僕が、告白したときもそうでした。

もともと長いこと一緒に暮らしていたんですが、けじめをつける意味も込めて告白しようと考えました。

『そーゆーのは、しっかりさせておかないと、後々恨まれるぜ？』

相談した友人たちの言葉に、背中を押されたこともあったと思います。

夕食後、ミサトさんは今晩も帰ってこないと聞いていたので、チャンスでした。

リビングの床に寝っ転がっておせんべいを食べている彼女に、どうしてもっと状況を選ばなかったのか少し悔やまれます。

でも、その時は、凄く僕も焦っていたんです。

断られたらどうしようと、頭がいっぱいだったんです。

心臓をバクバクさせながら、彼女に声をかけました。

「あ、あの、アスカ…？」

「？　はによ？」

おせんべいをくわえたまま、アスカは逆さまに僕を見上げてきます。

「え、えーと、実は…」

情けないことに、言葉が喉に引っかかります。顔だってきっと真っ赤です。

それでも、彼女がイライラして不機嫌になる前に、言えました。

「ぼぼぼぼ、僕と付き合ってください！！」

最後の方の声が、甲高く上がってしまったのが少し恥ずかしかったです。

でも、もっと恥ずかしくて、アスカの顔をまともに見られませんでした。

だから、天井を見上げ硬直していたんだけど、彼女の返事はありません。

おそるおそる視線を下ろすと、大きく見開かれた青い瞳と目が合いました。

そんな彼女の口元から、囓りかけのおせんべいが転がり、床の上で三回くるくる回ります。

アスカは無言でした。そしてどういうわけかそのまま立ち上がるとリビングを出ていってしまったんです。

僕は、どうしたらいいか分からず、ただ立ちつくしてました。

混乱していました。

断られてたんだ、という意識と、いや、まだ正確に答えて貰っていないよ、という意識が、傷んで酸っぱくなったスープみたいに、僕の頭の中でかき回されています。

やがて鼻の奥がつーんとしてきて、涙が滲んで来た頃に、アスカはひょっこり戻ってきました。

手に何かを持って。

正直、何を持って来たのかより、彼女が笑っていたほうが気になりました。

現金なことに、彼女の笑顔で僕の胸に希望の灯りが点りました。

アスカが差し出してくる手を、犬みたいに待ちかまえます。

彼女の手に握られていたのは、ＩＣレコーダーでした。

「もう一回言ってみて」

とびっきりの笑顔を浮かべ、彼女はいいます。

「え、え、どうして…？」

薄々理解してるんですけど、それでも訊いてしまいました。

「そんなの、記念にとっておくに決まってるでしょ！？　

　だって、死ぬほど鈍くさくて気がきかなくて根性なしのアンタが告白したのよ？

　出来るなら記念碑建てたいくらいよ！」

ああ、そうやって笑うアスカの口元は、どうみてもいじめっ子のそれでした。

だけど、断ることなんかできません。

僕は、こんな彼女を好きになったのですから。

…でも、リテイクを三十回繰り返されたとき、少し後悔しなかったといえば嘘になります…。

「明日、デートするわよ！！」

土曜日の夜になってから、彼女は宣言しました。

出来ればもう少し早くいって欲しかったけれど、喜んで了解します。

だって、デートに誘われたんですから。

お互いに正式なカップルになったってことでしょう？

だから、ワクワクしながらなかなか眠れなくて、それでも早起きしてお弁当を作りました。

アスカの好きな唐揚げをたくさん詰めて。

それで、さあ一緒に出かけようっていったんだけど、彼女は首を振りました。

「それじゃあデートって気がしないじゃない。だから、二時間後に駅前の広場で待ち合わせしましょ？」

なんとなく、アスカの言いたいことは分かったので了解しました。

でも、そういってすぐに彼女は出かけてしまったのは不思議です。

なにか準備するのかなあ…？

それでも、僕も一時間前にマンションを出ました。絶対に遅刻は出来ません。

道すがら、胸と頭の奥が熱くなります。

