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 タヌキ
 

 

LASから始まる
 
新たな戦い
 
17

 


 

タヌキ        2005.07.31

 

 











 一瞬、モニターに光がともるが、すぐに暗黒に戻った。

「駄目か」

 ネルフEU司令クリュグ・ローデスが、暗い目を技術部の職員に向ける。

「有機ユニット炭化しました」

 技術部の職員が応える。

「情けないやつだ」

 クリュグ・ローデスが、机の上に置かれていた書類をシュレッダーに放りこむ。鈍い音
をたてて書類が吸いこまれていき、貼り付けられていた若い男の写真も細切れに散った。

「EU軍事大学を昨年トップで卒業した男だったのですが……」

 技術部の職員が、もうしわけなさそうに言った。

「クローンにできたことが、どうして人間にできないのだ」

 実質ヨーロッパを支配しているに等しいクリュグ・ローデスの怒りは、職員をおびえさ
せるに十分である。

「脳神経細胞数の問題かもしれません。ネルフドイツに居たとき、一度だけデーターを見
たことがあったのですが、オリジナルMAGIの生体ユニットとなった赤木ナオコ博士は、
常人の1.3倍神経細胞があったとか」

「化けものめ。そのクローンを作ることはできないのか? 」

「残念ですが、元になる母細胞がありません。本部にも残されていないでしょう」

 技術部の職員が、首を振った。

「なら、こちらで新たな適格者を捜すしかないのだな」

「はい」

「誰かいないのか。MAGIが無いと本部と戦うことは難しい。そうだ、おまえの脳はど
うなのだ」

 クリュグ・ローデスが、技術部の職員の肩に手を置いた。

「と、とんでもありません。わたしなんて、標準以下ですから」

 技術部の職員が、必死に否定する。当然だ。選ばれたら最後、脳だけの存在にさせられ
てしまう。

「調べてみたほうが、よさそうだな。よし、検査を……」

  クリュグ・ローデスが、保安部の人間を呼ぼうとした。

「待って下さい。一人、一人だけ、赤木ナオコ以上の素質をもったものが、います」

 技術部の職員が、悲鳴のような声をあげる。

「誰だ? 」

  クリュグ・ローデスが、問う。

「ネルフドイツ支部所属、惣流・アスカ・ラングレー元二尉です。彼女は、常人の1.5
倍の脳神経細胞数を持っています」

「1.5倍か、それは凄いな。ラングレーの脳を使えば、ネルフEUのMAGIクローン
は、本部のMAGIオリジナルを凌駕することになるのだな」

「はい」

 技術部の職員は、何度も首を縦に振る。

「わかった。では、計画の一部を変更しなければならない。下がって良いぞ。だが、この
ことは他言無用だ。もし、外部に漏れた場合は、すべて君が原因と考えるからそのつもり
でいたまえ。言わなくてもわかっているだろうが、そのときは、君が次のMAGI有機ユ
ニットだからな」

「わかりました。失礼します」

 じっとりと顔中を汗にぬらして技術部の職員が、逃げだしていった。





 アスカと同じベッドで寝ることになったシンジは、朝の目覚めがよくない。寝付きが悪
いのだ。まだリハビリがあるので退院することはできないが、意識を取り戻し、シンジと
の間にあった軋轢を解消、恋人同士となったアスカの肉体の回復はすさまじく、かつて病
室でこころを失っていたころとは比べものにならないほど、肉付きが豊かになっている。
 そのアスカに抱き枕状態にされているのだ。シンジが眠れないのは当然である。アスカ
は、まったく気にしないですぐに寝付くのだが、シンジは通学と家事労働で疲れ果ててい
るにもにも関わらず、毎晩深夜1時をまわらないと眠りに落ちられない。

