70000HIT記念SS

アスカの看病大作戦!


2003.10.01 ジュン

 

 

 土曜日、午前8時。

 週休2日制だから、今日は学校は休みである。

 アスカはリビングで面白くなさそうな顔つきで、レモンティーを啜っていた。

 キッチンの方で洗い物をしているキョウコは、知らぬ顔をしているが内心面白くて仕方がない。

 娘の不満の原因を承知しているからである。

 それは…。

 

 まったく!

 ど〜して、土曜も日曜も学校は休んじゃうのよ!

 お休みだったら、シンジに会うのに理由をつけるのが難しいじゃない!

 あ〜あ、小学校の間だったら、『あっそぼっ!』って簡単にお隣へ行けたのにな…。

 つまんない…。

 やっぱり何かの部活に入って、シンジともっと会えるようにした方が良かったかな?

 2年生だから、今更どこかに入るわけにはいかないわよねぇ…。

 ま、部活をしていないおかげで、シンジと勉強する時間ができるってもんだけどね。

 シンジの成績がいいのは、この天才アスカ様のおかげだって、ユイおば様から感謝されているんだから、

 このシンジのお部屋でうっとりする2時間……じゃない、復習と予習の2時間は確保されてるってわけよ。

 もうっ!何か、シンジに会えるネタはどっかにころがってないの?

「ママ!回覧版ない?」

「ないわよ」

 キョウコの背中が微かに震えている。

 昨日の夜、回覧版をだしにして3時間以上お隣に居座ってきたのは、いったい誰?

 母親に笑いものにされているのも知らず、アスカは必死に考え続けている。

 お隣に侵攻できる作戦はないものかと。

 

 そのお隣から、鴨が葱を背負ってきた。

 

「キョウコぉ、いるぅ?」

 いるに決まっている。

 ユイが惣流家の扉を開けるときは、必ずこのセリフなのである。

「いるわよっ!」

 手を拭きながら、キョウコが玄関に向かう。

 相変わらず仏頂面でテーブルに頬杖をついている娘の横を通り過ぎて。

 

「ごめんっ!今日一緒に行けなくなっちゃった」

「えっ!ど〜してよ。あんなに楽しみにしてたじゃない!」

「それがねぇ、うちのシンジが…」

 

 そのユイの言葉は、アスカのシンジアンテナに敏感に反応した。

 アスカの眼がきらりと光り、即座に玄関に通じる廊下側の壁面に移動した。

 二人の様子は見えないが言葉ははっきり聞こえる。

 

「あら、シンちゃんどうかしたの?」

「うん、実はね…」

 

 もうっ!早く言いなさいよっ!

 シンジがどうしたのよっ!

 

 口篭もっているユイにアスカはいらついた。

 壁に押し付けている肩の部分にグランパとグランマの写真の額が当たっている。

 正直少し痛いのだが、シンジの情報を得るためには致し方ない。

 だが、二人の姿をもし見ていたなら、アスカはどう思ったことだろうか。

 二人の母親は今にも吹き出しそうな顔をして、リビングの方を見ている。

 そして、キョウコが大丈夫と頷く。

 それを見て、ユイが肩をすくめアスカに聞き取りやすいようにリビングの方へ向かって話した。

 

「あの馬鹿、熱を出したのよ。今、うんうん唸ってるわ」

 

 その途端、リビング方向からガタッと音がした。

 驚いた拍子に肩で額を落としそうになったのだ。

 わかりやすい。実にわかりやすい娘である。

 ユイは口を手で蓋をした。むろん、キョウコも同様である。

 そして、話の先を促す気配がリビング方面からひしひしと伝わってくる。

 

「だからねぇ、看病してくれる人がいないと、私、出かけられないのよ。うちのは仕事だし」

「あら、そんなのダメよ。優勝セールは滅多にないんだから」

「わかってるわよ、そんなこと。あ〜あ、どこかに看病してくれる人いないかしら?」

 

 ごとごとと微かに音がする。

 出ようかどうしようか迷っているようだ。

 ここで、キョウコが救いの手を差し伸べた。

 さすがに母親。笑いものにするだけではなかったのだ。

 

「ちょっとアスカぁ!アンタ、アルバイトしない?」

 

 どたばたっ!

