全国に何人かはいる筈の近鉄ファン兼LASの人に捧ぐ。
 
 
そして、執筆を応援していただいている皆様にも。


 

今回は急逝された鈴木貴久二軍打撃コーチのお話をしたいところですが、
あの方のことは10・19で語るべきですので、
ここでは哀悼の意を述べるだけでとどめておきます。それと表題のところのアスカに喪章と。
まだ若いのに。私より年下じゃないか…。

 

 

幸せは球音とともに

ー 1974編 

〜 中 〜


 

2004.5.23        ジュン

描:神有月葵

 
 


 

 

 
 

 夏休み。
 去年の夏もそうだったけど、アスカは帰省しない。
 そのかわりにご両親が遊びに来る。
 そう、文字通り遊びに来るんだ。
 娘のアスカは放ったらかしにして、それぞれがうちの父さんと母さんとペアを組み遊びまわる。
 当然父さんは昼間は会社だから、その間ラングレーさんはアスカの部屋を占領して昼寝。
 夕方になると起き出して、電車に乗って梅田に行く。
 そして、明け方まで父さんと飲む。
 新聞配達の自転車が家の前に止まる頃に、ぐでんぐでんの二人がタクシーで送還されてくるんだ。
 で、ラングレーさんはそのままご就寝。
 父さんはひとっ風呂浴びて、そのまま会社に出勤する。
 いつ寝てるんだ?
 まさか会社で寝てるの?
 ラングレーさんのお昼は僕たちが世話しないといけない。
 だって、母さんとキョウコさんは昼間いないもの。
 父さんを送り出した後に、二人はぱぱぱっと用意をして家を出て行く。
 どこへ行ってるのかは全然知らない。
 多分帰ってきたときには二人とも両手一杯に紙袋を持っているからショッピングだとは思うけど、
 どこで何を買ってるんだ?
 阪急や大丸やそごうの紙袋もあるけど、京都や奈良のお店のも。
 まったくどこまで足を伸ばしているのやら…。
 僕とアスカはお留守番かって?
 とんでもない!
 せっかくの夏休みだよ。
 留守番は前後不覚のラングレーさんに任せて、僕たちは大抵遊びに出ていた。
 といっても別にお小遣いを奮発してもらっているわけじゃないから、
 市民プールとか山登りだけどね。
 僕たちの家から少し離れたとこに裏六甲への登山道があるんだ。
 そこから登って山頂の方に出ずに有馬の方に抜ける。
 有馬でお風呂に入って…当然男女別の公衆温泉だ。
 汗を流したらバスで宝塚へ戻る。
 または電車で芦屋まで行って、ロックガーデンから山頂を目指し、
 そこから宝塚まで尾根を縦走する。
 と言っても、別に僕たちが登山家だってわけじゃない。
 お金がふんだんにあったら梅田や神戸で映画とかを毎日楽しんでいたと思う。
 お小遣いを節約しながら、二人でデートを楽しむには結構いい手だたと今でも思っている。
 僕もアスカも身体を動かすことが大好きになっていたからね。
 ただアスカには申し訳ないけど、僕はアスカほど運動神経がよくない。
 もしそうなら今頃アスカと草野球にチームに入っていると思う。
 彼女の速球は未だに健在なのだから。
 実際トウジにも誘われているんだけど……。

「私はアンタと結婚したんだからね。私の女房役はシンジだけなの。
 だからアンタがキャッチャーやってくれるんなら、草野球してもいいけど?」

 無理だ。
 キャッチボールなら大丈夫だけど、実戦のアスカの速球はとてもじゃないけど僕には受けることはできない。
 大活躍するアスカの姿を見てみたいのは山々だけど…。
 それが条件だけにあきらめるしかない。
 中学高校の時はアスカの速球は軽いから結構打ち込まれたけど、
 『草野球の短いイニングなら充分通用するんやけどなぁ…』とトウジは未練がましい。
 最強のリリーフエースが欲しいそうだ。
 僕もマウンドで雄たけびを上げるアスカって想像できるだけに…。
 やっぱりやめておこう。
 昔、阪急にアニマルってクローザーがいたけど、あんなのにアスカがなっちゃったら大変だ。
 ともかく、アスカとのハイキングはいつも楽しかった。
 汗びっしょりなのに手を繋いで、歌いながら登山道を登る。
 大抵は英語の歌だった。
 あれなら誰に聞かれても不思議と恥ずかしくない。
 行きかう人と「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わす。
 何度も顔を合わす人と出逢うこともある。
 冷凍みかんを貰ったりして。
 今でも時々アスカと六甲山に登ることがある。
 そして、あの頃のように軽々としない自分たちの身体に苦笑したりする。
 レイが未だにくっついてくることも多い。
 シンイチのヤツはリツコさんと登山などするのだろうか?
 どうもあの二人にこういう姿は似合わないような気がするんだが。
 ところが、レイの証言によると二人は結構アウトドアだって事だ。
 あの白衣が似合いそうな理知的なリツコさんがねぇ…。
 首を捻る僕だけど、アスカはさらりと言ってのけた。

