前作までの設定を引きずっております。先にそちらをお読みいただけると幸いです。
 タヌキ
 

 

LASから始まる
 
新たな戦い
 

 


 

タヌキ        2004.11.25

 

 










 月曜日、第三東京市立第一中学校2−A組の一時間目は、幾何である。黒板代わりに設
置されているスクリーン上に立方体や三角錐が書かれ、それがCGとして回転したり、重
なったりする。目の前のモニターにまったく同じ物が浮かぶのを見ながら碇シンジは、ペ
ンを銜えて上の空である。
 身も心もといいたいところだが、未だに身の方はドクターストップが掛かっているため、
重なり合っていないが、心を隙間無く補完し合った恋人惣流・アスカ・ラングレーの厳し
い指導の元、なんとか世間並みの中学生学力を持つに至ったシンジに理解できない問題で
はない。しかし、シンジは勉学にそう熱心ではなかった。
 東方の三賢女のトップと言われた碇ユイの血を引くにしては才能の片鱗も見せていな
い。シンジの学校での成績を手にしているネルフ作戦部長兼副司令葛城ミサトなどは、

「瓜の蔓になすびがなっちゃったのかもね」

 などと陰口をたたいている。
 が、シンジをもっともよく知る赤毛の少女は、

「お義母さんのすごさは発想力じゃない。でなきゃ、あんな記録にもない裏死海文書を訳
したり、エヴァンゲリオンの構築なんて出来ないわよ。シンジが受け継いだのもそれ。だ
から減点法の学校教育なんかじゃ、シンジの能力を測ることは無理」

 と言ってはばからない。
 13歳で大学卒業した少女の言葉が正解かどうかは、時の流れを待つしかないが、とり
あえず、碇シンジに通知票への心遣いがないことは間違いない。
 そんなやる気のない碇シンジの姿をじっと見つめている眼が6つある。
 ロシアから日本文化を学びに留学してきたというふれこみの巨乳少女、イリーナ・ガル
バチョフ。
 アメリカから父親の転勤についてきたという金髪碧眼ついでに傲岸な美少女、マリア・
マクリアータ。
 フランスから父の仕事の都合で転校してきたアスカと双子ほど似ている容姿に、女の子
らしい性格、究極の美少女、フランスワーズ・立花・ウオルター。
 セカンドインパクトで無くなったミスユニバースにでれば、優勝を3つ出さなければな
らないこと間違いなしの少女達、その熱い視線を三方から浴びせられていることにも気が
付かず、碇シンジはノートパソコンを前に夕食の献立を考えていた。

「昨日が、ミラノ風カツレツとキャベツのサラダ、マッシュルームのスープと洋風だった
からなあ」

 休み時間に入ったことも忘れてシンジは献立に悩む。世の主婦業の方々がもっとも苦労
するのが、毎日の献立だというのをシンジは身をもって感じている。
 もっともシンジがその胃をおさえているアスカはそうグルメではないが、怠慢は許さな
い。
 軍隊や特務機関で何が一番粗悪かと言えば、食事の味付けである。そこで文句も言わず
に10年過ごしてきたのだ、多少味付けに問題があってもアスカは怒らない。だが、献立
に手抜きとか、繰り返しが見えると厳しい。これはかつての同居時代からそうである。

「なに気抜いているのよ。このアタシに食べてもらえるだけの物を出しなさい」

 ネルフの食堂で食べるときには何も言わないアスカが、シンジの作る物にはやかましい。
これだけ見てもアスカがシンジに愛情を求めていたことは明らかだったが、使徒戦役の頃
のシンジとアスカにそれを推し量るあるいは自覚する余裕など無かった。
 お互いに心の隅々まで見られて親以上に相手のことを理解して愛を認めた今なら、それ
が判る。だからこそ、シンジは周囲が見えなくなるほど考えるし、アスカは言うべきは言
う。

「中華風などどうでしょう? 」

 シンジが何に苦悩しているか、適格に把握しているのか、中国娘の呂貞春が、声をかけ
てくる。
 彼女もつい先々週までシンジを狙う女スパイだったが、身を挺した作戦を破られ、ネル
フに投降して今ではシンジのガードの一人になっている。

「ハンバーグ好きなアスカさんですからね。甘酢肉団子などはお好きでしょう。それだけ
では野菜が不足しますから、八宝菜などをつけられては? 」

「そうだね。それに卵スープでもつけようか」

 シンジの表情が明るく変わる。

「じゃ、放課後一緒にお買い物に行きましょう」

 さりげないガードを申し出る。

「よろしく」

 もちろん出来合いなどをシンジが買うことはない。肉団子の為のミンチ肉さえ買わない。
赤身の良い牛肉を購入して包丁で叩き、すり鉢で擂るのである。
 にこやかに頷いたシンジに笑顔を見せながら離れていった呂貞春をロシア、アメリカ、
フランスの三人娘が取り囲む。