僕はこれからデートするんだぞ！

なんて少し叫びたくなったけど我慢しました。

そんなことを考えていたものだから、駅前まではあっという間でした。

大きな時計を見れば、まだ約束の時間の４０分前です。

そういえば、駅前ってだけで、詳しい待ち合わせ場所決めてなかったなあ…。

などと思い周囲を見回したら、何かの銅像の下に人だかりが出来てました。

何だろうとと覗いてみて、とても驚きました。

だって、その中心に彼女がいたんですから！

ちょうど三人組が話しかけているところでした。

「ねえ、君、外国人？　可愛いねえ〜」

アスカはニコニコしながら言い返します。

「Ｖａｎｉｓｈ　ｂｅｃａｕｓｅ　ｉｔ　ｉｓ　ｏｂｓｔｒｕｃｔｉｖｅ！」

って、多分いっていたと思います。

僕に聞き取れたくらいなのに、三人組はなんか首を捻ってました。

あの人たち、大学生だと思うんですが。

少し日本の将来に不安を感じてしまいます。

でも、僕の不安も長くは続きませんでした。

なぜなら、アスカの青い瞳が僕を見つけてくれたからです。

「シンジ！！」

人垣が割れて、ちょっとビックリして、ちょっと恥ずかしくて、ちょっと誇らしかったです。

「もう、遅すぎよ！　レディを待たせるなんて！！」

口調と裏腹に、アスカは満面の笑みを浮かべています。

その背後では、例の三人組が、きょとんとした顔で僕らを見ていました。

もの凄い数の視線を浴びていると、アスカは遠慮無く僕の腕に腕を絡めてきます。

ドキドキしつつ、滝みたいな視線に背を向けてから、彼女に訊いてみました。

「ねえ、アスカ。一体、どれくらい前から待っていたの？」

「んー。一時間半くらい？」

ケロッと答える彼女に、開いた口がふさがりません。

それって、約束してマンションを出てからほとんどすぐってことじゃないですか。

「大変だったのよー？　もういろんな人から声かけられてさ。日本語わからない振りして誤魔化したけど」

…改めて、僕は彼女を見直してました。

サラサラの金髪に、大きな青い瞳。肌も白くて、顔もすごく小さいんです。

今日は、クリーム色の少しフリルのついたワンピースを着ていて、とても似合ってました。

ええ、今更ながらドキドキしました。

僕って、こんなキレイな子と恋人同士になれたんだなーって。

でも、恋人ってのはやっぱり語弊があるかも知れません。

英語でも、カップルとラバーズは全然違うと思うし。

「どうしたのよ？　もしかして、あたしに見とれてる？」

アスカの声で我に返りました。相変わらず鋭いんです、彼女は。

「うーん、半分正解…かな？」

正直に答えると、アスカは目をぱちくりさせて、

「じゃあ、もう半分はなによ？」

「……どうしてそんなに早く待っていたのかなって…」

今度も正直に、怒られるのも覚悟で訊いてみました。

ところが彼女は怒りませんでした。それどころか少し照れた風に、

「…待ち合わせる気分ってのを味わいたかっただけよ」

と小声でいいました。

「待つのは嫌いだったけど、これからデートするんだって少しずつ時間が過ぎてくのを感じるって、嫌じゃないのよね…」

彼女にしては、珍しくぼそぼそした物言いです。

だけど、その仕草がとても可愛いかったのは言うまでもありません。

「じゃあ、まず映画でも見にいこうか…？」

「任せるわよ」

ニッコリ笑う彼女に胸をなで下ろしながら、それでも緊張しました。

最初にして最大の関門でもあります。

一体、どんな映画を彼女は見たいのか。

普段のアスカは、アクションものとか大好きなんです。

でも、今日は初めてのデートだし、恋愛ものの方がいいのかな、などとも思うんです。

駅前から映画館まで５分もありません。

その短い時間の間に、決めなければならないのです。

でなきゃ、優柔不断な男だって、今更だけど軽蔑されてしまうでしょう。

それで頭の中はいっぱいなのに、腕に絡まるアスカの感触。香り。

