全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
そして、執筆を応援していただいている皆様にも。
幸せは球音とともに ー 1974編 ー 〜 上 〜 2004.5.13 ジュン |
描:神有月葵 |
中学2年生に進級。
ところがめでたくはない。
なぜかと言うと…。
「シンジっ!お弁当、食べよっ!」
「ちょっと、惣流さん!いつも言ってるでしょ。自分のクラスで食べなさいよ」
「はん!うっさいわねぇっ!いつもいつもいつも!授業の間は我慢してやってんでしょうがっ!」
「み、みんなごめんね。これ飲んだら出て行くから…」
僕は牛乳の蓋をとり、ごくごくっと一気飲みする。
お弁当でもパンでも、全員の数の牛乳はある。
各自飲まないと、当番の子が迷惑するからね。
僕はお弁当を持つと、後の扉から教室を出る。
「センセ、今日はどこで食べるんや?」
「たぶん、屋上…」
「鍵かかっとるでぇ」
「…に上がるとこの階段」
「さよか。ほなあとでな」
「うん」
トウジが手を振る。
それに向って、アスカがい〜だっと歯を剥きだす。
僕にとって幸運だったのは、トウジと同じクラスになったこと。
アスカのいないクラスだけど、それが救いだった。
そう、アスカと僕は別々のクラスになってしまったんだ。
まあ、あの頃の学校ではそうなっても仕方がない。
僕は3組。アスカは7組だった。
で、トウジが僕と同じで、ケンスケは1組。洞木さんが9組だ。
そしてアスカは毎日お昼休みに僕のクラスにやってきていた。
最初は僕も心配だったんだ。
自分のクラスを抜け出して毎日くるなんて、よく思わない人だっているはずだもん。
現にうちのクラスの女子の何人かは、アスカが顔を出すたびにはっきりいやな顔をしていた。
アスカのクラスでもそうじゃないかと思っていたら…実はまったくそうじゃなかったんだ。
7組の担任は青葉先生だったんだ。
青葉先生は2年が始まった初日の挨拶で一発かましてくれた。
「おい、これからな、昼休みになったらこのクラスから抜け出していくヤツが一人出てくると思う。
何をしに行くかって言うと、愛する夫のところに弁当を食いに行くわけだ。
そうだろ、え、惣流?」
僕と違うクラスになって、完全に意気消沈していたアスカは先生の言葉にぱっと席を立った。
ついでに椅子がごとんと後に倒れる。
「はい、はい、はいっ!私、お昼休みはお出かけしまぁ〜す!」
大きく手を上げて、宣誓するように宣言したアスカ。
青葉先生はニヤリと笑って自分の生徒を見渡した。
「てなわけで、この惣流は…えっと何組だっけ?」
「3組です!」
「そうそう3組だ。そこの碇のところへ通うそうだからな。みんな、まああれだ。冷やかすのは大いにやってもいいが、仲間はずれにはしないように」
どっと沸く教室。
「ああ、それからな。他の奴らでもOKだぞ。ただしだ。友達のところとかはダメだ。彼氏彼女のところに行くのだけ許可する。わかったか」
「そんなん相手がおらへんわ」
どこのクラスにもいるトウジもどきがおどける。
女子は胸を張っているアスカを羨ましそうに見つめ、男子はあんな金髪の美少女に心底惚れられている3組の色男(僕のことだ)を妬ましく思ったそうだ。
去年の時もそうだったけど、青葉先生は僕たちをダシにしてクラスをまとめる癖がある。
まあ、ダシにされるのは別にかまわない。
仲を裂かれるわけじゃないんだから。
むしろ歓迎すべきことかもしれない。
うちのクラスはトウジが明るくまとめてくれているから大部分は問題ない。
ただ一部の女子が露骨に僕たちを嫌っているんだ。
だから最初の頃は教室で食べていたけど、最近は教室の外で食べるようにしている。
アスカは逃げてるようでいやだと叫んでいたけど、まあ仕方がないと思う。
青葉先生だってかなり無理してるんだからね。
うちのはげつるの担任は見て見ぬ振りしてるくらいだもの。
先生という職務からすると大盤振る舞いってとこだ。
うん、これはよくわかる。
だって、今僕は先生なんだから。
女子高だから恋人同士でお弁当ってことは絶対にないけどね。
「ユイさんの玉子焼きっておいしいわねぇっ!」
「うん…。アスカの焼いたウィンナーも美味しいよ」
僕は弁当箱の8本足のタコをお箸でつまみあげた。
アスカもお弁当作りを手伝っているんだ。
まだまだ修行中って感じだけどね。
ところがアスカは頬を膨らましたんだ。
「それ、たこさんにしたのユイさんよ。私は失敗しちゃった」
アスカはおずおずと自分の弁当箱から4本足のタコさんをつまみ上げる。
ああ、これはたこじゃなくてダックスフンドかもしれない。
「いただきます」
僕はダックスフンドを一口で葬ってやった。
「あ、取るなっ」
「アスカの作ったのを入れてって言ってるだろ」
「だって…失敗したもん」
「美味しいよ、うん」
「ホント?」
「今度は玉子焼きをがんばってね。前みたいに隠し味の醤油をどばっと入れずに」
「くぅぅぅ…。がんばるわよ」
アスカは僕にはお弁当を作らせてくれない。
女には女の見栄があんのよ!だってさ。
僕が作ると尻に敷いてると思われるのがイヤらしい。
だけど、お弁当以外では僕も作る。
といってもそんなたいした物は作れないけどね。
但し、餃子には自信がある。
あ、焼き飯もかな?
