この作品は…超ローカルネタで書かれてます。
近鉄の球団名売却騒動にショックを受けて書きましたが、続きをご所望してくださる方もいらっしゃいましたので、調子に乗って書いてしまいました。
 
 

全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
 
 
そして、執筆を応援していただいている皆様にも。


 

 

 

幸せは球音とともに

ー 1973編 

〜 上 〜


 

2004.4.23        ジュン

 
 
 

 

 
 

 1973年春。
 僕はめでたく宝塚第弐中学に入学することになった。
 あ、義務教育でかつ校区の中学校だから当然無試験で普通の学校だけどね。
 もちろん、小学校の友達たちも揃って入学だ。
 トウジ、ケンスケ、それに洞木さんも。

 アスカが行っちゃってからもう1年半が過ぎようとしている。
 今のようなボーダレスの時代じゃないからアスカと連絡を取るのは手紙以外には方法がなかったんだ。
 国際電話?ぶるぶる!

 

 一度だけアスカの誕生日にお年玉は要らないからって母さんにお願いしたんだ。
 国際電話をかけさせてくれって。
 正直言って初めてだった。
 父さんをカッコいいって思ったのは。
 流暢な英語(と思い込んでいた。まだ小学生だったから)で国際電話を申し込んでいるその姿を見たからね。
 数年後、あれは流暢な英語ではなく、相手が何を言っても動ぜず自分の言いたいことだけをただひたすら喋っていただけだと知った。
 でもそのことで父さんの軽蔑とかする訳がない。
 僕のためにがんばってくれたんだから。
 母さんが笑い転げていた理由はそれでよくわかったけどね。
 ともかく父さんの頑張りで、ケンタッキーのアスカと電話が通じた。
 僕はアスカの元気な声がすぐに聞けると思い込んでいた。
 ところが…。

「Mmmmh…、Who?」

 まったくもって元気のない声が受話器の向こうでしたんだ。
 時差があるなんて僕にはよくわかっていなかった。
 母さんにそのことを教えてもらってたんだけど…。
 ただ、僕はアスカが病気か何かだと思い込んだ。

「どうしたの?アスカ!」

 沈黙が数秒続いた。 
 時間は大切だ。
 カップヌードルを食べるために買ってきた砂時計を母さんが僕の目の前に置いているんだ。
 制限時間は3分しかない。
 それなのに、アスカは黙り込んでいる。
 その上、食卓にはタイミングを合わせてお湯が注がれたカップヌードルが2つ。
 もちろん、父さんと母さん用に決まってる。僕のはなしだ。
 時間延長はしないというデモンストレーションだ。
 このケチ!
 当然、僕は受話器に怒鳴った。

「アスカ!アスカ、いるんだろっ!僕だよ。シンジだよ!返事してよっ!」

 も、もしかしてアメリカに恋人ができたんだ。
 だから僕からの電話がかかってきて迷惑してるとか!
 僕だって12歳になってもう半年。
 春には中学生になるんだ。
 いつまでも初心で鈍感な僕じゃない。

 

 

 ばこっ!

「痛いっ」

「アンタねぇ、夜中の3時に叩き起こされて、その上ママに変なおじさん声の人から電話って言われたんだから!
 寝ぼけてるのは当然だし、警戒するのも当然でしょうがっ!」

 キーボードを叩く僕の背後に仁王様が立っている。
 キョウコさんは本当にうちの母さんに似てるよ。
 子供を騙して面白がるところは。
 きっとその時も扉の向こうで笑いをこらえながら覗いていたんだろうね。

「それに、アンタの声だってわかった時に、頭ん中が真っ白になっちゃったんだもん…」

 仁王様は瞬時に観音様に変身した。
 こうなると、この後のことは公の文書にはできるわけがない。
 みなさんには1973年の…じゃなかった1972年12月4日午後5時(日本時間)の僕たちの話で満足してもらうとしよう。

 

 

 まずは僕に日本とケンタッキーの時差は9時間だと教えたのが母さんだってこと。
 そしてわざわざ有給休暇をとってまで国際電話に備えてくれた父さん。
 母さんは明らかに嘘をつき…あとで「あら間違えちゃった?ごめん」と軽く逃げられちゃったけどね。
 父さんはことの成り行きを見たいが為に休んだだけ…母さんにそそのかされたらしいけど。
 僕はアスカが学校に行く前にと、日本時間午後5時に電話をすることにしたんだ。
 それが現地時間午前3時になるなんて…。

 大人なんてみんな嘘つきだっ!

