新 薬
「リツコッ!アンタ、今、何飲ませたのよっ!!」
「今朝完成したばかりの新薬」
「げっ」
私は、胃の中に流れ込んでしまった錠剤を慌てて吐き出そうとした。
「無駄ね。胃の中に入れば数秒で消化されるわ」
「アンタ、ね、何考えてんのよ」
「ん?新薬の実験だけど」
「殺す」
私は、13才にして殺人者となる決心を固めた。
「あら、そんなことをすれば、愛しいシンジ君とは二度とあえないわね?」
「ア、アンタ馬鹿ァ!私は確かにシンジを大好きだけど……」
「……」
「……」
「……」
「……」
私は、血の気が退く音って聞こえるんだ、なんてことを心の隅で考えていた。
リツコがフッと唇をゆがめて笑った。
「成功のようね」
「ア、 アンタ、こ、この気○い科学者!な、なんてこと、するのよ」
「だから、新薬の実験」
駄目だ…。
泣く子とマッドサイエンティストには勝てないって、誰か言ってなかったっけ。
ここは、冷静に、冷静に、冷静に……。
「で、で、どうなるのよ、私は」
「だから、実験に協力してもらうわ」
「そうじゃなくて!何を飲ませたのよ」
「新種の自白剤」
「じ、自白剤って」
「そうね、質問には何でも素直に答えるようになるわ」
「げっ、嘘」
「アスカ、私のことをどう思ってる?」
「金髪黒眉毛のマッドサイエンティスト。ネコ好きの、女好きの、危険な奴。
発明のためなら何をしでかすかわからなくて、……(中略)……、
おまけに、ひょっとしたら、もしかしたら、私の大事な、大事な、愛するシンジを狙っているかも……、アッ!」
私はそこまで淀みなく喋り続け、慌てて口を押さえた。
リツコの笑みは顔中に広がっていた。
怖い。
これが、マッドサイエンティストの微笑みってやつなのね。
映画ではよく見るけど、現実に身近で見ると、本当に恐ろしい……。
「どうやら成功のようね。では次の質問」
私は口を押さえた。
「レイのことはどう思う?」
リツコに質問されたとたんに、私は一瞬の逡巡もなく口を開いた。
「ファーストは最大の敵。私の大好きなシンジを狙ってる、地球上で一番デンジャラスな女。
あいつに隙を見せたら、シンジを奪われる。
だから、できるだけ私はシンジのそばにくっついてるの。シンジは私のすべてなの!」
は、恥ずかしい。これ、本当に私が口にしてるの?
た、確かに、頭の中ではこんなことばかり考えているけど……。
「まあ、よく効くわね。効きすぎて、質問以上のことを喋り出してしまうのが少し問題ね」
リツコは白々と手帳にメモをしている。
「ア、アンタ、こんなことをして、ただですむと」
「じゃ、次の質問。シンジ君との関係は何処まで進んでいるの?」
な、なんてこと聞くのよ。駄目よ、私!絶対に喋っちゃ駄目!
「キスまでよ」
「へぇ、そうなの。貴方たち、キスを済ませていたの?」
「そう。でも暇つぶしだって言った上に、シンジの鼻摘んで、
おまけにキスした後、うがいまでしちゃったから、シンジ傷ついてるかもしれない」
私は自然に涙がこぼれた。酷い、酷いよ、こんなのって。
さすがのマッドも乙女の涙には、胸に響くものがあったようだ。
私の顔を、じっと見つめている。
「で、告白はしたの?」
「してないわ」
リツコはニヤリと唇の端で笑った。
やっぱり、マッドはマッドなのよっ!マッド以外の何者でもないわ!
「じゃ、告白はしないの?」
「私の方からはする気がないの。
やっぱり、告白なんて男の方からすべきだと思うし、
そうなるように私考えて、シンジに接しているんだけど…。シンジは鈍感だから」
「あなたのことが好きじゃないから、彼は告白しないのじゃないの?」
な、なんてこと言うのよ。この嫁遅れのマッ、
「そんなことはないわ。シンジは私のことが好き。それだけはわかる。
私がメチャクチャに接していても、優しく許してくれるの」
「まあ…。少し自信過剰じゃなくって、アスカ。
告白を待っている間に、誰かがシンジ君をさらって行くかもしれないわよ」
「何言ってるのよ、アンタ馬鹿ァッ!」
あ、喋れる!自分の意志で喋れる!やったわ、薬の効果が切れたのよ。
「こんな実験して、ただで済むと思ってるの。まるで拷問じゃない。子供の人権110番に訴えるわよ!それに」
「告白を待っている間に、シンジ君をさらわれたらどうするの?」
はん!効果は切れたのよ、ブ・ザ・マ、ね。
えっ、ええっ!
