前作までの設定を引きずっております。先にそちらをお読みいただけると幸いです。
タヌキ
LASから始まる
タヌキ 2005.05.23
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碇シンジを拉致しようとしたアメリカ合衆国との戦いは、大きな損害をネルフに与えた が、ネルフを排除しようとした国内勢力は、壊滅的な打撃を受けていた。 前与党政治家、大物経済人のアメリカによる買収発覚、戦略陸上自衛隊随一の実力を誇 る第一空挺師団と航空自衛隊浜松航空団、海上自衛隊第一護衛艦隊並びに第二潜水隊群の ネルフ帰順と、日本政府は世論の支持だけでなく実働部隊まで失った。 これにより、前与党は、解党に追いこまれ、経済界は親ネルフ以外の人物を排斥せざる を得なくなり、戦略自衛隊は、幹部の多くを辞任させた。 まあ、そんな大人の世界のぬたぬたした話とは、かけ離れたネルフ本部医療施設、30 3号室では、惣流・アスカ・ラングレーが柳眉を逆立てている。 「なんですってぇ、マリアの記憶を元に戻せないだって」 アスカの怒声が響く。 「今のところね。アメリカの施した記憶操作が、かなりいい加減だったのよ。アスカも知 っての通り、記憶は脳細胞間を流れる電流の方向とルートと大きさで作成される。この電 流はかなり微弱だから、それを上回る電圧で上書きしてやれば、記憶を植え付けることも 消し去ることもできる。通常は、脳細胞の負担や、本来の記憶との整合性を考えて、上書 きする記憶は出来るだけ細かく、元の記憶に紛れ込ますようにするのだけど、アメリカの は、一気に高圧をかけて無理矢理全部を都合よく変えてしまった」 赤木リツコが、腕組みをしながら語る。 「それって、元の記憶が消えちゃったと言うこと? 」 アスカが、おそるおそる訊いた。 「消えたと言うより、深海の底に沈められたという方が正しいかしら? 」 リツコが、首をちょっとかしげる。 「サルベージしなさいよ」 「無理言わないで。ほとんどブラックボックスに近いのよ、人間の脳って。迂闊なことを すれば、彼女を廃人にすることになりかねないわ。いま、MAGIを使って方法を模索し ているわ。もうちょっと時間を頂戴」 「アタシに、この状態で我慢しろっていうの? 」 アスカが、手にしたノートパソコンのモニターを指さす。 そこには、意識を回復したロシア娘イリーナ・ガルバチョフの病室が映っている。 アスカの怒りの原因は、シンジの左腕にずっとからみついているマリア・マクリアータに あった。 アメリカ諜報部によって、シンジの幼なじみという記憶を植え付けられたマリアは、不 意に現れたアスカというライバルに危機感をもち、恋人未満の関係をステップアップしよ うと実力行使に出たのである。 普段なら、それを絶対に許さないアスカだし、決してさせないシンジなのだが、リツコ から諭されてしまっては仕方ない。 「記憶操作をどうにかする方法が見つかるまでは、心理的な圧迫は避けて欲しい」 リツコの要望を二人は渋々了承したが、アスカの妨害がないのをいいことにマリアが、 シンジを離さない。2日目でアスカの辛抱は限界に来ていた。 「アイツの精神が破綻する前に、アタシの神経が切れそうなんだけど」 アスカの声の凄みが増していた。 モニターに映るマリアが、シンジの腕を抱え込んでいた。同じ女である。マリアが自分 の胸を使って、シンジを惑わそうとしていることぐらいお見通しである。 「大丈夫よ。シンジ君は、アスカにしか興味ないから」 リツコが、震える声で言う。 「そうかしら。でもね、男って言うやつは、心と体が別に動くことがあるわ。覚えていな いとは言わさないわよ、使徒戦役終盤、アタシが壊れていたときに、シンジがしたこと。 アタシだから、やったんだ、他の女ならそんなことするはずないなんて、寝言は要らない わ。あのシンジよ。アタシのことを大切にして、どんなことがあってもアタシのプライド を傷つけるような真似はしない。そのシンジでさえ、精神が弱っていると肉体の欲求には 勝てない。