この作品に登場する町にはモデルがあります。
ただしそれをそのまま書くと、全員ベタベタの関西弁になりますので、
あえて場所は特定していません。
時代背景がわからない方でも、
楽しんで読んでいただければ幸いです。
同じ町の元市民だった、tweety様に捧ぐ
- Somewhere in those days - 2004.9.23 ジュン
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あれから、10日。
昭和42年4月26日、水曜日。
クリスティーネが退院する日だ。
幼稚園のためにその大イベントに参加できないシンジの悔しがりようはなかった。
タクシーなどもったいないというご本人の希望で電車でのご帰還。
ただし、電車を使ったのは訳があったことをユイは商店街で知った。
「おや!くりさん、退院かい?」「よかったねぇ」
八百屋や肉屋からの祝いの言葉に笑顔で答えるクリスティーネ。
その後ろに控えるユイとゲンドウ。
ゲンドウはすでに月曜日から洞木家の大黒柱と選手交代をしていた。
なんと気が早いと冬月にあきれられたが、言われて引き下がる彼ではない。
それに洞木家のためにも早く働かせる方がいいと判断したわけだ。
「ほんなら、再出発の無愛想先生に万歳三唱や!それっ!」
新工場の設営監督責任者となった彼の音頭で万歳が叫ばれた。
因みに洞木も彼と一緒に新工場にすぐ行くことになっている。
家族ごと引っ越さないとヒカリの身体を治す意味がないからだ。
本当はまだ建設中だから一人で充分なのだが、
逆に新しい業務を一から覚える方がよかろうという冬月の配慮もあったわけだ。
それで喜んだのは関西弁の鈴原主任も同様だった。
何故なら彼のところは奥さんを亡くしているので、子供たちの世話が大変だったからだ。
洞木家の奥さんが出産後で大変なことはわかっているが、
挨拶に来たコダマと、そして息子と同い年のヒカリがしっかりしているのを見て安心したわけだ。
そして「悪いけどうちのごんたくれをよろしゅう頼むわ」と幼い姉妹に丁寧に頭を下げたのである。
わかりましたと、笑って応える姉妹に息子は少し膨れっ面でそっぽをむき、父親にこつんと頭を叩かれた。
もう一人の子供である2歳の妹の方は嬉しそうにコダマの服の裾を握って離さなかった。
それを見て兄のトウジはさらに面白くなさそうな顔をした。
これまでちゃんと面倒見て可愛がってやったんやないか。薄情なもんや、ほんまに…。
その表情を見てヒカリは大いに不満だった。
こんな暴れん坊みたいでお兄ちゃんらしくないのなんか大嫌い、と。
お兄ちゃんは優しくないと…と、自分の姉であるコダマと比べてしまったヒカリである。
この評価はトウジにとって酷だっただろう。
彼は彼なりに妹の面倒を見、そして可愛がっていたのだから。
この同い年であるトウジとヒカリはしばらくは顔を合わせても口を聞かなかった。
さて、加持鮮魚店前に一同が達した。
その頃にはユイはクリスティーネの意図がはっきりわかっていた。
これはゲンドウのお披露目だと。
自分の命を救ったのがこの無愛想な男で、そして実は医者だったと彼女は語った。
そのうち惣流医院を再開し、この男がそこの医者になるとは一言も言わない。
実に巧妙な宣伝だとユイは思った。
ここでそんなことを言えば、ゲンドウに底意があるようなイメージになってしまう。
まずはお披露目だけ。
そしてそのうちに徐々に話を広めていくつもりなのだ。
この無愛想な男が実はけっこう愛らしいということを少しずつ町の人間にわからせていこうというわけだ。
「おや!こりゃあ、くりさんじゃないか!退院おめでとう!」
