− 2 − I Feel The Earth Move. リンカ 2005.3.13(発表) |
「レイー。迎えに来たよ」
「カー坊ー。アンタまたここに来てるわね」
保育園では家族の迎えを待つ幼児達が賑やかに遊んでいる。
保育園の廊下を時折駆けて行く幼児を避けながら、
レイのクラスに、シンジとアスカが顔を覗き込ませた。
そして教室の中に入っていくと、レイと、その傍にいたカヲルがシンジ達の方を振り返った。
レイがシンジを呼んで駆け寄ってくる。
その後をカヲルがゆっくりと追って、アスカを意味ありげに見やった。
「にいちゃ、かえるの」
「はいはい、帰るから荷物取って来なさい」
シンジが足にしがみ付いたレイの頭を撫でて微笑み掛けると、
レイは返事をして駆けて行った。
「で、アンタは。荷物は持ってるの?」
「勿論。ふふふ」
「何よ」
アスカがほくそ笑む弟を半眼で睨む。
相変わらず生意気な幼児だ。
「何でもないよ。ふふ、上手くいってるねぇ」
カヲルは楽しそうに髪を掻き上げた。
「・・・アンタって誰に似たのかしら。そんな厭味ったらしいのはうちにはいないわよ」
「個性的と言ってよ、アスカ姉ちゃん。僕は姉ちゃん達とは違うんだよ」
そう言って満足げに笑う幼児に、アスカは呆れる。
シンジもカヲルの様子を横目で見て、やっぱり変な子だ、と思わず思ってしまい、
そしてアスカを見て慌ててその考えを振り払った。
レイがシンジの元にまろびつつ駆け戻ってきた。
「かえるの」
「そうだね、帰ろうか」
シンジがレイにコートを着せて、彼女と手を繋ぎ、そして微笑んでアスカの方を見た。
それにアスカは一瞬うろたえたが、すぐに気を取り直してカヲルに
アタシ達も帰るわよ、と言って、シンジ達と共に教室を出て行った。
アスカは家への帰り道を歩きながら、ちらりと横を見た。
自分の隣にカヲルが、さらに並んでレイが、そしてレイと手を繋いだシンジが歩いている。
初めて保育園で“偶然”出会ってから、シンジ達とアスカ達は何度かこうして一緒に帰っている。
別にシンジとアスカが学校で示し合わせて、2人で共に妹、弟を迎えにやって来ている訳ではない。
アスカとしては本当はそうしたい所だが、まだそこまで段階が進んでない―少なくともアスカの
中で―ので、“偶々”迎えに行く途中で出会ったら、そのまま一緒に行く事になっているのだ。
保育園からの帰り道は暫く歩けば反対方向に別れてしまうのだが、
アスカにとってはその短い時間が、何とも胸が踊り、締め付けられ、高揚し、不安に苛まれる、
どうにももどかしいような嬉しいような複雑な時間だった。
会話も、弾む時もあれば一言も話さない時もある。
ただ別れの言葉を掛けられ、それに答える瞬間が酷く切なかった。
アスカは聡明な女の子だ。気が強く、賢く、しっかりしている。
しかし、シンジに対してはどうしていいか良く分からなかった。
自分の恋心を扱いかねていた。
胸がグルグルと掻き回されて気持ちが悪くなって、しかしこの想いが消えてしまう事など
想像もつかなかったし、それは彼女にとって殆ど恐怖だった。
この日はごく普通に会話が進んだ。
学校のクラスメイト達の事、教師の事、勉強の事、テレビの事、街の事、妹や弟の事。
ごくありふれた会話だ。何の変哲もなく、波瀾もなく、奔流もない。
ただこの時間の終わりが来るまでの、余興でしかない。
別れる場所が見えてきた。