「ちょっとよろしいかしら? 」

「黙ってついてくる」

「呂さん、お話をしたいのですが……」

 4人の留学生達は連れだって教室を出て行った。
 どこの学校でもそうだろうが、何カ所か死角となるところがある。男女の告白や密会、
いじめやかつあげなどに使用される人目につかないスペース、この中学校では、第一に屋
上の給水塔の陰、続いて3階から屋上へ上がる階段の踊り場、校舎裏のゴミ焼却炉付近で
ある。
 4人は屋上へと来ていた。
 塀際に立つ呂貞春を逃げ出せないように3人が囲む。

「な、なんの御用ですか? 授業が始まるので教室に戻りたいのですが……」

 三人から発せられる殺気に呂貞春の声も震える。

「どういうことなのでございます? 」

 まずイリーナが鋭い目つきで胸を張って問う。凶悪なまでの膨らみが一層誇示される。

「どういうことと言われましても」

 呂貞春が困惑の表情を浮かべる。

「お互い素性はしれている。妙な隠し事はしない」

 マリア・マクリアータが、びしっと右手の人差し指を呂貞春に向ける。左手を腰にあて
ることも忘れていない。

「教えてください」

 フランソワーズ・立花・ウオルターが、両手を胸の前で組んで潤んだ瞳で見つめる。
 三人とも群を抜いた美少女である。男なら簡単に落ちるだろうが、そこは女同士、色仕
掛けとか魅惑の魔法には掛からない。

「失敗してネルフに捕まったはずのアンタが、なぜここにいてしかも、碇と親しくしてい
るのよ」

 マリア・マクリアータの堪忍袋はかつてのアスカと同じほど脆いらしい。怒声が屋上に
拡がる。

「言わなくてもおわかりだと思いますが」

 呂貞春が開き直った。気弱そうに見えても国によって選ばれた碇シンジ籠絡選手なのだ。
芯は太いし、体術も相当遣える。それは残りの3人にも言えることだ。まだ実力を見せて
いないフランソワーズを別にして、マリアもイリーナも男5人ぐらいなら数分で地に這わ
すことなど造作もない。お互いの眼力が絡み合い、火花が飛び交う。

「ネルフについたという事ね」

「わたくしたちの敵に回ったと言うことでございますね」

 マリアとイリーナが厳しい視線を向けてくる。フランソワーズは、どうしたらいいのか
判らないのか、戸惑うように眼をしばたたかせている。

「もともと味方では無かったはず」

 呂貞春があきれたような声を出す。そう、獲物である碇シンジは一人しかいない。先着
一名様限定の賞品なのだ。それを争っていた4人である。元から連合とか友好関係にはな
い。

「勝負から降りたなら、わたくしたちの邪魔はしないでもらいたいですわ。さっさと中国
へ尻尾を巻いてお逃げなられたら」

 イリーナの言葉にマリアも同意とばかりに首肯する。

「勝てない勝負はしないことですよ。あなたがたも命を失う前に帰国されることを強くお
すすめします。紅の稲妻、惣流・アスカ・ラングレーは容赦ないですよ」

 呂貞春が口の端をゆがめて笑った。
 間違いなく14歳では世界最強であるアスカの異名に3人の腰がひける。その隙を呂貞
春は見逃さなかった。素早く囲みを脱する。

「では、失礼します」

 屋上の階段口へと身体を滑りこませながら呂貞春が、顔を三人に向けて言った。

「ああ、言い忘れましたが、わたし、日本人になりましたから」

「どういう事? 」

 マリアの問いかけににっこりと呂貞春は笑って応える。

「アスカさんの友人になったんですよ」

 階段口に消えた呂貞春を見送った三人は、何とも言えない顔でお互いの表情を伺った。



 サードインパクトの後、ネルフへ無差別攻撃の許可を与えたと言うことで内閣は総辞職
している。ネルフがマスコミに流した戦略自衛隊の特殊部隊が無抵抗の人間を射殺する場
面や女子職員を焼き殺す映像は、世界中に衝撃を与え、その非難は総理大臣の首をすげ替
えるだけでなく、後継者を与党から送りだすことさえ許さなかった。

「稲葉ってたしか野党第一党の党首だった男よねえ」

 葛城ミサトがMAGIによってスクリーンに映し出された壮年の政治家、現職の総理大
臣の顔を見上げて口にした。ここは、ジオフロントを失ったネルフの臨時本部である。無
事だった兵装ビルの一部を改造しただけに狭い。かつての発令所の三分の一もない。

「そうね。弁護士出身で人権擁護派の旗手と呼ばれた男よ」

 赤木リツコが、続ける。

「MAGI2とはいえ、野党の人間がいじれるの? 」

 アスカを襲った女暗殺者の経歴は、2年しかたどれなかったが、その時新しい戸籍と女
子大生の身分を取得したことは判っている。

「無理ね。サードインパクトが起こるまで与党は絶対権力だったからね。MAGI2のオ
ペレーターといえども官僚だから、野党の命令に従うとは思えないわ」

 ミサトの疑問をリツコは一蹴した。

「じゃ、今回アスカを襲わせたのも与党の仕業と? 」

「直接はこいつの命令ね」

 リツコが手元のキーボードを操る。モニターに映っていた顔が東洋人から白人へと変わ
る。

「スミノビッチ・ガルバチョフことロシア陸軍情報部特別課パターキン・クリヤコフ大佐。
1973年イルクーツク生まれ、熱心な共産党の家に育つが、ソビエト連邦崩壊で特権を
奪われ、苦労してロシア陸軍大学を卒業、各国の駐在武官をした経験した後、現職。日本
駐在の経験もあるわ」