更にすれ違う人たちの様々な視線で、もともと処理能力の高くない僕の脳みそはオーバーヒート寸前です。

腕にぶら下がるアスカは、いつにも増して機嫌がいいみたいで、色々話かけてきます。

どう答えたか、正確には覚えていません。

ただ、こんな状況を楽しめる彼女に、本気で感心してしまいました。

「ほら、胸ぇ張って歩きなさいよ！」

おまけに叱られてしまいました。本気じゃないみたいだけど。

僕が慣れるまでは、まだまだ修行が必要なようです…。

映画は、数年前のハリウッド映画のリヴァイバル作品を選択しました。

結構その筋には好評なアクション映画なのよ？　とアスカは嬉しそうでした。

実のところ、お客の空いていそうな映画を選択したなんて、口が裂けてもいえません。

ストーリーは、あまり頭を使わなくていいもので、主人公は有名なプロレスラーだそうです。

なんか南米ブラジルに人捜しにいくとかいう話でした。

単純なストーリーなのに、それほどよく把握できなかったのは、アスカと手を繋いで見たからです。

その感触はとても新鮮でドキドキしたのはもちろんですが、ヒートアップするとギュッと握ってくるんです。

その度に、痛くて飛び上がりそうになりましたが、我慢しました。

思うに、人の忍耐力は、こういうときに養われていくのかも知れません。

「うーん、面白かったわねー」

映画館を出てそう言われると、何か報われた気がしました。

「じゃあ、次は、公園にでもいってお昼にしようか？」

夕べ練習したので、迷わず言えました。

素直にアスカも同意してくれたので、動揺せずにも済みました。

少しお昼を廻った時間帯の公園には、結構人がいます。

みんな思い思いにベンチに腰を下ろしたり、小さな子供たちは大きな噴水の周りではしゃいでたりしました。

麗らかな光景です。

「シンジ、こっちこっち！」

アスカの手招きしたところは、芝生の木陰でした。

確かに、お弁当を開くには絶好の場所です。

持っていたバスケットから重箱を取り出すと、アスカの目が輝きます。

蓋を開ければ、小さな歓声まで聞かせてくれました。

鳥の唐揚げ、ピーマンの肉詰め、牛肉の野菜巻き、ブロッコリーサラダ、トマトサラダ…。

卵焼きも、アスカが好きな砂糖入りです。

「もう、すっごく美味しそう！！」

凄く喜んでいます。僕も凄く嬉しくなります。

「あ、でも、飲み物がないや…」

間抜けなことに、水筒を持ってくるのを忘れてしまいました。

怒られるかと思ったんですけど、アスカは寛大にも許してくれました。

「じゃあ、あたし、紅茶お願いね！」

「うん、じゃあ、行ってくるよ」

急いで僕は公園の自販機まで走ります。

自分のぶんのウーロン茶も買って飛ぶように戻りました。

ちょっとツメが甘いような気がしましたが、ここまでは満足できる流れだと思いながら。

ところが、戻ってみると、とんでもなく予定外なことが僕たちを待ち受けていました。

なんか、アスカが絡まれているのです。

そして相手の三人組に見覚えがありました。

駅前で、彼女に話しかけて、軽くあしらわれていた連中です。

心地よい風が、気分を悪くするような会話を運んできました。

「なんだよ、キミ、日本語わかるんじゃん？」

「こんなところでシケた弁当なんか食べてないでさー、オレら行きつけのお店いかない？」

「さっきの貧相なのは彼氏？　釣り合ってないよ、全然」

遠目でも、アスカの青い瞳が光ったのが分かったくらいです。

咄嗟に、まずい！　と思ったんだけど、まだ彼女の限界は越えるには至らなかったようでした。

それでも、僕がぞっとするくらいの声で彼女は言います。

「…あたしは、今、サイコーに機嫌がいいのよ。

　でも、アンタたちのおかげで大分急落したわ。まだマイナスまでいってないけどね。

　これから平穏に盛り返したいから、見逃してあげる。さっさと消えなさい！！」

なのに、三人組は薄ら笑いを浮かべ、首を捻っています。

どうやら、外国人並に日本語が通じないようです。

