− 8 − アルテミスの矢 リンカ 2005.5.8(発表) |
「・・・あの人誰だろう」
「う?」
シンジとレイは自分達の家の前に佇んでいる人物を不思議そうに見つめた。
今はもう春休みに入っている。この日は父と3人で買物に出かけていたのだが、
荷物を抱えて歩く父を置いてシンジとレイが先に駆けながら家の傍へと到着してみれば
件の人物がぼんやりと我が家の門の前の道路に立っていたのだ。
駆けていた足を緩め、歩きながらそろそろとその人物に近付いた。
女性だ。彼女もシンジとレイに気が付いたのか彼らの方を振り返り、そして言った。
「・・・シンジ君?」
「は?えっと、あの、どちら様でしょう?」
心覚えのない女性から突然名前を呼ばれて、幾分おたつきながらシンジが訊き返すと、
彼を見て喜色を浮かべていた女性は一転して不機嫌そうな顔をした。
「ちょっと、私のこと憶えてないの?貴方、シンジ君でしょ?」
「あの、僕は確かにシンジですけど・・・おばさん、誰ですか?」
多分言葉を誤ったのだろう。かわす隙があらばこそ、シンジは彼女の腕に締め上げられていた。
驚き慄いて後ずさろうとするシンジに彼女は顔を近づけて凄んだ。
「だ・れ・が、おばさんよ!ちょっと見ない間に生意気になったじゃないの、シンジ」
「い、痛い痛い!」
「あー!にいちゃ、いじめちゃだめなのー!」
レイが兄の危機に、女性の足をペシペシと叩きながら戦った。
女性はそれを見下ろしてまじまじと彼女を眺め、レイも涙に潤んだ瞳で睨み返す。
「・・・ん?ひょっとして妹?」
「はい・・・。えっと、お姉さん、誰なんですか」
「本当に憶えてないの?薄情な子ね」
シンジを腕に収めたまま呆れたように女性が零した。
一方のシンジはというと自分を抱きとめている女性が纏う香りに何故か複雑な感傷を抱く。
「貴方、もうあの時は5歳かそこらだったんだけどね。もの忘れがいいのかしら?」
相変わらずシンジを放さないままに彼女が肩までの黒髪を揺らしながら
首を傾げて不思議そうな顔をしていると、近付いて来る足音と共に声がした。
「・・・リツコか?」
女性とシンジが振り返るとゲンドウが荷物を両手に抱えて目を丸くして立っていた。
「あっ、ゲンちゃん!久し振り!」
「ぬあっ!?おい、飛び付くな!」
嬉しそうな叫びと共に女性はゲンドウの首にぶら下がり、彼は両手の自由が利かないので
振り解こうにもそれが出来ず困ったように立ち尽くした。
その目の前の光景をシンジは信じられぬように凝視する。
ゲンちゃん?リツコ?
父さんの知り合い・・・親しげに呼び合って・・・これは一体?
数瞬固まっていたシンジは、それから立ち直ると同時に答えを導き出した。
「と、父さんの馬鹿ーっ!!」
そのまま足元のレイを抱え上げて玄関へと駆けだし、ガチャガチャと鍵を開けて家の中に入り、
引き戸式の玄関のドアをピシャリと閉めてしまった。
ゲンドウと女性は突然の少年の奇行を呆然と見送る。そして取り残された父はポツリと呟いた。
「・・・何で俺が馬鹿なんだ?」
「ひょっとして浮気と誤解したのかしら」
「えっ!?おい、違うぞ、シンジ!?」
慌ててゲンドウが玄関へと走るがドアに手を掛けて引いたが、ガタガタと音がするだけで開かない。
「鍵まで掛けて・・・おーい!シンジ、これは誤解だー!」
バンバンとドアを叩きながら必死に言い募っているゲンドウの背後に近づいて
女性は呆れたように彼に言った。
「鍵、持ってないの、ゲンちゃん」
「おおっ、そうだった!もうひとつ鍵を持っていたんだ!」
言って、ごそごそとポケットを探り鍵を取り出したゲンドウは、ドアを開けてシンジの名を呼びながら
慌しく家の中に入っていく。
「やれやれ、あんまり変わってないわね」
可笑しそうに呟いて、女性は当然のように玄関の中に入って静かに閉めた。
「お向かいの赤木のおばさんの娘・・・?」
「そうよ。まったく忘れるなんて酷いわ。そうは思わない、レイちゃん?」
「にいちゃ、めっ」
ちゃっかりとリツコの膝の上に納まったレイが兄に向かって叱りつけた。