 もちろんその時の僕に馬鹿な大人たちが仕掛けた悪戯なんか見抜けるわけがない。
 ただもうアスカの反応にびっくりしてしまい、慌てふためいていたんだ。
 受話器に向かって叫んでいると、小さな声が聞こえてきた。 

「シンジ?ホントにシンジなの?」

「そうだよ、シンジだよ!」

 また沈黙。ほ、本当に好きな人ができたんじゃ…。

「痛いっ!」

「ど、どうしたの?アスカ!」
 
 受話器からアスカの叫び声が聞こえてきたんだもん。
 驚いたというより、アメリカに向かって走り出したいような気持ちだった。

「ホントにホントにシンジっ?夢じゃないのっ?」

「夢じゃないよ。僕だよ。シンジだってば!」

「だって!ついさっきまで日本の夢みてたんだもん!日生球場でシンジとキャッチボールしてたんだもん!」

「本当?凄いっ!あ、でも、もう8時なのにまだ寝てたの?学校お休み?」

「はぁ?アンタ馬鹿ぁ?今、真夜中よ。えっと…ええっ!まだ3時じゃないっ!」

「嘘っ!僕は…」

 食卓に座る大嘘つきを睨みつける。
 お母さんは舌をぺろっと出すと、テーブルの上の砂時計を指差す。
 わっ!もう半分もないじゃないか!

「あ、あの!時間がないんだ。あの!あの!」

 すっかり慌ててしまって、言葉がすっと出てこない。

「落ち着きなさいよっ!馬鹿シンジっ!嫌いになっちゃうぞ!」

 げっ!
 その一言は僕の血を逆流させた。
 ぞっとしたんだ。
 でも、嫌いになるってことは今はまだ…ってことだよね!

「あ、アスカ!誕生日おめでとう!」

 言えたっ!
 僕にも言えたんだ!

「わっ!そうだ。もう4日になったんだ。シンジ、アリガト。ホントにアリガトねっ!」

「う、うん。本当におめでとう!」

「嬉しいっ!」

 よかったぁ。本当に喜んでもらえたみたいだ。 
 変な心配しちゃったけど。

「すっかり目が覚めちゃった。でも痛ぁ〜い。さっき抓ったとこマッカッカになっちゃた。
 ふふ、でも、これでゆっくりお喋りできるわねっ!だって、シンジとお話しするのって何年ぶり?」

「あ、あのさ、それが…実は…」
 
 僕はちらっと背後を振り返った。
 テーブルの上の砂時計はもうほとんど上の方に砂が残ってない。
 ど、どうしよう!
 そう思った瞬間、母さんが砂時計をくるっと一回転させた。
 わっ!ありがとう、母さん!
 僕は片手で拝んで見せたけど、もうその時には二人ともそ知らぬ顔でカップヌードルのふたを取っている。