中の一人が無遠慮にもアスカの腕を掴もうとしたところに、僕は駆けつけました。

両手にジュースを持ったまま、彼女を庇うように立ちふさがります。

「なんですか、あなたたちは？」

声を震わせないよう、全力を尽くしました。

「ああん！？」

にらんでくる顔から、決して目を逸らしません。

「てめーに話はしてねーんだよ！！」

もう一人がすごんできましたが、下っ腹に力を入れてにらみ返します。

「言いがかりはよしてください。彼女は嫌がっているじゃないですか。…警察、呼びますよ？」

ここで三人をぶちのめしたい、なんてちょっとだけ思いました。

でも、悲しいながら、僕にはそんな度胸も腕力もありません。

真っ昼間の公衆の面前ですし、なにより穏便に済ませなくちゃなりません。

だって、デートの真っ最中なんですから。

「…ちっ！！」

僕が本気だと悟ったらしく、三人組のリーダーらしき男が舌打ちしました。

背を向けたので、ヤレヤレと思ったとき、なんと端っこの一人が足を払いました。

土と芝生が掘り起こされ、それが宙を飛んで………開いたままのお弁当にかかったんです。

「アスカ！！」

腕を掴んで止めることは出来ませんでした。両手はジュースで塞がっていたからです。

だから、あっと思った瞬間には、アスカの右足は、端っこの男の一人の顔面に吸い込まれてました。

男は吹っ飛び、白昼の公園は一瞬で静まり返ります。

時間にして三秒くらいでしょうか、茫然としていた三人組の残りが、たちまちいきり立ちました。

「てめえ、何しやがるんだ！？」

リーダーが叫びますが、アスカは答えません。むしろ、答えるより先に手が出るタイプです、彼女は。

今回飛び出したのは左足のほうで、つま先はリーダーのみぞおちあたりに吸い込まれていました。

前傾姿勢でうずくまる彼に、アスカの攻撃はそれで終わりません。

両手で相手の首を挟むように押さえつけたまま、自分の身体ごと反転させ、地面に叩きつけました。

スカートが、キレイとも思える動作にフワリと舞い上がります。

確か、スイング式ネックブリーカーとか言うらしいです。下は芝生だけど、相当痛いでしょう。

と、立ち上がった彼女を、残っていた一人が抱きすくめるように押さえつけました。

一瞬で、僕の頭にも血が昇りました。

アスカに何をするんだっ！！

そう叫んだのは覚えています。

気がついたら、その男はアスカから手を離して、白目を剥いてゆっくりと後ろにひっくり返るところでした。

僕の片手から、ウーロン茶のスチール缶は無くなっていました。

「シンジ、ナイス！」

って、アスカは親指を立てて笑ってくれましたけど、僕はせいぜい引きつった笑いを返すことしかできません。

なぜなら、僕たちは、ギャラリーと警官に囲まれていたからです。

「ちょっと署までご同行願おうか…」

年配のお巡りさんが、なんか困ったように制帽のつばをいじっています。

当然でしょう。

今し方、救急車で例の三人組は運ばれるわ、事情を尋ねる警官に、周囲の観客はやんややんやと喝采をくれるわで大騒ぎだったんですから。

「なんで？　正当防衛よ！？」

アスカはぶちぶちいってましたが、僕が見ても過剰防衛な気はしました。黙ってましたけど。

というわけで、僕らは生まれて初めてパトカーに乗ったんです。

道すがら、アスカは携帯電話をいじってましたが、顔を上げると決して不機嫌ではありませんでした。

「ちょっと、予定が狂っちゃったわねー」

「そうだね…」

少し残念そうです。

でも、間違いなく、この初デートは記憶に残るでしょう。

初デートでパトカーに乗る。

こんな経験、誰もしたことないでしょうから。

事情聴取だってされたことありません。

時間かかかるだろうし、今日のデートはこれでおしまいか…。

なんて僕も残念な気持ちでパトカーを降りました。

ところが、驚くべきことに、僕たちは即座に解放されました。

なんか、偉い人みたいな感じのおじさんが警察署の玄関で僕らを出迎えて、