大将が真っ先に怒鳴った。
「ありがとよ。なんだって、私の退院祝いをしてくれるんだって?」
「おうよ、今日だってユイさんに聞いてるからさ、ちゃあんと用意してるぜ。なあ。おい」
「聞いたよ。尾頭付きの鯛に、それから舟盛りの刺身だって?」
クリスティーネはからかってやろうと約束以上のものも加えた。
ところが大将もおかみさんもニコニコ笑うだけ。
「ああ、よくわかったねぇ。食べきれるかわからないほど、豪勢に盛るよ」
冗談とは思えないのでおかみさんに尋ねてみると、舟盛りは近所の人からのお祝いらしい。
あの時店先に居合わせた主婦たちが音頭を取って、みんなで代金を出し合ったらしい。
それを聞いてクリスティーネが珍妙な顔になった。
「おや、どうしたんだい、くりさん。泣いちゃうのかい?」
「ば、馬鹿だね。泣くことなんかあるかい。魚の匂いがきつかったんだよ」
「へぇ、そうかい。ま、そういうことにしてやっか」
悪戯っぽく大将が笑うと、夕方に持って行ってやるからと大声で怒鳴った。
そして、クリスティーネの背後に突っ立っている髭面の男に首を傾げる。
その隣にユイが寄り添っているところを見ると…。
「あ、わかった。あんたが赤ひげ先生だねっ!」
「む…、俺の髭は赤くないぞ」
とぼけたわけでもなく、ゲンドウは不機嫌そうに言った。
ところが、その返事を聞いて大将は大笑いしたのだ。
「こ、こいつはいいや。ますます赤ひげ先生だぁねっ」
「ふんっ、わけのわからん…」
「あなた?あなたのことを三船敏郎のようだと仰っていただいてるのですよ」
「むっ、三船だと?」
ゲンドウは眉をひそめた。
その表情を見てユイは笑いを堪えるのに必死だった。
わっ、この人ったら喜んでるぅ。
「おおっ、漢だねぇ。煽てには乗らないってか?」
乗ってるってば、しっかり。
しばらくは本人だけが三船敏郎のつもりでいるわね、こりゃあ。
でも、この人が医者として生きるなら、あの赤ひげがいい手本になるのは間違いないわ。
ユイは心の中でしっかりと頷いた。
「いいねぇ、我が家。あんなとこにいると我が家の良さがよくわかるよ」
麗しの花の小道の前でクリスティーネは腰に手をやって、しげしげと自分の家を見渡した。
そして、表通りに面した二階の角を指差す。
「あのあたりに看板がいるね。碇医院…いや、碇診療所かい?」
「まだあんなこと言ってる。ねぇ、あなた?」
惣流医院という名前をそのままにするとユイたちは言っていた。
呼びかけた相手の様子を見てユイはふんっと顔を背ける。
「赤ひげ診療所なんて絶対にダメですからねっ!」
「ははは、それもいいね。アンタもなかなか言うじゃないか」
「むっ、何も言っておらん」
そうは言いながらもゲンドウは少し恥ずかしげだ。
ユイの言ったことは的を射ていたのだろう。
「でも、本当にダメですよ。ここは惣流医院。
アスカちゃんが帰ってくる場所なんですから」
「だからさ、お嫁に行くんなら碇でいいじゃないか」
「シンジがお婿さんに行くかもしれませんよ」
「それじゃあ、アンタんちが…」
言いさして、クリスティーネはそういうことかと頷いた。
「で、2番目は女の子かい。それともまた男の子かね?」
「さあ…どっちでしょう?どちらでもいいです。元気であれば」
「俺はおん…」
「はいはい、でもあなた似の女の子はイヤですからね」
ゲンドウは慌てて首を振った。
自分に似るのは困る。
ただ、彼は思った。
十数年前に街角で見かけた母娘。
あんな感じの二人が十年後くらい後にこの街を歩いているような気がする。
歴史はめぐるものなのだ。
「さあ、中に入ろうか。宴会の準備をしないとね」
