２０１６年１２月４日、午前０時。デジタルが、０を四つ刻んだ瞬間、ベッドで時計を
睨みつけていた惣流・アスカ・ラングレーはぐっと拳を握りしめる。

「ふふふふ、今日こそは逃がさないわ」

　アスカは不気味な笑いをその美しすぎる顔に刻みながら、首を右に傾けた。わずかに見
上げる形になる視線が捕らえたのは、男と言うには優しすぎ、青年というには幼すぎる容
貌である。
　碇シンジ、一年ちょっと前にサードインパクトを起こしながら人類を再生した少年。一
時とはいえ、３０億人類の全てを滅ぼした極悪人とはとても思えない穏やかな表情で眠る
彼は、アスカのかけがいのない連れ合いであった。
　人類の存亡を賭けた使徒戦役で知りあった二人は、決戦兵器の同僚パイロット、同居人、
同級生として共に戦い生活していた。
　誰よりも優れていることで居場所を作ろうとした少女、誰にも嫌われ無いことで居場所
を与えられようとした少年、違うようで似ている二人は、お互いの居場所を奪う敵と相手
を認知し、少女は少年を憎み、少年は少女を見捨てた。
　だが、それが近親憎悪に過ぎないと気づいたとき、相手を失ったと知ったとき、二人の
心は重なり合い、それが人類を救った。
　一度砕けた世界が元に戻り、新しい歴史を刻み始めたとき、少年と少女は決して離れる
ことのない絆を作り、本当の意味で二人の生活を始めた。
　世間から見れば熱々甘々な二人きりの生活をおくっているはずなのにアスカはシンジの
顔を虎視眈々と狙っている。

「気持ちよさそうに寝ちゃってさ。隣でアタシがどれだけ悶々とした思いをしているかな
んてちっとも気づいていないんだから。アンタにとってアタシが女神なのは知っているけ
どさ、アタシだって生身の女なんだからね」

　アスカは大いに不満だ。
　最後の戦いで傷ついたアスカは、半年を超える入院を余儀なくされた。もちろん、愛し
い少年が付きっきりで看病はしてくれたが、療養生活は恋人達にいろいろな制限を課す。
　通常の恋人達が日がな精進する行為のうち、キス以上のことができないのだ。その上、
困ったことに唯一残ったエヴァの専属パイロットであるシンジは、世界のパワーバランス
を一人で変えるだけの価値があり、列強諸国が国を代表する美少女を送りこみ、籠絡しよ
うとする。
　シンジを信用しているアスカだが、確たる保証を貰っていないために不安であった。
　列強の脅威は見事な策略で撃破したが、その余波というかなんというか、問題が残って
しまった。列強が派遣した美少女達が帰国できなくなったのだ。これがアスカの頭痛の種。
「まったく、これだけいい女と同じベッドで伴にいながら、よく寝られるものね。第１７
使徒渚カヲルと妖しい雰囲気だったなんてミサトが言ってたけど、本当は同性愛……男に
取られるくらいだったらシンジを殺してアタシも死ぬわ」
　アスカはよく寝ているシンジの頬を指でつつく。餅のような柔らかい感触が薄れ、弾力
が強くなってきている。少年はまもなく男に変わるのだ。

「出来ないって言う訳じゃないでしょうねえ」

　アスカは布団に覆われて見えない少年の下半身に目を向ける。

「それはないか。病室で意識のないアタシにあんなことしたぐらいだからね」

　アスカはぴたっと右の耳をシンジの胸に当てる。規則正しいシンジの鼓動が心地よい。
シンジの匂いに包まれてシンジの鼓動を聞く。そうしないと今のアスカは眠れなくなって
いる。シンジの力の研究やアスカの検査で月に２度ほど独り寝を余儀なくされるが、必ず
夜中に量産機に陵辱される夢、結婚式でシンジの隣に別の女が笑っている夢を見てアスカ
は悲鳴を上げて飛び起きるのだ。

「抱いてくれれば、少なくとも後の方の夢は見なくなると思うんだけどね」

　シンジの誕生日の６月６日、入院中のベッドで首にリボンを付けて「プレゼントはアタ
シ」をやってみたが、「ありがとう、一生大切にするね」とリボンを丁寧に折りたたんで
収納しただけ。

