アスカ記念日


 

無名の人        2008.12.04

 


 
 あれ?というのが目を覚ましたアスカの最初の思考だった。
 「……いつ帰ったんだっけ」
 寝たまま小首を傾げると後頭部に枕の感触。部屋が暗いので見えないが布団を掛けられていることも分かった。
その下の体には酔っ払って服を着たまま寝た翌朝のあの拘束感がない。
 「……シンジ?」
 「お目ざめ?」
 ちょっと棘のある声が聞こえてきた。部屋の明かりが点いた。
 ズキン!!
 電灯の光が目を射すと同時の頭痛。
 「っ〜〜〜〜〜っ!!」
 声にならない悲鳴。
 「はい。水」
 「あ、あんがと……」
 コップも見ないで手を差し出して受け取るアスカ。手が伸びてくる位置にジャストでコップを差し出して待機し
ているシンジもシンジ。ごきゅごきゅのどを鳴らして嚥下する。
 「ぷは〜〜」
 「落ち着いた?」
 「うん…………」
 「洞木さんにお礼言っとくんだね。ここまで連れて帰ってきてくれたんだから」
 「だんだん思い出してきたわ……」
 職場でちょっとしたクレームがあって、その対処でミーティングが開かれた。あまりおもしろくない成り行き
になったので、駅が同じになるヒカリと携帯で待ち合わせて合流。そのまま居酒屋をはしごしたところまでは覚
えているけれど……
 「あたし、いったいどれくらい飲んだの?」
 「さあ、足りない分は洞木さんが全部払ったって言ってたから」
 シンジは、ハンガーで吊ってあるコートのポケットから財布を取り出してアスカに渡した。
 「……軽いわね」
 「今月分のお小遣い、全部使い切ってるよ」
 それを聞き焦るアスカ。
 「ちょ、ちょっと待ってシンジ! 今日、まだ4日よ。付き合いってもんもあるんだしさ……」
 「聞こえません。家計を預かる身としては聞き入れられません」
 聞こえてんじゃないの……とブツブツ言うアスカ。
 「それに今日はもう4日じゃありません。5日です」
 「あ、そっか日付変わってるのね……今何時?」
 シンジは無言で壁にかかっている時計を示す。長針と短針がLの字を描いていた。
 「午前? まさかとは思うけど午後?」
 布団の縁をつかんで少し身を乗り出すアスカ。
 「夜中の3時」
 アスカは脱力してベットに倒れこんだ。
 「そう……帰ってきたのはいつ?」
 「12時前」
 「ぎりぎり昨日か……夜遅くまで待たせて悪かったわね。もう一度寝かせて」
 「ちょっと待ってよ」
 「何?」
 「昨日は早く帰ってきてって言ってたでしょ? 忘れたの?」
 そう言われて昨日の朝、シンジがそう言いながら送り出してくれたのを思い出した。
 「ああ、そう言えば……ごめん。何か用事があったの?」
 「あったよ。大事な用事が」
 「聞いてた?」
 「言ってない」
 「それじゃ分かんないわよ」
 「でも普通忘れないよ」
 「何よ、それ」
 レイとカヲルの子どもに何を送るかはこの前決めたし、ヒカリと旦那に温泉旅行をプレゼントするのはとっく
に手配済みだし、副司令、じゃなかった冬月先生の新研究所の落成記念パーティーはまだ日取りが決まってない
から今からどうこう言う話でもないし…
 「頭がまた痛くなってきたわ……」
 「思い出せるはずだよ」
 思い出す……結婚記念日じゃなかったわよね……碇司令の命日でもなし……シンジの誕生日でも……誕生日?
 「あ……」
 しばし絶句。
 「そう。はい、バースデーケーキ」
 ベッドのアスカからは見えない陰に隠してあった皿を取り出すシンジ。上にはろうそくが数本立ててある。
 「実年齢そのままの本数にはしてないよ。だけど、ちゃんとした時間に帰ってきてほしかったな。他にもごち
そうを作ったのに」
 「……ごめん」
 「いいよ。それにしても自分の誕生日を忘れるなんて。そんなに忙しかったの?」
 「うん……今、本当に大変なんだ。職場もアタシ自身も……」
 「…………だったらこんな時こそさ……持ってて」
 シンジはアスカにケーキの皿を渡すと、壁の時計を下ろして針を戻した。
 「アスカが帰ってきた時間に戻すよ。あれは確か11時53分だったな」
 「ぎりぎりね」
 「これでよし」
 シンジは壁に時計を戻すと、ポケットからライターを取り出し、ケーキのろうそくに火をともした。
 「じゃ、明かりを消して……♪ツム・ゲブルツターク・フィール・グリュック、♪ツム・ゲブルツターク・フ
ィール・グリュック、♪ツム・ゲブルツターク、リーベ・アスカ〜〜〜、♪ツム・ゲブルツターク・フィール・
グリュック」
 ふぅ〜〜〜っ、とアスカがろうそくを吹き消し、明かりがつく。シンジがパチパチパチと手をたたいてアスカ
を祝福した。
 「おめでとう。アスカ」
 「歳を言ったら殺すとこだったわ」
 物騒なことを言いながら心底うれしそうに言うアスカ。
 「ありがとう、シンジ。ちょっと時間が経っちゃったけど食べていい?」
 「もちろん、今、この部屋だけはまだアスカの誕生日なんだから」
 すべて用意していたのだろう。陰からさらにアスカのために小皿とフォークを取り出し、自分はケーキの皿を
受け取ってさらに取り出したナイフで切りわけてアスカの小皿に乗せる。
 「さあ、召し上がれ」
 「ありがとう……どうしたの、これ? なんだかなつかしい、すごくいい味……」
 「アスカの故郷の味だよ」


 翌朝7時にもう一度目を覚ましたアスカの体にはもう昨日の疲れは残っていなかった。シャワーを浴び終えると。
シンジが昨晩アスカのために用意したごちそうをあたためなおして待ち構えていた。
 「ごめん。今晩やり直させて」
 「そう言うと思ったよ」
 栄養たっぷりのごちそうを朝からたっぷり食べて玄関に向かう。
 「行ってきま〜す!」
 「今晩こそは早く帰ってきてね!」
 アスカを送り出した後、ごちそうを冷蔵庫にしまい、洗い物を済ませてから、シンジは居間のテーブルの上に
昨晩から広げっぱなしの日記帳に向かった。12月4日の日記はまだ書き終えられていない。シンジは万年筆を取
り上げて最後の一行を記した。

 「この味がいいね」と君が言ったから師走4日はアスカ記念日


P.S. 
 駅の売店の前を通りかかった時、アスカは、家で新聞を読まなかったのに気づいた。
 「すみません、日経ください」
 と店員さんに渡す。店員さんがレジ打ちを始めてから、財布がすっからかんに近いことを思い出した。やばい!
と財布を取り出し中身を確認すると小銭入れは空っぽ。あわてて札入れの方に小銭が落ち込んでないか探ると、思
いがけず福沢さん5人とご対面。あっけに取られたアスカは万札と一緒にカードが入っているのに気づいた。
 「お誕生日おめでとう。プレゼントはへそくりからおすそわけ。無駄遣いしないように  シンジ」
 やり繰りも楽じゃないのにこんなに出してくれて、と感謝すると同時にはたして売店にお釣りがあるか悩んでし
まうアスカだった。
 

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