よく考えたら、僕は日曜日のお昼に焼き飯を作り続けているかもしれない。
当然、家にいるときにはね。
あれは中学2年のときからのような…。
そうか。アスカじゃなくて、母さんの策略か。
アスカが美味しい美味しいって食べてくれるから、調子に乗って作っていたような気がするよ。
「シンジ、ご飯が余ってるんだけど、焼き飯でも作ってくれない?」「いいよ、アスカは何チャーハンがいい?」「シンジが作ってくれるんなら何でもいいわよ」「あら、シンジ。焼き豚も余ってるわ」「そうなの?じゃそれを使うか…」
よく考えると、僕がアスカとデートで外出する日曜日には余りご飯なんて影も形も存在してなかったんだ。
計画的に多めにご飯を炊いていたんだな。焼き豚とかも買っておいてたんだ。
まあ、母さんらしいといえばそれまでだけどさ。
その…、母さんと違いアスカの方が不器用だ。
余りご飯をわざと仕掛けるなんて巧妙な手口はできない。
はっきりと、次の日曜日にはアンタが作んのよ!って宣言するだけだ。
いきおい、土曜日の段階で多めにご飯を炊くか、焼き飯用にご飯を夜中にセットするかしておかないと…。
だって、僕が作るものを美味しいって言ってくれると嬉しいしね。
さて、では1974年の屋上に上がる階段。
3年生にからかわれることはあっても、絡まれることはない。
あまりに僕たちがあっけらかんとしていたためだろうか。
この頃、いや今でもトウジたちによく言われる。
毎日ずっと一緒にいるくせに、よく話題が続くもんだと。
確かにその通りだ。
アスカはマシンガントークだけど、僕はべらべら喋る方じゃない。
「青葉先生はどう?」
「どうって、あっちの方?」
「うん、あっち」
あっちとは、アスカが会長をしている“青葉先生の恋を実らせる友の会”のことだ。
去年入学早々に立ち上げたこの友の会だが成果はなかなか芳しくなかった。
同僚の伊吹マヤ先生に片想いの青葉先生の後押しをしようとアスカたちは様々な策略をめぐらせたんだ。
好感度をアップさせる計画や、校外レクリェーションの監督を二人にお願いしたりと、
一生懸命になっていたんだけど、どうも伊吹先生ははっきりしない。
わかっていることは@恋人はいないA青葉先生を嫌っているわけではない、ということだけ。
アスカたちの活動についても自覚しているのかどうかも定かではない。
つまり、暖簾に腕押し状態なんだ。
また青葉先生も告白はできずにいた。
あんなに見た目と違って硬派なのに、ことが伊吹先生のことになると腰砕けになってしまうんだ。
噂では伊吹先生に告白する先生や生徒(!)は多いらしいが、その都度ぴしゃりと断られているらしい。
それがあるから、青葉先生がなかなか言い出せないのかもしれない。
「そうか。じゃ、次の作戦たってなかなかできないよね」
「はん!そう簡単にあきらめたりはしないわよ。今、伊吹先生の趣味とかを再調査中なの。
アンタも何か情報があったら教えてよね」
「了解。さてと、じゃ行きましょうか」
「そうね。今日は負けないわよぉ」
二つのお弁当箱を袋に入れて…。
僕の分もいつもアスカに回収されてしまうんだ。
僕のはいいって言ってもアスカはきかない。
どうせ帰ったらすぐに洗うんだからいいじゃないって。
その方が合理的だってことにしているけど、実際は優しいってだけなんだ。
みんな知らないんだろうなぁ。
完全に僕がアスカのお尻に敷かれてるって思われてるもんね。
アスカにいろんな顔があるってことはとりあえずは僕だけの秘密。
まあ、アスカの両親と僕の両親、そして今は子供たちも知ってるけどね。
