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 タヌキ
 

 

LASから始まる
 
新たな戦い
 

 


 

タヌキ        2004.10.08

 

 










 日曜日、ネルフ総合医療センター303号室でアスカとシンジ、ヒカリが談笑していた
頃、第三新東京市の中央に再建されたネルフ本部ビルでは、幹部たちが頭をかかえていた。

「作戦部は7名よ。調査部も5名、保安部に至ってはほぼ壊滅状態」

 ミサトが天を仰ぐ。彼女が言う数字は、昨日の中国側諜報員との戦闘で戦死あるいは、
戦線離脱せざるを得ない傷を負ったネルフのメンバーの数である。

「ライバル一つけ落としたからまだいいけど」

「あら、そう簡単にはいかないわよ」

 ミサトの安堵にリツコがあっさりと釘を刺す。

「どういうこと? 」

「MAGIでここ3ヶ月の第三新東京市への中国系移民の数をチェックさせたわ。土曜日
までに無力化した人数と比べたら、二桁誤差があるわ」

「げっ」

 ミサトが露骨に嫌な顔を見せる。

「もう一度やり合うぐらいの戦力が有ると言うこと? 」

「正面切って出てくるほどの力はないと思うけど」

 リツコが冷えたコーヒーをすすりながら応えた。

「ロシア、アメリカ、EUが残っているのに残党の心配までしなきゃ行けないのは辛いわ
ね。何はともあれ早急な補充が必要だわ。ちょっと行ってくるわね」

 ミサトが足音も高く指揮所を出て行く。

「戦略自衛隊か。獅子身中の虫にならなければいいけど……」

 リツコのため息は誰に聞かれることもなく消えていった。


 審判の日、ネルフ本部侵攻の中核を担った戦略陸上自衛隊の明暗は二つに分かれた。
 打撃力を持ってネルフの本体を攻撃した機工師団は、覚醒したアスカの操るエヴァンゲ
リオン弐号機によって蹂躙され壊滅し、ネルフ内部に進行し対人戦闘に従事した特殊部隊
は、被害こそさしたるものではなかったものの、サードインパクト後の戦時裁判で無抵抗
あるいは降伏したものを殺害したかどで有罪となり、銃殺刑あるいは懲役に処せられて、
部隊は解体された。
 命令に従っただけで迫害を受けることになった彼らがネルフやチルドレンに良い感情を
持っていないことは考えなくても判る。特に、アスカによって潰された機甲師団の生き残
りは、復讐心に燃えているといってもいい。
 今のところ世論に負けてネルフに従う姿勢を見せている戦略自衛隊であるが、いつ牙を
むくか判らないと言うのが現状である。


 月曜日、シンジを送り出したアスカの元へ部下の水城一尉が顔を出した。

「部長、おはようございます」

 シンジ争奪戦が始まってすぐにアスカは、加持リョウジのあとを引き継ぎ諜報部長に就
任している。

「おはよう。休めた? 」

 普段アスカの直属スタッフとして病院に詰めている水城一尉にとって、日曜日は心身共
に休める日だ。

「ええ。久しぶりにショッピングに出かけられました。随分街も復興してきてますよ」

 水城一尉はそう言うと、背中に隠していた小さな箱を取り出した。

「部長、いえ、惣流さん、お土産です」

「いいの? 」

 アスカが小さく首をかしげる。
 かつての性格から判るように、アスカは人からものを貰った経験が少ない。
 嬉しいのだけどちょっと恥ずかしい。そういう顔をしているときのアスカは、年相応に
見えて可愛い。水城一尉も思わずほほえむ。

「ええ。遠慮してもらうほど高いものじゃありませんから」

「じゃ、もらうわ」

 包みを開けると中から出てきたのはパールピンクの口紅である。病室で寝たきりに近い
彼女に化粧品、怪訝な顔でアスカは水城一尉を見上げる。

「女は好きな人の前でこそ装うものですよ」

 水城一尉がいたずらっぽく笑う。その表情はとても諜報と言う闇の世界に足を置く人間
のものとは思えないほど明るい。

「ありがとう」

 アスカは早速に口紅を塗った。化粧など不必要な若い肌に小さく輝くピンクは思いの外
映えた。

「綺麗ですよ、惣流さん。それなら碇さんも一目で撃墜です」

「ふん、もう、シンジはアタシの虜よ」

 水城一尉の感嘆の言葉にアスカは怒ったような口調で応える。それが照れ隠しだという
のはもう皆に知られている。

「で、どうなっているの? 」

 アスカの顔が引き締まる。恒例のレクチャーの始まりである。

「まず、中国の残党ですが、とりあえずアジトを二カ所確認しました。近日中に飯田一尉
の班が急襲をかけます」

「そう、で、補充要員はどうなっているの? 」

「戦略自衛隊から5名、警視庁から2名リストアップしました。これは私の部下が素行調
査に入ってます」

「急いで欲しいところだけど、シンジに近いところに配置するから、十分調べて」

「了解です。でも、私の心配は碇さんじゃなくて、部長なんですよ。諜報部は部長に近い
から……」

 水城一尉の懸念をアスカは手を挙げることで止めた。

「アタシを殺せば世界は振り出しに戻る。全ての動物が居ない原始へと。それに気づかな
いようなバカにやられるほど、アタシの諜報部は間抜けじゃないわ」

 シンジがサードインパクトを起こしながら人類を残したのは偏にアスカと伴にいたかっ
たからだ。アスカが寿命ではない死に方をすればシンジがどうするかは自明の理である。
もっともそれを誰もが知っているとは限らない。