そして、シンジはここ半年ほど、欲望の処理をしていない」 「あのときのシンジ君は、動物としての本能だけだったのよ。自分の遺伝子を残したい。 そのための性行為だった。死を目前とした動物すべてが、願うこと。シンジ君に責任はな いわ。咎められるとしたら、私たちネルフの大人たちよ。今度は大丈夫よ。アスカという 恋人が居るから」 リツコが必死で言い訳する。 「忘れたの? シンジは死にかかったのよ。ロシアとアメリカの攻撃でね。そして、アタ シは、まだシンジを受け止められない」 「…………」 アスカの責めにリツコは答えることが出来ない。 「いいこと。今日中になんとかしないと、今夜、アタシはシンジに抱かれるわ。いえ、シ ンジを抱く。アタシのモノにする。アイツの性欲をアタシが受け入れる」 「それだけはやめて。アスカの身体はまだ本調子じゃないのよ。いいこと、あなたが思っ ている以上に性行為というのは心臓に負担をかける。もし、あなたが死んだら、それこそ シンジ君は壊れる。世界は、崩壊の危機を迎えることになるわ」 「世界の行方なんかに興味はないわ。いいこと。アタシもシンジも既に一度人類の命運 を背負わされたの。あんな重いモノ、一回で十分。二回目は、誰かに譲るわ」 アスカの声は冷たい。 「わかったなら、なんとかしなさい」 「努力する。そうとしか言えないわ」 リツコが科学者らしい答えを口にした。 「それと、どうして手術の時、ロシア娘のバストを小さくしておかないの。なによ、死に かかったくせにあの膨らみは。アタシは、こんなに減っちゃったのに。ああああ、シンジ も目を向けるんじゃない」 アスカがモニターにむかって怒鳴る。 患者衣というのは、医師の診療や治療を受けやすいように簡単な紐だけで止められてい る。 85センチFカップという日本人の規格に合わないイリーナのバストは、傷口に巻かれ た包帯で中央に集められる形になり、患者衣の合わせ目から溢れ出しそうになっている。 「シンジ。ちょっとでもその胸に触ってみろ。殺してやる。アンタを殺して、アタシは毎 日、アンタの墓を罵りながら、生き続けてやる」 アスカが呪詛の言葉を吐く。 「結局焼き餅なのね。人類の命運が、14歳の小便臭い娘と14歳のやりたい盛りの男の 子に握られているなんてしったら、哲学者の何人が自殺することやら」 リツコは小さなため息をついた。 イリーナの病室は、ネルフ医療施設中央病棟特別区画の5階、503号室である。 「どうなっておりますの? 」 マリアがトイレに行くのを待っていたかのように、しゃべれるようになったイリーナが、 シンジに問いかけた。 「あの子、あんなに碇さまにべったりではございませんでしたが。まるで恋人同士のよう ではありませんか? まさか、アスカさんから乗り換えたとか……」 「記憶操作を受けたんだよ」 シンジは、イリーナがロシア陸軍諜報部クリヤコフ大佐に撃たれて、意識を失ってから あったことを話した。自分が拉致されたことは隠している。イリーナに心配をかけないよ うにとの配慮である。 「そうですか。そんなことが。可哀想なマリア」 イリーナがつぶやく。 「そうだね。あんなふうに無理矢理されてしまって。僕のことなんかを好きにさせられて しまってさ」 シンジの相槌を、イリヤがため息で受ける。 「鈍感にもほどがありますわ。我が君」 イリヤが古風な呼び方をする。 「我が君って、ガルバチョフさん、その呼び方はちょっとまずいよ」 シンジが、止めた。 「命を助けて頂きました。つまり、わたくしのこれからの人生を貰って頂いたも同然。な らば、こう、お呼びするしかございませんわ」 イリーナが、当然とばかりに言う。 「人生を貰ったって……女の子がそんなことを言うと誤解を招くから」 「あら、招いているのですわ。現に……」 イリーナがシンジの右腕を取ると胸の膨らみの上に招く。 「ここには、碇さまのお手当の跡が残っております。わたくしを死なすまいとしてくださ った碇さまの想いが形となって」 「ガルバチョフさん、ちょっと、手、手を放して……」 シンジが慌てているところへ、マリアが帰ってきた。 