 物凄いスピードでアスカが飛び出してきた。

「あら、アスカちゃん。おはよう」

「あ、お、おはようございます!な、何?アルバイトって!」

「あのね、シンちゃんの看病」

「ええ〜っ!馬鹿シンジがどうかしたのぉ?せっかくのお休みなのに、私ヤだな」

 キョウコとユイは目だけで笑いあった。

 本当に馬鹿娘なんだから、アスカは。

 誰にも気付かれてないって、どうして思うのかしら?こんなにバレバレなのに。

「セールでお土産買ってきてあげるから。ねっ!」

「そうそう、おばさんも名物イカ焼き買って来てあげちゃう」

「うっ!」

 シンジの看病ができるだけでなく、あのイカ焼きも手に入れることができる。

 アスカは内心舌なめずりをした。

「し、し、仕方ないわねぇ。そこまで言われたら、すっごくヤだけど、看病してあげよっかなぁ…?」

 首の後で手を組み天井を見上げながら、アスカは嘯いた。

「はいはい、それじゃ、さっさとお隣に行ってきなさい」

「ホントにもう…。熱出すなんて、馬鹿シンジは!人に迷惑かけるんじゃないっての」

「アスカ、どこ行くの?」

「着替えてくる」

 スキップしながら階段を上がるのは危険この上ないし、下で母親二人が見ている。

 浮き立つ心を必死で押えて、アスカは階段を登った。

 そして、アスカの部屋の扉が閉まる音がしたとき、若々しさを失わない母親たちは抱き合って爆笑するのであった。

「き、き、着替えだって。パジャマから着替えて、まだ、さ、30分もたってないのに…」

「わ、わ、笑っちゃダメよ。で、でも、熱なんてワタシ言ってないのに…き、聞いてましたって白状してるじゃない」

 

 階下の喧騒を知らずに、アスカは何を着ていこうか悩みに悩んでいた。

 ナース服とか白衣なんて持ってないし…。

 メイド服もないわよねぇ…。

 クローゼットの前で腕組みをするアスカであった。

 

 

 

 

