全国に何人かはいる筈のバファローズファン兼LASの人に。
 
 そして、執筆を応援していただいている皆様にも。

まあ近畿日本鉄道という会社には愛想もクソも尽きたけど。
沿線に住んでいないのがせめての救い。

かつて存在したバファローズという名の球団に在籍した、
すべての選手とスタッフ、裏方さんに捧げます。


 

因みにバファローズファンは、バファローズと書いてそこに“ばっふぁろーず”とふりがなをうちます。

 

 

 

幸せは球音とともに

ー 1975編 

〜 中 〜


 

2004.11.3        ジュン

描:神有月葵

 
 





「ほら、シンイチ。アンタが一番よっ。早く開けなさいよ」

「はぁ。イヤやなぁ。一番なんて」

「兄貴がジャンケンに弱いから」

「そうよ。まったくうちの男性どもときたら…」

 アスカがジト目で僕たちを見下す。
 レイも嬉しそうな顔で母親に倣う。
 はは、僕は二番目。アスカにジャンケンで勝てるわけないじゃないか。
 あ、連戦連敗してるわけじゃないよ。
 突然ジャンケンをするとアスカは結構弱い。
 それが、何かを賭けたジャンケンになると急に強くなる。
 青い眼でじっと僕を睨みつけて、「アンタ、何出すつもりっ?」ってその目でものを言うんだ。
 完全に威圧されてしまう。
 まさかそれで僕が何を出すかわかるわけじゃないけど、出す瞬間にパーをチョキに変えてもアスカはグーを断固として出してくる。
 とにかく強い。
 レイの方はさらっと勝つ。
 さすがにアスカには負けてしまうけど、僕たち男性陣には無敵だ。
 ちなみにシンイチはリツコさんにも弱いらしい。
 実家にお伺いを立てると、父さんも母さんに歯が立たないらしい。
 どうやらこれは碇家の男性の血統のようだ。
 ああ、でも世間一般的には普通。
 この前も結婚式の二次会でジャンケン大会をして僕が優勝したくらい。
 もっとも優勝賞金はすべて新郎新婦に捧げてしまったけどね。

 さて、今僕たちの真ん中に重ねられている箱には、近鉄メモリアルカードセットと書かれている。
 そう、この10月に発売されたトレーディングカードのボックスセットなんだ。
 おそらくは近鉄バファローズとしては最後のカードになると思う。
 これまで何回かチームカードを買って来たけど、これが本当に最後の最後。
 それで家族それぞれに1セットずつで、計4セットを購入した。
 セットってなってるから1セットですべてのカードが揃う。
 問題はそのボックスに封入されているスペシャルカードなんだ。
 1箱に1枚、メモラビリアカードか直筆サインカードが入っている。
 あ、メモラビリアカードっていうのはバットとかグローブとかユニフォームの一部をカードに仕立てたカードのこと。
 カードの本場アメリカではサインカードほどは珍重されていないんだけど、日本では意外と人気が高い。
 まあ、今回は箱の浦に書かれているカードの種類を見たところかなりの内容だし、とにかく楽しみだ。
 このスペシャルカードが何が出てくるかをイベントにしてしまうのがいかにも我が家って感じ。
 ジャンケンで一番のアスカが4つ積まれた上から2番目の箱を抜き取り、レイが一番下を取る。
 僕が残った2つの上の方をとって、最後の一つを手にしたシンイチが即開封を求められているのが現状なわけだ。
 ぶつくさ言ってる本人も何が入っているのか楽しみなわけで、手の方はラップをびりびりと破いている。

「あ、加藤のサインカード」

 シンイチの箱には加藤伸一のサインカードが入っていた。

「はは、名前が一緒だからじゃないの?」

「う〜ん、何だか微妙やなぁ。嫌いな選手やないけど」

「贅沢はダメよ、馬鹿兄貴。カラスコよりいいじゃない」

 カラスコというのは近鉄の低迷を決定付けた抑えの切り札。
 彼のおかげで勝てる試合を何試合落としたことか。
 したがって、我が家ではカラスコは最低の評判ってわけで。