 リツコが手元の端末から情報を読み上げる。

「まさか、旧ソ連を復権させようとしているの? 」

「ソ連の復活を狙っているかどうかは知らないけど、セカンドインパクトで4つに分裂し
たロシアをまとめあげようとしているのは確かね」

 セカンドインパクトの混乱は、旧世紀の大国を完膚無きまでに打ち砕いた。石油という
資源の供給源である中東が水没し、エネルギー変換を強いられた先進国だったが、うまく
太陽エネルギーに切り替えられた国は少なく、失敗した国は食料とエネルギー不足を不満
とした勢力によって細分化されている。ロシアもその一つであった。豊富な資源を持つシ
ベリアに依存していたために、代替えエネルギーの開発に熱心でなかったのが祟った。シ
ベリアが海の底になったとき、ロシアは崩壊の道を歩むしかなかったのだ。
 現在ロシアはモスクワを中心としたロシア共和国、東部のロシア新民主主義共和国、南
部のイスラムロシア連邦、ヨーロッパの一部とバルカン半島を取りこんだ大ロシア合衆国
に別れている。

「なるほど、シンジくんを手に入れてエヴァを持てば、S2機関も手中に出来る。エネル
ギー問題は一気に解決、国家統一も夢でなくなるわね」

 ミサトが呟く。

「だからこそ、それぞれの国は情報機関の大物が出てくるのよ。死んだ中国の劉陸佐もそ
の筋では有名な人だった」

「で、このロシアの中年と日本の政府はどう関わるのよ」

「調べたわ」

 ミサトの問いに再びリツコの指が踊る。モニターが二分され、左にクリヤコフが、右に
同じ年齢ほどの日本人の顔が表れる。

「5年ほど前の内閣で外務副大臣をやっていた与党民友党代議士大前健吾よ」

「大前って、セカンドインパクト直後の総理大臣にそういうのがいなかった? 」

「覚えてるようね。そう、痛みのある改革を断行するとして混乱していた日本をまとめた
男よ。その実は弱者切り捨てでしかなかったけれど、あの時日本にはそれが出来る人間が
必要と考えられていた」

「その息子ね」

「ええ。頭に馬鹿がつくけどね。そして、こいつが外務副大臣のときに、クリヤコフが日
本大使館一等書記官として第二東京にいたわ」

「顔見知りという事か」

「それだけじゃない。大前健吾は外務副大臣になる前、防衛省の副大臣だったのよ」

 リツコの声に重い物が含まれている。戦略自衛隊があの女暗殺者にした人体実験は許さ
れることではないが、リツコも同じ事をレイにやっていたのだ。

「リツコ、反省できる猫と反省でき無い猿、どっちが神の膝に近いかしら? 」

 ミサトがしんみりした声で妙なたとえを口にする。

「シンジくんなら猫をその胸に抱いて撫でてくれるわ」

「ありがとう、ミサト」

 リツコの目尻に小さな光が浮かぶ。それをそっと人差し指で拭ってリツコの手がまたキ
ーボードを叩く。

「これは大前健吾の隠し口座のお金の動きを追ったものよ。先日数百万の振り込みがあっ
たわ。振り込んだ人間は東欧貿易。東欧貿易は第二東京に本社がある貿易会社だけど、主
な取引先はロシア」

「ビンゴね」

「MAGIに隠し事が出来ると想っているコイツが間抜けなだけ。証拠の残る振り込みな
んて悪党としても三流ね」

「ネルフによって政権の座から転がり落ちた復讐とお金か、あまりにありきたりすぎてお
もしろくもないわ」

 ミサトがホルスターから愛銃を抜いてマガジンの中身を確認する。

「ちょっと行ってくるわね。出張手当お願いね」

「あら、そんなことしないでも大丈夫よ。もうすぐこいつ一文無しになるから。家も土地
もお金も無記名の証券も、もちろん貸金庫も封鎖したから。持ち金は財布の中にあるお金
だけ」

 リツコが低い笑い声をあげている。

「権力も失いその上金のなくなった政治家に誰がついてくるかしらね。見物だわ」

「リツコ、あんたを怒らせないようにするわ」

 ミサトがふうとため息をつく。

「でも、こいつだけじゃないわ。日本政府の中には、政治家だけじゃなく官僚、軍人とネ
ルフやアスカに反発している連中は多いからね」

「心配しないで。二度とアスカに手出しはさせない。作戦部をなめた付けは高いわ」

 ミサトが力強く宣言した。



「そうか、中国は撤退したか」

 イリーナのマンションでロシア陸軍情報部クリヤコフ大佐が携帯電話を手にしていた。

「上海、香港、大連と三つの南部主要都市で同時に独立戦争が始まっては、無理もありま
せんよ」

 電話の向こうで部下が応える。ロシアのMAGIクローンが稼働できていたときに開発
された秘匿通信型言語変換ソフトを使った会話である。オリジナルのMAGIと言えども
解読に1週間はかかる。クリヤコフは日本に三日といるつもりはない。

