この話は「LASから始まる新たな戦い」の外伝です。
暑中お見舞いSS 「偲ぶれば」
タヌキ 2004.08.14
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半年を超える闘病生活に終止符をうって惣流・アスカ・ラングレーは、新居の前に立っ ている。ネルフの夫婦用官舎として使用されているマンションの最上階、1201号室が これからアスカと碇シンジが生活していく場所である。 2016年7月の末のことであった。 退院の荷物すべてを一人で持った碇シンジは、マンションの扉を開けるとアスカを制し て先に中へ踏みこむ。 シンジの意図を察したアスカは、ちょっと待つと、一歩踏みだして、大きな声を出した。 「ただいま」 「おかえり、アスカ」 明るい声を出し、シンジがにこやかに迎える。 アスカの退院が決まってから毎日掃除に通ったシンジの努力で、マンション内は清潔で ある。もっとも、最低限の家具と電化製品しかないマンションはがらんとして寂しい。 かりそめの家族ごっこをしたコンフォート17の一室には、アスカの服やシンジの チェロなど多くの荷物が置かれていたが、二人はそのすべてをすぱっと捨てた。 「過去はもういらないの。アタシたちの家は今から作っていくんだから。二人でね」 アスカの一言がすべてをあらわしている。 台所をのぞいて三つある部屋は、リビング、寝室、勉強部屋としてその日から機能し 始める。 「いつか小さなベッドを置くんだからね、広くなきゃ。ねっ」 一番大きな部屋を寝室にというアスカの希望に、シンジは真っ赤になった。 使徒戦役、碇シンジ防衛戦と命がけの戦いをくぐり抜けることで、一度狂った二人の 歯車は再びかみ合い、しっかり連動した。ともに回り出した歯車が離れることはもう無い。 最初の夜、電気の消された寝室に一つだけおかれたダブルベッドに並んで腰掛けた二人 が、お互いをじっと見つめ合う。 「碇シンジは、惣流・アスカ・ラングレーと生涯共に過ごし、愛し続けることを誓います」 シンジが最初に宣言する。 「惣流・アスカ・ラングレーは、碇シンジを伴侶として、死ぬまで変わらぬ愛を捧げるこ とを誓います」 アスカが続く。 二人の顔がゆっくり近づき、アスカのまぶたが閉じられる。神聖な誓いの口づけは、 唇を触れ合わせるだけのものだったが、二人はお互いの絆を感じあった。 甘い吐息をついて唇を離したアスカが、シンジの胸に頭を埋める。 「シンジ、一つだけ約束して。アタシより一日、いえ、一時間でいいから長生きして。 もう、一人になるのは嫌なの」 か細いアスカの肩をそっと抱きしめ、その茜色の髪を右手で梳きながらシンジが頷く。 「うん。絶対アスカを一人にはしない。でも、すぐにあとを追うから、天国の入り口で 待ってて」 「待ってる」 アスカが顔を上げて、今度はお互いをむさぼるようなキスを交わす。 わずかな月明かりに照らされて無言で愛を語る二人の姿は、まさに神話のようであった。 夏休みということもあって一日一緒に過ごせる恋人たちにとって、時のたつのは早い。 あっという間に二週間が過ぎた。 8月15日、朝のうちに買い物を済ませたシンジが、キッチンでごそごそなにかして いる。珍しく隣にいない恋人にアスカはちらっと不満げな表情を浮かべる。 「ねえ、ねえったら」 アスカが溶けるような甘い声でシンジを呼ぶ。 14歳とはいえ、なにもしらない少女ではない、すさまじい愛憎を経験したアスカは、 肉体的にはまだ処女でも精神的には立派な女である。男を思い通りに動かす言動を意識 せずにやってのける。 「なんだい、アスカ」 シンジがキッチンからひょいと顔をのぞかせる。 「なにしてるの? 