「まあ、催促しますか?あらら?」
鍵穴に鍵を差し込むと手ごたえがない。
ユイは格子戸に手をかけた。
がらり。
少し開く。
「おい、鍵を掛けてなかったのか?」
「掛けましたよ…うん、多分」
「どけ。泥棒かもしれん」
ユイの身体を押しのけるゲンドウ。
がらがら…。
格子戸を開ける。
「えいっ!」
ゲンドウの身体に手裏剣が突き刺さ…らずに、当たってそのまま下へ。
赤と黄色の折り紙で折られた派手な手裏剣が三和土にぱらぱらと落ちた。
「出たわね、蝦蟇法師!」
三和土の向こうに立っていたのは、黄色のワンピースに赤い仮面の金髪少女。
「赤影参上っ!」
3人とも咄嗟に声が出なかった。
10日前に東京に帰ったはずのアスカがそこにいた。
「へへんっ!」
最初に声を出したのは思いがけなくゲンドウだった。
「俺は、……赤ひげだ」
「んまっ!赤影はアタシ!アンタは蝦蟇法師でいいのっ」
「むうっ」
ゲンドウは不満げに声を漏らした。
「アスカ、誰と来たんだい?」
「パパとママよ!グランマに挨拶したいんだって、パパが」
「へぇ、そうかい。またご馳走を狙いに来たのかと思ったよ」
「へへっ、おっきなお魚でしょ。アタシ知ってるもん。
グランマが退院するときにお魚屋さんが持ってきてくれるって」
一瞬ユイは真剣に考えてしまった。
本当にキョウコがそれを狙ったのではないかと。
「失礼ね。私はそんなに意地汚くありません!アスカじゃあるまいし」
「ああっ、酷い!ママ、酷いっ!」
「ま、あるものはいただきますけどね。ねぇ、ハインツぅ」
ごほんっ!
咳払いが二箇所から聞えた。
クリスティーネとハインツと呼ばれた男の口から。
キョウコが甘えて身体を摺り寄せたからだ。
「年を考えなさい、年を」
「まあ失礼な!私まだ24よ」
「それはユイさんでしょうが。アンタは今年で28になるんだろう」
「あら、知ってたの?」
「馬鹿言うんじゃないよ。アンタは曲がりなりにも私の一人娘なんだからね」
そう言うとクリスティーネは視線を若きドイツ人に向けた。
「いいのかい?こんなおばさんでさ」
「ママったら!」
「あ、あ〜、私はぁ、そ、そのぉ…」
「ママっ。ドイツ人なんだからドイツ語で喋ってよ」
「私は、元、ドイツ人だ」
聞く事はできるが喋る方は得意ではないハインツのために、キョウコが助け舟を出す。
それを見てユイは微笑ましく思った。
しかしその笑顔も長くは続かなかった。
何故?
それはメンバーが悪かった。
惣流家の応接間兼書斎。
そのソファーセットに腰掛けているのは…。
クリスティーネ・惣流。ミュンヘン出身の元ドイツ人。ドイツ語はペラペラ。
キョウコ・惣流。日本人だが、ドイツ人と結婚してドイツに永住する予定で英語とドイツ語はペラペラ。
アスカ・惣流。日本人だが母親の影響で小さな時から英語・ドイツ語・日本語を自由自在に操る天才美幼女。
ハインツ・ツェッペリン。ハンブルグ出身の生粋のドイツ人。日本語は危なっかしいがドイツ語はもちろん大丈夫。
碇ゲンドウ。医者。ドイツ語は喋るのは苦手だがヒヤリングと読み書きは大学で優をもらっている。
そして、碇ユイ。ミッションスクールで英語を習い人並み以上には話せる。ドイツ語?バームクーヘン程度。
つまりユイだけが蚊帳の外というわけだ。
真っ赤な顔で必死にキョウコへの愛情を訴えているハインツにみんなが笑っている。
そう、ゲンドウでさえ鼻で笑っている。
その上、みんな大きい。
アスカは例外として、他の大人はみんなユイが見上げないといけない背の高さだ。
疎外感…。
う〜ん、シンジがこうなったら大変だ。
アスカとの将来のためにもシンジは外国語を勉強しないと!