「眠そうね」

 大あくびをしながら弁当を作っているシンジに、アスカが声をかける。

「ゴメン、ちょっと寝不足なんだ」

 シンジが、謝る。
 アスカもシンジの寝不足の原因が自分であることぐらいわかっている。だが、今の状況
を考えると、添い寝を我慢することができなかった。

「今日もさっさと帰ってきなさいよ」

 アスカが病室を出ようとするシンジに機嫌の悪い声をかける。

「うん。わかったから」

 シンジは、アスカに精一杯微笑むが、アスカの表情は硬い。

「じゃ、いってきます」

 シンジは、病院を出たその足で、コンフォート28マンション702号室を訪れる。

「マリアさん、おはよう」

「おはよう、シンジ」

 出てきたのは、アメリカの刺客、マリア・マクリアータである。彼女はアメリカの手で
記憶操作を受け、シンジの幼なじみで恋人未満だと思いこまされている。

「おい、シンジ、そろそろ行こうぜ」

 後ろから声をかけてきたのは、シンジの親友相田ケンスケである。
 ケンスケは、アスカからシンジの浮気の見張りを頼まれている。もっとも、今は、つき
あい始めたばかりの呂貞春、マリアの隣に住んでいる元中国の刺客、を迎えに来たついで
でしかないが、マリアとシンジを二人にきりにしないためでもあった。

「おはようございます、碇さん、マクリアータさん」

 ケンスケの後ろから呂貞春が顔を出す。
 呂貞春は、中国の作戦が失敗したあと、シンジとアスカの人柄に惹かれて、ネルフに所
属し、非公式なガードとしてシンジをまもっている。

「おはよう、呂さん、おはよう、ケンスケ」

 シンジがあいさつを返す。

「呂さん、おはよう。相田、おはよう」

 マリアも応える。
 不満そうな表情を隠そうともしない。

「そう露骨に嫌うなよ。いくら碇と二人きりになりたいとしてもさ」

 ケンスケが、眉をひそめる。

「ふん。わかっているなら、そっちも二人きりで行けばいいじゃない」

 マリアがケンスケを睨む。

「それぐらいの気遣いをしなさいよねえ」

「おまえももうちょっと女らしくしろよ」

「うっさいわねえ。あたしはシンジさえ気に入ってくれればいいの」

 マリアとケンスケが口げんかをしだす。

「行こうか、呂さん」

「そうですね。碇さん」

 顔を見あわせて二人が歩きだす。いつものことなので、もう止める気にもならないのだ。

「おいおい。置いていくなよ」

「こらああ、シンジの隣は、あたしのもの」

 ケンスケとマリアが追いついてくる。
 いつものにぎやかな登校風景の始まりであった。 



 ケンスケの胸ポケットに差されたシャープペンシル型のマイクから聞こえてくる会話に
アスカは頭を抱えた。

「どうしました? 」

 新制ネルフ諜報部長であるアスカの部下、水城一尉が訊いた。

「はあ。アタシって客観的にはこう見られていたのかと思うとね、ちょっとがっくりきた
のよ」

 アスカが嘆息する。
 マリアは、何度も言うようにアスカのコピーである。それもアメリカに残っていたデー
ターだから使徒戦役の頃のだ。

「自分でも活発だとは知っていたけど、ここまで粗暴だとは思わなかったわ。なによりシ
ンジにベタ惚ればればれじゃない」

 マイクに妙に重い音が入る。ケンスケの悲鳴が聞こえることから、どうやらマリアがケ
ンスケに一撃を加えたらしい。

「活発ですか……」

 水城一尉が、あきれる。

「なにが言いたいの? 」

「いえ、別に。碇二尉は強いなと思っただけです」

「ふううん」

 アスカの目がじとっと水城一尉を見る。

「あなたの人生の邪魔してあげようか? 今週の日曜日、休日出勤したいのかしら? 」

「ご、ご存じなのですか? 」

 水城一尉が体を震わせる。

「さあ、なにも知らないわよ」

 アスカがにやりと笑った。

「戦自習志野空挺師団の瀬戸曹長、えっとネルフに移籍して瀬戸三尉に昇進したんだっけ。
いい男よねえ」

「惣流三佐には、碇二尉がいるじゃありませんか」

 水城一尉が、きっと厳しい眼差しを送る。

「そうでなくても戦略自衛隊移籍組は、惣流三佐を女神扱いしているんですから。だいた
い、三佐がキスの大盤振る舞いなんかするから」

 水城一尉が、口を尖らせる。

「あはははは、冗談よ。アタシはシンジ以外の男に興味ないから」

 アスカが明るく笑う。

「本当でしょうねえ」

 水城一尉が、疑いのまなざしを送った。





 ネルフ総本部前に一台の車が止まった。すべての窓ガラスをスモークで染めた、ドイツ
産の高級外車である。
 運転手に開けさせた後部座席のドアから降りてきた男が、受付に近づく。