とりあえず誤解は解けたのだが、その後当然のように居間に陣取ってゲンドウに
お茶を要求した彼女はさっそくレイを手懐けていた。シンジは薄情な妹を情けない顔で睨む。
本当に記憶にないのだ。少年が困惑していると、ゲンドウが3人分の紅茶とレイのジュースを
トレイに載せてキッチンから戻ってきた。
「で、お前は何当たり前の顔して、うちに上がり込んでるんだ」
「だって当たり前だもの」
平然と言ってリツコはゲンドウから紅茶を受け取り、口を付ける。
「それよりユイさんは?どうしてユイさんだけいないの?」
そう訊いてリツコがゲンドウとシンジを見るが、彼らは沈んだような表情をして
何か言い淀んでいる。すると彼女の顔の下からポツリと声がした。
「まま、いない」
「えっ?」
幼子が何と言ったのか、リツコは一瞬理解できなかった。そのまま呆然としていると
レイは立ち上がってゲンドウの元へと歩いていき、彼の胡座の中に納まった。
「・・・あの、どういうこと?」
「・・・事故に遭ってな、そのまま・・・逝ってしまったよ」
「いつ?」
「去年の・・・夏の初めだな」
「・・・・・そう」
ゲンドウの静かな答えにリツコは押し黙り、それから自分のバッグからタバコを取り出した。
「吸ってもいい?」
「ああ。灰皿を持ってこよう」
レイを脇に除けてからゲンドウが立ち上がってキッチンへと歩いて行った。
所在のなくなったレイは今度はシンジの方へ行き、彼の腹にしがみ付くようにして膝に乗った。
それを見ながらリツコはタバコを一本取り出し、唇に咥える。
手でかまどを作りながら陳腐な百円ライターでタバコの先に火を点けた。
そのままゆっくりと吸い込んで目を細める。
レイが兄の胸に顔を擦りつけている。甘えるように。泣くように。
それを横目で見ながらリツコはタバコを指で挟み込んで口から外し、
肺まで深く吸い込んでから顎をあげて上に向かって穏やかに煙を吐いた。
紫煙が途切れると彼女の口元に溜息のような余韻を残した。
「そっか・・・死んじゃったのか」
消えいるような声で呟いたリツコをシンジが見つめた。
彼女もそれを見つめ返し、僅かに微笑む。悲しそうな、淋しそうなその表情に、シンジは
この人は母さんのことが好きだったのかな、と自分の知らない過去を思い巡らせた。
彼女はシンジから視線を外して再びタバコを咥えて吸い込んだ。
今度はぷかりと顔の前に紫煙を吐き出し、たゆたうそれを眺めながら
彼女はキッチンで灰皿を探しているゲンドウに向かって何かお茶菓子が食べたいと叫んだ。
「それで、どうしてうちの前で突っ立ってたんだ。帰ってくることにしたのか?」
再びレイを膝の上に乗せたゲンドウが、クッキーを齧っていたリツコに対して質問をした。
「・・・だからその話をしに来たんだけど、家に誰もいないんだもの。私、家の鍵持ってないし。
で、ひとまずこの家に上がらせてもらおうかと思ったらこっちもいないしさ。
母さん、出掛けてるのかしら?」
「ナオコさんは温泉旅行で昨日からいないぞ?」
「はぁっ?じゃ、いつ帰ってくるのよ?」
「確か・・・いつだったかな、シンジ?」
「明後日だったと思うけど・・・ねえ、父さん。リツコさんは一体どういう」
父から話を振られたものの、このタバコをくゆらす女性がどういう存在なのか
まだよく分かっていないシンジは困ったように父を見つめた。
その息子の視線に応えてゲンドウはリツコを眺め、呆れたような調子で話し始めた。
「こいつはな、シンジ。6年くらい前だな、大学に入学して独り暮しを始めたんだが、
その後一年くらいして勝手に大学を辞めた上に外国に行くと一言だけ寄越したっきり、
行方をくらませたんだ。で、今日ひょっこり姿を現した」
「ちょっと。行方をくらませた、はないじゃない。シンジ君が誤解するでしょ」
「事実それ以来連絡を寄越さなかったじゃないか。一体どこで何をしてたんだ」
「ちゃんと暮らしてたわよ。確かに連絡はしなかったけど」
「どうだかな。まったくどれだけ心配を掛けたと思ってるんだ」