「病院のベッドという場所が悪かったわね」

　反省したアスカは、退院して今住んでいるマンションに引っ越してきた夜、ダブルサイ
ズのベッドを置いただけの寝室で「ふつつかものですが、よろしくお願いします」とうい
ういしい新妻を演出。首筋まで真っ赤にしたアスカに「こちらこそ、一生懸命君に似合う
男になるように努力するから。今日は退院とか引っ越しで疲れただろ？じゃ、もう寝よう
か」と返されて終わり。

「お、女から求めるのは恥ずかしかったから、遠慮していたけど、そんなこと言っていた
らおばあちゃんになるまで待たなきゃならなくなるわ。今日は我慢しない。なんたってア
タシの誕生日。今日一日アタシは女王様なんだから」

　アスカは力を込めて宣言する。この独り言を眼鏡を掛けたシンジの友人、あるいはお下
げ髪のアスカの親友が聞いたらあきれかえるだろう。

「惣流が我慢したことなんてあったか？　」

「アスカは碇君と出会ってからずっと女王様だったわ」

　と。

「よし。今日に備えて寝るわよ」

　アスカは嬉しそうにシンジに身をすり寄せると眠りに落ちた。



　シンジ達の寝室に目覚ましはない。親に捨てられ、自分のことは自分でしなければなら
なくなってからずっとシンジは６時半には目が覚める。
　隣で眠っているお姫様を起こさないようにシンジはそっと彼女の頭を持ちあげ、左腕を
はずし、代わりに自分が使っていた枕を差しこむ。しばらく愛しい彼女の寝顔にみとれる
が、数分で至福の時に終止符を打つ。普段から二人の生活の全てを肩に背負っているシン
ジは、忙しい。特に朝はリツコの飼っている子猫の手を借りたいほどだ。
　音をたてないようにベッドから離れたシンジは、まず浴室のお湯を張る。全自動で温度
も０．５度刻みに設定できるが、それでも手で確認しないと気が済まない。科学の最先端
である汎用人型決戦兵器に載っていたが故に、機械に信用がおけないことは身にしみてい
る。
　そのあとうがいで、朝の口臭の原因である乾燥した唾液を流し、顔を洗う。
　朝食の準備はすでに昨夜済ませてある。タイマーセットした炊飯器はアスカを起こす時
間に炊きあがるようになっているし、買い置きしてある塩鮭の切り身は、冷凍庫から冷蔵
庫へ移して自然解凍済み。みそ汁の出汁はすでにとってある。あとは、鮭を焼きながらア
スカの好物であるだし巻き卵を作り、豆腐とわかめを刻むだけ。
　海草を食べる習慣のない欧米で育ったアスカは、当初わかめを黒い紙とよび、山羊じゃ
ないと反発していたが、今では好物の一つ。シンジと二人で生活し始めて４ヶ月ほど、日
本食にかなりなれたアスカが、まだ食べられないのは納豆に酢の物だけ。さすがにこの二
つは食卓にのぼるだけで機嫌が悪い。匂いが駄目なのだ。

「さて、そろそろアスカを起こすかな」

　エプロンを外したシンジは、寝室へと向かう。



　寝室ではすでにアスカが目覚めていた。幼児から軍事教育を受けてきたのだ。隣に寝て
いるシンジが腕を抜けば気づく。でも起きていかないのは家事をするのが嫌なのではない。
シンジに起こして貰うのが好きなのだ。エヴァからサルベージされたとはいえ、精神に異
常を来した母が子育てを放棄してから、アスカを優しく起こしてくれる人はいなかった。
寝ている自分を優しく起こしてくれる。それは、毎朝自分がシンジに必要とされていると
確認できる大切な儀式。永遠に目覚めない眠りにつくまで寝たふりをアスカは続けるつも
りである。

