この作品は…超ローカルネタで書かれてます。
近鉄の球団名売却騒動にショックを受けて書きましたが、続きをご所望してくださる方もいらっしゃいましたので、調子に乗って書いてしまいました。
 
 

全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
 
 
そして、執筆を応援していただいている皆様にも。


 

 

 

幸せは球音とともに

ー 1971 夏秋編 

〜 上 〜


 

2004.3.5        ジュン

 
 
 

 

 アスカと出逢って一週間が過ぎた。
 僕にとってはなんとも言いようのない一週間だった。
 月曜日に学校であのとんでもない写真を入手して、ついでにトウジとケンスケのことを呼び捨てにするようになった。
 二人ともラングレーさんのサインボールには狂喜乱舞してた。
 早速そのボールを先生に預ける始末だ。
 怒られることは承知で。体育の時間になくなったら大変だからなんだってさ。
 そりゃあ二人はいいよ。怒られても嬉しい方が先にたってるから。
 こっそり持ってきた僕まで日向先生に怒られたんだから。
 その上、例の写真のことも知られてしまったんで大目玉。
 でもここで僕はされたほうだから…なんて被害者面するわけない。
 ひたすら謝って、写真を処分しないように頼んだんだ。
 日向先生は苦笑いしていた。
 放課後に職員室に三人揃って頭を下げに行ったら、周りの先生もくすくす笑っていたんだ。
 きっと僕の写真をみんなで見て楽しんだに決まってる。
 まあ、仕方がないか。笑いものになっていたのではないことだけはわかるから。
 自分で言うのもなんだけど、まるで映画の一場面のような写真なんだもの。
 白黒だけど、アスカが金髪の美少女だってことはよくわかる。
 でも、僕は普通の小学生。少し気弱な、ね。
 写真を見ても微笑ましいだけで、恋人同士って感じじゃない。当たり前だけど。

 因みにこの写真は我が家の家宝だ。
 震災のときも僕は真っ先にこの写真を持ち出した。
 うちのマンション自体には被害はなかったけど、中の物は滅茶苦茶だった。
 ベッドサイドに飾っていたこの写真立てを胸に子供部屋に走ったんだ。
 アスカはシンイチの。僕はレイの部屋に。
 リビングに集合して僕の手にこの写真があるのを見て、彼女の表情が急に和らいだ。
 さすがにあの揺れは経験したことなかったからね。もう二度とごめんだ。
 だからさすがのアスカも不安と恐怖に駆られていたんだ。
 人を人とも思わない、あのアスカも地震は敵には出来なかった。当然だけどね。
 この時の体験はここで書く気はない。結構辛いこともあったしね。
 とにかく、この写真を撮ってくれたケンスケには感謝している。
 よくもまあ小学生のときに、あんな大きな望遠レンズをつけたカメラでしっかりシャッターチャンスを捉えたものだと思う。
 あの時はサインボールで誤魔化した格好になってしまったけど、今度しっかりお礼するかな?
 もう32年たっちゃったけどね。