「ありがとうございます」

 部下としてそこまで信頼されれば頭を下げるしかない。

「水城一尉、あなたの考えを聞きたいわ。次はどこが動くと思う? もしくは次はどこを
排除すべき? 」

「ロシアかアメリカでしょうね。EUは未だにしっぽを掴ませません。他勢力を排除して
から、全力であたるべきと考えますから」

「そうね。アタシもそう思う。ヤンキーもロシア熊も実働部隊を出したからね。隙を見せ
たに等しい」

「わたくしとしてはロシアを進言します。アメリカは日本に浸透しすぎてます。協力者の
数も多いです。国連軍もその半分がアメリカ軍ですからね」

 かつて在日米軍の基地であったところはバレンタイン条約によって国連軍極東部隊の駐
屯地になっている。

「イリーナ・ガルバチョウフ、肉弾戦か。今のアタシじゃ太刀打ちできないわ」

 アスカはシンジの教室が映し出されているモニターに目をやった。


「呂さん、休みなんだ。無理ないよね。あんなことがあったんだから」

 シンジの言葉に相田ケンスケが頭を抱える。

「わかって言ってるのか? 」

「なに? 」

 とぼけたシンジの顔にケンスケが嘆息する。中国からシンジを絡め取るために遣わされ
た呂貞春の言葉通り体を張った作戦は失敗し、彼女はネルフに逮捕された。誰が考えても
呂貞春が、シンジの前に顔を出すことは二度とない。

「惣流、おまえの苦労がようやくわかったよ」

 ケンスケは胸ポケットにさされたシャープペンシルにそっと語りかける。アスカから渡
されれた高性能マイクは、ケンスケのつぶやきを間違いなく拾う。

「碇さん、次は音楽教室ですわ。お早くなさいませんと」

 イリーナが、シンジの右手を掴んで歩きだす。後ろから押すようにしながら堂々と自慢
のFカップバストを触れさせている。
 アスカの怒りを予想したケンスケの顔色が音を立てて退いていく。

「イリーナさん、む、胸があたっているって」

「碇さんなら、わたくしは気にしませんわよ」

 シンジが慌てて体を離そうとするが、イリーナに肘の急所を押さえられ、体を離すこと
ができない。
 二人の間に割りこもうとしたケンスケだったが、イリーナに「触らないでくださる」と
睨まれては、引き下がらざるを得ない。

「碇君、ちょっと手伝ってくれる? 」

 ヒカリがシンジに声をかけた。助け船がやっと現れたことにシンジがほっと息をつく。

「これ、音楽室まで持っていって欲しいのだけど……」

 ヒカリの机の上には多くのプリントがのせられている。

「うん、わかったよ」

 学生を装っている期間は、学級委員の命令に逆らえない。イリーナが冷たい目でヒカリ
を見て、シンジの手を離した。

「これだね」

 そう言いながらシンジは必死になって右肘あたりを左手でこすっている。

「なにやってんだ? 」

 妙な動きをするシンジに興味がわいたのか、ケンスケが問う。

「か、感触を消しているんだよ。アスカの前で思い出したりしないように」

 シンジはイリーナのふくよかで暖かい感触を忘れようとしていたらしい。

「はあ、おまえって鈍感なのか気が回るのか分からないよなあ」

 ケンスケがあきれた声をだす。


 その後もシンジに貼りつくようにしているヒカリとケンスケに阻害されて、イリーナ、
マリア、フランソワーズの三人はシンジと直接ふれあうことが出来ず、一日は終わりを告
げた。


 この日シンジはネルフに呼びだされている。ようやく再製できたエントリープラグのシ
ュミレーターでシンクロテストを行うためだ。

「今更シンクロテストなんて必要なんですか? 」

 初号機が宇宙にあることをシンジは知っていたが、それを地球に返す手段がネルフにな
いことも理解している。

「悪いけど、エヴァという技術を失わないためにどうしても適格者の生のデーターが欲し
いのよ」

 リツコがそう言って淡々と準備を進めていく。

「でももう使徒は来ないんでしょ、だったらエヴァも必要ないのでは? 」

「保証はないわ、私たちが生きている間は大丈夫でも将来は判らないわ。子供の世代、孫
の世代に来ないとは言えない。シンジくんとアスカの子孫がフォースインパクトで滅びた
ら困るでしょ」

