全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
そして、執筆を応援していただいている皆様にも。
幸せは球音とともに ー 1971 夏秋編 ー 〜 下 〜 2004.4.11 ジュン |
1971年の夏休み。
僕はいまだにあの夏の日々を忘れることができない。
アスカと僕はいつも二人だけで遊んでいたわけじゃなかったんだ。
まだまだこの時の僕たちはみんなで遊ぶ方が楽しかったんだ。
野球だけじゃない。
かくれんぼや鬼ごっこ。ナイガイセンやインサン。その他色々。
雨でない限り、公園や空き地を探しては汗びっしょりになって遊びまわった。
会社の野球場が空いているときなどは、僕たちはすかさず軟球野球を始める。
そして管理人さんや野球部の人が現れると、僕たちはすかさず逃げ出す。
「こらぁっ!坊主ども!」と叫ばれてね。
アスカは逃げながら「私を坊主扱いなんかしてっ!この馬鹿っ!」と叫ぶ始末。
それでも「部外者野球厳禁」という立て札が現われやしなかったのは、会社の人もそれほど怒っていたわけじゃなかった。
今と違っておおらかだったんだと思う。
軟球を使うスペースがないときは庭球野球を。
雨の日は部屋で野球盤を。
見えない魔球は一回に一球というルールでね。
野球盤なら洞木さんも参加できる。
トウジやケンスケたちがわいわい言いながら小さな野球盤に頭を集める。
それは野球盤だけじゃない。人生ゲームや魚雷戦ゲーム、レーダーサーチゲームも。
トランプで遊んだりもしたし、ゲームをする気もない時はただ本や漫画を部屋に散らばって読むだけのこともあった。
宝塚の花火大会も近所の空き地の土管の上から楽しめたし、ファミリーランドにも阪神パーク、そしてプールにも遊びに行った。
もちろん遊園地には母さんが付いてきてくれたけどね。小学生である僕たちには保護者が必要だったんだ。
それにアスカのお母さんが映画に連れて行ってくれた。
僕が初めてアスカと見た映画は『小さな恋のメロディー』だった。
この間我が家の衛星放送でこの映画を見たとき、アスカは子供たちをリビングから追い出したんだ。
映画が終わって10分経つまでに入ってきたら小遣い減額よ、と厳命して。
僕たちはソファーに並んで座った。あの日のように。
但しあの日と違って、妻の頭は僕の肩に乗っかり、二人の手は固く握られていたんだけどね。
あの日の二人は緊張してそれどころじゃなかったんだ。
僕だけじゃなくアスカまで両手を膝の上に置いてかしこまって観ていた。
因みにアスカのお母さんは僕たち二人を新聞会館大劇場に放り込むとどこかに姿を消していた。
大丸とそごう、その他もろもろでショッピングだそうだ。
おかげで僕たちは二人きり。大人気の映画だから満員の中の二人きりだったけど嬉しいものだった。
あのラストシーンには僕は完全に感情移入してしまっていたんだ。
僕もアスカと一緒にトロッコに乗ってどこかへ…って、誰も僕たちの付き合いに異議は唱えてもいないし、別に恋人じゃないんだしね。
でもこれだけははっきり言える。
ヒロインのトレーシー・ハイドは確かに可愛いけど、隣に座っていたアスカの方が遥かにいい。
ただの惚気じゃないんだ。それは僕以外の人も認めていたと思う。
だって劇場が明るくなってロビーに出るとき、手を繋いで歩いていく僕たちを見てみんな小声で話していたもん。
男の子はたいしたことないけど、あの金髪の女の子可愛いわね!ってね。どうせ僕なんか…。
今、僕の家には『小さな恋のメロディー』のシングルレコードが2枚ある。
僕が始めて自分の小遣いで買ったレコードが主題歌のビージーズが歌う『メロディーフェア』だった。
で、アスカも同じことをしていたらしい。
まったく同じジャケットのレコードが2枚。
どっちもうちの家宝だ。
そんな親を見習ったのか、息子の宝物はリツコさんとの初デートのチケットの半券。
大阪ドームの対ダイエー戦だった。
可哀相にボロ負けしたらしいが、半券はしっかりと近鉄の優勝記念パネルの後側にリツコさんの写真と一緒に隠している…つもりらしい。
家族全員、どころか両方のお祖父ちゃんお祖母ちゃん。そう遥か彼方のアメリカはケンタッキーにも知れ渡っている。
さらにリツコさん当人にも。情け容赦もないレイの仕業だ。
知らぬは本人ばかりなり。
さて、1971年の夏休みの話だ。
夏休みの宿題というものがないアスカは僕の宿題を手伝って…いや、精一杯邪魔をしてくれた。