 で、問題の日曜日。
 走り去るスポーツカーから「日曜日に行くわよ!」って叫んでたんだけど…。
 本当に来てくれるんだろうか。
 土曜日の夜まで僕は不安で不安でたまらなかったんだ。
 昼間は学校もあるし、帰ってからもトウジたちと野球ばかりしてたから気はまぎれてた。
 晩御飯を食べて、宿題を片付けて、お風呂に入って…。
 このあたりから不安になりだすんだ。
 本当に来てくれるんだろうか。場所はわかるんだろうかって。
 ケンスケが選手名鑑で調べてくれて、アスカは六甲に住んでいることがわかった。
 でも、もし日曜日に彼女が来なくて僕が会いに行っても、相手にされないんじゃないだろうか。
 不安は募るばかり。
 土曜日の夜なんか『恐怖コブラ男』が面白くなかったくらいだもの。
 その前の日の『帰ってきたウルトラマン』だって、南の島で怪獣が暴れているだけで迫力がなくて…。
 ただし、作品の出来じゃなくて僕本人の精神状態だったわけ。
 だって水曜日の『あしたのジョー』は楽しめていたから。
 それと、これまでの生活から変わったのは、朝刊をしっかり読むようになったこと。
 今までのようにテレビ欄だけ読んでいたんじゃなくて、スポーツ欄も。
 つまり、近鉄バファローズの試合結果を読むようになったんだ。
 写真もなし。試合経過も少しだけしか書かれていない。
 そんな扱いだったけど、それを一生懸命に読んだ。
 それに月曜日に本屋さんで買った『プロ野球入門』で近鉄の選手のことを勉強したんだ。
 そして、初めて思い知ったんだ。
 パリーグの扱いが酷いってことを。
 セリーグのチームが4ページずつなのに、パリーグは2ページ。
 8人しか紹介されていない。しかもその一人は監督だから、選手は7人だけ。
 おかげで新聞に書かれていた、試合に出ている選手のこともよくわからない。
 ただその中でラングレーさんの紹介はされていた。
 嬉しくてそれをトウジたちに見せたら、トウジは少しだけ膨れっ面になった。
 どうしてかと聞くと、ラングレーさんが元セリーグにいたからなんだって。
 その時はそんなものかと思っていただけだったけど、これは今でも変わらない。
 だいぶましにはなってきてはいるけどね。
 テレビの中継だってパリーグをしないばかりか、途中経過だってセリーグだけしかしていないことが多い。
 本、新聞、テレビにラジオ。
 どれもこれもパリーグの扱いは低い。
 そのことをトウジたちに憤激交じりに漏らすと、二人とも大きく頷いてくれた。

「せやろ、前からそうや。阪急かってあんだけ優勝してもあかんねんからな」

「近鉄なんか余計に扱いは酷いぜ。Aクラスになれたの最近だからな。ずっとBクラスばっかりだったんだから」

 そうなのだ。我が近鉄はずっと弱かったんだ。
 ケンスケに教えてもらった近鉄の蔑称が、なんと『地下鉄』。
 優勝争いもせずに最下位のあたりを走っているからだそうだ。
 う〜ん、これは悔しい。
 にわかファンだけど、やっぱりそういうことを言われているのは歯がゆい。
 そんな唯一リーグ優勝していないチームを好きになった僕だった。

 

 

 さて、日曜日。
 快晴。
 7時前に起きた僕は台所でごそごそしていて母さんに叱られてしまった。
 せめて休日くらい8時までは寝かせてくれと。
 とりあえず、10時くらいに宝塚南口駅まで行こうと決めていたんだ。
 今日は近鉄が東京で試合だから、ラングレーさんの車で来るわけないしね。
 いつ来るのか。本当に来るという保証もないけど、やっぱり行かなきゃ。
 本を何冊か持っていけば暇もつぶせるし、改札は一ヶ所だけだから大丈夫だと思う。
 何しろあの容姿だから、見落とすはずがないものね。
 そんな決意の僕に母さんは笑っておにぎりを作ってくれた。
 その近くの食卓で僕はトーストにかぶりついた。

「シンジ、朝刊は取ってくれた?」

「うごっ、ごげん。どっでぐぐご」

「はぁ、いいわよ。ゆっくり落ち着いて食べてなさい。でも一番に起きた人が取って来てよね」

 ぶつぶつ言いながら、母さんは流しで手を洗い玄関へ向かった。
 僕は首をすくめながら、牛乳でトーストの残りを流し込んだ。
 落ち着いていたりできるわけがない。
 期待と不安で心がいっぱいなんだ。

「シンジぃ!」

「何?」

「やっぱりあなたが取ってきなさい」

「はい?」

 玄関から呼びつけた母さんに僕は口だけで返事した。
 と言っても、逆らえる相手じゃない。
 何しろあの父さんの奥さんなのだ。
 僕は廊下を進んだ。
 母さんはにやにや笑いながら玄関の手前で僕を待っている。
 何だよ、ここまで来てるんなら自分で行けばいいのに。

「あら、不満そうな顔ね」

「だって、ここまで来てるのに」

「私じゃ役不足なのよ」

「はぁ?」

 またわけのわからないことを。
 そして通りすがりに僕の肩をぽんぽんと叩いていく。
 その悪戯っぽい表情に僕ははっとなった。
 まさか!慌ててサンダルを履いて、玄関の扉を開ける。