 シンジは眠っていた。

 ただし、息は荒く、顔色も悪い。

 その顔を見た途端に、アスカは泣き出しそうになった。

 可哀相なシンジ。

 ワタシが治してあげるからね。

 その一方ではこのまま一生シンジを看病して生きるのも健気でいいかも…と、とんでもないことを妄想してしまってもいたのだが。

 散々悩んだ末の服装はというと、白のカッターにピンクの薄手のカーディガン、それにベージュのキュロット。

 本人はナース風のつもりらしい。

「さてと、熱を測らなきゃね…」

 出かける際に、ユイが言い残していったのだ。

 今朝は熱測ってないから、アスカちゃん頼んだわよ…。

 そうにっこり笑ってユイは出て行った。

 任せなさい!と胸を叩きたいところだが、アスカの恋心は誰にも秘密なのである。

 もっともその秘密がしっかりと保たれているのは、当のアスカ本人とシンジの超鈍感カップルだけなのだ。

 中学校でもあまりに公然なカップル過ぎて、誰も突っ込みをいれようとしない。

 但し、数名の猛者だけがシンジへの恋心が敗れた腹いせにアスカの目の前でわざとらしくシンジにモーションをかけてはいる。

 もっともシンジは丁寧にその人たちにお断りを申し上げているので、大丈夫だと確信してごく普通に彼女たちと接している。

 ただ、そのことをアスカに一言も話していないのだ。

 何故ならそんなことをアスカに言って、自分はもててるんだと自慢してるように誤解されてしまうかもしれない。

 そうなれば、アスカに嫌われてしまう。

 アスカを好きで好きでたまらないシンジにとっては、告白されたことは絶対に秘守事項なのだ。

 ところが、そうやって彼女たちと普通どおりに話していることがアスカの癇に障っていることをシンジは知らない。

 それはシンジにも同情される向きもある。

 彼女たちはシンジにわからないように、ちらちら見ているアスカに向かって『どうよっ!』と言いたげな視線を送っていたのだ。

 単純なアスカは完全に彼女たちのペースにはまっていた。

 やたらいらいらして、これ見よがしに「ベタベタしちゃってヤねぇ」などと友人のヒカリに大声で話し掛けたりする。

 完全に情緒不安定状態である。

 そして、「シンジ、来なさいっ!」と叫び、シンジを教室の外に連れ出す。

 その後どこに行くのかは決めていないので、延々と校舎の廊下をずんずん歩いていくのだ。

 「アスカ、待ってよ」というシンジの情けない声を引き連れて。

 そういったことで、彼女たちはせめてものの腹癒せをしていたのだが。

 

 さて、熱の測定である。

 アスカは手の中の電子体温計を見つめた。

 やっぱり、計るのって腋に挟むのよね。

 アスカは次にシンジの身体の、それに該当する場所を見た。

 掛け布団の下。

 パジャマ。

 その前をはだけて、腋に体温計を挟む…。

 前をはだけて…。

 シンジの裸の胸…。

 

 ぼふっ!

 

 アスカには自分の頬が真っ赤に染まった音が確かに聞こえた。

 し、シンジの裸の胸を至近距離で見る。

 そ、そうよね。見なきゃ、体温計を腋に挟めないじゃない。

 そ、そうよ。これは立派な医療行為なのよ。

 で、でも、し、シンジのパジャマのボタンを外すなんて…。

 

 ぼふっ!ぼふっ!

 

 ダ、ダメ。

 想像しただけで…。

 熱が出たかも。

 ちょっと計ってみよっと。

 ……。

 ピピッ。

 36度5分。

 何よ、こんなに暑いのに、平熱じゃない!

 アスカは体温計を睨みつけた。

 事実を公正に伝えているだけなのに、体温計もいい迷惑である。

「う、う〜ん…」

 その時、シンジが微かに呻く。

 アスカははっとした。

 そうだ、看護をしなきゃ!ごめんね、シンジ!

 アスカは恐る恐る掛け布団をめくった。

 中にこもっていた熱がぶわっとアスカに襲い掛かる。

 わっ!気持ち悪い。

 でも、こんなになってるなんて、シンジ可哀相…!

 アスカは頷くと、パジャマのボタンに手をかけた。

 さすがに指が震えている。

 白く細い指がたどたどしくボタンを外す。

 ようやく一番上を外し終わった時、思わずアスカは溜息を吐いた。

 そこから覗くシンジの白い肌。

 

 ぼふっ!

 

 ああ、ダメダメ。こんなことでいちいち赤くなってたら茹蛸になっちゃう!

 アスカはしっかりと頷いて、手早く2番目と3番目のボタンを外した。

「ふぅ…」

 アスカは大きな溜息を吐くと、そのまま腋が見えるように襟を持って広げる。

 汗ばんだ、あまり逞しくはない左胸が剥き出しになる。

「ひっどい汗!あとでちゃんとしてあげるからねっ!」

 シンジの状態に、さすがに羞恥心を暫し忘れたアスカであった。

 手早く体温計を脇に挟むと、はだけた前を合わせる。

 そして、ユイが用意していた替えのパジャマを検分する。

「よし、汗拭き用のタオルもあるし…あ」

 ピピッという音にアスカは体温計を抜き取った。

「38度4分!可哀相っ!」

 シンジが起きていたら絶対に言わないであろうセリフをアスカは発した。

「アンタがこんな酷い目に合うなんて許せないわっ!私の愛の力で絶対に直してあげるからっ!」

 そう宣言した後に、シンジの意識が戻ってない事かどうかを目を皿のようにして窺ったのはご愛嬌である。 

「そうそう、汗よね…汗、汗」

 鼻歌交じりだったのは、ここまでだ。

 汗を拭くためには前をはだけさせるだけでは無理であることをアスカは知った。

 汗でぐっしょり濡れて重くなったパジャマを着替えさせるのは、シンジを裸にしないといけない。

 アスカはフリーズした。

 ……。

 ……。

 パラパラパッパァッ〜!