そして何事もなく穏やかにそこまで歩みを進め、シンジ達とアスカ達は立ち止まる。
シンジがレイの手を繋いでアスカに振り返り、
アスカも傍らにカヲルを連れてシンジを見る。
「じゃ、惣流さん。また明日」
「ええ・・・またね、碇」
シンジは穏やかに、優しい微笑を浮かべて踵を返し、跳ねるように歩くレイと共に遠ざかって行く。
アスカはそれを静かに見送っていた。本当に静かに。
「・・・何たそがれてんのさ」
「・・・うるさいわね。アンタみたいなお気楽なチビには分かんないのよ」
「どうしてまだ名字で呼んでるの。もう結構経ったよ、あれから」
「・・・アタシが訊きたいわよ、そんな事」
「・・・・・レイちゃんのお兄様って、ニブチンなのかなぁ・・・」
カヲルが天を仰いで生意気な事を言った。
アスカも天を仰ぐ。冬の、どんよりとした鉛色の空だった。
「カー坊」
「何、アスカ姉ちゃん」
「あん蜜買って帰りましょ」
「いいの?」
「・・・あ〜もう、あのバカニブチン!もう、今日は一杯食べるわよ!」
そう言ってアスカはカヲルの手を引いて駆け出した。弟のついて来られる速さで。
アスカが教室の自分の席に上半身を投げ出して寝そべっている
。
昼休みなので教室内は人が疎らだ。
不意にアスカの頭上から少女の声がした。
「どうしたの、アスカ。この所変ねぇ」
アスカはその声に顔を動かし、視界の端にその自分の話しかけた少女の顔を収める。
「何か元気ないわね。惣流アスカともあろう者がどうしちゃったのかしら?」
笑い含みに言いながら、少女はアスカの前の席の椅子に座った。
そのまま少女はアスカの顔を覗き込んでじっと彼女の目を見つめる。
アスカは暫しそれを見返し、そして溜息を吐いて目を閉じた。
少女は苦笑して頬杖をついた。
「ありゃ、これは重症ねぇ・・・」
少女の呆れを含んだ声に、アスカが寝そべったまま唸りを上げて少女に答えた。
そのくぐもった唸りに少女も返事を返す。
「ふんふん?」
「む〜」
「そうねぇ。私も分かるわ」
「う〜ん・・・むうむう」
「そうよね。鈍いって犯罪よね」
「ぐう・・・」
「あら、碇君」
少女の声にアスカがガバッと起き上がり、そして視線を教室内に一瞬さ迷わせてから
目の前の親友の何とも悪戯っぽいにやけた顔が目に入り、顔が紅潮していく。
「ほっほ〜う。なるほどねぇ・・・」
「う、う、う」
アスカはうめいてから顔を机に伏せた。
この親友は優しい癖に意外に人をからかったりする。
「うう、ヒカリが苛める・・・」
アスカのその様に、少女―ヒカリは彼女の肩をポンポンと叩いて言った。
「まあまあ。そうよね、あの人は鈍いもんね」
「ぬう〜」
「クラスの女子の視線にも全然気付いてないもんね」
「フ、フン・・・」
「気がない癖に優しいから皆騙されるのよね」
「・・・・・」
「アスカはどうなのかしら?」
「アタシは違うもん・・・」
「ふふ・・・」
ヒカリは優しく微笑んだ。
もうこの数年来この幼馴染の親友が胸の中で件の少年に恋心を抱いているのを知っている。
アスカ達は今徐々に大人に近付き始めている。
アスカはクウォーターである為か、発育が早い方だ。
背も高い方だし、胸の膨らみも他の女の子に比べればはっきりと目立ち始めてきた。
幼い少女の淡い恋心が今や具体的な形を取り始め、それにアスカは苦しんでいる。
昔は想うだけで良かった。目で追えばそれで良かった。
今は触れたい。共にいたい。応えて欲しい。
