あいつは赤くならない。

私がどんなに認めてやっても、あいつは頑として首を縦に振らないのだ。

あいつは私のステージを見たくないのだろうか?

私の世界のあいつは、劇場の外でミサトと一緒に公演が終わるのを待っている。

あいつは言うまでもなく黒いままだ。

私はあいつを何としてでも、赤くしたいと思う。染めたいと思う。

でも、あいつは無言で首を横に振るだけ。

こんなわけで、最近の私は甚だ困っているのだ。



 




Colors

-episode2-

 

rego       2003.12.13


 

 

 

 



看護婦が包帯を取替えに来た。

入院した直後に比べれば、以前のような激痛はもうない。

私が暴れることもなくなったから、今は常勤の看護婦二人が私の専属ナースだ。

私が服を脱ぎ全裸になると、彼女は手馴れた様子で包帯を取り替える。

下腹部から上は、随分と傷が残ってしまった。

おへその辺りから、胸の下まで裂傷の傷跡が生々しく残っている。

自分でもよく死ななかったものだと思う。

内蔵機能は低下し、未だに食事は流動食が主で、固形物はほとんど出されない。

おかゆや、りんごはもういい加減に飽きた。

もっとちゃんとしたものが食べたい。

そんなことをこの間、医師に尋ねたら、血相変えて否定された。

消化機能の低下と右手が動かせないのを理由に。

消化機能はともかく、右手は理由にならない。

たしかに私の右手はまだ動かせない。

無理に動かそうとすると、耐え難い激痛に襲われる。

真っ二つに裂けた手をくっつけるには、流石の現代医学でも簡単なことではないらしい。

それならば、左手を使ってご飯を食べればいい。私はそう感じえなかった。

左手が使えるようになれば、私の出来ることがまた一つ増える。

私は赤い世界の王にまた一歩近づくのだ。

独裁王制の元では王は賢く万能でなければならない。

歴史をなぞってみても、愚かな王の下で国は安定したためしがない。

愚鈍な王は国民に愛想をつかされ、革命という社会変革によって抹殺される。

その記憶は人々から薄れ、その世では抽象世界でさえ生きることが許されない。

私は絶対にそうはなりたくなかった。

だから、私は万能でなければならないのだ。





脳内で展開されたそんな持論に満足し、私は息を吐いた。

看護婦はそんな私を見て軽く笑う。










消毒液が身体に軽い痛覚を与え、私の思考はそこで中断された。







*    *    *    *    *    *    *    *    *    *




昼食が運ばれてきた。

配膳皿をみると、いつものおかゆとりんご、それとトマトスープが乗っていた。

スープの中身は何もない。

潰したときに出たと思われるトマトの筋が、白い容器の中でゆらゆらと揺れている。

それが何だか面白くて、少しの間眺めていたら、

配膳をした看護婦に怪訝な顔で見られてしまった。

私はまず、おかゆとりんごを片付けることにし、看護婦にそれを伝える。

おかゆは湯気が立ち上っていて、出来たばかりといわんばかりに私の食欲を刺激する。

すこし、茶色に濁っていたおかゆは鶏がらの味がしてとても美味しい。

私が食事の味に文句をつけたから、考慮してくれたのかもしれない。

おかゆを食べる間に変色したりんごをほお張った。

甘くもなく、食感もないまずいりんごだった。

水を飲み、口を整え、まるまる残っているトマトスープを覗き込む。

太陽の光に照らされたトマトスープは、周囲の世界をその身に写している。

中にはやっぱり、トマトの筋が浮かんでいて、不恰好に揺れている。

私は看護婦の手を借りず、左手で皿を掴むと一気にトマトスープを流し込んだ。

空になった皿に目をやると、綺麗になった皿と残った筋だけが見える。

底部にべちゃりと張り付いたそれは、含んだ水分を白くなった皿に垂れ流していた。

冷めたトマトスープはとてもまずかった。

このスープはもう食べたくない。




















昼食の後の気だるい時間をつぶしながら、私はある考えに耽っていた。

どうすればあいつを赤くすることが出来るだろうか。

昔の私なら、あいつを私のものにする自身があった。

でも、今の私は痩せこけ、体中に傷が残るただの病人だ。

こんな女に欲情する男など、盛りのついた馬鹿か、ただの鬼畜だろう。

男はもともと大嫌いだが、こんな男どもは見るのも嫌だ。

あいつはどうだろうか?

あいつがこのどちらかなら、赤い人になってくれる気がする。

でも、もし違っていたら?

あいつは私を憐れみの眼で見るだろう。

そして赤く染まらなかったあいつは、黒いままできっとこういうのだ。

「自分を大切にして。」

あいつは何もわかっていない。

自分を大切にするがゆえの行為だと、何故わからないのだろう?

