ミサトは今日で三十歳


 

無名の人        2006.12.09

 

 
 


 




  「憂鬱だわ・・・」

 葛城ミサト、花の二十九歳独身は、ため息をついていた。

 「もう少しだったのに」

 2016年12月7日木曜日。ミサトは空港にいた。空港の窓から空を眺めている。もうとうに日は暮れて暗かったが、
たとえ昼間であっても雲が出ていたので空は暗かっただろう。ちょうど、今のミサトの心の中のように。

 「長く引き止めてごめんなさいね。もう間に合いそうにないわ」

 そう言って後ろに振り返り、そこにいた第三新東京市の役人数名に言う。

 「私の都合につき合わせてしまったので、今回の拘束時間分のお手当てとお詫び金は出します。必要なら始末書
も書くわ。最後に、わがままついでにもう一つだけ・・・・・・一人にしてくれる?」

 役人たちは同情に満ちた目でミサトを見ると、全員無言で立ち去った。

 「まったくお互いに肝心なところでぐずぐずしてるんだから・・・・・・」

 ミサトは再び空を見上げながら、自分と自分を待たせている男、日向マコトのことを愚痴った。



 はっきり言って不純な動機で始まった関係であった。ミサトは加持を失った心の隙間を快楽によって忘れたかっ
ただけ。マコトはミサトの心が加持に向いていることを知りつつ、せめて体だけでもつながりを持ちたかっただけ。
事が終わったらすぐにシャワーを浴びてお互いの家に帰るというドライな関係。だが、お互い体を重ねるうちに次
第に心が通いだし、気がついた時にはミサトはマコトのことを意識していた。
 そして、三ヶ月前。
 
 「・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・」

 ある日の晩、葛城ミサトと日向マコトは、ホテルのレストランで向かい合って座っていた。これから晩餐を食べ
るのではない。ディナーを食べた後、お互いにほとんど無言で向かい合っていたのである。
 
  誘ったのはマコトの方であった。それまでもマコトは、ムード作りとしてホテルのレストランを利用していた。
ミサトはマコトとは割り切った付き合いをしたかったので、最初はこのようなことにはなかなか応じなかった。デ
ートのようなことをすると、マコトのことを「加持」とうっかり呼んでしまうかもと恐れたせいもある。
 しかし、朝まで一緒に過ごすことはないと告げた時ですらあっさりと受け入れたマコトが、この時ばかりはやけ
にしつこかった。そして、ついに根負けしたミサトは、毎回ではないが、一月に一度くらいのペースでマコトとの
食事を受け入れるようになった。そして、それが大きかった。
 最初のうちは、向かいにいるのが加持だったら、とつい思ってしまった。そしてマコトに罪悪感を憶えるととも
に、そう思わせるマコトが恨めしくなりさえした。
 最初の食事はマコトだけ妙に気分よさそうで、ミサトはなにを食べたかすら分からなかった。

  「ごめんなさいね。でも、楽しめなかったの。こんなことはこれきりにしましょう」

  その日はあえて食事だけでそのまま別れた。だが、次の日に出会ったマコトは開口一番。

  「別のレストラン、見つけたんです。よかったらどうですか?」

  懲りていなかった。



  そして、根負けしてミサトが不承不承参加するというデートが繰り返されたが、そうするうちにミサトの中でい
つしか加持の影が薄くなっていた。

  「図ったわね」

  「私も作戦部所属ですから」

  「なるほど・・・・・・私の中の加持を消す作戦だったのね」

  ミサトはワイングラスを掲げた。

  「お酒で釣って」

  「葛城さんはお酒が好きですから」

  マコトもワイングラスを掲げ、ミサトのグラスに軽く当てた。

  「作戦の成功に乾杯・・・・・・怒ってますか?」

  「いいえ」

  ミサトはワインをあおった。

  「優秀な部下を持ったわ。上司としては喜ぶべきね」

  その晩、マコトは初めて日向マコトとしてミサトと結ばれた。



  マコトとミサトが本当の意味でデートするようになって数ヵ月後、今から三ヶ月前の日も、最初いつものとおり
のデートだと思ってミサトはオーケーした。だが、食事が終わった後、なぜか日向はなかなか席を立とうとしない。