無論それは直ちに性的な意味ではないのだが、いずれ来る未来のその相手として彼を求めていた。
「のう、シンジ。今度レイ連れてわいの家で遊ばんか?わいの妹もおることやし」
帰り支度をしているシンジに、トウジが話しかけてきた。
シンジはランドセルに教科書やノートを詰めていた手を休めてトウジを見る。
「え?そうだなぁ・・・でも良いの?レイ連れて行ったら結構大変だよ?」
シンジがトウジに問うた。
シンジの言った事はその通りで、レイは何を仕出かすやら分からないし、
ただでさえ同い年のトウジの妹がいるのなら余計に手が掛かる事になる。
家の人の邪魔になるんじゃないかな、とシンジは
いつもレイの友達が出来ないかと思っている割に遠慮がちに親友を見た。
「構へんって。どうせわいが帰ったら妹の世話少しは見なならんし。同じことや。
妹の世話や手伝いせんなら勉強せえってな。せやったらシンジとレイ連れて遊ぶんも賢いやり方やろ」
トウジがいかにも名案だろうとでも言いたげに胸を張ってシンジを見た。
シンジはそれを見ながら考えてみる。確かに良いかも知れない。
「ふふ、そうだね。じゃ、今度行くよ。おばさんにも言っといてね」
「おう、来い来い。ま、わい等が遊んでどる傍で転がしとけばええんやから。いや、わいも冴えとるで。
これで遊びながら手伝いやら何やらから解放される。一石二鳥や」
シンジが嬉しそうに答えるのに、トウジは、うししっ、と笑いながら言った。
「で、今日は駄目なんか?」
「うん、今日は買物とか色々あるし。また今度ね。ありがと、トウジ」
「ほうか。せやったらこれから迎えやろ。また明日な、シンジ」
「うん。また明日。ばいばい」
シンジがニコニコ笑いながらトウジに別れを告げて教室を出て行った。
それを見送るトウジだが、教室でシンジが出て行った方を見ながら話している女の子たちに気付く。
「碇君ってニコニコ笑って可愛いわよねー。でも、妹さんの面倒大変ね」
「そうよね。あたしもこないだちっちゃい子連れてるの見たもの」
「普通出来ないわよねぇ」
「でも、可哀相よねー」
顔立ちも整っていて、優しく真面目なシンジは女の子に割合人気がある。
この時話していたのもそうした女の子だが、トウジはその会話の中の一言に眉を顰めた。
「ホントホント。でも不幸さが加わって美少年振りに磨きが掛かったわー」
ホウッと溜息でも吐きそうなその言葉にトウジは額に血管が浮き上がるのを感じたが、
それに背を向けてボソリと呟いた。
「何ゆうとんのや、アホか」
トウジの呟きに少女達がキッと彼を睨む。
「何よ鈴原!聞こえたわよ!」
「へーへー、聞こえたんならええやろ」
「何か文句でもあるの?はっきり言いなさいよ!」
おざなりなトウジの態度に少女達は揃って責め立てるが、トウジはそれを横目で見やっただけで
何も言わずに帰り支度を始めた。
「ふんっ、自分がもてないからってひがんでんじゃないの?あんたも碇君みたいに・・」
「何や。シンジみたいに何や。ああ?」
トウジが手を止めて少女達を睨んだ。
それに少女達は怯むが、トウジは睨むのをやめない。
自分も大概気が短いと自覚していたが、とはいえ女の子を殴るのは気分が悪い。
トウジは苛立ちを必死に抑えていた。
「言いたいこと言え?ほなら言ったろか?お前等なぁ、シンジが可哀相て本気で言っとんか?
何見てそう言うとんのや。あいつの事が何か分かるんかいな。あいつが可哀相やて?
