リンカ     2009.12.04



 




3.クマタロー


 ぼくの名前はクマタローといいます。
 口元がにっこり笑っているクマのぬいぐるみです。
 ぼくを名付けてくれたのはシンジくんです。シンジくんはぼくの持ち主の男の子で、ぼくの大好きな人です。
 出会いはシンジくんが四歳のころでした。シンジくんのお父さんがシンジくんのためにぼくを買ってくれたのです。シンジくんはとても喜んで、嬉しそうにぼくを抱き締めてくれました。でも、すぐに泣きながら悲しそうにぼくを抱きしめるようになってしまいました。
 お父さんと離ればなれになってしまったからです。理由はシンジくんにもよく分かりませんでした。おうちから何時間も電車に揺られてたどり着いたホームで突然お父さんはシンジくんに別れを切り出しました。置いていかれたシンジくんはたくさん泣きました。それよりも少し前にお母さんもいなくなっていて、もうシンジくんには大好きな人はお父さんしかそばに残されていなかったからです。ところが、そのお父さんまでこうしていなくなってしまったのです。
 しばらくするとそこへ見たことのないおじさんがやって来て、これからはお父さんの代わりをしてくれるのだといいました。お父さんの代わりなんて本当にできるんだろうか、とぼくはびっくりしてしまいましたが、とにかくシンジくんはその知らないおじさんのいうとおりにするしかありませんでした。お父さんに置いて行かれた駅がおうちからどれくらい離れていて何て名前の場所なのかシンジくんにはよく分からなかったし、何よりとてもおなかが空いていたからです。