「ちょっと、何人聞きの悪いこと書いてんのよ!私はちゃぁんとアンタに英語を教えてあげてたでしょうが」
「あの時は小学生で英語は必要なかっただろ」
「はん!先を見る目がないわね。あの時に英語を覚えてたから中学の時に助かったんでしょうに」
「ああ、思い切りスラングを教えてくれたよね。それにケンタッキーなまりも」
「何のことかしら?覚えがないわねぇ」
これだ。都合が悪くなるとそ知らぬ顔でしらばっくれる。
僕はそんな彼女を…やはり好きだ。
我が家の僕の部屋の隣の4畳半。
そこがアスカが占拠した部屋だ。
そもそも僕はアスカが泊まることなんか全然知らなかったんだ。
7月の21日。
前の週末に大阪球場に近鉄の応援に行き、南海にからくも勝った。
西宮北口で別れるときに、アスカは火曜日に遊びに行くからねと僕に告げたんだ。
僕はいつもの調子で軽く「いいよ」と答えた。
で、その日の朝。
例の真っ赤なスポーツカーが僕の家の前に止まった。
その派手な停車音に窓から顔を覗かせると、後部座席でアスカが手を振っていた。
「オハヨっ!シンジ!」
運転席からサングラスをかけたキョウコさんが僕を見つめる。
その瞬間、僕の胸はどきっとした。
だって、アスカそっくりなんだもん。その上、大人だから美人だし。
ラングレーさんと並ぶと何だかスターって感じなんだよね。
で、そういう僕の反応はアスカにはすっかりお見通しだったようだ。
最初は面白がっていたんだけど、だんだん焼きもちを妬くようになってきたらしい。
いや、本人が数年後に自白したんだから間違いない。
ただその当時の僕はそんなことには全然気がついてなかった。
だって一方的な自分の片思いだと思っていたもんね。
まさかアスカの方も僕に好意を持っていてくれていたなんて想像すらしていなかったんだ。
まあそのあたりが子供ってわけだ。だってその時僕はやっと11歳になったばかりだったんだから仕方がない。
少し頬を膨らましたアスカはスポーツカーの後部座席から次々と荷物を降ろしてくる。
一つ二つ……バッグが四つに、リュックが一つ。そして彼女の胸には枕が抱きしめられていたんだ。
「ごめんなさい、おば様。私、枕が変わると眠れなくなっちゃうんです」
「いいのよ、アスカちゃん。あ、あなたがアスカちゃんのお母様ですか?私、この間抜け面の母親をしておりますの。まあおあがりになってくださいな…って、日本語通じてるのかしら?あ、そう。お母様は日本生まれでペラペラ?それは助かったわ。ではどうぞ。これシンジ、スリッパを出しなさい…って、それはお客様用のじゃないでしょ。本当に気が利かないんだから、恥ずかしくなってしまいますわ。うちのに引きかえアスカちゃんは本当にしっかりしてらして…さあさあどうぞ……(以下略)」
アスカはマシンガントークだけど、うちの母さんは何て言ったらいいんだろう。五月雨トークとか…。
相手に言葉を挟ませないくらい続けざまに喋る。
ところがキョウコさんはさすがにアスカのお母さんだけあって、実は見事なマシンガントークだったんだ。
二人で喋りまくっている光景は圧倒されてしまうよ、まったく。
相手の話は聞いていないんじゃないかと思うくらい。
それがしっかり会話になってるんだから不思議この上ない。
この時はまだ猫被りのキョウコさんが黙って居間に案内されている間に、アスカは大きな枕を抱きしめながらとんとんと階段を上がっていった。
「あ、シンジ」
途中で振り返ったアスカはにっこり笑った。
その笑顔の意味を知るにはあと数年かかった。
僕をこき使うとき、彼女はにっこり微笑んでくれるんだ。
「そこの荷物持って上がってきてね」
そして、僕の返事も聞かずに足音は2階の廊下に消えていった。
随分と静かになった玄関には僕とバッグがいっぱい残されただけ。
僕はよいしょっとバッグを二つ肩にかけた。
何が入ってるんだ?こんなにたくさん。
2階に上がった僕が自分の部屋に入ろうとすると、見当違いの方向からアスカの声がした。
「ちょっと私の荷物をどこ入れるのよ。こっちよ、こっち」
こっちというのは、僕の隣の部屋だった。
アスカはその部屋の窓を開け、桟に腰掛けていたんだ。
相変わらず枕を抱きしめて。
「えっと、ここは荷物置き場?」
素直な僕の言葉にアスカは血相を変えて立ち上がったんだ。
「しっつれいねっ!私のお部屋を物置扱いしたわねっ!」
「ご、ごめんっ!」
反射的に謝ってから数秒後、僕は「私のお部屋」という言葉にようやく気がついたんだ。
「ち、ちょっと、それって」
