『坂道の明日香』についてのおぼえ書き 〜作者解題〜 |
ここでは、<アスカの旗の下に>様で掲載していただいた私の拙作について述べさせていただきます。
論文調の上、かなり、長いですから、覚悟してお読みください。
★必ず本編を先にご読了ください。その後にこの拙文をお読み頂き、今一度本編をお読みいただけると嬉しく思います。
<アスカの旗の下に>様はこちらからどうぞ。
このSSでのテーマは、人が幸福な環境にあるとき、不幸であったときの夢を追いつづけることができるのか?ということでした。
もちろん、エヴァに乗って戦っていたとき、アスカ自身は自分を不幸とは思っていなかったでしょう。それは、アスカ一人だけの問題ではないと思います。例えば、第2次大戦の折、前線、または銃後の人間は、どうしようもできない環境の中で必死に生きていたと思います。しかし、もし、その中の一人がシャングリラ−理想郷−に迷い込んだなら…。もちろん、戻ることができるのなら、自分の守りたいもの、守らねばならないもののために、シャングリラを後にするものも多いと思います。だが、帰る道がなかったなら、どうでしょうか?
アスカが転生した世界は、彼女が欲してやまなかった『暖かい家庭』があります。命を張って戦ってきたアスカには、いじめに負けた明日香のこころは理解できなかったと思います。こんなにいい両親を持ったのに、負けてしまう気持ちが。ただ、これはあの世界にいたアスカだからこそ、言えることなのかも知れません。果たして、アスカはあっさりといじめを克服します。向こうで大学を卒業していたんだから、学業も簡単。運動も何とかなるでしょう。
こうなってみると、この緩やかな世界にどっぷりとつかってしまうのは簡単なことです。
頭脳、容姿、体力。どう考えても、自分の思い通りにできる人生が眼前に切り開かれています。
さて、その状態で、シンジを探すことを続ける意味があるのでしょうか?
シンジがこっちの世界に転生しているなんて保証はどこにもありません。確率で言えば、1%以下だと、恐らく本人も承知していたと思います。
では、何故?
この作品の主役がシンジではなく、アスカであるという点が強くなります。
シンジならば、優しい母。頼れる父。可愛い妹。暖かい家庭に包まれたならば、アスカのことを忘れてしまう可能性はきわめて高いと言わざるを得ません。それは彼が努力の人ではなく、才能の人だからなのです。アスカほどの研鑚を積まなくても、エヴァに乗って操作する事ができるということは、まぎれもなくその証といえます。シンジに同情する点は多いと思いますが、彼は誰かに愛されたかっただけなのです。孤独な幼児期を過ごしたが故に、誰かに信頼され、心から愛されれば、もしその愛が盲目的で排他的なものであったとしても、彼は従順に受け入れています。仮にゲンドウに可愛がられていたなら、他の典型的なアニメヒーローのように敢然と死地に赴き、戦うことに疑問をもたなかったでしょう。余談ですが、ゲンドウはそれを畏れていたと考えることもできます。また、そんなシンジに、アスカは心を許すでしょうか?