「恋をするとね、人は変わるのよ」

 僕も変わったのだろうか?あの頃。
 確かにアスカと出会う前、関東にいたときは外では遊んでいたけど引っ込み思案のところが強かったのは確かだ。
 じゃ、アスカは変わったのかな?
 僕は出逢う前のアスカのことはあまり知らない。
 どうでもいいじゃない、そんなの。そうアスカは嘯く。
 そして、私の過去の男関係が気になるわけぇ?などとからかってくるんだ。
 そういう会話を続けていると、いつものカヲル君が登場する。
 元彼で元フィアンセだという彼の存在を僕は思い切り疑っている。
 だってアスカとそんな関係だったら、僕なら地獄の底までアスカを追っかけていくもの。
 名前だけで実際に今まで存在を確認できるものが無いんだから、僕は彼を当て馬だと認定しているんだ。 

 さて、今日も母親二人は外出。
 お父さんは会社。
 ラングレーさんは2階で熟睡だ。
 そして、僕とアスカはといえば、市民プール。
 自転車で坂を下り、路地を抜けて、武庫川に出る。
 橋を渡ると、すぐに宝塚の市民プールだ。
 距離的には宝塚ファミリーランドの大プールの方が圧倒的に近い。
 だけど、安い方がいいに決まってる。
 こうやって倹約して欲しいものを買わなきゃね。
 で、僕たちがプールの前に自転車を止めると…。
 いたいた。ちゃんといるよ、二人とも。
 入り口の左右に分かれて二人がそっぽを向いて立っている。
 トウジと洞木さんだ。
 歩いていく僕たちに、二人が走り寄って来た。
 そして、トウジはぐいっと僕の腕を掴んで入り口の外れに引きずっていく。
 野球帽の下の顔は汗びっしょりだ。

「遅いで、センセ」

「ごめんごめん。チェーンが外れちゃってさ」

「手ぇ、汚れてないやんけ」

「あ、家の傍だったから一度家に帰って洗ってきたんだ」

 嘘八百だ。
 僕たちはわざと30分遅れて到着したんだ。
 計画的犯罪ってヤツだ。

「それにケンスケはどないしたんや?」

「あ、アイツは来れないんだってさ」

「何やてぇ?」

 これも計画通り。
 余り露骨に4人だけっていうのは洞木さんが警戒するかもしれないからね。 
 今回の目的は二人をくっつけることにあるんだから。
 向こうでも洞木さんがアスカに食って掛かってる。
 約束していたもう一人が来れなくなったってアスカが説明してるけど、ちょっと見え見えすぎるかな?
 この時代には携帯電話ってものが無いから、こういう素朴な計画でも結構巧くいくんだ。
 トウジも洞木さんも口々に不満をぶつけてきたけど、僕たちは気にしない。
 だって、本気で怒ってないもん。二人とも。
 トウジなんかが本気で怒ったら、まず僕をぶん殴ってそのまま帰ってしまうからね。
 今みたいに、ぶつくさ言いながら、学生証出して「中学生一枚頼んますわ」なんて言ってるわけないよ。

 読者サービスの着替えシーンはなし。
 だって僕は男だし、女子更衣室の様子なんてわかるわけないからね。
 僕とトウジのでよければ書くけど、やめておこう。色気もないし。
 因みに現在の私は職務柄女子更衣室を覗くことがあ…。

 ばこんっ!

