「アンタねぇ!換気扇止めたお風呂に1時間近く入ってるなんて、
そんなバカがどこにいんのよ!」
うう、怒鳴らないでよ。
頭がガンガンする…。
Family complex
- 後編 -
written by rego |
アスカはさんざん僕を罵倒した後、
着替えとバスタオルを乱暴に引っ掴み、バスルームへ向かっていった。
ミサトさんはそんな僕たちを見て、ケラケラと笑っている。
僕は冷蔵庫の扉を開け、ビールの大群に混じって、
申し訳なさそうに鎮座しているスポーツドリンクを手に取り、少しずつ飲む。
火照った身体が冷えるのが感じられて、とても美味しい。
「まーた、派手に怒られたわね。」
「はい…。」
僕は力なく答える。
さっきのは久しぶりに堪えた。
昔と違って、アスカはそんなに怒らなくなったけど、
今日のそれは、以前の彼女を髣髴とさせるようなものだったから。
「あの子ね、あれでもあなたを心配してるのよ。
私に様子を見に行って、って言い出したのは、あの子なんだから。」
知ってる。
だから怖かったのかもしれない。
さっきのアスカの態度が。
僕が無言で俯いていると、ミサトさんはさらに言う。
「明日のこと、考えてたんでしょ?」
お見通しだ。
「アスカはね、それが気に入らないのよ。
ほら、シンちゃん、私が帰ってきてから、妙に明るかったじゃない?
それがあの子には、シンちゃんが私たちを拒絶してるように感じたのよ。」
胸がざわついた。
「そんな!」
心外だった。
僕は思わず激高した。
そんなつもりは毛頭なかったからだ。
僕は彼女たちを大切に思ってるし、
彼女たちも僕を大切に思ってくれてる。
それは、絶対に昔のような感情じゃない。
誓ってもいい。
「もちろんシンちゃんがそんなこと思ってないってのは分かってるわ。
私もあの子も。」
「…だったら…、どうして…?」
ミサトさんは僕を漆黒の瞳で見据えながら、ゆっくりと語りだす。
「一人で悩まれるのが嫌だからよ。
もちろん一人で考えたいこともある。それは分かるわ。
あの子もそれは分かってて、今日は随分、我慢してたみたいだけど、
さっきので糸がぷつんと切れちゃったのよ。
アスカにはあれが、昔みたいに映ったんでしょうね。
否定された気がしたのよ。今を。」
ミサトさんはそれだけ言うと、黙りこくった。
広めのキッチンは非現実的な色に染まり、
冷蔵庫の動作音とラベンダーの香りだけが僕を現実につなぎとめる。
僕が彼女たちを信用してない?
違う。違うはずだ。
だって、僕は彼女たちが好きだから。
僕は彼女たちの匂いを知っているから。
ミサトさんはラベンダー、アスカはシャンプーの匂い。
この家に充満してる、あの芳しい匂い。
「昔の自分を否定するなら、強くならなくちゃ。
本当に大切なことがあるなら、他人を傷つけることを怖がっちゃダメよ。
その相手が、シンちゃんにとって真に大切な人なら、きっと分かってくれるわ…。」
自分の匂いを思い起こしてみる。
無臭。
ただ、無臭。
ミサトさんは止めない。
「もちろん、自分が傷つく覚悟だって必要だけどね…。」
気づいたことがある。
この家は、どこにいっても二人の匂いが自己主張してる。
空気も、家具も、食器も、ペンペンの首輪ですらそうだ。
僕の空間は、あの狭い物置部屋だけ。
でも、そこにすら僕のサムライは匂わない。
それはただ、机の上で送り主のように不満そうに佇んでるだけだ。