「はん!ホームステイってヤツよ。せっかく日本に来たんだから一般的日本人の生活も経験しておかないとねっ!」
ホームステイという英語はさっぱりわからなかったが、人間には野生の勘というものがある。
僕は即座にアスカが何日かここで寝泊りすることを悟ったんだ。
本人が目の前にいなければ、きっと踊り狂っていたことだろう。
「な、何よその顔。ひょっとして何も聞いてなかったの?」
僕はがっくりと肩を落とした。
どうせご本人を問いただしても、「あ、忘れてた」と大嘘を吐くのに決まっている。
あの人はそういう人だ。
きっと今頃驚いている僕の様子を想像してアスカのお母さんと笑い転げていることだろうね。
僕がそう説明すると、アスカもお腹を抱えて笑い出した。
「愉快なお母さんね!楽しいサマーバカンスになりそう!」
「サマーって夏のことでしょ。夏の馬鹿…?」
またもやアスカは笑い声を上げた。
僕が英語を覚えるまでの数多い間違いをアスカはすべて記憶しているようだ。
ことある毎にわざわざ思い出してくれては笑いものにしてくれている。
この歳になっても。
彼女に言わせるとこの歳になったから、余計にからかうのが楽しいようだ。
ともあれ、アスカはこの日からその部屋に居座った。
しかも数日ではなく夏休みの間ずっと。
さすがにベッドを用意することはできないので普通のお布団に寝ていただくことになったが、アスカはご機嫌そのものだった。
こういうことで、アスカと僕はその夏をほとんど一緒にすごした。
すっかり母さんと気の合った友達になったキョウコさんもしょっちゅう遊びに来ていた。
まあその時はそれだけだと思い込んでいたんだ。
親になった今となっては娘のことが心配でという気持ちも手伝っていたことがわかる。
だってアスカと同じなんだから。いや僕も、かな?
そういう親の心配を余所に、僕たちは至極子供らしく夏の日々を送った。
そんな親の気持ちを抑えてまで娘を他人の家にずっと過ごさせてくれた、アスカのご両親の意図には僕は気付いてなかったんだ。
ただもう毎日が楽しくて。
だって大好きな女の子と毎日、いやずっと一緒にいられるんだからね。
ただ、登校日に小学校について行くと言ってきかない彼女には手こずらされたけど。
それが8月の終りくらいからアスカが時々寂しげな表情を浮かべることがあったんだ。
僕は単純で馬鹿だったから、それが何を意味するかがわからなかった。
そして、8月31日、火曜日。
アスカが我が家を去る日が来た。
荷物の方は前日の夜に例によってスポーツカーで乗りつけたお母さんが引き揚げている。
どうして一緒に帰らないの?明日はお母さん用事があるのかって聞くと…。
「いいのよ、これで。練習だから」
アスカは謎のようなことを言い、そして明るく笑った。
その笑顔に僕は誤魔化されてしまったんだ。
まあ僕はそういうことに凄く鈍感だからね。
こういうことはしっかり書いておかないと5分おきにチェックに来る鬼の編集さんが煩い。
この場面だって私はちゃんと言ってあげてるのに、アンタが気がつかないのが悪いのよ。そもそも日本人は察する文化だって本当なの?アンタを見てると全然そうは思えないんだけど?え、何?私の言うことは素直に受け取ってしまうからだってぇ?………そ、そうなの?だ、だったら嬉し………ちょっと待ったぁ!アンタ、私以外でも結構鈍感じゃないの!特に女性関係では!違う?レイに聞いてるわよ。生徒に迫られることもあるんだって?この間も気分が悪くなったって女の子に保健室に連れ込まれたって……。ぷっ!あれがそうだったのって、もうっ!これだから、アンタって……(以下はプライバシーに関わるので略)。
見送りは宝塚南口の駅まででいいとアスカが言った。
アスカの家まで送っていくつもりだった僕は不満だったが仕方がない。
それにまたアスカは「練習だもん」と呟いたんだ。
そして、僕としっかり握手してアスカは改札口の中に入っていった。
僕はおそらく凄くニコニコしていたと思う。
こんな楽しい毎日を送ったのは生まれて初めてだったんだもんね。
「じゃ、またね」
「うん、アリガト、シンジ」
「こっちこそ、た、楽しかったよ」
「私だって…。その時も今と同じようにしてよね……バイバイ!」
アスカは大きく手を振って階段を駆け上がっていった。
その時という言葉を僕は何となく聞き流していたけど、2学期が始まった途端に僕はその意味を知ったんだ。
始業式の日だから掃除が終わってお昼前に下校だった。
僕たちはトウジの住んでいる団地の公園にいた。