「冬月司令に面会をしたい。私はロシア連邦駐日大使、セルゲイ・カルシチョフだ」

 受付からの連絡を受けて、最高幹部である冬月コウゾウ、葛城ミサト、赤木リツコの三
名が司令室に集まった。
 口を開いたのは冬月である。

「セルゲイと言えば、今の大統領の従兄弟だったはずだが」

「はい。MAGIに調べさせました。光彩パターン、声紋とも一致。本人に間違い有りませ
ん」

 リツコが応える。

「実質的なロシアのナンバー3、極東方面担当が、わざわざネルフまでなにをしに来たの
でしょうか? 」

 ミサトが問うた。

「わからぬ。いまさらクリヤコフ大佐の返還を申し出てくるとは思えないが」

 冬月が、首を振る。
 当たり前である。そのようなことをすれば、ネルフ本部と第壱中学校を襲ったのがロシ
アの仕業だと公式に認めるようなものだ。

「とりあえず話を聞くしかないですね」

 リツコの言葉に二人がうなずいた。



 司令室に通されたカルシチョフ大使は、警護の人間さえつけず一人だった。

「ようこそ。と申しあげたいのだが、正直なところご来訪に戸惑っているのだが」

 冬月が、握手のために手を差しだしながら口を開く。

「電話でご都合さえ伺わずに、やってきた非礼をお詫びしたい。駐日全権大使セルゲイ・
カルシチョフです」

「名乗りが遅れました。ネルフ司令冬月コウゾウです。もっとも成ったばかりですがな。
そして、こちらがネルフ副司令兼作戦部長の葛城ミサト二佐、そちらが技術担当副司令赤
木リツコ博士です」

 冬月の紹介を受けて、ミサトとリツコがあらためて自己紹介をする。

「ネルフの誇る二大才媛に、お目にかかれて光栄です」

 カルシチヨフ大使が、お世辞を口にする。

「悪いけどさ、あんたにほめられても嬉しくも何ともないわ。どれだけの被害が出たと思
っているの? 」

 ミサトが噛みつく。

「お詫びは申しません。あれは純粋に世界の覇権をかけた戦いでしたからな」

 カルシチョフ大使は、頭をさげなかった。大国はなにがあっても頭をさげてはいけない。
中世からの伝統をロシアは引き継いでいるようであった。

「14歳の子供を狙うことがですか? 」

 リツコが問いつめる。

「あなたがたに、それを言われる権利はございますまい」

 カルシチョフ大使が、軽くいなした。

「止めたまえ、二人とも。それでは話が進まぬ。せかすようで申し訳ないが、ご用件をお
話ねがえるかな」

 冬月がミサトとリツコをたしなめ、カルシチョフ大使をうながす。

「失礼した」

 カルシチョフ大使が、わびる。

「冬月司令。ロシアは、ネルフに宇宙ロケットを供与する準備があります」

 カルシチョフ大使の言葉は、司令室を驚愕に落とした。

「なにっ」

「なんですって」

「…………」

 冬月とミサトが声をあげる。リツコは無言を貫く。

「条件は? 」

 リツコが口を開く。

「日本とロシアの相互保障条約の締結とMAGIクローンの復活です」

 カルシチョフ大使が、答える。

「なに勝手なことほざいているのよ」

 ミサトが復活した。

「思い切った話だな」

 冬月が、考えこむ。

「好い話だと思いますが。ネルフにはパイロットを宇宙に送り出す術がない。そしてロシ
アにはエヴァンゲリオンを地上に持ち帰るパイロットがいない。お互いに足りない部分を
補完しあう」