「へぇ〜、そうだったの?アンタ、覗き?ピーピングトムだったってことぉ? 
 毎日女の子の更衣室に忍び込んでるんだ。もしかしてレイの部屋とかも覗いてるんじゃない?このロリコンスケベっ!」

 こういうときは下手な言い訳はしない方がいい。
 ひたすら耐えて、アスカが自己完結してくれるのを待つのが最良の策だ。
 とりあえず、まず文章をきちんと書こう。
 職務柄女子更衣室に異常がないか、点検してまわっているが、
 さすがに聖ネルフ学院だけに表面上は整然としている。
 ロッカーの中まではわからないけどね。
 それは女の教員の仕事だ。
 と、そこまで書いて、後の気配を窺う。
 パームレストがすっと定位置に戻される。
 ほっ、助かった…と、思ったのもつかの間。
 夫婦喧嘩を増長させようとたくらむ小悪魔が現れた。

「お母さん、霧島マナって知ってる?」

 僕は天井を仰いだ。
 早めにアスカに言っておくべきだった。
 だけど、昨日知ったばかりだったんだ。
 教え子が…しかもレイと同学年で隣のクラスの子が彼女の娘だったなんて。
 家庭訪問に行って、扉の向こうにあの笑顔が見えたときにはそりゃあ驚いたよ。
 向こうは僕が担任だってはっきりと承知していたんだけど、
 当然僕は霧島という名前でない以上、その娘が彼女から産まれただなんてわかるわけがない。
 どこかで見たような顔立ちだとは思っていたんだけどね。
 霧島さん…今はそうじゃないけど、どうしても旧姓の方が呼びやすいんだよね…彼女の娘がレイと同じ年だってことも知らなかったよ。
 それに昨日帰ったらアスカは近鉄がボロ負けした所為で怒り狂ってたから、そういう話をし損なっていたわけで。

「あら、どうしてレイがマナのこと知ってるのよ」

「その人、私の友達のお母さん。お父さんの昔の彼女だって本当?」

 レイが笑った。
 唇を少しだけ上げて。
 で、アスカは見事に娘の策略に乗せられてしまった。
 僕はおかげでそのあと2時間に渡って、弁明に努めることと相成った。
 家庭訪問なんて大嫌いだ。

 

 さて、市民プール。
 さすがに夏休みの、しかも廉価な入場料が魅力の市民プールだ。
 芋の子を洗うと言う表現がぴったり。
 その中でアスカは目立つ。
 何しろ、当時のプールは白髪以外はほとんどが黒髪だ。
 そんな場所で輝くばかりの金髪で、よりによって真っ赤なビキニを着ているんだから…。
 注目されない方がおかしい。
 せめて洞木さんみたいな落ち着いたワンピース型の水着にして欲しかった。
 ところが、アスカに言わせると、これは周りのものに見せているのではなくて、アンタに観て欲しいからしてるんじゃない!……。
 だそうだ。
 僕としては見るのは嬉しいが、他の男どもに見せたくはない。
 アスカがいやらしい目で見られるのは耐えられないんだ。
 で、そんなアスカはさぞかしいろいろな目にあったんだろうって?
 それが殆どそういうことがなかったんだ。
 あまりに派手すぎて、逆に声をかけられにくかったわけ。
 まあ、今じゃわからないけどね。
 あの頃には真っ赤なビキニの金髪美少女をナンパするような気力や資力がある人間が市民プールにいるわけがない。
 そういう人種はもっと高い入場料のプールに行ってるよ。
 だからやきもきする僕をアスカは心行くまで楽しんでいたんだ。
 ただアスカには声をかけられない連中も、洞木さんには平気で声をかける。
 別に洞木さんが安っぽいと言う意味じゃない。
 普通にいる女の子で、優しそうで、美人だし、スタイルも悪くない。
 声をかけても平手や罵声が飛んできそうもないからだ。
 だから洞木さんに声をかけてアスカもついでに釣れたら…などと甘い期待を抱くわけ。
 一時間に一度の休憩タイムの時には時々声をかけられていた。
 今日も…。
 だけど、珍しく今日の相手はしつこかったんだ。

「せやから、うどんでも何でも奢ったる言うとるやん」

「いやです。私」

「アンタ馬鹿ぁ!イヤだって言ってるじゃない。とっとと消えなさいよ!」

「お前は黙っとけ。俺はこっちの可愛い女の子に話とんや」

「な、何ですってぇっ!」

「アスカ、行こ」

「待てや。行くんなら俺とにしよ。こんな姉ちゃん放っとけや」

 その時、僕とトウジはトイレに行っていた。
 すっきりさせて、消毒池に腰をつけてプールサイドに出ると、
 丁度その男が洞木さんの腕を掴んだところだったんだ。
 トウジの反応は早かった。
 すすすと素早く移動すると、男の背中にどんと体当たり。
 そして、洞木さんの肩をぐっと掴んで男に引きずられないようにした。

 ざっばぁ〜んっ!