さて、階段を早足で下りながら、僕はアスカに尋ねた。
「もう慣れた?」
「ん?何を?」
「近鉄のユニフォームに決まってるだろ」
「ああ、あれね。あれはダメっ!」
アスカは吐き捨てるように言った。
はは、やっぱりまだ慣れないんだ。
と言いながら、実は僕もあれには何だかなぁと思ってるんだ。
だって、派手と言うか何と言うか、これまで見たユニフォームの中であんなのはなかったんだもん。
メインのクリーム色っぽい白はいい。
でも、赤いラインがズボンに縦に入り、袖も真っ赤。
その左の袖にはバファローズのマークが青く鮮やかに…。
とにかく他のチームとは全然違うんだ。
前の方がよかったよねと、アスカとこっそり言い合っていたんだ。
そう、こっそりと。
何故かと言うと、こういうわけだ。
「へっへぇ〜ん、来たな、へなちょこユニフォームの牛夫婦!」
グラウンドで待っていたトウジが僕たちを見るなり叫ぶ。
もう5月の連休明けだけど、成績が芳しくない近鉄はユニフォームの所為かからかいの対象となっている。
その上、トウジとケンスケは峻烈だ。
何故かと言うと、あの西本監督が阪急から近鉄に移籍したんだから、阪急ファンの二人としては憎き近鉄となるのだろう。
もちろん、アスカがそう言われて黙っているわけがない。
「うっさいわねっ!日本のユニフォームはもともと地味だったのよ!
うちのが最新なの!ナウいのよっ!」
因みに当時の最新流行語であった“ナウい”は、現在においてはもはや死語である。
成績で言い返すことができない以上、あのユニフォームを素晴らしいものと主張するしかなかったんだ。
「へぇ、あんなのがナウいのか?近鉄ファンのセンスは変だな。な、トウジ」
「おう、この牛夫婦ときたら揃いも揃って…」
「アンタたち!その呼び方止めなさいよっ!」
「ん?なんや、牛夫婦のことか?近鉄は牛やないけ」
「あれはバッファロー。カウじゃないわ。そんな区別もつかないの?ホント、日本人は馬鹿ね」
「あれかて牛の仲間やないけ。同じや、そんなもん」
別にこれは面と向かってやり合っているんじゃない。
庭球野球の準備をしながらなんだ。
軟球で野球をして校舎の窓を割ったりしたら、野球禁止になっちゃうもんね。
それにいちいちグローブの用意をするのも面倒だ。
庭球なら、バットとボールだけで済むからね。
チーム分けもいちいちやったりしない。
時間がもったいない。
お昼休みは非常に短いのだ。
当然、僕とアスカは同じチーム。
あ、それとこの野球に参加しているのは4人だけじゃない。
全部で15人くらいはいる。
しかもクラスはばらばら。おまけに部活動でもばらばらだ。
それがどうして仲良くなったかというと…。
正直よくわからないんだ。
アイツとは委員会が一緒だったっけ。
アイツは「俺もよせてくれ」って試合中に声をかけてきたし…。
あの女の子は洞木さんと1年の時に同じクラスで一緒に来たんだっけ。
そう、女の子はアスカだけじゃない。
全部で4人いるので、チームも二人ずつに分けている。
あ、洞木さんはトウジのチームだ。ケンスケもね。
僕のチームはアスカがエースだ。
とは言え、彼女が本気で投げるのはトウジだけ。
何しろ野球部の2年でただ一人のレギュラーだからね。
それでもうかつに投げるとかっ飛ばすんだから、さすがはトウジって感じだ。
そうなるとアスカは頭に来てしまって、自滅したりするんだけど。
最近の近鉄の外国人投手を見ていると、アスカと同じだと思う。
やっぱりあっちの人はそうなんだろうか?
