「ざけんじゃないわよ!!」

バンッ

激しい音を立て、まわりの机を巻き込みながら一人の男子生徒が弾き飛ばされた。

クラスメイトは教室を囲むように、遠巻きにその姿を眺め冷ややかに嘲りの声を上げている。

『ケッ!ちょーしにのってんじゃねーぞ』

『ちょっと可愛いからって、ムカツク!』

『信じられない。何考えてんのアイツ』

『馬鹿じゃないの』

ヒソヒソと。

しかし、本人には聞こえるように。

そんな教室の中央で、少女は只一人立ち尽くしている。

肩で激しく息をし、ととのった眉を険しくつりあげ。

美しい顔は怒りに震えている。

顔をうつむかせながら、ただ床を見つめている。

少女の意識は今や教室全体に向けられていた。

口から血を流し、今だ蹲まっている男子生徒。

自分を馬鹿にした態度がむかついて、思いきり殴り飛ばした。

しかし、アスカの怒りは、なにも男子生徒だけに向けられたものではない。

ただただ、怒りがこみ上げてくるのだ。

努力をしないクラスメイトに。

嫌らしい目つきの教師たちに。

そしてなにより、自分自身に、だ!

すべてに対して怒りを感じ。

そのすべてをむちゃくちゃに壊してやりたい。

男子生徒は言わばキッカケでしかない。

歯を食いしばり、行き場の無い怒りに身を任せ転がっている机を思いっきり蹴飛ばした。

ガッ!

あわてて逃げるクラスメイトを横目でみつめ、ほんの少し気分が良くなる。

しかし、怒りの炎はそのことを許さず、さらに激しく胸の中で燃え上がる。

気に入らない。

この世のすべてが。

世間体を気にして、表面上優しい義母も。

一流の会社に勤めていることだけが心のよりどころの父も。

そんなすべてを受け入れられない、屑な自分も。

そう、少女は自覚している。

自分が、この社会に受け入れられない『不適合者』だと言う事を――。










 
不適合者


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ふじさん        2004.11.17

 

                                