「わかった。では、明後日。目標の誘拐を挙行する。陽動は任せたぞ」

「了解しました。目標が通学にでて2時間後、午前10時に作戦を開始します」

「うむ。国防省には私から連絡をいれておこう。戦略自衛隊の不満分子とはいえ、にぎや
かせぐらいにはなるだろう」

「感謝します。では、大佐、祖国で」

 電話が切れた。ロシアがまだ大国といっていられた頃に打ち上げた通信衛星を直接使っ
た携帯のやりとりである。位置を調べるのは難しい。部下の素性を探るのは不可能に近い。
 クリヤコフ大佐の部下の多くは、何年も前から日本に浸透している。ロシア大使館の職
員であったり、日本への移民であったりする。その何年もかけて築き上げたネットワーク
をつぶしてもシンジを手に入れるとロシアの政治家が決めたのだ。それに見合うだけの結
果を出さないとクリヤコフは祖国に帰ることができなくなる。

「大佐」

 部屋の片隅で塑像のように立ちすくんでいたイリーナが、声をかける。

「脱げ」

 それに対してクリヤコフの返事は氷のように冷たい。

「はい」

 抵抗のそぶりもなイリーナは全裸になった。手を身体の横に沿わせてたらし、どこも隠
さない。日本人、いや東洋人ではあり得ない美がそこにある。

「ふん、手入れは怠っていないようだな。これだけの身体をしておきながら、たかが中学
生の男一人も落とせない。病床でかつての面影もないセカンドチルドレンに勝てないのは、
なぜだと思う」

「わかりません」

 近づいてきた大佐に自慢の胸をいたぶられながらイリーナは答える。

「命をかけていないからだ。サードチルドレンとセカンドチルドレンはお互いの命をかけ
た戦いをくぐり抜けてきた。肉体的な結びつきは浅くても精神的にはかなり深いところで
つながっている。それに対抗するだけのものをおまえはサードチルドレンに見せたか?
生まれ持った素材だけでどうにかなると思っていたのではないか? 」

「申し訳ありません」

「施設に戻りたいか? 」

 クリヤコフの問いに無表情であったイリーナの顔がゆがむ。

「今度施設に戻ったなら、一年は生きられまい。役立たずを生かしておくほど我が国に食
料とエネルギーに余裕はない。実験材料にも不足している。まあ、おまえほどの身体だ、
その気になれば20年ぐらいは生きていけるかも知れないが、二度と人として施設の外に
出ることはできない」

 イリーナの身体が小刻みに震え出す。

「大佐、それだけはお許し下さい」

「一日だけ余裕をやる。明日中にサードチルドレンに抱かれろ。関係を結んだ女を捨てれ
る性格ではないと報告を受けている。どんな手を使っても良い」

「はい」

「あさってには私が動く。ネルフ本部を襲い、その隙にサードチルドレンを誘拐する。生
きてさえいればいい。脳だけ有ればEVAは動かせる。条件はそこまで甘くなったのだ。
失敗はしない」

 イリーナの身体から手を離したクリヤコフが睨み付ける。

「……」

「サードチルドレンさえ手に入れれば、おまえなど必要ないと言うことを忘れるな」

「承知しております」

 イリーナが素裸のまま敬礼した。



「馬鹿熊が、動き出すそうだよ、マリア」

 イリーナの住んでいるマンションより二回りほど広い住宅で恰幅の良い紳士が、目の前
のテーブルに座っている娘に語りかける。

「ふん、そんなことどうでもいいわ」

 マリア・マクリアータが、鼻先で笑う。

「余裕だな、マリア」

 暖かみを持っていた紳士の声が冷える。

「そろそろ3ヶ月の期限のはずだ。それまでに研究所に戻らなければ……」

「分かっているわよ」

 紳士の言葉を遮ってマリアが叫んだ。

「だったら、そろそろ結果を見せて欲しいものだ。我々は世界の警察官としての威厳を取
り戻さなければならないのだ。それも熊のようになりふり構わずではなく、スマートに決
めなければならない」

「分かっていると言っているでしょ」

「将来ハリウッドで映画化されるほどのラブロマンスを期待しているよ」

 紳士の声が再び優しいものへと戻った。



 それぞれの思惑を混ぜた一日が明けていく。

「行ってくるよ、アスカ」

「まっすぐ帰ってきてね」

 ゆで卵なら確実にハードボイルドになるほどの時間、顔の一部をくっつけあった二人は、
寂しげに挨拶を交わしてひとときの別れを交わす。
 シンジはネルフ医療センター玄関から作戦部差し回しの車で第三東京市立第一中学校
へ、アスカは諜報部別班班長水城一尉とともに特別病棟内に設けられたリハビリ施設へと
向かう。
 第一中学校も新学年を目の前にして復学してくる生徒でにぎわい始めている。その中を
作戦部の警護を受けながら教室へと向かうシンジは異様に目立つ。

