ドイツ語訳 Adler様 (ありがとうございます!) |
− あとがきにかえてのエピローグ −
2021年の春になり、Anker家は引越しをした。
ミュンヘン郊外の閑静な住宅地だ。
何しろアスカのベッドでシンジは身体を縮めるようにして眠らねばならない。
そこにアスカがくっついているのだが、冬の間はいい。
互いの身体が手頃な暖房器具になっていたから。
しかし、やはりあの部屋ではあまりに手狭だ。
年明けにアスカが家を買おうと言い出したとき、シンジは耳を疑った。
彼もいつかはとは思っていたが、まさか今すぐにとは考えてもいなかったからだ。
まずは借家でお金を貯めてからだと堅実な考え方を披露したところ、
彼女にある書類を見せられた。
それは、Anker家の資産を証明するもので、銀行にかなりの預金がある。
日本円に換算しても即金で邸宅が購入できるほどの額だ。
その謂れを聞くと、口止め料とのこと。
未来永劫、ゼーレやセカンドインパクト、サードインパクトの真実について語らない、書かない。
自叙伝や回顧録といった類のものは絶対に書くな、
すべてを自分の墓の中まで持って行けという意味だ。
別にこっちから要求したわけはないわよ!とアスカは鼻息も荒く言った。
その証拠にまだ1ユーロも使ってないんだから、と。
シンジとは待遇がまるで違う。
何しろ日本政府はまさに裸一貫で彼を追い出したのだ。
さて、その日本政府からあてがわれた“田中シンジ”という存在だ。
シンジは彼を抹殺することにした。
しかし抹殺といってもサスペンス映画のようにするわけにいかない。
彼がしたことは総領事館を訪れ、公安部の人間と話をしたいと申し出ただけだ。
その結果、大使館からいかにもやり手の職員がミュンヘンにやってきてシンジと面談。
そして、本国の公安部とやりとりをし、あっさりと“田中シンジ”は病死することになった。
もちろん、本当に死ぬわけではない。
戸籍上、ミュンヘン留学中に死亡したということになるわけである。
だがそこのところは異様に細かく処理をしてしまうのが民族性というわけか。
日本からわざわざ係員が来ることになった。
その係員はいかにも官僚タイプで事務処理を淡々とこなす男だった。
ところがその随行としてやってきたのが“田中さん”だったのだ。
シンジにドイツ語を教えた、エリート肌の男である。
公安部でドイツ語が喋れ、そしてシンジの顔を知っている、となれば彼しかなかった。
アスカと出逢えた事、娘がいた事、家族になった事。
それらを“田中さん”たちにだけは伝えたかったシンジである。
しかし公安部に手紙を出すわけにもいかない。
あきらめかけていたところでの再会だ。
シンジは喜んだ。
当時はまだアスカの部屋に転がり込んでいた時なので、狭い中に二人の男を招きいれた。
もちろん彼が結婚したのは“Sophie Anker”であって、惣流・アスカ・ラングレーでは決してない。
だからアスカはドイツ語一辺倒で日本語には一切反応しなかった。
シンジはいろいろな書類にサインをし、職員の方はさっさと帰る。
“田中さん”は素知らぬ顔で彼の後ろに立っていたが、彼が姿を消してからは表情が一変した。
笑顔で握手を交わし、シンジの成功を祝した。
短い時間だったが、シンジは日本にいる他の“田中さん”への感謝の伝言を託したのだ。
その数日後。
一人で帰国する“田中さん”をAnker家の3人がミュンヘン国際空港へ見送った。
アスカ手製のシュトレンを3個お土産だと託し、年明けに撮った家族写真も渡した。
そして、ついにアスカは我慢できずに口にしてしまったのである。
「Kennen Sie vielleicht eine Frau namens Hikari Horaki?」
(洞木ヒカリという女性はご存知ありませんか?)
“田中さん”は首を横に振り、気落ちするアスカの肩をシンジが優しく抱いた。
だが、背を向けた彼はぼそりと日本語で呟いたのである。
「鈴原ヒカリという若奥様なら知ってるが。でも姓が違うか」
その独り言を置き土産に彼はドイツを去った。
泣きむせぶAnker夫人と、深く頭を下げるその夫を後にして。
その隣でライラは父を真似、日本風のお辞儀を一生懸命にしていた。
結局、アスカの主張通りに彼らは家を購入した。
新築ではないが、
庭の広い、どこか温かみが感じられる昔風の家だ。
渋るシンジが購入に同意した決め手となったのは、母と娘の言葉だった。
「Es gibt ja aber gar keine Moeglichkeit, ein zweites Kind zu bekommen!」
(だってこのままじゃ、二人目無理じゃない)
「Ich
moechte noch ein Bruder. Mir ist auch OK mit eine Schwester.」
(アタシ、おとうとほしいよぉ。いもうとでもいいよっ)
「Lay.