時々は青葉先生とかがやってきて「俺に打たせろ!」って要求する時もある。
今日もそうだった。
トウジからバットを受け取る素振りをする青葉先生を見て、アスカがにやりと笑った。
あ、本気で投げるつもりだなって思ったとき、伊吹先生の姿が見えた。
先生は洞木さんともう一人の女の子の所に歩み寄り、何事か笑って話している。
「アスカ」
セカンドから呼びかけると、アスカは首を傾げて振り返った。
その彼女に僕は目で合図する。
伊吹先生がいることを。
アスカはその姿を確認すると、僕に頷いた。
本気で投げるポーズで甘い球。
サービスだ。別に勝敗にこだわっているわけじゃないしね。
投げた!打った!…いや、空振りだ。
気負いすぎだよ、青葉先生…。
ほら、ちらちら伊吹先生の方を見てる。
まあ、気持ちはよぉくわかるけどね。
僕もアスカが見てると思うと、大概凡打か三振だもんね。
それを考えると、トウジは凄いとつくづく思う。
そう。トウジは洞木さんにぞっこん惚れこんでいるんだ。
で、その洞木さんの方は、何とトウジのことが大好きだという。
どうしてそんなことがわかるかなんていうのは愚問だ。
僕とアスカは同じ屋根の下で寝起きしているんだから。
もちろん、お互いの気持ちを知っている僕たちが手をこまねいて見ているわけがない。
ちゃんとそれぞれの親友にそのことを教えているんだ。
それなのに、二人とも全然信じてくれないんだ。
そんなはずは絶対にないって…。
どうして信じてくれないんだろ?
僕とアスカは毎日のように頭を悩ませているんだ。
そして、2球目。
アスカは青葉先生の好きそうな場所をめがけて打ち頃の速球を投げ込んだ。
それでも、先生のバットは空を切る。
アスカは僕を振り返って、肩をすくめた。
ダメだ、こりゃ。そんな感じで。
2ストライクの後の3球目。
アスカはまたど真中を狙ったつもりが手元が狂った。
ホームベースの手前でワンバウンドしそうなクソボールだ。
ところが、そんなとんでもない球を青葉先生のバットは見事にすくい上げたんだ。
カキーンっなんて金属音はするわけない。
庭球だからね。
ぐわしぃって奇妙な音がして、ボールはあっという間に左中間を大きく割った。
「うわっ!」
今のは青葉先生。
打った本人が一番びっくりしている。
バットを振りぬいたまま、バッターボックスのあたり(そんなのないから)で呆然と球の行方を見ている。
「先生!アホか。走らなっ!」
先生をアホ扱いしたのは当然トウジ。
その声に先生は慌てて1塁目がけて走り出した。
レフトとセンターが一生懸命にボールを追いかけるけど、何しろグラウンドには観客席はない。
ボールを止めるものは何もないから、どんどんどこまでも転がっていく。
但し、センターの女の子は陸上部だ。
レフトよりも遠かったのに、彼女の方が先にボールに追いつく。
青葉先生は2塁を回った。
本当なら悠々ランニングホームランなんだけど、ぼけっとしていた時間があったから微妙なタイミングだ。
センターの彼女がレフトの柔道部にボールを渡す。
足は遅いが、肩だけは凄い。
三塁を回った青葉先生と競争だ。
日頃の運動不足のためか、先生の足はふらつき加減だ。
よしっ!これならアウトかも!って、打たせたにもかかわらずアウトにしようと思っちゃってる。
これが野球の不思議なところだ。
柔道部は掛け声とともに、ボールを思い切り投げた。
凄い!凄い速さでボールが飛んでいく。
ホームベースを越えて遥か彼方まで返球は飛んでいった。
振り返りもしないで、走るので精一杯の先生はその必要もないのに、倒れ込むように滑り込んだ。
もちろん、セーフ。
見事なランニングホームランだ。
その時、予鈴が鳴った。
「青葉先生。別にすべらんでもええのに」
「いや、はは、ははは」
声にならない。
「ああっ!」
ベースカバーに入っていたアスカが先生を指差す。
砂だらけの先生のジャージのお尻の辺りを。
引き上げてきた僕も、そしてみんなも覗き込む。
「あっ!」
「ん?何だ?」
「破れてる」
先生の尻が見事に破れていて、真っ白な下着が丸見えだった。
その部分を触り、裂け目を確認した先生は慌てて掌で隠す。
「は、はは、ちょっと張り切りすぎたなぁ」
「伊吹先生?!」
アスカが叫んだ。
そして、僕たちの方を見てにやっと笑った。
また、何か考えたんだ。
「なぁに?」
洞木さんたちと一緒になって青葉先生のことを笑っていた伊吹先生が笑いをこらえながら答える。
「青葉先生のことお願いします。私たち、もう5時間目始まるから」
「えっ!お願いって?」
「お尻のところ、縫ってあげてください。私たちは時間がないから!」
「えっ、私も5時間目は授業が…」
時間があってもアスカは多分しないと思う。
するとしたら、洞木さんかな?