ランドセルを地面に置き、僕たち3人は土管を横倒しにした遊具の上に乗っていたんだ。
まだ暑く、一面の青空に白い雲がところどころにちりばめられていた。
「おい、シンジ。惣流は帰ったのか?」
「ん?帰ったよ、昨日。どうしたの、ケンスケ?」
「そうか…帰ったのか」
「だってアスカも学校があるじゃないか」
「あのな、シンジ。お前、ラングレーの成績を知ってるのか?」
「アスカのお父さんの?えっと、ホームラン12本で打率が274厘だったと思うけど…」
「お前……何嬉しそうな顔で言ってるんだよ」
「せや、センセ。そんな成績で来年も近鉄におれると思とんか?間違いなくクビやで」
「えっ!」
「ああ俺もそう思う。あれじゃもうどこのチームも契約しないぜ」
「と、ということは…」
「それに怪我してるんやろ。もう野球をやめるんとちゃうか?」
「となると、アメリカに帰るってことだな」
「アスカが?」
「そりゃそやろ。おとんの仕事で日本に来とるんやさかい」
やっとのことですべてが繋がった。
僕はそれからどうやって家に帰ったのかよく覚えていない。
日本の思い出を作るためにアスカは僕の家に来たんだ。
で、練習っていうのは…、練習っていうのは!
アメリカに帰るときのための!
僕はアスカが40日間暮らした部屋でわあわあ泣いた。
こんなに泣いたのは生まれて初めてで……いやこれが最初で最後だった。
そして、僕は決意したんだ。
明るく笑って「さよなら」って言おうと。
その日は僕の大好物のコロッケが食卓にのぼった。
母さんは何も言わないけど、全部わかっているみたいだった。
その翌日、アスカから手紙が来た。
今週末の西宮球場の試合に来て、と。
パパの最後の試合だから。
シーズンが終わるまで試合に出るんじゃないと僕は知った。
優勝やAクラス入りとかが決まれば、引退する選手より若手を使って経験をつませるのだとケンスケに教えられたんだ。
ということは予想していたよりアスカとの別れは早くなりそうだ。
僕はしっかりしなきゃと自分に言い聞かせて、その日阪急電車に乗った。
アスカは入場ゲートの前でお母さんと一緒に待っていてくれた。
普通に挨拶して、普通に会話して。
でも、僕がすべて知っていることはアスカもわかってくれていると何となくわかった。
二人ともお揃いの“B”のマークが縫いとられている真っ白な野球帽を被って3塁側の内野席に座った。
アスカの隣にはサングラスをかけてチューインガムをくちゃくちゃと噛んでいるキョウコさん。
はっきり言って周囲の人たちから浮いている。
カッコよすぎるんだもんね。
そんな僕たちに近鉄の帽子を被ったおじさんが恐る恐る話しかけてきた。
「あ、あの…僕ら確か…」
「はい、あの時は色々ご馳走になりました!」
アスカがにこやかに言った。
そう、初めてアスカと会ったときに知り合った近鉄ファンのおじさんだ。
「せ、せやろ。ラングレー選手の娘さんやろ。あん時は惜しかったなぁ」
「はい、とっても!」
もう少しで逆転ホームランになるはずだったラングレー選手の一打。
僕はしっかりとその場面を覚えている。
「ほ、ほな、こちらはラングレー選手の奥さんでっか?」
おじさんはまともにキョウコさんを見られないみたいだ。
それはそうだと思う。
だって映画スターみたいな格好してるんだもの。
「Yes!My hus…」
「ママ、日本語で喋んなさいよ」
僕は吹き出してしまった。
だってアスカの言葉があまりに素っ気無くて、その上タイミングがよかったものだから。
キョウコさんは大きく肩をすくめて、サングラスを取った。
アスカとそっくりの青い瞳がきらきらと輝いていた。
「はい、いつも主人がご迷惑をかけてます。あまり活躍してなくて…」
「あ、いや、そ、そんなことおませんで。はい」
金髪美女に親しく喋り返されて、おじさんは目一杯どぎまぎしていた。
それがおかしくて周囲は笑いに包まれたんだ。
「はい、奥さん。これどうぞ」
やっぱりあの時差し入れしてくれたおばさんが焼きそばを手渡す。
まだ試合は始まってなかったけど、すっかり応援の雰囲気はアットホームで、そして盛り上がっていた。
先発投手は近鉄が鈴木で阪急は山田。
両チームともエースの登板だった。
後年のコントロール重視の投球とは違い、この頃の鈴木は速球でぐいぐい押してくる。
山田もコースを丹念につき、スコアボードにはゼロがずらっと並んだ。
ラングレー選手の打席は6番で、三振がもう二つ。
もともとアンダーハンドの投手は苦手だったんだ。
くそっ!最後の試合なのにどうして山田が出て来るんだよ!