「来たわね」

「来られたようでございますわ」

 アメリカとロシア、旧世紀を支配してきた二大国を代表する二人がシンジの姿を認めて
呟く。

「おはよう」

 シンジが教室の前の扉から入ってきた。

「よう、おはよう」

 ケンスケが軽く手を挙げる。

「おはよう碇君」

 ヒカリが黒板消しをはたきながら顔を向け、

「おはようございます、碇さん」

 呂貞春がにこやかに笑いながらシンジに挨拶を返す。
 この三人が学校でシンジを守るガードである。三人が教室にそろうのに合わせてシンジ
は登校している。もちろん、それを知ってはいない。アスカが密かにそう手配しただけだ。

「おはようございます、碇さん」

 イリーナが早速シンジの机に寄ってきた。少し表情が硬いのは昨夜の余韻か。

「あっ、おはよう。ガルバチョフさん」

 シンジはまったく変わらない笑顔で迎える。

「碇さん、今日のお昼休み少しお話がしたいのですがよろしいですか? 」

「この間みたいに、いきなり服脱がないでくれればいいですよ」

 シンジの返事にイリーナが寂しそうに俯く。

「ご、ごめんね。きついこと言っちゃったね」

 シンジの内罰的な性格は少し改善されつつあるとはいえ、他人の家で生活した10年の
年月を過ごして作り上げられた性格はそう変わるものではない。

「いいえ、では、お弁当を食べられたら校舎裏までお願いいたしますわ」 

 それだけ言うとイリーナは離れていった。

「どうしたんだろ? 」

 いつもなら先生が入ってくるまでまとわりついているイリーナのあっさりした態度にシ
ンジは首をかしげる。

「どうしたの? 」

 イリーナが消えるのを待っていたかのようにマリアが近づいてきた。

「ちょっとね」

「そう。じゃ、碇、話があるからちょっとつきあいなさい」

「今? 」

「ホームルームが始まるまで10分ほど有るでしょ。文句言わずに付いてくる」

 先に立って歩きだしたマリアの後をついていくシンジの背中にケンスケが声をかける。

「碇、どこ行くんだ」

 ケンスケにとっては一大事である。ここでマリアと二人きりにしたりしたら、間違いな
くアスカの怒りに触れる。

「うっさい。眼鏡は黙ってなさい」

 振り返ったマリアの一声にケンスケの身体が固まる。シンジと同じでケンスケの意識に
もアスカの語調は刷り込まれているらしい。一緒に学んだのはわずか数ヶ月だったが、ア
スカのインパクトはそれほど強い。

「ちょ、ちょっと」

 今度はヒカリが声を出すが、それを呂貞春が抑えた。

「様子がおかしいです。跡をつけて状況を把握するべきです。無理に押しとどめて暴走さ
れたら………」

 一応スパイとしての教育を受けている呂貞春の提案である。ヒカリは頷いて呂貞春とと
もに出ていく。

「相田さんは、イリーナの様子を窺っていてください」

 呂貞春に命じられてケンスケは黙って教室に残った。
 マリアはシンジを連れてどんどん廊下を進んでいく。やがて二人は突き当たりの階段を
のぼった。

「ここで良いわね」

 マリアが足を止めたのは、屋上へ至る3階の階段の踊り場である。

「話ってなにかな? 」

 シンジは邪気のない眼でマリアの顔を見る。マリアの顔が一瞬紅くなるが直ぐにまじめ
な表情にもどる。

「2年の終わりと共にアメリカへ帰ることになったわ」

「えっ、もうお別れなの? 」

「そう。で、碇に頼みがあるんだけど……」

「なに? 」

「せっかく日本に来たのに、ずっと忙しくてどこも観光してないのよ。だから、アンタに
どこか日本らしいところを案内して欲しいと……」

 真っ赤になりながらそう言うマリアをシンジは呆然として見ている。

「今度の土日につきあいなさい」

 最後はいつもの命令口調に戻ったマリアである。

「ううん、日本の思い出かあ。わかったどこか探しておくよ」

 鈍感過ぎるのも罪なのだ。補完を経て徹底的に優しくなったシンジである。日本最後の
思い出と言われて断ることは出来ない。

「ちゃ、ちゃんと調べておくこと、いいわね」

 そう言ってマリアは駆け出すようにシンジの前から去っていった。

「来ますよ」

 マリアが「ちゃ、ちゃんと」と口にした段階で呂貞春は、ヒカリの腕を掴んで潜んでい
た階段脇から教室へと駆けだした。

「ど、どうしよう」

 走りながらヒカリの顔色が変わっていく。アスカにどう報告したらいいのか判らないの
だ。入院しているおかげで前ほどの被害をもたらさないが、アスカの感情の発露をまとも
に受け止めるだけの自信はないのだろう。

