この作品は…超ローカルネタで書かれてます。
近鉄の球団名売却騒動にショックを受けて書きましたが、続きをご所望してくださる方もいらっしゃいましたので、調子に乗って書いてしまいました。
 
 

全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
 
 
そして、執筆を応援していただいている皆様にも。


 

 

 

幸せは球音とともに

ー 1973編 

〜 下 〜


 

2004.5.5        ジュン

 
 
 

 

 
 

 この年、近鉄の成績は最低だった。
 2シーズン制度という前後期の覇者でプレーオフを争う形式になったために、ペナントレース前は投手力の強い近鉄が有利だと噂されていたんだ。
 何しろパリーグで唯一優勝経験のないチームだったから、僕だって今年こそはって応援に張り切っていた。
 何しろ、アスカが来日してくれたんだもんね。
 この勢いで初優勝を!
 その僕とアスカの願いはまったくかなえられなかった。

 前期、後期、ともに最下位。

 あの大エース鈴木啓示が30試合しか登板できずに11勝に終わったんだから!
 スポーツ新聞にも速球の限界説が出ていた。
 そんな中、僕はアスカとの中学校生活、そして家での生活を謳歌していた。

「アスカ、何cmだった?」

「155」

「やった!また1cm伸びたんだ」

「もう、1cmくらいで喜ばないでよ。155じゃ、ジーパンにはなれないわよ」

「無理だよ、あんなに大きくなれるわけないだろ」

「じゃ、アンタは長さんくらいが狙いなわけぇ?」

「そ、そんなことないよ。で、殿下、くらいを…」

「へぇ、そうなんだ。アンタ、あんなモテモテ刑事になりたいんだ。このスケベ!」

 僕の父さんはかなり大きい。
 たぶん、ジーパン刑事と並んでも変わらないくらいだと思う。
 それなのに、その実の息子は世間並みの身長しかない。
 彼女であるアスカが162cmなのだから、少なくとも早く追いつきたいとかねがね思っているんだ。
 アスカはいえば、僕の目の前であっさりと言ってのけた。

「あ、私はもう成長が止まるわよ。特に身長はね。女の子って生理がはじめるとそうなっちゃうの」

「ぼ、ぼ、ぼ、僕にそんなこと言うなよ」

「何よ、じゃ僕じゃない誰かに言っていいわけぇ?私、惣流・アスカ・ラングレーは生理が始まってますから…」

「だ、ダメだよ。そんなこと言っちゃダメだ」

 彼女が言う筈がないと思っていても、僕は簡単に彼女の挑発に乗ってしまう。
 一階の居間の柱が僕たちの身長計だ。
 そこで僕の身長を測って、恒例の言い争いに入る。
 その二人を尻目に母さんは悠然とコーヒーを啜っている。
 実に平和な碇家の夕方の風景だ。
 僕とアスカは帰宅部だった。
 アスカは野球ならともかくソフトボールでは満足できないみたいだし、その上運動系のクラブの場合は大会出場のときにアスカの国籍が問題になるそうだ。
 プロ野球じゃあるまいし、助っ人の出場は認めないと。
 ルールに縛られたスポーツの世界はアスカを受け入れてくれないというわけだ。
 試合に出られないのなら毎日汗を流す意味がない。
 そのあたりはアスカは実にドライだった。
 練習することに意味を見出そうとする日本人とはやはり精神構造が異なっている。
 まあ、日本人の僕だってそうだけどね。
 別に運動神経が素晴らしいわけではないし、吹奏楽部ではチェロはお呼びじゃないとのことで。
 全員が部活動を強制されるわけじゃないので、何となく僕とアスカは帰宅部となったわけだ。
 もっともそれをいいことに委員会活動ではよく仕事を押し付けられる。
 他の委員は部活動があるわけだし、アスカと二人でするんだから特に異論はない。
 アスカだって楽しげに毎日を過ごしている。
 夏休みもアスカは帰省しなかった。
 ご両親は心配じゃないのかと思っていたら、お盆にアメリカからハリケーンが急襲した。
 たった5日の滞在だったけど、ラングレーさんは父さんとゴルフに行ったり、ぶっ倒れるまで飲み明かしたりの毎日。
 キョウコさんはよくもまぁあんなに喋れるものだと感心するくらい、母さんと喋り倒していた。
 結局、二人ともアスカと出歩くことは一度もなかったんだ。
 ただ、大阪空港での別れの日にしっかりとアスカを抱きしめていた二人の姿は、子供を心配する親の心が誰の目にも明らかだったけどね。
 さて、そんな平和な金曜日の夕方のことだ。