」 「お供えを作っているんだ」 アスカの問いにシンジが答える。 「お供え? なにそれ? 」 聞いたこと無い言葉にアスカが身を乗り出す。見るとシンジがナスを握っている。 「そうか、ドイツ人のアスカは知らないんだ」 シンジがぽんと手を打つ。 「アタシはもう日本人よ。日本人碇シンジの許嫁なんだから」 アスカがわざと膨れてみせる。 「アタシを一人にしないって言ったじゃないの。もう、こっちにきてやりなさいよ」 「ごめん、ごめん」 謝りながらシンジがキッチンから出てきた。いろいろな野菜を盛ったざるを持っている。 「もう、夕食の用意? 」 アスカが首をかしげる。ついさっき昼ご飯を食べたところだ。 「違うよ。これがお供えなんだよ」 シンジが笑いながらアスカの隣に座る。アスカが待ってましたとばかりにもたれかかる。 「なんなのよ、だから」 シンジに関してはかなり気が長くなったアスカだが、人差し指と中指ほどの差でしかな い。そろそろ声にいらつきが見えだした。すぐに気づいたシンジが、ちょっと顔を曲げて アスカの耳にキスをする。 「あん」 中学生のだしていいものではない声をあげてアスカが真っ赤になる。大きく傾いていた アスカの機嫌が戻る。 シンジが話を続けた。 「今日はお盆なんだ。お盆にはね、野菜にこうやって爪楊枝で足をはやして、お供えを するんだ」 アスカの知らない言葉がまた出てくる。 「お盆って? 」 「死んだ人の魂が現世に戻ってくる日のことだよ。もちろんそう言われているだけで、 本当に帰ってくるわけじゃないけどね。こうやって亡くなった人のことを忘れないように 偲ぶのが目的なんだ」 シンジの説明がわかったのかアスカは、目の前のナスに無造作に爪楊枝を刺す。 「それじゃ駄目だよ。これは、死んだ人が霊界に帰るときの乗り物になるんだ。だから 馬のようにちゃんとたつように作るんだよ」 二人はナス、人参、キュウリ、サツマイモで馬を作るとリビングのテーブルの上に 据える。 シンジが真新しい紙を短冊状に切って筆ペンで名前を書いた。それをお供えの前に置く。 『綾波レイの霊』 『渚カヲルの霊』 アスカがそれを読んで、黙りこんだ。 「僕たちの先祖でも親戚でもないけど、あの二人にはこうやって偲んでくれる人間がいな いだろうと思って」 シンジが言い訳するようにポツンとつぶやく。 「それに二人の初盆だから」 シンジがアスカの肩に手を回す。二人の隙間が無くなるが、エアコンが効いている。 相手のぬくもりが、かえって気持ちいい。 「初盆って、なに? 」 シンジの胸に寄り添うようにアスカが顔を埋める。 「その人が亡くなってから最初に来る8月15日のことを言うんだ。死んだばかりの人は その身内のことが気になって必ず帰ってくると言われていてね。ちゃんと迎えてあげるの が残されたものの仕事なんだ」 シンジはアスカの唇に軽く唇を合わせると立ちあがる。 「どこへ行くの? 」 アスカがシンジに問う。シンジはキッチンへ向かうと藁とライターを持ってきた。 「なにするの、そんなもので? 」 日本の風習が全くわからないアスカは、ずっと尋ねてばかりである。シンジは柔らかく 微笑みながら丁寧に応えていく。 「迎え火を焚くんだ。本当はおがらを使うらしいけど、第三新東京市では手に入らない からね、お米屋さんにわけてもらった藁を代わりにね」 シンジについてアスカもマンションの扉の前に出た。 焦げ跡が付かないようにと空き缶の蓋に藁を重ねてシンジが火をつける。藁が燃え煙が ふわっとのぼっていく。 「こうやってね、天上にいる霊にね、あなたの縁者はここに居ますよって教えるんだ。 そしてこの煙を逆にたどって霊は、帰ってくるんだ」 シンジが煙りの先を目で追う。12階ともなると煙は風ですぐに拡散してしまい、 目で追えなくなる。 