まあ、ここは伊吹先生を接近させる計画だから僕たちは何も言わない。
「ほな、頼みますわ」
「お願いします!」
十数人の生徒は声を揃えて最敬礼。
戸惑う伊吹先生に何も答える暇も与えず、昇降口へ走り去った。
校舎に入るときにちらりと見ると、伊吹先生のあとを変な格好でお尻を隠しながら青葉先生が続いていた。
まあ、こんなことでも少しは役に立てたかな?
廊下や階段は走らない。
そんなことを守るわけがない。
ぎりぎりまで遊んでいたんだから。
口々に「またなっ!」って挨拶して、各教室に分かれていく。
僕の組はトウジとあのセンターの女の子の計3人だ。
教室に入るとき、僕は女の子に声をかけた。
「霧島さんって凄く足が速いんだね」
彼女は得意そうに笑った。
「へへん。男の子にも負けないわよ。でも、アスカには負けちゃうんだよなぁ」
「へ?アスカってそこまで速かったっけ?」
「う〜ん、足よりも手かな?」
謎のようなことを言い、霧島さんは自分の席に向かった。
この時、僕は何も気付いてなかったんだ。
これから12年後。
26歳になっていた僕とアスカはまだちいさな息子を連れて、隣の市の自然公園にいた。
別に遊具施設も何もないところだけど、池を中心にして野鳥が一杯なんだ。
まだバタバタとしか歩けないシンイチが芝生の上で赤いゴムボールを追いかける。
アスカはシートの上に横座りになって僕と息子が遊んでいる姿を微笑みながら見ていた。
実に平和な光景だ。
「あああっ!出たっ!」
突然、その平和はすっとんきょうな声で破られた。
声の方角を見ると、トレーナーを着たショートカットの女性が僕たちを指差していた。
「出来てるっ!」
彼女はシンイチを指差して、また叫んだ。
な、何なんだ、この人?危ない人かも…。
警戒した僕だったけど、背後からのんびりした声がする。
「あったり前じゃない。私たち結婚してるんだから、子供だって出来るわよ」
僕は振り返った。
「アスカ、知ってる人?」
「ひっどぉ〜いっ!碇君、私のこと忘れてるんだ」
「ふふふ、シンジ。マナじゃない。わかんない?」
「マナ?マナって…。えっ!霧島さんっ!」
霧島マナさん。
高校は女子高で推薦入学だった。
当然、陸上で推薦だったんだけど、確か国体に出てたっけ。
アスカが教えてくれた。
中学の卒業式の時以来だ。
言葉を交わすのは。
顔も見違えちゃった。すっかり美人になった。
あの頃は元気で可愛い子って感じだったけどね。
「マナ、許してあげてよ。こういう薄情なヤツなのよ、馬鹿シンジは」
「信じられない。昔からアスカしか見てないんだからっ!ぷんぷんっ!」
こ、声に出してぷんぷんって言わなくても。
「で、これが二人の愛の結晶かぁ」
霧島さんはシンイチの前にしゃがみこんだ。
怪訝な顔をして、霧島さんを見る。
「ふ〜ん、アスカに似てるわね。でも、優しそうなところは碇君…」
「ちょっと待ちなさいよ!それじゃ私には優しいところがないって聞えるじゃない!」
「あはは、ごめんごめん。ね、抱っこしていい?」
「アンタにはあげないわよっ!」
「あ、その手もあるか。よいしょっと…」
霧島さんはぐいっとシンイチを抱き上げた。
そして、アスカより少し小さめの胸でわが息子を抱きしめる。
「いいなぁ、私も欲しい」
「つくればいいじゃない」
「あ、そうか。じゃ、そうしようかなぁ」
「シンジは絶対に貸さないわよ!」
間髪をおかずにアスカが叫ぶ。
「いいわよ。実は私、婚約中だから」
「あ、そうなんだ。オメデトっ!」
「おめでとう」
「ありがとう。えっとね…」
霧島さんはシンイチを抱いたまま、周りを見渡した。
そして、探し物を発見した。
「おぉ〜い、こっちよぉっ!」