 ピピッ!

「今は入ったらあかんぞ!こらっ!」

 水面に出てきた男に目がけて指導員のお兄さんが厳しい声を飛ばす。
 当然、周囲は笑いの渦。
 高校生くらいの男はしかめっ面でプールから上がり、トウジを睨みつけた。

「えらい、すまんな。足すべらしてもうた」

「何やと。わざとちゃうんかっ!」

「そうかもしれんなぁ」

 嘯くトウジ。
 僕ははらはらして事の成り行きを見ていた。
 高校生はお互い水着だけに胸倉もつかめず、ただ詰め寄ってくる。

「おんどれ、後でやったるぞ」

「いや、別に今でええで。ほら」

 トウジは右の頬を差し出した。
 嘘だろ。自分から殴られるだなんて!
 高校生はその誘いにすんなり乗った。
 殴られたトウジはさっきの高校生みたいに派手な水しぶきを上げてプールの中へ。
 高校生は「あほんだら!」と一言残して、走っていった。

 ピピッ!
 笛が鳴ったけど、トウジは浮かんでこない。
 おいおい、まさか!
 そう思った瞬間、誰かが飛び込んだ。
 洞木さん?
 僕も飛び込もうとしたけど、その肩を強く掴まれた。

「大丈夫よ。あんなパンチでアイツがへたばるわけないでしょ」

「で、でも!」

 ピッ!
 再び、いや三度警告の笛を吹こうとしたとき、休憩時間が終わった。
 一斉にみんなプールに入る。
 アスカは僕ににっこり笑いかけた。

「いいからいいから」

「だ、だけど」

「ほら、あそこ。ちゃんと浮かんできてるでしょ」

 アスカの視線の先にトウジのいがぐり頭が。
 そして、その近くに洞木さんの頭も。
 あ、大丈夫そう…。

「さ、行くわよ」

「へ?行くって?私、おうどん食べたいなぁ。今なら空いてるでしょ」

「あ、そうだね」

 歩き出したアスカに手を引っ張られ、僕は軽食コーナーへ。
 そこできつねうどんを仲良くすすりながら、アスカの言葉を承ったんだ。

「あれは半分やらせよね」

「やらせ?トウジが頼んだの?」

「アンタ馬鹿ぁ?アレにそんな真似できるわけないでしょ」

 そりゃそうだ。無骨なトウジにそんな器用なことができるわけがない。

「あの顔どっかで見たことあるって思ったら、あれケンスケのお兄さんの友達」

「へ?どうして、アスカがそんなの知ってんだよ」

「だって、1年のとき声かけられたもん。3年で君の友達の相田君のお兄さんの友達をしている……えっと、名前は忘れたけど、とにかくそいつよ。
 あっさり撃退してやったけど、間違いないわ。きっと相田のヤツが仕組んだのよ。うん」

 アスカの綺麗な唇に真っ白い麺が吸い込まれていく。
 あとでケンスケに確認すると、アスカの推理通りだった。
 何かイベントがあった方がいいだろうと、お兄さんにお願いしたわけだ。
 詳しくは教えてくれなかったけど、未成年者にはよからぬ雑誌で買収したそうだ。

「でもさ、こんなことでくっつくと思う?あのトウジと洞木さんだよ」

「そうねぇ。こんなことでくっつくんなら世話ないよね」

 アスカはくっくと笑った。

「それよりさ、9月になったら『ヘルハウス』観に行こうね」

「えっ!またオカルトもの?」

「あ、怖いんだ。『エクソシスト』もいやいやだったもんねぇ、シンジは」

「何言ってんだよ。映画館中に響くような声で叫んだのはどちらさんだったっけ?」

「な、何よ、バカっ!首が180度回ったのよ。びっくりしない方がおかしいわよっ!」

 あの時、僕たちの周りの観客は明かに画面よりもアスカの絶叫にびびっていたはずだ。
 アスカは怖がりの癖にああいう映画やお化け屋敷に入りたがる。
 怖いもの見たさってヤツだね、きっと。

