2005.02.14         ジュン







「アンタ馬鹿ぁ?何、馬鹿なこと言ってんのよっ!」

「で、でもさ」

「はいはい。ど〜せ、アンタのことだから僕の所為で大怪我をしてだとかなんとか、うじうじしてんでしょうがっ」

 シンジはいつものようにうなだれた。
 はぁ…。
 ほんっと、情けないヤツ。

「がたがた言わずに行ったらいいじゃない」

「でも…」

 あああああああああああああっ。
 もうっ、いらいらするぅっ!
 ど〜して、こんなヤツにっ!
 アタシは馬鹿シンジを見下ろした。
 そうよ、こんなヤツ、見下ろされるのがふさわしいのよ。
 ああ、そんな情けないヤツにアタシは…。
 くそぉっ、命を助けられるだなんて!

 あの火炎地獄から生還して10日目。
 アタシとコイツの力関係とかそんなのに何の異常も進展もなし。
 ただ…。

「僕がちゃんと操縦していれば…」

 ぶちっ。
 アタシの誰より太い堪忍袋の緒が切れた。

「アンタ馬鹿ぁ?アンタはエヴァに乗ったことがあるどころか、その存在すら知らなかったんでしょ。
 天才美少女のアタシでさえ、乗りこなすにはホンのちょっとは苦労したんだから」

 腕組みをしてシンジに向って顎を突き出す。
 気弱に目を逸らす弱虫。
 ああ、こんな臆病者と一緒に戦わないといけないなんてアタシって何て不幸なの?
 って、これはちょっと横に置いといて。

「その子が怪我をしたのは偶然。もしかしたらもっと酷い怪我をしたかもしれないし、死んでいたかもしれないじゃない」

 うんうん、アタシっていいこと言う。

「でも、怪我をしなかったかもしれないし…」

 ぶちぶちぶちっ。
 優しく対応してやったアタシが悪かった。

 どうして、こんな優柔不断なヤツが標準装備で火口に飛び込めたの?
 不思議不思議摩訶不思議。
 いくら考えてもわけがわからないから、別の角度から攻める事にする。

「ま、アンタには選択の余地はないってことよ。
 鈴原の妹が会って礼を言いたいって言ってんだから、逃げるわけにはいかないでしょうが」

「やっぱり逃げちゃダメなのかなぁ」

「あのね、お礼だって言ってんでしょ。文句言われるんじゃないんだから!
 それに責任感じてるんだったら、かえって嫌味とか文句とか言われる方がいいんじゃないのっ?」

「あ、そうか」

 馬鹿はそんなことに今更気づいたみたい。
 
「それに本当に命を助けてもらったお礼だったらなおさら行かないといけないわよっ」

「そ、そうなの?」

「あったり前じゃない。素直に言えないんだから。そんな大事なことは。
 きっと精一杯の勇気を振り絞ってアンタに伝えるんだから、アンタは心して聞かないとダメなのっ」

 アタシは真っ向から指差してやった。
 きょとんとした馬鹿の顔。
 わ、わかってるわよ。
 アタシの論旨が少しおかしい事くらい。
 命を助けてもらったってそりゃあ大事なことなんだから礼を言うのが当たり前。
 当たり前、よね。
 アタシ、言ってないけど。
 でも、目の前の馬鹿はそのことに気がついているのかいないのか。
 一番問題なのは、馬鹿シンジが礼を言ってもらいたいとか褒めてもらいたいとか、
 そんなのでアタシを助けに来てくれたのでないこと。
 それだけはわかってる。
 だって、コイツったらあの後最初にアタシと会った時、本当に嬉しそうな顔してたんだもん。
 だから、言えなかった。
 お義理でも。
 
「決めた。アタシもついてく。明日、その病院に行くわよっ!」

「えっ!」

 アタシはじろりと睨んでやったわ。
 文句なんか言ったら只じゃすまさないって感じで。
 馬鹿シンジは世にも情けない顔で仕方なしに頷いた。
 と〜ぜんよねっ。
 アタシに逆らうなんて100万年早いのよっ。
 


 次の日。
 病院は嫌い。
 ママを思い出すから。

「こんなのでよかったのかなぁ?」

「アンタ馬鹿ぁ?まだぶつぶつ言ってんの?あんだけ迷ったくせに」

「でもさぁ、プリン嫌いだったら…」

「子供はみんなプリンが好きなのっ」

「う、うん。そういや、アスカも好きだよね」

 嫌味じゃなく楽しげに笑うシンジ。
 げしっ!
 プリンの入った箱を落とさない程度にシンジのわき腹に肘打ちを食らわす。
 アタシは大人だってば。
 アンタと一緒にしないでよ。
 ばぁ〜か。

 病院の匂いも嫌い。
 そこにいる人も。
 病んだ人、傷ついている人の暗い顔。
 表面だけの優しげな顔をした連中も嫌い。
 
 でも、鈴原の妹はアタシたちににこやかに笑いかけた。
 心からの笑顔。
 羨ましいったらありゃしない。
 でもホント、可愛いわねぇ。
 とても鈴原の妹だなんて思えないわ。