大きく手を振る彼女の元に、いかにも体育系の青年が走ってきた。
互いに自己紹介をする僕たち。
彼は長距離の選手で大学で知り合ったらしい。
話し込んでいる途中でシンイチは霧島さんの胸で眠ってしまった。
その息子を無理矢理引き取るアスカ。
お持ち帰りされかれないからって。
「ムサシ、私たちも早く子供つくろうよ」
「お、おい。こんなところで…」
「もう、馬鹿ね。ここでしようって言ってるんじゃないでしょ」
「あ、当たり前だっ!」
真っ赤になった彼は凄く純情そうで、それでいてたくましかった。
選手生活から引退した霧島さんは彼との新生活を控えて現在家事の特訓中とのことだった。
ずっと陸上ばかりしていたから、洗濯以外は自信がないらしい。
けっこう話し込んで、再会を約束して僕たちは別れた。
その帰り道、武庫川の堤防沿いを自転車を押しながら僕とアスカは歩く。
シンイチは僕の自転車の荷台。
遊び疲れたのか、首を前に傾けて眠り込んでいる。
「マナの彼。全然、アンタに似てなかったわねぇ…」
「へ?どうして僕に似てないといけないの?」
「アンタってホントに鈍感。ま、だから私も安心してたんだけどさ」
「えっと…どういうこと、かな?」
こいつは驚いた。
霧島さんが僕のことを好きだったなんて。
しかも、あの後…。
そう、青葉先生がお尻を破いたあの日の翌日。
アスカは霧島さんを体育館の後に呼び出したそうだ。
それはあの日の夜の世間話で、霧島さんが言ったことをアスカに伝えた所為だった。
アスカの方が足じゃなくて手が早いと。
「その言葉で私にはピンッと来たのよ。
もともと、マナがアンタを見る目に穏やかならぬものを感じていたからね」
「そ、そうなの?」
「で、呼び出して、私の亭主に手を出すんじゃないわよ!って通告してあげたのよ。
それから、うちは2号とか3号も認めてないし。愛人も側室もなしなんだからねっってね、言ってやったの」
「は、はは、そうだったんだ」
風景が目に浮かぶよ。うん。
「でもって、シンジに告白なんかしたらぶっ殺すわよって」
「ぶ、ぶっ殺すって!」
「と〜ぜん!アンタははっきりしないんだから、マナに告白されたら断れなくて困っちゃうでしょうが。
ま、夫を思う妻の心ってヤツよね。立派立派」
アスカは自画自賛して、満足げににやりと笑う。
息子が出来ても、この笑い方は変わらない。
ところがその笑いが凍りついた。
「あ、でもそれなら大丈夫だったよ。うん。
何度か断ったことあったから」
「嘘っっっ!」
アスカの大声にシンイチが頭をもたげた。
そして、ふわっと周りを見渡すと、その産毛のような金色の髪の頭をまた下げる。
その息子の動きを見て、アスカは声を落とした。
ひ、低い声で喋られる方が怖いんですけど…。
「それって、相手は誰?いつのこと?何て言ってきたの?アンタ、何て返事したの?まさか、変なこと言ったんじゃないでしょうね?君のことは好きだけど、アイツがいるから仕方がないんだなぁんて自分を正当化したんじゃないでしょうね?それから…」
この念仏の様に抑揚のない低めの声で詰問されるのは実に恐ろしい。
僕はすかさず弁明に努めた。
あの当時、どのように断っていたのかを。
その説明はアスカのお気に召したようだ。
彼女はその後鼻歌交じりで上機嫌。
晩御飯も惣菜を買って帰って横着を決め込むはずだったのに、
アスカの得意なジャーマンハンバーグに変更となった。
あれはボリュームがある上に、実に美味しい。
でも…恥ずかしかったなぁ。
中学高校大学と告白された時に、言って来た言葉を本人の前で言うのは。
ごめん。僕は世界中で一番アスカが好きなんだ。いや、二番も三番もない。
僕にはアスカ以外の女性はいないんだ。ごめんなさいっ!