「こんなんじゃ、目印にならないわよ」 アスカがあきれたような声で言う。 「でも、良いわね、こういう風習って」 しゃがみこんでいるシンジの背中にアスカが顔を乗せる。 「うん」 藁が燃え尽きるまで二人は煙を見つめていた。 「じゃ、入ろう。そろそろ暗くなってきたし、アスカも疲れただろ」 シンジがアスカの身体を気づかい扉を開ける。 「ねえ、あの煙ちゃんと届けてくれたかなあ。ファーストとカヲルにアタシたちがここで 待っているって」 アスカが小さな声で訊く。目はじっと夜空を見あげている。 「届いたよ。きっと」 シンジはアスカの肩をしっかりと抱いて中へと誘った。 扉が閉まる寸前、ビー玉ほどの紅い輝きが二つ不意に現れ、シンジとアスカの後に ついて入ったが、二人は気づかなかった。 「夕食にしようか? 」 シンジの問いかけにアスカは首を振って、リビングへと腰を下ろす。見上げられた シンジがいつものように右隣に座る。待っていたようにアスカの頭がシンジの左肩に 乗せられる。 「もうちょっとこのままで、ね」 アスカの声はしんみりとしていた。 その二人を見下ろすように紅い玉はマンションの天井付近に漂っている。 10分ほど続いた沈黙はアスカの消え入るような声で破られた。 「ねえ、シンジ。ファースト、うううん、もうこの呼び方はやめる。レイのこと好きだっ たんでしょ」 「…………」 アスカの言葉にシンジは沈黙で応える。 「いいのよ、今のシンジはアタシだけが好きだって言うことはわかっているから。過去 の女に嫉妬するほどアタシ、惣流・アスカ・ラングレーは安い女じゃないわ」 アスカがちょっと強い口調で言った。紅い玉の一つが怒ったように強く瞬く。 「うん」 シンジが思い切ったように頷いた。 「あのころは好きというのがどういうことかわからなかったから、自分でもはっきり しなかったけど。アスカのことが好きと気づいたときに、ああ、僕は綾波のことが好き だったんだなあってわかった」 シンジがゆっくりと口を開く。 「好みのタイプだった? 」 「…………」 シンジが黙って首肯する。 「やっぱり。アタシから見たらシンジとレイは相思相愛だったもの。だから、アタシは シンジのことがわからなくなって、自分の殻に閉じこもっちゃたんだけどね」 「ご、ごめん」 「謝らなくて良いわよ。で、どうして、シンジはレイじゃなくてアタシを選んだの? 」 追求しているとは思えないほどアスカの声は優しい。 「よくわからないけど、アスカは異性だったんだよ」 「レイは女じゃなかったというの? 」 「ううん。僕は綾波を通して母さんを見ていたんだと思うんだ。アスカは抱きしめたい けど、綾波には抱きしめられたい。こんな感じなんだ」 シンジはアスカに伝えきれているかどうかわからないのだろう。もどかしそうである。 それを聞いて紅い玉の一つの光が弱くなる。 「なんとなくわかるわ。アタシが加持さんに抱いていた想いと同じね。加持さんには受け 入れて欲しいけど、シンジは受け入れたいだったもの」 アスカはシンジの言いたいことがわかった。 「わかった。これでもう、レイのことで焼き餅は焼かない」 アスカがまっすぐに背筋を伸ばす。『綾波レイ』と書かれた紙に深々と頭をさげる。 「レイ、アンタの想いも含めてシンジのことは、アタシがまるごと引き受けたから。あと のことはアタシに任して成仏しなさいよ」 紅い玉の一つが空中で揺れる。 「アスカ……」 シンジがアスカの宣言を聞いて嬉しそうに笑う。 「さて、こんどは、こいつよ、こいつ。渚カヲル。アタシがいないあいだにシンジの心に 入りこんだたちの悪いホO。こいつのことはどうなの? 」 アスカの声はレイのときとはかなり違い厳しい。