クラスの外も騒ぎを聞きつけ、騒がしくなってきた時。

アタシは倒れている生徒を思いっきり蹴り飛ばしカバンも持たずに、教室を飛び出してきた。

今は只、あても無く町をさまよっている。

間違いなく学校では騒ぎになっているだろう。

日本でも有数の名門校。

おそらくは学校内だけで問題を解決するだろう。

それはアタシのためではなく、学校のために。

義母は学校の連絡を受け、泣いて謝るのだろう。

口の端が皮肉のためにあがる。

ざまーみろ。

悲しくも無いくせに、娘の非行を悲しむのだろう。

表面上だけで。

不幸にでも酔ってろ。

携帯はカバンの中だ。

そもそも、かかってくるのはどこかの馬鹿が

アタシの容姿を気に入ってかけてくる程度だ。

惜しくも無い。

町を意味もなく歩いていると、どこの学校だかもわからない制服を着た少女たちが歩き回っている。

明らかに学校へ行っていなければならない、こんな時間に。

そして、社会はそれをいまや当然のこととして受け入れている。

流行の音楽を聴き。顔の良い芸能人の話をし。おいしいお菓子のお店をまわる。

それが、平日の道端でおこなわれていると言うだけだ。

立ち止まり、胡坐をかいて座っている少女たちをみつめる。

視線に気づいたのか、あからさまに此方に悪意のこもった態度を見せる。

今更、喧嘩になってもかまうものか。このまま、どうとでもなってしまえ。

けれど、少女たちはペッとつばを吐き大声でアタシを馬鹿にしながら場所を移動していった。

アタシはしばらく、誰もいなくなった場所を睨み付けていたが

ひとつ息を吐くと、また当てもなく歩き出した。

道を歩き、足を進める。通り過ぎていく人間に、意識を向けることは無い。

じゃまならば、石ころをよけるように避けていくだけだ。

ぼやけたテレビ画面のように、通り過ぎていく人間たちは、はっきりとしない世界だ。

向こう側の人間にしても、アタシは只の障害物でしかないのだろう。

自分が特別な人間なんだと思うことは、ママが死んだときに思うのをやめた。

子供にだけ許される、小さなちいさな世界はそのときに終わった。

ときおり不審な目で見てくる人間もいるが、あいつ等が見ているのは、アタシの制服だ。

こんな時間に街中を歩いていることに不審がっているのだろう。

だが、声をかけてくる奴はいない。

それが当たり前の町。

『アイツ』

そんな声を聞いた気がして、意味もなく立ち上がり周りをぐるっとながめる。

さっき道で座っていた少女たちが、いかにも柄の悪そうな男たちをつれ

此方を指差して何かわめいている。

いかにも社会のつまはじき者。帰る家もなく、又帰る気も無い。

今がよければそれでいい。

そんな屑どもだ。

ハッ。

思わず苦笑がもれた。

自分とどこが違うのというのだ。

アタシも結局はこいつらと同じ屑だ。

男達はしかし、アタシの苦笑を馬鹿にしたととったのか

大声でわめきながら、石ころを弾き飛ばし走ってくる。

その姿があまりにも滑稽で、アタシは今度こそ本当に笑い出した。

「アハハハハハハハハ!!!」

周りにいた人間が、何事かとアタシをみる。

まるで、さっきまでいた教室のように。

どこかキがふれたように、アタシはさらに意味の無い笑い声をあげていく。

顔を思いっきり空にむけ、この世界そのものを笑い飛ばすようにアタシは笑った。

出ることの無い、涙を流しながら――。

声が枯れるほど大声をわめき散らし。

触れるほど近づいた男達をすんででかわし。

雑踏の中を走り出した。

ハァハァハァ。

どれだけ走っただろう。

こんなに汗をかいたのはいつ以来だろう。

眩しいほどの夕日が道を照らしている。

見たことも無い家々のあいだを足を引きずるように走り回るうちに男達を振り切っていた。

すがすがしい。

そう思う。体に溜め込まれた不純物はすべて汗となって外に排出された。

残るのは、ただただ純粋な世界への敵意。

水をほしがる体に、変わりにしみこんでいった気分だ。

夕暮れに輝く道をこえ。

虹色に映える橋を渡る。

橋の中間くらいまで来たとき、アタシは誰かの声を聞いたような気がして

疲れた足を止める。

それは只の幻聴だったのかもしれない。

ただ、疲れた足を止めるキッカケがほしかったのかもしれない。

橋の手すりに両手をつき、夕日に反射し

色をくるくると変え、きらきらと光る。

なんて綺麗なんだろう。どろどろと腐った水が流れているのに

水面だけは、まるで聖女のように美しい。

手すりについた指を爪がはがれるほど握り締め。

白く色が変わっていく手をみつめ。

左手にしている、不釣合いな大人の時計に目をとめる。

まるでゴキブリが手に張り付いているかのように。

アタシは物凄い速さで右手を腕時計にもっていき、思いきり引っ張る。

ベルトが手首に食い込み、思わず痛みに顔をしかめる。

ブチッ

ブチブチ!!

