夢じゃないかと」 「はぁ?」 「これが夢だったら…」 「これは夢なんだろ」 「違う、違う、違う!絶対に夢なんかじゃない」 「だって、これは夢なんだってアスカが…」 「夢じゃないもんっ!夢なんかじゃないもんっ!」 「そんな!夢に決まってるだろ」
その時、とんでもない現実音が聞えてきた。 『古新聞、古雑誌、ボロ、何でも買い取ります。皆様の町の青葉商会でございます』
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※アスカの夢………シンジの夢よりたちが悪い。シンジの場合は出てくる女子がアスカしかいないわけで男性は何人も登場しているのだが、アスカの夢にはいつもシンジと二人きりなのだ。従ってアスカの寝起きが悪く、いつも朝が不機嫌なのは幸福な夢の世界から現実世界に引き戻されていたためと推察できる。 | |
「…………」 怒鳴りあっていた二人が黙り込んだ。 我に返ったシンジの目の前には際どいビキニ姿のアスカが。 それも至近距離にいる。 グラビアアイドル並みの胸がすぐそばに。 抱きしめれば確実にこの柔らかそうな膨らみが自分の胸に押し付けられる。 掴もうと思えば、今すぐにでも…。 でも、アスカの顔を見るとその青い瞳は涙に濡れていた。 シンジは静かに手を離した。 「ご、ごめん。これ悪戯だったんだよね。僕、変なこと言っちゃって…」 「本当?」 「うん、夢だと思ったから酷いこと…」 「どこが酷いことなのよ」 「だって、き、き、き、き…」 今度はシンジがお猿さん化してしまったようだ。 「キス?」 「う、うん。き、キスしようとしたなんて」 「嘘なの?」 シンジは明らかに落胆していた。 何故なら、彼にとってアスカを好きだということは完全秘守事項だったからだ。 まるで兄弟のように育ってきた幼馴染をいつの間にか女性として意識してしまっていたのだ。 もしそのことがアスカにわかってしまったら、二度と自分のことなど相手にしてもらえなくなる。 自分がアスカの交際相手として似つかわしい訳がない。 相手は天才金髪美少女だ。自分のような普通以下の男なんて絶対に無理なんだ。 幼馴染だから異性として思われずに、アスカの近くにいることができるんだと。 だからこそ、アスカにキスしようとしたことを告白してしまったことで、この世の終わりが来た様に思ったのだ。 うな垂れてしまった彼の視界にはアスカの踝と可愛らしい素足だけが見える。 「嘘じゃない、よ」 「じゃ、夢の中で私にキスしてくれようとしたんだ」 「ごめん」 「頭来るわねっ!」 「ごめん!」 「ど〜して、アンタが謝んのよ」 「はい?」 訳のわからないアスカの言葉にシンジは顔を上げて、またすぐに視線を落とした。 夢の中と言われたから、アスカの水着を直視できたのだ。 現実世界でそんな魅惑的な姿を見ることなどできっこない。 「あのね、私が頭に来てんのは、アンタの夢の中のアスカに決まってんじゃんっ!」 「へ?」 「アンタ馬鹿ぁ?せ、せ、せっかくアンタがキスしてくれんのに、ど〜して殴ったり蹴ったりしないといけないのよ」 「だ、だ、だって」 「ホントに頭来るわよねぇ。実際の私ならいつだってOKなのにさ」 「ええっ!」 シンジは完璧に予想外の言葉に動転し、アスカの顔を見つめた。 その顔はシンジが見慣れた、大胆不敵で怖いもの知らずのあのいつもの表情ではなかった。 頬を赤らめ、潤んだ瞳はふわふわと宙を彷徨っている。 「そ、そ、それって…」 「あ、でも、よく考えたらっ!」 「え、ええっ、何、何?」 「そのアスカってアンタが作り出した虚像じゃないっ! アンタ、勝手に私をそんな乱暴で可愛げのない女に仕立ててたのねっ! もう!絶対に許せない!