 1973年(昭和48年)11月16日、金曜日。

 午後6時を過ぎると、母さんは晩御飯の用意に入る。
 僕とアスカは今晩のテレビのチェックだ。
 何しろビデオのない…いや、あるにはあったが一般庶民には存在すら知られていない時代なんだ。
 何を見るかは最重要事項に属する。
 ただ、この時代。
 幸か不幸か、僕たちはナイターの存在に振り回されることはなかったんだ。
 何故なら、うちは近鉄ファンの一家だから。
 正確に言うと、僕とアスカが近鉄ファンで、母さんは子供たちの影響で近鉄ファンを称している。
 ただし、阪急が優勝すると目の色を変えて阪急百貨店に突進する暫定的近鉄ファンだけどね。
 そして、あの父さん。この人は本心はどう思っているのか見当もつかない。
 でも、父さんはオフィシャルで近鉄ファンと名乗っている。
 まずはあの天邪鬼の性格の所為。会社で近鉄ファンがいないので、変わり者と噂されるのが楽しいらしい。本当によくわからない人だ。
 次にラングレーさんとの友情の証らしい。ただし元メジャーリーガーでかつプロ野球選手だった『外国人』と親友だということを自慢したいらしい。
 我が父親ながら、かなり捻じ曲がった…いや、その割には素直な性格をしているのかもしれない。
 そんな4人が近鉄ファンなのだけど、正直に言うとこの頃は熱狂的なファンではなかったんだ。
 球場に応援は行くし、野次だって飛ばす。
 でも、生活の一部にまでは至ってはいなかった。
 だから、近鉄の試合結果は翌日の新聞で知ることがほとんどだった。
 テレビ?とんでもない。土曜日の夕方4時からの関西テレビのパリーグアワーと年に数回のNHKの放送くらいしか見ることはできなかった。
 ラジオだってそうだ。NHKくらいしか…しかもたまにしか放送はなかったんだ。
 途中経過を知ろうにもパリーグは滅多にしてくれなかった。
 セリーグの得点経過だけ喋って、パリーグは字幕だけ。
 それでもましな方だ。酷いのになると、字幕すら写さないときもあったんだ。
 今の様なCSで全試合をフォローできるような環境とは本当に大違いだった。
 したがって、僕たちはナイターとは無縁にテレビ番組のチェックをしている。
 まず、6時30分からの『新八犬伝』。これは見逃すと次回に差し支える。
 7時からはNHKニュースだ。
 あんなに好きだったウルトラシリーズは去年の『ウルトラマンエース』の途中から、続けて見るのを止めてしまったんだ。
 南夕子が月のお姫様だったなんて突拍子もない話を突然伏線もなく見せられて、はいそうですかと納得や感動ができるわけがない。
 あの話で急に馬鹿らしくなってしまってそれからはほとんど見てなかったんだ。
 で、アスカがやって来て、彼女も楽しみにしていたから…。
 なんたって彼女は『帰ってきたウルトラマン』を途中までしか見ていなかったのだから。
 離日前に見た最後が『ふるさと地球を去る』。ちょうど半年が過ぎたあたりだったんだ。
 それを最後にアメリカに帰ったんだから、僕からの手紙で坂田兄妹が宇宙人に殺されたって知ると激怒してたもんね。
 その上、ウルトラマンとセブンが助けに来たなんて書くと、「観たい!」って何度も返事に書いてた。
 そんなに楽しみにしていた彼女だったけど、来日早々に見たのが『ウルトラマンタロウ』の第1話。
 主役はカッコいいけど、もういいわ…だってさ。
 まあ、僕もその意見には賛成だった。
 その割には現在の我が家には『タロウ』も全話ビデオで揃ってるんだけどね。
 とりあえず、息子が好きだからってことにしておいてもらえると嬉しい。
 さて、そのあとは『野生の王国』を観て、それからが問題なんだ。
 NHKの『天下堂々』の存在なんだ。
 実は今年始まった大河ドラマの影響で僕は時代劇が少し好きになり始めてる。
 アスカは元々チャンバラは好きな方だ。
 でも、金曜日の夜8時は『太陽にほえろ!』が放送されている。
 これは第1話から欠かさず観ているし、来日したアスカも必死になって見ている。
 マカロニが殉職したときはアスカの目に涙を確認した。
 翌週から登場するあんなうすらでかいヤツなんて!(そうだ!)松田優作なんて聞いたこともないわよ!(そうだ!)ショーケンの後はジュリーにしたらいいのに!(そうだ!)
 なんて騒いでいた僕たちもあっさり新人刑事ジーパンに夢中になってしまったんだ。

 わわっ!岩本博士が七曲署の署長になっちゃったわっ! ☆ しかも悪役だ…。
 わわっ!ウルトラマンが悪役じゃないっ。 ☆ しかもすぐ殺されちゃった…。
 わわっ!マカロニを殺したのはレインボーマンじゃないか! ☆ 正義の味方なのに何てことすんのよっ!
 わわっ!あれ、木次じゃないか! ☆ 木次って誰よ。あれは西村じゃないっ。 ☆
 それは『おれは男だ!』だろ。木次は太陽学園のサッカー部で県立東から転校して… ☆
 何よそんなの私知らないわよっ ☆ アスカがアメリカにいた間なんだよ。『飛び出せ!青春』ってすっごくいいドラマがあってさ… ☆
 げっ!そんなのずるいわよっ!アンタだけ観るなんてずるいずるいずるいっ! ☆ し、仕方がないじゃないか。そ、そのうち再放送されるよ。 ☆
 くぅぅぅぅ、早く再放送しなさいよ。あああぁん、アメリカなんか帰るんじゃなかったっ!