「さあ、シンジ。さっさと開けなさいよ」

 アスカに言われるまでもなく、僕は箱を開けていた。
 僕だって何が出てくるか、わくわくして…。
 嘘……。
 4人とも黙ってしまい、そして僕以外の三人は爆笑した。
 そこには、カラスコのサインカードが入っていたから。

「し、し、信じらんないっ!い、言ってるそばから、カラスコ出す?」

「お父さん、凄い」

「ははは!やってくれるなぁ、ほんまに」

 言いたいことを言ってくれる。
 本当に僕は勝負弱いというか、家族に弄られやすいっていうか…あれ?
 カラスコのカードの下にもう一枚。しかもサインカードが。

「岡本のサインカードも入ってる…」

 家族の頭がまた集まる。
 カラスコのカードの下に、岡本晃のサインカードが入っている。
 カードの後ろを見るとちゃんとシリアルナンバーも刻まれている。
 それからは何故2枚も入っていたのかを議題にああだこうだと。
 まさかカラスコのカードだけおまけがついているってわけでもないだろうしね。
 何の解決も出来なかったけど、何だか凄く得した気分。

「じゃ、今度はレイ…って、もう開けてるじゃない」

「ふふ、大西さんのバットカード」

「わぁっ!」

 レイがにっこり微笑んで、僕たちに見せたのはまぎれもなくメモラビリアカード。
 緑色のそのカードには151/300の刻印が。
 貴重なはずのサインカードの選手たちには悪いけど、やっぱりこのカードのインパクトは大きい。
 この前はサインボールをゲットしてきたし、レイは大西選手と縁があるのだろうか。
 そして、家族三人は残るもう一箱の中身に視線を集中した。
 アスカはその箱を手に持ってじっと睨んでいる。

「はよ開けぇな」

「うっさいわねっ、集中力が途切れるでしょうがっ。出ろ出ろ出ろ出ろっ」

 気合充分である。
 これでまたカラスコでも出た日には大笑いだよ。

「よしっ!開けるわよ」

 まったくもって、アスカは座の雰囲気を高めるのが巧い。
 わざとやってるわけじゃないから、もって生まれた資質ってことかもしれない。

「よっしゃっ!ノリゲットぉっ!」

「嘘っ!」

 アスカが誇らしげに僕たちに示したのは、中村のビジター用ジャージーカード。
 真っ赤なそのカードには146/300の刻印が。

「やったねっ!」

「お母さん、凄いっ」

 派手なカードを引き当てた我が家の女性二人は嬉しげにハイタッチ。
 僕はシンイチと情けなく苦笑いをかわした。
 どうしていつもこうなっちゃうのかな?
 と、その時、電話が鳴った。

「あっ、リツコや」

 シンイチの腰は異常に軽かった。
 待っていたかのように受話器に飛びつく。
 リツコさんも僕たちと同じで通信販売でこのカードセットを一つ買っていたから、きっとその成果報告なんだろう。
 コードレスフォンを握り締めて台所に入ったシンイチは小声で喋る。
 もちろん、他の三人は耳をダンボにして聞き入る。
 リツコさんは何を引き当てたのだろうか。

「えええっ!」

 シンイチの叫び。
 僕たちは顔を見合わせた。
 きっと何かいいのが出たのだろうと。
 しばらくして、つまらなさそうな顔でシンイチが受話器をぶら下げて帰ってきた。

「ちぇっ、岩隈のジャージーカードだってさ」

「へぇっ!リッちゃん凄いじゃないっ」

「すぐにここに来るってさ。見せびらかしたいんや。くそぉっ!」

 ふて腐れるシンイチを余所に、アスカとレイはお昼をご馳走にしようと相談を始めている。
 まったくもって平和な碇家の日曜日のお昼前の光景だった。
 その後、ニコニコ笑いながらやってきたリツコさんは赤いジャージーカードを僕たちに見せた。
 これは碇家の次世代も女性が強くなるって証かもしれない。
 まあ、それに文句はこれっぽっちもないけどね。