嫌な音を立てて、とめ具が捻じ曲がり、時計が引きちぎられていく。

いよいよ手首にも金具がめり込み皮膚を裂き血が噴出していく。

「あああああああああぁぁ!!!!」

痛みをこらえ肉が裂けるのを意識し、アタシは時計を引きちぎった。

血にまみれた時計をみ、逡巡したのち、アタシは川へと時計を投げ捨てた。

『バイバイ…ママ…』

夕日に文字盤がキラキラとひかりながら、時計は川へと落ちていく。

アタシの大切なたった一つの宝物。

アタシの最後の良心。

アタシのヒトカケラ。

ぼちゃん。

その音とともに、アタシを取り巻く世界が一変した。

まさに、言葉の通り。

すべての世界が一変したのだ。

すべてがモノクロの世界へと…。

アタシは眼がおかしくなったのかと、何度も目をこすり頭を振るが、世界に色は無い。

「ハ、、、ハハハ…」

いよいよ頭も壊れたか。

アタシがそう結論を出そうとしたとき。

又、声が聞こえた気がした。

いや、確かに聞こえた。

「君…」

ばっ

慌てて後ろを見る。

男達が追いついたのかと思ったからだ。

しかし、まともに夕日を背にしていて

そいつの顔は、ぼんやりとしてはっきりとしない。

「アンタ誰よ!!」

敵意をむき出しに、アタシは叫ぶ。

男、といっても少年は、明らかにびっくりとした態度をして

急におどおどと体を揺らしだした。

あたしはその姿に、少し落ち着きを取り戻し目を細め、手をかざし、モノクロの夕日に目をならす。

そんな中、少年はどこか意を決したようにアタシに話しかけてくる。

「き、、きみ、、、手を怪我しているよ?」

その声ではじめて痛みを意識する。

ズキッ

そんな痛みを最後に、アタシの意識は遠のいていった。

どこかでママの声を聞いた気がした。


『…ママはね…アス…』

まどろみの中、白と黒の光がぐるぐると回っている。

「あなた…だいじょ…?」

靄のかかる記憶の中で、誰かがあたしに何かを言っている。

『安心して…』

あぁこれは夢。

『あげるわね…』

どこまでも優しくて、それでいて残酷な。

『約束よ…』

そう

これは、悪夢だ。


「知らない天井…」

ぼんやりとすっきりとしない頭で考える。

ここはどこだろうか。

薄暗く、だけど清潔感のある部屋。すこし消毒の匂いがする。

パッ パパッ。

2.3度の点滅のあと、蛍光灯がつけられた。

おもわず眩しさに目を細める。

「あら、目が覚めた?」

優しい女性の声。どこか、ママに似ている。

コツ…コツ…コツ…。

っとこちらを安心させるような、ゆっくりとした足音。

アタシが寝かされているベットへと近づいてくる。

その人の顔を確かめようと、未だ光になれていない

目に影を作るために、左腕を顔の前に持っていく。

「眩しかった?」

どこか笑っているような、だけど不快ではない声で。

可笑しそうに、アタシへと話しかけてくると。

今度はタッタッタっとアタシから離れていった。

「あっ…」

小さな声を出してしまった。

つい、その行為がアタシをおいて、先に逝ってしまったママの姿とダブってしまったから。

さっきの夢のせいかもしれない。

アタシは無意識のうちに、影にしていた腕を伸ばしていた。

そのことに気づいて、苦笑いがうかんだ。

時計の合った場所には、きれいに包帯が巻いてあった。

スッと部屋の明るさが少し落ち、眩しさが緩和された。

「これで大丈夫かな?」

この人は、何でこんなに優しい声なんだろう。

ベットの傍らにおいてある、丸イスにゆっくりと腰をかけると

アタシが伸ばしていた手を両手で優しく包んでくれた。

アタシは慌てて手を振り払おうとしたが

フフフっと笑うと、手をしっかりとつかまれてしまった。

「だめよ。これは治療行為も兼ねているんですからね」

治療行為というものの、その女性は特に何をするでもなくアタシの手を優しく握ってくれている。

アタシが観念して、力を緩めると嬉しそうに笑った。

『だめ、どうもこの人苦手』

なんだか、何を言っても無駄なんだなって気がする。

「あっ!今笑ったわね」

チッと舌打ちをする。初対面の人に油断してしまった自分が悔しい。

「あら、女の子なのに舌打ちなんかしたらダメよ」

なんだか会話がかみ合ってないし、そもそも

自分が、まだ何も言葉を口にしていないことに気がつく。

「ここは…?」

うまく言葉が出てこない、どこか頭に霞がかったように、ぼんやりとして、はっきりとしない。