 フリーズしながらも考えていたアスカはありきたりの回答を導いた。

「そうよ!見なきゃいいんじゃない!目を瞑って…ううん、誘惑に負けちゃあダメだから目隠しすればいいの!

 私ってやっぱり天才っ!」

 この世は天才ばかりなり。

 ただ唯我独尊のアスカは、名案にご満悦で準備に取り掛かった。

 乾いたタオルよりも蒸しタオル。

 目が見えなくてもわかりやすいように、パジャマと…トランクスを整理してベッドの傍に置く。

 アイマスクなど用意していないから、タオルを目に当てて頭の後ろでしっかり結ぶ。

「よし、真っ暗。これで何にも見えないわよ!」

 手探りでアスカはシンジのパジャマを脱がせにかかる。

「見えないから、楽勝じゃんっ!」

 運動神経や勘の良さには定評のあるアスカだ。

 それほど困らずに上半身を剥き出しにできた。

 シンジはそれに目を覚ますようなこともない。

 時々軽いうめき声を上げるくらいだ。

 その声のひとつひとつに、はっとしてしまう。

 そして涙さえ瞳に浮かべている、秘めたるアスカの優しさを知るものはその両親くらいなものだろう。

 実はシンジもそれを知っているのだけど、彼はそれをおくびにも出さない。

 アスカが喜ぶわけがない事を知っているからだ。

 複雑怪奇で変化球投手のアスカは単純ではないのだ。

 ただし、そのことをシンジが知っていて黙っているということをアスカが知ったならどうだろう?

 確実に狂喜乱舞することだろう。

 もちろん、シンジの見ていないところだろうが。

 さて、アスカの目隠し汗拭き&着替え作戦は進行中である。

 上半身の汗を蒸しタオルで拭き、パジャマの上を着せボタンをかける。

 その手際は素晴らしく、アスカの身体能力の良さを浮き彫りにした。

 だが、次の段階でアスカは再び急停止してしまった。

 作業が下半身に向かうということが、彼女の思考をループ状態へ突入させてしまったのである。

 下半身…パジャマだけじゃなくて下着も取り替えないと…シンジの下着を脱がす…●△×■◎▼!

 目隠しをしているが上に、アスカの想像は膨らむ一方である。

 

 最後にシンジの裸を見たのはいつだっただろうか?

 そう、あれは小学校3年生のある夏の日。

 シンジが生体解剖された、あの暑い昼下がりのことである。

 二人で人生ゲームをし、シンジの楽勝かと思いきや、アスカが大逆転したのである。

 すべてを賭けた人生最大の賭けに勝利したのだ。

 そして、勝者の権利としてアスカはシンジを解剖した。

 そんなことなど約束も了承もまったくしていないシンジは抵抗を重ねたが、当時は10cmも頭が高いアスカに敵うはずもない。

 哀れにも身ぐるみを剥がれた上に、全身をチェックされたのである。

 もちろん、シンジはついには泣き出し、両親への露見を恐れたアスカが事実の隠蔽に努めたのだ。

 簡単に言うと、シンジを脅したわけだ。

 『早く服を着なさいよ、馬鹿シンジ!それからこのこと誰にも言ったらダメよ!そんなことしたらもっと酷い目にあわせてやるから』

 確かにシンジは一言も言わなかった。

 ところが、このことを双方の両親はよく知っている。

 シンジはこの事を日記に書いていたのだ。

 『ぼくはアスカにすべてを見られてしまった。これでもうぼくはアスカのおよめさんに』

 と、書いたところで<およめさん>の<よめ>を2本線で消して、その下に<むこ>と書き加えている。

 『ならないとダメだ。すごくはずかしいけど、ものすごくうれしい!!!』

 その上、シンジはその簡潔な名文を様々な色のカラーペンで囲っている。

 これは過去、及び現在に到る彼の日記を紐解いても例を見ないことだ。

 そして、シンジはその日記を机の鍵の掛かる引出しに隠した。

 アスカが中を見たい見たいと常々熱望している、その引出しにだ。

 では、何故両親たちがその事を知っているばかりか、毎年その日を婚約成立記念日として4人でどんちゃん騒ぎをしているのは…?