Darum musst Du Deinen Vater bitten.」
(レイ。じゃ、お父さんにお願いしないと)
「Vater, bitte!!」
(パパっ!おねがいっ)
一緒に生活してまだ2ヶ月足らず。
それなのに親バカという言葉の意味がわかってきたシンジだった。
6年が経った。
2027年1月6日。
ミュンヘンは青空だった。
出勤前のシンジは家に飾っていたクリスマスツリーを庭に植えた。
これで6本目である。
幸いにもどれも枯れはせず、子供たちと同様にすくすくと育っていた。
庭に森を作りたいとアスカは冗談抜きで言っている。
シンジの就職とともに勤めを辞めた彼女は、それまで以上に家庭婦人としての道を邁進した。
あの日本での日々からは想像できないほどの、その家庭的な姿はシンジを驚かせたが、
少なくとも彼女の周囲でそんな思いを抱くのは彼一人である。
今の彼女はまさに伝統的なドイツ婦人そのものだ。
この数日雪は降っていないので、Anker家名物の雪だるまの大群は今は無残な姿を晒している。
気温が低いので溶けてしまってはいないものの思い思いの角度に身体を傾けている上に、
目や口が落ちてしまっているものもある。
子供たちは知らなかったが、親二人はネルフの面々の名前を雪だるまに付けていた。
恋人たちは寄り添わせたりしていたが、リツコとゲンドウを並ばせるわけにもいかず、
髭をつけたゲンドウだるまはユイだるまに添わせて、その隣にレイだるまも並ばせている。
可哀相にゲンドウだるまから遠ざけられたリツコはメガネをあしらったマコトだるまと強制カップリングさせている。
もっとも冬月も一人身なのでマコトやシゲルたちと一緒に小さなだるまの群生となっているのだが。
ただし、キョウコだけは特別で彼女はAnker家のだるまたちと一緒に立っている。
このだるま一家はライラをはじめとする子供たちの制作だ。
父と母と、亡き祖母と、それにニュールンベルクにいる祖父母、そして子どもだるまが3つ。
いや、今年から新しく小さな雪だるまが加わった。
グルントシューレに通うライラと出勤するシンジを見送って、玄関口に立つアスカたち母子。
「Ich wuensche Dir schoenen Tag! (良い日を)」
と言うが早いか、長男と次男は先を争うように庭を走り回って遊びだす。
そして、11月に産まれたばかりの次女を抱いたアスカはいつもの言葉を口にするのだった。
その言葉を聞きシンジもいつものように振り返った。
「Sieh Dich, Lay.
Laesst Du Deinen Vater hinter Dir?」
(おやおや、レイ。お父さんを置いて行くのかい?)
「Tja,
es dauert immer zu lang! Dieser Abschiedsritual zwischen Vater
und Mutti.」
(だって、長いんだもん。パパとママの別れの儀式は)
「Hahaha.
Nach 4 Kinder sind die Beiden immer noch in der Flitterwochen.」
(はっはっは!4人も子供がいるのにいつまでも新婚さんなんだねぇ)
隣家の太っちょロッテは歩道のところでぶらぶらとしているライラに声をかけた。
うんざりとした顔を装ってはいるが彼女はそんな両親が大好きなようだ。
「Sag mal, Lotte.
Denkst Du, dass mein Haar irgendwann mal auch schoenen Blond, wie
meiner Mutti?」
(ねぇ、ロッテ。アタシの髪も綺麗な金髪になる?ママみたいに)
ライラの目下の悩みは髪の毛の色だった。
あの頃のアスカのような見事な赤金色である。
「Sicher! Deine Mutti
hatte vielleicht genau so 'ne Beschwerde. Danach hast Du Dein
Haar wie meine. Hahaha.」
(大丈夫!お母さんだってきっと昔はそうだったのさ。そして、その後はこうなるんだ。ははは!)
太っちょロッテは自分の白髪を指差した。
「Ehhh, das ist ja demuetigend. Du, gemeine Lotte!」
(ええっ、いやだぁ、もうっ、意地悪ロッテ!)
自分の髪が白髪になったところを想像したのか、ライラは顔を大いに歪める。
そして、彼女は自宅の玄関に向って叫んだ。
「Vater! Ich gehe schon vor!」
(パパ!置いて行くわよ!)
別れの儀式中のシンジは娘の声に慌てる。
妻と赤ん坊にちゅっとキスをして、彼は門へ駆け出した。
その背中にアスカは叫ぶ。
振り返ったシンジも負けじと叫び返す。
これが儀式の最後だ。
「Sag mal, Lay. Was
sagen die Beiden da?」
(ねぇ、レイ。あれは何て言ってるんだい?)
「Ich
weiss nicht. Das ist Japanisch. Ich kann nur noch Vaters
Namen "Shinji" erkennnen.
Aber es kommt nie den Namen meiner Mutti vor. Ich kann
nicht den Namen "Sophie" hoeren.」
(知らない。日本語みたいよ。シンジってパパの名前はわかるけどさ。
でも、ママの名前は言ってないのよね。ゾフィーって全然聞こえないもん)
「Ja,
Du hast recht. Hast Du schon mal die Beiden gefragt?」
(そうだねぇ。聞いてみたのかい?)