「どうしたの?シンジ」

「あ、ごめん。あと3分しか時間がないんだ」

「そっか、ま、仕方ないか。3分でもシンジとお話できるんだから、最高っ!」

「僕も!でも、アスカ、日本語忘れてなかったんだ」

「はん!忘れるわけないでしょっ!しっかり勉強してるわ!じゃないとって、そうそうアンタ身長伸びた?」

 強引に話を逸らせたアスカだった。
 ただ、この時の僕はそれに気付かず、アスカとの会話に夢中になっていたんだ。

「150…にまだ1cm足りない」

「嘘っ!私160cmになったわよ」

「ええっ!そんな!」

「ふふっ、女の子の方が成長が早いのよ。シンジはこれからじゃない」

「早く大きくなりたいなぁ」

「楽しみにしてるわね。あ、テレビは何か面白いのやってる?」

「あ、うん。『太陽にほえろ!』っていうのが面白いよ」

「何それ?変な名前」

「それが凄いんだよ。裕次郎が刑事で…」

「えっ!石原裕次郎?テレビに出てんの!」

「うん。それにショーケンが新人刑事でね」

「嘘っ!ショーケンも出てんの?信じらんないっ!」

「あ、それにね、この前のはジュリーが犯人役で出たんだよ」

「ええっっっ!面白そう!私も見たいよぉっ!」

 もちろん、ビデオもインターネットもないこの時代にアメリカのアスカに見せることなんかできっこない。
 そう考えると、何だか申し訳ない気分になってしまった。

「ごめんね、アスカ」

「ふん、いいわよ。どうしようもないもん。その代わり今度手紙にその番組のこと詳しく書いてよね。お願い」

「うん、わかった」

「よろしくぅ!」

「そっちほどう?」

「ん?そうねぇ、やっとベトナムから手を引いたからね、みんなほっとしてる」

「あ、そうか。アメリカは撤退したもんね。よかったね」

「まだ戦争は続いてるけど…、でももうみんな嫌気さしてたし…それに私、日本にいてベトナムに近かったから。アメリカの人よりちょっとは身近だったって感じかな。
 とにかくアメリカが戦争を止めたのはよかったと思ってる。早く完全に終わってほしいなぁ」

 凄いや、アスカは。僕なんてベトナム戦争をそれほど身近に感じてなかったのに。
 いや、この時は本当にそう思っていたんだ。
 でも、今から考えると、あの頃の僕たちはベトナム戦争や第二次世界大戦の影を結構引きずっていたような気がする。
 今は…世界のあちこちで悲惨な出来事が起こっているのに、何故かあの頃より身近に感じない。
 きっと報道がリアルすぎて…つまり詳細まで報道されるから、あの頃のようなインパクトがないんだろうと思う。
 まあ、この時の僕はそれどころではなく、短い通話時間がいきなり硬い話に向かってしまったんで慌ててただけだった。

「そうだね。あ、みんな元気?」

「元気よっ。あああっ!こらぁっ!出て行けっ!」

「ど、どうしたの?」

「パパとママよ。扉の隙間から覗いてたの」

「それくらいだったらいいよ。うちなんか2mも離れてないもん。小さな家だからね」

 アスカから貰った手紙に入っていた、豪邸の写真を頭に描いて僕は嫌味を言った。
 どうせ日本人の家はウサギ小屋なんだよ。

「仕方ないじゃない。シンジの家はリビングとダイニングが合体してるんだから。
 でも、空き部屋だってあるんだから大きい方でしょ」

「う〜ん、そりゃあそうだけど…。絶対、アスカのとこの馬小屋の方がうちの家より大きいよ」

「あ、それはそうよ。だってうち牧場だもん」

「あは、そうだよね。それからね…」

 その時、ごほんと咳払いが聞こえた。
 振り返ると、砂時計の砂は一粒も落ちてこようとしていなかった。
 すべて落ちきっていたんだ。
 僕はもう3分だけと頼もうとしたけど、母さんの優しげな微笑を見て何も言えなくなってしまったんだ。
 国際電話を掛けるってだけで凄い贅沢なんだもんね。

「ごめん、アスカ。もう時間だって」

「えっ…。あ、あのさ、私のお小遣い送るからもう少しだけ…」

「僕ももっとアスカと話したいけど…」

「う、うん。こっちこそごめん。シンジ?」

「何?」

「きっともっとお話できる時が来るよ、ねっ!」

「うん!」

 アスカは酷い。
 僕はてっきり慰めで言ってくれてるんだと思い込んでいたんだ。
 だけど、この時点で…いや、その時まで何も知らなかったのは僕一人だったんだ。
 僕って、そんなに騙しがいがあるの?

 

「あるわよ!アンタが騙されたってわかった時の顔ってホントに可愛いんだから」

 奥様は尋ねてきたお姑さんと笑いあう。
 最近はレイまでが僕を騙そうとするんだ。
 まったくうちの女性陣は…。
 シンイチ、気をつけるんだぞ。
 まあ、母さんだけは孫は可愛いのか騙そうとはしていないんだけど、その分妹からの攻撃がキツイからな。
 まさか、リツコさんも?
 僕はそれを確かめるのが怖くなった。
 考えれば考えるほどそんな気がしてくる。
 まあ、いいか。
 よく考えると、彼女たちは良い方に騙すんだから。
 上げて突き落とすんじゃなくて、思い切り下げといていきなり急浮上させるんだからね。 
 でも、潜水病ってのもあるんだから、手加減してよね。