 シンジの問いにリツコが答える。その中に含まれている子孫という言葉にぽっと頬を染
めるシンジ。初々しい反応にリツコは見とれ、マヤが赤くなり、ミサトが唾を飲む。

「まあ、アスカじゃなくて、私との子孫かもしれないけど」

「リツコ」

「先輩」

 どうやら同じ事を考えていたらしい二人が、怖い目でリツコを見た。

「じょ、冗談よ。さ、シンジくん、急いで」

 二人の迫力のある視線に、リツコが冷たい汗をかきながらうながした。

「わかりました」

 なんやかんや言いながらも頼まれて断れるシンジではない。あのころより少し大きくな
ったプラグスーツに身を包んでエントリープラグに身を沈める。

「シンクロテスト開始」

 リツコの指示の元、伊吹マヤが操作を始めていく。何十度と繰り返されただけに、よど
みない手順で着々と進む。

「ねえ、リツコ。使徒はもう来ないんでしょ」

 ミサトが隣に立つリツコに小声でささやく。

「ええ」

「じゃ、やっぱりデモンストレーション? 」

「そうよ。衛星軌道にあるエヴァを取りに行けない日本の切り札シンジくんの健在ぶりを
アピールしてネルフ本部の威光を見せつけるためのね」

「だけじゃないんでしょ。シンジくんがまだエヴァとシンクロできると言うことを証明し
て、彼の身の安全をはかる」

 ミサトがリツコの真意をあっさりと見抜く。

「ふう、12年のつきあいは伊達じゃないわね。そうよ、中国を排除したとはいえ、まだ
私たちには強敵が残っている。もしシンジくんをガード仕切れなくても拉致だけなら取り
返すチャンスはあるから。相手に殺すことはできないと思わせないとね。シンジくんが死
んだら、ネルフ本部、いえ日本はそこで終わり」

 リツコが力強く語る。

「オープンな実験にしないのは、ネルフに入りこんでいるスパイから報せるため? 」

 ミサトがリツコにしか聞こえないほどの小さな声で訊いた。

「そう。もともと歴史のない組織の上に、人員は寄せ集め、本部施設は廃棄ビルに間借り。
それこそ情報なんてだだ漏れ、それを利用しない手はないわ」

 リツコがため息混じりに言う。そこに伊吹マヤの興奮した声が重なる。

「シンクロ率93%、ハーモニクス誤差0.1%」

「なんですって? 」

「まさか? 」

 リツコとミサトの驚愕の声がつながった。

「初号機じゃないのよ、コアはダミーなのよ。それでそのシンクロ率、あり得ないわ」

「ですが、先輩、計器に異常は見られません。シンジくんの精神状態も安定しています」

 リツコの言葉にマヤが逆らうように言いつのる。

「どういうことよ、リツコ。シンジくんが驚異的なシンクロをしたのは、初号機のコアに
はシンジくんのお母さん、ユイさんが溶けこんでいたからでしょ。でも、今回のシュミレ
ーターは人の魂ではなく、ダミープラグの応用で作られた擬似コア。かろうじて起動でき
る程度か、初号機の中に母が居ると知らなかった頃のシンジくんのシンクロ率、40%ぐ
らいでおさまるはずじゃなかったの」

 ミサトがリツコに詰め寄らんばかりに問いつめる。

「理由は私にもわからないわよ。こんな事あり得ないんだから。でも推測なら出来るわ。
サードインパクトでアダムと一体化したシンジくんは、エヴァのコアではなく本体とシン
クロできる様になった」

「じゃ、もし、初号機とシンクロしたら……」

 ミサトがおびえるような声を出す。

「シンクロ率は400%では済まないでしょうね」

 かつてアスカとレイを救うために力の使徒ゼルエルと戦ったときにシンジが出したシン
クロ率400%。あの時の初号機の強さはまさに鬼神。思い出しただけでリツコにもミサ
トにも戦慄が走る。

「たぶん、シンジくんは一撃で地球を破壊できるわ」

 リツコの声は、静まりかえった発令所に大きく響いた。


 シンクロテストを終え、お腹をすかせて凶暴になっているアスカの元へシンジがたどり
着いた頃、一人暮らしをしているイリーナのマンションの電話が鳴った。

「はい」

「イリーナ、パパだよ。元気かい? 」

 受話器を持つイリーナの顔が引き締まる。電話の相手は父親などではない。イリーナを
日本へ送りこんだロシア陸軍情報部特別課のクリヤコフ大佐である。

「元気よ、お父様。お父様やお母様は大丈夫? ロシアは寒いでしょうに」

 イリーナの口調は親に甘える娘そのものであるが、目は鋭く光っている。

「心配ないよ。馴れているからね。ところでイリーナ、日本の研究は進んでいるかい? 」

「予定よりちょっと遅れていますけど、確実に進んでますわ」

「日本語は難しいからね。何か困ったことはないかな? 」

「大丈夫ですわ。入院したくないから病気に気をつけていますし」

「イリーナは小さな時から医者嫌いだったからねえ。でもそっちにはいい病院があるんじ
ゃないのかい? 」

「ええ。ネルフ総合医療センターが有るから安心はしてますわ」

「そうかい。2月には出張の準備が整うから、会いに行くからね」

「待ってますわ、お父様」

 電話が切れた。
 もちろんネルフの諜報部がイリーナの電話を盗聴している。諜報部が収集している情報
にはランクがつけられている。Aはその場で諜報部の解析に回され、Bは定期連絡の議題
となるが、Cは重要度の低いものとしてそのまま保管される。
 諜報部員は会話の内容を録音したMDにランクCをつけて保存した。