「アスカさんへは碇さんから伝えて貰いましょう」

「そんなことをしたら碇君に害が……」

「碇さんにはもうちょっと危機感を持って貰わないと。アスカさんに叱られることでちょ
っと自覚して頂きましょう。今のままでは罠に掛かり放題です」

「呂さんって、小学校の先生みたいね」

 直接ではなく間接に碇シンジの成長を促そうとする呂貞春を見て、ヒカリはそう感じた
らしい。

「先生……私に出来るのでしょうか? 」

 貞春の顔に歓びのような憂いのような複雑なものが上がる。

「きっと良い先生になれると思うわ。何年か先には、アスカと碇君の子供の担任になるか
もしれないわよ」

「碇さんによく似た性格のお子さんなら歓迎ですけど、アスカさんそっくりな女の子だっ
たら、持ちたくないですね」

「本当、アスカそっくりな娘だったら、小学一年生で腰に手を当てて『アンタバカ』って
言いそうだわ」

 走りながら二人はくすくすと笑う。

「そろそろ教室です。さあ、私たちは昼休みのイリーナに備えましょう」

 呂貞春の顔が厳しく締まった。



「まったく、好き放題言ってくれちゃって」

 アスカ専用のリハビリルームで歩行練習を繰り返しながら、壁に設けられたモニターで
中学校の様子を観ていたアスカが苦笑いを見せる。

「相田のバカはお仕置き決定。貞春もね」

「装流三佐、お手柔らかにお願いしますね。三佐は、まだリハビリ中なんですから」

 平行棒に掴まりながら歩く練習をしているアスカの直ぐ側で手助けをしている水城一尉
が忠告する。

「判っているわ。大丈夫、入院はさせないから。人手不足をより深刻にする気はないわ」

 アスカが屈託のない笑顔を見せる。

「三佐、そうやって笑っておられると本当に可愛いですね」

 水城一尉も微笑む。年齢もタイプも違うが、美少女と美女二人の表情は、真っ白な病院
の一室に大輪のバラと胡蝶蘭を並べたように艶やかである。

「アリガト、アタシもずっと笑っていたいんだけどね、そうさせてくれないから」

「申し訳ありません。私たち大人がもっと力を発揮できれば……」

 水城一尉の表情が暗くなる。15に満たない少年少女に命がけの戦いを強いる。使徒戦
役のころからネルフにいるものたちの原罪である。

「気にしないでとは言わないわ。でもね、水城一尉や飯田一尉、リツコにミサト、そして
他の人たちもアタシたちを護ろうとしてくれていることは知っている。だから、罪の意識
に苛まれるのはやめて。アタシたちはもちろんだけど、水城一尉たちも幸せになる権利は
あるわ。いえ、幸せにならなければいけないの。でなければ、何のために紅い世界から帰
ってきたのかわからないじゃない」

 アスカが真摯な表情で水城一尉に伝えた。

「はい。きっと碇シンジ二尉よりいい男をつかまえて、惣流三佐よりも幸せになって見せ
ます」

「ふん、シンジ以上の男なんてそういないわよ。絶対アタシの方が良い家庭を作るの。観
てなさい、シンジとの間にバンバン子供産んでやるんだから。5人、いや、10人では足
りないわ」

「そんなにたくさん産んで野球チームでもつくるんですか? 」

「まさか。そんな規模の小さいことは考えないわ。生まれた子はアタシの子供だからね、
みんな男前と美女ばっかり。当然、子供達も良い結婚して山ほど子孫を残すに違いない。
それを繰り返せば、何代か先には、人類全てにアタシの遺伝子が入ることになる。そして、
アタシは人類の始母として永久に崇められるの」

「え、遠大な世界征服計画ですね」

 高らかに宣言するアスカに水城一尉の腰が引ける。

「でも大きな懸念があるのよね」

 一気にアスカの声がトーンダウンする。

「シンジがあれでしょ。簡単に人に騙される性格。その性格が遺伝したらアタシの壮大な
夢が潰えてしまいかねないわ。ここは、心を鬼にしてシンジを鍛え直さなきゃ」

「もう、十分に鬼じゃないですか」

 水城一尉がすっと顔を背けて小声で呟いた。愛の鞭といえば聞こえが良いが、毎日シン
ジの学業の遅れを取り戻すためにアスカがやっているのはしごき以外のなにものでもな
い。
 思わず漏れた水城一尉の声を聞き逃すアスカではない。