許せるもんですかっ!」 「ご、ごめんなさいっ!」 「許さないっ!」 「許してください!」 「じゃあさぁ…」 アスカはにやりと笑った。 随分とシナリオから逸脱してしまったが、結局クライマックスはちゃんと自分の書いた通りに戻ってきた。 作戦第壱拾弐号改のその…何番だっけ、まあもういいわ。 もうすぐ終わりだし。 「アンタの本心を教えてくれたら、許してあげる」 「本心…って、本心?」 「そう、私のことをどう思ってるか」 「……」 シンジは口をつぐんだ。 そして、アスカを真剣な面持ちで見つめる。 人生最大の賭けに、彼は今乗り出した。 「僕はアスカのことが好きだ」 「それが本心?」 アスカは飛び出しそうな胸を懸命に抑え、上ずる声も懸命に抑え、ステップを踏みそうな脚も懸命に抑えて、そう訊ねた。 その問いにシンジは大きく頷いた。 「うん。ずっと前からアスカが大好きだったんだ。大人になったら結婚して欲しいと思ってる」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
アスカのシナリオはまたもや崩れた。 しかも想像もしなかった方向に。
「嘘じゃないよ。本当にそう思ってるんだ」 これが碇シンジ最大の武器である。 邪心なく微笑み、素直に本心をさらけ出す。 この最終兵器にアスカはメロメロになってしまった。 自分にできないこと。つまり素直な言動をされてしまうと、アスカはうろたえてしまう。 しかも大好きで大好きでたまらないシンジからの攻撃である。 不得手な攻撃を受けた上、「結婚して欲しい」の一言が天にも昇る気持ちにアスカを導いたのだ。 ここで、アスカはシンジに飛びついてその大好きな唇に熱い情熱のキスをしてしまいたかった。 しかし、最後の一線で踏みとどまったのは、彼女の身体に流れる几帳面なドイツ人の血がなせる業であろう。 この全宇宙的規模での祝日に勢いでファーストキスなどしてはいけない。計画通りにことを進めないと。 だが、その相好は崩れに崩れて、顔中で笑っている状態である。 「シンジぃ、アリガト。ホントにアリガト。私…私ぃ、嬉しくて嬉しくて」 それは見ればわかる。 シンジはアスカのこの表情だけは絶対に自分だけのものにしておこうと固く決意した。 もしアスカがこんな笑顔を異性に向けたなら、その男を殺して、アスカも殺して、自分も死んでしまおう。 そんなとんでもない決意をシンジはしたのだ。 |
※青葉商会………若旦那のシゲルがこの町を毎日のように、いや一日に何度も往復している。特に後に登場するマヤという女性の勤務先の近くを。これまでは家の商売にまったく興味を示さずギターばかり弾いていたのだが、彼女に一目ぼれしてからは毎日勤勉に勤めている。「毎日ご苦労様」と言われた所為だからとか。 | |
アスカはふらふらの頭と身体を鋼鉄の意志で維持しながら、作戦を最終局面に展開させた。
場所は10mも離れていない惣流家の2階。 シンジの部屋の真向かいにあるアスカの部屋である。 シンジもアスカも制服から普段着に着替えている。 「あ〜あ、ついにずる休みになっちゃったじゃないか」 |
※アスカの笑顔………シンジの決意も空しく、この10年後にアスカはこのベタベタに甘い笑顔を異性に向けることになる。ただし、相手はシンジとの間に生まれた長男シンイチだったため、一家心中という悲惨な結果には繋がらなかったのは僥倖といえよう。
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「いいじゃない。私、シンジが本命チョコもらうところなんか見たくないもん」
「僕、そんなのもらう気ないよ。ほ、ほ、本命はあ、あ、アスカなんだから」
ぼふっ!
