by  rinker

 

「静止軌道上ラプソディ」目次へ

 

 

 

 

2.三万六千キロメートルの憂鬱


 中学二年生の私たちにとっては勉強も大事だけれどそれと同じくらいに遊ぶことも大事で、つまり何が言いたいのかといえば、一緒に宿題をするという名目で日曜の昼にうちへやって来たヨシノちゃんとかれこれ二時間ゲームで遊んで過ごしているという事実は、まったくもって問題ないはずだ。
 ヨシノちゃんは背が高くて髪が長くて、まあ一言で言ってしまえば大人っぽい女の子で、その点では学校の同級生たちなんて背伸びをしたって太刀打ちできないだろう。特にその長い黒髪は私もとても好きだ。私自身は髪を短くしているけど、見ている分には綺麗だと素直に思う。もっとも私のくせのある茶髪では伸ばしてもヨシノちゃんのようにはならないだろうけど、これは生まれつきなので仕方がない。ヨシノちゃんは寡黙というわけではないけど表情に乏しいところがあって、大人っぽい外見も含めて近寄りがたいと感じている人も多いようだ。実際に付き合ってみれば案外くだけたところがあって面白い子なんだけど、女子はクラスですぐにそれぞれ気の合うグループを作っちゃうし、男子はもう端っからヨシノちゃんにビビってて話にならないので、彼女のこんな一面を知る人は多くない。私はどうして親しくなったのかといえば、中学に入ってほとんど知らない子だらけの教室で出席番号順に座らされた私の目の前にいたのがヨシノちゃんだったのだ。五十嵐と碇で、ヨシノちゃんが二番で私が三番。初めの席替えが行われるまでの間に私たちは仲良くなっていた。
 さてと、私とヨシノちゃんの馴れ初めはどうでもいいのでこのくらいにしよう。たった今ゲーム画面の中で私の操作するキャラクターが派手に吹き飛ばされたところだ。あーあ。また負けた。

「さすがにちょっと飽きた。違うのやろうよ」

 ヨシノちゃんがほっと息を吐き出しながら言った。この私に十六連勝もしておいてその台詞はないと思う。どうせ私はゲームが下手ですよ。いつもいつもヨシノちゃんに負けてますよ。

「いじけないでよ。いいじゃない、下手でも」

「それ、何の慰めにもなってないよ」

「今日も暑いからなぁ」

 私がじろりと睨むと、ヨシノちゃんはまるで関係ないことを言った。しかも言葉とは裏腹に本人はいたって涼しげな顔をしてポッキーなど齧っている。本当、ちーぽんが天使ならこっちは悪魔だね。まあ天使にも悪魔にもそれぞれ味があって、平凡な人間でしかない私にとってはどちらと付き合うのも面白いのだけど。どうでもいいか、そんなことは。
 日曜の昼下がり(っていつ頃の時間をいうのだろう。昼メロやってる時間?)だというのに、今家にはお父さんはいない。平日は仕事仕事で合間に家事も挟んで忙しくしていて、休みの日ともなると日干しにされたトドみたいにごろごろしてるのに、今日に限っては急な仕事が入ったとかぶつぶつ言いながら朝早くから会社に出かけてしまった。まあそのおかげで気兼ねなく家に友達を呼んで遊べるというもので、むしろ私としては好都合なんだけど。ちょっとお父さん気の毒だよね。帰ってきたら肩をもみもみしてやろうかしら。

「アキラは――」

「ん?」

 さっぱり勝てない忌々しいゲームはとっくの昔に放り出して、私たちは今流行りのドラマについて議論を交わしていたんだけど、その最中に唐突にヨシノちゃんが私の名前を呼んで言葉を切った。ぼんやりと真正面を向いて黙っている。こういう意味深な仕草をさせると似合うなぁ。手にはポテトチップス、脚は胡坐座りだけど。ていうかふともも白いなぁ。

「いや、やっぱりいいや」

「えーっ、何よそれ」

 たちの悪いことをするヨシノちゃんに私は突っかかる。そういう風に言いかけてやめるとか、子どもじゃないんだからやめようよ。何が子どもじゃないんだからなのかよく分からないけど、とにかくやめようよ。寸止めは身体に悪いんだから。
 私が促すと、初めはしらばっくれていたヨシノちゃんは渋々という感じで言った。

「アキラは今好きな人とかいるの?」

「はぁ?」

 私がどんな顔をしていたのか分からないけど、ヨシノちゃんはしっかり見ていたのだろう、苦々しそうに顔を歪めると不貞腐れたように零した。

「だから言いたくなかったんだ」

「いや、ごめん。ちょっと意外だったから。これまでそんな話したことなかったし」

 でもなんでいきなりこんなことを訊くんだろう。まさかヨシノちゃんまでちーぽんみたいなこと言い出すつもり?