 何て具合に毎回楽しんでみていたものだから、『天下堂々』に興味があってもどうしようもない。
 あれに出演しているのが、石橋正次に篠田三郎、それに村野武範なんだから観たくなるのは当然なんだよ。
 もし、今の僕が当時の彼らに助言できるのなら『太陽にほえろ!』は再放送とかビデオで見ることができるから『天下堂々』にすれば?ってアドバイスできるんだけどね。
 あの当時は何か一つだけを選択しないといけない時代だったんだから仕方がない。
 ということで8時からは『太陽にほえろ!』なのだ。

「あれ?アスカ、不機嫌な顔になってるよ」

「うっさいわね。何でもないわよ」

「あ、わかった。殿下に恋人ができるからだろ。今日の話からだよね」

「そんなの関係ないわよ。はん!」

 言葉の上ではそうなんだけど、態度は明らかに肯定している。

「でもさ、アスカが殿下を好きだなんて意外だなぁ」

「どうしてよ…」

 新聞の番組欄から上目遣いで僕を睨みつける。

「アスカだったら、ジーパンとかゴリさんみたいにカッコいい方が好みじゃないの?」

「殿下は優しいから好きなの。ふん!」

「へぇ、そうなんだ」

「カッコいいのが好みだったら、日本になんか来ませんよ〜だ!」

 思い切り舌をべぇ〜っと出す。
 ただし、アスカが殿下を好きだったのはこの時期くらいまで。
 やはり彼に恋人役ができたのが気に食わなかったのだろう。
 もっともその思いは彼女だけではなかったようで、彼はすぐにその恋人と死別する羽目になってしまう。
 恐ろしきは女性ファンの声。
 そこに母さんの声が飛んできた。

アスカ、お皿手伝って」

「は〜い!」

 母さんはアスカのことをすぐに呼び捨てにしはじめた。
 しかもその理由を僕たちにきちんと説明するんだから堪らない。
 あと何年かしたら嫁と姑の関係になるんだから、今から親子っぽくしておいてもいいんじゃないかと。
 そんな結婚話を持ち出してくる母さんだけど、本音も知っている。
 「女の子も欲しかったのよねぇ」だそうだ。

 さて、問題の時間が刻一刻と迫っている。
 僕たちはそれを全然知らなかった。
 普通の近鉄ファンから熱狂的な近鉄ファンに脱皮する分岐点を。
 しかも僕たちはその時が来ても全然気付かなかったんだ。
 あとになって、ああ、あれがその時だったんだなってわかったくらいで。

 その当時、碇家の晩御飯の時間は特に決まってはいなかった。
 『新八犬伝』がはじまってからはテレビに集中してしまうので、7時からのニュースの時間に御飯を食べることが多くなってきたのも事実だ。

「シンジ、ソース取って」

「はい」

「アスカ、かけ過ぎよ。コロッケがふにゃふにゃになっちゃうわ」

「だってぇ…。今日のはいつものお肉屋さんのじゃないでしょ。スーパーのは衣がカリッとしてないから」

「はいはい。ドバッと入っちゃったんでしょ。言い訳しないの。ほら、シンジのと交換しない」

「シンジ、お願い。交換!」

「やだよ。真っ黒になっちゃってるじゃないか。自分で食べなよ」

「いじわる!浮気してやる!」

『では、次のニュース。プロ野球パリーグの近鉄バファローズが…』

 いつも騒がしい食卓のごく短いインターバルにそのニュースの音声が飛び込んできた。
 “近鉄”というアナウンサーの言葉に僕たちは素直に反応した。
 だって、親会社の近鉄の場合は“近畿日本鉄道”って呼ばれるのが普通だから。
 今回はプロ野球の近鉄ってはっきりと言ったんだ。
 みんな、喋ろうとしていた言葉を飲み込んで画面に見入った。

『新監督を決定し記者会見を実施しました。新監督は…』

「わぁっ!」「嘘っ!」

 画面に映ったのは、背広を着ていたけれどもよく知っている顔だった。
 実はアスカのパパに紹介されてサインを貰ったこともある。
 でも、敵のチームだったからそんなに嬉しくなかったんだ。その時は。
 白髪頭のおじいさんが真剣な顔で記者会見を受けている。
 映像はそのおじいさんが胴上げされている場面に切り替わった。
 そのユニフォームはトウジたちが贔屓の阪急ブレーブスのものだった。

『西本氏は大毎オリオンズで1度、阪急ブレーブスで5度リーグ制覇の経験があり、パリーグで唯一優勝経験のない近鉄でその采配を振るうことになりました』

 これには驚いた。
 本当に驚いた。
 阪急ブレーブスの西本監督が来年から近鉄バファローズの監督になる!

 この時の僕たちは、西本監督の就任が近鉄バファローズにとって、そして近鉄ファンにとってどのような影響を与えるのかまったくわかっていなかったんだ。

 

「そうよねぇ。もし西本さんが監督になってなかったら、近鉄っていう球団が今は存在してなかったかもね」

「たぶんね」

 僕は指を止めてアスカが淹れてくれたコーヒーカップに手を伸ばした。

「日拓とかクラウンライターみたいに、わけのわかんない名前になって、本拠地も大阪じゃなくなっちゃってるわよね」

「あの時はそんなこと考えもしなかったけどね」

「そうそう。どうして敵の監督が来んのよ!って感じでね」

 アスカの言うとおりだ。
 その年まで敵のチームを率いてきた監督が同じリーグの別のチームの監督になる。
 これは球界の常識から逸脱している。
 ただ近鉄と阪急の親会社が同じ関西の私鉄だということが、この非常識を現実のものにしたんだ。
 昔からの近鉄ファンは、この1973年11月16日を境にして近鉄の歴史を分けている。
 西本以後と、それまでと。
 どう違うのかというと、チームを強くしたいという情熱が監督以下選手に徹底されたということだろう。
 いや、それはチームだけじゃない。
 僕たちファンにもそういう意識を植え付けた。

 やればできるんや!