「さあ、おいで。先生と一緒に帰ろう」

 初めて行くところなのに、どうして帰ることになるんだろう? ぼくにはまたしてもびっくりしてしまいました。
 シンジくんは差し出された手をおずおずと掴みました。先生の手は、お父さんのものとは違うけれど、やっぱり大きくて何でも掴めそうに思えました。シンジくんは小さな右の手で先生の大きな手を掴み、小さな左の手でぼくをしっかり抱えました。絶対に離したりしないようにという必死さが伝わってくるようなシンジくんの汗ばんだ手の感触をぼくは憶えています。今でもまだこの身体に小さくて必死だったシンジくんの手の跡が残っているような気がするほどです。
 先生はシンジくんの荷物を持つと、手をつないでシンジくんと一緒に帰って行きました。その日から、先生のおうちがシンジくんの帰る場所になったのです。
 とはいっても、最初のうちはやっぱり慣れない環境にとまどうシンジくんはお父さんに会いたいとよく泣いていました。でも、先生はそんなシンジくんに向かって「お父さんに会わせてあげる」とは絶対にいいませんでした。
 たぶん、先生は本当にシンジくんの願いを聞き届けてあげることができなくて、嘘でごまかすようなこともしたくなかったのだと思います。「そのうちに会える」と答えたことは何度かありました。実際に、一年に一度くらいはシンジくんはお父さんと会うことができましたから。でも、会いたいと思ったときに会えるわけではありませんでしたし、もう一度お父さんと一緒に暮らしたいという願いが叶えられることもありませんでした。
 正直な先生をぼくは残酷だと思いました。でも、きっと先生にもどうしようもなかったのでしょう。決して嘘をいわない先生は、それを誇らしげにしたりはせず、むしろつらそうにしているようにさえぼくには見えました。
 シンジくんはよく泣いていました。お部屋で泣くときは必ずぼくを抱き締めていました。押しつけられたシンジくんの顔は、泣いているせいで火照っていて、でもぼくの布地にしみこんでくる涙はひんやりと冷たくて、不思議な感触がしました。
 ぼくはよく「ぼくも一緒に泣いてあげられたらいいのに」と思いましたが、ぬいぐるみですからもちろん泣いたりはできません。でも、そのうちにやっぱりぼくも泣くことができるのだと考えるようになりました。
 ぼくはぬいぐるみですから涙を流すことはできませんが、代わりに泣いているシンジくんの涙を吸い取ってあげられます。ぼくは泣き声を上げて顔を火照らせたりはしませんが、代わりにシンジくんの火照った頬を冷やしてあげることができます。ぼくにとって「泣く」というのはこういうことなのです。
 それでも、シンジくんとぼくが泣く回数は、先生のもとで生活していくうちにだんだんと減っていきました。
 泣いていないときもシンジくんはぼくをよく抱き締めてくれました。ぼくはそれがすごく気に入っていました。なぜって、ぼくはシンジくんのことが世界で一番大好きだからです。それに、ぬいぐるみというのは抱き締められるのが一番幸せなものなのです。その点では、きっと人間の子どもと変わらないのではないでしょうか? 子どもたちも大好きなお父さんやお母さんに抱き締められるのが何より幸せなことのはずです。
 でも先生は、お父さんの代わりをしてあげるといったはずの先生は、シンジくんを抱き締めてはくれませんでした。ぼくは先生のことをひどいと思いましたが、かといって決して冷たい人でもないとそのころには知っていたので、先生の態度をとても不思議に思っていました。先生はまるでシンジくんを可愛がることを怖がっているみたいでした。こんなのって馬鹿げていると思いませんか?
 だから、泣く回数が減ったシンジくんは、やっぱりときどきは泣いてしまいました。我慢しなくちゃとシンジくん自身もがんばっていましたが、それでもどうしようもないときには涙がこぼれ落ちて、しがみついて甘えられるお父さんもお母さんもいないものだから、綿の詰まったぼくの身体をぎゅっと抱き締めて、くしゃくしゃになった泣き顔を押しつけて隠しました。
 そんなときぼくは、にっこり笑った口元のままシンジくんが泣き止むまで一緒に泣きました。ぼくがもっともっと大きくて、ふかふかした両手でいっぱいにシンジくんのことを抱き締めてあげられたとしたら、どんなにかよかっただろう、とぼくはよく泣きながら思ったものです。でも、ぬいぐるみのぼくには、それはちょっとむずかしいことでした。
 とはいえ、もちろんシンジくんとぼくは泣いてばかりいたわけではありません。ぼくたちは一緒にたくさんのことをして遊びました。色んなところへ行きました。寝るときもいつも一緒のお布団で眠りました。シンジくんはぼくに何でも話してくれたし、ぼくはそれをとても誇らしく思っていました。だって、ぼくはシンジくんの一番の親友だったのですから。
 そうやって毎日過ごしていると、当然ぼくの身体は汚れてきてしまいます。人間のシンジくんは毎日お風呂に入って身体をきれいにすることができますが、ぬいぐるみのぼくではそうは行きません。世の中には全身水に浸かってじゃぶじゃぶ洗われても平気なぬいぐるみもいるということですが、残念ながらぼくはそうではありませんでした。ぼくの身体の中に詰まっている綿はとても乾きにくいのです。
 そこで、ぼくをいつもきれいにしてくれたのが先生でした。定期的に拭き洗いをしてくれて、ときどきは専門のクリーニング店にぼくを預けてくれました。もしも先生が本当に冷たい人で、シンジくんのことも何とも思っていないのだとしたら、ただのぬいぐるみに過ぎないぼくに対してこんな風に気を遣ってくれるはずはありません。でも、先生がぼくの汚れを拭き取ってくれる手つきはとても丁寧で優しいものでしたし、もしこういって許されるものならば、それはまるでシンジくんを抱き締めてあげられない代わりのような気がしました。