「あんたねえ……」

 ミサトが腰のホルスターに手をやる。

「よしなさい、ミサト。武器で話し合いを終わらせるのは、理性的な人間のすることじゃ
ないわ」

 リツコが、ミサトをとどめた。

「助かりました」

 カルシチョフ大使が、リツコに礼を述べる。

「あなたを助けたわけじゃない。ネルフが丸腰の来訪者を撃ち殺すような、野蛮な組織だ
と思われたくないだけ」

 リツコが冷徹に言い捨てた。

「葛城くん、これ以上馬鹿な真似をするようなら、退出して貰う」

 冬月が、ミサトを叱った。

「申しわけありませんでした」

 ミサトが下がった。

「随分、都合のいい話だと思うのだがね」

 冬月が、カルシチョフ大使に顔を向ける。

「MAGIクローンの破壊は、君たちが本部のMAGIへハッキングしてきた事への報復
の結果である。それを修復するいわれはないが」

 冬月が、告げる。

「エヴァンゲリオン初号機を失った日本には、世界中の非難が集まりましょうなあ」

 冬月の問いかけには応えず、カルシチョフ大使が話した。

「使徒を撃退したが、サードインパクトは防げなかった。それだけではございませんぞ。
万一もう一度使徒の来襲があったときに、エヴァンゲリオン無しでどうされる。取り戻す
手段を持ちながらなにもしなかったネルフに世間はどのような態度をとるでしょうか」

「脅しのおつもりか」

 冬月が眉をひそめる。

「まさか、私は懸念を口にしただけで」

 カルシチョフ大使が笑った。

「大使」

 リツコが声をかけた。

「なんですかな、赤木博士」

 カルシチョフ大使が、リツコを見る。

「ネルフは、すでに死んだも同然の組織です。いまさら世間の糾弾を怖れるものではござ
いません」

「そうでしょうなあ。14歳の子供に死ぬ思いを命じていたんですからな。命乞いなどみ
っともなくてできませんでしょう。大人はそれでよろしいでしょうが、子供たちはどうで
すかな? 万一使徒の再来があってそれを防げなかったとき、彼らも全人類から後ろ指を
さされましょう」

「子供たちの情報は隠しますわ」

「情報はどこからか漏れるものでございますよ、博士」

 カルシチョフ大使が嫌らしい笑いを浮かべる。

「リークするつもり? そんなことは許さないわ」

 沈黙していたミサトが激した。

「ミサト、黙って」

 リツコが手で、ミサトを押さえつけた。

「そうですわね。大使。情報は隠しきれませんもの。でも、そうなりますと特殊部隊を使
って14歳の子供を拉致しようとした国が有ったことも、世間は知りますわねえ。いえ、
その前に使徒を殲滅したネルフにハッキングを仕掛けた国があったことや、量産型エヴァ
がエヴァンゲリオン弐号機を破壊して、初号機をいけにえにしたことも世界は知らねばな
りませんわ」