「…ほどほどにしてください」

苦虫を噛みつぶしたような顔をして一言。

それでおしまいです。

拍子抜けしている僕の腕を引っ張って、足取りも軽くアスカは街へと戻ります。

「…いったい、どうなってるの？」

僕が訊ねると、アスカはにっこり笑いました。

「コネは、使えるだけ使わないとね？」

それで謎が解けました。

さっき、パトカーの中で、アスカはきっとミサトさんにメールでもしていたのでしょう。

確かにネルフが根回しすれば、あれくらいの事件ならもみ消すくらいわけないかも知れません。

だとすると、ちょっとだけあの三人組に胸が痛みました。

「なによ、その顔？　あの連中が悪いんだから、アンタが気に病む必要はないの！
　
　…あたしたちの初デート邪魔してくれてさ」

初デートってところのアクセントを強調して、アスカは言います。

僕の表情から内心を推察したのでしょう。本当に彼女は勘が鋭いんです。

そっぽを向いた彼女に、どう機嫌を戻してもらおうか思案して、たちまちその必要はなくなりました。

どういうわけかほぼ同時に、僕らのお腹が鳴ったからです。

赤面した顔を見合わせ、どちらともなく口を開きました。

「そういえば、お昼たべそこなっちゃってたね…」

というわけで、僕らは近くのラーメン屋さんに急ぎました。

お店を選ぶ余裕がないほど、二人ともお腹ぺこぺこだったんです。

日曜日だったけど、もうとっくにピークを過ぎていたらしく、お店は空いてました。

彼女は迷わずトンコツ味を、僕は醤油味を注文します。

途中で、「あ、醤油味も少し食べさせて」と彼女がいったので渡したら、丸ごと食べられてしまいました。

結局、僕も新しく注文したり、替え玉を頼んだりして、二人で４人前くらい食べてようやく満足したのを覚えています。

お店を出れば、もう４時近くになってました。

「…誰かがいってたんだけどね。

４時って時間は、何かを始めるには遅すぎて、何かを始めるには早すぎる時間だって…」

なんとなく近くのバスの停留所のベンチに腰を下ろして、隣のアスカが話しかけてきました。

「そうだね。夕食の準備には少し早すぎるし、これから遊びにいくにも、ちょっとね…」

僕も賛同で答えます。

お腹もいっぱいになったからかもしれませんが、とても満足した気分でした。

それは初デートが予定と大幅に狂ったのは残念でしたけど、二人並んで夕方の街に佇むのも乙なもんです。

きっと、アスカも同じ気持ちに違いありません。

その証拠に、後は悪態もついてこないのですから。

ただ、ぼんやりとしていると、傍らから重みが加わりました。

見ると、予想通り、アスカが可愛らしくあくびをして、目を閉じてます。

「…疲れたの？」

訊ねると、どこかフワフワした声が返ってきました。

「う…ん。昨日…たの…しみで……あまり…眠って…なくて……さ…」

語尾が、あっという間に寝息に変わりました。

とても、綺麗で可愛らしい寝顔です。抱きしめたいくらいに。

でも、我慢して眺めるだけにしていたら、白い頬が橙色に染まりました。

夕暮れです。

そろそろ起こそうかと考えて、止めました。

代わりに、そっと彼女の身体の下に僕自身を滑り込ませ、背中に乗せました。

そうしてから、ゆっくりと僕は歩き出します。

彼女を起こさないように、ゆっくりと。

きっと、日が沈む前にマンションへ帰れるでしょう。

道すがら、優しく前に回された彼女の手に、きゅっと力がこもったけれど、気づかないふりをしました。

だって、そこで気づいたら、彼女はさっさと背中から降りそうな気がして。

…くだらないプライドだとは分かっています。

腕力に自身がなくて、お昼に自力でアスカを守れなかったことに対する抗議ってわけでもありません。

ただ、知って欲しかったんです。

僕でも、キミ一人くらいなら、いつまでも背負ってられるよって。

結局、アスカは、家に着くまで、僕の背中に乗っていてくれました。