深々と頭を下げる僕に大抵の女の子は引き下がってくれた。
それでも、アスカのことが怖いのかと誤解するような子には、
僕ははっきり言ってやったんだ。
もしアスカに向かって何か言ったりしたりしたら、この僕が許さない。
アスカのことになったら何をするか自分でもわからないから、絶対にやめてよね。
僕の必死な顔って怖いんだろうか?
そこまで言うと、間違いなくみんなあきらめてくれたんだ。
だから、霧島さんが告白してきても大丈夫だったんだけどなぁ。
う〜ん、よく考えたら、僕に信用がなかったってこと?
まあ、いいか。
アスカの言った通りに、彼女が守ってくれてたんだということにしておこう。
いや、でも、霧島さん…。キレイになったなぁ…。
いけないいけない。こんなことを書くから、疑われるんだ。
でも全然気付いてなかった。
僕にはアスカがいたから女の子の視線って全然気にしてなかったもんね。
トウジと一緒で。
さて、ユニフォームが変わっても、西本監督に代わっても、
昨年同様調子が上がらない近鉄の話は少し措いておいて、トウジと青葉先生の話を続けることにしようか。
「幸せは球音とともに」
1974編 上
おわり
<あとがき>
う〜ん、近鉄のネタはユニフォームだけかいな。
まあ、成績も悪かったしね。仕方がないと言えば仕方がない。
で、今回のゲストは霧島マナさん。遂にライバル登場かと期待されたかという人もいらっしゃったかと思いますが、この作品にはLAS的危機はありません。そりゃ、喧嘩はするだろうけど、約束された幸福な家族生活(なんか嫌な言い回しだ、これって)が二人にはありますからね。後は出てもちょい役です。はい。
次回はトウジと青葉先生が…いやこの二人がカプじゃないよ、当然…彼女をゲットする話。
2学期の話になります。
さて、恒例の注釈コーナーです。
ユニフォーム………これを見たときには本当にびっくりしました。なんて派手なユニフォームだろうと。あんなの着てたら恥ずかしいだろうなぁと同情すらしていましたね。ところが、あれって愛着があるんですよ。おそらく近鉄の黄金時代とリンクしていたからだろうと思います。因みに有名な三色帽はまだ未登場です。この時はまだ“B”のマークの帽子でした。
ナウい………IMEで変換できるところが凄いですねぇ。昭和47年くらいに流行った言葉です。『太陽にほえろ!』のタイトル案のひとつに『ナウでいこう!』とかいうのがあったらしいです。う〜ん、そんな題名だったら14年も続かなかったような気がします。
近鉄の外国人投手………いい投球をしていてもボールストライクの判定で急に乱調になる。この数年、そんなのが非常に多いのです。
隣の市の自然公園………ローカルですが、伊丹市の昆陽池公園ですね。白鳥が一杯。他の野鳥も一杯。ですからよくNHKニュースに登場します。で、それを見て訪れてきた人が何もない公園なのでびっくり。何もないのがいいんですけどね。ただキャッチボールは基本的に認められていません。ゴムボールくらいかな?
武庫川の堤防………自転車をゆっくりとして歩けるのは…宝塚&西宮側の堤防下ですねぇ。ということは二人の現住所は…。あ、武庫川というのは兵庫県の東を流れる大き目の川なんですが、実は現地の人間はこの川を境目にして大阪と神戸を分けています。行政区分は兵庫県でも尼崎、伊丹、川西は明らかに大阪寄りですね。NTTもそう判断しているみたいだし(笑)。あ、市外局番の話です。
今回は時事ネタがほとんどありませんでしたね。但し、こういうのんびりとした学校生活という話自体が懐古的なのかもしれません。あの頃はよく遊びました。学生服を砂だらけにして。熱くても寒くても、晴れていたら外で。雨やグラウンドがぬかるんでいたら渡り廊下とかで。
感想などいただければ、感激の至りです。作者=ジュンへのメールはこちらへ 掲示板も設置しました。掲示板はこちら |