阪急もロッテと優勝を争っているから負けられる試合なんてないんだ。
近鉄が鈴木を出す以上、エースで対抗するしかないのはわかってる。
でも!
アスカも唇をかみ締めてお父さんの最後のユニフォーム姿を追っかけている。
打つ方は三振が続いたけど、守備ではカッコいいところを見せてくれた。
5回裏の2アウト一塁三塁の場面で、4番の長池が速球に押されて一塁側にふらふらとファールボールを打った。
その球をラングレーさんは猛然と追いかけた。
ボールをまったく見ずに真っ直ぐにフェンスに向かって走る。
僕たちは立ち上がってその背中を追った。
そしてまるで後が見えているかのように、ラングレーさんはグラブを前に差し出して頭からグラウンドに突っ込んでいったんだ。
そこに合わせるかのように白球が落ちてきた。
砂煙の中、ボールはしっかりグラブに納まっていた。
もちろんアウトだ。
僕とアスカは抱き合って歓声を上げ、キョウコさんも何か英語で叫んでいる。
当然応援している人たちも大歓声を上げた。
鈴木がラングレーさんにグラブを掲げて感謝している。
ベンチに引き揚げていく途中も砂だらけのユニフォームの肩を他の選手が叩いていく。
ああ、みんな今日でラングレーさんが最後だとわかってるんだ。
僕はその光景を見てそう直感した。
そのラングレーさんはベンチに入る前に僕たちの方を見上げた。
そして帽子を上げてにやりと笑ったんだ。
か、カッコいいっ!
「○×▼□◎△!」
キョウコさんが怒鳴った。
それを聞いて、ラングレーさんは首をすくめた。
隣でアスカがげらげら笑っている。
後で訊くと、打つ方もしっかりやりなさいって言ったそうだ。
せっかくファインプレーしたのにね、可哀相に。
ゼロ行進が続いた7回の表、先頭打者はラングレー選手。
もしかすると、これが最後の打席かも。
僕は拳を握り締めた。アスカも口を閉ざして、じっとお父さんの姿を追っている。
背番号4がゆっくりと右の打席に入り、投手を睨みつけていた。
野球生活の最後の打席ってどんな気持ちなんだろうか。
僕がふっとそう思ったとき、綺麗なフォームから白球が投じられた。
カーンっ!
乾いた音が球場にこだました。
ラングレー選手はバッターボックスに立ったまま、一直線にレフトスタンドへ飛び込んでいくボールを見つめていた。
三塁側で一斉に歓声が沸きあがった。
その声に押されるように、ラングレー選手はゆっくりと一塁ベースへ向かって走り出す。
周囲が興奮して騒いでいる中、僕たち3人だけが黙って立っている。
ベースを回るラングレー選手の姿をずっと目に焼き付けておけるように見つめていたんだ。
ホームを踏んで、それからラングレー選手は僕たちの方に向かって拳を突き上げた。
すると、アスカとキョウコさんは英語で叫びだした。
何を言っているのかさっぱりわからないけど、ラングレーさんは誇らしげな顔でベンチへ歩いていった。
最後の打席がホームランなんてカッコ良すぎる!