 でもこうやって明るく振舞っているけど、本当はみんな寂しいんだ。
 バファローズという名前は合併球団に付けられることになったけど、
 やっぱりそれは僕たちが応援していた近鉄バファローズという球団ではない。
 どこを応援するのか、また野球の応援自体やめてしまうのか、
 僕自身わかっていないんだけど、今は歴史となってしまうバファローズに想いを馳せたい。




 




 まったく嘘のような本当の話。
 この年に近鉄が1位争いをしているだなんて熱狂的ファンの僕とアスカも想像すらしていなかったんだ。
 だって、ドラフトは失敗するし、四番打者をトレードに出しちゃうし。
 あの阪急の名監督だった西本さんも1年目の去年は5位に終わってたんだもん。
 やっぱり近鉄ってずっと優勝できないチームなのかなって、
 春先には二人で後ろ向きな話ばっかりしていたんだ。
 それが、今年の近鉄は強かった。
 いや、あくまで去年と比べてって話だけどね。
 でも今年の近鉄には4番打者の土井がいない。
 トレードで太平洋クラブライオンズ(現西武)に行ったんだもの。
 きっとガタガタになって最下位だと悲観していたら、前期は3位になった。
 もっとも前期首位の阪急には9.5ゲーム差がついていたし、土井の行った太平洋クラブはなんと2位だ。
 それに6月にはあの完全試合を達成したこともある佐々木宏一郎をトレードしたんだ。
 相手は南海ホークスの島本講平。
 近鉄の大田幸司みたいに甲子園を沸かせたスターだったけど、南海に入ってからはたいしたことがなかった選手だ。
 高校時代は投手だったんだけどプロに入ってすぐに外野手に転向。
 甲子園のスターだからオールスターにファン投票で新人で選ばれたりしたんだけど、成績はからっきし。
 4年間で一軍ではたったの13打数しかなかった。
 それでもたったの2安打がホームランってところだけが西本監督の目にとまったのだろうか?
 一軍で活躍しているベテラン投手と二軍の選手のトレードには、僕もアスカも首を捻った。

「そうよねぇ。あん時は西本さんってボケてるんじゃないかって思ったわよね。はい、紅茶」

「ありがとう」

 僕にカップを渡すと、アスカは僕の机の横にあるイスにどっかりと座った。
 このイスはアスカ専用のイスなんだ。
 ここに座って僕に茶々を入れる時もあれば、僕が夢中になって書きものをしているときはうたた寝をしてしまっているときもある。
 今日は午前中のカード狂想曲も終わって、僕はこれを書くことにした。
 シンイチはリツコさんとデートに出かけたし、レイは図書館だって言って家を出た。
 急に静かになった家の中にアスカと二人きり。
 これが若いときなら甘いムードに…ってことにもなりかねないけど、今は甘いムードどころかアスカは鬼の編集長と化した。

「アンタ、あれ途中でやめる気じゃないでしょうねっ!」

 あれっていうのはこれのこと。
 学校の方も僕がショックを受けているせいか続きのことは何も言ってこなかったけど、アスカは宥めたり賺したり。
 そして、時には目に涙を溜めて怒り出したりしたんだ。
 今日もそうだった。

「途中で投げ出したりなんかしたら、離婚よ離婚!まだ近鉄は優勝もしていないじゃないの!
 いろいろ覚えてる間に書かないとどうするのよ!」

 確かにその通りだ。でも、まだ決心できない僕にアスカはとどめを放った。

「それに、シンイチもレイもまだ生まれてないし、私たちのことだって…ファーストキスだってもうすぐなのにっ!
 もう一生キスしてあげないわよっ!」

 それは困る。
 もう40を過ぎているけど、そんなのは絶対に困る。
 もちろん、それが再開した理由じゃないけど、思い切り背中を押してくれたのは事実だ。
 さて、定位置に座り込んだアスカは腕組みをしてうんうんと頷いていた。