その青い液体に込められた意味も果たせずに。
だから、アスカは怒ったのか。
僕の匂いを感じられないから。
「ミサトさん。」
僕は言う。
「…何?」
「僕、ミサトさんのこと好きですよ。」
「…ありがとう。私もよ。」
「ミサトさん。」
「…何?」
「ミサトさんの…、
ミサトさんのお父さんとお母さんって、どんな人でした…?」
彼女は優しく微笑んだ。
「わ!」
「うわ!」「な、何!」「キャー!」
雰囲気を打ち壊す絶叫がリビングに響いた。
どれが誰の声か、わかったもんじゃない。
驚いて、後ろを振り返ると、珍しくパジャマを着たアスカが、
心底、ビックリしたというような顔で立っていた。
「な、なんだよ!」
「何だよじゃないわよ!せっかく驚かせようと思ったのに、
あんたたちが変な声出すから、こっちまで驚いちゃったじゃない!」
む、むちゃくちゃだ。
この子はいつもこんなことをする。
僕の反応を見て、楽しんでるんだ。
「なんだよそれ…。アスカが悪いんじゃないか…。」
僕は呆れ顔で言う。
その言葉に、アスカはさらに顔を赤くして、
今、まさに叫ばんという感じに、大きく口を開けた。
のどちんこ見えちゃうよ…。
「な〜に〜?このアタシが悪いってーの?アンタは!?」
「いや、だからね…。」
「ずいぶんとシンジ様も偉くなったもんじゃない。
はん!とんだお笑い種だわ!」
アスカはすでに、聞く耳持たないといった感じだ。
キッチンに険悪なムードが漂う。
いつものパターンだ。
彼女は烈火のごとく怒り、
鋭い眼光で僕を刺すように見つめている。
…ホントに怖いよそれ…。
今にもキラって光りそうじゃないか…。
「あ〜、私、ちょっちお風呂に〜。」
いち早く状況を察知したミサトさんは、キッチンから可及的速やかに退散する。
ミサトさんの状況把握能力と、行動力はこんなところにも生きる。
伊達や酔狂で、作戦本部長まで上り詰めた人じゃないんだ。
でも、どうしてその能力を家事に反映できないんだろう。
「さて、どうしてくれんのよ、シンジ♪」
アスカが怒りと自信たっぷりに言う。
その表情はどこか楽しげだ。
…ずるいよ、ミサトさん…。
僕の気持ちを裏切ったな…。
…ちくちょう、ちくちょう、ちくしょう…!
「シンジ?」
やっぱり、人はどこまでいっても一人なんだ。
誰も僕を助けてくれない。
誰も僕に優しくしてくれない。
「ちょっとシンジ!」
そんなの、始めから分かってたことなんだ。
それなのに、どうして僕は虚構に縋ってしまったんだろう。
「バカシンジ!」
アスカの平手が僕の意識を刈り取った。
* * * * * * * * *
「ったく、ホントに馬鹿なんだから。」
アスカが不機嫌そうに言う。
そんなこと言うなら、もっと加減してよ…。
「まあまあ、シンちゃんにもいろいろあるんだから〜。」
そういうミサトさんは、ビール片手で、完全にオヤジだ。
今日、何本目だろう。
要領よく生きるっていうのは、こういうことなんだと思う。
「甘い!シンジの考えを許容するなんて、ミサト、甘すぎるわ!」
「そ〜お?」
無駄だよアスカ。
酔っ払いに正常な思考が出来るわけないんだ。
いい加減、君も諦めなよ。
君子、危うきに近寄らずだよ。
この前、漢文の授業で習ったろ?
あと、どさくさにまぎれて、
凄いこと言われてる気がするのは、僕の気のせいだよね?
「そうよ!
ったく、こんな酔っ払いの相手なんかしてられないわ!