「違うよ。そうじゃないけど、こないだのチナツのことがあったじゃん。もう二週間くらい経ったしチナツも大丈夫そうだけどさ、なんかアキラはどうなのかなって。好きな人とかいるの?」

 私の好きな人ねぇ。本当はもっと別に言いたいことがあるんじゃないの、と思ったのだけど、元々ヨシノちゃんは口が堅くて、自分で喋らないと決めたことに関しては滅多なことでは口を割らないのを知っていたから、追求の言葉の代わりにため息を吐き出すと、私は正直にこう答えた。

「別に好きな人なんていないよ。そういうのってあんま興味ないし。クラスの男子も大したのいないし」

 ヨシノちゃんは私の目をじっと見て考え込むような表情を浮かべている。何よ、疑ってるの? でもいないものは仕方がないじゃない。私にだってどうしようもないことだ。だからそういうシリアスな反応はやめてよ。

「意外といえば意外だけど、ある意味納得かな。アキラに釣り合いそうなのはクラスにはいない?」

「釣り合いとかそういうことを言ってるんじゃなくて単純に好きになるとかそういうのがないだけよ。大体意外ってなによ。この私が好きだ恋だって目の色変えるように見える?」

「それは……その時になれば目の色どころか顔かたちだって変わるんだよきっと。でもアキラはまだお子さまだね。それこそチナツよりも」

 妙に達観したような表情でヨシノちゃんは私を見るのだけど、同い年なのにこんな態度取られても何だかな。大体ちーぽんよりもって言い方も失礼だ、この私とちーぽんと両方にとって。恋をすりゃ偉いって法でもあるのか。

「しないよりはしたほうがいいかもね」

「へーえ、じゃあヨシノちゃんも誰か好きになったことあるんでしょ。そんなこと言うくらいだから。誰よ、私は正直に答えたんだからそっちも教えてよ」

 私が詰め寄るとヨシノちゃんは何だか難しい顔を一瞬して、それからにっこりと笑うと言った。

「いないよ」

「嘘」

「嘘じゃない。私は恋をしないの」

 ゆっくりとまばたきをひとつして、ヨシノちゃんは何故か楽しそうに続けた。

「一生しない。しわくちゃのおばあちゃんになっても」

「じゃあ一生お子さまなんだ」

「別の方法で大人になるからいいの」

 私の揶揄に不思議な答えを返すヨシノちゃん。

「別の方法って?」

 友人が何を考えているのか想像もつかず訊ねると、彼女は唇の前に人差し指を添えてそっと笑った。

「秘密」

 そのあと秘密とやらを暴き出そうとする私とそれを死守しようとするヨシノちゃんとの間で大レスリング大会がバーリトゥードな感じで開催されたのだけど、開始四秒でヨシノちゃんにがっちり組み敷かれてしまった。別に私が弱すぎるんじゃない。なんせヨシノちゃんはこう見えて女子剣道部副部長だ。とてもじゃないけど腕力じゃ敵わない。それにそもそも体格からして負けている。せめてもの抵抗に胸を揉んでやったら仕返しに関節を極められたけど、本気で痛かったのでそう伝えるとやめてくれた。お堅いヨシノちゃんはセクハラが嫌いなのだ。おっぱいは柔らかいくせに。とまあ、そうやってしばらくの間私たちはぎゃあぎゃあとはしたない奇声を上げながら暴れ回り、ようやく二人とも疲れて大の字に床に寝転がるとノックの音とともにドアが開いてお父さんの顔が覗いた。

「あ、お父さん、おかえり」

「ただいまアキラ。そちらはお友達かな。いらっしゃい」

 そういえばお父さんがヨシノちゃんと直接会うのはこれが初めてだったか、と寝転がったまま暢気に考えていると、私と同様に息を切らして寝転がっていたヨシノちゃんがものすごい勢いで身体を起こして慌てた風に言った。