ところがこれが最後の打席じゃなかったんだ。
9回表、2アウトランナーなし。
得点はラングレー選手のホームランの1点だけで、スコアボードの残りはすべてゼロが並んでいる。
鈴木はずっと見事な投球を続け、山田もホームランよりあとは一人の走者も許してなかった。
そして……。
ラングレー選手の現役最後の打席は見事な空振り三振に終わったんだ。
「この大型扇風機っ!」
首を振りながら引き揚げてくるラングレーさんに、立ち上がったキョウコさんが野次を飛ばした。
ラングレーさんが足を止めて、観客席を見上げる。
「最後が三振なんてみっともないわよっ!」
口では酷いことを言ってるけど、キョウコさんの頬には涙が流れにこやかに笑っていた。
そんなお母さんの姿を見てアスカは座席の上に飛び乗った。
「パパ!すっごくカッコ悪いわよ!」
母娘に罵声を浴びせられ、それでもラングレーさんはバットを高々と空に突き上げた。
誇らしげに、とても嬉しそうに。
その姿を見て、僕はただ声もなく拍手を始めた。
そんな僕たちに回りの人たちは怪訝な顔をした。
そして、最初に声をかけたおじさんが「どないしたんや?」と質問してきたんだ。
僕が答える前に、アスカが手を叩きながら言った。
「今のがパパの最後のバッターボックスだったの!」
「えっ!何やて!ほなラングレーはん引退するんかいな!」
おじさんの大声に周りの人も騒ぎ出した。
そして、僕たち3人だけの拍手がどんどん広がり三塁側の観客席が歓声と拍手に包まれる。
その歓声にラングレーさんは凄く驚いたみたいだ。
大きくお辞儀をして、それからヘルメットを脱いで大きく手を振って応えた。
ベンチからも数人の選手が出てきて、ラングレーさんの俄か引退セレモニーを見守っている。
ラングレーさんは右手にバット、左手にヘルメットを掲げて…。
それから叫んだんだ。
「 I love baseball!」
3週間後の日曜日。
ラングレーさんは帰国の日を日曜日にしてくれた。
僕が見送ることができるように。
僕は前の日からまったく眠れなかった。
アスカが行ってしまう。
大好きなアスカが。
僕はあの帽子を被り、アスカは黄色いワンピースを着て帽子は被っていなかった。
そのことが何やら凄く寂しかったんだ。
二人ともほとんど何も喋ることができなかった。
何を言えばいいのか全然わからない。
ただ僕はアスカの指先を見つめていた。
その指は白く、細く、そしてぐっと組み合わさっている。
指には力が入り、おへその辺りで祈るように掌が合わさっていた。
アスカのいない日本。
アスカのいない毎日。
そう、もうすぐアスカはいなくなる。
でも、泣いちゃいけない。
明るく笑って「さよなら」って言わなきゃ。
搭乗時間になった。
アスカは僕の前に立つ。
言わなきゃ!
「あ、あの…さよなら」
「知ってる?」
「何を?」
「さよならって意味。そうなんだから仕方がないから別れましょうってこと」
「そうなんだ…。アスカは物知りだね」
「ふふ、ママの受け売りよ」
アスカはにっこり笑って、それから床に置いてあったバッグを取り上げた。
そしてバッグのファスナーを開け、中から帽子を取り出した。
あの真っ白な野球帽だ。
「これ、アンタに預けとく」
アスカは僕の手の上で帽子から手を離した。
すっと掌の上に落ちてくる白い帽子。
「アスカ…」
やっと僕は顔を上げることができた。
アスカは笑っていた。
「いい?ちゃんと持っとくのよ。失くしたりしたらただじゃ済まさないからね。そ〜ねぇ、千本ノックでもしてやろうかしら」
「大丈夫だよ。宝物にしておくから」
「ふん。ま、それでいっか。じゃあね、シンジ」
アスカは身を翻した。
何か言わなきゃ。何でもいい。そうしないともうアスカに会えなくなる。
でも何て言えばいいんだ。
「See you again!」
アスカは振り向きざまに言った。
もちろん何を言ったのか僕にはわからない。
アスカもそれは承知している。
「馬鹿シンジ、よく覚えておきなさいよ、今の言葉。
See you again よ。忘れないうちに意味を調べるのね」
「わ、わかった!」
「はん!私がしつこい性格だってことはよく知ってるわよね」
アスカがニヤリと笑った。
そして、大きく息を吸った。
「I love you, baka-shinji!」
その言葉が僕の耳に飛び込んできた瞬間にはアスカはもう背を向けて走り出していた。
そしてゲートの前に待っていた両親の所へ。
ラングレーさんたちが手を振ってくれていたみたいなんだけど、アスカの背中だけしか僕の目には入らなかった。
その背中はついに一度も振り返ってはくれなかったんだ。
肩を聳やかせた鮮やかな黄色が大股でゲートの向こうに消えていった。