ゲンドウがジロリと睨みつけると、彼女はバツが悪そうにしながらも、ぼそぼそと反論した。
「ふん、私は夢の実現に懸けてきたのよ。父さんがいなくなった途端、自分の夢まで
あっさり捨ててしまったような母さんとは違うわ」
「そういうのはな、リツコ。人に散々心配を掛けた上で胸を張るようなもんじゃないんだよ。
ひとかどの大人にまずなって、それからなら夢だのなんだの好きに追いかければいいさ。
だが親や周りの人間を散々心配させるようなやり方で勝手に突き進んでもな、
それはただの子供の我侭だ」
「大人になってからって何よ。立派な大人とやらにまずならないと夢を追いかけちゃいけないの?」
「自覚の問題だ。どれだけ周りの人間を納得させられるかってことだな。
少なくともその努力をしないと駄目だ。
そしてお前のやり方は、はっきり言ってまったくそれがなかったな。
まさか産まれてこのかた独りっきりで生きてきたなんて思っちゃいないだろうな?」
ゲンドウの辛辣な言葉に、リツコは酷く恥じ入ったようだった。
どこか不貞腐れた少女のような顔をして押し黙った大人の女性の顔を伺い、
シンジはお向かいのおばさんや父が余程彼女のことを大切に想っていたようだと
話が分からないなりにそう感じ取った。
そのまま暫く沈黙が続き、そして膝の上のレイを抱え直しながら
ゲンドウが静かに尋ねた。
「それで夢は叶えたのか」
「・・・その途中よ。でも、順調だわ」
「そうか。まあ、その点は大したものだな」
「・・・・・」
「何にせよ、息災でよかった。・・・よく帰ってきたな」
その言葉にリツコはこくりと頷いたきり、俯いて黙りこくった。
シンジはゲンドウと並んでキッチンで洗い物をしていた。
父とリツコの間の話は難しくて彼にはよく分からなかったのだが、
要するに彼女はお向かいの家の娘で、長い間家を出ていたが戻ってくることにしたらしい。
カチャカチャと食器が立てる音を聞きながら、シンジは父に色々と気になっていることを
尋ねてみることにした。
何しろ彼女は自分のことを知っているのに、
自分はまったく憶えていないというのが気持ちが悪い。
「ねえ、父さん」
「んー?何だ」
「リツコさんのこと、昔から知ってるの?」
「ああ、あいつが産まれた時からな」
「そうなんだ。父さんのこと、“ゲンちゃん”なんて呼ぶの、赤木のおばさん以外にもいたんだね」
「・・・それはナオコさんの所為だな。あの人も子供の頃から父さんのことを知ってるから」
「ふーん」
洗い物の手を休めずに、父と息子は会話を続ける。
「言っとくがな、シンジ。父さんは浮気なんかしてないぞ?」
「もうそれは分かったってば。でもリツコさん、いつもあんなことするの?」
「あいつは俺の首にぶら下がるのが赤ん坊の頃から趣味だったのさ。
あれがなけりゃ、父さんはもう5センチは背が高かったぞ」
おどけてそう言った父に、その頃はもう父さん成長止まってたんじゃないの?とシンジは
疑問が頭を掠めたが、些細なことなのでそのまま流すことにした。
と同時に、レイがそれを自分に対してやると、ひょっとして背が伸びなくなるかも知れないと
山のような父を見上げながら彼は妹のぶら下がり禁止を密かに決めた。
少年にとっては背の高さは些細な問題ではないからだ。既に大きい父はどうでもいいが。
「ねえ、リツコさんの夢って何なの?」
「うん?あいつは昔から絵を描くのが好きでな。今のお前くらいの頃には
もういっぱしの絵画を描けるような、そんな女の子だった。
はじめはあいつにとってもそれは趣味というか・・・息をするみたいな自然なもんで、
それを人に見せて認められたいだとか、そういうことじゃなかったんだ。
だが、いつ頃からかあいつは考えを変えた。世界中に認められたいと思うようになったのさ。
まあ、別にそれは悪いことじゃないがな。・・・とにかく、それがあいつの夢だ」
どこか苦いような表情をした父の様子を不審に思いながらもシンジは納得することにした。
これ以上は聞いてもいいことなのか、判断が出来なかったからだ。
彼がふぅん、と頷いている横で、ゲンドウが最後のカップを洗い終わって