 彼女はいた。

 玄関を出たところ。
 数段あるコンクリの階段の半ば当たりに、金色の髪の毛がこくりこくりと微妙に揺れている。
 まだ7時30分過ぎだ。
 来てくれてたんだ。こんなに早く!
 いったい何時ごろに着いたんだろう?
 僕は静かに彼女に近づいた。
 3段目に座っているアスカは、膝の上に大きなバスケットを抱えている。
 この前のワンピースじゃなくて、ジーパンにチェックのカッターシャツ。
 可愛い!いや、綺麗だ!
 うたた寝してる顔も凄く綺麗だ。
 十数年後。新婚旅行の夜、スィートルームのバルコニーで彼女はいきなり聞いてきた。
 あの時、私は涎なんか流してなかったでしょうね、と。
 あの時がどの時かは僕にはすぐにわかった。日頃の鈍感さはこの大切な時には発動されなかったんだ。
 おかげで彼女の二つの要求には応える事ができた。
 涎など流していなかったと安心させてあげることと、大切な出来事をしっかり覚えていると確認させてあげることを。
 何しろ夫婦になったんだから、ツーといえばカーじゃないと。
 そうなるまでには何度も喧嘩をしないといけなかったけどね。
 さて、この時の僕はアスカと結婚できるなんて考えてもいなかった。
 ただ、再びアスカに会うことができた喜びに満たされていたんだ。 
 何だか胸が熱い。
 ちゃんと約束を守ってくれた上に、こんなに早い時間に来てくれた。
 ああ、嬉しい!踊りたい気分だったけど、僕が知ってるのは盆踊りくらいだ。
 この場の雰囲気には合いそうもないので拳を空に向かって突き上げるだけで我慢した。
 但しこの判断は正解だったんだ。
 いやな予感がして背後を見ると、見慣れた顔が二つ、にやにやと玄関の扉から覗いていた。
 しかも父さんはパジャマ姿だ。きっと母さんが叩き起こしてきたんだ。
 僕は追っ払うように手を払ったが、そんなことで姿を消すような両親じゃない。
 早く家の中に入れてあげなさいというジェスチャーを母さんがしている。
 それは確かにそうだ。
 でもさ、親が見ている前で眠っている女の子、しかも初恋の相手に声をかけるなんて!
 こんなことなら、突然わけのわからないロボットに乗せられて戦う方がマシだ。
 でも逃げちゃいけない。起こしてあげないと。
 僕はごくりと唾を飲み込んで、もつれそうな足を必死に動かして階段を下りていった。
 一番下まで降りると、座っている彼女に丁度高さが合う。
 バスケットに肘をついて、指を組んだ上に顎を乗せている。
 さて、どうやって起こしたものか。
 ちらりと玄関を見ると、父さんと母さんが揃いも揃って唇を尖らせていた。
 キスしろって!
 と、とんでもない!
 思わず声に出してしまったよ。

「ちょっと、向こう行っててよ!」

 目の前の瞼がばちっと開く。
 青い瞳が僕を真正面から見た。
 その瞳の中に僕が写っている。
 一瞬、瞳に力が入ったように見えた。
 でもそれだけ。
 あっという間にその目が僕に笑いかけてきた。

「おはよ、シンジ」

「あ、う、うん。おはよう」

 すっと立ち上がった彼女はお尻を手でぱっぱと払う。
 そして、上から僕を見下ろした。

「早すぎた?」

「ううん。そんなことないよ。そろそろ駅に迎えに行こうとしてたところだったんだ」

 僕は嘘をついた。
 実際には用意をしていたところだったんだけど、これくらいは許されても…。
 いや、やっぱり嘘はいけないらしい。
 あっさりアスカに見破られてしまった。

「嘘でしょ」

「ほ、本当だよ」

「だって、顔に嘘だって書いてあるもん」

 げっ!僕は顔を撫でた。
 そして引っ掛けられたことに気付く。
 アスカが腹を抱えて笑い出したからだ。

「ほ、本当に迎えにいこうと思ってたんだよ。こんなに早く来るって思ってなかったから」

「あっ!ひっどぉ〜い。私を信用してなかったんだ」

「違うよ!信じてたよ。信じてたからおにぎりを母さんにつくってもらってたんじゃないか」

「わぁっ!最低!私がそんなにゆっくり来ると思ってたんだぁ!」

「違うってば!だからいつ来ても大丈夫なように、本も2冊持って行って!」

「何それ!全然信用してなかったんじゃない!」

 僕はどんどん傷口を広げていった。
 最初は彼女もからかい半分だったと思うんだけど、今は真剣に怒ってる。
 まずいよ、まずい。絶対にまずい。
 そりゃあ今は実際にアスカを奥さんにしてるから余裕一杯でこれを書いているんだけど、
 その時の僕は完全にパニック状態だった。