「ここはね、病院」

病院と言われ、あぁそうだろうと思う。そんなことは解ってる。

そんなことじゃなくって――。

そうアタシが喋ろうとすると、握っていた手を片方放し、静かにアタシの唇にそえた。

何をするんだ。という抗議も含め、女性を見る。

その時、初めてこの女性の顔をまともに見た。

清潔感のある白衣。けれど、威張ったり堅苦しい雰囲気が無い。

全体的に、うそ臭い。

それはすべて年齢不詳の顔のせいだろう。

やわらかそうな黒い髪。頬に少しかかるようにシャギーがはいっている。

優しそうな黒い瞳に長いまつ毛。

どこか医者というよりも、看護師のほうが似合いそうだ。

案外、医者の白衣を勝手に着ているだけかもしれない。

そして、白い肌。

しろいはだ?

おかしい。

あれ?

何、この違和感。

唇の色は、柔らかな桜色。

そう、そんな雰囲気だ。

けれど、目にうつるのは只の灰色。

ぼんやりと霞のかかっていた頭が、無理やりに現実へと追いやられていく。

ガンガンと頭痛が激しくなる。

世界はアタシをおいてまわりだす。

激しい嘔吐感。

「ィャ…」

喉がヒリヒリと痛みだす。

口の中はからからに乾き、舌が張り付いたように動かない。

「いやああぁぁああああぁあああああああ!!」

声にならない絶叫を血を吐くようにしぼりだした。

世界は、それが当然というように。

モノクロのままだった。


片手で握られていた手を強引に振りほどく。

その拍子で巻かれていた包帯が裂けるが

そんなことに、今はかまっていられない。

女性は突然のアタシの行動に驚愕の表情を張り付かせたまま固まっている。

ベットから転げ落ちるように逃げ出すと

ベットの横にあった医療器具を乗せたワゴンとぶつかり

それは滑稽なほど派手な音を立て、部屋中に医療器具をぶちまけた。

恐慌状態に陥っていた頭が、派手な騒音で逆に冷静さを取り戻していく。

先ほどまで固まっていた女性も幾分冷静さを取り戻したのか

あらあらと視線を床にさまよわせている。

片付けるのかと思ったが、女性は席を立つと近くに置いてあった水差をとり、コップに液体をそそいだ。

液体を見て、強烈に自分の喉が渇いていることを思い出した。

女性からコップを奪うように受け取るが一瞬だけ迷う。

うすく灰色に光る液体が、自分では何かわからなかったからだ。

けれど、喉の渇きは、そんなことをおかまいもなく訴え続ける。

結局は欲望に負けて、口の周りから水がこぼれるのも気にせずに、一気に飲んでいく。

コップが空になるまで一気に飲み干すと後味の無かった液体が

おそらくは只の水であろうことがわかった。

「おちついた?」

今度は暗に優しい声を出そうと心がけているのがわかるような、柔らかな声で話しかけてきた。

幾分は落ち着いてはいるものの、自分の目に見える世界が

白と黒でしか構成されていないことが変わったわけではない。

「私の名前は碇ユイといいます」

見ての通りお医者さん。

そう紹介できることが、なぜか嬉しいことのように胸を張って答える。

それは、自分の仕事に誇りを持っているかのようにアタシには見えた。

「貴方がね。橋で血を流して倒れていたのを偶然私が見つけてね」

ここまで運んできたのよ。

この女性――。

確か碇ユイといったっけ。

は、こともなげに話した。

しかし、アタシが意識を失う前には、オロオロとした態度のガキがいたはずだけど。

『怖くなって逃げたのか』と思い

自覚しながら嫌な笑みを浮かべる。

当然だろう。

逆に救急車なんて呼ばれなくて良かったわ。

それだけで面倒ごとが増える。

アタシが思考の渦にとらわれそうになっていると

「貴方、目に違和感があるの?」

と、唐突に本題をきりだしてきた。

バッとうつむき加減になっていた顔をあげ

碇と名乗る女医の顔を見る。

「当たりね」

してやったり。

まさに顔にそう書いてあった。

「なんでわかったの?って顔してるわね」

まるで子供に算数の問題の解き方を教えるかのように得意げに話し出す。

「貴方は目が見えないわけではないでしょう?私のことを観察していたものね」

そんなことは当たり前のことだ。

と言わんばかりに話を続けていく。

「でも意識がはっきりしないなかで、周りの景色を見る余裕ができてから、態度が変になった」

それに…

「水を飲むときにね。確信したわ。貴方、色彩がおかしい。もしくは、そのものが無い」

そうでしょう?

