赤が空に滲みだした。
滅入るくらいの太陽は地平線に影を潜め、
この日最後のきらめきを赤い光に変えて、世界を照らす。
窓から差し込む赤い光が、私と、私がいる部屋を徐々に赤く染めていく。
その光景を邪魔するものは何もなく、私の眼前でただ広がるばかりだ。
やがて、ベッドに横たわる私は赤く染まり、無骨な医療器具ですら
その染色から逃れることは出来ない。
ものが本来持っている色は失われ、この一瞬に調和という名の平等が築かれる。
視界の全てが赤に埋没した。
私はその光景に酔った。
今、この瞬間という時は自分のためにある。そんな錯覚すら覚える。
その感覚に身震いし、私は余韻で目を閉じる。
網膜に焼きついたあの光景が脳裏に焼きついて離れない。
見渡すばかりの赤。目を閉じても赤。
毎日ほんの数分の間だけ存在する、抽象と具体が織り成す光景に私は歓喜する。
いつまでもこの時が続けばいいのだ。
もしそうなれば、どんなに素晴らしい世界になることだろう!
それを想像するだけで、私の頭の芯から爪先まで快感が走った。
だが、その時は幸福を身に刻むには余りに短く、儚い。
時はいつ何時でも平等に流れ、数十分後にこの空は闇に染まるだろう。
赤を映すものはなく、全てが黒に飲まれ、物の輪郭すらおぼつかなくなる。
そこにはただ無の世界があるのみだ。
私も、この部屋も、この町も、そしてこの赤い世界も、なす術なく呑まれる。
「人は闇を避けるために炎を、そして光を使うようになった。」
昔聞いたそんな言葉は、理屈抜きに私を納得させた。
Colors
-episode1-
rego 2003.12.13 |
けたたましく無粋な電子音が鳴った。
私はその音で夢想の世界から、引きずり出された。
音源はベッドの脇にあるコール用の室内電話からだ。
「聞こえますか?今から、回診しますね。」
電話から聞き覚えのある落ち着いた感じの声が聞こえた。
私に何人か専属でついている看護婦の声だろう。
わかりました、とだけ答え通信を終える。
ふと時計を見ると、もう18時を回っている。
赤く染まる部屋は、まもなく終わりを告げ、人口の光に照らされる時間がやってくる。
この後、医師と看護婦が何人かやってきて、私の傷の治療と包帯を取替えをする。
美しかった私の体は今や傷だらけだ。
右手は今も動かない。無理に動かそうとすれば激痛が走るし、傷口が開いてしまう。
治っても、この手に昔のような機能を期待するのは誤りだ。
医者はこの後の経過とリハビリ次第だと言っていたが、
ズタズタになった神経がそう簡単に戻るなら、誰だって苦労はしないだろう。
左目が無事だったのは幸いだった。
このおかげで私は赤の光景を両目で見ることが出来るのだから。
あれを見ることが出来なかったのなら、私はどうしていたのか。
私は目を閉じ、あの光景を思い浮かべ、手元のスイッチで部屋の電気をつけた。
そのまま目を閉じ、ベッドに寝転がっていると、
部屋の外から、コツコツと数人が歩く足音が聞こえてきた。
* * * * * * * * * *
痛い。
体が焼けるように痛い。
医師が私の体から包帯をはがし、傷口に消毒液を吹きかける。
そのたび、私の体は悲鳴を上げ、感覚神経が脳に痛覚の信号を送る。
耐え切れず、私は何とか暴れようとするが、
その度に無数の白い手が伸びてきて、私の体を押さえつける。
「がんばってね。がんばってね。もう少しだから。もう少しだから。」
医師と看護婦は口をそろえて言う。
毎日繰り返される言葉。
痛い。痛い。痛い。もう嫌。
頑張ったって、もう何かあるわけじゃない。
何故、こんなことを毎日されなくてはならないのか?
医師が治療している左太腿に目を向けると、傷口が目に留まった。
裂傷になっているその部分は血と薬で形容しがたい色に染まっている。
完治したところで昔の綺麗な体には到底及ばないだろう。
健康で均整の取れた身体とシルクのような肌は私の自慢だった。
事実、私は異性に特別に好まれ、
小さいころから男の舐めるような視線を浴び続けてきたのだ。
その視線は、私にとって嫌悪の対象であり、プライドの象徴だった。
その身体は今、無残な姿になり、いつかのように白い手で押さえ込まれている。
毎日の辱めと強烈な痛みに、これ以上耐えられなかった。
私は絶叫した。
真っ暗な闇の中で目を覚ました。
長い時間この暗闇の中にいたのだろう、目が慣れていたのか、
天井の形をぼんやりながらも捉えることが出来た。
私は寝てしまったのだろうか?