「どきなさいよっ!私帰るっ!」

「だ、だめだよ。頼むよ。お願いだよ。何でも言うこと聞くからさ」

「ふん!ダメよ。許さないからっ!
 3時に起きて、ケーキとかクッキーとか作ってきたのに!
 始発に乗ってきたのに!
 道に迷ってぐるぐる歩き回って坂を上ったり降りたりしたのに!
 またアンタに会えるって思ってずっとわくわくしてたのに!」

 幸運だったのは、アスカが上の段にいたこと。
 僕が下にいるから、彼女は帰れない。
 突き飛ばせばいいことだろうと思うけど、その行動にはまだ出ていない。
 仁王立ちしたまま僕を見下ろしている。

「あ、あの…」

「うっさいわねっ!弁解なんて聞きたくない!」

 地団太を踏むように足を動かしたとき、足元のバスケットに当たった。
 大きく揺れて落ちそうになる。

「わっ!」

 立っているアスカよりも僕の手の方が近い。 
 落ちそうになったバスケットは僕の手の中に納まった。

「よかった…。あ」

 衝撃で少し蓋が開いている。
 そこから見えたのは、折りたたまれた地図と白いナプキンの包み。
 そして、凄く美味しそうな匂いが中からひろがってきた。
 さっき言ってたお菓子の匂いだ。

「いい匂い…」

「あ、当たり前じゃない。じ、じ、自信作なんだから…」

 ぼそりと言うアスカ。
 見上げると、頬を真っ赤に染めて思い切り横を向いている。
 か、可愛い…。
 思わずその横顔に見とれていると、すぐ前で『きゅるる』という音がした。
 音の方向を見ると、そこはアスカのお腹。
 そのお腹を急いで押さえる白い手。

「み、見るんじゃないわよ!デリカシーないわねっ!」

 デリカシー?何それ?
 英語だと思うけど、まったくわからない。

「あ、あのさ」

「何よ!」

「デリカシーって食べ物のこと?おにぎりなら母さんが作ってるけど…」

 アスカの顔が固まった。
 そして、頬がプルプルと震えると、いきなり僕の頭をぽかぽか叩き始めた。

「わっ!な、何するんだよ!」

「は、はは!あ、アンタ、やっぱり馬鹿シンジだわ!」

「い、痛いよ!」

「もう、アンタって最低!許してあげるから、おにぎり食べさせてよ」

「う、うん!わかった。わかったからもう叩かないでよ」

「やだ。もっと叩いてやる」

「そ、そんな!」

 でも、本当はもう痛くなかったんだ。
 アスカだって本気で叩いてなかったみたいだし。
 デリカシー様様だ。
 この時はそう思ってたけど、今はデリカシーなんて大嫌いだ。
 その日以降、アスカはおにぎりのことをデリカシーと言うようになったから。
 で、誰かが何故と訊ねたら待ってましたとばかりに、この日の僕のことを話す。
 僕はそんな間違いしたわけじゃないのに。
 僕をネタにするのはやめてもらいたいものだ。
 ただし、最初は面白がって聞いている人も途中からタダの惚気と気付いて、逃げ出すんだけどね。

 数分後、うちの玄関でアスカは明るく挨拶をしていた。
 僕はその後ろでバスケットを抱きしめている。

「はじめまして!私、惣流・アスカ・ラングレーといいます!」

「うむ。シンジの父だ」

 父さん…。いつの間に和服に着替えたんだよ。
 正月じゃあるまいし。

「はじめまして。シンジの姉のユイといいますの」

 母さん…。僕は一人っ子だってば。
 それに父さんにべったりくっついてて、その娘だなんて説得力まるでなし。
 とは言うものの、現在の我が家の娘はまったくこの通りの状態だ。
 アスカがやきもちを焼くほど僕にベタベタしてくる。
 そして初対面の人に娘だと言わずに「妻のレイと申します」などと挨拶を…。
 その後は恒例の親子喧嘩となる。初めて僕の家に来た人は大変だと思うよ、まったく。