 火曜日、水曜日とやたらシンジに貼りついてくるイリーナに角を生やしたままのアスカ
の元に飯田一尉がやってきた。

「よろしいでしょうか? 」

「飯田一尉ね、いいわよ」

 アスカの許可を得て飯田一尉が303号室に入ってくる。

「土曜日はご苦労様」

「いえ」

 アスカは飯田一尉の功績を高く買っている。彼が居なければシンジは殺されていたかも
しれない。

「ちゃんとお見舞いに行ってる? 」

「な、なんのことでしょうか? 」

 アスカの問いかけに飯田一尉が口籠もる。アスカがにやりと笑う。飯田一尉が震え上が
った。アスカのこの笑いが禄でもないことの始まりだと言うことを嫌と言うほど知ってい
るからだ。もっとも一番身近にいながら、知らないと言うか気づいていないのが一人いる
が。

「諜報部別班、芳本ユリア曹長、1995年6月18日生まれ、21歳。福島県出身。身
長165センチ、体重48キロ、バスト……」

「ま、参りました」

 飯田一尉が米つきバッタのように何度も頭を下げる。芳本ユリア曹長、土曜日飯田一尉
と腕を組んでカップルの振りをした女性諜報部員である。彼女は北京亭を取り囲んだ各国
勢力との争いで左腕に傷を負い、ネルフ医療センターの804号室に入院中であった。

「一尉をかばって怪我したそうじゃない。ちゃんと男として責任取りなさいよ」

「に、任務での怪我に男としての責任でありますか? 」

「あら、シンジは取ってくれたわよ。14歳の男の子に取れて、28歳の男が出来ないわ
けないわよねえ? 」

 飯田一尉のあがきは、あっさりとアスカによって粉砕される。

「ユリア曹長が退院したらセットで休暇あげるから、デートでもしなさい。なんなら旅行
にでも……」

「部長、新しい諜報部員を連れて参りまして、待たせているのですが……」

 飯田一尉が無理矢理話を戻す。アスカの顔がちょっと不満げになるが、そこは切り替え
の早いアスカである。直ぐに仕事モードに切り替わる。

「連れてきなさい」

 アスカはベッドのスイッチに手をやって背もたれを起こしていく。

「失礼します」

 飯田一尉に招き入れられたのは2人の若い男と中年にさしかかった男である。

「右から田沼准尉、大竹准尉、御堂曹長です。惣流三佐だ」

 三人の男は綺麗な敬礼を捧げる。

「戦自よね」

「はい。田沼はわたくしの部下でありました。専門は運用ですが、銃器の取り扱いは部隊
でも右に出るものはおりません。大竹は、第一師団から引き抜きました。格闘技術でバッ
ジを持っております。御堂は、海上からです。陸戦隊で初任教育を担当しておりました」

 飯田一尉の紹介をアスカは首肯して聞いている。

「そう、アタシが諜報部長の惣流・アスカ・ラングレー。元セカンドチルドレンよ」

 アスカは三人を見定めるようにしながら名乗りを上げた。

「飯田一尉」

 アスカの眉がぴくりと動く。

「駄目ですか? 」

 アスカの呼びかけに飯田一尉が応える。

「使い物にならないのを連れてくるんじゃないわよ。それともアタシを試したの? 」

「とんでもない」

 アスカの声に怒りが含まれていることに気づいた飯田一尉が、あわてて否定した。
 三人が判らない顔で二人を見ている。

「アンタよ、御堂。アタシが名乗ったときに殺気を漏らしたでしょう。気づかないと思っ
た? 戦自の海上部隊に恨まれる覚えあるわ」

 サードインパクトの日、アスカはジオフロントの地底湖に配置されていた護衛艦を地上
部隊殲滅の武器として投げつけている。当然乗組員は全滅した。

「初任教育を担当したばかりの新兵たちが16名、骨さえ残らず死んだ。まだ18歳だっ
たんだぞ」

 御堂がアスカに向かって突進する。飯田一尉が前に立ちふさがり、大竹准尉が背後から
羽交い締めに抑え、後ろから膝を蹴って床に手を着かせる。

「なに寝言言ってんのよ。アンタたちが殺そうとしたアタシは13歳だったわよ。シンジ
は14歳。中学生は殺してもかまわないけど、アンタの可愛い教え子たちは駄目だという
つもり? 」