 リツコが冷静に、告げた。

「証拠のない噂で、国家は潰れませんよ」

 カルシチョフ大使が、強気を見せる。

「666プロテクトは、MAGIと外部の接触を断つ。セントラルドグマの外で行われた
ことの記録は、残っていないはずです」

「ご覧になりますか? 」

 リツコが平静に訊いた。
「えっ……」

 カルシチョフ大使が絶句した。

「MAGIは目を閉じていても、数百を超えるジオフロント設置の監視モニターのいくつ
かは、生きてました。そしてモニターには、30分だけですが録画機能があった」

「まさか……」

「碇ゲンドウという人物を甘く見すぎておられたようですわ」

 リツコが、婉然と笑う。

「では、もう一度条件をお伺いしようかな」

 冬月が水を向けた。

「……くっ」

 カルシチョフ大使が、唇を噛む。

「条件をお聞かせ願いたいわ」

 リツコが追い打ちをかける。

「私たちは、べつに初号機無しでも良いわ。エヴァンゲリオンを作り出す技術とパイロッ
トを持っているから」

 ミサトがとどめを刺す。

「降参します。私たちロシアは、日本との相互安全保障条約の締結を望みます」

 カルシチョフ大使が、両手をあげた。

「具体的なことは、政府と詰めてくれたまえ。ただ、申しあげておくが、我々は初号機が
必要だとは考えていない。MAGIの優位だけで外交的には十分だからだ。もっともエヴ
ァンゲリオンのパイロットが望むなら、初号機の回収もやぶさかではない」

 冬月が言葉を切る。

「そして、我々ネルフは、最初に握手を求めてきた貴国と提携することを約束する。他の
国がどのような条件を申し出てこようとも、それに与することはしない」

「感謝します。では、本国へ連絡をしなければ成りませんので、これで」

 カルシチョフ大使が、優雅に礼をした。

「大使閣下、よろしいですか」

 リツコがカルシチョフ大使を呼び止めた。

「なんですかな、博士? 」

 カルシチョフ大使が足を止める。

「地上へ降ろす降ろさないは別にして、一度エヴァンゲリオン初号機の状況を確認したい
ので、貴国の監視衛星の軌道を変えて頂きたいのですが」

「なるほど。博士のおっしゃるとおりですな。エヴァンゲリオン初号機の状態を正確に把
握しておかないと、宇宙空間でのエントリーなど誰もやったことがないですからな」

 リツコの要望に、カルシチョフ大使がうなずく。

「初号機にはS2機関が内蔵されています。エネルギーは無限に供給されますが、エント
リープラグの損傷や、LCLの残存量や劣化の度合いなど、気になることはいくらでもあ
りますから」

「承知しました。後ほど宇宙局の担当者から連絡を入れさせましょう」

 カルシチョフ大使が、帰っていった。

「リツコ、その程度のことならハッキングできないの? 」

 ミサトが訊く。

「データーを奪うことは簡単なのよ。でもね、姿勢制御ロケットのコントロールとか、軌
道の変更とか、計算がけっこう面倒なのよ。MAGIにさせても良いのだけどね、いまM
AGIは第三新東京の把握に全力を使わせてる。EUがなにをしでかしてくるかわからな
いから。余分なことにMAGIの能力を割きたくないのよ」

「そうね。アメリカの二の舞は許されないわ。今度シンジ君を誘拐されたら、あたしたち
アスカに殺されるわ」

 ミサトが、肩をすくめる。

「わかっていると思うが、葛城君。ロシアの申し出をそのままに受けとるのは危険だ。裏
を必ず取るようにな」

「はい。新たに補充しました作戦部には、戦自の特殊部隊が配されました。中には情報小
隊出身の者もおります。十分対抗できます」

「任せたぞ。EUで終わりにしたい。これ以上子供たちに負担をかけないようにしなけれ
ば、なんの大人か」

 冬月の言葉にミサトとリツコはうなずいた。

「それにしても、初号機を地球に呼び戻すと言うことは、またシンジ君にパイロットをさ
せるの? もう、解放してあげても良いんじゃないの? 」

 ミサトがリツコに訊く。

「初号機さえなければ、シンジ君は普通の男の子になれるのよ」

 ミサトが、詰め寄る。

「甘いわね」

 リツコが、ミサトを一言で斬って捨てた。

「初号機がなくても、もうシンジ君は普通の男の子には戻れないわ。彼は世界人類の救世
主なのよ。ゆがんだ形の人類補完計画を発動させはしたけれど、シンジ君は人をのぞんだ。
そして人類は復活した。シンジ君はすでに世界政治の舞台に上がっているの」