現に、闇にはっきりと浮かぶあいつの顔は、私をかき乱すのだ。

身体が引き裂かれたときよりも、遥かに強い衝撃となって、私の身体を蹂躙する。

それはもう耐え難い苦痛だ。

私を王座から引き摺り下ろそうとする革命の首謀者がきっとあいつなのだろう。

ミサトやファーストはあいつの従者だ。

私は自分の身を守るために、あいつを赤くしなければならない。

あいつは、今日も劇場の外に、そして病室に来るだろう。

今日こそ、あいつを私の色に染めなければならない。

















私の思考は長時間に及んだようで、もう日が落ち始める時間だ。

いつもの光景、いつもの私の世界が始まる時間だ。

だが、今日はいつもと違った。

単純に、私の世界はいつまでたっても始まらなかったのだ。

今日は雨だ。雨が降っている。

いつごろから、振り出したのかはわからない。

空を見上げると、どす黒い雨雲が見渡す限りの空を覆っている。

ひいき目にも見ても、空は晴れる気配は毛頭感じられない。

私と、私の部屋はどんよりとした闇に覆われ、雨の音だけが静寂を打ち消している。





私は困っていた。

劇場の中に入ることが出来ず、ただ闇の中で雨に呆然と打たれている。

この中では、今か今かと私を待ちわびていることだろう。

私は何とか、その期待に答える方法を模索した。

私が赤くないから。劇場に入れない。

私という存在をみんなが分からないから、入れないのだ。

ああ、なんだ簡単なことだ。

別に赤くなる方法は夕焼けに照らされるばかりではない。

13歳で大学を卒業した私が、こんな簡単なこともわからなかったなんて、お笑い種だ。

このことはみんなには秘密にしなければ。

そうでなければ、私から彼らが離れてしまう。





私は髪留めのピンで、右手の手の甲を一気に裂いた。

血管から血が滲み出る。

ベッドに仰向けに寝そべり、苦痛に耐えて右手を身体の上に乗せた。

徐々にではあるが、私の身体が赤く染まっていく。

手首は切れない。死んでしまっては元も子もないから。死ぬのは嫌。

赤く、暖かい液体が私の入院服を赤く染める。

暗闇と、孤独を吹き飛ばしてくれるそれは、私を劇場に導いた。

私は白と赤のまだら模様の衣装をきて、ステージに走る。

今日は来るのがだいぶ遅れてしまった。

みんな待ちくたびれていると思う。

そうだ、お詫びにいつもより多く踊らなくては。

もしかして、アンコールなんかもいつもより多めに出るかもしれない。

それはそれで良い。今日は時間の制限なんてないのだから。

観客の望むままに踊ろう。いつまでも踊り続けよう。

今日はミサトやファーストも入れてやってもいい。

あいつも今日は見てくれる気がする。

私はこれから始まる宴に心を躍らせながら、ステージへの扉をくぐった。













私は壇上に立っている。

誰もいないステージ上に。

観客席はがらんとしていて、誰の姿も確認すること出来ない。

まるでそこに黒い大きな穴が開いているようだった。

その穴は次第に大きくなり、意思を持ったように動き出した。

一人赤い私を取り込もうとしている。

私はその穴から必死に逃げるが、穴が拡大するスピードが速くて、

徐々に私と穴の差が詰まってきてしまった。

劇場から出なければ。私はそう思った。

そうすれば、この大きな穴から逃げられると思ったのだ。

でも、劇場はだんだんと姿を闇に変えていき、もはや道と呼べるようなものは見当たらない。

周囲にあるのは、私を照らす一本の赤いスポットライトのみ。

恐怖で正常な思考は出来なくなっていた。

私は無我夢中に走った。

何も聞こえず、何も見えない闇の中を。

私の疾走も虚しく、穴はどんどん近づいてくる。

捕まる。もう穴は私の背後目前に迫っている。

私は叫んだ。助けてと。

声が出ない。声帯が振動するのは感じるが、何も聞こえない。

穴か私の身体を包み込む。

嫌だ。私は消えたくない。

あらん限りに叫ぶが、やはり声が出ない。

助けて。助けて。助けて。助けて。

私は右手を天とも呼べないそれにむかって突き出した。

そしていった。

助けて!






圧倒的な闇の中に何か見えた。

黒と何色かがぐにゃりと混ざったようなイメージが生まれ、一面黒の世界に穴を開けた。

そのぐにゃりとしたものは、穴に飲み込まれた私に近づいてきて、

穴の中で私を守るように球状に私を包み込んだ。

視界は依然として暗いままだが、私はその球体の中でひとまず息を撫で下ろした。

それを観察してみると、さっきのように黒と他の色が螺旋のように組み合わさっていて、

さらに球体は一定時間度に、軽く収縮を繰り返している。

その色の調和と収縮は私を安心させた。

球体から感じる程よい温もりは、雨に打たれた私の身体を優しく温める。

それはさらに私の安心感を加速させる。

身体の底から安心するというのは、こういうことだろうか?