「お兄ちゃん、本当にありがとう!」

 ああ、なんて素直なのっ!
 こんなに素直にお礼が言えたら、どんなに楽か。
 プライドとか…いろんな物がアタシを邪魔してる。
 
「い、いや、僕こそごめんなさい。
 僕がもっと上手く操縦できれば…」

 ああ、もうこの馬鹿っ。
 また同じ事繰り返してる。

「アホか、そんことはもうええやないか」

「そ〜だよ。だってうちの馬鹿兄ちゃんがお兄ちゃんを叩いたんでしょ」

「げっ!」

 思わず、声が出た。
 そんなことシンジから聞いてなかったもん。
 
「鈴原ぁ!アンタねぇっ」

 どうしてかよくわかんないけど、滅茶苦茶腹が立ってきた。
 
「な、な、なんや。あん時センセを殴ったんは…」

 妹の枕元に立ってにやついていた鈴原が慌てて言う。

「そう、叩いたんじゃなくて、殴ったんだ?」

「そうだよ、思い切り殴ってやったなんて言うから、私、兄ちゃんを怒ったんだよ」

「へぇ、そうなの…」
 
 アタシは兄貴とは似ても似つかない可愛い妹に微笑んだ。
 そして、顔をジャージ男に向ける。
 
「な、何や、やろ言うんか」

 ふふん。
 アタシは鼻で笑ってやった。
 そして、一歩前へ進む。

「やっちゃえ、お姉ちゃん。兄ちゃんが悪いんだから」

「な、ナツミぃ」

 妹に向って情けない顔をする鈴原。
 その時、アタシはふっと思った。
 いいなぁ、兄弟がいるって。

「アスカ、やめてよ。あれはもう済んだ話なんだから」

「お、おう。せや。アレは男同士が仲良うなるための儀式みたいなもんや」

 優しいシンジの尻馬に乗って鈴原が言い訳する。
 でも、戦友を殴られたとあっちゃ、アタシの気が治まらない。
 ええ、治まってたまるもんですか。
 シンジを叩いていいのはアタシだけなんだからっ。
 ああっ、アタシってなんて仲間思い!

「すずは…」

「アスカ」

 アタシの肩をシンジが掴んだ。
 それはとても軽くだったけど、何故だかその部分がとても熱くなって…。
 胸の近くが一瞬ドキッとしたの。
 いきなり肩を掴むなっていうのよ、ホントに。
 多分ビックリしたおかげで鈴原への戦意がどっかへ行ってしまったってこと。
 命冥加なヤツ。

「お兄ちゃんって優しいんだぁ」

 鈴原の妹…ナツミちゃんっていったっけ。
 ナツミちゃんが嬉しそうにはしゃぐ。

「うちの乱暴な兄ちゃんとは全然違うよ」

「はん!そりゃあそうよ」

 戦友を褒められると嬉しい。
 ま、アタシはチルドレンのリーダーだからねっ。
 それに部下の名誉はアタシの名誉。
 シンジってパッとしないから余計よね。

「何よっ!」

 これは鈴原に。
 だって、変な顔してアタシを見てるんだもん。

「ん。何でもあらへん」

 ぷいっと顔を背ける。
 変なヤツ。

 それからナツミちゃんを中心にして会話が弾んだ。
 といっても、シンジはべらべら喋ったりしないんだけどね。
 もっぱら喋ってるのはナツミちゃん。
 う〜ん、アタシも同じくらい喋ってるけどね。
 で、シンジは聞き役に徹してるって感じ。
 それでもナツミちゃんは嬉しそう。
 どんなに兄弟が好きでも、いつも同じ顔を相手に喋っていたら……。
 アタシならそれでも大丈夫かな?
 マンションではシンジしか喋り相手がいないもんね。
 仕方がないって事よ。

 しばらくして、シンジがおずおずと言い出した。

「ごめん、ちょっと…」

 わかってるわよ、トイレくらいさっと行ってきなさいよ、もう。
 
「おっ、わしも行こか。連れションや」

「もうっ、兄ちゃんったら下品っ!」

 へっへっへって笑いながら、鈴原がシンジと部屋を出て行く。
 女子の場合は連れションって言わないわよねぇ。
 だって並んでできないもん。

「お姉ちゃん?」

 馬鹿らしい物思いから引き戻されると、ナツミちゃんが恥ずかしげに俯いていた。

「なぁに?」

 不思議よね。
 アタシのこの喋り方。
 こんな口調できるんだ、アタシにも。

「あのね、お願いがあるの…」





 日本人はよくわからない。
 どうして、聖バレンタインの祝日にチョコレートをプレゼントする風習なんてあるの?
 で、本命って何?
 義理って?
 よくわけもわからずに頼まれごとを執行するのはイヤだから、
 ネイティブ日本人でちゃんと返事をしてくれそうなヒカリに訊ねてみることにした。
 ネルフの連中は論外ね。
 まともに返事をしてくれそうなのはマヤくらいだもん。
 しばらくはジオフロントに行く用事はないし、アタシは放課後にヒカリと公園に寄った。
 ナツミちゃんがシンジたちには秘密って言ってたからね。

「ば、ば、ば、バレンタイン!」

 何、この反応は?
 真っ赤な顔をして私を見つめてるヒカリ。
 変なの。

「ええ、それでねチョコレートを買わないといけないのよね」

「アスカがっ?誰のをっ?」

「ええっと、シンジと鈴原」

「嘘ぉっ!」

 一声高く叫んで、ヒカリは硬直してしまった。
 どうして?
 アタシ、変なこと言った?




 勘弁して欲しいわっ。
 ど〜して、アタシがアイツらに愛の告白なんかしないといけないのよ。
 まったくもう、日本人ってわけのわかんない風習つくるわねぇ。
 聖バレンタインも天国で首捻ってるに違いないわ。
 
 あの後、ヒカリにバレンタインのことを訊き出した。
 好きな人に本命のチョコレートを贈る。
 世話になった人に義理チョコを贈る。
 で、贈られた方はお返しをしないといけない。
 なるほど、趣旨はわかったけど、馬鹿らしい。
 でもさ、あんな反応したヒカリが気になって強引に彼女の想い人の名前を問い質したのよ。

「アンタ、まさかシンジを本命って考えてるんじゃないでしょうねっ!」

 アタシは極めて平静に質問したつもりだったけど、
 ヒカリったら何を勘違いしたのか二三歩後ずさりして真っ青な顔になっちゃった。
 変なの。

「ち、ち、違うわよ。い、碇君じゃないわ」

「ホントにそうに違いないでしょうね。嘘だったら只じゃ済まさないわよっ!」

 冗談よ、冗談。
 ほんの冗談なのに、ヒカリは思い切り首を振った。

「だ、大丈夫よ。碇君じゃないって。本当よ」

「じゃ、証拠はっ!はっきりとした証拠を見せなさいってばっ」

 軽い気持ちでヒカリの肩に手を置いたら「ひぃっ」って甲高い悲鳴を上げて、こう言ったわ。

「わ、私、鈴原のことが好きなのぉっ」
 
 ヒカリの叫びはまだ日の高い夕方の公園に響き渡った。
 あらま、そうなの。
 アタシは「ふ〜ん」と頷いた。
 随分な趣味だとは正直思ったけど、誰を好きになろうとそれは人の勝手だ。
 アタシは少しだけ顔をしかめるだけで許してあげることにした。
 まったくあんなのどこがいいんだろ?
 まあ、真実が判明した所為か、アタシの心は晴れ晴れとしていた。
 アタシはすこぶる寛容な性分なのよ。
 さっきはヒカリが隠し事をしていたおかげで少し胃が重たかったんだけど。