 先生は確かにシンジくんに対して直接で分かりやすい愛情を注いであげることをしませんでした。でも、この人は実際にはとても愛情深い人で、シンジくんのことをとても愛していたのではないでしょうか。先生がいかにシンジくんの身の回りのことをさりげなく気遣っていたかを知っているぼくとしては、そう思わざるをえません。
 ぼくがしゃべれないばっかりに、そのことをシンジくんに教えてあげられないのが残念でなりませんでした。
 それから、もう一つぼくが残念に思っていることがあります。
 ぼくと初めて出会ったときにはシンジくんはまだ小さくて、しかもそのすぐあとにお父さんと悲しい別れをしなければならなかったために、ぼくを買ってくれたのがお父さんだということをいつしか忘れてしまったようでした。そのころシンジくんは、お父さんのことを慕って一緒に暮らしたいと願う一方で、自分にこんなつらい思いをさせているひどいお父さんのことをうらめしく思ってもいました。
 お父さんはもうシンジくんのことなんて好きではなくなってしまったんじゃないか、だから捨てられてしまったんじゃないか、と疑うようになってしまいました。そして、そんな風に疑うあまり、そもそも初めからお父さんに愛されたことなんてなかったと勘違いをするようにさえなっていったのです。
 もちろん、本当は違います。お父さんがどんなにシンジくんのことを愛していて、大切に思っていたのか、ぼくはよく憶えています。
 ぼくが言葉を話せさえすれば、と何度願ったか分かりません。そうすれば、シンジくんの悲しい誤解を解いてあげられたのに。シンジくんが世界で一番大好きだったお父さんのことを思い出させてあげられたのに。
 それから何年か過ぎました。小さな小さな男の子だったシンジくんは、少し大きな少年になりました。それとともに、少しずつぼくを構うのをやめるようになっていきました。ぼくにとってそれは大好きなシンジくんが成長している証として誇らしい反面、やっぱり少しだけ寂しいものでした。でも、仕方がありません。男の子はいつまでもぬいぐるみを抱き締めたりはしないものなのです。
 やがて、ついにぼくが仕舞われてしまう日がやってきました。シンジくんはぼくをお絵描き帳やおもちゃの刀、紙粘土で作ったお面、ゴムボールや虫取り網などシンジくんの輝かしい(たとえつらい境遇にあったとしても輝けるときはあるのです)少年時代の宝物と一緒に行李の中に納め、さらに押入れに仕舞いました。
 真っ暗な行李の中で、ぼくにはひたすらシンジくんのことを思い続ける時間だけが残されました。
 それは長い時間でした。もちろん、ぬいぐるみであるぼくには暗闇も狭い場所も、そしてただ過ぎていくだけの長い時間も平気なものです。
 しかし当然のことですが、平気だからといってまったくつらくないというわけではありません。
 ぼくは確かにただのぬいぐるみですが、ぬいぐるみにだってぬいぐるみなりの耐えなければいけない悲しみやつらさがあるのです。それが人間の悲しみやつらさよりもちっぽけなものだなんて、誰にもいえないはずです。
 ときには行李のふたが開かれることがありました。そんなとき、光とともに飛び込んでくるシンジくんの顔は、ぼくが知っているものよりもいつも少しだけ成長していました。その顔を見て、ぼくはどれくらいの時間が経ったのかを実際に知ることができました。できるならもう一度ここから出して欲しい、シンジくんと一緒に遊んだり眠ったり、ときには泣いたりしたい、と本心では思っていましたが、新しい宝物が行李の中に加わると、すぐにふたは閉じられてしまいました。
 いつかはシンジくんが大人になった顔をふたが開かれた行李の中から見ることもできるのでしょうか。静かな暗闇の中でぼくはそんなことを考えたりしました。初めて出会ったときには小さな男の子だったシンジくんも、いつかはお父さんやあるいは先生のような大きな男の人になるはずです。ぼくみたいなぬいぐるみと違って、人間は子どもから大人になることができるということをぼくは知っています。
 いつか素敵な大人になったシンジくんが行李のふたを開けてくれる日をぼくは夢見ました。大人になれば、きっとシンジくんも自分の子どもを持つのではないでしょうか。つまり、シンジくんがお父さんになるのです。
 お父さんになったシンジくんは、自分の子どもの遊び相手として、ぼくを選んでくれるかもしれません。そうすれば、ぼくはまた大好きなシンジくんと一緒にいられます。
 シンジくんの子ども(きっと可愛くて優しい子に違いありません)はぼくと一緒に遊んだり眠ったり泣いたりしてくれるでしょう。きっと抱き締めてくれるでしょう。
 ぼくはシンジくんの子どものことをシンジくんと同じくらい大好きになるに違いありません。そして、お父さんであるシンジくんは、そんな子どもとぼくのことをまとめてその大きな手で抱き締めてくれるはずです。
 それってとても幸せで素敵なことでしょう?
 真っ暗で少しかび臭い行李の中で、ぼくはにっこり笑った口元のまま、そんな夢を見ていました。
 大好きなシンジくんのことを思いながら、ひたすら夢見続けていました。





− 続く −

 

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