教育ママとやらになりそうな自分にユイはくすりと笑った。
「キョウコ。本当に食べていくのかい?」
「あら、私たち邪魔者?」
真顔のクリスティーネにキョウコがおどけて言う。
彼女の言いたいことはわかる。
シンジとアスカを会わせるつもりかというわけだ。
「孫たちのそんなの私に見せないでおくれよ。頼むよ」
「そんなのって何?アスカとシンジちゃんの感動の再会のこと?ママ、見たくないの?」
「その後が嫌なんだよ、アンタ何も考え…」
「んまっ!アタシとシンジを会わせてくれないの?グランマのウルトラいじわるっ!」
「だってね、アスカ。その後が…」
目の前で涙の別れをやらかされれば心臓がパンクしてしまうかもしれない。
話で聞いただけで涙が止まらなかったのだから。
「ああ、後ね。私の部屋をアスカに使わせるわよ」
アスカはニコニコ笑っている。
「ほら、アスカきちんと挨拶しなさい」
「わかった!これからずっとお世話になります。ふつつかな嫁ですがよろしくごしどうください」
「アスカちゃん、意味わかってる?」
ユイが思わず突っ込んでしまった。
「うん、わかってるよ。これはね、お嫁さんの挨拶なの。えっと、それからね。
お父様、お母様、末永く可愛がってやってくださいませ。へへ〜ん、間違えなかったよ」
得意げに顔をほころばせるアスカ。
ユイは呆気にとられ、ゲンドウは舞い上がってしまっている。
「こ、これ、キョウコ。てことは、アスカを置いていくってことかい?」
さすがのクリスティーネも慌てている。
ついこの間、言い聞かせたところではないか。
「だって、あれは私が結婚をあきらめるかどうかってことでしょ。
アスカとハインツと3人で話し合った結果なのよ、これは」
「ダメだよ、私は許さないよ。まだアスカは5つにもなってないんだ。
母親と離れて暮らすだなんて、絶対にダメだ。言語道断だよ」
「ママがいるから安心じゃない。それに未来の両親だってほんのすぐ隣にいるんだし」
「何言ってんだい。私なんかいつ死ぬかわからないじゃないか」
「だから、アスカが傍にいるほうが安心じゃない。これも親孝行の一環よ」
「私を出汁にするつもりか。この親不孝者」
「それにさ、ドイツじゃダメなのよね。
アスカはお医者さまになりたいんだって。
それならドイツで免許とるって手もあるけど、そんなことをしたら医は仁術にならない。
ちゃんと日本語を話してきちんとコミュニケーションが取れないといいお医者さまにはなれないわ」
キョウコはまくしたてた。
「私だってアスカと離れて暮らすのは寂しいし不安よ。だけど…」
「だからアタシが言ったの。寂しいんなら、弟か妹をつくったらいいのって」
アスカがクリスティーネの膝に纏わりつくようにして言った。
「ああ、その手もあるなって」
「キョウコ!」
ハインツは真っ赤になっている。
ゲンドウがしきりに頷いているので、ユイは肘鉄を食らわしてやった。
「ま、アスカが耐えられなくなったり、シンジちゃんを嫌いになったらいつでもドイツに送ってよ。
着払いでいいからさ。どうせ、そんなことにはならないけど」
「うん!アタシ、シンジと結婚するもん」
「アンタたちは、本当に、もう…」
クリスティーネはさじを投げた。
別にアスカの面倒を見ることがイヤなのではない。
母と娘が離れて暮らすことに異議があったのだ。
「ユイ。お願いね。アンタ、アスカに甘そうだから、ビシビシ鍛えてやってよ」
「え、えっと、どう答えたらいいんだろう?」
「わかりました。姑としてたっぷりしごきますって言えばいいのよ」
キョウコが笑いながら言った。
本当は寂しいはずなのに…。