 

 さて、それではいよいよ1973年の話を始めよう。

 春休み…って言っていいんだろうか?
 小学校を卒業して数日後のことだ。
 母さんが突然大掃除を始めると宣言したんだ。
 特にあの4畳半を中心に。
 アスカがあの楽しかった夏休みを過ごした部屋だ。
 当然僕は散々こき使われた。
 畳替えまでするし、何と浴室にはシャワーまで備えられたんだ。
 あれにはびっくりしてしまった。
 僕がシャワーを使ったことがあるのは、プールと神戸のアスカの家にお泊りしたときだけだったんだもん。
 4月に入ってからは、母さんはほとんど家にいなくて、僕は強制的に留守番を命じられていたんだ。
 時々トウジたちが遊びに来てくれたけど、これじゃまるで座敷牢じゃないか。
 運送屋さんが来るかもしれないからって、外出禁止だったんだもん。
 確かに何度か運送屋さんがやってきた。
 何が入っているのかわからない無地の段ボール箱もあれば、阪急百貨店の箱もある。
 それを僕は全部母さんの部屋に運ぶ。
 日々増えていく段ボール箱に僕は首を捻った。
 母さん急に浪費癖が付いたんだろうか?
 父さんの方は家の様子に無関心なようだけど、大丈夫なの?
 僕は顔を合わすたびに母さんに訊いてみたんだけど、「あなたには関係ないの」の一言で片付けられてしまう。

 そして、入学式の朝だ。
 僕は真新しい学生服に身を包んで、パンかすを落とさないように注意しながら朝食を食べていた。
 トウジたちとは近所の公園の入り口で待ち合わせをしている。
 親たちと一緒に歩くのは気恥ずかしい。
 そういう年頃にみんななったってことだ。
 それでも母さんが写真機を持ち出していたのに、玄関で撮影って言い出さなかったのは少しだけ寂しい気がした。
 帰ってから撮るんだってさ。
 母さんの論理はよくわからないよ。
 普通は出発前に撮るもんじゃないのかなぁ。

 サクラの花びらがちらほら待っている並木道を抜けて、真新しい学生服を着た僕たちは中学校を目指した。
 これから3年間お世話になる校舎が見える。
 その3年間が楽しくなればいいけど。
 あ、それに英語の授業を頑張らないと。
 アスカの国に訪ねていく為には英語がペラペラにならないとね。

「センセは部活どないするんや?」

「う〜ん、まだわかんないや」

「ケンスケはこれやろ?」

 トウジがカメラを構える真似をする。

「ああ、俺は写真部に入るぜ」

「わしは野球部にするわ」

 いとも簡単にトウジは言った。
 少年野球にも入ってなかったのに。

「おい、今から始めるのか?それに丸刈りだぞ」

 トウジは情けなさそうな顔で頭を撫でた。

「この髪ともおわかれやなぁ。まあしゃあないわ」

「トウジだったら大丈夫だよ。すぐにレギュラーってわけには行かないと思うけど」

「センセ、そらそうや。まずは球拾いからやな。ま、歯ぁ食いしばって頑張るわ」

 後になって聞いた話では、トウジを決意させたのは洞木さんだったらしい。
 何かに一生懸命になっている人が好きだと卒業文集に書いていたこと。
 そして、小学校最後の軟式野球を会社用のグラウンドを奇襲したときに、洞木さんたち女子も一緒だったんだ。
 その時、彼女が友達に言ったらしい。
 「鈴原が野球しているのって少しカッコいいわね」と。 
 本当は“少し”どころではなかったのだが、彼女にも隠しておきたいこともあるだろう。
 それが回り回って、トウジにとっては幸運なことに一文字も狂うことなく伝えられたんだ。
 当然、トウジはその言葉に素直に反応したってわけだ。