ここでよくエヴァのFFでよく題材となる話があります。
アスカ×加持の可能性です。もし、加持がアスカにちょっかいを出していたなら。まあ、彼ほどの女性心理のテクニシャンならば、アスカが彼に溺れる可能性は否定できません。ただ、加持がそんな男かどうかが問題です。彼がちょっかいを出すのは、後で面倒にならない女性ではないでしょうか。つまり彼はしがみついてくるような女性は必要としないのです。あのときのアスカは間違いなく、加持がその気になれば、全力でしがみついていたと考えられます。そういう相手が欲しかったのですから。しかし、そんなアスカには魅力を感じないから、加持は相手にしなかったのです。
シリアス&イタモノの世界であれば、アスカ×加持はありえますし、スーパーシンジ×アスカもあるでしょう。肉欲の世界ですから。
しかし、ここで大前提となるのは、アニメの世界の延長線でFFを考えるか否かということになります。
現実世界と同一視して考えるならば、スーパーシンジにアスカが惚れる可能性は否定できません。
ただ、アニメの世界観を基本とするならば、もてまくっているシンジにアスカが惚れるでしょうか?「はん!ヤな奴」と一言で終わるはずです。結局、自分と似たような境遇にあったからこそ、あの冴えないシンジに心を開いていったはずですから。もし、マグバダイバー以降の展開がなければ、そういうよくアニメにありがちのストーリーとなっていたでしょう。それをあの(わざと)予想を裏切る展開に持っていかれることで、ヒロインという虚構の座からアスカは引き摺り下ろされ、それだけでなく「ここまでやられるか」と思わせるほど、徹底的に(話的に)痛めつけられます。明らかな意図をもって。その図式にエヴァの斬新さの一環があり、逆にそんな痛めつけられ方をされたヒロインが見当たらないからこそ放送後数年が経過するのに、LAS勢力が保たれている理由があります。減ったといっても、まだこんなにサイトも作家もいるのですから。
※ここでの痛めつけというのは肉体・精神的なものではなく、設定の問題。明らかにヒロインとしての設定で登場しながら、目の前にヒロインの座をちらつかされたまま全力疾走を強いられた上に、ボロボロにされてしまうということです。まあ、製作者側には元からその意図があったのでしょう。タイトルバックでのアスカの扱いを見れば一目瞭然です。
話が横道に逸れましたが、主役がシンジならばアスカのことは、夢として片付けてしまいかねないと断言できます。しかもこの作中では赤い海のほとりでアスカに拒否されていますから。
散々悩んだのが、シンジの記憶を無くすか否かでした。記憶をとどめるならば、あのつらい記憶を消し去るためにシンジは手近な愛を求め、適当に(という言葉はまずいですが)相手を選び、それなりの幸福な生活を得ていたと思います。そして、アスカはそんなシンジの姿を見つけて、打ちひしがれる。そういう作品にして感動させることは容易なのですが、それではテーマ性がなくなってしまいます。
だからこそ、この作品のシンジには、記憶を失ってもらいました。そして、作中では明確に語りませんでしたが、そんなシンジを安易な方向へ向かわせなかったのは、実の妹として転生していたレイなのです。近親相姦という選択肢は場外ホームランさせてもらって、あの世界の記憶をとどめるレイが、いい加減な結婚をシンジにさせるわけはありません。いや、もしアスカに見つからなければ、生涯独身を通させたかもしれません。ただ、この作品でのレイはそこまでは考えません。その証明が、アスカの近所に住居を構えたということになります。惣流などという苗字は全国を捜してもほとんどなく、調べれば惣流明日香がアスカの転生した姿だということは、見当がつくはずです。しかし、恋のキューピットまでは務める気にはならない。それはシンジへの思いとの板ばさみというものでしょう。あの状態で転生してしまえば、多少歪んだ性格になっちゃっても仕方ありません。
さて、エンディングがご都合主義になってしまったことは否めません。
綾波でも調べてるだろう?ドイツだったら!などのことも、もちろん考えました。アイルランドにしようかとか。いや、モルジブ諸島のほうが、などと。しかしあまりにそのあたりを真面目にしてしまうと、このサイズの話では終わらないんです。例えば、イギリスでカヲルと出会って一緒にシンジの事を探すうちに、カヲルに惚れられ、アスカもまんざらではなくなり、あわやという時に!やっぱりシンジじゃなきゃ駄目!なんて話もできますし、ひとつひとつの話としては面白くなるのですが、やはり話を盛り沢山にすれば一番最初に述べたテーマが薄まってしまうんです。ということで、すんなりと終わらせるようにしました。
また、どうしてもご理解いただきたいのが、夢を追いつづけて一生を棒に振ることは、周囲から見ると敗残者ですが、それは本人の問題だということです。この作品でも、アスカがそのまま年老い、見つけられないまま死んでしまうというバージョンも実際に書きました(ファイルごとDELしましたが)。もしそうなっていても、アスカは満足して死んだと思います。シンジを探しつづけることが、幸福な世界に転生した、アスカの贖罪なのですから。ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、『ビルマの竪琴』の主人公と同じ想いと考えてください。南方の戦地に取り残される同胞の屍をそのままにして故国に還る訳に行かないと、ただ一人ビルマに残る主人公。アスカは彼とは逆に、ただ一人だけ平和な世界に転生したのですから、どうしてもあの世界(アニメの)の人たちの分も私が幸せになんて、単純に考えないと思います。
ほら、皆さんも考えてみてください。そんなアスカを好きになりますか?