お前等あいつの気持ちが分かるんか」
僅かに震えているトウジの様子に少女達は怯えながらも反論する。
「そ、そんなの誰だって分かるじゃない、可哀相だって。第一、じゃあ、あんたはどうなのよ。
可哀相だって思わないの?あんたなら碇君の気持ちが分かるっていうの!?」
「シンジの気持ちぃ・・・?んなもんわいに分かる訳ないやろうが!!!」
トウジが叫びを上げた。
同時に彼が苛立ちのままに蹴り飛ばした机がずれる音がぎぎぃっと教室に響いた。
もう人も疎らになってきた教室が静まり返る。
「な・・・何言ってんの、あんた・・・?」
少女達が呆然とトウジを見る。
そこでつい先程教室に戻ってきてこの騒ぎに出くわしたケンスケが彼に声を掛けた。
「・・・トウジ。帰ろうぜ」
「ああ?」
「帰ろうぜ。遊ぶ時間がなくなっちまうよ」
トウジがチラリとケンスケの方を見た。
ケンスケはその辺にしとけと言っているのだ。
そして再び視線を戻し、ふと少女達の後ろの方にいるアスカが目に留まった。
アスカは静かにランドセルを背負い、酷く不愉快そうな顔で一瞬少女達の方を睨んだ後、
教室を出ていった。
それを見てトウジは力を抜いて溜息を吐く。
「アホらし。帰るで、ケンスケ」
そう言ってトウジ達が出ていった後には幾人かの唖然とした生徒達が残された。
「あっ、やば!」
「何や?」
「体操服忘れてきた。取って来るよ。下駄箱で待っててくれ」
下駄箱まで来た所で突然ケンスケが声を上げ、そして慌てた風に駆け戻って行ってしまった。
それを見送り、トウジは頭をガシガシ掻きながら自分の靴が置いてある場所に歩いて行く。
そこまで行くと、アスカがしゃがみ込んで靴を履いていた。
トウジはアスカをチラリと見て、自分の靴を取り出す。そして静かに口を開いた。
「のぉ・・・シンジは可哀相なんか?」
アスカがトウジの呟くような問いかけに顔を上げた。
「・・・さあね」
「・・・・・」
「アレ、何のつもり?」
「何って、まんまやろ。わいはシンジやないんやから。ただシンジはわいのダチや。
それでええやないか」
トウジが迷うような表情をしながらポツリと言った。
それをアスカは意外に思う。
いつもお調子者の単純馬鹿で通っているトウジがこんな声を出すとは思わなかった。
「別にあいつの人が変わった訳やないし・・・妹の世話が大変ゆうんは本当やけど・・・
あいつレイがおって良かった思うとるんやないかなぁ・・・」
トウジが靴を下に落として上履きを脱ぐ。それを下駄箱に仕舞いながら溜息を吐いた。
シンジの気持ちなんて本当には分からない。ただ、今まで通り自分達は親友だ。
それではいけないのだろうか。トウジには良く分からなかった。
シンジは母を失った。幼い妹の世話に追われる事になった。
でもシンジはレイと楽しそうに笑うじゃないか、とトウジはシンジとレイの顔を思い起こす。
大変なのと不幸なのはどこか違うだろう、と漠然と思った。
教室で感じた苛立ちは自分への苛立ちでもある。トウジ自身どうしていいのか分からないのだ。
だがそれでもシンジは今も変わらず本当に笑っている。だからいいじゃないか、と思うのだが、
それが正しいのかどうなのかなど、分かる筈もなかった。
「レイがおって嬉しいんとちゃうかなぁ・・・。遊んだりあんまでけへんけど・・・違うんかな・・・」
アスカが黙って靴を履いて立ちあがった。トウジも上履きを仕舞って振り返り、靴をゴソゴソと履く。
「アンタ、少なくともあのバカ達よりは分かってんじゃないの、アイツの事?」
アスカはそう思った。
あの無責任な少女達よりは、分かる訳ないと叫んだトウジの方が分かっている。
少なくともシンジの気持ちに近付こうとし、そしてシンジといつも通りに接しようとしている。
アスカの言葉にトウジが頭をガシガシ掻いて笑って言った。
「まあ、わいアホやし。難しい事とか考えてもよう分からんし。要するにシンジはええ奴やっちゅう事やな。
わいの親友や。おう!わいとシンジは親友やで!」
「・・・やっぱ単純馬鹿ね」
アスカが呆れたように呟くと、胸を張っていたトウジがニカッと笑って口を開いた。
「惣流、お前ええ奴やな」
「・・・は?」
「高飛車でいけ好かん生意気女や思うとったけど、案外ええ奴や」
「・・・ケンカ売ってんの?」
「何や、ほめとんやで?」
トウジが邪気もなくニカニカと笑っている。