「じゃ、ヒカリは鈴原にチョコレートをあげるのね」

「と、と、とんでもないっ!」

 今度は真っ赤な顔で首を振る。
 アンタはカメレオンか。
 そんなこと恥ずかしくてできっこない、そうだ。
 そこのところはアタシには理解不能。
 だって、好きなんだったら好きって言えばいいもん。
 アタシだって加持さんのこと…。
 あ、そうか。加持さんに本命チョコあげればいいのよ。

「とりあえず、付き合ってよ。ナツミちゃんに頼まれたんだから」

「で、でも…」

「アンタの恋しい鈴原が可愛がってる妹の頼みなんだけどさぁ。アタシに任せきりにする?」

 アタシってちょっとSの気があるのかな?
 ヒカリがおろおろしてるのが、少し面白かったりする。
 あんな風にうろたえるなんて、アタシには理解できない。
 好きなんだったらさっさと好きって言えばいいのに。
 馬鹿みたい。





 アタシが思うに、ヒカリが拒否したのはポーズに違いない。
 だって、今彼女は真剣な表情でチョコを吟味しているから。
 アタシ?
 ナツミちゃんのチョコは選んだわよ。
 ちゃあんとね。
 どこがいいのかシンジ用の本命チョコとやらと、鈴原用の義理チョコ。
 お金は預かってきてたけど、ちょっとだけアタシも支援しておいた。
 だってもう200円出したらシンジが喜びそうな感じのチョコレートが買えたんだもん。
 ナツミちゃんには黙っておこう。
 で、肝心のそのチョコはもうラッピング作業中だというのに、
 ヒカリは爛々と輝く目でいろんなチョコを見ている。
 買うの?って訊いたら、力強く首を振った。
 手作りするので参考にするんだってさ。
 渡すなんてとんでもないんじゃなかったっけ?

 さて、加持さんへの本命チョコは…。
 買う気がなくなっちゃった。
 ううん、ヒカリに感化されて手作りって意味じゃない。
 料理ができないってことないけど…家事担当馬鹿に任せてるだけ…。
 つまり、加持さんに渡すのもなんだかなぁって。
 そんな気分になっちゃったの。
 
 その後、二人でナツミちゃんのお見舞い。
 ヒカリったら鈴原が来てたら行けないなんて。
 まったく、あのヒカリがねぇ。
 恋する乙女ってこうなるものなの?
 アタシが様子を窺って大丈夫よって教えてあげても、まだおどおど。
 引っ張りこむようにして、アタシが病室に呼び寄せた。
 で、と〜ぜんすんなり紹介するわけない。
 だって、アタシなんだもん。

「ナツミちゃん。このお姉ちゃんはね、同級生の洞木ヒカリって言うの」

 少し赤くなった頬でぺこりと頭を下げるヒカリ。
 ぐふふふのふ。
 いっくわよぉっ!

「でね、鈴原のことが大好きなんだって」

「ぐえっ!」

 馬鹿ねぇ。もっと可愛く驚きなさいよ、ヒカリ。

「あ、あ、あ、アスカっ!」

「だって、本当のことじゃない。どぅお?ナツミちゃん、
 こんな綺麗なお姉ちゃんだったら鈴原にはもったいないでしょ?」

 ナツミちゃんは「うわぁっ」と喜びの声を上げて手を叩いた。
 
「凄い凄い!ホンマにあんな兄ちゃんがええの?信じられへんっ!」

 その言葉にこれ以上赤くなれないくらい真っ赤なヒカリの顔。
 
「でしょう?こんなに美人で可愛くて性格もよくて頭もいいのにねぇ」

「うんうん。めっちゃ凄い。兄ちゃん、代打逆転サヨナラ満塁ホームランや!」

 ん?よくわかんない。
 まあいいわ。
 喜んでくれたんだし。

「ち、ちょっと、二人とも言いすぎ…」

「だってねぇ」

「あんなに乱暴なんだもん」

「いい加減にしてっ」

 ヒカリ、噴火。
 ふふ、わかってて場の雰囲気をそう持っていったんだけどね。
 まるで堰を切ったかのように鈴原の美点…ま、あくまでヒカリの視点だけどさ…が並べ立てられた。
 アタシはそこんとこ理解不能だから。
 彼女が気がついたときには、その彼の実の妹を前にして愛情の迸りを包み隠さず披露していたってわけ。
 ナツミちゃんは最初目を丸くしていたけど、すぐににこにこ笑い出した。
 アタシにはわかりゃしないけど、兄と妹だからヒカリの言わんとするところはわかるんでしょうね。
 我に返った時にナツミちゃんにぺこりと頭を下げられて、ヒカリは慌てふためいてた。

「兄ちゃんをよろしくお願いしますっ」
 
「あ、あの、わ、私…」

「よかったじゃない、ヒカリ。妹が公認なんだから」

「で、で、で、でも」

「どう?鈴原のヤツ、断ると思う?」

「ううん!絶対にOK!」

「だってさ」

 ヒカリはぶるぶると首を振った。
 どうして、そんなに自信がないんだろう?