不器用に(本人は器用なつもり)、まっすぐ生きていくのが、アスカでしょう?
最後に、何故坂道なのか。そして何故『坂道のアスカ』でなく『坂道の明日香』なのかです。
まず、坂道を舞台に選んだのは、この世界に転生したアスカの状況を表しています。つまり、エヴァの世界のアスカにとってみれば、この恵まれた家庭の、そして世界の環境はまさに頂きと言っても良いでしょう。ただ、そこにシンジがいないだけ。そのシンジを探し出したいがために、アスカは自らの意思で坂を下っていきます。坂を降りない限り、つまり坂の上でぬくぬくとしているだけでは、何も始まらない。アスカというキャラクターならば、坂の下から登っていくよりも、坂を降りていく方がメッセージ性が強くなりますから。
そして、題名の問題です。
この世界の惣流明日香はアスカが転生した段階で、その存在が消滅しています。残っているのは肉体上と戸籍上の『明日香』だけです。通常ならば『坂道のアスカ』が正しいことになりますが、それではアスカの心の中のみの作品になってしまいます。『明日香』という存在は生きています。両親は理屈では理解できていても、心の底では『アスカ』に『明日香』を重ねているのは間違いありません。肉体が同じなのですから。もし、『アスカ』がシンジを探すことをしないで両親が本当は望んでいる市井の幸福を求めていたなら、その時点で『アスカ』という存在は消滅します。『アスカ』の存在意義がなくなってしまうからです。いくら『アスカ』が違う世界から転生したと大声で主張しても、この世界の環境に埋没してしまえば、世迷言とされることは当然でしょう。『アスカ』が『アスカ』であるために、シンジを探しつづけたと言い換えてもいいと思います。『アスカ』と『明日香』がそういう関係にあるのですから、シンジを見つけたとき、そしてシンジとの(どんな手段を行使してでも)生活を始める事が暗示されたときに、『アスカ』は消滅します。シンジは記憶を失っているのですし、レイとも向こうの世界の話をするとは思えません。上記の『ビルマの竪琴』でいうならば、『アスカ』の戦争はシンジを見つけたときに終わったのです。幸福にも。(僧侶の姿でビルマを歩き続ける水島上等兵の戦争はおそらく一生終わらないと思います)
ですから、この物語は『惣流アスカ』が『惣流明日香』になるまでの話ということができます。『アスカ』は幸福な生活を否定していたのではないのです。本心ではすぐにでも『明日香』になりたかったと思います。そのためには、シンジというファクターがどうしても必要だった。坂道の上で立ち尽くしているのは『アスカ』ではなく『明日香』です。いえ、『明日香』になりたい『アスカ』といった方がわかりやすいかもしれません。そして、『アスカ』は『明日香』になるために、坂を降りていったのです。
ラストシーンでのシンジと歩いているのは、すでに『アスカ』ではなく『明日香』なのです。『アスカ』の存在理由がなくなったのですから。
だから、この物語の題名は『坂道の明日香』となっているのです。
こんな長い(論)文にお付き合い頂き、有難うございました。ジュンというのは、こんなことやあんなことを考えながら、あのようなSSを書いているのです。ここまでお読みいただいても、お茶も出せませんでしたが、お許しくださいませ。
文責:ジュン 2002.12.15