三十路女は、とっとと寝なさい!」
そうそう、それが一番だよ。
ミサトさんが素面だったら、
惨事になるようなことを言ったことも、ちゃんと黙っててあげるから。
僕も被害を被りたくないしね。
「は〜い♪おね〜さん、了解よ〜♪
では、葛城三佐!これより睡眠の任務に就かせていただきます!」
葛城三佐は大声でそうのたまわれると、千鳥足で腐海の底へとお戻りになった。
途中、部屋の襖に喧嘩を売っていたけど、まあいいと思う。ミサトさんらしくて。
それより、酔ってて、呂律が回らなくなっても、
アイデンティティに関わることには、無意識でもしっかり反応したことの方が、
僕の関心を引く。
あの人はやっぱり凄い。
「さて、シンジ。」
ミサトさんが消えたリビングで、アスカが唐突に僕に話しかけた。
「邪魔者がいなくなったところで、さっきの続きをよ〜く、聞かせて貰いましょうか。」
なんて、執念深い。
アスカは絶対、敵にまわしたくないタイプだ。
もし、敵にまわそうものなら、さんざん痛めつけられた挙句、
僕は骨の髄までしゃぶられて、キリストみたいに磔にされるんだ。
しかも、学校の前で。
ああ、怖い。
「ちょっとアンタ!聞いてんの!?」
無慈悲なロンギヌスは、さらに僕を恫喝する。
アスカは青い目をしてるから、きっとはまり役だと思う。
ゴルゴダの丘に磔られるのは御免なので、
これ以上、お怒りをかわないよう、僕はさっさと謝ることにした。
「ごめん、ちょっと考え事してたんだ。」
君が僕を磔にすることとは言えないけどね。
僕がそういうと、アスカは急に沈黙してしまった。
アスカは何やら神妙な面持ちで僕を見上げている。
<そんな突然の彼女の変化に>途方にくれてしまった僕は、気まずさを禁じえなかった。
だだっ広いリビングに響くエアコンの単調な音は、僕に一抹の不安を覚えさせる。
僕は、たまらず彼女を促がした。
「どうしたの?」
彼女は僕の言葉に、一瞬、身体をビクンと揺らして、
上目づかいで僕の顔をそっと覗き込む。
彼女はそのまま、ほんの少しそうしていたけど、
やがて、何かを決心したように呟いた。
「…明日のことでしょ。それってさ…。」
アスカは、鈍感な僕にも感じ取れるくらい、優しい口調でそう言った。
でも、心なしか端正な顔が歪んでいるようにも見える。
こんな顔は彼女に似合わないと思う。
いつも、爽やかな笑顔でいないといけない人なのに。
いつも、元気でいてほしいのに。
原因は知ってる。
彼女が僕を心配してるからだ。
そうだ。
磔云々とバカなことを考えてる場合じゃなかった。
彼女の気持ちをないがしろにするところだった。
もう、知ってたはずなのに。
アスカの匂い。
シャンプーと女の子特有の香りが入り混じったそれは、
僕の身体に深く刻み込まれ、どれだけ僕を幸福にしてくれただろう。
ずっと前から、香ってたはずなのに。
刹那、僕は欲求に駆られる。
彼女に僕の匂いを刻みたい。
彼女もきっとそうだと思う。
交わる僕たちの瞳は、それを雄弁に語っていたから。
「アスカ。」
「何よ。」
「アスカのお父さんとお母さんって、どんな人?」
アスカは一瞬、ぎょっとした顔をしたけど、
すぐに表情を整え、真剣な顔で僕に問い返す。
「何でそんなこと聞くのよ。」
「知っておきたいんだ。」
俯いたアスカの表情は、僕からはよく見えない。
姿勢だけ見るなら、何かを思案してるようにも見える。
そんな彼女から僕は視線をはずせなかった。
綺麗な子だ。本当にそう思う。
美麗な顔立ちと、優美な曲線。
いつもの香りがほんのり漂う。
この場に不似合いなそんなことを考えながら、僕は彼女の言葉を待つ。
驚くくらいに落ち着いていた。
数秒の後、アスカはやおら顔を上げると、ゆっくりと口を開く。
彼女の青い瞳には、いつもの力強い意思が窺える。
「…本当のママは私を見てくれる人だったわ。ずっと…。
私のパパと今のママ、前は、…よく分からなかった。
でも、今は違う。
この人たちも、私を本当に心配してくれる人よ。心からね…。」
「そっか。」
「そうよ。」
「僕は母さんのこと、よく覚えてないんだ。
小さいころにいなくなっちゃったから。」
「知ってるわ。」
「父さんはああいう人だろ?