「どうしたの?」

「ほら、近鉄って余所のチームでくすぶっている選手を活躍させるのがうまいじゃない。
 吉岡も北川もそうじゃない。島本だってあのまま南海にいたら首になってたわよ」

 そうだと思う。
 そういう選手が働きやすいチームってあるんじゃないかな?
 もっとも山本和範みたいに自由契約したあとに他のチームで活躍した例もあったけどね。
 
「島本、カッコよかったなぁ」

「うん、代打ホームランでデビューしたんだよね」

「そうそう、確かスクラップしてたわよ」

 アスカはぴょこんとイスから飛び降りると、本棚に向かった。
 そして分厚いアルバムを手にして一枚一枚めくって見る。

「ほら、見てっ!」

 こっちに持ってくる気はないみたいだから、僕の方からアスカのところへ歩み寄る。

「どこ?」

「これこれ。ほら林間学校のときの写真。シンジ、バスに酔っちゃって変な顔で写ってる」

「島本の記事じゃなかったの?」

「あっ、これ家族で奈良に行ったときの写真。ああ、可哀相な私。膝小僧すりむいちゃってべそかいてる」

「何が可哀相だよ。あの時はアスカが奈良公園の鹿にちょっかいかけて追いかけられたんじゃないか」

「そうだっけ?」

「鹿せんべい見せびらかせるだけで全然あげないから、鹿が怒ったんじゃないか。忘れたの?」

「そんなの覚えてないわよ。覚えてるのは歩けない私をシンジがおぶってくれなかっただけ」

 この嘘つき。
 忘れているわけがない。
 当然僕はアスカに反撃し、島本の記事を読むよりスナップ写真を見ながらああだこうだと喋りあうことに。
 まあ、昔の写真を見てしまうと大概こうなってしまう。
 結局、島本の記事を見つけるのは一時間くらいあとになってしまった。

 昭和50年7月8日に後期が始まってすぐに近鉄は快進撃を開始したわけじゃなかった。
 新潟でのロッテとの対戦の時はまだ4位に近鉄はいた。
 そのベンチに島本が座っていたんだ。
 レギュラーだった佐々木恭介が怪我をしたので彼に代打の出番が回ってきたんだ。
 そして背番号54は代打ホームランを打った。
 それから島本旋風が吹きまくることになる。
 2試合連続でホームランを打ったあとも彼のバッティングは好調を維持して、佐々木の穴は完全に埋めていた。
 その当時の記事を僕たちはアルバムに貼り付けていた。

「この記事読んだ時にさ、やっぱり西本さんってすごいなって思った」

「うん。即戦力よりも有望な若手が欲しいってとこだろ。で、その若手にチャンスを与えてるってこともね」

「背番号54って何だか二軍のイメージが強かったけど、これでカッコよく見えるようになってきたもんね」

 そう。最近の51や55の背番号と違って、この当時は若い番号ほど期待度が強いってことに直結してたんだ。
 翌年には島本も背番号は10番へと大幅に若返った。
 だけど、僕たちの目には彗星のように現れた54番の彼の姿がしっかり焼きついている。
 あの日のダブルヘッダーにもその54番はグラウンドにいた。




 昭和50年9月21日。
 場所はあの西宮球場。アスカと出逢った思い出の場所だ。
 その日の第二試合に勝利した近鉄バファローズは後期シリーズを優勝する。
 球団創設以来、初めての優勝だった。

 そして、僕とアスカはその場に居合わせたんだ。
 その日は日曜日だった。

「早くっ!急ぎなさいよ、馬鹿シンジっ!」

「ま、待ってよ。まだ11時だよ。そんなに急がなくても…」

「ば、馬鹿ねっ、アンタホントに馬鹿っ!私たちの近鉄が初めて優勝するのよ!
 みんな球場に押し寄せているのに決まってんじゃないっ!」

 その時は、そうかなぁ…とのんびり構えてた。
 西宮北口駅に到着するまでは。
 阪急の優勝がかかった試合を観に行ったことがなかったから、駅から球場に向うこんな大勢の人を見たことなど僕にはなかったんだ。
 うわぁっ、球場には入れるんだろうか?