「そうだ。映画をダブルデートにしてってのはどう?」

「日曜日はトウジは練習。映画には行けないよ」

「じゃ土曜日の昼からは?」

「ずっと練習だろ。休みないよ」

「ばっかみたい。毎日毎日野球してさ」

 口では馬鹿扱いしているけど、何かに打ち込んでいる人間をアスカは好きだ。
 僕は…僕のことはどうなんだろう?
 部活動もしていないし…。

 アンタ馬鹿?アンタは私に打ち込んでるじゃないの。

「アスカ!こら、勝手に打つなよ!」

 キャスターつきの椅子ごと部屋の隅に追いやられた隙に、アスカはキーボードを叩いていた。
 慌ててPCの前に戻ると、アスカは上書き保存をクリックしていた。
 そして、僕を睨みつける。

「今の消したらコロスで。ええな」

 うへぇ、僕しか聞けないアスカの関西弁。
 しかもばりばりの吉本新喜劇のチンピラ風セリフ。
 僕に凄みを効かすと、にやにや笑いながら彼女は背中を向けた。

「今日はジャーマンハンバーグよっ!」

 その背中を見送りながら僕は苦笑した。
 音もなく近寄ってくるのは勘弁して欲しい。
 アスカアンテナってどこかに売ってないのかな?

 さて、そのダブルデートは実行されることはなかった。
 だって、やっぱり映画はカップル同士で行く方がいいし、トウジは野球部の練習で忙しい。
 デートをする暇がないってわけだ。
 で、彼らがどうしているかと言うと、部活動が終わると二人で並んで下校する。
 そして洞木さんの家の玄関で麦茶をご馳走になり、家の隣で未だに空き地のあたりでぼそりぼそりとお話をしているらしい。
 らしいというのは、そんな二人を邪魔するような野暮な真似はできないからだ。
 じゃ何故知っているかというと、洞木さんの妹のノゾミちゃんが「ご協力ありがとうございました」とお礼方々教えてくれたわけ。
 しっかり者の妹はやっぱりしっかり者だったということなんだ。
 いろいろとお姉さんの愚痴を聞かされていたらしい。
 9月の中頃にランドセルを背負った格好で我が家の玄関先でぴょこんと頭を下げたっけ。
 あ、時間が前後しちゃったね。
 いつの間に二人がくっついちゃったかと言うと…。
 あのやらせが原因じゃなかった。
 あれでも告白には至らなかったわけだ。
 それなら何がきっかけだったかと言うと、実につまらないことだった。
 僕もアスカも拍子抜けしてしまったんだ。

 アスカの両親が帰国して、その3日後。
 雨が降っていたので、何となく我が家にみんな集合していたわけだ。
 みんなっていうのはトウジにケンスケ、それに洞木さん。
 どうしてもこの5人になってしまうんだよね。
 この当時はテレビゲームはないし、ボードゲームかトランプが定番だよね。
 で、ババ抜き。
 何故か洞木さんがこれに弱いんだ。
 表情に出てしまうっていうのか、相手にババを取らそうと手を打たないせいなのか。
 いつも負けてしまうわけ。
 だからといって、それで悔しがっているわけじゃないんだけどね。
 頭に来るのはトウジの方。
 いらいらしているのが傍目にもわかる。
 まあ好きな人が負け続けるのはイヤだろう。
 そして、彼はあからさまな手に出た。
 僕とケンスケが上がって、残りが3人。手札ももう少ししか残っていない。
 負けず嫌いのアスカは目をすっかり血走らせてる。
 トウジの手にはハートのAとババ。
 そのジョーカーの方に洞木さんの手が伸びた。
 すると、その瞬間トウジがすっと手を動かした。
 ジョーカーを取ろうとした洞木さんの指は行き先を失い、こつんと当たってきた隣のカードを無意識に選ぶ。
 はっと顔を輝かせた彼女は自分の札と合わせて場に捨てた。

「やった!上がり」

 僕はケンスケと目配せした。
 トウジもやるもんだって。
 別に何も賭けてないんだからこれくらいは……って思ったのは僕たちだけだった。
 勝負に燃える女を忘れていた。