「Aber sicher!」
(と〜ぜんっ)
ライラは目をくりくりさせて答えた。
好奇心の固まりのような彼女が質問しないはずがない。
「Und? Was bedeuten diese?」
(で、どういう意味だったんだい?)
「Es
geht nicht. Keiner von den Beiden sag mir davon nichts. Die
sind ja geizig!」
(駄目。二人とも教えてくんないの。ケチなんだから!)
「Hahaha!
Ein Geheimnis?」
(ははは!秘密なのか)
「Ja!
Sie behaupten, dass diese ein Geheimspruch sind. Ein
ewiges Liebesspruch. Ich kann nicht weiter davon hoeren.」
(そう!秘密の呪文なんだって。永遠に解けない、恋の呪文だってさ。もう、勝手にすればって感じっ)
ライラは大人を真似て大仰に肩をすくめた。
そこにシンジがやってきて、太っちょロッテにおはようの挨拶。
そして父と子は仲良く道を歩いていった。
その二人の後姿にアスカは大きく手を振り、それから隣家の老婦人に向って歩み寄る。
まずは井戸端会議ならぬ、垣根会議だ。
恋の呪文を教えてくれと言われて、アスカはにっこり笑って断った。
だって秘密だから、と。
アスカの方はいつも同じ言葉だが、シンジはその日によって違う言葉を返してくれる。
そんな些細なことでさえ、幸福を感じることができる。
ああ、ママ。
私は幸せです。
これが長い夢でないように、恋の呪文は続けないと。
ママとは、天国の母か、それとも義母の方か。
アスカはよくわからないままに、心の中で囁いた。
明日も、明後日も、そしてまた次の日も。
おそらく子供たちがみな家から出ていって、夫婦二人きりになっても。
アスカとシンジは互いに呼びあうだろう。
「いってらっしゃい!あたしの馬鹿シンジ!」
「いってくるよ!僕のオタンコナスアスカ!」
Adler様
こめどころ様
匿名の人様
読んでいただいた皆様に
Frohe Weihnachten!
ジュン
(でも少しだけあとがき)
お読みいただきありがとうございました。 例によって長くて申し訳ないです。これでもエピソードを端折ったんですけどね。シンジの日本での日々。ミュンヘンでの捜索の日々。そして再会してからの、アスカの語り。とてもじゃないですがバランスが悪くなるのでこの状態となりました。 ドイツ語の翻訳をしていただいたAdler様にはクリスマス前のお忙しい時に本当に申し訳なく思います。文章力、描写力の弱い部分、つまり異国に二人がいるのだという情景をドイツ語の会話で補わざるを得なかったのです。 またこの作品を書くためにドイツのクリスマスのことを調べました。やっぱり日本のイベント的クリスマスとはまったく違う。サンタクロースの登場は12月6日だとか、ツリーは24日に初めて飾るとか、クリストキントが可愛い女の子(ニュールンベルクのマーケットに登場します。webで検索すれば画像が出てきますよ)だとか。折りしも今日、CSでドイツのクリスマスマーケットの番組が放送されて、クリストキント(番組ではクリスキント)も登場しました。いや、可愛いというか綺麗というか。来年のクリスマスネタはこれに決まりましたね(おい)。横道に逸れました。ドイツのクリスマスはまさに家族のためのものですね。もしアスカに出会うことができなかったなら、シンジはクリスマスの間物凄い孤独感を味わうことになったでしょう。 3人の田中さんの物語もいくらでも膨らますことができそうですが、そうなると「太陽にほえろ」か「ジャングル」か「俺たちは天使だ」かという様な感じになりそうです。何故ならイメージキャストが、竜雷太、勝野洋、沖雅也なんです。こうして並べて見ると、3人の賢人には見えませんね(苦笑)。 アスカの名前を勝手にゾフィーにしてすみません。これが女性の名前だなんて子供の時は知りませんでした。だって、ゾフィー兄さんは「命をふたつ持ってきた」人なんですもの。 お隣の太っちょロッテさんは実はドイツの諜報局を引退した元女スパイでEUの依頼で二人を保護(監視という名目)しているという裏設定もあったりします。その旦那はジェームズ・ボンドのようにかつては幾多の女性を骨向きにした、でも今はただのつるっぱげのおじさんで、ロッテさんとは昔いろいろあって…。だけど、二人はもう悠々自適の生活。最後にロッテさんは定時連絡をする場面で終わるという考えもありました。まあ、ネルフの面々の中で一人だけ帰ってきていて政府の仕事をしているとか、そういうのもオミットしました。 綺麗さっぱり削除してよかったと思います。こういうのを蛇足…って、蛇足だらけの作品ですがね。 今回はAdler様はじめいろいろとお助けいただきました。 本当にありがとうございます。 読者の方々も、いいクリスマスを。そしていい2007年になりますように。 ジュン |
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