 当然、目的のためには手段を選ばないゲンドウの仕業であった。

 挙動のおかしいシンジの様子に両親がピンと来たわけだ。

 興奮の余り寝つきの悪いシンジがようやく寝静まった午前2時、ゲンドウが音もなく息子の部屋に消えた。

 その数分後にその重大情報は惣流家に伝わり、1回目の婚約記念パーティーが開催されたのである。

 もちろん熟睡している当事者の子供たちを余所にしての話だ。

 余話終了。

 

 アスカはまだ戸惑っていた。

 しかし、大好きなシンジをこの状態で放っては置けない。

 そして、アスカは決意した。





 3分58秒後、アスカは目隠しを取った。

 彼女の14年近い生涯の中で、この数分ほどドキドキしたことはなかった。

 胸を押えて立つアスカの荒い息の下、シンジは気持ち良さそうに寝息をたてている。

 この10年余り後に、愛児シンイチのおちんちんをつまみ上げ『きれいきれいにしましょうねぇ〜』と丁寧に汚れを拭き

 平然としてオムツの取替えをする自分のことなど、今のアスカには想像もできないだろう。

 当然、その長男の父親は言わずと知れた、現在発熱中の彼である。

 無論、この時アスカは何もつまみ上げたりはしていないことを彼女の名誉のために書き加えておこう。

 

 嵐は去った。

 

 アスカの興奮も一段落している。

 シンジの汗で重くなったパジャマ類も1階の洗濯機で洗っているところだ。

 まだまだ汗をかくかもしれないからだ。

 ことシンジのことに対してはよく気がつくアスカなのである。

 そして、シンジが目を覚ました時に何か欲しがるんじゃないかと考えた。

 お水?お茶?スープ?お粥?何がいいのかな?

 散々考えた末、アスカは声に出した。

「ねぇ、シンジぃ。アンタ、何が欲しいの?」

 アスカとも思えない甘えた声に、シンジが口を開こうとした。

「げっ!今の声聞かれたんじゃないでしょうねっ!」

 赤くなるより先に、うろたえてしまったアスカであった。

「うっ……あ……」

 必死に何かを言おうとするシンジの様子に、アスカは集中する。

「な、な、何か欲しいの?」

「れ……」

「れ?」

「レイ………」

 綾波レイ。

 13歳、東京都出身。アスカの同級生にして、シンジに纏わりつく最大最強のライバル。

 もちろん、これはアスカの視点にすぎず、現在彼女はシンジにふられたことをアスカを弄ぶことで癒そうとしている。

「れ、れ、レイっ!レイが欲しいんですってっ!」

 アスカが青ざめる。

 シンジは苦しい息の下で、ぎこちなく頷いた。

 息をするのも苦しい。

 い、い、いつの間にこの二人は…!

 そんなことがないように私はシンジから目を離さないようにしているのに!

 ま、まさか!私が入ることの出来ない男子更衣室でシンジを待ち伏せしていたとか…。

「冷凍みかん」

「はい?」

 ようやく言いたい事を言えたのに満足したのか、シンジはまた眠りに入った。

 後には、エネルギーを使い果たしたかのようにアスカが虚脱状態になって座り込んでいた。

 しばらくして、ぼそりと言った。

「はいはい、冷凍みかんね。わかったわよ。どこか売ってるかな……?」

 

 眠ったままのシンジを独りぼっちにしておくことはアスカには許されない。

 アスカは超スピードでペダルを踏んだ。

 2軒のコンビニ、1軒のスーパーマーケットでそのものずばりがない事を知り、アスカは方針を変える。

 果物屋さんで一ざるのみかんを買うと、アスカは疾風の如きスピードで坂を駆け登った。

 籠の中の袋からみかんが飛び出さないように注意しながら。

 

 冷凍庫にみかんを収めて、アスカは階段を上がる。

 1時間くらいかなぁ…よくわかんないけど。

 扉をこっそり開けると、シンジはまだ眠っていた。

 アスカは少し笑うと中に入り、そして…仰天した。

 枕もとにお皿が置いてあるではないか。

 白いお皿の上に、赤くて小さなフォークが一本だけ。

 アスカは絶句した。

 い、一体誰が…?