 有名選手を集めなくても強いチームはできる。
 それを西本さんは証明してくれた。 
 但し、日本シリーズでは一度も勝てなかったけど。
 それに余りある勇気を僕たちに与えてくれた。

 さて、1973年。
 そんな分岐点を通過したのだとは少しも知らずに、僕たちは普段と変わらない生活を続けていた。
 『太陽にほえろ!』を観て、帰ってきた父さんに西本監督のことを教えて、お風呂に入り(当然一人ずつに決まってる!)、
 宿題を片付け、アスカの地獄の特訓を受け…あ、英語の家庭教師のことだよ、これは。
 でも結局、彼女の特訓のおかげで僕はこの仕事に就けてるわけだ。
 ああ、もちろん、僕の可愛い教え子たちにあんなスパルタ式の授業をするわけは…。

 ばこばこっ!

「痛いっ!」

「可愛い教え子ねぇ。よかったわねぇ、可愛くて、若ぁ〜い、生徒さんがいっぱいいてさ。このロリコン教師がっ!」

 ばこばこばこばこばこっ!
 パームレストで殴りつけるのは勘弁して欲しい。
 柔らかくて気持ちのいい素材だけど…実はアスカの太股の感触にそっくりで愛用しているんだけど…当たりどころによれば結構痛い。
 まあ、アスカの太股で蹴られているようなものだ。
 そう思っても嬉しくはない。
 痛いものは痛いのだ。

 その地獄の特訓を潜り抜けると、あとは深夜放送を聞きながらお喋りの時間。
 あなたたち、よくもまぁ毎日毎日そんなに喋ることがあるわねって母さんがよく言ってるけど…。
 はっきり言って、あの五月雨トークの母さんに言われたくない。
 僕たちはきちんと会話してるんだから。

「来年の近鉄は勝つかなぁ?」

「どうだろ?ま、西本監督って凄いみたいだから強くなるんじゃないの?」

「優勝するようなチームになるかな?」

「わかんないわ。それに私あんなおじいさんに興味ないしさ。あ〜あ、眠たくなってきた…」

「じゃ、寝ようか」

「うん」

 時間は日付変更線を越えて午前0時20分。
 僕たちは寝る準備を始めた。
 まずは母さんたちの部屋に行って、襖を回収してこないといけない。
 つまりアスカの部屋は寝るときじゃないと襖が閉められないんだ。
 ということは、僕たちの会話もしていることも廊下に筒抜け。
 思春期のカップルを密室に置いておくことはさすがにできないのだ。
 碇家にとって、アスカは大切な預かりものなのだから。
 僕にとっても、アスカは大切な預かりものだ。
 もちろん、アメリカのご両親からもだけど。
 神様が僕に彼女を預けてくれたのだから。
 きっと、その神様はバットを肩に担いで、ガムをくちゃくちゃ噛んでいるに違いない。
 野球の神様が僕たちをめぐり逢わせてくれたんだ。

 

 

 翌日の新聞には大きく西本監督就任の記事が出ていた。
 その記事を奪い合うようにして読み、僕たちは登校していった。
 今日は半ドンだから、お昼を食べたらアスカと映画を見に行くんだ。
 神戸の二番館で『時よとまれ君は美しい』を観る。
 ロードショーは行きそびれたんだ。
 ミュンヘンオリンピックの映画だけど、オリンピックがあった1972年は僕たちは離れ離れだったから。
 別々の場所でテレビのオリンピックを見ていた二人が、並んでそのドキュメンタリー映画を観る。
 これって何だか凄いことのように感じるんだ。
 まあ、他に見たい映画がその時なかったというのもあるけどね。

 お客さんは土曜日の割にあまり入ってなかった。
 たぶん、日本選手が中心になっているわけじゃないからだと思う。
 だから僕たちは好きな場所を選んで座ることができたんだ。
 真ん中のやや後ろ側。
 アスカとは月に2回は映画を見に行ってるけど、毎回思うことがあるんだ。
 それは早く英語で映画を見ることができるようになりたいってこと。
 つまり字幕なしで映画を観たいってことなんだ。
 なぜなら、こうやって並んで同じ映画を観ているのに、アスカと笑う場所が違うんだ。
 僕は字幕を読んでから笑うから。
 タイミングが全然違ってくるんだ。
 これは悔しいし、何より歯がゆい。
 僕とアスカは彼氏彼女なのに、こんな断絶を作りたくない。
 アスカと付き合いだしてからよくわかったんだけど、僕の独占欲はかなり強いみたいだ。
 彼女のすべてを僕のものにしたい。
 あ、当然アスカのご両親は別格だけどね。
 ともあれ、アスカと完全にシンクロするために、僕は英語を猛勉強しなくてはいけないわけ。
 しかも、机上の英語じゃなく、生きている英語を。
 その成果が現在の仕事となっているということだ。
 でも、この間の研修で20代の若い先生から「碇先生って訛ってるって思ってたらケンタッキーのご出身なんですか?」だってさ。
 喜んでいいのかどうなのか。少なくとも僕はこの訛りを直す気はない。
 アスカがくれた言葉だから、ね。

 映画が終わって映画館が明るくなると、アスカがニヤリと笑って僕を見た。

「アンタ、美しき群像、でしょ」

「ち、違うよ。も、最も高く、かなぁ」

 図星を突かれ慌てて別のエピソードを挙げる僕。
 『美しき群像』は女性選手を追ったエピソードで、『最も高く』は棒高跳びの対決を描いたものだ。

「ふ〜ん、そっか。ま、確かにあの戦いは凄かったよね」

「うんうん」

 ほっ、巧く誤魔化せたかな?