「あああああ。シンジ、なにやってんのよ。14年一緒だったあたしの胸を触ってくれた こともないのに。でかいだけの乳牛を……あんたを殺してあたしも死んでやる」 アスカの性格の上に幼なじみを上書きされたマリアのセリフは、アスカそのものである。 跳びかかってくるマリアをなんとか抑えながら、シンジはぼやいた。 「アスカにばれたら、生きてられるかなあ」 マリアはシンジと遊びに行った熱海で、事故に巻きこまれたと言うことになっている。 父親はその事故で死亡、マリアは頭を打ったために経過観察入院しているとの筋書きであ った。 身内を失った寂しさからか、マリアは片時もシンジから離れようとはしない。 マリアの病室は4階の403号室である。シンジは面会時間に制限の有るイリーナと別 れて、マリアを病室に連れて帰った。 「マリアさん、まだ本調子じゃないんだから、大人しくしてないと駄目だよ」 シンジは、マリアをベッドに寝かせる。 「そんなこと言ったって、シンジが心配なんだもの。あのロシア娘とか、アスカさんとか、 すぐ浮気するんだから。あたしには、シンジしかいないのに」 マリアが、不安そうな目でシンジを見上げた。まがい物だったが、マリアの記憶では、 早くに妻を亡くして一人でマリアを育ててくれた最愛の父親なのだ。一番頼りになる存在 を失って、マリアの支えとなるのは幼なじみで恋人未満のシンジだけになっている。 そのことは、シンジにも理解できたが、マリアにかまい過ぎるとアスカが怒る。それも 並大抵の嫉妬では済まないのだ。 サードインパクト以来、一日も離れたことのないシンジと3日も触れあえず、その安否 さえわからなかった焦燥感が、アスカをそうしていた。 昨日などは、実に1時間もキスさせられた。おかげで、シンジの唇は腫れていた。 「マリアさん。まずは、身体を治すことから始めないとね。早く元気になって、また一緒 に学校に行こう」 シンジは、そう言うしかできない。リツコから、精神の安定のためだから、ちょっとは 甘い言葉もかけてあげてくれと言われているが、嘘のつけないシンジは、そういうことを したり、言ったりできない。 記憶操作を受ける前にマリアが、アスカからシンジを正々堂々と奪うと宣言したことな ど、もう忘れていた。 「そうね。いつまでも病院にいては、シンジと一緒に居る時間も少ないものね。わかった。 じゃ、今日はもう寝る」 生まれつきの性格か、アスカの性格か、マリアは前向きな言動を取ることが多い。 「そうした方が良いよ。じゃ、お休み」 「ねえ、シンジ。お休みのキスは……」 毛布で顔の半分を隠しながらマリアが、恥ずかしそうにねだる。 「えっ、そ、そんなこと……」 シンジは、焦った。さすがにそこまでは出来ない。 「むうう。昔一緒によく寝たときは、してくれたじゃない」 マリアが膨れる。 シンジはアメリカの記憶操作のストーリーを恨んだ。 「子供じゃないんだよ。もう。仕方ないなあ」 アスカと同じ性格のマリアが、そう簡単に納得しないことはわかっている。 シンジは、マリアの傍に椅子を持っていって座ると、そっと髪を梳く。 「寝るまで居てあげるから。ね」 「うん」 シンジに髪を梳かれてうっとりとしながらマリアが、うなずいた。 「うわきものぉ」 シンジは、地の底から沸くような声が聞こえたような気がした。 「うっ。真下は、アスカの病室じゃないか」 シンジは、心の中で部屋に帰ってから、どうやってアスカの機嫌を取ろうかと考えていた。 「仲良いわね。アメリカの記憶操作は凄い。マリアがまったく違和感なく、シンジ君に甘 えている」 アスカと一緒にモニターを見ていたリツコが、つぶやく。 「なに考えてんの? リツコ。このまま二人をくっつけようなんて思っているなら、遠慮 なく殺すわよ。言わなくてもわかっていると思うけど……アタシ今、最高に機嫌悪いんだ からね」 アスカがすごむ。 「はいはい。わかっているわ。私もまだ命は惜しいから。でも、良いわねえ、アスカ。あ の優しいシンジ君が恋人なんて。私もこんな恋愛をしてみたかったわ」 リツコが、ため息をつく。 