と研究者然とした態度ではっきりと言い切った。



迷った。

こんな状況で、誰かに頼りたくなる気持ちがアタシを弱くしている。

さっさとこんなところを抜け出さないと、おそらくは

警察や学校に(忌々しいことに、又この制服のせいで!)

連絡がいっているだろう。

「色が…わかりません」

自分の弱さより、女性の有無を言わさぬ態度。

そしてなによりも、目の奥に潜む優しさに負けてアタシは話し出した。

「色がわからないって言うのは、頭で理解できないということ?
例えば『赤』という色と言葉が一致しないとか?」

少しずつ、こちらの反応を促してくる。

「…いえ…色そのものが…というか」

うまく説明できない自分がもどかしくなってくる。

けれど、彼女はゆっくりとアタシが話すのを待っている。

「だから…全部が…白と黒だけで…」

「あぁ!」

女性は、なるほどとそれだけの説明で、納得したようにうなずく。

「つまりは貴方は今、昔の映画の中に入り込んでしまったような状況なのね?」

もっと、医者として言いようが無いものなのか?

という、釈然としない気持ちをよそに。

「原因は精密な検査をしてみないとなんとも言えないけれど
まぁサングラスをかけてると思えば、ね?」

相変わらず、年齢不詳な話し方だ。

「倒れたときに頭を打ったのかしら」

アタシに聞くというよりは、独り言が口から漏れた。

(変な言い方だとは思うが、そんな感じだ)