  「・・・・・・・・・」

  「・・・・・・・・・」

  ミサトも本当は分かっていた。だが、自分の方が年上であるということ、上司であるということ等々をかんがみ
て、あえてマコトがリードした事実をもう一つ作っておいた方がバランス上好ましいと考えた。

  「・・・・・・・・・」

  「・・・・・・・・・」

  「・・・・・・・・・葛城さん」

  「・・・・・・・・・」

  だがここで返事につまってしまった。「なに?」では具合が悪い。「はい」ではわざとらしい。ミサトは、こうい
う場面でマコトに対して自分らしくかつ恋人らしい返事を、自分が発見していなかったことに気づいた。

  「・・・・・・・・・」

  やむを得ず無言で目だけあわせる。

  「・・・・・・これ、買ったんです」

  マコトはテーブルの上に紫色の箱を置いた。

  「あなたに似合うだろうと思って」

  奇襲でもなんでもない直球勝負。かえって打つ手がない。どう応えれば姉さん女房っぽくなく受け取れるのか。

  「・・・・・・あけていい?」

  少女のように、ではない。そんな返事をするには年をとりすぎていた。箱を手にとって開ける。プラチナの輪に小
さな、小さなダイヤモンドが鎮座ましましている。本当に小さい、しかし、ミサトの目には星のように代えがたいも
のに見えた。

  「給料の三ヶ月分です。受け取っていただけますか?」

  「・・・・・・わたし、他の男を愛していたのよ。今でも忘れているだけで、本当は彼のことを愛してる」

  「その思いも含めて好きなんです」

  「あなたよりも年上なのよ」

  「僕があなたより年下だというだけです。それでも僕に不満がないなら、僕も不満はありません」

  「私・・・あなたの妻となったとしても、ネルフの人間としてはいつあなたに『死ね』と命じるか分からないわよ」

  「かまいません。あなたの命令なら」

  「・・・・・・・・・」

  「・・・・・・・・・」

  「・・・・・・・・・受け取るわ」

  マコトの顔にその場で叫び声を挙げて踊りださんばかりの喜色が浮かぶ。だが、ミサトはそれを制した。

 「だけど、私には二人子どもがいるの。私の都合だけであなたと結ばれるわけには行かないわ」

 「あ・・・・・・それなんですけど」

 「え?」

 「指輪のケースの中、見ていただけます?」

 ミサトはケースの蓋側に二つ折りのカードがしこまれているのに気づいた。取り出して読む。

 「たぶん指輪よりもうれしい言葉が書いているはずです」

 読めたのは最初の四、五秒。内容を把握するにはそれで十分。

 『ミサトさん、おめでとうございます。シンジ』

 『アンタが幸せになるのに、アタシたちが反対するわけないでしょ。それに日向さんとこにお嫁に行くなら、アタ
シとシンジもこのマンションで二人きりで暮らせるしねっ アスカ』

 『あ、追伸。もちろん僕たち中学生らしく暮らしますよ シンジ』

 後半を涙で読めなかったのはシンジたちにとって幸いだったのだろうか。ミサトは涙をこぼさないよう上を向いて、
ハンカチを当てた。

 「・・・・・・ごめんなさい。もう大丈夫。日向君、策士ねえ。手回しよすぎるわ」

 「すみません」

 「効いたわ・・・ああ、効いたわよ・・・」

 「飲みます?」

 「ええ」

 日向はテーブルから軽く手を浮かす。待ってましたとばかりに給仕が近づいてきた。

 「シャンパンを」

  「もうしわけございません。もうラストオーダーの時間は過ぎておりまして」

  「「え?」」

 時計を見ると確かに閉店時間直前。おまけに自分たち以外の客は消えていた。



  「ホント、お互いにグズだったわあ」

  ようやく婚約が成立し、結婚の準備が始めた。籍だけでも先に入れては?と思わないではなかったが、なにぶんお互
い十代にセカンドインパクトに遭い少年時代の数年を失った世代、さらには使徒との戦いに費やしてきた時間を取り返
したいということもあって、恋人気分を楽しもうという気分で婚約期間をエンジョイしてしまった。それにも飽きてそ
ろそろ入籍しようかと思った矢先に、マコトが海外へ出張、ミサトも急な仕事が入り動けなくなった。