「そういえば、ミサトの学生時代の話はよく聞かされたけど、リツコの事は知らないわね」 アスカが、興味を持った。 「おもしろくないわよ」 リツコが、逃げ腰になる。 「それを決めるのは、聴衆でしょ。さあ、話しなさいよ。アンタたちは、アタシのことを 隅から隅まで知って居るんだから、その代償をよこしなさい」 「仕方ないわね。あとでつまらなかったって、文句言わないで」 リツコが、アスカに念を押した。 「私が生まれたのは、セカンドインパクトの前、1985年のことよ。日本は、バブル景 気という実態のない経済成長に我を忘れていたわ。だから、MAGI開発なんて天文学的 な費用のかかることの計画が通ったんでしょうけど。母親は、あなたも知っているわね」 「人格移植OSの開発者、赤木ナオコ博士ね」 「ええ。父親はわからないわ。あなたと一緒ね。違うのが、私の場合は、精子バンクでは なかったということ。どんなに訊いても母は、父についてはなにも教えてくれなかった」 赤木ナオコといえば、新進気鋭のコンピューター開発者として、世界的に名の知れてい た女性である。容姿も10人並を越えている。それにふさわしい男となると、一流の学者 か、経済人か、官僚と考えられてしかるべしである。 「母が死んでから、いろいろ調べてみたわ。でも、わからなかった。遺伝子検索までかけ たけれどね。著名な人物の中には居なかった。相手は普通の人で、たった一度の逢瀬だっ たのかも知れないわ」 リツコが、なんとも柔らかい表情をした。母の恋を想っているのだろう。 「忙しい研究を続けている母には、私を育てることは無理だった。だから、私は祖母に預 けられ、そこで育ったわ。高校までね。あの頃の私には構ってもくれない母への反発があ ったんでしょうねえ。勉強をまったくしなかったわ。祖母もなにも言わなかった。母が、 科学者としてはすぐれていても女として、母としては、一人前でないことを怒っていたか ら」 リツコが苦笑を浮かべる。 「そんな高校三年の時かしら。突然訪ねてきた母が、私にいったのよ。第二新東京大学へ 行けって。あそこは新しくできた大学で設備も良いし、海外で名のしれた研究者を教授と して招いているから、教育環境には最適だからってね」 「勝手な話ね」 「ええ。私も反発したわ。そのときよ、母さんが初めて人格移植OSを積んだ第7世代生 体コンピューターMAGIのプロトタイプを見せてくれたのは」 リツコが、思い出すように目を閉じた。 「今までのコンピューターとはまったく違った生体コンピューター。生きているハードは、 必要な情報さえ与えてやれば、無限に進化していく。それを見たとき、私は震えたわ。手 を加えればどんどん育っていく人工頭脳、それは私のやり方次第では、母を凌駕すること も可能。母に対する憎しみとコンプレックスの固まりだった私にそれは甘い誘惑だった。 そして、私は学ぶことを始めたわ」 「それで第二東京大学へ行ったわけね」 「ええ。考えてみれば、母の思惑にはめられただけなんだけど」 リツコが自嘲する。 「でも、越える前に母は、死んでしまった。必要な役割を終えた知りすぎた女の末路だっ た。それが、私のトラウマになった。目標を失った私は、新たな心のよりどころを求める しかなかった」 「それが、シンジのパパ。碇司令ね」 「私は、碇司令に陵辱された。いえ、させたのよ。大学に入ってからずっと勉強ばかりし ていた私は、男女のことを知らなかった。着飾ることもできない、誘いのポーズもわから ない、そんな私が男をものにするには、身体を使うしか思いつかなかった。父以上に母が 愛した男と死ぬまでつながり続けることで、捨てられた母を女として越える。科学者とし て、母として勝てなくても、女として上回ってやる。そのためには、何でもやった」 リツコの話をアスカは自分のことのように聞いていた。 結局、何かにこだわり、人に捨てられることを恐怖したもの同士だったのだ。 「でも、勝てなかったわ。男は、私の母でも、私でもなく、とっくに姿を失った妻を選ん で、この世界から消えた。