「なにか言ったぁ? 」

 低い声を出す。

「い、いえ、な、なにも」

 水城一尉がショートカットの髪を震わせて否定する。

「退院してからのことなんだけどさあ」

 アスカが声のトーンを変えずに水城一尉に相談を持ちかける。

「あたしたちどうせ一生ネルフから離れられないじゃない」

「は、はい」

 水城一尉が、背筋を伸ばす。

「当然、退院してからもガードは付くことになるわよねえ」

「おそらく今以上に厳しいガードとなるはずです」

「となると、かつてのミサトのように、アタシとシンジの家に同居するガードも必要にな
るわよねえ」

 アスカの口調がからかいを含んだものへと変わっていく。

「さあ、そのへんは……」

 口ごもる水城一尉、どうやら嫌な予感が彼女を襲っているようだ。

「アタシとしては気心の知れた相手が良いわね。遠慮しなくて良いから。ねえ、水城一尉」

「そ、そうですね」

「よかった。水城一尉も納得してくれたようだから。じゃ、よろしくね」

 アスカがわざとらしい笑顔を顔に貼り付け、両手を胸の前で組む。

「一緒に住んでくれるわよね」

「えっ」

 水城一尉の顔が明らかに変わる。病床にあってあれだけ甘い二人なのだ。普通に生活で
きるようになったら、一線を越えてしまったら、それこそさかりのついた動物以上になる
だろう。間違いなく人目など気にせず、ところかまわず番うだろう。そんな色ぼけカップ
ルと24時間行動を共にし見せつけられたら……独身で年齢相応に性欲もある自分など半
月ももたない。自分も色情惚けになるか、逆に性を切り捨てるか……。どっちにしてもま
ともな人間ではいられなくなる。
 水城一尉の頭の中を去来していることなどアスカにはお見通しである。にやにや笑いな
がら楽しんでいる。

「ゆ、許してください、三佐」

 涙を浮かべて水城一尉が頭を下げる。

「心配しないで良いわ。アタシだってシンジと二人だけの時間を失いたくないからね」

 十分いじめたことで満足したアスカが水城一尉を許した。



 学生にとって何よりの息抜きは昼食である。これだけは、世紀が変わろうが、神の使い
が攻めてこようが変わることはない。
 シンジは昼食を素早く済ませると、一人教室を出て行った。

「待てよ。トイレなら俺も行く」

 アスカの手配で毎朝届けられているパンを食べている途中だったケンスケが、慌てて立
ちあがる。

「悪いけど一人で行かせてくれないかな」

 シンジがケンスケを抑える。ケンスケがアスカに頼まれてガードをしていることをシン
ジには知らされていない。そう言われてまで付いていくのは不自然である。
 ケンスケの焦燥の顔を見て呂貞春が小さく頭を振る。

「ごめんね」

 そう言って背を向けたシンジの姿が見えなくなるのを待って呂貞春が、立ちあがった。

「相田さんは、マリアを。洞木さんは、フランソワーズを頼みます」

 小柄と言うこともあるのか、呂貞春の動きは素早い。声だけを残したように姿が消えて
いる。

「どこかな、ガルバチョフさん」

 学校裏にたどり着いたシンジが、あたりをきょろきょろと見合わす。

「ここです、碇さん」

 校舎から少し離れた裏庭の銀杏の木陰からイリーナが姿を現す。

「待たせた? ごめんね」

 そちらに小走りで向かいながらシンジが謝る。

「いえ、こちらこそお呼びだて申しまして」

 イリーナが小さく頭を下げた。

「で、早速だけど、なにかな? 」

「…………」

 イリーナがすっとシンジの胸に抱かれるようにとびこんできた。

「わったたた」

 シンジが慌てて両手を振り回すが、しっかりとシンジの背中に両手を回したイリーナは、
びくともしない。イリーナ自慢の胸がシンジの焦りを助長していく。

「ガ、ガルバチョフさん、む、胸があたあた」

 引き離そうとするシンジに逆らうようにぐっと抱きしめながらイリーナがささやく。

「そのままで聞いてください」

「えっ」

 冷静なイリーナの口調に一瞬シンジが我に返る。

「駄目です、今までのように焦ってください」

 イリーナがシンジの身体により一層胸を擦りつける。上下に体を動かすことまでしての
ける。思春期の少年にそれは爆弾よりも衝撃を与える。シンジは再び顔を真っ赤にして焦
りだした。

「うわああ、や、柔らかい。じゃないよ。離れてよ」

 シンジの大声は後者の影から二人の様子を見ている呂貞春の持つ高性能シャープペンシ
ル型マイクに拾われ、リアルタイムでアスカの元へ届けられた。

「あんの浮気者。男ってどうしてああもスケベなのかしら。シンジも大きい方が良いのか
なあ。そうだったとしても、アンタはアタシを選んだんでしょうが。帰ってきたらどうし
てやろうか」

 アスカの呪詛の言葉は隣で共にモニターを見ていた水城一尉を震え上がらせるに十分で
あった。

「碇さん、このままわたくしを連れて逃げてください」

「どういうこと? 」

 シンジはイリーナの柔らかいからだと立ち上る甘い匂いに反応してしまったことでアス
カへの罪悪感にさいなまれながらも問い返した。

「このままではわたくしは殺されてしまいます」

「誰に? 」

「祖国です。わたくしはロシアのスパイ。碇さんを連れて帰るのが任務」

「どういうこと? 」

 二人は争っているように見せながら小声で会話を続けていく。

「あなたは……」

 イリーナは全部しゃべった。彼女は、全てをシンジに話すことでシンジの庇護を受ける
ことを選んだのだ。うまくいけば、シンジとそう言う関係になったと見せかけられれば、
クリヤコフ大佐の目をごまかしきれるかも知れない。イリーナはばくちに出た。