私は球体に抱かれたまま、目を閉じる。

赤い世界は見えない。

見えるのは黒。暗闇。でも嫌じゃない。

私が大嫌いなあの闇とはまるで違う。

球体の中を穏やかな静寂が支配した。

聞こえるのは球体の収縮音と私の心臓の鼓動だけ。

それはシンクロしていた。数秒ごとに繰り返される私と球体のハーモニーは

たまらなく美しく、そして心地よい響きだった。

おそらくどんなオーケストラも、故郷で聞いたベルリンフィルやウィーン交響楽団でさえ、

この旋律に勝ることは出来ないだろうと思う。

この感覚はオーケストラの胸を打つ演奏といったようなものではないのだ。

次元を超えた心地よさが私の身体を突き抜ける。

いつまでもこの球体に抱かれていたい。

この感覚は私がそんな考えを覚えるほどに甘美なものだった。

球体に酔った私は、この静寂を時間を忘れて堪能した。













それを破ったのは球体からだった。

球体の内側がまたも変化し、私を包み込んだまま何やら丸い小さな球体を形作る。

その小さな玉は、徐々に変化し、人の顔のようなものに形を落ち着けた。

その顔は男のようにも、女のようにも見える。





『助けて欲しいの?』





人の顔が私に問いかけた。

知っている声だ。でも、誰の声かはわからない。




「助けてくれたんじゃないの?」




私は聞き返す。





『助けてはないよ。ただ手助けをしただけだよ。』





私は恐怖と絶望に支配された。

この人でさえ私を助けてくれない。

あの温もりは偽りだというのか。





「何の手助けを?」





『君が助かる手助けを。』





「どうして助けてくれないの?」





『君は君にしか助けられないから。』





「私を捨てるの?」





『捨ててなんかないよ。』





「いい子になるから捨てないで。」





私を守ってくれるママはもういない。

白い鳥に啄ばまれてしまった。

だから、この心地よさを手放したくない。







『心配しないで。そんなことしなくても君は捨てられないよ。』




「本当?」





『本当だよ。』







その顔はそれだけ言うと、形を崩し、球体の中に戻っていった。

私の心臓は激しく鼓動し、先ほどのような調和を生み出すことが出来ない。

その刹那、闇の中に光が漏れ、一瞬にして球体がはじけた。

闇の中に再度放り出された私は、必死になって光へ向かって手を伸ばした。

























私の手を人口の光と看護婦の手が包んだ。









モニターで私の様子をおかしく感じ、病室まで来て悲鳴を上げた。

現実の世界に私を引き戻し、暴れる私の手の甲に治療を施した。

暴れた衝撃でいくつか傷口が開いてしまい、医師まで駆けつける大騒動になってしまった。

私を前のように押さえつけ、全身に止血を施す。

その作業が終わったのが先ほどだ。数時間にわたり私は暴れていたことになる。

途中、部屋の隅にあいつの顔を見た。

あいつは涙を流して、ただ呆然と私のほうを見つめていた。

治療が終わり、専属の看護婦は私の血で染まった入院服を着替えさせ、

自傷行為の元になるようなものを全て撤去した後、去っていった。

彼女が病室を出るころには、白い制服は私の血で赤く染まっていた。

私はそれに満足と虚しさを覚えた。

窓の外を見ると、雨は既に止んでいる。

そういえば、あいつはもう帰ったのだろうか。

部屋は、人口の白い光で彩られ、それぞれの色彩を醸し出している。

疲労感に包まれた私は、目を閉じそのまま眠りの世界に落ちた。





To be continued.



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<アスカ>rego様から投稿episode2を頂戴したわよ!
<某管理人>おおきに、ありがとうございます!
<アスカ>私…、身体はよくなっていってるのに…。
<某管理人>そ、そうでんなぁ…(汗)。
<アスカ>そりゃあ、赤い色は大好きだけど…。
<某管理人>は、はは…そ、それは結構なことで…(汗)。
<アスカ>ジロッ!
<某管理人>ふははっ!私じゃどうにもならん。あの人呼んでこな!
 
 
はん!馬鹿が走って行ったわ。
 そうねぇ、やっぱりアイツでなくっちゃね。

 誰よ、球体の顔にあのナルシスホモの顔を想像したヤツはっ!
 出てきなさいよ、この私自ら殲滅してやるわ。
 だいたい、アレと私は面識ないでしょうが。
 アンタら馬鹿ぁ?
 ……。
 さて、いよいよ次で完結よ。
 も、もちろん、二人は…だよね。そうよね。ね!
(ちょっと不安…)
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、rego様。

 

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