きっと彼女が一番辛いはず。
でもそのキョウコがあんなに明るく振舞っているんだから…。
「じゃ、わかりました。ガンガンしごきます。容赦しません。これでいい?」
「OK。アスカ、しっかりしないとダメよ。ユイはにっこり笑いながら嫁をいじめるくちだからね」
「うん、アスカがんばるっ」
アスカはしっかりと頷いた。その瞳は闘志に燃えている。
クリスティーネは溜息をついてソファーに深く腰掛けた。
「話はまとまっちゃったようだね。ま、誰も彼も後悔しないように」
「大丈夫!」「わかってるって」「はい」「Ja!」「ふんっ」
口々に誓う皆に、クリスティーネは肩をすくめた。
「さぁて、じゃあ次の議題」
キョウコがにやりと笑った。それはもう、嬉しそうに。
今日はお弁当の日だった。
歩いて5分の幼稚園からシンジは一人で帰ってくる。
こつんこつんこつん。
階段を上がって、部屋の扉を開ける。
「ただいま!今日も残さずに食べたよ!あれ?」
部屋にいるはずの母親の姿が見えない。
シンジは靴を脱いで中に入り、鞄を下ろし、スモックを脱いだ。
「あ、そうか。おばあちゃんが帰ってきたんだ。
アスカのところにいるんだ…」
シンジは風でカーテンがはためいている窓に向かった。
そして、顔を覗かせて、惣流家を見たときだった。
物干し台に黄色い物体。
「あれ?」
見間違えたかと思った。
ごしごしと目を擦って、もう一度見る。
物干し台に仁王立ちしている黄色いワンピースの女の子。
赤めの金髪を風に靡かせているのは、紛れもなくアスカだ。
「あ、あ、あ、あ…」
「はん!もう忘れちゃったの?この浮気者!」
「あわわわ、わ、あ、…」
動転したシンジは窓を乗り越えようとした。
びっくりしたのはアスカ。
「こ、こら!馬鹿シンジ。そんなことしたら死んじゃうじゃない!」
「あ、アスカっ!」
やっと言えた。
「ほ、本物?」
アスカは怒った。
もっと別の言葉を期待してたのに。
「くわっ!アンタ、アタシをニセモノだと思ってんの!
アタシのどこがザラブ星人だって言うのよ!」
物干し台の下。
応接間兼書斎では、ユイがザラブ星人の解説を皆にしていた。
窓から姿を見えないようにしているが、音は全部聞える。
感動の再会を楽しもうとしていたのだ。
「ユイ、アンタよく知ってるわね」
「だって、シンジが見てるから」
「嘘吐き。自分だって好きなくせに」
言われてぺろりと舌を出すユイ。
さて、物干し台では地団駄を踏んでアスカが怒っている。
「だ、だって、アスカはドイツに行っちゃったんじゃないか」
「ふん!行ってないもん。それとも、アンタアタシに行って欲しかったのっ?」
シンジは慌てて首を振った。
「じ、じゃ…本当に本物のアスカなんだね!や、やった!」
「あったり前田のクラッカーよ!これからずぅ〜っとアタシはここにいるんだからねっ!覚悟しなさいよ!」
「ぐわぁ!ほ、本当っ?やった、やった、やった!」
大人組。
喜びに躍り上がっているシンジの様子が手に取るようだ。
「ね、あの二人。ぶちゅってすると思う?」
「喜びのキス?どうかな…」
そこのところは気になる。
天使のようなキスシーンを見せてくれるのか、皆は期待に満ち溢れていた。
シンジは、どんどんと畳の上でジャンプしていた。
アスカの方も手すりを握りしめながらぴょんぴょん跳んでいる。
「やった!やった!やった!」
「あははははっ!あ、そうだっ!シンジ、アタシいいもの持ってるの。見せてあげる!」
「僕もいいものがあるんだよ!見せてあげるね!」
シンジは部屋の中に戻った。
アスカも物干し台から脱兎のように駆けだす。
シンジの方が早かった。