「それって、シンジ君の意向で世界が変わるっていうことなの? 」

「ええ。民衆は彼の言葉を欲するでしょうね。偉そうにしている割にはなんの成果も見せ
てくれない政治家たちよりは、はるかに影響力を持つことになる」

「統一政府初代大統領も夢じゃないってわけ」

 ミサトがあきれたため息をつく。

「そう。しかも民衆の絶対的な支持の元に生まれた大統領よ。その権限は、国連事務総長
なんぞ使い走りとしか思えないほど強大になるわね」

「となると、シンジ君を手中にしたがる連中が出てくるわけだ」

「シンジ君を手にすることが世界を手にするに等しいことになる。壮絶な争奪戦が起こる
でしょうねえ」

「今、その気配が感じられないのはなぜ? 」

「エヴァンゲリオン初号機の存在があるからよ。物理的な兵器では傷一つつけられず、無
限の稼働時間と自己修復をもつ圧倒的なパワーがね。これを手に入れられれば、世界政府
は、その国を中心にせざるを得ない。14歳の子供より、こちらの方が訴えかけるのでし
ょう。軍人たちにはね。それにエヴァンゲリオンに代わりはないけど、パイロットなら世
界中を探せば見つかるかも知れないと思っているでしょうしね」

 サードインパクトによる混乱は、武力という制圧手段を持つ軍部の台頭を許す結果とな
った。アメリカにせよ、EUにせよ、中国、ロシアも軍部の勢力を抑えこめないでいる。

「真実を知らないっていうのは、怖いわね」

 ミサトが首をすくめる。

「日本でも戦略自衛隊一部の暴走を止められなかった。これはまあ、使徒戦役最後のネル
フ侵攻作戦の私怨が絡んでいることもあるけど。でも、シビリアンコントロールが機能し
ていない証明でもあった」

 リツコが淡々と言う。

「軍部の影響力の強い国にエヴァンゲリオンが奪われたら、それはシビリアンコントロー
ルの世界的な崩壊を意味するわ。初号機は、シンジ君でないと動かせない。それが確実な
ものと認識されたら、エヴァンゲリオンを手にした国はシンジ君を狙ってくるわ。それこ
そなりふり構わない手を使ってね」

「今でもそうじゃないの? 」

 ミサトが、首をかしげる。

「今までが遊びだと思えるわよ。エヴァンゲリオンは永遠に地球軌道にいるはずだった。
だから、時間をかけても良いからシンジ君を手に入れればよかった。あまり派手なまねを
して世界の反感を買うのを避けてもいた。でも、エヴァンゲリオンは手の届かないところ
に行きかけている。この機会を逃せば終わりなのよ。どのような手を使ってでもエヴァン
ゲリオンを手に入れようとするでしょう。そして、それは可能なのよ。アメリカとEU、
そしてロシアはね」

「どういうこと? 初号機を地球におろすならシンちゃんにエントリーさせて、ATフィ
ールド全開で大気圏突入するしかないんじゃなかったの? 」

 ミサトが怪訝な顔をした。

「無傷で降ろすならそれしかないわ。でも、傷を気にしないなら、エヴァンゲリオンを宇
宙で分割してしまえばいいのよ。シャトルに載せれるほどの大きさにね」

「いままで、どうしてそれをしなかったの? 」

 ミサトの疑問は当然である。
 リツコが大きく嘆息する。

「ミサト、エヴァンゲリオンの修理にどれだけのお金がかかるか知っている? もし、エ
ヴァンゲリオンの四肢を切断したとしたら、素体の修復、神経接続のリハビリなどで、ま
ちがいなくアメリカの国家予算の3年は吹っ飛ぶでしょうね。いい? これにはエヴァン
ゲリオン回収の費用は含まれていないのよ。ついでに人権費もね」

「金食い虫なのねえ、エヴァって」

「今頃なにを言っているの。まったく。だからセカンドインパクトの衝撃からまだ立ち直
っていないロシアは、降りたのよ。そして日本にすり寄ってきた」

 リツコがあきれ果てた。

「なるほどねえ」

 ミサトが感心する。

「逆に、アメリカとEUは、その準備に入ったでしょうね。EUは、今のところフランソ
ワーズ・立花・ウオルターの結果を見てからになるでしょうけど、アメリカはすぐにでも
始めるわよ。もっとも、NASAのコンピューターが真っ白になったから、シャトルの打
ち上げどころじゃないでしょうけど、修復次第始めるわよ」