 部屋の中を素早く見渡したが、誰もいない。

 机の下。クローゼットの中。そして、シンジの布団の中。

 どこにもいない。

 アスカは猟犬のように部屋から飛び出した。

 数分後、必死の捜索も虚しくアスカは手ぶらで帰ってきた。

 敵は私のいない間に疾風のように現れ、そして疾風のように去っていった。

 アスカはそう確信していた。

 実際はシンジが目を覚まし、水分を求めて階下に降り、冷蔵庫に半分になったリンゴを発見しただけだったのである。

 怪我もなくナイフを使い、律儀にお皿に載せ枕元でその二切ればかりのリンゴを食べたのだ。

 アスカに余裕があればキッチンに置かれた俎板の上のナイフに気がついたのだが、今のアスカは猪武者だった。

「シンジ!誰が来たのよっ!」

 シンジに隠し妻がいる。

 そんなわけは絶対にないのだが、嫉妬に狂うアスカには常識的な判断を求めることができない。

 そもそもそこが面白いがゆえに、綾波レイたちにからかわれているのだ。

 自分を買い物に出した隙に…しかもそんじょそこらに売っていないものを欲しいと言って…うわごとだったが。

 その間に女を引き込んだ……!

 アスカの嫉妬パワーは爆発の臨界点に来ていた。

 そして、さっきまでの健気な看護ぶりは完全に姿を消したのだった。

 眠れるシンジの肩を両手で掴み、前後に揺さぶると大声で叫んだ。

「こらっ!馬鹿シンジっ!誰よっ!誰が来たのよっ!何処の女狐を引っ張り込んだのよっ!」

 碇シンジ、まだ熱は37度以上あった。

 最悪の目覚めである。

「うえっ…」

 胃袋にはりんごがまだ消化されていない。

「はん!吐けばいいのよ。そんな女に食べさせてもらったものなんか…!」

 アスカは冷たく見下ろした。

 そう言いながらも、乱暴に揺さぶるのは止めている。

 シンジは何とか吐き気を抑えて、ボケた頭でぼやけた目を開けようと努力した。

 アスカが怒ってる。

 何だかわからないけど、起きなきゃ…。

「さあ、答えなさいよ、馬鹿シンジ!誰に、何を食べさせてもらったの?」

「あ…」

 片付けてなかった。

 俎板の上にナイフも置きっ放しだ。

「まな…いた……」

「マナぁっ!」

 アスカは了解した。

 霧島マナ。

 隣のクラスからのスパイ。

 シンジを狙って自分たちのクラスに出没する女。

 アイツか……。

 でも、“いた”って何よ。

 いた…いた…板…洗濯板…!

 わかったっ!あのツルペタボディのことねっ!

 そ、その…洗濯板の様な胸を私のシンジに見せたってことなのっ!

 霧島マナ…コロスっ!

 少年法に触れる行為を決意した瞬間、シンジの頭が少し回復した。

「ご、ごめん…」

「はん!謝ったって遅いわよっ!私の胸は傷だらけなのっ!」

「えっ!」

 シンジが飛び起きた。

「わっ!あ、アンタ、ど、どうしたのよ!」

「アスカ怪我したの!あのナイフで!」

「へ?」

 普段からお惚けで通っているシンジだ。

 今日は熱があるから、拍車がかかっている。

「ぼ、僕の所為だ。あんなところにナイフを…」

「ちょっと、アンタ何言ってんの?」

 アスカの嫉妬パワーは急速に減衰した。

 シンジが嘘をついているかどうかは100%見破る自信がある。

 彼女の身体を心配するシンジを大丈夫だと寝かしつけて、アスカはキッチンに下りた。

 テーブルの上に置きっ放しの俎板の上にナイフ。

 ナイフの近くにりんごの皮もくるくるっと丸まって落ちている。

「あ〜あ、これかぁ…」

 そして、アスカはりんごの皮をつまみあげてしみじみと言う。

「ホント、熱があるのに、私より巧いなんてちょっと癪よね」

 アスカは鼻を鳴らすと、その皮をむしゃむしゃと食べた。

「皮だけって、やっぱまずいわね……」

 