 馬鹿シンジには病院のことは黙っておくことにした。
 だってナツミちゃんのチョコのことは秘密だもんね。
 何しろ本命チョコなんだから…。
 本命か…。
 まあ、単なる憧れってヤツでしょうけど。
 小学校2年生なんだし。
 あの馬鹿のことなんて何もわかんないだろうしね。
 ま、優しそうに見えるし…。
 おちびちゃんの初恋の相手としては……。
 それによく考えたらアタシたちとナツミちゃんは6歳違い。
 あの子が20歳になったらアタシたちは26か。
 結構お似合いの年恰好じゃない。
 ……。
 うっ。
 何だろ、少し胃が痛くなってきた。
 アイツ、何か変なもの食べさせたんじゃない?
 凄く美味しかったけど。
 
「アスカ?」

「な、何よっ」

 実は最近、この馬鹿はアタシを不意打ちする。
 そういう意味ではシンジも成長しているのかもしれない。
 軍事教練を受けてきているこのアタシを不意打ちするんだから。
 今もアタシがホンのちょっとだけ気を抜いた瞬間を巧妙について話しかけてくるの。
 アタシったら思わず胸がドキッてなっちゃったじゃない。
 しかし、先輩パイロットとしてはそんなところを見せてはならないから、
 アタシはすかさず馬鹿シンジの膝を蹴飛ばしてやった。

「な、何すんだよ」

「はん!うっさいわね」

 アタシは顔を背けた。
 今コイツと目を合わせたら隙を見せてしまうような気がしたから。

「もう…何なんだよ」

「それはこっちの台詞。何なのよ」

「え、えっと…アスカ、ナツミちゃんのところに行った?」
 
 あらま、何て返事しよう?
 ちょっと困った。

「そ、それがアンタに何の関係があるのよ」

「う、うん。実は…」

 昨日アタシたちが帰った後に、シンジが鈴原とお見舞いに行ったそうだ。
 ふんっ、ナツミちゃんに向って点数稼ごうとはさすがモテナイちゃんのシンジよね。
 あの子の恋心をしっかり繋いでおこうって魂胆。
 アタシは誤魔化されたりしないんだから。
 それから、シンジは何故かアタシの顔色を窺いながらしどろもどろで話を続けた。
 きっと、アタシに良からぬ魂胆を見抜かれたのを察したってとこね。
 ホント、馬鹿。
 で、シンジの話を要約すると、鈴原の馬鹿にヒカリの気持が伝わったって。
 ナツミちゃんが喋っちゃったらしい。
 ま、喋るわよね。秘密だって言われてもアタシでも喋ってる。

「ホントっ!それで、鈴原は?」

「そ、それがね、ふて腐れたような顔してたけど、本当は嬉しそうな感じだった」

「よしっ!シンジ、アリガトっ!」

 アタシは受話器に飛びついた。
 ヒカリに連絡しなきゃね。
 鉄は熱いうちに打て。
 告白よ、告白!
 バレンタインで告白すれば、二人は……。
 
 ヒカリは恥ずかしがりながらも、物凄く喜んでいた。
 手作りのチョコを渡して、そしてちゃんと気持を伝えるってはっきり宣言したの。
 ま、相手に問題はあるけど、本人がそれでいいって思ってんだから周りがなんと言おうと関係なし。
 よかったね、ヒカリ。
 ……。
 興奮しているせいか、いつになく饒舌のヒカリの言葉を聞きながら、
 アタシはふと思い出していた。
 さっき。ホンのついさっき。
 アタシ、シンジにお礼を言った。
 ずっと言えなかったのに。
 命を助けられて、それで言えなかった言葉が、あっさりと。
 はぁ…。
 アイツ…。シンジ、どんな顔してたっけ?
 アタシの「アリガト」を聞いて、どんな表情を?
 覚えてない。
 いや、言った瞬間に視線を電話の方に向けてしまっていたから。
 アタシは恐る恐る振り返ってみた。
 元の場所にシンジはいない。
 その代わりにアイツの部屋からチェロの音が聞こえてきている。
 いつもよりテンポの速い曲だった。

『アスカ、アスカ?聴いてる?』

 聴いてるわよ。
 なんだか、胸が熱い。
 ううん、チェロの所為じゃない。
 ヒカリが幸せになれるから。
 絶対にそう。





 2月13日。
 アタシの足は何故かナツミちゃんの病院に向いていた。
 ヒカリはチョコを作るためにすっ飛んで帰ってしまったから。
 アタシは一人。

 病院の匂い。
 嫌い。
 いつの間にか早足になってる。

 ナツミちゃんの病室の前で息を整える。
 そっと扉を開けると、ナツミちゃんは眠ってるみたいだった。
 足音を忍ばせて、アタシはベッドサイドのイスに腰掛ける。
 静かに眠っているナツミちゃんを見ていると、物凄く悲しくなってきた。
 この子はいつから入院してるんだっけ?
 シンジがこの町にやってきてからずっとだ。
 経過は知らないけど、今は足の治療だけになっているらしい。
 鈴原が言ってた。
 ナツミちゃんにこんな個室は贅沢だと。
 だけど、こんな部屋をあてがわれているらしい。
 アタシはそれにミサトの影を感じてた。
 ホント、シンジに甘いんだから。
 でも、あの馬鹿は全然気付いてないと思う。
 ま、ミサトは知られてほしいだなんてこれっぽっちも考えてないしね。
 ベッドの横には車椅子と歩行器。
 白いシーツの下には傷ついた小さな足が隠されている。
 シンジ…。
 あの時…はじめてナツミちゃんに会った時、笑ってたけど、ホントは辛かったんだろうな。
 あの馬鹿にしたら上出来よ。
 自分を責めないで笑顔を見せてたんだから。
 あれ?
 どうしてよ。
 どうして、涙なんか…。
 そっか、ナツミちゃんがかわいそうだから。
 ダメダメ。この子にこんな顔見せちゃ。
 そうだ、明日の計画を練ろう。
 だってナツミちゃんの方からシンジのところには行けないものね。
 明日放課後になったら、シンジを連れ出す。
 以上。
 それだけ。
 ま、シンジにバレンタインのチョコレートを渡すような酔狂な娘が学校にいるわけ……。
 いや、決め付けたらダメよ。
 もしかしたら、そんな変な女がいるかもしれない。
 エヴァのパイロットってみんな知ってんだもんね。
 う、う〜ん、そう考えたら、また少し胃が重くなってきた。
 まさか、L.C.L.の副作用とかそんなの?
 最近、不定期的に起こる症状。
 リツコに相談した方がいいのだろうか?
 ……。
 よし、決めた。
 ナツミちゃんのためにシンジは隔離。
 学校に行かさない。
 理由は…そうね、私が病気。
 うん、これなら病院に行く言い訳にもなる。
 ふふん、名案名案。
 あ、胃が軽くなった。
 