私はあっさり捨てられた。でも、もういい。私は私。母さんの ミニ版じゃないと割り切れたから」 リツコがさばさばした顔になる。 「いい女になったわね、リツコ。アタシには及ばないけどね。そのうち、アンタに合った いい男が現れるわ」 アスカが、心底から言った。 「いい男なら見つけたわ」 「へえ、良かったじゃない」 「年下なのが、ちょっとあれだけど……」 リツコが、小悪魔のように口の端をつり上げる。 「駄目よ。シンジは、アタシのなんだからね」 アスカがその笑みの意味に気づいた。 「結婚して欲しいなんて言わないわ。一回だけでいい。周期から言って3日後の晩がベス ト。絶対に当ててみせるから」 「なにを当てるつもり? アタシにはシンジとするなと禁止しておきながら……」 アスカの顔が般若になる。 「さて、元気も出たようだし。私は実験に戻るわ。そろそろ結果も出ていることでしょう し」 リツコが逃げるように立ちあがる。 「ロシアの大佐も可哀想に。アンタの実験台じゃ、命がいくつあってもたらないじゃない」 「あら。そんなこと言って良いの? これがうまくいけば、マリアの記憶を何とか出来る かも知れないのよ」 「なにやってるのよ? 」 アスカの問いに、 「おもしろいわよ。MAGIを通じてロシアの大佐に新しい記憶を植え付けているの。も っともアメリカのように記憶のストックが、あんまり無いから、二人目のレイの記憶を使 っているんだけどね」 リツコが楽しそうに笑う。 「げっ。じゃ、あのロシアの熊男が、レイになるの? 」 無表情にさよならとか、よかったわねとか、ニンニクラーメンチャーシュー抜きとか言 うロシア男を想像して、アスカが嫌な顔をする。 「ええ。それもシンジ君にラブラブだったレイにね」 リツコが甲高い笑い声を残して、アスカの病室を出て行った。 「きもちわるい」 熱い視線でじっとシンジを見つめるロシアの大佐が、脳裏に浮かぶ。アスカは、吐きそ うになっていた。 「アメリカも潰れてくれたか」 ほくそ笑んでいるのは、ネルフEU代表のクリュグ・ローデスである。 「中国、ロシア、アメリカの三国が、失敗しました。となれば、必然的にわれらがEUが、 漁夫の利を得ることになりましょう」 テレビ電話の前で卑屈な姿勢を見せているのは、フランソワーズ・立花・ウオルターの 父、バードレ・立花・ウオルターであった。 バードレは、出張を理由に、MAGIの監視下にある第三新東京市を離れ、第二新東京 に来ていた。 「大丈夫なのか、娘は」 「はい。最終段階に入っております。すでにかつてチルドレン二人が同居していたマンシ ョンの見取り図、内面写真などは手に入れました。フランソワーズの受胎器官も調節済み です。いつでも排卵させられます。卵子の数も8つまで可能となりました」 バードレが、胸を張って報告する。 「そうか。ネルフドイツに所属しておきながら、我々を裏切ったセカンドチルドレンの処 分も最終段階に入った。そちらの計画が発動されしだい、ゴーサインをだす」 クリュグが、冷たい声で語る。 「承知いたしました」 「我々には切り札がある。失敗は許されない。ネルフドイツの仕組んだトラップが使える のは、一度限りだ。よいか、焦るな」 テレビ電話は、一方的に切れた。 「また、あの女のところに行くの」 出席日数が足りず、欠席が許されないシンジは、第一中学校の再開と同時に通学を始め ている。 今までならアスカの病室から学校へ行き、アスカの病室へ帰ってくるだったのが、今は アスカの病室から登校して、マリアの病室へ寄り、マリアを連れてイリーナの元へ見舞い に行き、マリアを連れ帰って寝かせてからでないと帰ってこれない。 ほとんど寝るだけの時間しか過ごせないアスカの機嫌は、尖っている。 「ごめん」 シンジが頭をさげる。 アスカの怒りはわかっている。 だが、優しいシンジが、マリアの縋るような「明日も来てくれる? 」や、イリーナの 寂しげな「一人になってしまいましたわ」のセリフに勝てるわけもない。 「はあ、しょうがないか。シンジだもんねえ。アンタの優しさに惚れたアタシの負けだわ。 