「わっ!シンジって綺麗なお姉さんがいたんだ!」

 アスカもたいしたものだと思う。
 見事に調子を合わせている。
 因みにその3週間後に、アスカの家にお邪魔した時のことだ。
 娘から聞いていたのか、アスカのお母さんがまったく同じことを言って来た。
 アスカの姉のキョウコだと…。
 で、僕は調子を合わせようとしたんだけど、大失敗した。
 だって本当にお姉さんとしか見えないくらいに若くて綺麗だったんだもの。
 真っ赤になって舞い上がってしまって、素晴らしいとか生まれて初めてこんなに綺麗な人に会ったとか、
 日頃の僕に似合わず喋りすぎてしまったんだ。
 おかげでアスカのお母さんには凄く喜んでもらえたんだけど、逆にアスカが不機嫌になってしまった。
 自分の母親を褒められているのに…。
 まあこの時はキョウコさんが「アスカはシンジ君の一番になりたいんだもんね」と見事なツッコミを入れてくれたんだ。
 するとアスカは顔を真っ赤にして、手足を振り回して大演説を始めた。
 それが照れだったなんて11歳になったばかりの僕にはわかるわけない。
 ただアスカの不機嫌の方向が変わって、助かったと思っただけ。
 できればこの時の演説をもう一度しっかり聴きたいと願っている。
 今だったら散々楽しめると思うんだ、うん。

 アスカは母さんの握ったおむすびを続けて3個平らげた。
 起きてから何も食べてなかったんだと言う。
 味見をしなかったのかと軽く聞くと、凄い目付きで睨まれた。
 危ない危ない。余計なことを言っちゃ。
 私の味は完璧だから大丈夫なの!と誇らしげに胸を張った。
 それを味わう時が楽しみでもあり恐ろしくもあり。

 聞き上手の母さんはアスカのことを巧く聞き出していた。
 あ、念のために言っておくけど、息子のためにじゃないよ。
 あくまで自分(とその夫)の好奇心を満たさんがため。
 それはわかってはいるけど、僕にとってはとてもありがたいことだ。
 連絡帳に書きとめることは難しいから、心のノートに油性のペンでしっかりと書きとめたんだ。
 

 惣流・アスカ・ラングレー。
 お父さんは近鉄バファローズの外人選手で、お母さんは日本人とアメリカ人の混血らしい。
 ということで、アスカも日本人の血を…えっと、分数は去年習ったからわかるぞ、うん、1/4だ。1/4の日本人の血が流れてるんだ、アスカには。
 好きな色は赤で、趣味はプロ野球。
 そう言った途端に僕の顔を見てにたっと笑うんだ。
 当然僕も大きく頷く。僕だって!
 誕生日は12月4日で11歳になる。僕と同学年!

「あら、じゃシンジの方がお兄さんなのね。全然そうは見えないけど」

「えっ!そうなんですか?シンジの誕生日っていつ?」

「6月6日、だけど…」

 アスカと出逢ったのが、1971年でよかった。
 もし、これが数年後だったなら、「ぶははは!オーメン!」って大笑いされていただろう。
 まったく迷惑な話だよ。
 6月6日をダミアンの誕生日に設定したのは誰だよ、まったく。
 映画が公開されてからあまりにアスカにからかわれるものだから、一生懸命に探したんだ。
 そして発見したのが、テニスのボルグ選手。
 喜んでアスカに披露したら、その翌日に彼女はずらずらっと名前を並べ立てた。
 内山田洋、中尾ミエ、ウガンダ、篠沢教授、大滝秀治……。
 わかってるんだ。わざとそういうキャラクターを選んで集めてるってことは。
 で、僕的に悔しいのはアスカの誕生日と同じ日にイデ隊員が生まれてるってこと。
 これを誇らしげにアスカが言ったときには、心底むかっと来た。
 まあ、これは15年後くらい後の話。
 このときの僕にそういう方々と繋がりがあるなんて思いもつかない。
 それにアスカの一言で空中に舞い上がっていきそうになったから。