それを乾燥機に入れながら言った。
「さて、洗い物は終わったな。今日は何を食べようかな」
「お魚、買ったじゃない。焼き魚でしょ?」
「ああ・・・でもリツコの所為で俺達の取り分が減るだろ」
「・・・それって何かセコクない?」
「何言ってるんだ。大体あいつは何かあるといつもうちに来て勝手に飯を食って泊まっていってたんだ。
これまでの分、全部請求したら結構な額だぞ」
「べ、別にご飯くらい、いいじゃない・・・」
「お前も色々構い倒されてたな。・・・本当に憶えていないのか、リツコのこと?」
手を腰に当ててゲンドウは不思議そうに息子を見つめた。
あれほど構われていたら記憶に残っていそうなものだが、と彼が考えていると、
シンジが困った顔をして首を振った。
「・・・そうか。余程酷い目にあったんだな。気にするな、シンジ」
ゲンドウがポンポンと息子の肩を叩きながら言うのを聞いて
益々シンジは困惑した表情を浮かべるのだが、
その息子の様子に父の身としては庇護欲を掻き立てられてしまい、
可愛いなぁ、とゲンドウは不覚にも感動してしまった。
「どんなことされてたの、僕?」
「ああ、まあ・・・一緒に寝るとか風呂に入るとかは普通にやってたが。
お前の場合、風呂に入れてもらったと言った方が正しいな。
あと、ユイやナオコさんに聞いた話だと、あいつの同級生達のところに
お前を連れていって皆して餌付けしたりとか、化粧や着せ替えをしたりだとか
自転車の前に付いてる籠にお前を押し込んで走りまわったりとか・・・。
お前にボディペインティングをやらかした時にはさすがに怒ったな。
あの時のユイの怒りようはすごかったぞ。リツコの奴、暫くはユイを見る度に涙ぐんでたからな」
「ボディペインティングって何?」
「体中をキャンバスにして絵を描くんだよ。それからな・・・」
次々と過去の自分とリツコの交流が明らかにされるのを聞きながら、シンジは眩暈がしてきた。
完璧におもちゃ扱いされていたようだ。
「・・・僕って可哀相だね」
「なに、いつも喜んでたらしいぞ?同じくらい泣かされたらしいが。
どっちにしてもお前はリツコによく懐いてたんだがな。あいつもお前のことが可愛かったんだよ。
まあ、あいつももう大人だから意地悪はされないさ。安心しろ」
「べ、別にそんなこと気にしてないもん」
自分の言葉に慌てる息子を尻目に、ゲンドウは笑いを零しながら夕食の追加の一品を
何にするか、冷蔵庫をごそごそと漁り始めた。
折角だし何か奮発して作ってやろう。
そう考えながらゲンドウは少し振り返って、背後からちょろちょろと覗き込んでいるシンジを
ちらりと見やり、片眉を上げながら口角を吊り上げた。
今日はいい日だ。
心底そう思った。
「久し振りね、ユイさん・・・」
リツコはユイの仏壇の前に正座をし、優しげな表情の遺影を見つめながら静かに呟いた。
紅茶を飲み終わって一息ついてから、ユイに手を合わせてもいいかと訊くと、
ゲンドウは微笑んで、あいつに顔を見せてやれ、と言ってくれた。
ぽつりと投げかけた自分の言葉の余韻の中で、リツコはのろのろとマッチで蝋燭に火を点け、
数本手に取った線香をその小さな炎の中にかざした。
じわじわと赤熱する緑の先をぼんやりと見つめながら、彼女はユイのことを思い出していた。
ユイは、リツコにとって憧れだった。
彼女のような女性になりたいといつも思ってきた。彼女のことが好きだった。
はじめは嫌いだったのだ。幾分歳が離れ過ぎてはいるが兄のように慕っていたゲンドウの元へ、
突然現れた図々しい女。自分とゲンドウの間の絆を脅かす存在だと、あの頃少女はそう思った。
だが、ユイは少女が冷たく当たるのにもまるで動揺せず、それどころかいつも優しく接してくれた。
いや、実際は彼女は傷付いていたのかも知れない、とリツコは思い直した。
別に何か大それたことを彼女に対して仕出かした訳ではないが、
それでも人は冷たくされるだけでも傷付くものだ。
嫌われるということは、やはり辛い。そして、嫌い続けることもまた辛かった。