 アスカの声は氷のように冷たい。

「大人の都合で戦いに狩り出され、何度も死ぬ思いをして涙も鼻水も垂らしてわめき散ら
してやっと生き残って、あと少しで戦いが終わるときに心を壊され、生きる屍になったア
タシやシンジに砲口を向けたのはアンタたち大人でしょうが。命令だから仕方ないと言う
つもり? ふざけんじゃないわ。命令は軍人の免罪符じゃない。軍人である前に人である
べきでしょうが」

 少女の叫びに歴戦の勇士である軍人の肩から力が抜けていく。だが、飯田一尉は油断し
ていない。

「田沼准尉、アンタもいい加減背中に隠している拳銃を抜いたら? 」

 アスカは小さく笑う。悪意の籠もった表情は、14歳とは思えない。飯田一尉の眉が少
しあがる。

「御堂にアンタの方が近かったのにまったく動く振りもしやしない。後ろで手を組んで待
機している姿勢を続けているけど、右肘がちょっとあがり過ぎよ」

 田沼の背後で病室のドアが開き、水城一尉が拳銃を構えながら入ってきた。黙って田沼
の首筋に銃口を押しつけ、左手で衣服の背中に仕込まれていた拳銃を取り上げる。

「高分子レジンを使った使い捨てタイプ。これなら金属は一切無いから探知機にも引っか
からないわ。申し訳ありません、三佐」

 水城一尉が拳銃をあらためて、アスカに詫びた。病室への出入りの監視は水城一尉の仕
事である。アスカは小さく首を振って気にするなと意思表示した。咎め立てれば、水城一
尉はもとより、推薦者の飯田一尉も無事ではすまない。

「吹っ切れなかったか。おまえの腕を惜しんで誘ったのだが、残念だ、田沼。俺たちのや
ったことを考えて見ることも必要なんだぞ」

 手に拘束用のビニールテープを持って田沼の後ろに回った飯田一尉の声は悔しそうであ
った。

「くそっ。あのとき第三機甲師団の指揮所にアイツはいたんだ、通信担当で攻撃には加わ
らなかったんだぞ」

 腕をくくられながら田沼が恨みをこめた視線でアスカを睨みつける。

「確かにアタシはあの日千人を超す戦略自衛隊の兵士を殺したわ。でも謝る気なんてさら
さらないわ。やらなきゃやられる状態だったんだから。それに遺族の刃に黙って殺されて
やるほどアタシは善人じゃない。アタシを殺す権利を持っているのはシンジだけ。もちろ
んシンジの命を奪う権利を持っているのもアタシだけ」

 アスカは感情を隠した口調で淡々と語る。

「アンタたちごときに殺されるわけにはいかないのよ」

 御堂と田沼は駆けつけた諜報部によって病室から排除されていった。

「申し訳ありませんでした」

 飯田一尉が、身体を半分に曲げて謝罪する。今度の人選に直接関わっただけに責任を痛
感しているのだろう。

「気にしなくて良いわ、今のネルフの事情はわかっているから。あの二人も心の持ってい
くところがなかっただけ。でも今後は気をつけて。アタシは大丈夫でもシンジはお人好し
だからね。まあ、つかえない二人より役に立つ一人の方が戦力になるわ」

 アスカは大竹准尉に目を向けた。

「アンタも根に持つことがあるようだけど、それを飲み込めるようね」

「…………」

 大竹准尉が目を大きく見開いて絶句する。

「紅い海から帰ってきた限りは、世の中のしがらみを受け入れて生きていくことを選んだ
ということ。信用しているわ」

 アスカに微笑まれて大竹准尉は背筋を伸ばした綺麗な敬礼をささげた。


 飯田一尉と大竹准尉が帰って1時間ほどでシンジが戻ってきた。

「遅かったわねぇ」

 アスカの機嫌は悪い。アスカの推測したシンジの帰宅時間より10分遅いからだ。

「ごめん、学校出るのが遅れちゃって」

 シンジが、済まなさそうな顔を見せる。いつもなら真っ先にキスを交わすのだが、こう
いう時のアスカに近づくと平手打ちが来ることを身にしみて知っているシンジは、アスカ
のベッドを通り過ぎると台所へ向かう。
 アスカはシンジが遅くなった原因を知っている、というか、その原因が気に入らないの
だ。シンジが遅れた理由はイリーナである。まとわりついて離さなかった、それを監視カ
メラの映像でアスカは見ている。