「あ、またレコード買うの?」

「リュドミラのテーマ?あの曲よかったよね。あの曲が流れたときの体操の選手も可愛かったなぁ。選手宣誓の人も綺麗だったし…」

 僕は馬鹿だ。
 いつもいつもいつもいつも、アスカの誘導尋問に引っかかってしまう。
 手の甲を抓られた挙句に、ロビーでコーラを奢る羽目になった。
 そして立ち上がったとき、後の席に放置されていた新聞が眼に入った。
 『驚愕!近鉄新監督は西本氏』と大きく見出しが躍っているスポーツ新聞だ。
 西本さんの顔も大きな写真で出ている。
 正直言って、僕が生まれて初めて見た近鉄が一面に載っている新聞だった。
 もちろん、これまでも鈴木のノーヒットノーランとかで一面はあったのだろうけど、僕の目にはとまってなかったんだ。
 だから、もうびっくりしてしまった。
 近鉄でも一面になることがあるんだって。

「こ、これ…」

「あ、珍しいわね。近鉄が一面なんてさ」

「これって、捨ててるんだよね。持って帰っていいのかな?」

「いいんじゃないの?このまま置いといても掃除のおばさんに袋に入れられるだけよ」

「じゃ…」

 何だか悪いことをしているような気分。
 僕はスポーツバッグの中にさっとスポーツ新聞を放り込んだ。
 これがスポーツ新聞を読むようになった最初だった。
 この日から近鉄に何かあると、朝一番に自転車を走らせて宝塚南口駅まで疾走する習慣ができたんだ。
 それでも近鉄は中々一面にならなかった。
 いずれ語る時が来るはずだけど、あの“10・19”でさえ“阪急身売り”に一面を奪われてしまったっけ。
 ましてやこの当時の近鉄の一面にはとにかく希少価値があった。
 その希少価値を求めて僕は走った。
 駅の売店のおばさんに顔を覚えられて、“近鉄のボク”とまで呼ばれることになる。
 ただ顔を覚えられたおかげで、随分得をしたのも事実だ。
 記事の内容をこっそり教えてもらえるようになったんだ。
 一面じゃなくても四面にこれくらいの記事があるとか、写真が載ってるとかね。
 う〜ん、ここからは生徒諸君は読まないで欲しいんだけど、
 アスカは僕がスポーツ新聞を読むことをあまり好きじゃないみたいだったんだ。
 いつもいい顔をしてなくて、どちらかというとぶすっとした顔で僕がスポーツ新聞を読むところを観ていたわけ。
 で、ある日。とうとう彼女が言ったんだ。

「この、スケベ!エッチ!変態!」

 僕も中学1年の男だ。
 スポーツ新聞にはそっち方面の記事や写真や小説が載っている。
 もちろん、それをこっそり読んでいたんだ。
 アスカや母さんに見つからないように。
 だけど、アスカはしっかりチェックしていたんだ。
 ある日、現場を完璧に押さえられてしまった。
 もちろん、その記事で何をしていたわけじゃないんだけどね。
 アスカがお風呂に行っている間にって、隠し持っていた新聞を出して畳に置いて読み出した。
 で、一生懸命に小説を読んでいると新聞の真上にどかっと足が。
 色白の綺麗なおみ足が新聞を憎憎しげに踏んづけている。
 恐る恐る顔を上げると、お風呂に行く前と同じ姿のアスカさん。
 階段を下りたと見せかけて隠れてたんだ。
 踏みつけられた新聞は無残にもびりびりに破れていく。

「シンジってとんでもないエッチだったのねっ!もう信じらんないっ!アンタとは離婚よっ!」

 法定結婚可能年齢まであと5年はかかるはずの僕は、早くも離婚騒動の渦中に投げ込まれた。
 涙をボロボロ流しながらアスカはすぐさま鬼検事の母さんに僕を告訴。
 男同士で弁護してくれるはずの父さんは見て見ぬ振り。
 僕は数時間アスカにいたぶられた挙句、入手したスポーツ新聞のそんなページはすぐさま廃棄することが議決された。
 中学1年生からずっと生涯の伴侶と同居してるっていうのも、ある意味自由を束縛される結果になっているんだ。
 とはいうものの、そういった自由とアスカを天秤にかけるなら…。
 計測不能で天秤が壊れちゃうよね、うん。
 いや、アスカの体重が重いってわけじゃないよ。
 彼女の価値が重過ぎるんだ。
 ……。
 危なかった。キー入力がもう少し遅ければ、また“ばこんっ”をされていたところだ。
 音もなく、パームレストが僕の手元に戻された。