丁度、麗しの花の小道の真ん中で二人は出くわす。
その真上が応接間兼書斎の窓だ。
大人たちはその窓から首を覗かせた。
「アスカ!」
「シンジ!」
二人は抱き合わなかった。
アスカとシンジはお互いの手に持っているものを見、そして自分の手にあるものを見つめた。
「同じ…」「一緒だ…」
手にしていたのはスパイダーガン。
科学特捜隊のアラシ隊員が持っている大型の銃だ。
引き金を絞るとプラスチック状の泡が出てくる子供たちの垂涎のおもちゃだった。
アスカとシンジはにやっと笑った。
そして、どちらからともなく手を繋いだ。
「いこっか!」「うん!」
行き先は裏手の空き地。
表通りの方に走っていく二人を見下ろして、キョウコが呟いた。
「なぁんだ、キスしないんだ」
「がっかりですね」
「こら、アンタたち」
窓から離れたクリスティーネが腰に手をやって叱りつけた。
「あの後、おもちゃを買ってやって宥めたんだね。情けない。何て親だろうね、まったく」
10日前に泣き叫ぶ子供についおもちゃを買って機嫌を取ってしまった母親同士は、
顔を見合わせて苦笑した。
この時とばかり、高価なものを要求した子供たちも抜け目なかったが。
その後、しばらく二人は空き地で遊んでいた。
別れた前と少しも変わらずに。
夕方。
手桶を持った二人の若者が惣流家を訪れた。
「ごめんくださ〜いっ!」
「すみません…」
「ちょっとぉ!もっと大きな声出しなさいよ!
魚屋なんだから景気よくしないとっ!」
「お前の馬鹿声で景気は充分いいじゃないか。それよりどうして葛城が付いてくるんだ」
「サービスよ、サービスぅっ。ごめんくださぁ〜い、活きのいい魚が売り物の加持鮮魚店でぇ〜すっ!」
「焼き魚の活きはよくないってば」
ぼそりとつぶやく学生服のリョウジをミサトは睨みつけた。
「は〜い、ごめんなさいね」
2階から降りてきたのはキョウコ。
予期せぬ金髪美人にリョウジの相好が崩れた。
「こ、こんにちは、加持鮮魚…、痛ぇっ!」
足を思い切り踏みつけられて、それでも手桶をひっくりかえさなかったのは魚屋の息子として偉い。
「加持鮮魚店からお届けものです!」
「まあ、可愛いお魚屋さんね」
セーラー服のミサトにキョウコが微笑みかける。
「ここに置きますね」
「アリガト。う〜ん、二人は恋人?」
「あらっ、違いますよ!もうっ!」
「痛えっ!」
ミサトは肘でリョウジのわき腹を思い切り突いた。
「何するんだよ!」
「あ、ごみん。痛かった?」
「痛いに決まってるだろ」
「あははは。あ、ごめんなさい!これからもご贔屓に!」
ミサトは逃げるようにリョウジの背中を押して玄関から出て行った。
そんな二人を見送って、キョウコはにんまりと笑った。
「加持鮮魚店の二代目大将とおかみさんか。ありゃ、尻に敷かれるな。ふふ」
退院祝いは豪勢なものになった。
主賓には料理をさせられないので、ユイとキョウコが担当。
和食と洋食が入り混じった賑やかな食卓となり、
アスカとシンジは目を輝かせて料理に飛びついていった。
そして、ゲンドウはあれ以来となるお酒を飲んだ。
固辞する彼にクリスティーネが絡んだのだ。
周りの皆も彼に勧めた。
コップに注がれたビールをゲンドウはゆっくりと飲んだ。
もちろんそれで酔うほどのものではなかった。
だが、アルコールには酔うことはなかったのだが、
ゲンドウは人の心に酔った。
人の心の温かさに。
食事の後は、アスカとシンジは『仮面の忍者赤影』を見た。
今日は第4話。
「白影さん捕まっちゃったぁ」「わっ蜘蛛!毒蜘蛛ぉ?」「のっぺらぼうだ、あの忍者」
作品に一喜一憂する二人の反応を聞いているだけでも、充分な酒の肴になる。