僕はただそれを呆然と見送ることしかできなかったんだ。
「行っちゃったね」
ぽんと肩を叩いたのは母さんだ。
母さんはキョウコさんの見送りに来ていたんだ。
僕は拳で目を擦った。
「うん、行っちゃった」
「寂しくなっちゃうわね、あんな美少女に愛されてたシンジ君としては」
「茶化さないでよ。本気かどうかも…」
「だったら、また会いましょう…なぁんて言わないんじゃないのかな?」
「えっ!」
悪戯っぽい目の母さんは、僕の額を指でつついた。
「See you again だってさ。この色男」
「ど、どういう意味なの?」
「だから今言ったでしょ。See you again…また会いましょうだって」
「また…会いましょう……。会えるの?母さん」
「あらら、それは母さんにはわからないわ。神様じゃないもの。
ただ自然に任せるんじゃなくて自分も努力することね。アスカちゃんともう一度会いたいなら」
「わかった!」
「こ、こら、どこ行くのっ!」
「展望デッキ!飛行機を見送らなくちゃ!」
僕は走り出した。
アスカの飛行機を見送らないと。
ただどれがアスカの乗るジャンボジェットかがわからなかったので、後からやってきた母さんに随分笑われちゃったんだけどね。
そして、数10分後、その飛行機がゆっくりと動き出した。
あ、行ってしまう。
飛行機は滑走路を大きく回って、やがて直線路を加速し始めた。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
そうして轟音とともにタイヤが地面を離れた瞬間、僕は精一杯の声を上げて叫んだ。
「しいゆうあげいんっ!アスカ!僕も、I love youだぁっ!」
周りの人なんかどうでもよかった。
球場で野次を飛ばしているように、身体中の力を振り絞って叫んだんだ。
飛行機はそのまま機首を上げて、どんどん小さくなっていった。
僕は機影が見えなくなるまで、手すりを握り締めたままずっと空を見つめていた。
「幸せは球音とともに」
1971 夏秋編 下
おわり
べしっ!
「い、痛いじゃないか!」
「何よ、この終わり方は!」
「だ、だって、事実じゃないか。アスカはこの時僕を置いてアメリカに帰っちゃっただろ」
「でも気に入らないわよ。これじゃ私がジャンボの中でぼろぼろ泣いてたことにも触れられていないし、
展望デッキでシンジを見つけて大騒ぎしたことも書いてないじゃない!」
「そ、そんなこと言われても、こ、これは僕の一人称なんだから…」
「でも読んでる人は物足りないに決まってるわ。感動の別れの場面よ。
男よりも女の目で見るほうが涙を誘うに決まってるわ!」
「で、でも、これはノンフィクションだし、読むのはうちの生徒や先生たち…」
「はん!そ〜やってアンタは自分のファンを増やそうって考えてるんでしょ。
レイに聞いたわよ。この間、にやにやしながら2年生の女の子にサインしてたんだってぇ?
聖ネルフ学院広報の表紙にさ。アンタ、ロリコン?自分の娘より小さい女の子に興味あるわけ?」
「ご、誤解だよ。またレイの策略に決まってるだろ。そ、そんな顔するなよ、ね、アスカ!」
「ふん!信じられますかっ!あ〜あ、女子高の先生になんか就職させるんじゃなかった。
普通高じゃ気弱なシンジじゃ勤まらないって私が女子高を薦めたのがいけなかったんだわ。
もちろん、この続きも書くんでしょうね!私をアメリカに行ったきりで終わりにはしないでしょうね!」
「た、多分書けると思うんだけど…」
「よしっ!じゃ次回は……」
元アメリカ人の僕の奥さんはどうしても「アスカ、来日!」を書いて欲しいようだ。
では、続いて1973年の話を少しだけ書くことにしよう。
そうしないと今晩のおかずとナイターに差し支えそうだ。
聖ネルフ学園広報誌掲載「幸せは球音とともに」1971 夏秋編 下 後書きより
さて、恒例の注釈コーナーです。
ナイガイセン………多分“内外戦”という字を当てはめるのでしょう。こういう遊びにはローカルな名前がつけられているのが普通です。現に隣の小学校では“ひまわり”という名前で呼ばれていました。随分とメルヘンな名前ですよね、うちの小学校じゃ戦争っぽい名前だというのに。あ、ルールですか。○の周りに花びらのようにでこぼこの線を描き、その○とでこぼこの間を走りぬけ一週できれば走る側の勝ち。○の中に引っ張り込まれたり、でこぼこの外に押し出されれば、その人はアウトになります。でこぼこのところで動けなくなった走者を押し出すために守備側は“吶喊”なる攻撃で自爆攻撃を仕掛けたりもします。まあ、今のか弱い子供たちでは絶対にできない…つまり本物の喧嘩になってしまうようなエキサイトなゲームでした。こんな説明でわかったかな?