「6月6日?やったぁっ!」

「ど、どうしたの?」

「その日ね。ちょうど日生で試合があるの。シンジ、一緒に見に行こっ!」

「ほ、本当?」

 アスカの誘いに喜色を浮かべた僕は、視界の端に母さんの笑顔を捉えた。
 母さんは決して微笑ましいという感じで笑ってはいなかった。
 面白そうにという表現がぴったりな笑いだ。
 それと同じ笑みをアスカの家で拝見させていただけるとは予想もしていなかったけどね。
 この後、母さんとアスカのお母さんが親友になったのは納得できる。
 似たもの同士ってことだ。
 ともかく母さんは「行けばぁ〜」って感じだ。
 か、母さんが止めたって僕は行くからね!
 でも、お金大丈夫かな?日生って、大阪の球場だよね。
 来月のお小遣いはもうすぐもらえるから…何とかなるかもしれない。
 いや、何とかしないと!
 アスカと近鉄の試合を絶対に見るんだから!

 しばらく食堂で母さんを交えて話をした後、僕はアスカを自分の部屋に誘った。
 これ以上母さんの物言いたげで面白がっている目と、
 隣室で新聞を読んでいる振りをしている父さんのダンボのような耳には耐えられない。
 それにアスカに渡したいものがあるから。
 そう、ケンスケが撮影したあの写真なんだ。
 アスカが僕の頬にキスしてくれている写真。
 ケンスケに無理を言ってもう一枚焼き付けてもらったんだ。
 喜んでもらえるだろうか?
 アスカを背中に従えて、僕は階段を上った。
 一段、二段。そして三段目で、大変なことに気がついた。

 僕はアスカのことが大好きだ。
 もちろん、友達じゃなくて、異性として大好きなんだ。
 だから、あの写真を見てあんなに喜んだんだもん。

 で、アスカは?

 アスカは僕のことをどう思ってるんだろう。
 嫌いじゃないことは確かだ。
 でも、僕のことを好きかというと、そうじゃないような気がしてきた。
 友達…なんだろうな、多分…、きっと……、絶対………。

「もしも〜し、階段の途中で止まんないでくれる?それとも、そこに何かあるの?」

「あ、ご、ごめん」

 慌てて足を上げる。
 まずいよ、まずい。
 あの写真を見せて、怒り出したらどうしよう。
 僕のことを嫌いだって言って、ここから出て行ったらどうしよう。
 だいたい、僕の頬にキスしたことすら忘れているかもしれない。
 僕の悪い癖だ。
 考え出すと何でも悪い方へ悪い方へと想像してしまう。
 パニックに陥ってしまっている間に、僕の部屋の扉の前。
 困った…。
 あの写真が僕の机の上に飾ってある。
 アスカが来るから昨日は一生懸命掃除をしたんだ。
 机の上にはその写真立てがぽつんと一つだけ。
 部屋に入ったら真っ先に見つかると思う。
 隠さなきゃ…。
 でも、どうやって?
 扉の前で躊躇う僕はドアのノブを握り締めたまま固まってしまった。
 その背中を押したのは、当然アスカだった。

「はん!きっと変なものが置いてあるんでしょ!」

 何とか先に机に突入しようとしたけど、到底無理な相談だ。
 僕はアスカに突き飛ばされてベットに頭から突っ込んでいった。

「わっ!」

「あっ!何、あの写真?」

 僕は布団に顔を押し付けたまま動くことができなかった。
 何も音がしない。
 アスカはあの写真を見たんだろうか?

「シンジっ!」

「は、はいっ!」

「ど、どうしてこんな写真があるのよ!」

「そ、そ、それは!わぁっ!」

 突然、首筋をつかまれた。
 そしてその手は僕の顔をぐいぐいと布団に押し付ける。

「さあ、さあっ!早く答えなさいよっ!どうしてあれが写真に写ってんのよっ!」

「ぞげぶぁげんずげごわっ」

「はっきり言いなさいよ!男らしくないわよっ!」

 はっきり言えるわけがない。
 息をするのも苦しいくらいなのに。
 やっと言葉を出せるようになったとき、僕は恐る恐る顔を上げた。
 アスカは……、にやにや笑いながら写真に見入っていた。
 えっ…。

「よく撮れてるわねぇ。ねぇ、シンジ意地悪しないで早く教えてよ。
 どうしてこんな写真があるのよ。誰が撮ったの?どうしてシンジが持ってるの?」

 この頃、アスカのマシンガントークはまだ確立されてなかった。
 だから、僕も何とか返事ができたってわけ。
 ケンスケが撮影したってことを知ると、アスカは本当にびっくりしたようだった。
 但し、ケンスケがどんな風体をしていたかってことは全然覚えてなかったみたいだけど。