「なら、直ぐにでもリッちゃんのところに連絡したほうが…」

その発言を聞いて、アタシは慌てて説明を加える。

「いえ、あの倒れる前からです」

一人意識を飛ばしていた女医は、アタシの発言を聞き。

「倒れる前から?どのくらい前?」

矢継ぎ早に質問をあびせてくる。

アタシがモノクロの世界しか見えないということが

彼女のなにを焦らせているのか、アタシには、それはわからない。

アタシはその様子を見て逆に落ち着いてく。

「はい。倒れる前というか、正確にはその直前…手を怪我したあたりから」

なぜ手を怪我したのか。一瞬、そう聞きたそうな顔をしたが

とりあえずは、目のほうが重要とおもったか。

「そう。でも一応精密検査をしたほうがいいわね…」

「いえ。そこまでご迷惑をかけるわけには…それに早く帰らないと」

目のことは、確かに心配だが、この状況で忌々しい義母と父がかかわってくるのは

くだらない感情だとは思うが、冗談ではない。

「私の主人はね。警察官なの」

『警察官』その単語の意味するところに気づいて、アタシは身構える。

けれど、話の流れを無視するようにつづける。

「しかも結構えらいのよ?」

自分が医者だと言ったときよりも、むしろ嬉々として言う。

笑うとね。とても可愛い人なのよ。

聞いてない。

断固として。

そんなことは、聞いてない。

けど、その幸せそうな姿にアタシは嫉妬した。

もう、ここには用がない。

警察がくるなら、こんなところにいつまでもいられない。

ベットから抜け出そうとするが。

「主人には、もう電話してあります」

女子中学生が怪我をして、倒れていたのだ。

警察に連絡が行っているのが当然だろう。

理性ではそう思う。

けれど、なぜか少しだけ裏切られた気がして胸が痛んだ。

もう誰にも期待しないと決めたはずなのに。

アタシの表情が険しくなったのを見てとったのか。

少し話題をずらしてくる。

「その前に、ひとつだけ教えてくれる?」

アタシの返答を目で促してくる。

アタシの沈黙を了解ととって、話を進める。

どんな話題なのか、すこしだけ体をかたくする。

「貴方の、その手首の怪我はだれかに傷つけられたもの?」

何気ないふうを装ってはいるが、目はそうでは無いことを物語っている。

質問の真意を見極められなかったが、いつまでもだまっていると

傷害事件ととられかねない。

警官に話がいっている以上、さらにややこしくなる可能性が高い。

「いえ…」

ワケは言わなかったが、彼女はじっとアタシの目をみつめ

ふっと表情を緩めると安心したように話した。

「本当はね。傷口をみてなんとなくわかっていたんだけど、貴方から聞いて安心したわ」

そういう姿は、本当に安心したようだった。

それは、なにか自分に迷惑が降りかかるのではないか?

という保身のためではなくて、純粋に。

アタシの体を心配してしていたことがつたわってきた。

「時計か何かを、引きちぎったんでしょ?」

そう言うと、ジェスチャーで時計をちぎる様子をおどけて見せた。

いたずらを見つけた母親のように――。

しかし、あたしが考えていたのは別のことだ。

この人は、頭が良い。

しかも、恐ろしく。

ぶるっと体が震えた。

「安心して。貴方が襲われたのではないとわかった以上
いきなり警察官がここに来て、どうこうはならないから」

主人に任せておけば、悪いようにはしないわ。

そういってくるのを聞きながら、あたしは猛烈な勢いで考えをめぐらせていた。

おそらくこの人の旦那が警察官だというのは本当だろう。

ここで、アタシをだますメリットは無いはずだ。

もっとも、アタシの知らない理由があれば別だ。

このままアタシをここに引き止めておいて、警察が来るまでの時間稼ぎをしているのか?