「お姉ちゃん」

 ナツミちゃんが笑ってた。

「あ、起きたの?」

「うん」

 嬉しそうな顔で起き上がる。。
 眠っていた所為で少し髪の毛が乱れてた。

「ブラシ、ある?」

 アタシがこんなことするなんて。
 柄じゃないって感じよね。
 ベッドに横座りして、二つにくくった髪を梳く。
 軽くブラッシングしていくと、ナツミちゃんがくすくす笑い出した。

「どうしたの?」

「ううん、お兄ちゃんと違うなって思ったらおかしくなって」

「ブラッシングが?」

「うん!なんだか気持ちええし、痛くないし」

「あ、引っ張られたりするんだ」

「うんっ。乱暴やもん、兄ちゃんは」

「はは、鈴原らしいわね」

「兄ちゃんやなくて、姉ちゃんがよかったなぁ…」
 
「この贅沢者」

 つい言っちゃった。
 でも、髪の毛を引っ張ったりはしてないわよ。

「兄弟がいるってだけでもいいじゃない。
 セカンドインパクトより後は一人っ子が圧倒的に多いんだから」

「お姉ちゃんも、一人っ子?」

「ええ、そうよ」

 おまけに母親は死んじゃってるなんて言わない。
 この子にも母親はいないんだから。

「ごめんなさい」

「はは、いいわ。別に謝らなくても。
 それに、このまま行けば優しいお姉さんもできるかもよ」

「あっ。あのお姉ちゃん?」

「うん。ヒカリのところは3人姉妹だからね。ナツミちゃんもその仲間になっちゃえ」

 不思議。
 あの、惣流・アスカ・ラングレーがこんな会話をしている。
 もし、アタシに妹がいたならヒカリみたいになっていたかな?
 無理、ね。きっと。
 
「ね、今日はお風呂に入る?」

「ううん、お昼に入ったから次は明後日」

「じゃ…ちょっと待っててね」

 きょとんとした顔のナツミちゃんを残して、私は病院を飛び出した。
 あそこの売店にも売ってるかもしれないけど、もっと可愛いのがいい。
 駅前のファンシーショップに飛び込んで、それからまた病院へ駆けて行く。
 どうして、アタシこんなに一生懸命なんだろう?
 兄弟…欲しかったなぁ。

 ナツミちゃんは喜んでくれた。
 赤い花のついたヘアゴム。
 やっぱり本命のチョコをあげるんだから、ドレスアップしないとね。
 二人でわいわい言いながら明日のことを話す。
 でも、楽しいのに…、やっぱりちょっと胃が重い。
 本当に相談してみようかな、リツコに。

「ねぇ、お姉ちゃんの髪に触ってええ?」

「ん?いいけど」

 アタシは頭を前に傾ける。
 ナツミちゃんが触りやすいように。
 そっと撫でるように彼女の手が滑っていく。
 ちょっと、こそばゆい。

「綺麗っ。お人形さんみたい」

 お人形、か。
 私にとっては悪口。
 ファーストのことを人形って言ってる。
 でも、ファーストが人形みたいだからってことじゃないの。
 人形はアタシ。
 ママがアタシと人形の区別がつかなくなったから。
 だから、嫌い。
 人形は嫌い。
 あれから、人間の形をした人形は見るのも嫌いになった。
 やっぱり、アタシは人形、か。

「私もこんな髪の毛になりたいよぉ」

「ナツミちゃんの髪も綺麗だよ」

「でも、金色じゃないもん。お姉ちゃんみたいな金色がいいよぉ」

「もう…。わかんないわね、その気持は」

「だって、それはお姉ちゃんが綺麗だからやんか」

 嬉しくないといえば嘘。大嘘だ。
 
「お兄ちゃんは何色の髪の毛が好きなのかなぁ?」

 兄ちゃんに“お”がついたら、シンジのこと。
 その時、一瞬私の脳裏には薄い水色の短めの髪がさっと翻った。

「黒!」

 その色の印象を追い出すようにして、少し声高に言う。

「えっ?!」

 驚いたように言うナツミちゃん。
 頭を上げると、目をまん丸にしてアタシを見てる。

「どうしたの?」

「黒…やの?」

「そうじゃないの。アイツ、けっこう保守的だから」

 アタシは目を逸らした。
 ああ、悪い癖だ。
 こんな小さな子にまで。

「そうかなぁ、わたしは違うと思うんやけどなぁ」

「違わないわよ。黒よ、黒。決まってるわよ」

 ちょっと意地になっているのかもしれない。
 小さな子供相手に大人気ないなぁ。

「ふ〜ん、じゃ今度聞いてみよっと」

 知りたい。
 その時、アタシは答を知りたいと思った。
 多分、好奇心。
 絶対に、好奇心。



「待って、お姉ちゃん」

 バイバイって言って背中を向けた時、声をかけられた。
 
「ねぇ、お手紙もつけた方がええやろか?」

 何故か、ぎくりとした。
 ゆっくりと振り返ると、ナツミちゃんは真剣な顔でアタシを見つめていた。

「手紙?ラブレター?」

 ああ、まただ。
 胃が重くなった。

「ちゃうよ。ほら、お兄ちゃんへって書くの」

「あ、カードか。ごめんね、そこまで気が回らなかった」

 アタシは素直に謝った。
 そうよね、カードもつけた方がいいのに決まってる。
 でも、今からじゃカードなんて…。
 困っていると、ナツミちゃんはアタシのノートを一枚破って頂戴と言い出した。
 ふふふ、こましゃくれてるけど、やっぱり子供だ。
 お安い御用だと、アタシは鞄から手帳を取り出す。
 ノートをとるなんてことしないから。
 線の入ってない無地のページを一枚破る。

「はい。ペンはボールペンでいい?」

「お姉ちゃんが書いて」

 げっ。
 それはまずい。
 日本語の会話と読み取りは自由自在だけど、筆記には違う意味で自信がある。
 アタシがテストを嫌うのは、本当の理由がそれだったりしてる。
 誰も知らないだろうけど。
 