  「グズグズしているからああなったんだけどさ」

  ようやく姿を見せた旅客機を見ながらミサトは愚痴る。

  「最後の最後までグズグズしなくてもいいんじゃない? あと一時間早ければ・・・・・・」

  マコトを乗せた便が一時間遅れで着陸した。



  「ごめんなさい、ミサトさん!」

  ミサトを名前で呼ぶようになったマコトは頭を下げた。だが、姉さん女房ということもあって敬語はまだ抜けない。

  「いいのよ。過ぎてしまえば、こだわっていたのがバカみたい」

  ミサトは時計を見上げた。
  午前0時10分。日付はとうに変わっている。

  「2016年12月8日・・・・・・私の30回目の誕生日・・・あーあ。7日のうちに籍を入れようと、第三新東京市(だいさん)の窓口
の人たちに無理言ってここまで来てもらったのになあ」

  ぼやくミサト。だが、その視界にリボンのついた箱が入ってきた。

  「間に合っても、間に合わなくても必要だったから用意してきました。ハッピーバースデー、ミサトさん」

  ミサトは無言で箱を受け取った。箱の中身はどうでもよかった。箱を差し出す彼の姿が、とても大人っぽく見えたから。

  (最高のプレゼントだわ)

  見えないように目じりを拭う。そして

  「ありがとう」

  感謝の言葉。瞬間、心、重ねるように、目と目をあわす。そこにはすでに夫と妻が立っていた。

  「三十歳の誕生日がこんなにうれしいなんて」

  箱を胸に抱きしめる。

  「でも、やっぱり・・・・・・だからこそ、同じ二十代のうちにあなたの奥さんになりたかったわ」

  照れ隠しか、ちょっとおどけて言う。

  「早めに籍だけでも入れときゃよかった。ごめんなさいね。みんなに三十路の嫁さんをもらったって言われちゃうわね」

  「そ、そんなことどうでもいいですよ。明日、籍を入れに行きましょう!」

  「ありがとう・・・・・・そうね。じゃ、今日は早く帰りま・・・・・・」

  《お客様にご案内申し上げます。ハワイ行き臨時便、あと15分で出発いたします。お乗りの方はお急ぎください》

  「これだわ!!」

  ミサトはマコトの手をとって駆け出した。

  「ど、どうしたんですか。ミサトさん!?」

  「時差よ! ハワイならまだ昨日だわ!」

  走りながらミサトはネルフ・アメリカ支部ハワイ分署に携帯をつなぐ。

  「もしもし! こちらはネルフ本部の葛城ミサト! ハワイ空港から最寄の役所まで何分かかるか至急調べて! 
要件は何か? 婚姻届を出すのよ! あ、そうだ! 総務に連絡! 改名届け準備しといて。
なんて名前に変わるのかって? 日向ミサトよ!」

  かっこいいところを見せたのもつかの間、マコトは、後の一生こんな風にミサトに引きずられながら生きていくのでは
なかろうかと思いながら、それでも割りと楽しげにミサトに引っ張られて駆けていった。


  (ミサトさん、年上のあなたに一つだけお願いします。どうか、僕より先に死なないで下さい。
  たとえ一秒でも長く生きて、僕に一回でも多くの誕生日を祝わせてください・・・・・・)
 

(了) 



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 無名の人様のこのサイトへの2作目よっ。
 アタシの誕生日にもらって、続けざまね。感謝、感謝。
 
 おおっと、ミサトの誕生日モノ!
 で、アタシたちは無視されてるのねって思ったら。
 よしよし、ミサトのヤツ、ちゃぁ〜んとアタシたちのこと考えてくれてんじゃない。
 でも、これでアタシたちは誰に邪魔されることなく、
 二人で甘〜い生活を送れるってわけよ。
 ぐふふふ、日向さんを焚きつけ続けた甲斐があったってものよ。
 シンジと二人で「がんばれ〜!」ってね。
 ま、シンジは安心しなさいよ。
 三十路の奥様どころか、十代の奥さんがもらえるんだからね。
 あと4年も待たないといけないんだけどさ。

 え、何?
 あとがきじゃなくて、惚気じゃないかって?
 あったり前じゃない。
 ミサトの幸福よりもアタシたちの幸福がゆ〜せんするのよ!

 追伸

 幸せにね、お二人さん。心から。

 

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