シンジが戦自との決戦前に駄目になり、 アスカの救援に遅れた原因となったことを根に持っているのであろう。 「好きだった。だって、生まれてから誰にも言ってもらえなかった言葉、欲しくて聞き たくてたまらなかった好きというのを初めて僕にくれた。好きだって言ってくれたんだよ」 レイへの理解有るアスカの対応で油断したのかシンジが力説する。 「ふううん」 アスカの声音がちょっと変化する。そう、低く。 「カヲルくんが使徒でなかったら、きっと一生の親友になっていたよ」 シンジの言葉に空中を漂っていた紅い玉のもう一個がきらっと輝いた。 「アンタにもその気はあるんだ」 アスカの目がじとっとシンジを睨む。 「違うよ。僕はノーマルだよ」 音がするほど、シンジが慌てて首を振る。 「じゃ、カヲルが女の子だったらどうなっていた? アタシのことなんか忘れてた? 」 アスカの問いが核心にふれる。口調は強いが声は小さく震えている。 「大丈夫だよ。もし、カヲルくんが女の子だったとして、僕のことを好きと言ってくれた としても変わらないよ。カヲルくんの好意に値するという言葉が、僕に人を好きになるこ とはどういうことかって事に気づかせてくれたんだから。そう、アスカのことが、会った ときから好きだったってことをね」 シンジがアスカを抱いている手にぐっと力を入れる。 「信じてあげる。だって、シンジはマグマの海でアタシを助けてくれたものね」 アスカがシンジの頭をそっと膝の上にのせた。 「渚カヲル、アンタはアタシの弐号機を勝手に使ったし、シンジの心に大きな傷を残した けど許してあげる。アンタのおかげでシンジが人を好きになれたことに感謝してるから。 シンジの思い出の中で親友しているくらいは認めてあげるからさっさと成仏しなさい」 アスカが『渚カヲル』と書かれた紙に手を合わす。紅い玉が小さく空中を舞う。 ふと見るとシンジはアスカの膝枕で気持ちよさそうに寝ていた。アスカが生まれてこの かた一度も見せたこともない優しい表情でシンジの髪をなでる。 「シンジ、二人とも死んでいるから、許しているんだからね。アタシは嫉妬深いんだから、 生きていたら二人の名前を口にするなんて絶対にさせないんだから」 アスカが小さな声でささやく。 「負ける気はないけど、ライバルはいない方が良いに決まってるじゃない」 アスカは口をすぼめるとふっと息を吐いて二人の名前の書かれた紙をテーブルの上から 飛ばした。 紅い玉二つが、すっとその吐息に乗ったようにリビングの窓を通り抜けて出て行った。 外に出た二つの玉はお互いに絡み合うようにしながら天空へのぼり、一つになると一瞬 大きくきらめき、はじけるように消えた。 2016年8月15日、アスカとシンジの心の中で全ての戦いが終わった。 終わり
後書き
暑中お見舞い申しあげます。
余りの暑さに妙なものを書いてしまいました。考えてみたら、忙しい管理人さまへの
嫌がらせですね。
なお、お盆に関することは、作者の家に伝わっているものをアレンジして使っており
ます。ご了承下さい。
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タヌキ様の当サイトへの6作目。
時候にピッタリの作品、アリガトっ!
この作品はあの外伝だから、
供養するのはこの二人だけってことなの。
あ、これじゃ「LASから…」の結末が…なぁんて馬鹿なこと考えてる人はいないでしょうね。
私がハッピーエンド以外許すわけないでしょ。
でも、我が碇家にアンタたちのお仏壇までは
つくってやんないからねっ。
だって、毎晩出てきそうだもん…。
しみじみとした作品もいいわよねぇ。ホントに。
ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。