「そ、それは、自分で書かなきゃダメよ。き、気持が通じないから」

 うんうん、我ながら見事な返答ね。

「だって、わたし、外国の言葉なんか書けないもん」

 ナツミちゃんは唇を尖らせた。
 なんだ、英語か。
 それなら話は別。
 アタシはナツミちゃんが言うようにペンを走らせた。
 どうしてかわかんないけど、凄く気合が入ってた。
 恥ずかしいとかそんなのよりも、しっかり書かないといけないって思ってたの。

「あ、ナツミの名前は書かなくてええよ」

「へ?どうして?」

「自分のお名前はやっぱり自分で書かないとあかんやん」

「ああ、そうね」

 アタシはペンをナツミちゃんに預けた。
 見られてると恥ずかしいらしい。
 こういうところはやっぱり乙女ってことかな?
 部屋を出るとき、ベッドサイドの台に置いてある箱が目に入った。
 赤い包装紙に可愛くリボンがかけられている。
 ああ、あのチョコが明日シンジに渡されるんだ。
 ううっ、また胃が重くなっちゃった。
 仮病じゃなくなったりして、明日は。




 仮病じゃなかったけど、アタシは病院に行かなかった。
 そう、ナツミちゃんの病院へ。
 そこにはシンジだけを行かせたの。
 もちろん、昨日立てた計画通りにシンジは学校を休ませた。
 不思議だったのは、アイツが休むことを本当に自然に同意したこと。
 ズル休みってしないタイプだと思ってたのに。
 アタシにお昼ご飯を食べさせた後、シンジは病院へ行った。
 なるべく早く帰るからって言い残して。
 アタシは……。
 病気でもないのに朝から食欲がなかった。
 だから本当に病気だとシンジも思ったんだと思う。
 真剣に心配してくれたり、本を参考におかゆを作ってくれたり…。
 正直、シンジに悪い気がした。
 でも、「ごめんね」とか「ありがとう」は言ってない。
 アタシって……。
 寝よう!
 よくわかんないけど、昨日の夜は眠れなかったから。
 
 眠れない。
 きっとナツミちゃんのことが気になってるからだと思う。
 ちゃんと渡せてるかな?
 時計が気になる。
 シンジが出て行ってから、もう2時間も経ってる。
 何やってんのよ、あの馬鹿は。
 もしかして、婚約までしてんじゃないでしょうね。
 うううっ。
 胃が重いっ!

 こつこつっ。

 足音っ!
 廊下を歩く音がする。
 あの足音はシンジ。間違いない。
 アタシは慌てて…自分の部屋に飛び込んだ。
 布団にもぐりこんでおかないと。

 ドアが開く音がする。

『た、只今…』

 そして少しおどおどした感じの声が続く。
 アタシはうつぶせになって、枕に顔を押し付けた。
 足音がこっちへ向ってくる。
 ああ、どうしてだろ。
 胸がどきどきしてきた。
 胃も重いままだし、頭もふらふらする。
 本当に風邪をひいちゃったのかも。
 あ、足音が扉の前で止まった。

 こんこん。

『アスカ。起きてる?』

 返事ができない。
 舌が張り付いちゃったみたいになってる。

『大丈夫かなぁ…』

 顔をずらす。
 薄暗い中で扉の部分だけが何故か仄白く見える。
 
『あ、あの…』

 そんなにアタシのことが心配なのだろうか?
 珍しくシンジが扉の前に居座ってる。

『眠ってるのかなぁ』
 
 起きてるわよ。
 ごほんとシンジが音を立てる。

『起きてる』

 起きてるわよ。
 また、咳払い。

『あ、あのさ。え、えっと』

 どうしたんだろ、アタシ。
 いつもなら、こんなうじうじした態度を見せられたらかっかとなるはずなのに。
 声も出なければ、身体も動かない。
 金縛りにあったみたいに、シンジの声をただ待っている。

『ええぃ、しっかりしろ。逃げちゃダメだ』

 自分に言い聞かせるような声。
 な、何から逃げるって言うのよ。

『アスカ、チ、チョコレートありがとう!』

 はえ?
 身体が動いた。
 アタシは布団をはねのけると、戸を一気に開いた。
 
「うわっ!」

 目の前に真っ赤な顔をした間抜け面が突っ立っている。

「ちょっと、アンタ。それどういう意味よ!」

 口も動く。
 胃の重さも胸のどきどきも頭のふらふらも忘れた。
 だって、アタシはチョコレートを馬鹿シンジになんか渡してないんだもん。
 加持さんにだってあげてないのに。

「アタシはアンタに何もあげてないわよっ!」

「え、えええっ、だ、だ、だって」

 シンジの胸に抱かれているもの。
 赤い包装紙に可愛いリボン。
 ナツミちゃんからシンジへの本命チョコ。
 なんでよぉっ! 

「これっ!」

 シンジはその箱をアタシに突き出した。

「それはナツミちゃんのでしょ!」

「ち、違うよ!ナツミちゃんのはこれだよ!」

 シンジは床に置いていた紙袋から小さな箱を取り上げた。

「嘘っ!それは義理チョコじゃない!」

「そ、そうだよ。ナツミちゃんから義理ですけどって貰ったんだよ」

「はあ?アンタ、頭がおかしくなったんじゃないの?」

 何かがおかしい。
 時空か何かが捻じ曲がったの?

「そ、それに、これアスカの字じゃないか」

 シンジはリボンの間に挟まれていた紙片を広げる。
 そこには…アタシの字で“To Shinji , you are my love ! ”って。
 その文章にはアタシは動じやしない。
 確かに昨日アタシが書いた文章だもん。
 ナツミちゃんのためにね。
 問題は、その下。

 アタシの字じゃなくて、“シンジをだいすきなアスカより”!