「見えたぜ、校門が」

「せやな、これでしばらくセンセたちとはお別れか」

「うん」

 何しろ、この頃は子供の数が今よりも遥かに多い。
 第弐中学でも今年の新入生は10クラスで各45名前後の生徒数だった。
 いきおい、クラス編成は僕たちの思い通りに行くわけがない。
 制服を取りに行った時に掲示板に貼られていたクラス割には、僕たちの名前はばらばらになっていた。
 僕は1組、ケンスケが2組、トウジは9組だった。因みに洞木さんは5組だ。
 見事なほどに散らばってしまったけど、僕のクラスに小学校の時の同級生が数人はいる。
 それほど仲がよかったわけじゃなかったけど、とりあえずは彼らと話すことになるんだろうな。
 ただこっちに引っ越してきたときほどの緊張感はない。
 あの時はみんなの輪の中にひとりぼっちで飛び込んでいったんだから。
 今回はみんな同列。
 だけど、やっぱり胸がどきどきするよ。
 体育館に僕たちは入っていった。
 そして、新しいクラスごとに分かれる。
 まだ15分前だけど中は学生服の黒い色でいっぱいだ。

「ほなな。みな、たっしゃでな」

「ああ、トウジ、洞木さんがいないからって暴れるんじゃないぜ」

「な、な、何言うとんねや!」

「シンジ、俺たちはあっちだ」

「うん。じゃあね、トウジ」

「おお、がんばりやセンセ」

 トウジは今日も元気いっぱいだ。
 確かに止め役の洞木さんがいないとトウジはどうなるんだろう。
 僕はそれを考えて、少し笑ってしまった。
 その時だ。

「おい、シンジ!」

 いきなり、ケンスケに腕を掴まれた。

「ど、どうしたの」

「金髪の奴がいるぜ」

 僕はケンスケが指差した方を見た。
 みんなから頭半分抜き出た、赤みがかった金色の髪の毛がそこにいた。
 その瞬間、僕は本能的に叫んでいた。

「アスカ!」

 まだ15mくらい離れてたんだ。
 見えていたのは後頭部だけ。
 でも、僕にはわかってた。
 アスカだ。アスカに違いない。
 どうしてここにいるのか全然わからなかったけど、とにかくアスカがここにいる。
 僕の大声に回りのみんなが僕を見た。
 ただ金髪の後頭部はこっちを向かない。

「ど、どないしたんや!アイツがおるんか?」

 さっきサヨナラしたばかりのトウジがばたばたと走ってきた。
 でもトウジには返事できない。
 僕はただ周りと全然違う色の髪の毛を凝視していた。

「いや、それはわからない。ただシンジが…」

「アスカだろ!アスカっ!」

 僕は脚が動かなかったんだ。
 まるで夢の中のように。
 周囲がざわざわし始めた。
 だけど、そんなことはどうでもいい。
 僕はあの頭がこっちを向いてくれるように願って、もう一度叫んだ。

「アスカぁっ!」

 その声は体育館に木霊した。
 一瞬、準備の物音や喋り声に満ちていた体育館が静寂に包まれる。
 そして、金色の髪の毛はゆっくりと動いた。
 他の生徒の身体が邪魔で、目から上だけしか見えないけど…。
 あの目は…。
 あの、悪戯っぽく、僕を見て微笑を浮かべている目は、間違いなくアスカだった。

 その目は僕の方に向かってくる。
 いささか乱暴な言葉とともに。

「ちょっとどきなさいよ!邪魔なんだってば!ほらっ!」

「ホンマもんや」

「ああ、久しぶりだな。あの高飛車な喋りは」

 背後で二人がぼそぼそと小声で話していたけど、僕はアスカの姿を見て絶句してしまったんだ。

 だって、アスカはこの宝塚第弐中学校の制服を着ていたんだから。
 紺色の制服に身を包んだアスカは、にやにや笑いながら僕の前に立った。
 僕は顎を上げる。
 だって、10cmくらい大きいんだもん。