 

 

 

「幸せは球音とともに」

1975編 中 

おわり 
 


 

<あとがき>
 1975年編と言いながら、殆どその年の話はありません。
 ごめんなさい、間奏曲ということにしておいてください。
 それと、本文中に出てきたスペシャルカードですが、あれはジュン家で購入した5セットそのままです。もっとも購入者は私と娘の2人でしたが(笑)。本当にカラスコに岡本がついてたんですよ。サービスかと大笑いしてしまいました。画像のカードも我が家のものです、ハイ。

 さて、恒例の注釈コーナーです。

近鉄メモリアルカードセット………週刊ベースボール社より発売された公式のトレーディングカードです。1セットで6000円。本文通り1セットに1枚スペシャルカードがついています。

加藤伸一………南海ホークスの1984年のドラフト一位。南海/ダイエーから広島、オリックス、近鉄と渡り歩き、現在も現役を希望していますが…。

カラスコ………人柄は良さそうなのですが成績はダメでした。優勝してもらっては困るので彼をフロントがごり押ししたという説も(爆)。「カラスコる」という隠語もできたくらいです。意味は抑えに出てきてひっくりかえされること。

岡本晃………大塚が近鉄にいたときは中継ぎ抑えと素晴らしい働きをしていました。大塚が近鉄を去ってからは今ひとつ。

大西宏明………近鉄が消失するその年に売り出した若手。我が家の一押しです。髭とちょっぴり可愛い小さなお目目がアンバランスでいいですね。

中村紀洋………通称ノリ。折りしもこれを書いているときにポスティングしてメジャー挑戦の報道が。正直彼の怪我だらけの身体では苦しいとは思うのですが、夢なのですからがんばってください。

岩隈久志………イケメンプラス実力の近鉄最後のエース。彼の義父が楽天のコーチになります。で、楽天に行きたがっているのですが…。

佐々木宏一郎………通算成績は132勝。1970年に完全試合を達成しました。

島本講平………和歌山県の箕島高校の四番でエースでした。南海に1970年のドラフト一位で入団しましたが…当時の監督に嫌われたのか芽が出ませんでした。えっと、当時の監督って言うと、のちに阪神でニコニコ笑っている北川を嫌って息子を阪神に入れるために阪神から追い出した、あのお方です。本当に明るいキャラクターの人間が嫌いなようで。

吉岡………吉岡雄二。巨人に1989年ドラフト3位で入団。甲子園の優勝投手でしたが、巨人では芽が出ず、近鉄にトレード。ノリに次ぐ右の大砲として大成しました。2004年はアキレス腱を切断してしまい、一年を棒に振り…そして、彼はどこにいくのでしょうか?

北川………北川博敏。あの、優勝決定代打逆転サヨナラ満塁ホームランで一躍有名になり、かつ今年はレギュラーの座まで獲得した男です。おそらく近鉄ナインの中で一番近鉄というチームを愛していたのかもしれません。あの涙のヒーローインタビュー(合併反対を訴えた)は観衆の涙を誘いました。が、新聞やニュースでは殆ど触れられず。報道管制が行き届いていましたねぇ。それに対抗して、アナウンサーも話の流れを向けたり、カメラさんもさりげなく画面の右から左にさっと合併反対の垂れ幕を写したりしていたのですが…。会社のTOPが合併推進をしていたのだから、あの人たちもかわいそうでした。

山本和範………別称カズ山本。通称ドラ。近鉄ではダメで、ホークスに拾われてそこで人気スター選手となりました。私、彼が近鉄の二軍にいたとき好きだったんですけどねぇ。もったいない。で、最後にはまた近鉄に戻り、引退。最終打席は大阪ドームの右翼席にホームランを打ち込みました。ええ男でしたね、ホンマに。

佐々木恭介………1970年代後半に活躍した右翼手。首位打者にもなり、また打撃コーチとしての手腕も一流でしたが…。のちに近鉄の監督になりましたが、鈴木がめちゃくちゃにしたあとだったこともあり成績は低迷。可哀相な人です。

 

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