 その3時間後、完全に目覚めたシンジの熱は36度8分まで下がっていた。

「はい、冷凍みかん。これ剥くのって案外むずかしいわね」

「ありがとう。これって熱出すたびに食べてるから、習慣みたいになってるんだ」

「ふ〜ん、そうなんだ」

「うん、だから今度も買ってきてくれたんだな、母さん」

 アスカは否定も何も言わなかった。

 アンタのために買って来たのだとは、恥ずかしくて言えなかったのだ。

「でも、いつもと少し味が違うような…」

 売り物の冷凍みかんと違って、家庭用の冷蔵庫で冷凍したのだ。

 どうしても旨みが違ってくる。

 その違いがわからずに少し首を捻っているシンジだったが、それでもアスカは幸せだった。

 まだ恋人じゃないけど、シンジの看病はこの私の仕事なの。

 実際シンジの熱が下がったのだから、アスカの満足感は充足されていた。

 ま、いっか…。今日も告白できなかったけど、私、幸せだもん。

 シンジはそんな暖かいアスカのまなざしが眩しかった。

 早く告白しなきゃ!

 こんなに美人なんだから、いつカッコいい男が現れてアスカをかっさらっていくかわかったもんじゃない。

 それに、敵は男に限ったわけじゃないんだ。

 綾波さんだって言ってた。

 碇君が交際しないんだったら、私、惣流さんをいただくわ…って、

 あの真剣な目で言われたら冗談だかどうなのか全然わかんないよ。

 アスカ…本当に綺麗だな…。

 わっ!

 シンジったら、何見てんのよ。

 そ、そりゃあ、私は天才美少女なんだから見とれるのは当然でしょうけどさ…。

 あ、アンタに見つめられたら…私……。

「アスカ、風邪感染ったんじゃないの?顔、赤いよ」

 鈍感シンジに効く薬はない。

 ところがアスカはさらに顔を赤くして、何も言わずに部屋の外に飛び出していった。

 バタバタという足音が下降していく。

「トイレ……?」

 熱が下がっても、シンジはやはり馬鹿シンジである。

 