でもね、アタシが焼き餅焼きなのは知っているわよね」 アスカに問われたシンジが、風をおこさんばかりに首を振った。 「そこまで肯定されるのも嫌なものがあるわね。まあいいわ。アタシと居る時間が短くな った分の償いはしてもらうわ」 「なんでも言って、僕に出来ることなら。晩ご飯のおかずをハンバーグにしろでも、デザ ートにクリームブリュレを作れでも」 シンジが勢いこんで応える。 「アタシは食い物につられる子供か……まったく。まあいいわ。さっさと学校へ行きなさ い。シンジに留年されたら、アタシの生活設計が狂うからね。アンタが帰ってくるまでに アタシの要望は準備しておくから」 アスカが楽しそうに微笑みながら、シンジを送りだした。 学校を終えて帰ろうとしているシンジに、フランソワーズが近づいてきた。 「今日も、マリアさんとイリーナさんのお見舞いですか? 」 「そのつもりだけど」 シンジは鞄に教科書を詰めながら答える。 「わたしも行ってはいけませんか? 」 フランソワーズが、ちょっと哀願するような上目遣いで訪ねてくる。アスカそっくりの 容貌にこんなことをされたら、男なら誰でも一撃轟沈になる。襲いかかっても不思議では ないほど可愛い。 しかし、アスカとは、僅かに違う目と髪が、シンジをその気にさせない。 「ちょっと待ってくれる」 シンジは、携帯電話を取り出すと、メモリーの3番にかけた。 「あっ、リツコさんですか。今日、マリアさんの見舞いに一人連れていきたいのですが、 ええ。はい。そうです。立花さんです。はい。わかりました」 シンジは電話に向かってていねいに頭を下げると通話を終えた。 ネルフ医療施設特別病棟は、チルドレンの保護施設になっていることから、外部の人間 は立ち入り禁止である。シンジは、敵に等しいEUからの使者を、病棟にとおす許可を求 めたのだ。 「かまわないって。じゃ、一緒に行こうか」 「ありがとうございます。無理言ってごめんなさい」 フランソワーズが、お礼を言うと鞄を取りに自分の席へと帰っていく。 「碇さん」 その様子を見ていた呂貞春と相田ケンスケが、やってきた。 ヒカリは、家庭の事情で早退しているため、ここにはいなかった。 「惣流には報せた方が良いぞ」 ケンスケが、助言する。 「そうだね、電話するよ」 シンジが再び携帯電話を出す。メモリーの1番を押した。 世界の列強が、宇宙空間を漂っているエヴァ初号機を手に入れるために、シンジを狙っ て活動している、その第一の戦士たちが、4人の留学生だと言うことを、シンジはイリー ナから聞かされ、その防衛にアスカが立ち向かっていることを知った。だが、さすがにア スカに頼まれてケンスケが、シンジの監視役になっていることは報されていない。 「……じゃ、アスカ、後でね。うん、わかっている。アスカの好きにしていいから」 シンジの電話が切れる。 「行こうか」 呂貞春とケンスケをくわえた4人で学校を出た。 「おっそーい」 403号室に入ったシンジをマリアが不機嫌な顔でむかえる。フランソワーズのことで 電話したりして、普段より5分ほど遅れたことが気に入らないのだ。 「ここまでアスカに似なくても……」 シンジは、ため息をついた。 「なんか言った? 」 アスカと同じで、マリアも地獄耳である。 「なんでもないよ。それより、今日は友達がお見舞いに来ているよ」 「えっ、誰が? 」 マリアの表情が、警戒で少し堅くなる。 「呂貞春さんと、相田ケンスケ、それとフランソワーズ・立花さん」 シンジから名前を告げられたマリアが、ちょっと不機嫌になる。 「あたし、立花さんは苦手。だって、シンジのこと好きなんだもん」 マリアの基本的な生い立ちが変化した以外、人間関係などは変わっていなかった。マリ アの中で呂貞春、イリーナ、フランソワーズは、つい最近転校してきた留学生となってい る。 ケンスケは、中学からの同級生だ。 「そんなことないよ。立花さんは、マリアさんのお見舞いに来てくれたんだよ」 「シンジ、立花さんのこと好きになったら、許さないからね」 「わかっているよ。