 こんな歴史的大事件をリアルタイムで(テレビのニュースだけどね)経験したことも知らず、僕たちは毎日を楽しんでいた。
 僕はアスカと出逢えたことを感謝している。
 ただ、もしあの日西宮球場に行かなかったら…。
 もし、トウジたちが僕を離さずずっと一塁側の観客席で応援していたら…。
 もし、ふらっと2階席へ上っていかなかったら…。
 正直ぞっとする。
 運命の神様が別の場所で出逢わせてくれたのかもしれないけど、その場合僕たちがこういう関係になっていたかどうか誰も保障できないと思う。
 それは僕たちだけじゃない。
 その時以降活躍した近鉄の選手たち、いやそれ以前に大選手だった鈴木でさえ西本監督と出会わなければ316勝もできなかったはずだ。
 今の梨田監督も近鉄の監督にはなっていなかったかもしれない。
 野茂や吉井やノリだって近鉄に入団していなかったかもしれない。
 人と人との出逢い。
 そして出逢うために設けられた環境。
 運命という一言では片付けられないような気がする。

 ともあれ、こうして近鉄ファンにとっては大きな分岐点となった1973年が過ぎようとしている。

 僕にとっては近鉄のファンとしてだけではなく大きな分岐点だったよね。
 アスカと同居を始めた年だったんだから。
 現在までずっと続いている、二人の生活が始まった年だったんだ。
 

 
 

「幸せは球音とともに」

1973編 下 

おわり 
 
 


 

<あとがき>
 今回はLAS的にはあまり進展はないですねぇ。ここを書かないと近鉄の話にはなりませんので、お見逃しくださいね。
 近鉄ファンとしては本当にこの年、西本監督が近鉄に招聘されたことが大きな分岐点になったのは事実でした。
 経営難からあの西鉄と東映が身売りした年です。もし彼が近鉄の監督になっていなかったら近鉄の第一期黄金時代は来ることがなく、さすがに球団を手放していた可能性が窮めて高くなっていたはずです。それほどの影響を西本さんは与えたわけです。スポーツコラムを書いているのではありませんので詳しくは書けませんが、私と同じことを考えている近鉄ファンは多いはずです。先日購入した『魅惑の球団近鉄バファローズ』の著者の方も同意見でした。奥付を見ると、あ、同い年だ…(笑)。
 次回は1974年。ジーパン殉職の年です(爆)。え?『幸せは七曲署とともに』に題名が変わってないかって?(笑)。

 さて、恒例の注釈コーナーです。

2シーズン制度………前後期各65試合に分けてそのそれぞれの覇者がプレーオフを戦い、優勝を決定する方式です。1973年に始まり1982年まで10年間続きました。確かにプレーオフは面白かったのですが、どうしても通算成績で一位のチームが負けると不満が残るんですよね。そういう意味では2004年から始まる3位までのプレーオフ制度も危険をはらんでます。面白くなればいいんですけどね。因みにこの前後期制は消化試合が思い切りつまらなくなるという点がありました。特に前期の消化試合を後期終了後にするなんて…実に馬鹿げてましたね。まあ個人成績に関わってくるから仕方がないんですが。

ジーパン………七曲署捜査第一係の刑事・柴田純のニックネーム。演ずるは故・松田優作。彼が初めて出てきたときにはもうびっくり。こんな刑事がいるもんか!って。ジーパンを履いてるんですからね。でもそんな違和感は彼が画面狭しと暴れる姿で忘れてしまいました。『太陽にほえろ!』があそこまでの長寿番組(14年余)になったのは、新人俳優が新人刑事を演じるという図式をジーパン=松田優作が見事に完成したからに他ありません。因みに彼のテーマBGMは現在、西武の小関選手のテーマとして西武球場で流れています。くそぉ、西武の選手のテーマって好きなんだよなぁ。マニアックでさ。伊東監督の現役時代は“赤影”だったし。

長さん………七曲署捜査第一係の刑事・野崎太郎のニックネーム。いかりやさんじゃありません(笑)。部長刑事だから長さんなのです。演じたのは先ごろ物故された下川辰平。ただカッコいいだけの刑事ドラマでなくなっていったのは彼の功績でした。なんだ、今日は長さんが主役かよって思っていてもつい引き込まれて見てしまうんですよね。因みに身長は…170cmくらい?

殿下………七曲署捜査第一係の刑事・島公之のニックネーム。演ずるは小野寺昭。はじめは色物担当って感じでお芝居も下手でした。1年経つ頃から…厳密に言うと第44話『闇に向って撃て』からいい方に変わってきましたね。母性本能をくすぐるような感じで。そういった意味ではシンジっぽいキャラなのかもしれませんね。それにつれてティーンエイジの女性ファンが急増していきました。

パリーグアワー………こんな名前だったかは覚えてません。まあ阪急グループが提供していたのは事実ですね。したがって中継は阪急が中心。しかも4時から5時30分という1時間30分完全限定の放送枠でした。これは近鉄でなくても見てましたね。だって途中経過はしっかりしてくれましたもの。たぶん、関西だけの放送だったんだと思います。

新八犬伝………NHKで放送された人形劇です。2年間放送されました。辻村ジュサブローのインパクトの強烈な人形を用い、子供たちの熱狂的な支持を集めました。主題歌は故・坂本九が唄い、エンディングテーマの『夕やけの空』は名曲でしたね。あの曲のサビを聴くとうるうるきちゃいます。