だから、母さんのこともよく知らない。
写真もないから、顔もよく覚えてないんだ。
でも、今は何となく分かる気がする。」
アスカは黙って聞いている。
その表情に変わりはない。
「母さんは、父さんに大好きって言われた人。
父さんが、その匂いを今も追い求めるくらいにね。」
「そう。」
「父さんのことも、今度こそ分かる気がする。
父さんは、母さんのことが大好きな人なんだ。」
僕は続ける。
「あと、こういうことも分かった。
僕は、父さんのことが好きになるかもってこと。
父さんも、僕のことが好きになるかもってこと。
でも、それは偶然じゃないんだ。そんな気がする。」
「よかったじゃない。」
「うん。」
周囲を静寂が支配する。
沈黙。
再び、視線が交差する。
嫌じゃない。
「アスカ。」
「何よ。」
「あの香水、明日から使わせてもらうよ。」
「勝手にしなさいよ。あげたんだから。」
「アスカ。」
「何よ。」
「ありがとう。」
「どーいたしまして。」
「アスカ。」
「何よ。」
「僕、アスカのこと大好きだよ。」
「何、言ってんのよ。」
アスカはクスっと笑いながらそういった。
彼女は僕を見つめる。
透き通るような蒼い瞳で。
彼女の顔に笑顔が戻った。
でも、それはいつもとは違ってて、
ミサトさんみたいな艶やかさを僕に感じさせた。
僕は、何だか恥ずかしくなって、
照れ隠しに、声を出して笑ってみた。
自分でも、どうしてそんなことをしたのかは分からない。
でも、もしかすると、本当に可笑しかったからかもしれない。
そんな突然の僕の奇行に、アスカは不思議そうな顔をしたけど、
僕はもう一度、ありがとう、とだけ言って自室へ向かう。
途中、アスカの優しい視線をずっと背中に感じた。
やっぱり、アスカには頭が上がらない。
きっと、これからも。
ベッドの上で母さんの顔を思い起こしてみる。
表情はやっぱりぼやけてしまって、はっきりとは思い出せない。
でも、それは笑顔だ。間違いない。
母さんは僕たちにずっと笑顔を向けてくれてたんだ。
僕に立ち込めていた雲空は晴れた。
見渡すばかりの宇宙は清涼な風にのって、
僕の鼻腔に懐かしい香りを届ける。
僕だけじゃダメなんだと思う。
でも、明日はこの力を借りて、思い切って言ってみよう。
僕の言葉を伝えてみよう。
机から持ち出したサムライを手に取る。
洒落た透明な容器に入った蒼色のそれは、
僕の姿を鮮明に映し出している。
それがとても嬉しかった。
僕は睡魔に襲われる。
そして抱かれる。温もりと匂いに。
目を閉じる前、僕は誰に言うわけでもなく、つぶやいた。
「さよなら、母さん。」
今度はちゃんと伝えられる気がした。
End.
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あとがき
みなさん、こんにちは。
後書きではお初にお目にかかることになります。
前作でFF作家デビューをさせていただいた、regoと申します。
この場を借りて、作品の掲載場所を快く提供してくださった
管理人のジュンさんに改めて御礼申し上げます。
2本目はコメディーを書いてみました。
つたない文ですが、1人でも楽しんでいただけたなら幸いです。
それでは、機会があったらまたお会いしましょう。
(学生なので冬休み中に一本くらい書ければなぁと。)
rego
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