「すいません、お邪魔してますっ」

「はい、ゆっくりしていってね。えーと?」

「あ、五十嵐ヨシノといいます、おじさん」

 にこにこと朗らかな笑みを浮かべたお父さんと正座して妙にかしこまったヨシノちゃんを交互に眺めながら、私は急にむず痒くなったうなじを撫でた。

「シュークリーム買ってきたからあとで飲み物と一緒に取りに来なさい、アキラ。沢山あるから五十嵐さんも食べてね」

「わ、ありがとうございます」

 にこにこと害のないお父さんの顔がドアの隙間から引っ込むと、私はヨシノちゃんのほうを向いて目を細めた。するときょとんとした顔で相手もこちらを見つめ返すので、私は言ってやった。

「うちのお父さん相手に何かしこまっちゃってんの」

「だって私、あんな格好でみっともない」

 決まり悪そうに短いスカートの裾を引っ張って皺を直すヨシノちゃんの仕草を目で追いながら、私は教え諭すように彼女に言った。

「大丈夫よ、お父さんは女の子のみっともないとこなんていつも慣れっこなんだから。いまさらそんな」

「それ自分のこと言ってる?」

 分かってるんならわざわざ口に出して指摘するんじゃないの。どうせ私は礼儀のなっているヨシノちゃんよりはるかに野蛮でみっともない女の子だ。

「大体あんないい歳したオヤジに向かってかっこつけたってしょうがないでしょ」

「そういう問題じゃないと思うけど」

 その日の夜、私はお父さんの夕飯の用意を手伝っていた。私たちは昔から親一人子一人で生活をしているので、お互いにもう家事はお手のものだ。とはいえお父さんの場合は勤め人なわけで、並行して家事を滞りなく行うというのはなかなかに難しい。今日だって仕事が昼過ぎまでだったからまたよかったけど、本当なら休みのはずだったのだ。平日でもなるべく早めに帰ってくるようにしてくれているみたいだけど、かなり無理しているのではないかと思う。お父さんが勤めているのはロボット関連の開発をしている会社で、結構名前は有名なところだ。実際にお父さんが会社で何をしているのかまでは知らないけど、忙しいのは確かだろう。休日にグデンとしていたって私に文句なんて言えないのかもしれない。従って私にとって家の仕事は手伝うというよりは課せられた義務のようなものだ。私がさぼればその分だけ我が家の生活環境が悪化する。幼い頃はともかく私も小学校の高学年くらいからは大概何でもできるようになって、昔に比べればお父さんの負担も減っているだろうと思う。

「お父さん、こっちは終わったよ」

「ああ、それじゃ皿出しといて。うん、いや違う。平皿の大きいの」

 母親がいてくれたらきっと私やお父さんがこんなことせずにもっと楽ができるのに、とため息をついたことは正直あるけど、そんなことを言うなら家政婦でも同じわけで、ようするに母親とはただ家事をする存在というだけではないのだろう。けれどいないものは仕方がないし、お父さんは今のところ(それともこの十数年ずっと?)家族を増やす気はないらしいので、結局私には分からないことだ。お父さんに言われた皿を出したら今度はご飯をよそうために茶碗二つとしゃもじを食器棚から出しながら私は考える。母親がいたらきっと今よりも楽なんだろう。けど、それでもつらいとは思ってないし、母親が現れたから今よりも幸せになるなんてのはきっと嘘だ。少なくとも私にとって。

「そういえばアキラ。今日来てたお前の友達、可愛い子だったなぁ」

「うわっ、やだ、変態っぽい」

 炊飯器からご飯をよそいながら私は顔をくちゃくちゃにする。別に深い意味はないことは分かっているんだけど、お父さんのこういう発言を聞くと何だかショックだ。説明するのは難しいけど、女の子が可愛いとかどうとかお父さんに言って欲しくないって感じ。