インサン………“陰惨”…ではありません(笑)。おそらく1と3でインサンなのでしょう、よく意味はわかりませんが。四角の中に+を描き、長方形のマスを4つ作ります。そして1から4までの数字をマスにふります。ドッジボールを腕で打ち、どこかのマスに送ります。そしてワンバウンドさせてからそのマスのプレイヤーは別のマスに叩き込む。ミスをした人間が数の多いマスに移動するって遊びです。
人生ゲーム………説明の必要もないほど有名なゲームですね。
魚雷戦ゲーム………戦艦の形をしたコマをボードの端に置き、パチンコ玉を魚雷口から発射して(滑り落として)相手の戦艦を撃沈するというシンプルな遊びです。
レーダーサーチゲーム………これは当時としてはハイパーなゲームでした。ゲームを間にプレイヤーが向かい合い…というより蹲り、自分の側の何十個かのマスのどこかに旗を立てます。そしてその旗を先に見つけたほうが勝ちというハイパーな割にこれまた単純なゲームでした。ただし、失敗したときや発見したときに電子音が鳴り響くため凄く高級な感じがしたものです。但し、一年も経つと音が鳴らなくなったりしましたけどね。
野球盤………エポック社の見えない魔球付き野球盤です。
見えない魔球………ご存知『巨人の星』の大リーグボール2号をそのまんま使った機能です。バットの直前に滑り台が開きボールはその中へ…。当然打てません。ですからルールを厳重にする必要がありました。ここでルールを無視して勝負に熱中するような馬鹿者は二度とゲームの誘いはありませんでした。
宝塚の花火大会………8月の上旬に武庫川の河川敷で開催されます。
ファミリーランド………2003年に閉園となった遊園地です。くたばれUSJ!
阪神パーク………同上。くたばれUSJ!
プール………おそらく宝塚ファミリーランドの大プールだと思います。市民プールの方はシンジたちが住む町からは少し離れてますので。
小さな恋のメロディー………1971年に日本でのみ(!)爆発的な大ヒットを記録したイギリス映画です。11歳の子供たちを描いたほのぼのとした作品でした。主役のマーク・レスターとテレーシー・ハイドの可愛いカップルが人気を集め、関西テレビ平日午後7時45分から放送されていた『スター千一夜』のCMでもよくこの映画の場面が流れていましたね。
新聞会館大劇場………神戸三宮にあった映画館です。今はその影も形もなく、ダイエーになっています。因みにここで『小さな恋のメロディー』が上映されたかどうかは定かではありません。私がはじめて洋画を見たのがここでしたので使わせていただきました。あ、映画は『海底二万哩』でしたね。
トレーシー・ハイド………映画の出演はこの作品だけだとか。極東の地でこんなに人気を集めるとは夢にも思わなかったでしょうね。
ビージーズ………イギリスの有名なPOPSグループ。ってこんな注釈をしたらファンに怒られそうなほどの人気があります。メンバーが亡くなったので解散状態です。
メロディーフェア………ビージーズファンには申し訳ないですが、日本ではビージーズといえばこの曲となってしまうのです。
大阪球場………すみません。ここには行ったことがないので名前だけです。南海ホークスのフランチャイズでした。
大阪空港………関西国際空港ができたので寂れるはずが…交通の便がいいため国内線では賑わっています。ただあの3分おきの爆音に慣れた耳には、飛行場がなくなってしまったのではないかという錯覚すら覚えました。あ、すみません。うちは少し離れていたので。
展望デッキ………伊丹では小学校中学年の時には必ず遠足に行く場所が大阪国際空港でした。そこで集合写真を撮影するのがこの場所でしたね。
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