「ええっ!もう一枚あるのっ!欲しい、欲しい、欲しい!絶対欲しいッ!」

 そして、その写真はアスカのバスケットの中に。
 この成り行きには心底ほっとした。
 何となくアスカの僕への好意が感じられて…。やっぱり願望かな?これは。

 それから30年近い時が流れて。
 最初に書いた震災の時の話。
 僕がその写真を持って逃げたってことを散々からかった後に、
 アスカがぼそりと言ったんだ。
 あの日。写真を渡した日。
 アスカは阪急電車の中でずっと写真を見ていたそうだ。
 日曜日だから結構込んでいたんだけど、連結部分の場所を占拠して写真を眺めていた。
 自分でもにやついていたのがわかるくらいだったらしい。
 おまけに西宮北口で降りるのを忘れ、慌てて阪神国道駅で逆方向に折り返したとか。
 ダイヤモンドクロスを通過するときの衝撃で気づいたんだってさ。
 そのことを聞いた時、僕は思わずアスカをギュッと抱きしめてしまった。
 ものが散乱した床の上で。
 おまけに片づけをしている娘のすぐ目の前で。
 そのすさまじい殺気を孕んだ視線を感じるまで、しばらく時間がかかったんだけどね。
 ともかく、アスカのその告白を聞いて、僕は本当に嬉しかった。
 そのアスカが持って帰った写真は、遠くアメリカにある。
 もちろん、両親が住んでいる牧場のリビングルームの一番いい場所に貼られているんだ。

 この日、僕とアスカは近くの公園でキャッチボールをした。
 アスカの方が早くていい球を投げる。
 ちょっと劣等感。
 でも、よく考えればアスカはプロ野球選手の娘だ。
 運動神経も遺伝しているに違いない。
 そう自分を慰めて、僕はアスカの球を受けた。

 二人のキャッチボールは今でも続いている。
 そして、これからも…。
 僕は彼女のボールを受け続けていきたいと思う。
 
 
 

 

「幸せは球音とともに」

1971 夏秋編 上 

おわり 
 
 

 


 
<あとがき>
 調子に乗って続きを書いています。
 次回はシンジの誕生日。
 きっとシンジ君はあの日生球場の素晴らしさに度肝を抜かれることでしょうね。

 さて、恒例の注釈コーナーです。

恐怖コブラ男………『仮面ライダー』の第9話です。ずっと楽しんで見てきたんですが、私はこの回で少しトーンダウンしてしまいました。子供が中心の話はどうも好きじゃなかったんです。自分が子供の癖に!

南の島の怪獣………こちらも第8話の『怪獣島SOS』です。話はいいんですが、やはり無人島で暴れる怪獣というのはインパクトがありません。一匹ではね。

あしたのジョー………この頃は力石が死んだ後のジョーさすらい編の最初のあたりですね。カーロスが出てくると話が明るくなるのですが。

プロ野球入門………この選手紹介の配分は実話です。まあ、全部の本がそうだったというわけじゃないですけどね。

宝塚南口駅………阪急今津線の宝塚駅より一つ目です。駅のすぐ横には宝塚ホテルがあり、終点の宝塚駅が改装される前はこちらの方が洒落た駅でした。

オーメン………アメリカの人気ホラー映画のシリーズ第一作。

ダミアン………悪魔の子供。6月6日午前6時に生まれたという。

ボルグ選手………パフォーマンスも派手でかっこよかった。う〜ん、それくらいしか説明できない。スウェーデンの選手です。

内山田洋………内山田洋とクールファイブのリーダー。前川清がリーダーではありません。

中尾ミエ………後年ああいうキャラクターになるとは…。歌の巧い“おばさん”(爆)だなぁとしか思っていませんでした。

ウガンダ………えっと、ウガンダです。

篠沢教授………『クイズダービー』の名回答者でした。

大滝秀治………この人が脚光を浴びたときは怖い印象がありましたね。上目遣いで人を見るとか。

日生球場………次回参照。

 

SSメニューへ

感想などいただければ、感激の至りです。作者=ジュンへのメールはこちら

掲示板も設置しました。掲示板はこちら