ウルトラシリーズ………ここでは金曜日夜7時放送の第2期を意味します。『帰ってきたウルトラマン』から『ウルトラマンレオ』までですね。

ウルトラマンエース………昭和47年4月から翌3月まで放送。初期設定から大きく変更されてしまった可哀相な作品。強大な敵は途中で滅んでしまうは。合体変身の片割れの南夕子は月に帰っちゃうは。ウルトラ兄弟はぼこぼこ出てくるはと。むしろ半年で終わった方が現在の評価が高かったかもしれませんね。

南夕子………北斗星司とウルトラタッチでウルトラマンエースに変身する女性。元看護婦さんです。演じたのは星光子。決して美人とはいいがたい(美川隊員の方が圧倒的に美人)のですが、いいなぁこの人って思わせる雰囲気はかなり持っていました。私的にはこの彼女の途中退場が気に入らず、学生時代に妄想最終回シナリオを書きましたっけ。どこ行ったかな?あの原稿は。

帰ってきたウルトラマン………昭和46年4月から翌3月まで放送。実は私の一番好きな特撮番組です。ただし、第3クールまで。特に初期の話が好きなんです。MAT(怪獣攻撃チーム)になじめない主人公と彼の恋人との話が、当時うわぁ…って感じで見てたんですよ。

ふるさと地球を去る………『帰ってきたウルトラマン』第25話。市川森一の脚本です。エンディングに少年が「また(事件が)起こらないかな…」と空に向けて銃を乱射する場面が印象的な作品でした。安易なヒロイズムに対する主張もきちんとしているところが70年代ですね。

坂田兄妹殺害事件………『同』第37話で彼らはナックル星人に殺害されてしまいました。あまりに無残でしたね。これで見るのを止めた人間を数人知っています。

マンとセブンの助っ人………『同』第38話でナックル星人に捕らえられ処刑寸前の新マン(ジャックじゃねぇ!)をこのお二人が助けに来てくれます。しかも変身前の姿も見せてくれるという、子供たちにとっては超ボーナスシーンでした。これで見るのを止めるのを止めたという人間もかなり知っています。

ウルトラマンタロウの第1話………昭和48年4月6日放送。あのド派手なZATの基地と戦闘機を見た瞬間に対象年齢がわかってしまいました。因みにこれは中学校の入学式の前に放送されていますから、アスカは隠れ住んでいた(!)ホテルで見たものと思われます。

野生の王国………ドキュメンタリー番組です。いつから金曜日の7時30分になったかは覚えてません。最初は木曜日だったような…。アスカとシンジは『レインボーマン』の放送終了からこの『野生の王国』に移ったものと思われます。

天下堂々………NHK金曜時代劇。幕末を舞台に架空の人物と実在の人物がシンクロして進む物語。傑作『天下御免』を狙って製作されましたが、前作には人気は及びませんでした。私はしょっちゅう見てましたけどね。何といっても岸田森が凄かった。町奉行で当時“妖怪”と異名をとっていた鳥居耀蔵を演じていたのですが…あの存在感の強烈なことと言ったら!彼の部下だったスッポンの市兵衛もよかったなぁ。

今年始まった大河ドラマ………第11作『国盗り物語』です。斎藤道三、織田信長、明智光秀を中心とした戦国群像劇でした。このエネルギッシュな作品には圧倒されましたね。最終回の明智光秀が死ぬ場面も感動しましたし。

マカロニ殉職………この当時主役を殉職させるということは普通ありませんでした。脇役は番組をドラマティックにするためによく殺されましたが。で、ショーケン(萩原健一)演じるマカロニ刑事殉職という、この7月13日に放送された話は物凄い反響がありましたね。しかも事件で死ぬのではなく、解決後に空き地で立小便をした直後通り魔に刺し殺されるという、とんでもない幕切れ。とにかく意表をつかれてしまいました。

岩本博士………『ウルトラマン』にセミレギュラーで出ていた博士です。演ずるは東宝の名優であった故・平田昭彦。東大出身のためか、エリート役・科学者役がよく似合う方でした。『太陽にほえろ!』では七曲署々長役として憎まれ役を10年演じ続けていました。

ウルトラマンが悪役………ウルトラマンことハヤタ隊員を演じた黒部進はその後悪役人生を歩んでいました。『太陽にほえろ!』第61話『さよならは白いハンカチで』で麻薬の運び屋で登場。あっさりと口封じの為に仲間に爆殺されてしまいました。因みに彼は名作の名も高い第167話『死ぬな、テキサス!』で登場。テキサスを殺害寸前、そしてボスの腕を撃ち抜き、ゴリさんのこめかみを撃った男として、最後にはそのゴリさんにぼこぼこに殴られました。

マカロニを殺したやつ………何とレインボーマン(水谷邦久)だったのです。こいつには驚きました。正義の味方が数千円の為に通り魔をするなんて!