「リツコの贈ったウイルスが、こんなところでも役に立ったのね」

 ミサトが、笑う。

「こんなこともあろうかと、用意していたかいがあったわ」

 リツコも笑う。

「でも、エヴァンゲリオンがあってもシンちゃんがいなければ、宝の持ち腐れでしょ? 」

 ミサトが、一番の問題点をついた。

「簡単なことよ。シンジ君を引き渡さなければ、無差別にN2を投下するって脅せばいい。
なんなら、2.3発落として見せても良い。その脅迫に政府は、人民は耐えれるかしら?
なにより、シンジ君がもたない」

 リツコが、さらりと怖ろしいことを口にする。

「来いの一言で呼び寄せられたシンジ君に、父親との絆を求めに来ただけの彼に、わたし
たちはとてつもない重荷を背負わせたのだな」

 冬月が、重い言葉を吐いた。





「遅い、遅い、遅い」

 アスカの機嫌は、夜シンジがベッドに横たわるまで悪い。

「ゴメン」

 シンジは必死で謝るのだが、アスカの怒りは解けない。
 夕食をして、ようやくシャワーの許可の出たアスカの入浴の世話をして、髪の毛を乾か
し、手入れをして、着がえさせ、特注されたダブルの介護ベットに共に入るまで、アスカ
はずっと文句を言い続ける。
曰く、「恋人に対する配慮が足りない」「病人に対する思いやりが足りない」「思春期の少
女への気遣いが足りない」「上司への尊敬が足りない」「将来の妻への貞操観念が足りな
い」等々である。
 シンジはひたすら耐えるのだ。迂闊に口答えでもしようものなら、暴走した人造人間よ
りも停止に手間がかかる。
 耳元でシンジが知っている限りの愛の言葉をささやき、続いてアスカがどれだけ美しく
可愛いのか具体的に述べ、最後にアスカが許すまでキスを交わさなければならない。
 最近は、それだけではすまなくなってきている。
 マリアやイリーナが、その少女として与えられた肉体的な特徴をシンジに見せつけてい
るのを知っているアスカは、かつてほどの迫力を失ったとはいえ、回復の兆しが見えてき
た部分を触らせるのだ。

「あんなのにたぶらかされないように、アンタが一生涯を通じて唯一触って良いやわらぎ
をしっかり身体に覚え込ませなさい」

 アスカの命令にシンジが逆らえようはずもない。
 毎晩、患者衣の前をはだけて、女にだけ許された安らぎを握らせるのだ。
 その上、夜中にアスカが目覚めたとき、シンジの手が外れていると怒りまくるのだ。

「アタシが望んでないときに、かってにおかずにしたくせに。アタシがやって欲しいとき
には、手を離す。良い度胸してるわねえ」

 アスカの折檻は、シンジの精神をずたずたにするまで終わらない。

「許してよ、アスカ」

 シンジの詫びが悲鳴になるころ、アスカの機嫌も戻る。

「はあ、僕、平均寿命まで生きられるかなあ? 」

「アタシより先に死んだらコロスわよ」

「それ、無理だと思う」

「アタシはやると言ったらやるわ」

「それは、嫌というほど知っているけどね」

「だったら、アタシより長生きしなさい」

「5分でいいかな」

「子供に後始末をさせるのもなんだからねえ。一日だけ待ってあげるわ。それ以上遅れた
ら、そこらの男に天国へのエスコートさせるからね」

 アスカは、シンジの言いたいことがわかっている。
 使徒戦役で受けた傷の深いアスカの寿命は、間違いなく平均余命よりも短い。シンジは、
自分の命が尽きるまで離れず、アスカの死を看取ったらあとを追うと言っているのだ。
 アスカもそれを止める気など無い。アスカが言ったぐらいで止まるぐらいの仲ではない
のだ。二人は14歳ですでに生死を超越していた。