「なんで遅くなったのよ? 」

「イリーナさんが、最近妙に僕に絡んでくるんだよ。なにか僕彼女を怒らせるようなこと
したのかなあ? 」

 買ってきた夕食の材料を冷蔵庫に入れながらシンジが首をかしげる。アスカはシンジの
鈍感さを嫌と言うほど知っているにもかかわらず、あきれて怒る気を無くした。

「ねえ、シンジ、お帰りのキスがまだなんだけど」

 つい先ほどまで自分が出していた近寄るんじゃないオーラのことなど忘れ果てたように
アスカが甘えた声をだす。

「ただいま、アスカ」

「お帰り、シンジ」

 蛍光灯の明かりに二人の影が重なる。少しの間、神は時計を止める。アダムとイブは、
最初のキスを忘れるかのようにお互いをむさぼりむさぼられる。

「はあぁ」

 唇が離れ、アスカが朱唇から甘いため息を漏らす。濡れた瞳で目の前にあるシンジを見
あげる。シンジも潤んだ目でアスカを見つめる。

「ねえ、気づいた? 」

「口紅、似合っているよ」

 シンジが小さな声で褒める。

「シンジも似合うわよ」

 アスカの笑いに慌てて唇を拭こうとしたシンジの右腕をとり、アスカはそっと胸に抱え
こんだ。

「どう? ちょっとは大きくなった? 」

「う、うん」

 シンジは真っ赤になっている。二人は30分ちかくお互いの温もりを感じていた。言葉
は要らない。触れあえるところに相手が居る。その幸福感に浸りながら。


 アスカとシンジが中学生にしては濃密すぎる接触にふけっている頃、ネルフ医療センタ
ーの検査室に勤務する臨床検査技師の一人が、第三新東京市の居酒屋で一日の疲れを発散
させていた。

「待ったぁ」

 そこに現れたのは大学生らしいかわいい女性である。臨床検査技師の隣に腰かけるとす
ぐに酎ハイレモンを注文し、臨床検査技師の目の前にあった肉じゃがをつまんだ。遠慮の
ないその態度、ぴったりと押しつけている身体、二人の間はすでに深い仲であるとわかる。

「今日、泊まっていくんだろ」

「それがさ、レポート提出が明日なのよ。だから、今夜はパス」

「ええっ、そりゃないよ。もう2ヶ月もおあずけだぜ」

 女子大生の言葉に臨床検査技師が情けない声を上げる。

「仕方ないわよ。ゼミの教授締め切りにはうるさいんだから。あたしが卒業できなくなっ
たら、結婚遅れるわよ」

「うっ」

「我慢しなさいよ、あたしだってしたいんだから」

「でもさ、あさってから俺夜勤なんだ。それも三日間だぜ」

「2ヶ月前の泊まり旅行で休んだ代わりでしょ。いい思いしたんだから文句いわないの」

「はああ、あきらめるか。でも、日曜日には会えるよな」

「ごめん、田舎に帰んなきゃいけないの。日曜から一週間。おばあちゃんの法事なのよ」

「何とかしろよ」

「無理いわないでよ」

「俺、我慢できないぜ。病院の看護婦に手だすかもしれない」

「そんなことしたら別れるからね」

 女子大生の声に怒りが含まれていく。

「頼むよ、なあ」

 男の甘えるような声に女が嘆息する。

「わかったわよ。あさっての夜、あんたの仕事場に行ってあげるから、そこでね」

「だめだって、ネルフは警備厳しいから、時間外に人を入れちゃだめなんだよ」

「じゃ、我慢することね」

 女子大生が冷たく言い放つ。

「わかったよ」

 臨床検査技師が欲望に負けた。ポケットから自分のIDカードを取り出し、女子大生に
渡す。

「明後日、金曜日の夜11時に通用門まで迎えに行くから、俺の声がしたら通用門の右脇
についているスリットにカードを通してくれ、ロックがはずれるから。警備室には俺が顔
を出しておく。その隙に入ってくれればいい。入った奥にある自動販売機コーナーで待っ
ていてくれよ」

「あんたはいいの? カードなしでも? 」

「大丈夫さ。人員不足で仕事がたまっているから、顔写真と指紋があえば、入れてくれる
から」

 女子大生の危惧に臨床検査技師はだいじょうぶだと答える。

「OK、じゃ、楽しみにしててね。天国にいかせてあげるから」

 女子大生がにやりと笑った。


「碇さん、わたくしそんなに魅力ありませんか? 」

 金曜日のお昼休み、ケンスケとヒカリの目が離れた一瞬を使ってシンジを屋上へ連れ出
したイリーナがシンジに迫る。

「ガルバチョフさんは、魅力的だと思うけど、どうして僕にそんなこと訊くの? 」

 最近のシンジはアスカしか見てないせいか、ますます鈍感ぶりに拍車が掛かっている。
屋上に呼びだしてのこういう話が、なにを意味しているのか判っていない。
 一瞬、イリーナの瞳が殺気を帯びて光った。女にとっておのれの魅力が通じない男とい
うのは不倶戴天の敵に等しいのだろう。

「わたくしのことが好きか嫌いかと訊いているのです」

 イリーナがストレートに問う。

「好きだよ」

 のほほんとした顔でシンジが答える。

「同級生としてじゃなく、女として。恋人にしてくれるかと尋ねているのですよ」

 そこまで言われてようやくシンジも気づいたのだろう。にこにこしていた表情がちょっ
と哀しそうに変わった。

「ごめん」

 頭を下げるシンジを見下ろしながらイリーナが制服のリボンを解き、ブラウスのボタン
を外し、自慢の胸をさらした。

「見てください、これでも魅力無いといわれますか? 」

 年頃の男なら目を釘づけにされるたわわに実った果実が、白のブラジャーに包まれて谷
間を作っている。そこに流れる汗がさらに劣情をあおる。
 だが、シンジは胸ではなくじっとイリーナの瞳を見つめた。