 ナツミちゃんだ。
 いかにも小学2年生の筆跡に他ならない。

「は、はは、シンジ、アンタ騙されてるのよ。これ、アタシじゃないわよ」

 何故か目を上げられなくて、シンジの顔は見えない。
 
「嘘だっ。これはアスカの字じゃないかっ!」

「アタシじゃないわよ!これはナツミちゃんよ!」

「ナツミちゃんがこんな英語書けるわけないじゃないか!」

 ど、どうしたのよ、今日のシンジはやたら気合が入ってる。

「バッカじゃない?こっちはアタシの字。それで、こっちの汚いのがナツミちゃん」

「何言ってんだよ、両方ともアスカじゃないか!どうして嘘つくんだよ!」

「アンタ馬鹿ぁ?アタシがこんな汚い字書くわけないじゃない!」

「書いてるじゃないか、いつもっ!」

 むかぁっ!
 あったま来た!

「ちょっと貸しなさいよ!」

 アタシは手帳のページをひったくって、机に向った。

「アンタもこっち来なさいよ!」

「え、いいの?入っても」

「うっさい!がたがた言うな!とっとと来るっ!」

 シンジを立入禁止にしてたことなんか頭からすっ飛んでた。
 それよりも自分の無実を晴らす方に夢中で。
 アタシはナツミちゃんの文章の下にペンを走らせる。

 シンジをだいすきなアスカより。

 げっ、同レベル。もしかしたら、ナツミちゃんより汚い字かも。
 背中のシンジの沈黙が怖い。

「い、い、今のは慌てて書いたからよ!」

 今度はゆっくりと書く。

 シンジをだいすきなアスカより。

 あまり、変わらない。
 もう一度、一文字一文字に心を込めて…。

 シンジをだいすきなアスカより。

 ……。
 アタシ…。
 アタシは…。

「冗談だったの?これ…」

 背中でシンジの暗い声がした。
 
「そ、そうだよね。アスカが僕に本命チョコなんかくれるわけないよね。
 は、はは、すっかり騙されちゃったよ。ご、ごめんね」

「どうして謝んのよ、アンタが」

「そ、それは…」

「それは?」

 アタシの声が変。
 喉に言葉が引っ掛かってるみたい。

「嬉しかったから…」

「は?」

 背後の声はどんどん小さくなっていく。

「僕が…読んで…やっと…たから…アスカも…」

「聞えないっ。はっきり喋んなさいよっ」

 いつもの罵声じゃない。
 大きな声が出ずに、やっと振り絞れたような感じ。
 どうなってんの、アタシ。

「だ、だから…」

「ちゃんと言いなさいよ、馬鹿シンジっ」

「アスカのことが好きだから!嬉しかったんだよっ!」

 ちゃんと言うにも程がある。
 もし、ミサトがいたならあの腐海にまで響いていたと思う。
 とんでもない大声だった。
 ……。
 は、はは、そうだったんだ。
 ま、当たり前といえば当たり前か。
 世界一の天才美少女なんだから、アタシは。
 シンジがアタシの事を好きにならない方がおかしい。
 
「だから、ごめん。舞い上がっちゃって」

「そうよね」

「うん。僕なんか好きになるわけないよね」

 また、暗い声。
 でも…。
 だけど…。
 どうしてかわかんないけど…。
 アタシはちっとも不快じゃなかった。
 あんなに重かった胃も軽くなってる。
 シンジに好きって言ってもらったから?
 あの連中からラブレターとか告白とかされても、気分が悪かっただけなのに。
 ……。
 はぁ…。
 こんなのでいいの?惣流・アスカ・ラングレー。

「シンジ?」

 座ったまま椅子をくるっと回す。
 シンジの真正面で止めて、顎を上げる。
 馬鹿は唇を噛んで、壁の方を見ていた。
 ホントに馬鹿ね、泣くんじゃないわよ。

「こっち向きなさいよ。馬鹿シンジ」

「う、うん」
 
 シンジが顔を向けた時、ぽつりとアタシの手の甲に雫がこぼれた。
 仕方がない。
 こんな情けないヤツでもアタシの同居人なんだ。

「じゃ、ちゃんと告白しなさいよ。
 今日はバレンタインデーなんだから」

「えっ、でも今日は女の子から…」

 はぁ…。
 まったくこの馬鹿はっ。
 この期に及んで、何を生真面目に。

「馬鹿。こんなのお菓子のメーカーとかが勝手に作ったメモリアルデーでしょうが。
 だったらこっちで勝手に決めてもいいじゃない」

 アタシは笑った。
 嬉しかったから。
 楽しかったから。

「2月14日は大好きな人に告白する日。
 はい、決定。惣流・アスカ・ラングレーが決めたんだから、アンタも従いなさいっ!」

「え、あ、う、うん」

「じゃ、言いなさいよ。それにちょうど本命チョコも手に持ってんだから」

 シンジはぐっとチョコの箱を握りしめた。

「ぼ、ぼ、僕はアスカが好きだっ」

 よくできました。
 これまで聞いたたくさんの告白の中で最高ね、これは。

「ふ〜ん、そうだったんだ」

 シンジは真剣な顔でアタシを見ている。

「アンタ、まさかいい返事を期待してるんじゃないでしょうね」

 この一言でまた目が暗くなる。
 まったくこいつときたら…。
 アタシがいないとダメダメじゃない。

「よし、じゃ行くわよ」

「へ?」

 間の抜けた返事。
 アタシは立ち上がった。

「どこに?」

「ナツミちゃんのとこ。まったくなんて悪戯っ子なんだろ。
 やっぱり血筋よね。結局、鈴原の妹てことか」

「えっと、返しに行くんだね」

「は?」

 アタシは大仰に聞き返してやった。
 くだらないって感じで。
 そして、シンジの手から本命チョコの箱を引き取ると、それを机の上に大事に置いた。
 アリガト、ナツミちゃん。