記憶を探るが、医師が治療を開始した以降の記憶がない。
おそらく激痛に耐え切れず、治療中に気を失ってしまったのだろう。
ベッドのサイドボードにおいてある時計に目をやると、19時40分を示している。
治療が始まったのが18時過ぎだから、2時間近く寝ていた計算になる。
ずいぶん寝たものだと思う。ひょっとしたら、精神安定剤でも射たれたのかもしれない。
私はもう一度まぶたを閉じると、赤い世界を夢想した。
私は赤い服を身にまとって壇上に立っている。
もちろん私は怪我なんてしていなくて、みんなが羨むスーパースターだ。
私はその世界の劇場で、世界中の人間を前に激しく情熱的に踊るのだ。
みんなは私の踊りに感動して、きっと涙を流すのだろう。
老若男女問わずがいい。
ああ、でも観客は赤い人になれる人じゃないと駄目だ。
赤くない人は劇場に入ってはいけない。
そうでないと、私が楽しくない。
そうだ、いっそのこと、私がその世界の王様で、私が認めた人だけが赤い人になれる。
その人たちだけが、私の踊りを見ることが出来るのというのはどうだろう?
加持さんは赤い人にしてあげよう。そうそうヒカリも。
あとは、ミサト。ミサトは黒だ。あの世界にミサトはいない気がする。
ファースト、あの女も黒だ。でも赤い目を持っている。
駄目だ。あの色は違うのだ。
この2人は赤く染まらない。とても残念だ。
ミサトは私の踊りを見たいけど、劇場に入れなくて、
きっと云々と警備員に文句を言うだろう。
たぶん、凄い怒声を上げて。
散々警備員にいなされたミサトは、ステージを見た人に対して、またプリプリ怒るだろう。
そんな姿が面白くて、私は彼女に声をかけるのだ。
ミサト、赤くなくちゃ私の踊りは見れないのよ、って。
それを伝えたときのミサトの顔を想像して、私は声を出して笑ってしまった。
どのくらいそうしていただろう、
私はまたもサイドボードから発信された電子音で我に帰った。
看護婦が来るときは、室内電話で必ず私に連絡を入れる。
これは、誰かがここに向かっていることを知らせる信号だ。
足音が私の耳に響きだす。
床をこする音がする。
しばらくすると、それは私の病室の前で消え、
かわりにドアが控えめにノックされる音が部屋にこだました。
自分の感覚が一気にドアに集中するのを感じる。
胸がざわつき、私は言いようのない緊張感に襲われた。
「・・・入っていい?」
あいつがきた。
「入らないで。」
「…入るね。」
エアの抜ける音がして、ドアはあっけなく開いた。
暗闇に浮かぶあいつの顔は、何故かはっきりと見え、少しばかりの笑顔を浮かべている。
「…お見舞いに来たよ。」
私に視線を合わせ、目をそらすことなくいう。
「帰って。」
私は視線をはずし、はっきりとした口調でいう。
「電気つけていいかな?」
「帰って。」
胸のざわめきが最高潮に達した。
私は耐えることが出来ず、嗚咽を漏らす。
恐ろしいのだ。この男が。
そんな私をあいつはただ見つめている。
涙で詰まる声を振り絞り、私はあいつにたった一言伝える。
「アタシのものになって。」
「それは出来ないよ。」
なけなしの勇気で綴られた私の言葉は、あいつのいつもの台詞で終わりを迎えた。
私は一度もその言葉に反することが出来ず、
私たちはそれ以外の会話はほとんど持たない。
なのにどうして、あいつは頻繁に私の病室をおとずれるのか。
あいつが来るたび交わされるやりとり。
既にあいつはこの病室にいない。
目を閉じ、私はあいつの顔を思い浮かべてみた。
男にしては綺麗な顔が、闇の中でしっかりと私の脳裏に思い起こされる。
私は焦燥感に苛まれる。
その感覚は私の胸を締め付け、恐怖に私を縛り付ける。
いつまでも抜けないそれに、諦念にも似た感覚を覚え、私は目を開いた。
そこは闇。全てが黒で統一され、何も確認することが出来ない。
私はそれがとても嫌で、暗闇の空に向かって手を伸ばしてみたが、
輪郭を掴むどころか、何かに触れることすら出来なかった。
私はもう一度、目を閉じる。
まぶたの裏は赤いスポットライトで照らされ、ステージの前で観客が私を待ちわびている。
絢爛豪華な赤い世界で私は王となった。
To be continued.
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