それも違う気がする。

部屋に時計は見当たらないが、倒れたのが夕方で今、部屋に明かりをつけている。

外の様子はカーテンによって見えないが、外が闇に包まれていることは、想像に難しくない。

時間的には、すでに警察なり学校の関係者が来ていてもおかしくない。

ということは、ひとまず誰かがここに来るということは無いだろう。

そこで、一つの思いが浮かんだ。

『あぁ…この人がご主人のことを信頼している以上に

この人のご主人は、この人を信頼しているのだ』っと。

考えることを放棄したわけじゃない。

けれど、この人の前で自分が謀略を考えたとしてもそれは無駄なことだと

なんとなくそう思った。

「手の怪我は…碇さんの言うとおりです。自分でやりました」

一瞬、この女性のことをなんと呼んだらいいのか迷ったが、とりあえずは無難に呼んだ。

「あら、ユイさん。でいいわよ」

そう言うと、急に寂しそうに目を伏せた。

なぜ急にそうなったのか、理解できずにいた。

アタシが驚いたのを見て。

「ごめんなさいね。貴方くらいの子と話をするのが、懐かしくて」

その話だけで、この女性の過去に何かがあっただろうという事は予想がついた。

何故かはわからない。けれど、無性にそのわけが気になった。

「あの…こんなこと聞いて失礼だと思いますけど…何かあったんですか?」

アタシの問いに、女性…ユイさんは、少し驚いたように

顔を上げ、美しく微笑みながら言った。

「ふふっ。アタシにもね、貴方くらいの年の息子がいたの」

なんともいえない、嫌な予感がした。

「14歳の誕生日にね。当時私も主人も忙しくてね…」

聞いてはいけない。

全身がそう警告を発している。

しかし、体は金縛りに合ったように動こうとしない。

止めに入るより先にユイさんは話を続けていく。

「強盗が入ってね。…私達が帰ってきたと思ったのかしら…玄関で刺されて…ね」

主人が帰ってきたときには、もう手遅れで…。

ユイさんの瞳から流れる、ひとすじの涙をみて

アタシは場違いにも、美しいと思った。

そして、自分の目が今更ながらに

白と黒しかうつさないことがもどかしかった。

「あっ…ごめんなさいね。突然」

ユイさんは自分が何を喋ったのか、理解してから誤魔化すように笑っていった。

とても頭の良い女性。

アタシの態度、表情をよんで、こんな話をしたのかもしれない。

お子さんの死。それ自体が作り話かもしれない。

けど、ユイさんが流した涙は美しかった。

それで嘘なら、かまわない。そう思わせるほどに。

「いえ…。アタシも変なこと聞いちゃって…」

なんと答えたら良いのか、一瞬迷ったが、それだけ答えると、言葉に詰まった。

「ふふふ、かわいいのね。うちの息子のお嫁さんになってほしかったわ」

息子の話をすることが、なんともない。

気にすることの無いことなのよ。

だから、貴方も気にしないで。

ユイさんは、そういっているように聞こえた。

「…」

だまってうつむいたアタシに――。

「さっ!当面の問題は貴方の目ね!」

ぜんぜん簡単な問題ではないのに

ユイさんがいうと、夕食の献立を考えているかのように聞こえるから不思議だ。

アタシが本当にパニックにならずに。

いや、常識からすれば考えられないくらい冷静でいられるのは、ユイさんのおかげだろう。

「…はい」

アタシは、そんなことがなぜか嬉しくて、少し笑いながら返事をした。

「ふふふ。やっぱりかわいい!貴方は…」

そう言うと、少し考えてから

「いつまでも、貴方っていう呼び方も変ね。名前、教えてくれる?」

今まで、自分の名前も話さずにこんな話をしていたのかと思うと、驚きを隠せなかった。

「惣流…アスカ…です」

間違いなく、知っているだろう。

だけどアタシに自分で言わせてくれたことが嬉しい。

そして、アタシはユイさんに初めて名前を言ったのだ。

大切なのはユイさんが知っていたかどうかではなく

アタシがきちんと言ったことだろう。

「アスカちゃん」

優しく言われて、アタシは不思議な気持ちだった。

うれしくて、そして悲しい。

遠い昔に、大好きだったママに言われた言葉。

言われたであろう言葉。

なのに、涙も出ない。

出るのは、引きつった笑顔だけだ。

アタシの大切なママは死んで――。

ユイさんの大切な息子さんも死んだ――。

これ以上の皮肉はない。

そんなことが、ただただ、おかしかった。

もう逃げたかった。

「アタシ、帰ります」

落ち着いて言う。

「目の検査は、明日必ずうかがいます」

何か言われる前に――。

(これ以上優しくされたら、この人を殺してしまいたくなるから)

ユイさんはアタシの眼をじっと見つめている。

その目が、何かを迷っているように少し揺れた。

(何に迷っているかなんて、考えることもないわね)

アタシが明日くるかどうか、それを信じられるかどうか。

ユイさんはそれを迷っている。

なんのことはない。

アタシ自身が迷っているんだから。

さらに一瞬の迷いから、ユイさんはにっこりと笑い

明日、待ってるわね。

そういってくれた。

その後は、財布も無いアタシに診察代はいらないといってくれ駅までの地図も書いてくれた。

別れをつげ、ドアを開けると、外はもう闇に支配されていた。




 





               続  く  
 



 

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 これはアンタのパソコンのグラフィック設定がおかしくなったんじゃないわよ。
 色のついてない世界ってこと。
 だからアタシのいつものこの場所も赤の文字じゃないの。
 さぁて、この不思議な時間の中でアタシはどうなってしまうんでしょうね。
 わくわくどきどき。
 あ、もちろん、アイツはちゃんと出てくんでしょうねっ!
 出てこなかったらただじゃ済まさないわよ!
 
だってアタシは最初の掲示板掲載の時は読んでなかったんだから、先がわかんないのよっ!

 ふじさん様、お久しぶりっ!
 シリアスムードたっぷりの小説、ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、ふじさん様。

 

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