「せっかく貰ったんだから食べないとダメでしょうが。
 ナツミちゃんには文句を言いに行くのよ。勝手なことしちゃって…」

「僕も?」

「当たり前でしょ。それともアタシと一緒に行くのがイヤってこと?
 今の告白は嘘ってこと?」

 シンジは首振り人形みたいにぶるぶると首を横に振った。
 よろしい。
 もうアンタはずっとアタシの傍に…。



「アスカ、道が違うんじゃ…」

「黙ってついてくる。
 お腹減ってるんだから」

「あ、そうか。仮病だったの?」

「仮病になったのよ」

「え?」

 わけのわからない顔のシンジ。
 何だか身も心も軽くなってきた。
 そうだっ。

 ぐいっ。

「ええええっ」

「何よ、その声。不満なの?」

「と、と、とんでもない」

 ぐふふふ。
 おもしろ〜いっ。
 シンジったら真っ赤な顔して、その上身体の動きがギクシャクしてんの。
 手と足が同時に出てるんじゃないでしょうねぇ。
 ま、アタシの様な天才美少女が腕にすがり付いてるんだから、仕方がないでしょうけどっ。
 ああ、加持さんのときと違う。
 あの時は、加持さんがアタシを持て余してるのが腕から伝わってきたもん。
 今は…。
 今は、楽しい。
 そう、楽しい。
 今隣にいるシンジはこのアタシを好き。
 アタシのことが好き。
 好かれているから?
 ううん、好かれるだけなら、もっとたくさんの男の子に声をかけられてる。
 それでもこんな気分になったことはない。
 心が弾む。
 うきうきと。

「そうだっ」

「な、何っ?」

 裏返った声。
 そんなに嬉しいの?アタシといると。
 アタシも…嬉しいかも。

「今日は好きな人に告白する日で、そのお返しでこうやって腕を組んであげてんの。わかる?」

 うんうんと大きく頷くシンジ。

「じゃ、明日2月15日は好きな人の注文する料理をつくってあげる記念日に決定」

「へ?」

「その料理が美味しければ、また腕を組んで歩いてあげてもいいかな?」

 ごくんと唾を飲み込む音がアタシにも聞えた。

「な、何が食べたいの?」

「煮込みハンバーグでポテトも添えて。あ、手作りじゃないとダメよ」

「ええっ。僕、インスタントしかつくった事ないよ」

 知ってるわよ。
 御飯以外はインスタントを使ってることくらい。

「ああ、なんだ。シンジは今日一日だけで満足なんだ」

「そ、そ、そんなことないっ!あ、あの…帰りに本屋に寄っていい?」

「料理の本でも買うの?」

 しっかりと頷くシンジ。
 あらあら、けっこうしゃきっとした顔しちゃってぇ。

「OK!但し、本はアタシが選ぶわよ。
 超高級料理の本を選んでやる!」

「ええっ、そ、そんなぁ」

 引き攣った顔がおかしい。
 馬鹿ね。
 家庭料理の本に決まってんでしょ。
 アンタに専属シェフになってもらおうだなんて思ってないわよ。
 きっと…。
 料理って一緒につくったら楽しいと思う。



「はい、着いたわよ」

「え、ここ?」

「そうよ。食いしん坊御用達の喫茶店・ジャンボ」

 入るのは初めて。
 普通の喫茶店なんだけど、ここには特別メニューがあるの。

「まさか、このウルトラスーパージャイアントメニューを注文するの?」

「そうよ」

「そ、そんなのダメだよ。トウジやケンスケでも無理だったんだから、アスカにできっこないよ」

 ぐっ。
 30分で10人前を平らげれば無料。
 シンジの言い草を聞くとあたしの闘争本能が騒ぐ。
 でも、アタシはそんな馬鹿な真似はしない。
 だって、太っちゃうじゃない。
 食べるのは、アンタよ、馬鹿シンジ。

「で、あいつ等は何頼んだのよ」

「えっと、ウルトラスーパージャイアントオムライス」

「ああ、オムライスか。じゃ、アタシもそれにしよ」

「アスカっ。ダメだよ。身体壊しちゃうよ」

 もう、馬鹿シンジったら、真剣に心配してくれてる。
 なんだろ、アタシ。
 凄くシアワセ。
 ママが生きていた頃…ううん、ママが正気だった頃からこんな気持ちになったことなかったのに。

 アタシも馬鹿シンジのことが…。

「いらっしゃいませ。お決まりですか?」

「ええ!アタシ、オムライス。と〜ぜん、一人前サイズよ!」

 こら、シンジ。
 大きな溜息つくんじゃない。

「それからね、こっちには…ウルトラスーパージャイアントメニューの……」

「ええっ」

 食べられるの、この子が?ってな感じでウェートレスがシンジを見下ろす。
 そりゃあ、派手に悲鳴を上げるんだもんね。身体だって細いし。

「アンタ、全部食べないと許さないわよ」

 シンジ、言葉もなし。
 ただ口をパクパクと開けている。
 アンタは魚か?

「USGメニューのどれにいたしましょうか?」

 アタシはにっこり笑った。
 シンジ、残したらただじゃ済まさないからね。
 ま、死んでも食べると断言できるけどね。
 何を注文するかを聞いたら。

「コイツには、ウルトラスーパージャイアント・チョコレートパフェ!
 とっくべつ、チョコは多めにお願いっ!」

 残したら、コロスわよ。
 アタシのシンジ。
 ぎこちなく、それでも凄く嬉しげに笑っているシンジに、アタシは問いかけた。

「ね、質問。アンタは女の子の髪の色は……」

 答えは聞かなくても、もうわかってる。
 でも、言葉にしてほしい。
 気の利いた台詞じゃなくてもいいからね。
 アンタの言葉でアタシに伝えて。



 今日は聖バレンタインの祝日。
 日本だけの奇妙な風習の日。

 そして、今日は二人の大切な記念日になった。







〜 おわり 〜

 


<あとがき>

 2005年バレンタインモノです。
 ああ、どうしてこんなに長くなってしまったんだろう?
 年寄りはくどいからかなぁ?
 タイトルの使者はナツミちゃんですね。結果的にアスカとシンジ、それにヒカリとトウジまでくっつけてしまいました。
 一応、この話ではこのあとあの後半の展開はありません。
 そして、みんな幸せに暮らしましたとさ。でいいじゃないですか。
 因みに、この翌日。シンジは食べすぎでダウン。
 「アタシは作ってもらう方なのに」と文句を言いながら、家庭料理の本を手にお粥を作るアスカが台所に立っていました。
 私のアスカデフォは料理はつくらないだけでヘタではないということになっています。



SSメニューへ

感想などいただければ、感激の至りです。作者=ジュンへのメールはこちら

掲示板も設置しました。掲示板はこちら