「さて、見終わったらお風呂に行きましょうか」
キョウコがそんなことを言い出した。
「ハインツは一度も銭湯に入ったことがないの。ゲンドウさん、お願いしますね」
「うむ…」
ゲンドウは頷いた。
そんなに喋りあったわけではないが、悪い男ではない。
風呂の面倒くらい見てやろう。
「それから、ママも行くわよ。いいわね」
「えっ!な、何を言い出すんだ、お前は」
「だって、私はママとお風呂に入りたいんだもん。
いくらなんでもここに大人二人入るのは狭いじゃない。ね、行こうよ、ママ」
「だ、だって、お前…」
戸惑うクリスティ−ネ。
これまで銭湯には行ったことがないのだ。
「お、お前は恥ずかしくないのかい?」
「全然。別に男湯に入るわけじゃないし。ユイだっているから」
「だ、だけどさ…」
「くりさん、覚悟を決めましょう。キョウコはしばらく会えないから甘えたいんでしょう」
「ふん!私は…」
「行こっ!ねっ、グランマ。おっきなお風呂!」
クリスティーネは言い負けた。
この歳でありながら恥ずかしくてたまらなかったが、結局伊吹湯に向うことになったのである。
その伊吹湯では彼女が想像していた通りの反応が起こった。
女湯でも男湯でも。
ゲンドウは毎日来ているので違和感はないが、ハインツはもちろん初めて。
紅毛碧眼で顔も知らない長身の青年が突然出現したのだ。
その上、英語ではない言葉でゲンドウと会話をしている。
彼は恥ずかしがらずに真っ裸になり、ゲンドウの指図どおりに曇ったガラス戸の向こうへ消えていった。
その後姿を見送って、マヤの母親が顔を赤らめ溜息をついたとか。
さて、番台の向こう側。女湯では…。
町ではよく知られていたが未だ一度も銭湯に姿を見せたことのないクリスティーネが注目の的となった。
しかし、それは彼女の予想していた遠巻きにしてじろじろ見られるというものではなかった。
「おや、くりさんじゃないか!」
「本当!ああ、そう言えば今日退院だったんだねぇ」
「初めてじゃないの、ここに来るのは」
顔見知りの古参の奥さん連中が、着替えを始めようとしたクリスティーネの傍へすっと寄ってきた。
ユイたちはさっと離れる。
アスカとシンジはどうなるのかと好奇心丸出しで見ていた。
もっとも二人の母親もわくわくして見ていたのだが。
「おめでとう!よかったねぇ、ここだって?」
自分の裸の左胸を押さえる太りじしの奥さん。
「あ、ああ、危うくおっ死んじゃうとこだったよ」
何とか会話を始めるクリスティーネ。
彼女はまだ脱ぐ前だが、取り囲んでいる奥さんたちは全裸もいれば半裸も。
ひとしきり退院祝いの会話をしたあと、頭株の奥さんが周りの奥さんを追い払った。
「ほらほら、くりさんは風呂に入りに来たんだ。話ばっかりじゃいけないだろ」
ああ、そうかと離れる奥さんたちだが、視線はクリスティーネに釘付け。
それがわかっているだけに彼女はなかなか脱げない。
そこにアスカがちょこちょこと走り寄る。
「早く入ろうよ、グランマぁ」
そう言うアスカは素っ裸。
当然彼女の右手はしっかりとシンジの手を掴んでいる。
「そ、そうだね」
「くりさん?」
ユイがにっこり笑った。
「こういう時はぱぱっと脱いでしまうのが一番ですよ」
「あ、ああ、わかったよ」
クリスティーネは覚悟を決めた。
そうなると、滅法潔くなるのが彼女だ。
さっさと服を脱ぐとかいがいしく世話をするアスカの指示通りに脱衣籠に入れる。
全裸になったその姿に溜息と嬌声が上がる。
ユイもそうだ。
あれで孫がいるの?反則じゃない。
それでもやはり恥らいながら、クリスティーネは孫に手を引かれて浴室へ歩いていった。