またもや真っ赤に変色するアスカの顔面。 いやはや、本当に可愛いカップルである。 ここまでは、だ。 「わ、わ、わかってるわよ。ちゃぁんとあげるわよ。ほら」 そう言ってアスカがポケットから取り出したのは、小さな小さなチョコの包み。 「そ、それって、いつものエヴァチョコじゃないかっ!」 「そうよ、毎年恒例のエヴァチョコ」 |
※ずる休み………智謀の塊のアスカはシンジの部屋に突入する前に、学校へ欠席の連絡を入れていた。シンジの方は「面白そう」ということでユイが風邪で欠席と連絡を入れていた。この作戦の目的のひとつにはシンジをバレンタインデーの学校に登校させない事にあった。つまりシンジがチョコをもらえない状況を作りたかったのだ。
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「それが…本命?」
少し残念そうな表情を隠せないシンジに、アスカはしてやったりとにこりと笑った。 「そうよ。これが本命チョコレートよ。でもね、今年は…」 アスカはシンジを見つめながら、細い指先で銀紙を剥いていく。 「食べさせて、くれるの?」 シンジはごくりと唾を飲み込んだ。 それはいいかも。あ〜んって食べさせてくれるんだったら、どんなチョコでもいいや、と。 だが、シンジは甘かった。 裸に剥いた小さなチョコレートをアスカは自分の口に持っていく。 「えっ?」 そして、唇から伸ばしたピンク色の舌の上にちょこんとのせた。 シンジはその様子をボケっと眺めていた。 アスカの目は悪戯っぽく笑っている。 じわじわとチョコはアスカの舌の上で溶けていく。 アスカは舌を少し引っ込めると、喋りにくそうに語りかけた。 「いいの?本命チョコ溶けちゃうわよ」 そして、再び舌を出す。 エヴァチョコは半分くらいの大きさになってしまっている。 そ、そういうことなのかっ! シンジは口をパクパクさせて、アスカに向かって少し首をかしげた。 こんなことをどう話せばいいのかわからなかったのだ。 そんなシンジにアスカは小さく頷いて、そして目を瞑った。 「わ、わかったっ!行くよっ!」 その言葉と共に、アスカは舌を口の中に引っ込めた。 「ええっ?」 「早くしないと全部溶けるわよ」 唇をこじ開けて中のチョコを食べろという意味か。 シンジは了解した。 そして、彼は突進した。
「はぁ、はぁ、はぁ…」 「もう、シンジったら乱暴なんだから…」 「だって、あれだけしか残ってないんだもん」 「舌まで食べられちゃうかって思ったわよ」 「せっかくの本命チョコなんだから、全部食べないと…」 「ホント、全部食べてくれる?」 「へ?まだあるの?」 ここで目を光らせたのはシンジも雄であるという証明だったのか。 「あるわよぉ。そんなにいっぱいはないけど」 もっと欲しい。本命チョコが欲しい。 シンジはあと2個でも3個でもとにかくアスカの本命チョコを味わいたかった。 「アスカ、お願いだよ。もっと食べさせて」 「わかったわ」 アスカは机の一番下の引き出しを開けた。 そこには数え切れないほどのエヴァチョコが山のように隠されていたのだった。
2時間後、昼食の招集のために娘の部屋に突入した惣流キョウコは、 半ば放心状態でベッドサイドに肩を寄せ合って座っている娘とその恋人を発見した。 何をしていたかは一目瞭然だった。 足元に散乱している銀紙の山。 そして、娘とその恋人の唇の周りにべったりとこびりついている茶色の髭。 「馬鹿ねぇ、貴方たちは」 子供たちの状況にあきれながらも、この方法は結構いけると、 早速近くのスーパーに走りウィスキーボンボンを30箱購入したキョウコだった。 何しろ、今日はバレンタインデーなのである。
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※エヴァチョコ………ネルフ製菓が販売している10円チョコ。幼稚園の時にアスカが自分のお小遣いでバレンタインデーにシンジにあげたのがこのチョコである。それ以降、毎年このチョコレートをシンジにあげるのが恒例となっていた。 「義理よ。義・理・っ!」という照れ隠しの罵声と共に。
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2月22日。
惣流家のほど近くにある、ここは赤木デンタルクリニック。 完全予約制で、美人の先生と助手で有名な歯医者さんである。 その待合室に仲良く並んで座っているのは、惣流・ハインツ、惣流・キョウコ、惣流・アスカ、そして碇シンジの4人だ。 みな一様に頬を押さえ、ハインツはキョウコと、シンジはアスカと固く手を握り合っている。 「はい、では惣流ハインツさん。どうぞ」 「oh!」 「貴方、がんばってくださいね」 愛しい妻の励ましにハインツはにやりと男らしく笑って診察室に消えた。 「シンジ、怖いよぉ」 「ぼ、僕だって…」 「ああ、アスカの真似なんかしなかったらよかった」 母親の愚痴にはアスカは何も発言しなかった。 2月15日の朝に惣流家のベランダに干されたシーツ。 真っ白なシーツのところどころに茶色の染みが。 何をしていたかなど、思春期のアスカに聞けるわけがない。 だが大体の想像がつくところが微妙な年頃ということかもしれない。