「今の何よ。今のは!」

 自分の持ち札を場にぽいっと投げ捨てると、アスカがトウジを睨みつけた。

「完全に八百長じゃない!アンタ、そこまでして勝ちたいわけぇっ?!」

「アスカ、勝ちたいならジョーカーの方を…」

 僕が彼女の間違いを正そうとしたけど、当然聞く耳をもってない。
 いや、聞いているんだけど、怒りはおさまらないって感じだ。

「うっさいわねっ!私は馬鹿トウジに言ってんじゃない!アンタ、見え見えのズルなんかするんじゃないわよっ!」

「わ、わしは…してへん、で」

 トウジの語勢が弱い。
 自分でもわざとやったことがわかっているからだろう。
 相手が弱みを見せたらそこにぐいぐいと突っ込んでいくのがアスカだ。
 まあ、このあたりでアスカは実は冷静になった……と、本人は主張している。
 そういうことにしておいてあげよう。

「何しらばっくれてんのよ。私のシンジだって、私にわざと勝たしてなんかくんないのよっ!
 それなのに、ど〜してアンタはヒカリに勝たせてあげんのよっ!」

「そ、それは…」

「それは何なのよ。はん!付き合ってもいないくせにさ。何よいったい。自分の女でもないくせに」

「じ、じ、自分の女やってぇっ!そ、そんな失礼なこと言うなっ!」

 アスカの挑発にトウジは見事に乗った。
 そして、その言葉足らずなところをアスカは巧妙につく。

「失礼?アンタ如きの男の女にはヒカリは役不足だってことぉ?」

 見事な暴言だ。
 アスカの言葉に洞木さんの表情が強張った。 

「ち、ち、違う、わい」

 慌てて否定するトウジだったけど、もう遅い。
 洞木さんの目から涙が溢れてきた。
 それを見たトウジはさらに慌てた。

「ちゃう、ちゃうっ!そんなんちゃうんやっ!
 わしにはもったいたい人なんや。
 あしなんか、わしなんか…わしみたいなヤツには…」

「へぇ、じゃアンタはヒカリが嫌いなんじゃないのね」

「あ、アホか。嫌いなわけないやないか」

「それじゃ、好きなんだ」

「そ、それは」

「どうなのよ、はっきりしなさいよ。アンタがはっきりしないから、見て御覧なさいよ、ヒカリは泣いちゃったじゃないよ」

 見事なすり替えだ。
 自分の暴言で泣かせたくせに、トウジのせいにしている。
 この論理展開にこれまで僕はどれだけ泣かされてきたか。

「さあさあ、早くはっきりしなさいよ。可哀相なヒカリっ!」

「うっ、わ、わいは…」

「嫌いなの、好きなの?どっち?」

「そ、それは」

「好きなのね。大好きなのね。付き合って欲しいのねっ!」

 トウジの首がねじが外れたようにこくんと前に倒れた。
 だけどそれに満足するようなアスカじゃない。

「男らしくないわねっ!言葉にして言いなさいよっ!」

「わ、わしは…」

 トウジは遂に言った。
 でも、その後のことは僕たちは知らない。
 アスカに押し出されるように僕とケンスケは1階に降りたからだ。
 あとは本人同士に任せましょってことで、僕たち3人はどやどやと居間に侵攻した。
 丁度母さんは紅茶を淹れようとしていたところ。
 アスカがすかさず手伝いに入る。
 僕とケンスケはぐっと握手した。
 今ならハイタッチというとこだけど、この頃にはそんな風習はなかったんだ。
 やれやれ、やっと片付いた。

「これで、あとは青葉先生だけだな」

「自分を忘れてるんじゃないの?」

「俺か?俺はまだいいよ」

 ケンスケは明るく笑った。
 彼の恋物語はもっと先になる。

 1974年の夏。
 トウジと洞木さんはカップルとなり、
 『エーミールと探偵たち』のケストナーさんが亡くなり、
 ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任し、
 ジーパン刑事が殉職し、
 近鉄はメロメロの成績で後期戦を戦っていた。
 あまりの成績の悪さに、僕とアスカは2回しか西宮球場に行かなかったんだ。
 せっかく西本さんが監督になったのに投打はかみ合わなかった。
 新生日本ハムが最下位を爆走していたので、5位にはなっていたんだけど…。
 大エース鈴木も去年からの調子の悪さから立ち直れなかったもんね。
 応援はしていたんだけど、やはり身が入らない。
 凄い監督になったんだけど、ダメなものはダメなんだなぁと思ったもんだ。

 そして、夏休みは終わった。 
 二学期が始まり、アスカがとんでもないことをしてのけた。
 それは、次のお話で。
 
 
 
 

 

「幸せは球音とともに」

1974編 中 

おわり 
 


 