「どぅお?似合うでしょ」

 第一声はそんな言葉だった。
 そして、アスカはその場でくるっと一回転する。
 スカートの裾が少し膨れ、金髪の長い毛もふわっと流れた。

「う、うん。綺麗だ」

 僕のいささか的外れな返事は、だけどアスカの的には大当たりだった。

「アリガト、シンジ」

「あ、あの…」

 こういう時、必ず口を挟んでくるのがトウジってヤツだ。

「惣流!お前、こんなとこで何しとんやっ!」

「あ、馬鹿トウジいたの?」

「いるわい!それに馬鹿ちゃう言うとるやろ」

「じゃ、アホトウジでいいわね。アンタ、中学生になれたんだ」

「あ、アホ!みななれるわい!それよりお前が何でそんな格好しとんや!」

「うっさいわね。見ての通り、私もここの生徒じゃない」

「えっ!」

 制服を見て察しはしていたけど、こうはっきり言われるとやっぱり驚いてしまう。

「宝塚第弐中学1年1組出席番号…はまだわかんないけど、とにかく私はここの生徒よ。アンタたちと同じ、ね」

「ほ、ほな、これから」

「はん!よかったわね、私みたいな美少女の友達と学校生活を送れて」

「あ、アホ!」

「で、アホトウジ。ヒカリは?」

「い、いいんちょやったら…」

「アスカ…!」

 少し離れたところに洞木さんが立っていた。
 いつの間にか僕たちの周りには直径5mくらいの空間ができていたんだ。
 その中にいるのは僕たち4人だけ。
 そして、洞木さんは囲みの最前列に出てきていた。

「ヒカリっ!」

 アスカが両手を広げた。
 その前にさっと荷物を僕に押し付けて。
 洞木さんが小走りでアスカの胸に飛び込んでいく。
 ぎゅっと抱き合う二人。

「久しぶりっ!」

「会いたかったわ、アスカ」

「私も!」

 いいなぁ…。
 僕もアスカとアレをしたい。
 その時、マイク放送が流れた。「間もなく入学式を執り行います。各クラスごとに整列してください」
 その放送でアスカと洞木さんは離れる。

「あとでね。私…」

 アスカが洞木さんの耳元で何か囁いた。

「えっ!」

 洞木さんが目を丸くして僕を見る。
 僕、を…?
 どうして?

「さ、行くわよ!シンジ!」

 アスカが僕の手から自分の荷物をひったくった。
 そしてもう一本の手は僕の空いた手を掴んだんだ。

「ちょっと!見世物じゃないわよ!どきなさいよっ!」

 アスカに引っ張られて僕は進んだ。
 彼女はぎゅっと僕の手を握り締めていた。 
 そして、僕も彼女に負けないくらいの力で握り返したんだ。
 すると彼女も握り返す。
 夢みたいだけど、夢じゃない。
 アスカがやってきた。
 これから毎日学校で会えるんだ。
 僕はバラ色の学校生活を思って、頭がぼぅっとしてきたんだ。
 
 
 
 
 バラ色なのは学校生活だけじゃないことに、その時の舞い上がってしまっていた僕が気付くはずもなかった。

 


 
 

「幸せは球音とともに」

1973編 上 

おわり 
 
 

 


 
<あとがき>
 おいおい!近鉄の近の字も出てないぞ!LASのみじゃ!
 この展開で無理矢理野球ネタは放り込めませんからね。
 どっちにしてもこの年は近鉄最下位だし。
 でもこの話を読みきりで考えていた私はアホだ。次回に続きます。どうせみんな予測していたと思うけど(苦笑)。

 さて、恒例の注釈コーナーです。

国際電話………今とは違います。国際電話なんて会社の偉い人とか政治家とかマスコミとかの人しか出来ないものだとみんな思っていました。だっていかにも費用が高そうだし。実際高かったけど。どのくらい?っと訊かれても、費用を調べる気すらおこらなかった時代です。海外になんか縁がありませんからね、普通の人は。何かあるならば、エアメールでした。きっとゲンドウパパは会社で国際電話の掛け方を教えてもらい、そのメモを暗誦していたのでしょう。

カップヌードル………この頃になるとようやく普通の家庭の食卓にも登場してきました。最初の頃は若者しか食べませんでしたから。大人は気味悪がったんですよ。でも、カップヌードルの自動販売機は面白かったですよ。小学校の近くにあったんですけどね。お湯を注ぐのにカップヌードルを置くと上から注湯口が降りてきて、おき場所が悪いとぐさっとふたに刺さるんです。当然ふたには2cmくらいの穴が開いてしまいますよね。それを指でふさごうとしたアホな奴もいましたっけ。それに、お湯を入れてよし食べようとしたら、自販機にフォークが一本も残ってなかったとか。それが多発したので、フォークは自販機を置いているお店に取りに来るようにって張り紙があったりして。でも、あそこの角のお店のおばあちゃん奥に引っ込んでいて叫んでも出てきてくれないんですよ。結構笑い話は多かったですね。