リツコはユイを嫌い続けることが出来なかったのだ。それくらい、彼女は温かかった。
彼女と沢山話をした。沢山のことを教えてもらった。母や他の人には出来ない相談にも乗ってもらった。
いつしか彼女のことが好きになっていた。
ユイは、リツコにとって姉であり、親友であり、兄と慕った男の妻だった。
「もう、貴女はいないのね・・・」
パッと炎が燃え上がった線香を蝋燭から離し、リツコは手で扇いで炎を消した。
そして黙ってそれを香炉に立て、手を合わせて目を閉じた。
きっとユイは自分が嫉妬していたことを知っていただろう、と彼女は思う。
少女の幼い憧憬ではあったが、それでもリツコはゲンドウのことが好きで、
そしてそれに割り込んだユイをはじめは疎ましく感じたのだ。
だが本当は割り込んだとかそういうことではなくて、
リツコがゲンドウを慕い、彼がそれに応えてリツコを妹のように可愛がったという事実と、
ゲンドウとユイが愛し合って、そしてお互いを伴侶としたという事実は、並行して存在したのだ。
それは対立する事柄ではなかったのだから、むきになって顔を逸らす自分の姿は
さぞ滑稽だっただろうかと思い返してみて自分でも可笑しくなった。
あの頃の私の気持ちは一体何だったのだろう。
恋と言うにはおぼろげで、大人への憧れというのもしっくり来ない。
ふと、ユイの言葉を思い出した。
自分の気持ちを言葉で表すことは、実はとっても難しいことなのよ。
幼いシンジがどうにか喋ることが出来るようになってきたといった頃に、
この家に遊びに来ていたリツコに向かって、そう彼女は言ったのだ。
母の胸に抱かれて幼いシンジは不思議そうに彼女の顔を見上げていた。
確かに難しいわね。
ふふ、とリツコは思わず笑いが零れた。
目を開けて、もう一度遺影の中のユイの笑顔を眺めていると、しゅるしゅると襖が開いて
レイが顔を覗かせた。
振り返ったリツコが微笑みかけると、意外にもそろそろと静かにレイはリツコの元へ歩み寄った。
母の仏壇の前で何か感じる物があるのだろうかと思いながらも、
リツコはレイを抱き寄せて膝に乗せた。
「貴女はユイさんにそっくりね」
「まんま?」
「そう・・・ママによく似てるわ。貴女の中にママはいるのね・・・」
ぎゅっと胸に抱き締めると、幼子のあたたかな体温がしっかりと感じられた。
「私が帰ってくる前にいなくなっちゃうなんて・・・酷いじゃない」
自分の脇の当たりを、抱き締めたレイの小さな手がぎゅうと握るのを、
リツコは再び目を閉じたその暗闇で感じ取る。
それが涙が溢れるのを食い止めてくれた。
震える唇で何とか微笑みを象りながら、ほとんど音にならない声が漏れた。
「私もね、ユイさん。ママになったのよ」
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碇家のアルバムより 写:碇ゲンドウ |
リンカ様の連載第8話です。
新しい登場人物が現れました。
碇家の生活を描く時には欠かすことのできない女性。
赤木リツコさん。
正直待っていました、私は(笑)。
どうやらリツコはゲンドウのことを物心ついたときから慕っていた様子。
その彼女からすれば、ユイは突然現れて大事な宝物を奪い去った悪者。
しかしその敵はあまりに魅力的でした。
ところがそのユイはすでにこの世にいない。
リツコの心が揺れるのも当然です。
しかし、さあ、この幕引きの言葉は!
リツコのお腹に子供がいるという意味なのか。
それとももしかすると……。
因みにタイトルの「アルテミスの矢」とはギリシャなどで
女性の急死を示す慣用句だそうです。
色々とお調べになっているうちに見つけられたようです。
ユイの死を知ったリツコを現すいいタイトルですね。
彼女はギリシャにも行っていたのかもしれません。
次回が楽しみです。
本当にありがとうございます、リンカ様。
続きをお待ち申し上げます。
(文責:ジュン)
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