「ごめん、僕には一杯傷つけあって許し合った相手が居るんだ。彼女を否定するようなま
ねはできないよ。だってそれは僕を否定することだし、世界を否定することなんだ」

 シンジは一度も視線をそらさない。イリーナがゆっくりとブラウスのボタンをかけ始め
る。

「わかったわ。彼女が居る限り、あなたの中に私のはいるところはないのね」

「ごめん」

 イリーナの言葉にシンジが同じ言葉をくりかえす。イリーナはシンジを置き去りに屋上
から去った。


 放課後、一人暮らししているイリーナはいつものようにスーパーに立ち寄る。お総菜コ
ーナーで出来合いのおかずを物色する。そこへ、臨床検査技師と居酒屋にいた女子大生が
近づいていく。イリーナはどちらにしようかと迷っていた二つのおかず、魚のフライとハ
ンバーグのうち、ハンバーグを手にした。
 目線も会話もなく二人は離れた。


「なにやってんのよ」

 病室にアスカの怒声がひびく。手には先日敷かれたばかりの有線電話が握られている。

「すまん、ちょっとトイレに行った隙に……」

「ごめんね、アスカ。わたしも職員室に呼ばれていたから」

 ケンスケとヒカリの二人が交互に謝っているのが受話器から聞こえる。

「ごめん、アタシも言い過ぎたわ」

 冷静になったアスカが、二人に詫びた。ケンスケとヒカリに無理を頼んでいるのはアス
カなのだ。

「で、シンジの様子はどうだった? 」

「屋上から降りてきた時は、昔みたいに暗かったぜ。訊いてもなにも応えないし」

「イリーナさんには、わたしがそれとなく訊いたんだけど、彼女もなにも言わないの」

 一つの携帯電話でしゃべっている、ケンスケとヒカリの声の間に少しタイムラグがある。

「わかったわ。シンジに直接聞いてみる。いろいろありがとうね。アタシにはあなた達し
か頼る人がないから。これからもよろしくね」

 そう言ってアスカは電話を切った。屋上での様子は監視カメラの映像で見ている。イリ
ーナが胸をさらしたのも知っている。だが、話は聞こえないのだ。アスカは、生まれて初
めてと思うほど気を揉んでいた。プロポーションに置いてイリーナは、健康であった頃で
さえ勝てない。
 左目は生気のない義眼、長い入院生活で失われた髪と肌のつや、見るも無惨な傷跡、そ
してやせ細った身体。いまのアスカが町を歩いても声をかけてくる男はまず居ないだろう。
アスカは自分の一番の弱点を突かれたことに強い焦りを感じていた。

「ただいま」

 シンジが帰ってきた。アスカはその明るい声に無理が含まれているのを敏感に察する。

「おかえり」

 二人の唇が触れ合う。普段ならそのまま、恋人のキスから大人のキスへと移行するのを、
アスカは拒否し、自ら唇を離す。

「どうしたの? しんどいの? 」

 いつものアスカらしくないとシンジが心配そうな顔でアスカを見つめる。

「アタシは大丈夫。おかしいのはアンタでしょ」

 アスカはシンジの鼻先に右手の人差し指を突きつけた。

「何があったの? 」

 かつて留学生たちが転校してきたときに感じた不安、それよりも濃いものをアスカは身
内に抱えている。正直にシンジが話してくれるかどうか。アスカはそれを顔に出さないよ
うに努力する。

「…………」

 シンジもじっとアスカを見つめかえす。二人の間に沈黙が舞い降りてきた。

「アタシに話せないの? 」

 シンジの沈黙にアスカの揺らぎは大きくなっていく。

「そんなことはないよ。あまりにアスカが鋭いからびっくりしたんだよ。それとアスカに
気づかれないようにがんばったつもりだったんだけど、あっさり見抜かれたことに脱力し
ているだけ」