「四十手前のオッサンがそういうこと言うとタイホされちゃうよ」

「何が逮捕だ。大体お父さんは四十手前じゃない。三十七だ」

「同じじゃん。同じ中年だよ」

「全然違うし、三十七歳は中年でもない」

「はいはい。可哀想だからそういことにしといてあげる」

「お前、最近口悪いぞ」

「ふん、放っといてよ。お父さん、ビール飲むの?」

「お、出しといて」

 テーブルに料理やらコップやら並べながら他愛ない会話をする。私とお父さんは軽口は叩き合ってもおおむね仲がいいのであまり喧嘩したりはしない。実に平和的な親子関係だ。きっと祖先に鳩がいるんだ。
 ところが世界は私たち親子ほど穏やかではいられないらしく、今もテレビのニュースチャンネルから華南動乱を伝えるアナウンサーの声が聞こえている。セカンドインパクトと呼ばれる南極消失事件後に始まる二十一世紀は紛争と動乱の時代だ。現在も大規模な紛争があらゆる地域で起きていて、今ニュースで伝えられている中国華南地方もそのひとつだ。もちろんそれを黙って見ている人たちばかりではなくて、様々な努力によって世界中で炎上した紛争の火種は徐々に収束に向かい始めてはいるけど、今後百年はこの状況から抜け出せないだろうという悲観的な意見を言う人もいる。こんな時代に生まれた私たちは不幸だと。まあ不幸と評される私たちからしてみれば、私たちが不幸かどうかを手前の尻も拭かない奴が上から勝手に決めつけるなという感じだ。
 配膳が終わると私とお父さんは律儀にいただきますを唱和してから食事を始める。まずはお父さんが作った茄子のチリソース炒めをいただく。ネットからレシピを落として今日初めて作ったわりにはなかなか美味しいけど、ちょっと味が濃いみたい。私が作ったのはサツマイモのきんぴら。ずっと以前に作って気に入って以来何度か作っているので味に失敗はない。でもお父さんの好みからすれば甘すぎるらしくて、唐辛子がすでに入っているところに七味を振りかけてしまっている。その姿を見て、将来は人の味付けに手を加えない相手と結婚しようと心に誓う。今は興味がなくてもいずれは私も結婚するかもしれないから、その時のための決意だ。

「アキちゃん、ビールいるか?」

「なに、飲ませたいの?」

 娘を構いたがる父親丸出しの姿はみっともなくてちょっと余所様には見せられないけど、口を尖らせながらも言葉と裏腹にいそいそコップを差し出す私も私だ。まあ仕方がない。お父さんは私のことが大好きなのだ。そしてそれに付き合っている私は見上げた孝行娘なのである。えっへん。
 現代は紛争の世紀だと言ったけど私たちみたいなお気楽な人も世の中にはいて、ちょうどニュースもそういう人たちの話題に移っていた。国際宇宙開発財団がどうたらとかリポーターが喋っている。最近ようやく世界中の紛争が収まる兆しを見せ始めてきて、それなら皆で力を合わせてもう一度宇宙に乗り出しましょうと主張する建設的な人たちの集まりらしい。何しろセカンドインパクトからこちら、宇宙開発をする余力のある国など皆無で、二十世紀の人たちが夢見てきた真空世界は関心の外に追いやられて久しかった。二十一世紀は始まりから皆忙しかった。紛争に、食べるのに、建て直すのに、また紛争に。お尻に火をつけられて右往左往している人々に宇宙でふわふわ浮いている暇なんてなかったのだ。でもこの財団の人たちが紛争やめて皆で宇宙に行こうよと言い出した。紛争に使うよりも宇宙開発に使ったほうがお金も資源も有効的だよ。まあ最初は相手にされていなかったけど、何しろ粘り強かったし皆も頻発する紛争にうんざりしていた。それでとうとう地球の周りをぐるぐる回るどでかいステーションを建造してしまったのだ。今リポーターが伝えているのはそのニュースだ。ご飯を食べながら広い会場の長机にずらっと並んだ頭良さそうな人たちを眺める。誰も彼も誇らしげにフラッシュを浴びている。一番左に座った変なツナギみたいなのを着たおじいさんをカメラが大写しにしてリポーターの声がそれに重なる。一人ずつ紹介をするらしい。クレマン博士、チャン博士、ミハイロヴナ、ツェッペリン、チャウドリー……。ずらずらと並べ立てていく。博士だのスペシャリストだの、そんなのばかり。並みいる顔ぶれがひしめいて、真空に浮かぶぴかぴかのステーションには一般人の入り込む隙間はなさそうだ。宇宙開発が進むことで色んな国が手を取り合えるのなら結構なことなのかもしれないが結局は私個人が宇宙に行ける日はまだまだ遠そうだなと世界情勢と個人的な将来について考えていると、お父さんが突然チャンネルを変えてしまった。

「ニュース見ないの?」

 いつもはニュース終わるまでチャンネル変えちゃ駄目って言うくせに。

「うん、ニュースはもういい。今日なんか面白いのやってたか?」

「いや、今日は確かなかった気がするなぁ」

「なんだ、スポーツもやってないなぁ。じゃあ映画でも見るか。DVD適当に取っておいで」

 番組表を一通り見てからやはり面白そうな番組がないと判断したのか、私にそう言いつけてお父さんは悠々とグラスにビールを注いでいる。今日は長期戦に入る気らしい。ま、私もしばらく付き合いますか、というわけで映画選びに席を立ったのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

3.嵐の大洋 へ

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