<あとがき>
 今回はトウジのお話でした。
 
 因みに彼が殴らせたのはプールの外での騒動にしたくなかったので、ここで終わらせておきたかったわけです。
 暴力事件は部活動にはまずいですからね。まして市民プールという公共の場所ですし。
 気が利かないようで実は細かい神経も持っているトウジ君でした。
 ここでは青葉先生まで持っていけませんでした。
 次回はその青葉先生のお話と、アスカが引き起こした騒動のお話。
 前回予告していた2学期の話になります。まあ、予告どおりに行かなかったのはいつものことで。

 さて、恒例の注釈コーナーです。

鈴木貴久………北海道出身。電電北海道よりドラフト5位で入団。“北海の荒熊”という異名で1980年代後半から1990年代半ばまでのいてまえ打線を支えました。一軍通算成績 1501試合 4777打数 1226安打 192本塁打 打率.257。何よりもあの“10・19”の立役者の一人です。第一試合の怒涛の勝ち越しホームイン。あの姿を忘れることはできません。2004年5月17日、永眠。まだ40歳でした。

有馬………阪神地区の奥座敷。有名な温泉です。但し交通の便は車とロープウェーだけ。ま、温泉ってそんなもんでしょうけど。

ロックガーデン………芦屋から六甲山頂を目指すときにある、文字通りの岩場。あまりに市外に近すぎてここでお弁当というわけにも行かないのが残念なほど、見晴らしのいい場所です。

アニマル………1986&87年に阪急でクローザーをしていました。マウンド上のパフォーマンスが物凄く、一球ごとに凄まじいアクションをし、吼えまくっていました。勝った時はキャッチャーをばしばし叩いて祝福したり。2年目が不調で日本を去ったと思いきや、タレント「亜仁丸レスリー」としてたけし軍団に入るというとんでもない経歴の持ち主。

宝塚市民プール………宝塚市は小浜にある古い古いプールです。軽食コーナーは食券を買って食べる形式。毎回私はきつねうどんとアメリカンドックを食べていました。

ヘルハウス………アメリカ映画。ロディー・マクドウォール主演。幽霊屋敷に挑む霊媒と近代科学の博士夫妻の話。グロが少ない割りに怖がらせるツボをよく心得ていた作品でした。吹替え版の富山敬が少し弱気なロディー(私大好き!)にぴったりでした。

エクソシスト………オカルトブームを巻き起こした大ヒット映画。続編も作られました。キリスト教の基礎知識が薄い日本人でも充分に怖かった作品でした。

エーミールと探偵たち………私の大好きな児童文学です。そのうち、これを元にアスカとシンジのお話を書きたいのですが…。

ケストナー………エーリッヒ・ケストナー(1899年2月23日 - 1974年7月29日)。ドイツの作家で、1928年に発表した子供のための小説『エーミールと探偵たち』が好評で、児童文学作家として世界的に有名になった。第二次世界大戦中はナチスに執筆を禁じられたました。『雪の中の三人男』も大好きな作品です。これはLASに翻案できますね。

ウォーターゲート事件………1972年におきたアメリカを震撼させた政治スキャンダル。ウォーターゲートビルに無断侵入した5人の男たちの逮捕から始まり、1974年8月の現職大統領の辞任にまで至った。とにかくその経緯は凄まじく厄介で、数行で片付けることができません。

ニクソン大統領………第37代アメリカ合衆国大統領。その職を辞任した唯一の大統領となります。1994年没。

ジーパン刑事殉職………1974年8月30日。松田優作演じる柴田純刑事が殉職しました。命がけで助けたチンピラに撃たれて。同僚のオシンコ刑事(内田伸子:演・関根恵子)と婚約したばかりの出来事でした。真っ白なジージャンを赤く染め、「なんじゃあこりゃあっ!」と絶叫した姿は、夏休み明けの学校で話題をさらいました。始業式の校長先生の話なんか誰も聞いてませんでしたねぇ。小学校では早速ジーパン刑事ごっこが始まりました。今でもネタで充分通用しますから、凄まじいインパクトだったんですね。因みに撃たれた松田優作も撃ったチンピラを演じた手塚しげおも故人となりました。彼が亡くなったとき、新聞の死亡記事には“ジーパンを射殺した犯人役”との見出しがありました。

近鉄の成績が悪いと、近鉄絡みの注釈が少ないこと。近鉄ファンの方は1975編を楽しみに。くっくっく。

 

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