「誰かにシンジが奪われたら、私は生きていけない!
でも自分から告白するなんて、私のプライドが許せない。
告白は男の方から。でもそれを待っていて、すべてが台無しになったら…。
でも告白に失敗したらどうなるの。私、シンジに普通に喋れないのよ。
いつも思ってることと違うことばかり。失敗することは間違いないんだから、自分から告白なんかできっこない。
でも、でも、でも!」
ああ〜ん、効果が続いてるじゃないの。
しかも、いつもの無限ループに突入しちゃったじゃない。
リツコは手帳にスラスラと書いた。
「成る程、質問調で聞かないと答えてもらえないのね。じゃ、アスカ、シンジ君とのことはこれからどうするの?」
「正直、困ってるのよ。シンジは鈍感だから、こっちの誘いには乗ってこないし、私から告白するのは……。
でも確かに早くなんとかしないと、周りの女どもが危険だわ。
ネエ、リツコ、どうしたらいいと思う?」
私は愕然とした。
私が、誇り高き、この惣流・アスカ・ラングレーが、金髪黒眉毛のマッドサイエンティストごときに、
どうして恋のアドバイスを求めなくちゃいけないのよ!
「これは凄い効力ね。あのアスカが、この私に相談を持ちかけるなんて」
リツコがまた手帳に書き付ける。
私はだんだん気力が失せてきた。リツコにいくら罵詈雑言を浴びせても、質問されれば“素直”に答えてしまう。
ん?
“素直”?
私の辞書において、一番内容の薄い項目。
それが“素直”。
それさえ、人並みにあれば…。
ううん、シンジにだけでも“素直”に接することができたら…。私が“素直”になれたら…。
待って!これはもしかしたら、もしかするかも!
「リツコ、ちょっと聞いていい?」
「何かしら?」
「質問者は誰でもいいの?」
「ええ、その筈よ」
ちゃぁ〜んす!大ちゃぁ〜んすよっ!!
これは、使えるわっ!
「アスカ、貴女……、この状況を利用するつもりね?」
駄目、駄目、言っちゃ駄目ぇ〜!
「そうよ、その通り。シンジをうまく誘導して質問させれば、私から素直に告白できるから。
これで、私とシンジの間は大進展!晴れて恋人同士となるのよ」
再び脱力感。
どうしてこんなにペラペラと……。わかっちゃいるけど、本当にとんでもない薬ね。
リツコが、笑っている。
楽しそうに笑っている。
この人、こんな表情もするんだ。知らなかった。マッドなだけじゃなかったのかしら。
「いいわ、実験に協力してもらえたんだから、この状況を精一杯利用しなさい。
そうね、効力がいつまで持続するかわからないから、勝負は早めにする事ね」
「ありがとう」
思わず小声で礼を言ってしまった私に、リツコ自身も照れているような感じだった。
「お礼なんて、アスカらしくないわよ。照れるじゃない。
そうね、ミサトは私が抑えておくわ。えびちゅ飲ませて、帰れないようにするわ」
「ありがとう」
今度は普通の声で言えた。
リツコもどことなく嬉しそうに見える。
やっぱり“素直”ってのは、いいものなのね。
「まあ、もし失敗したら、アンタ殺すわよ。人を散々モルモット扱いしたんだから」
リツコは微笑んで、手帳を机の引き出しに入れながら、
「素直にシンジ君に接したら大丈夫よ」
「そ、そうよね。が、がんばってみるわ」
優しげに頷くリツコに、私は微笑んで部屋から出ていこうとした。
そう、人生最大の決戦の場に向かうのよ。
そして、私は勝つの!
「アスカ」
「何?」
「シンジ君のこと好き?」
私は振り返った。
「だ〜い好き!!」
新 薬 − 終 −