 シンジがため息をつく。

「あったりまえでしょ。シンジはアタシに一生涯隠し事なんて出来ないんだから」

 アスカの声にあっさりと張りが戻る。

「怒らないで聞いてよ。いい? 」

 シンジがアスカに念を押した。

「怒らないわよ。浮気したんじゃなければね」

「じゃ、話すよ」

「なにさりげなく、距離を開けているの? 」

 シンジがベッドにかがみ込んでいた姿勢から起きあがる振りをしながら、手の届かない
ところに逃げたのを見逃すアスカではない。

「信じてないんだ、アタシのこと。ああ、アタシたちの間にはもうすきま風が吹いている
のね。こうやって男は古い女を捨てて新しい女に……」

 よよと泣き崩れるアスカ。

「わかったよ」

 シンジはアスカの手を握りながら昼休みにあったことを話した。もちろん、隠し事など
出来るはずもない。イリーナが胸を見せたことまで全部しゃべる。

「へえっ、そう言うことがあったの。アタシ以外の女のバストを見たんだ、ふうん。で、
どうだった? お気に召しました? 」

 ジト目のアスカに睨まれてシンジが震え上がる。

「と、と、とんでもない」

「そう? シンジ、昔アタシの胸によく目を向けていたわよねえ」

 コンフォートマンションで同居していたとき、アスカは無防備なタンクトップや、ノー
スリーブが多かった。いや、素肌にバスタオルだけというのもやった。同じ年の男の子を
からかうというのもあったが、シンジに自分を意識させるのが目的だった。当然、そのと
きのシンジの様子はしっかり観察している。シンジの目線が一番集まったのは、同世代の
女子とは一線を画していたバストであり、次が欧米人だけがもつ脚線美だった。

「アタシ以外の女が目に入らないように、シンジの眼潰しちゃおうかな」

「み、見てないよ、今日は本当に見てないよ」

 アスカの言葉に含まれた本気を感じ取ったのか、シンジが必死で言い訳する。

「今日はねえ。昨日や明日はわからないんだ」

「しない、絶対しない、未来永劫アスカ以外の胸は見ないから」

 大きくシンジが首を振る。それをみてアスカは機嫌良く笑った。シンジには自分しか居
ないことを知っててアスカはからかったのだ。

「ご、ご飯の用意するね」

 シンジは真っ赤になったまま、台所へと消えていく。
 アスカはそれを見送ってナースコールを押した。直ぐに看護師姿の水城一尉が入ってく
る。

「なにかしら、惣流さん? 」

「体温を測って欲しいのですが」

 二人の会話は患者とその担当の看護師そのものである。
 体温計を手に近づいてきた水城一尉にアスカは小声で命じた。

「病院の警備を密にしてくれる? そろそろ熊が出そうだわ」

「了解しました」

 水城一尉はアスカにだけ聞こえるように頷くと、

「大丈夫よ、平熱だから」

 そう言い残して病室から去っていく。
 アスカは、シンジから聞いた、イリーナの最後の言葉、「……彼女が居る限り……」に
危機感を覚えていた。


「お疲れさまです」

 臨床検査技師が警備室に顔をだす。一瞬警備員の気が目の前のセンサーからそれる。

「夜勤ですか、大変ですね。で、どうかしましたか? 」

 警備員が臨床検査技師に話しかけた。

「いやね、自動販売機でコーヒーでもと思って降りてきたんですがね。ちょっと人恋しく
て」

 臨床検査技師が頭をかいて笑う。

「たしかに夜の病院は不気味ですからね」

 警備員も応じる。

「じゃ、どうもお邪魔しました」

 臨床検査技師は、手を挙げて警備室の前から背を向ける。そのまま廊下を歩いて自動販
売機コーナーに行った。

「おい、どこだ? 」

 臨床検査技師の問いに自動販売機と柱の間から人影が出てくる。

「ここよ」

 甘やかな声に臨床検査技師が立ち止まって手を広げる。そこへ女子大生が入りこんだ。

「大きな荷物だな」

 臨床検査技師が目を見張った。女子大生の手にはちょっとしたボストンバッグがぶらさ
がっている。

「馬鹿ねえ。着替えよ。まさか同じ服で明日学校に行けるわけ無いじゃない。今夜何して
いたか、みんなにばれちゃうわ」

 女子大生が甘い声で臨床検査技師の耳をくすぐった。

「ふふ、女だね。用意が良い。もう待ちきれないぜ、今夜は寝かさないからな」

 臨床検査技師が女子大生の耳元で囁いた。たちまち奪うように唇を重ねる。静かな自動
販売機コーナーに淫靡な音が溢れていく。女子大生が持っていたバッグが落ちる。
 我慢できなくなった男が薄いセーターをたくし上げ、柔らかな膨らみを掴んだとき、女
子大生の右手がひらめいた。

「へくっ」

 その瞬間、唇を強く押しつけられ、声にならない悲鳴をあげて臨床検査技師が崩れる。
その脇腹からゆっくりと黒いものが床に拡がっていく。肝臓を一突きされて臨床検査技師
は即死した。

「約束通り天国へいかせてあげたわよ。満足でしょ」

 女子大生は氷のような声音で脇腹から血を噴き出している臨床検査技師を見下ろすと、
小腰をかがめてバッグの中からナース衣を取り出し、おもむろに服を脱ぎだした。
 





            続く
 

 


 

 

後書き
 お久しぶりでございます。ここまでお読み頂き感謝しております。
 話は中国からロシアに移りました。平和な日常が終わっていきます。

タヌキ 拝

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 タヌキ様の当サイトへの11作目。
 うわぁ!話は一気にシリアスに。
 まあね、あの時はああなっちゃったもんね。
 ま、それについては何も申し開きもしないけどね。
 とにかく戦争反対ってことで。
 さあ、いよいよロシア女が動き出したわよ。
 しかも狙いはこの私!
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。

 

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