「あれ?アスカは?」

「あら、ご挨拶ねぇ。やっぱりシンジはアスカちゃんの方がいいのね?」

「な、な、な、何言ってるんだよ、母さんは!」

 ユイはニンマリと笑った。

「アスカちゃんなら真っ赤な顔してお家に走って帰ったわよ。

 アナタ、まさか無理矢理…?」

「してない、してない!何もしてないよっ!」

「どうだか…?だって、イカ焼き買ってきたのに、目もくれずに帰っちゃったわよ。あやし〜い!」

「怪しくなんかないよ!もうっ!」

 毎度ながらの母親のからかいにふてくされるシンジだったが、

 やはり回復途上にある所為か“イカ焼き”という単語に卑しくも反応した。

 上体を起こすと、ユイに問いかけた。

「ねぇ…、食べていい?イカ焼き」

「ダメ。これで、我慢しなさい」

 ユイは後ろで持っていた冷凍みかんをシンジの目の前にぶら下げた。

 ゆら〜りゆらりと、揺れるみかんにシンジの目が丸くなる。

「あれ?じゃ、さっき食べたのは?」

「ん?」

 ユイはベッド脇のくずかごを覗き込む。

 散乱しているみかんの黄色い皮。

「はは〜ん、アスカちゃんか」

「えっ?じゃ…、アスカが買ってきてくれたんだ」

「甘いわよ、シンジ」

「へ?」

「冷凍みかんなんてこのあたりのお店には売ってないわ。きっとみかんを買ってきて冷凍してつくってくれたのね」

「そ、そうだったんだ」

「で、食べる?これ」

 なおも赤い網にぶら下がったみかんを揺らせるユイ。

「いらないよ。それより…」

 ベッドを降りようとするシンジにユイは指を突きつけた。

「ダメ。今日一日は安静」

「で、でも…!」

「はい、これ」

 ユイがみかんを下げて、シンジにぽいっと何かを投げた。

 お腹のところで両手で受けるシンジ。

 携帯電話である。

「長電話しないでよ。あ、それと、中のデータ見たら酷い目に合わすわよ」

「わかってるよ、そんなことしないよ」

 そう言いながら、すでに指はアスカの家の電話番号を叩いている。

「ふ〜ん…」

 なおもからかいの種を探そうとするユイだったが、すでに自分の存在を忘れてしまっている息子にユイは唇を尖らせた。

「ばあさんは用済み…ってことかしら?」

 もちろんその声もシンジには届いていない。

 ユイは冷凍みかんを目の前にかざし、小首を傾げて、そして赤い網越しの少し青いみかんにちゅっとキスした。

 

 数分後、アスカが息を弾ませて飛び込んできた時には、部屋にはシンジ一人しかいなかった。

 彼女の真っ赤に染まったその頬は、息弾ませ駆け上がってきたためではなさそうだ。

「電話なんかじゃ許さないからねっ!」

 開口一番、これである。

 何を許さないのか皆目わからないのだが、当然当事者であるシンジは百も承知だ。

「う、うん。じゃ言うね。

 えっと、今日は本当に…」

「あぅぅっ!そこはパス!待ち切れないよぉ!」

「あ、ごめん。あ、あの…好きです!わっ!」

 シンジの告白と同時に、アスカはベッドサイドに座っている彼の首にダイブした。

 

 どすんっ!

 

 ユイは天井を見上げた。

 電灯のセードから埃がちらほら舞い落ちる。

 咄嗟にホットコーヒーのカップに手で蓋をする。

「あっつぅ〜!」

 湯気で濡れた手をひらひらさせて、ユイは再び天井を見上げた。

 あれから物音はしない。

 ユイは肩をすくめて、コーヒーカップを手にした。

 よし、ゴミは浮いていない。

 これを飲み干すまでは大目に見てあげるわ。

 

 2階では勢いで抱きついたもののユイの期待通りには到底進行できそうもない、

 初心な二人は幸せそうに手を繋ぎ、並んで天井を見上げているだけだった。

「来週はデートしよ!」

「うん、映画行こうか?」

「遊園地がいいな」

「うっ、小遣い前だから…」

「はは!じゃ、映画でいいわ。でも、割り勘よ」

「でも…」

「もっと大きくなって、バイトでも始めたら、ばっちり奢ってもらうから」

「う、うん…」

「楽しみだなぁ…何、見る?今からわくわくしちゃうっ!」

 ああっ!来週まで、あと何日?

 どうして、学校なんかあるんだろう?

 毎日がお休みだったらいいのに!

 

 

 一週間後の土曜日。

 アスカは寝込んでいた。

 デート前夜に興奮しすぎて、高熱を出したのだ。

 おかげでシンジはアスカの看病に土日を費やすことになった。

 但し…。

 さすがに、キョウコはアスカの汗拭きだけはシンジにさせようとはしなかった。

 それをアスカは不満に思ったのかどうか、それは本人にしかわからない。

 

 

<おしまい>

 


 

<あとがき>

うわぁっ!ただ甘いだけの作品を書いてしまいました。

55555リクの「そして、また月は輝く」の反動だと多めに見てやってください。

たまにはこういうのも……え?お前のはいつも甘いじゃないかって?

はは…、そうですね。こ、これも熱の所為ですよ。(執筆時期は作者の発熱次期と重なっています)

ああ、私にはアスカの看病は不要です。シンちゃんじゃないんだから、どんな目に合わされるか想像するだけでも恐ろしい…。

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