太陽にほえろ!………国民的刑事ドラマでした。1972年7月21日に放送が始まり、以後金曜日午後8時日本テレビ系の時間枠を14年4ヶ月に渡って守り続けていました。ええっと…ってこの番組を語りだすと止まりませんのでここでやめておきます。何も資料を見なくてもバンバン書ける項目ですから。

石原裕次郎………一時代を築いた映画スター。死去17年以上になるのに未だにCM等に登場しています。吉本新喜劇でも裕次郎ネタが最近になって出てきたりと、それだけの影響力を持った俳優でした。因みにこの「太陽にほえろ!」については映画産業の斜陽化という背景もありましたが、連続テレビに裕次郎が出演すると大反響になりました。「ウルトラQ」で毎週怪獣がテレビで見られると子供たちが狂喜したように、毎週ブラウン管で裕次郎が見られるということになったのです。映画スター裕次郎を知るアスカには物凄い驚きだったでしょうね。

ショーケン………萩原健一です。グループサウンズのテンプターズに在籍して、ジュリー(下記)と人気を二分していました。彼が刑事役、しかも当時としては絶対に考えられない長髪の刑事。その登場によって刑事ドラマの方向性が大きく変わったといっても過言ではないでしょう。

ジュリーが犯人………「太陽にほえろ!」第20話・『そして愛は終った』(市川森一脚本)でジュリーこと沢田研二が犯人を演じました。タイガーズ(グループサウンズのですよ!)のボーカルとして女の子の絶対的アイドルだったジュリーが犯人役をしたことはこれもまた物凄い反響を受けました。しかも、犯人の動機が近親相姦(!!!!)、その上その動機を隠すためにわざとマカロニ刑事(ショーケン)に射殺されるというとんでもない幕切れ。射ち殺してしまってから、子供のように泣き叫び犯人の死体を揺さぶり「起きてください!お願いします!」と錯乱するマカロニ。これはもうびっくりしてしまいましたね。ただし、この近親相姦といったセックスネタは以後封印されます。レイプに関してもできるだけ子供にはわからないような言葉を選んだりと。そういった番組作りから所謂大人の作家たちが去っていったわけですが、これは英断だったと思います。(ほらね、書き出したら止まらない:笑)

ベトナム戦争………1972年にアメリカはベトナムから撤収。その3年後にサイゴンが陥落し、ベトナム戦争は終結しました。この戦争はこの時代を生きた子供には結構影響を与えていると思います。フォークの流行や学生運動もベトナム戦争に結びついていたからです。ウルトラシリーズにもその影響が見られますし、とにかく戦争はいけないんだ!という思いが満ちていた時代でした。従ってこの時代を生きる、この作品でのケンスケにはあの趣味は持たせていません。せいぜい戦車等のプラモデル作りにとどめておきます。因みにどれくらいの温度差があるかですが、『サイボーグ009』の作品内容でわかるでしょう。平成009は確かに原作に沿って製作されていましたが、原作ともモノクロ版とも比べてどこか物足りなかったのです。それが、平和を祈る心、だったんですね。一所懸命にそれを演出していましたが、あのベトナム戦争編(原作)や「太平洋の亡霊」(モノクロ版)にはまったく及びません。いい例が「オーロラ作戦」でした。あれはモノクロ版を見比べると大きく違いますね。どこが…っていうのは長くなるから止めます。ただし、平成009は好きですよ。あの最終回にはぼろぼろ来ましたから。

ウサギ小屋………実際にはこの数年後(多分昭和54年ごろ)に欧米の記者に言われた言葉です。日本人はウサギ小屋に住む働き蜂。ま、当たってますね。

アスカの金髪………目立ったでしょうね。当時は少し栗色がかっている子がいた程度で、今のような髪の毛の色は氾濫してませんでしたから。特に中学生であればなおさらです。きっと入学時に染めてくれないかと言われていたかも知れません。当然、本人と後見者の誰かさん(お分かりですね)が激怒してそのままとなったわけですが。

 

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