立花さんは、いいお友達だから」 焼き餅焼きまでアスカと同じ。シンジは苦笑した。 「シンジがそう言うなら、いいわ。入ってもらって」 マリアの許可を得てシンジが、3人を病室に招き入れた。 「調子はいかがですか? 」 呂貞春が、訊く。 「ありがと。あなたのおかげで助かったんだもの」 呂貞春によって救い出された記憶は残っている。 「どうですか? 」 フランソワーズが、途中で買ってきた花を差しだした。 「うん。もう大丈夫なんだけどね。病院が出してくれない。おかげでシンジに悪い虫が付 きそう」 マリアが、嫌みをぶつける。 「さて、イリーナさんのところに行こうか」 シンジが、険悪になる前に話を進めた。 マリアは、検査入院のようなものだから、身体は元気である。 4人は階段を上がって503号室に入った。 「いらっしゃいませ、我が君。あら、あなたたちも来てくださったのですね」 イリーナは、まだ自由に動くことが出来なかった。LCLを応用した再生医療で、すで に失われた肺組織の80%は回復しているが、大量出血が原因で引き起こされた多臓器不 全が、影を落としている。 「これを……」 呂貞春が、お見舞いのクッキーを出す。 「ありがとうございます。お茶をお出ししたいのですが……」 イリーナが済まなさそうな顔をする。 「それなら、わたしがします」 フランソワーズが、めざとくカップを見つけると給湯室の場所を、マリアに問う。 「あたしも行くわ」 家庭的なところを先に見せられたマリアが、競争心も露わに、フランソワーズを連れて 出ていった。 「呂さん」 イリーナが呂を傍に呼んだ。ケンスケが気をきかせて、シンジを部屋の隅に誘う。 「アメリカはもう手出しをしてきませんか? 」 入院していたイリーナは、この数日にあったことを完全には知らない。 「大丈夫だと思います。アメリカは、相当な痛手を負いましたから。もう、第三新東京市、 いえ日本で活動するのは、難しいでしょう」 「それなら、一つ安心ですわね。では、EUは? 」 「わかりません。今のところ立花さんも目立った動きはしていません。それにEUは元々 日本を重視してませんから、あまり諜報網も無いようです」 呂貞春も中国のスパイであったのだ。その辺の情報は詳しい。 「それは存じておりますが、ならば、条件の悪いEUが、4人の中で1番に動いてもおか しくないのではありませんか? 」 イリーナが疑問を呈した。 「そうですね。普通なら不利な者から動くのですが……」 呂貞春も首をかしげた。 セカンドインパクト前から、多くのシンパを日本に持っていたアメリカと中国。一方、 諜報では、世界に冠たるロシア。この3つを相手にのんびり構えているだけの余裕は、E Uには無いはずだった。 「なにかありそうですわね。我が君に対するとっておきの手段が」 「ええ。立花さんは、それを知っているのか、報されていないのか。よくわかりませんが、 学校では、出来るだけガードするつもりです」 「お願いします。わたくしが、この有様でなければ、EUなど、我が君に指一本触れさせ ませぬのに」 イリーナが悔しそうな顔をする。 「無理はしないでください。碇さんが悲しみます」 呂貞春が、忠告する。 「わかっております」 「そういえば、転校初日、職員室の前で顔を合わせたとき、マリアさんが立花さんのこと を人造人間とかなんとか言ってましたね」 呂貞春が思い出す。 「そうですわね。そのようなことがありましたわ」 イリーナもうなずく。 「でも、今のマリアさんでは、そのことを訊いても無駄ですね」 「そのようですわね。ひょっとしたら、大きな手がかりかもしれませんのに」 二人は、深いため息をついた。 皆と別れてアスカの元へ戻ったシンジは、部屋に違和感を感じていた。 「どうかした? 」 アスカが、戸惑っているシンジをからかいたそうに笑う。 「なんか、部屋の感じが……あああああ」 シンジは、アスカのベッドを指さして叫び声をあげた。 「ベッドが大きくなっている」 「良く気がついたわね。バカシンジにしては上出来。さっ、お腹空いたから晩ご飯にして よね」 アスカが、命じる。 