「僕の精子がそんなに貴重なんだ」

 シンジはついに裏の事情の一端を知る。

「わたくしは、碇さんの相手として選ばれました。それは光栄なことでした。もし、碇さ
んと結婚できれば、わたくしは祖国の英雄として華々しく凱旋できるはずでした。でも、
それは違ったのです。昨日わたくしは、上官の話を聞いて間違いに気づきました。碇さん、
あなたはロシアに入った途端、EVAを宇宙から取り戻すことを命じられ、EVAがロシア
に着いたあとは、永遠にシンクロできる人間を生み出すためにあなたの精子はたくさんの
ロシアの女たちに与えられることになります。そして、わたくしは、その中の一人でしか
なくなるのです。いえ、碇さんの子供を妊娠できなければ……」

 イリーナがそこで口ごもった。

「無理に言わなくて良いよ。辛いことは」

 シンジはイリーナを引きはがそうとしていた手をつかって逆にイリーナを抱きしめる。
そして右手をゆっくりと頭に回すと肩を越えるほど長くそろえられたイリーナの髪の毛を
梳いた。じっとそれを繰り返す。
 しばらくそうしていると小刻みに震えていたイリーナが落ち着いた。

「ありがとうございます」

 静かにイリーナがシンジの胸から顔を起こす。

「ううん。じゃ、行こう。アスカに相談してみよう。彼女ならきっと良い方法を見つけて
くれる」

「はい」

 イリーナがシンジから離れる。じっと見つめ合う二人は傍目には仲の良い恋人同士とも
とれる。

「うらやましいですわ」

 イリーナがつと目をそらしながら言った。

「碇さんと惣流さん、お二人の間にはすばらしい絆があるのでございますね」

「うん」

 シンジが照れたように笑う。

「ガルバチョフさんにもきっといい人が現れるよ」

「わたくしも普通に恋をして、人を好きになって良いのですね」

「人もうらやむようなのをね」

「ありがとう、碇さん」

 シンジの応えにイリーナが何とも言えない柔らかいほほえみを浮かべる。それはアスカ
一筋のはずのシンジさえも見とれさせるほど透明で優しいものであった。 

「よくありませんね。これは。アスカさんが、切れますわ」

 呂貞春が頭をかかえる。彼女の所まで二人の会話は聞こえていないが、二人の雰囲気は
映像だけで伝わる。
 甘い空気はすぐに霧散した。イリーナが思いだしたように厳しい顔つきになる。

「そうですわ。碇さん、急いでおしらせしなければいけないことが……」

 そこまでイリーナが口にしたとき、イリーナががくっと上半身を揺らせた。第一中学校
指定の制服、その白いブラウスに紅い花が咲いていく。
 スローモーションのようにイリーナが倒れる。
 音は聞こえなかったが銃撃されたのは間違いない。

「ガルバチョフさん」

 シンジは素早く彼女の上に被さって、周囲を見る。

「そこ」

 校舎の影から駆け寄ってきた呂貞春が林の奥を指さす。

「誰か、火事よ」

 呂貞春の甲高い声が学校中に響き渡る。たちまち学校内が騒がしくなる。
 林の奥から殺気が消えていった。

「ガルバチョフさん、しっかりして」

 シンジは必死に声をかけるが、イリーナの身体は動かない。あふれるように血がブラウ
スを染め直していく。シンジはポケットからハンカチを出すと、イリーナのブラウスを引
き裂き、左胸にできた穴に詰め込む。

「救急班を急いで」

 呂貞春が、携帯電話を出す前に、一部始終をモニターで見ていたアスカが命じる。病院
からすぐにヘリが飛んだ。



「やはり施設の出身者は使えないな。祖国に対する忠誠心が足りぬ」

 迎えに来た車に乗りながらクリヤコフ大佐が呟いた。

「だからこそ大佐は、あいつの体の中にマイクを埋め込ませたのでございましょう」

 運転している部下が応える。

「いついかなる時でも準備を怠らなければ、自ずと結果はついてくるものだ」

「覚えておきます」

 部下がまじめな顔になる。

「あの傷では助かりませんでしょう」

「うむ。だが、生き残っても当分意識は戻らぬ。明日のことを喋れるわけではない」

「左様で。ですが、よろしかったのでございますか。敵の手に渡してしまって」

「所詮は、末端の道具でしかない。重要なことは報されていない。ふん、我が国のゴミが
一つ減ったと思えばいい」

 クリヤコフは、そう言って目をつむった。
 
 





            続く
 

 


 

 

後書き
 お読み頂き感謝しております。ロシアだけでなくアメリカも動き出します。
 EUはまだ影さえ見せていませんが、そろそろ顔を見せるでしょう。
 そしてシンジは自分を巡っての争いを知ります。

タヌキ 拝

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 タヌキ様の当サイトへの13作目。
 くわぁっ、撃ったわね!撃ったわねぇっ!
 シンジに当たったらどうすんのよ!この大馬鹿!
 でもまあ。せっかく巨乳ロシア娘が裏切ってくれようとしたのに…。
 って、それよりもシンジが事情を知っちゃったじゃないの。
 あの馬鹿、これで何をしでかすかわかんなくなっちゃったじゃない。
 シンジは頭で行動するタイプじゃないんだから。
 これから、どうしよう!
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。

 

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