きっと、アスカがシンジから受け売りの銭湯の入り方を伝授することだろう。
走ったらダメだよ。入るときには前を洗って。赤いボタンは慎重に…。
ユイはそれを早く見たくてあっという間に裸になった。
ところが隣のキョウコはまだ服を脱いでいない。
それを見てユイは意地悪く笑った。
「あらあら、もしかしてキョウコも初めてでしたの?」
「ぐっ、は、初めて…よ。悪い?」
「いいえ。誰でも初めてがあるものですから。でも早くしないと置いていきますよ」
「や、やめてよ。脱ぐから待ってっ」
慌てて服を脱ぐキョウコ。
曝け出される白い裸身にユイは再度溜息を吐いた。
き、綺麗…。
クリスティーネのスタイルに日本人の血がそうさせたのか白く輝く肌理の細かさ。
やだ、こんなのの隣にいたら比べられちゃうじゃない。
「先に行きますよ」
「ま、待ってよ。ねえっ!」
二人の姿が脱衣場から消えた時、残された女性たちはことごとく首を振って溜息を吐いた。
今日は凄いものを見させてもらったと。
布団の準備がなかったので、ハインツはソファーでおやすみ。
キョウコは母親の隣に布団を引っ張って行きおやすみ。
クリスティーネは狭いのにとぼやきながらも嬉しそうだ。
ユイとゲンドウはいつものように仲良く布団を並べている。
奥の4畳半ではアスカとシンジも同じように布団を並べ、もう夢の中。
すぅすぅと寝息が聞こえる。
「ユイ。寝たか」
「もう、寝ました」
「そうか」
「何ですか」
「その…何だ。二人目…」
「馬鹿おっしゃい」
「そ、そうか…」
「明日、子供たちはくりさんところで寝るみたいですよ。くりさんがにやにや笑ってました」
「ふんっ…」
暗闇の中で満足そうにゲンドウが笑った…はずだ。
しかもいやらしげに。
ユイはぷうっと頬を膨らませて、そして形のいい足を布団からすぅっと出した。
せぇのっ!
ぼすんっ。
「げふっ!」
命中!
捕まえられないように、ユイはすぐにゲンドウの腹の上に叩きつけた足を布団に回収する。
昭和42年4月27日に日付は変わった。
すべて世はこともなし。
この数ヵ月後。 日本のどこかの街で、 しばらくの間、閉ざされていた小さな医院が再び開業した。 以前はすこぶる美男子の医者だったが、 今度の医者はすこぶる無愛想であった。 ただ、その医院は妙に明るい雰囲気で、 患者たちの評判は何故かよかった。 その医院の名前は、惣流医院という。 |
<あとがき>
終わりました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
10日後の話は、翌日に掲載しようかと思ったのですが、
私はそこまでサディストじゃない。
心優しきLAS愛好家の方々に二人が別れたまま翌日までお預けなどさせられるわけがありません。
私は幼児期、銭湯でしかも女湯だったのですが、女性の身体の記憶がない。
さすがにこの面子がお風呂に入っていたら、しっかり記憶していたかも(笑)。
LASじゃなくて、LYGじゃないか!
ふふふ、その通りです。
だけど、しっかりLASにしたつもりですが、いかがでしたか?
何、足りない?では、後日譚を。
次回は!エピローグ。
とんでもなく長いエピローグです。それでもかなりカットしたつもりなのですが。
あの人はあれからどうなったのか?父親の名前だけしか出てこなかったシゲルは?
ここまでで登場の機会がなかったあのキャラもこのキャラも。
忘れたのはなかったかなぁ?
感想などいただければ、感激の至りです。作者=ジュンへのメールはこちらへ 掲示板も設置しました。掲示板はこちら |