レインボーマン………昭和47年10月から翌9月まで金曜日7時30分から放送されていました。青年ヤマトタケシがインドで修行しレインボーマンに変身することができるようになり、日本人の抹殺を狙う“死ね死ね団”を相手に戦うという特撮番組です。因みに上記『マカロニを殺したやつ』が放送されたのは10月12日。『レインボーマン』放送終了の2週間後でした(爆)。もひとつ因むと、“死ね死ね団”のボスは平田昭彦が演じてました。

木次………太陽学園のサッカー部のメンバーです。『飛び出せ!青春』(昭和47年2月〜翌2月放送)で第7話から登場。その独特の風貌と個性で人気を集めました。演じたのは沖正夫。現在の森川正太です。彼がゲスト出演したのは第68話『一万人の容疑者』なのですが、現在この話は欠番になっていて見ることができません。『太陽にほえろ!』には数話欠番があります。表現上の問題ということですが、惜しい!

西村………沖正夫が『おれは男だ!』で演じた青葉学園剣道部の2年生です。なよなよっとした感じで弄られキャラの一人でしたね。

飛び出せ!青春………青春ドラマの最高峰だと私は思っています。先生も生徒も脇役に至るまで個性たっぷりでみんな輝いていました。実はこの作品のノベライズを10年以上前にワープロ(笑)で書いていたこともあります。プロローグと第一話だけでしたが。震災で原稿紛失です。

石橋正次………人気の青春スターでした。『夜明けの停車場』で紅白歌合戦に出場も果たしました。反体制悪ガキですが、子供がそのまま大きくなったような感じでまったく憎めません。そう、ワンピースのルフィをリアルで演じるなら当時の彼など適任でしょうね。『飛び出せ!青春』の高木役はぴったりでした。

篠田三郎………ご存知ウルトラマンタロウです。しかし、彼はもともと映画スター(大映所属)で関根恵子たちと青春映画で主役をしていたのです。ですからお茶の間の知名度は過去のウルトラとは比較にならないくらいだったのです。歴代で考えても長野博にも勝つくらいかも。

村野武範………現・武憲。『飛び出せ!青春』の河野先生です。青春ドラマの先生で初めての長髪先生でした。『天下堂々』では剣豪・平手神酒をひょうひょうと演じていましたね。

殿下に恋人………第70話『さよならはいわないで』で保母さんの恋人が登場します。演じたのは有吉ひとみ。しかし哀れにも彼女は全国の殿下ファンの恨みを一身に受け、わずか登場3回でひき逃げされて死んでしまいます。その恨みのためか9年後に彼女はボギー刑事(世良正則)の姉役として復活するのです。おいおい…。

ゴリさん………七曲署捜査第一係の刑事・石塚誠のニックネーム。演ずるは日本テレビが育てた青春スター竜雷太。私にとってはゴリさん=太陽にほえろ!のイメージが強く、彼の殉職が一番残念でしたね。

大毎オリオンズ………現在の千葉ロッテマリーンズの前身です。経営母体は大映。当時のパリーグは大映、東映、東宝(阪急)と映画会社が揃ってました。あ、松竹がないや。

日拓………日拓ホームフライヤーズのこと。1973年一年だけの球団でした。明らかに売名(広告)のために球団を東映から買った感じでしたね。

クラインライター………クラウンライターライオンズのこと。こちらは売名よりも太平洋クラブが球団経営ができなくなり1977年に受け継いだという感じでした。2年間がんばりましたが、西武に売却。この時、一旦九州からプロ野球球団が消えました。因みに太平洋クラブの時は個人が西鉄から購入したのです。実はこのとき西鉄は球団解散(売却ではなく解散です)の一歩手前まで行っていたのが、ロッテのオーナーだった中村氏が資金を調達してライオンズ消滅の危機を救ったわけです。が、個人ではやはり無理でクラウンライター、西武とバトンを引き継いでいったわけです。

日本シリーズで勝てない………近鉄球団も日本一にはなれないチームですが、西本監督も都合3チームで8回挑みましたが、結局日本一にはなれませんでした。だからといって西本さんが名監督ではないということにはなりません。絶対に!

時よとまれ君は美しい………1973年に公開されたミュンヘンオリンピックの記録映画です。世界から集められた8人の監督がそれぞれのエピソードを担当していました。日本からは市川崑が参加し“最も早く”…100m競争をテーマに撮影していました。因みに某作家のLAS『EXPO’70』にも登場していますね(爆)。

リュドミラのテーマ………ヘンリー・マンシーニ作曲です。このサントラ盤CDも日本では入手困難。私はアマゾンUSで買いました。

10・19………1988年10月19日に近鉄が演じた“もっとも長い日”のことです。この日がなければ、近鉄と言う球団を知らずにすごした人も多かったかもしれません。いずれ、絶対に書きます。この話は。まだ、1973年だけど…。

阪急身売り………その“10・19”に阪急球団がオリックスへの球団身売りを発表。日本中から非難轟々となりました。株式の問題があるからですが、優勝がかかった日にこういうことをするのは人として間違ってますね。スクープされてもいいじゃないですか。まあ、こういう点からもファミリーランドをあっさりつぶしてしまうという会社の意識が垣間見えます。ビジネスとしては全然間違ってないんだけどね…。欧米じゃバッシング確実ですよ。

スポーツ新聞のあのページ………未成年者がおおっぴらに入手できる唯一の媒体でした(爆)。

梨田監督………現在の近鉄バファローズの監督です。1972年に入団。強肩で甘いマスクの捕手として人気を集めました。

野茂………ご存知メジャーリーガー。以下略

吉井………ご存知元メジャーリーガー。以下略。

ノリ………中村紀洋の愛称。以下略。おいおい、最後の3つが略ばっかりか?

 

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