アスカはその顔を見て呆れて頭を振った。
「あいつ等にむかついとったんやろ?こういう奴は好きやで。高飛車なんは嫌いやけど」
トウジは相変わらず笑いながらそう言った。
「あっそ。でもアタシはアンタなんかお断りよ」
アスカが素気無く言った言葉にトウジの笑顔が固まる。
そして不意に自分の言葉がどう取られるような表現だったか気付いた。
「は?ち、違うで?第一わいはほら・・」
「ホラ?」
「いやっ・・・な、何でもあらへん・・・」
視線を宙に泳がせるトウジを呆れて見やりながらアスカは彼の背後を見た。
「あ、ヒカリ」
「ええっ!?」
トウジがガバリと後ろを振り返った。
「あら、アスカ。今日も迎えでしょ?」
本当にいた。
トウジは急に体を落ち着かなげにワタワタとさせながら少しアスカとヒカリから離れた。
それを怪訝そうに見ながらヒカリは自分の靴を取り出す。
「じゃね、ヒカリ」
「うん、また明日、アスカ」
そのままアスカはヒカリに手を振って立ち去り、この場にトウジとヒカリが残される。
靴を履いてヒカリが挙動不審のトウジを半眼で見やった。
「何やってんの、鈴原。誰か待ってんの?」
「あ?お、おお・・・ケンスケをな。洞木は惣流と一緒やなくてええんか?」
「ああ、アスカは寄るとこがあるから。で、アスカと何話してたの?」
「何って・・・別に・・・」
トウジが顔を逸らして後頭部を掻くのに、ヒカリは片眉を上げる。
いつもうるさいトウジが何をモジモジしているのだろう、と彼の正面に回ってみると、
再びトウジがヒカリから目を逸らした。
トウジとしては変なタイミングでヒカリが現れて気まずいのだが、ヒカリにそれが分かる訳がない。
「んん〜?ま、どうでもいいけど、鈴原。アスカは駄目よ」
「は?」
「だから、アスカは諦めなさい」
腰に手を当てて自分を見つめる少女に、トウジは目が点になる。
「いや・・・洞木はん?何いうとりますのん?」
トウジが唖然として言うが、彼女は駄目駄目と首を振るばかりでトウジの言う事を聞いてない。
「ま、初恋は叶わないって言うし。鈴原もその内いい人見つかるでしょ」
ヒカリがポンとトウジの肩に手を置いた。
彼女には年の離れた姉がいる。その影響か、結構耳年増だった。
ヒカリの、元気出せよ、とでも言いたげなその表情と肩の手の生温かさにトウジはわなわなと震え始めた。
それにヒカリが不思議そうにしながら手を放す。
「あら、鈴原でも泣くの?でも下駄箱では格好悪いわよ?」
その言葉に辛抱の糸が切れたのか、震えて俯いていたトウジが顔を上げて叫んだ。
「わいの初恋はお前や!何勘違いしとんねや!」
「・・・えう?」
ヒカリが変な声を出した。今鈴原は何と言った?とヒカリの頭の中がグルグル回る。
「ああもう!今日は何なんや一体!大体ケンスケはまだかいな!」
「・・・あの、鈴原?」
「ああっ!?」
「今の、ほんと?」
「・・・へっ?」
顔を真っ赤にしたヒカリがトウジを見つめ、それを見てトウジが赤く染まって固まった。
下校する生徒達の笑い声や足音が響く中、2人はそこから切り離された空間に漂っていた。
その後すぐケンスケが来たのだが一体何事か分からず、固まったまま見つめ合う赤い彫像を
暫し眺めた後で、粗方分かりましたと言わんばかりに鈍色の天を仰いで呟いた。
「平和だねぇ・・・」
もうちょっとで春休みだなぁ、とケンスケは思いながら、でもまだまだ寒いや、と身を縮めた。
6年生かぁ・・・中学校とかに入ったら恋愛とかするのかなぁ、俺も。
マフラーに口元を埋めて、はあっと息を吐いた。
行き場を失った暖かい吐息が上を目指し、たそがれる11歳の少年の視界を白く染めた。
・・・何が硬派だ、ばかやろー。
曇った眼鏡が空しかった。
アスカはカヲルを連れての帰り道で考えていた。
今日はシンジには会えなかった。そのままレイを連れて買物に行ったらしい。
横を歩くカヲルが今日の保育園での出来事を楽しそうに話している。
大半はレイの話だ。そして迎えに来たシンジの話、今日のお遊戯の話、おやつの話。
楽しそう、とアスカは思った。カヲルに悩み事などあるのだろうか。
今カヲルが母を失ったとしたら、どうなるのだろう。
そしてその問いはそのまま自分が母を失ったらどうなるのかという問いでもある。
今母を失ったら、自分はどうなるのだろう。
兄弟達は?父は?