「あのう、アスカさん? 」 「なにかしら、シンジさん」 「ベッドが換わった理由は、ひょっとして」 「そうよ。今日から、アンタは、アタシと寝るの」 「えええええ。それは駄目だよ」 「シンジ、今朝、なんでもアタシの言うとおりにするって言った」 「言ったけど、それは駄目だよ」 「ふうううん。シンジは、アタシに嘘をつくんだ」 「えっ? 」 シンジは、嫌な予感に襲われる。 「ということは、シンジがアタシのことを愛しているというのも嘘なんだ」 「いや、あの」 「やっぱり、そうよねえ。アタシみたいに暴力的でわがままな女なんて好きになるはず無 いもの」 アスカが、布団をかぶってしまう。その布団が小刻みに震える。 「そんなことないって、僕が好きなのは、アスカだけだから」 アスカが泣いている。シンジは、どうしたらいいかわからなくなった。 「シンジ、同情は良いのよ。戦友だからって、気を遣ってくれなくても」 布団でくぐもりながらもアスカの声は聞こえる。 「違うって、僕は、アスカでないと駄目なんだ。だから、そんなこと言わないで。ね。添 い寝でもなんでもするから」 シンジが言い終わるなり、布団ががばっとめくりあげられる。 「じゃ、今夜から一緒にね」 顔を出したアスカは、晴れ晴れとしている。 「泣いてないの」 「あら、アタシ泣き声なんかあげた覚えはないわよ」 「でも、布団が小刻みに……」 「ああ、あれ。シンジがあまりに思った通りの反応するから、面白くて」 「酷いよ、アスカ」 「捨てられた子猫みたいな顔をしてもだめ。もう、決まったんだから。今夜からずっと、 アタシかシンジが死ぬまで、二人は一緒に寝るのよ」 そう宣言しているアスカの顔は赤い。 「うううううう」 その夜以降、シンジから安眠という言葉は消え去った。 シンジとアスカが、たわいのない痴話げんかに興じている頃、ネルフ本部5階リツコの 研究室では、クリヤコフ大佐をつかった実験データーの解析が進んでいた。 「どう、マヤ? 」 「電磁波の周波数を変えたところ、先ほどより、もとの記憶の残存率が高まりました」 「そう、やはり記憶の上書きには欠点があるわね。その穴を見つけることが出来れば、マ リアの偽のの記憶を消すことも出来そうね。もっともそうやって出てきた記憶が、本物か どうかはわからないけれど」 リツコが、目の間を指で揉む。 「先輩、少しは休んでください」 マヤが心配そうに声をかける。 「ありがとう。でも時間がないのよ。EUが仕掛けてくる前に何とかしないと。今のマリ アは、足を引っ張る存在でしかない。前のマリアなら、少なくともシンジ君の護衛ぐらい には使えた。最弱と思われていたEUが、1番の強敵だったら、大変。作戦部、保安部と もまだ体勢が整っていない。ネルフ本部の防衛システムは、稼働率20%を切っている。 諜報部も無事なのは2班しか残っていない。これでは、話にならないわ」 「でも、先輩が倒れたらなんにもなりません」 「大丈夫。EUを排除すれば、たっぷり貯まっている有給を消化するから。海の綺麗な島 にでも行きたいわね。どう、マヤも一緒に来る? 」 「はい。喜んで。是非連れていってください」 「じゃ、それを楽しみにもう一頑張りしましょう」 リツコは、キーボードに指を奔らせた。
続く
後書き
ここまでお読み頂き、感謝しております。
最終戦の開始のゴングが鳴りました。
タヌキ 拝
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タヌキ様の当サイトへの20作目。
くうぅ、シンジをやっと奪還してっていうのにこれはっ!
ヤンキー娘が学園アスカになっちゃってるじゃないっ。
おまけにロシア娘は「我が君」なんて言ってくれてるしっ!
中国娘だけ?撤収してくれてるのは?って、それも確証はないし…。
ああっ、もう心配よぉ。
それにEUの動きが不安よね。
とんでもない作戦を仕掛けてくれるかも。
がんばらなきゃっ!
ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。