「わかったよ。その代わり、生まれ変わってもアスカは僕のものだよ」

 シンジが、言う。

「未だにわかってないようね。アタシがアンタのものじゃなくて、シンジがアタシのもの
なのよ。そこのところ間違えちゃ駄目。アタシはアンタより永遠に優位なんだから」

「えええええ、そんなのずるいよ。一度くらいは、僕が……」

 シンジの愚痴をアスカは、拗ねた顔で聞いた。

「馬鹿ね。ベッドの中じゃ、ずっとシンジが優位なんだからね」

 口にしたアスカも耳にしたシンジも互いに真っ赤になって、俯いてしまう。





 中学二年生にはふさわしくない会話がかわしていた頃、ネルフは慌ただしくなっていた。

「先輩、ロシア宇宙局から衛星の情報を送ってもよいかとの問い合わせですが」

 伊吹マヤが、リツコに報告する。

「セキュリティチェックをレッドレベルでかけなさい」

「はい」

 衛星からの情報が、MAGIに流れこんでくる。問題は無かった。

「リアルタイムで観測できます」

 マヤが、コンタクトの確認をする。

「再接近は? 」

 リツコが問う。
 ロシアの衛星も地球の周回軌道を回っている。エヴァンゲリオン初号機も同様である。
ただ、その軌道と速度に差があるために、邂逅している時間はそれほど長くはなかった。

「5分後です」

 待つときはながいものだ。

「あと1分です」

「スキャニング開始」

「了解です」

 リツコの指揮で、マヤの指がコンソールを走る。

「エヴァンゲリオン初号機の外周状態を音波探査並びにデジタル映像で確認します。1分
少々かかります……確認しました。エヴァンゲリオン初号機に目立った外傷はありません」

 マヤが告げる。
 リツコが当然とばかりにうなずいた。

「S2機関を積んでいるのよ。さあ、時間が惜しいわ。マヤ、全周波数でエヴァンゲリオ
ンからの発信を探査開始して」

「はい」

 マヤがすばやく応答する。師弟といっていい二人のコンビネーションは、見事の一言で
ある。

「えっ、まさか、そんな……」

 マヤが絶句し、なめらかに動いていた指が止まる。

「どうしたの? マヤ、報告しなさい」

 リツコが、マヤを叱りつけるように命じた。

「は、はい。エヴァンゲリオン初号機より電波の発信を確認。エヴァンゲリオンは稼働状
態にあります」

 マヤの言葉に発令所の全員が声をあげる。

「それから? 」

 リツコはどよめきをあげた所員をたしなめるように、きびしい声で続きをうながした。

「エ、エントリープラグ内に生命反応を確認」

 マヤの声が震える。

「なんですって? 」

 リツコが冷静さを失う。

「パターン解析します。……こ、これは、そんな、馬鹿なことが……」

 マヤが震えた。

「なにがあったの、誰なの、エントリープラグにいるのは? 」

 リツコが、マヤに詰め寄る。

「エントリープラグ内の反応は……ファーストチルドレン、綾波レイです」

 マヤが叫ぶ。

「そんな……」

 リツコは、声を失った。
 ネルフ発令所を沈黙が支配した。




                                 

                                続く


後書き

 
お読み頂き感謝しております。随分遅くなりました。申しわけありません。

タヌキ 拝

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 タヌキ様の当サイトへの22作目。
 くおおおおおっ!
 来たわねっ、冷血人形女!
 ま、アンタほどのヤツがこのまま出てこないとは…いや、びっくりしたわ。
 シンジ争奪戦のおかげですっかり忘れてたじゃない。
 この私の最大のライバルの存在を。
 はんっ、撃破してやるからさっさと地上に降りてきなさい。
 で、一緒にラーメンでも食べましょうよ。
 アンタの分のチャーシューはもったいなくもこの私が食べてあげるからさ。
 ……。
 ちょっと待ってよ。
 レイのインパクトが大きかったから、とんでもないことを流してしまうとこだったじゃない。
 私をMAGIの生体ユニットに使うんですってぇ!
 EUの奴等とんでもないことをっ!
 
 ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。

 

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