『うおおおっ!』 『動かないで。男でしょう!マヤ、これ以上動くようなら拘束具で縛って』 『はい、先生』
甲高く大きな回転音とハインツのわずかな悲鳴が診察室から漏れてくる。 「は、ハインツっ!」 キョウコが端正な顔を引き攣らせる。 「し、シンジ、逃げちゃおうか」 「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」 「だってぇ」 「な、治さないともっと痛くなるだろ。ね、アスカ。勇気を出して」 「シンジ、カッコいい…」 手を握り合い見つめ合うベタベタの若きカップルに、キョウコは少し意地悪をしたくなった。 「でもね、アスカ。赤木先生って、女性の患者さんには凄く優しくしてくれるそうよ」 「えっ!ママ、ホント!」 「ああ、でもやっぱりダメだわ」 「ど、どうしてよ!」 「あのね、主人とか恋人がいると逆に凄く冷たい扱いをされるんだって」 「そ、そんなっ!」 上げて下ろす巧妙なキョウコの策略にアスカは見事に引っ掛かった。 「し、シンジっ!」 「な、何だよ、いきなり大声出して」 「私たち、別れよっ!」 「な、な、何だって!」 「恋人関係を解消するのよ。今すぐ、ここで!」 鈍感大王のシンジにもアスカの考えていることはすぐにわかった。 一人だけ痛みから逃げようだなんて酷い。 「いやだ」 「な、何言ってんのよ。別にずっと別れるだなんて言ってないじゃない。今だけ。ね、今だけだから」 「絶対にイヤだ。僕は死ぬまでアスカと別れたりしないって誓ったんだ」 「あぁん、お願い、シンジぃ」 「ダメだ。絶対、別れない」 「もうっ!私のこと愛してないのね」 「違うだろ。愛してるから別れたくないんじゃないか」 「意地悪っ!シンジなんて嫌い!嫌い、嫌い、大嫌い!」 「僕はアスカのことが好きだ。好きだ。大好きだ!」 「ああぁん。お願い。私のことを好きなんだったら、嫌いになってよぉっ!」
馬鹿げた言い争いをしている二人の傍らで、キョウコが頬杖をついて呟いた。 「愛って、虚しいわね…」 そして、ホワイトデーには自分たちは同じ轍を踏むまいと誓うのだった。 隣の騒がしい二人はきっと同じことをしでかすに違いないと考えながら。
<おしまい>
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※赤木デンタルクリニック………腕はいいのだが、近所ではよくない噂が高い。二度と玄関から出てこなかった患者(女性!)がいたとか。改造手術をされるとか。
※美人の助手………伊吹マヤという名前である。前述した青葉商会の若旦那に熱烈なアプローチを受けているのだが、本人が天然のためそれに気づいていない。逆に赤木医師の方が鋭く、若旦那のクリニック内侵入を厳禁させている。残念なことに若旦那は虫歯一つない健康な歯並びをしていたのだ。 ※ハインツとキョウコ………バレンタインの夜二人が何をしていたか、これは18禁となってしまうので書く事はできない。但し、シンジに舌の上のチョコを食べさせるというのは、正月の夜中にリビングでこのベタベタの両親が一個のイチゴをキスしながら食べていたのをアスカが見てしまったことがベースになっていた。思春期の娘がいる場合、そういうことは寝室でしてもらいたいものである。 |
<あとがき>
2004年のバレンタイン記念作品です。
ええっと、ここまで長くなるとは思ってなかったんです。すみません。アスカの口の中のチョコが本命チョコというネタだけで書き始めたんですけどね。
久しぶりの直球ラブコメですがいかがでしたでしょうか?
掲載した後に注釈の場所が悪いと気づき、レイアウトを変更いたしました。もうしわけありません。
因みにお見舞い兼本命チョコを渡しに碇家に来た女子の方々は、ユイの「あら、シンジならお隣でアスカちゃんといちゃついてるわよ。もう昼間っからあんなにベタベタしてるなんて、ご近所に恥ずかしくて。まあ夜になったらいいってわけじゃありませんけどね。まだ中2なんですからディープキスくらいで止めてもらわないと、私まだこの若さでおばあちゃんになんかなりたくはないし。あらみなさんどうかしたの?顔色が悪いわよ。そうそう顔色といえば……」というマシンガントークに全滅いたしました。
おかげでその時見舞いにやってきた相田ケンスケ君が彼女たちのチョコを総取りするという言わば漁夫の利を得るわけ。
ということで、『葛城ミサトセミヌード写真集』はノーマークの相田ケンスケ君がめでたく所有者となったのです。
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