果たして今と同じように笑えるのだろうか。
どれほどの痛みなのだろう。ある日突然母がいなくなってしまうのだ。
自分の世界で最も大きな存在が。無論父も兄弟達もその存在は大きいが、
しかし家庭での母の存在というのはやはり何ものにも代えがたい。
もう家のどこを見渡しても母はいないのだ。
母の使っていたエプロン。母の使っていた箸、茶碗。母のお気に入りのマグカップ。
母の歯ブラシ。母の服。もう開かれる事のないタンス。使われない化粧類。
いつも母が座っていた椅子。洗濯物をたたむ姿。母の料理。
母の声、母の匂い、母の温かさ。何もかも。
残り香はあるだろう。確かにいたという。
想い出も残る。記憶している限り。
しかしそれらはもう応える事はないのだ。
カヲルやレイの年齢ならばやがては呼びかける事すら忘れてしまうのだろうか。
アスカは自分の隣で短い足を伸ばして歩くカヲルを見た。
ニコニコと無邪気に笑っている。
「カー坊」
「何、アスカ姉ちゃん」
「アンタ、レイちゃんの事好き?」
アスカの突然の問いにカヲルは不思議そうに姉を見上げた。
アスカはカヲルを静かに見下ろしている。
「うん、そうだよ。僕はレイちゃんが好きなのさ」
カヲルが相変わらず幼児らしからぬ口調で答えた言葉に、アスカはふわりと微笑んだ。
その姉の柔らかな笑みを、やはりカヲルは不思議そうに見つめた。
「アスカ姉ちゃんはレイちゃんのお兄様が好き?」
逆に問い返したカヲルに、アスカは弟の手を取って、そして手を繋いで歩きながら答えた。
「ダイスキ」
アスカとカヲルが顔を見合わせ、2人とも口をイーッとさせて笑った。
「帰るわよ!」
「オウッ!」
アタシはアンタのママを失った気持ちなんて本当には分からない。
でも好きなの。これは本当なの。それでもいいでしょ?
アスカは心の中でシンジに問いかける。
少し目を細めた。
タッタッタッタッと軽快な足音が響く。
アスカとカヲルが走る音だ。
自分の呼吸が大きく聞こえる。
体が跳ねる。呼吸が跳ねる。地面が揺れている。
フフ、相変わらずぼややんとした顔ね。
心の中のシンジの表情にアスカは走りながら笑いを零した。
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碇家のアルバムより 撮影:碇ゲンドウ |
リンカ様の連載第2話です。
ああ、私のツボに見事に来ました。
いいですねぇ、トウジもケンスケも。
小学校の下校時間の喧騒がそのまま伝わってきそうです。
また、トウジを通じてシンジのことが語られるのもいいですね。
今回の碇家のアルバムはレイちゃんのセクシーショットでした。
本当に期待していた人もいらっしゃったのでは?
そんな方には失礼いたしました。
本当にありがとうございます、リンカ様。
続きをお待ち申し上げます。
(文責:ジュン)
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