「アスカ、おはよう」

　遅かった声変わりも終わり、かつてのような高音ではなくなったが、シンジの声は柔ら
かくアスカの耳に響く。もちおん、一声で起きるつもりなど無い。

「起きてよ、アスカ」

　シンジがベッドに手をついて上からアスカの顔を覗きこむ。シンジの息がアスカの髪を
揺らすが、まつげさえ動かさない。

「もう、目覚めているのは判っているんだよ」

　シンジが苦笑する。病院時代を入れると一年以上同居しているのだ。いかに鈍いシンジ
でもそれくらいは判る。

「おめざめのキスぅ」

　目を閉じたまま唇だけを突きだすアスカ。来日当初の彼女が聞いたら頭を抱えそうなほ
ど甘い声でねだる。

「駄目だよ。今日は忙しいからね」

　珍しいことにシンジがアスカの誘いを断る。

「もう、駄目なのね。シンジはアタシの身体に飽きたんだわ」

　泣き真似をするアスカ。

「しょうがないでしょ。今日はアスカの誕生日パーティの準備をしなければいけないから
ね」

　シンジがアスカに掴まらないようにさっさと部屋を出て行く。

「ちぇっ」

　アスカはふくれ面になりながら起きあがる。
　シンジが逃げた理由は分かっている。一度キスしだすとアスカは自分が満足するまでシ
ンジを離さない。２０分は確実にかかる。
　幸い今年の１２月４日は日曜日だ。学校に行かなくていい。その代わりお昼前にはアス
カの誕生日パーティに参加する人たちがやってくる。夜を二人で過ごしたいがためにアス
カが無理矢理開始時間を早めたのだ。となるとシンジは朝から忙しい。

「今日誰が来るんだっけ？　」

　シンジと色違い、真紅のパジャマ姿でキッチンへと出てきたアスカは、料理の下準備に
取りかかっているシンジに問うた。

「ネルフからは、諜報部の水城さん、飯田さん、芳本さん、技術部からリツコさんに、マ
ヤさん、作戦部からミサトさん。友人関係は洞木さん、ケンスケ、あと……」

　シンジが口ごもる。

「ふん、４人娘ね」

　アスカが鼻息も荒く答える。
　シンジを狙い続けた中国、ロシア、アメリカ、フランスの少女たちも、今ではアスカと
シンジの同級生でしかない。

「あの二人が来るんだから四人ぐらい増えても同じだわ」

　アスカの言う二人とは、リツコとミサトのことである。使徒戦役の頃アスカとシンジを
道具としてしか見ていなかった二人のことをアスカは許していない。呼ぶ気など毛頭無か
ったアスカを説得したのはシンジである。

「諜報部長としてネルフの幹部になったんだから、技術部、作戦部とうまくやっていかな
いとね」

　シンジに諭されることに反発を覚えたアスカだが、にこやかに笑っているシンジには逆
らうことができない。じっと目を見つめられるとその黒い瞳に心を吸われてしまうような
気になる。

「お風呂入ってくるわ」

　日本に来るまで風呂といえば汚れを落とすためのものだから、時間節約にシャワーだけ
でという生活を送ってきたアスカが、日本式の湯船に浸かることを好みだしたのは、まだ
心の交流無しに同居していた頃である。そのあと長期の入院でお風呂にゆっくり入れなか
ったアスカはその反動か、一日最低朝晩二回は風呂に入る。下手すれば四回の日さえ有る。
それもかなりの長風呂である。さすがに学校へ行かなければならない朝は３０分ほどだが、
晩とか、休みの日の朝は１時間は出てこない。

「ふあああ、生き返るわ」

　アスカが言うと冗談には聞こえない。精神的に死んだも同然の時期があったのだ。

「さて、今日の作戦を練らないと」

　アスカはゆったりと足を伸ばし、頭を風呂桶のヘリにもたれさせるようにする。後で
洗うつもりの髪の毛が、そのまま湯船の中で拡がっている。赤みがかった金髪がお湯を染
めて、朝日を浴びた海面のように輝く。

「ここ１週間、トイレとお風呂以外は徹底的に張り付いてやったから、アタシへの誕生日

プレゼントを買う暇はなかったはず。シンジのことだから、パーティの準備ができたら買
いに行くつもりだろうけど、それを邪魔してやれば……えへへへ」
　アスカの顔にとてもシンジには見せられない笑いが浮かぶ。

「最愛の彼女へのバースディプレゼントを準備できなかった。そこを責めればシンジのこ
とだから、アスカの言うとおりにするから許してよとなるはず。そこですかさず、シンジ
が欲しいといえば、拒否はできないわ。僕もアスカが欲しいよ、シンジ、アスカ、で、ベ
ッドで二人はお互いの……」

　両手にお風呂のお湯を掬っては零しを繰り返しながらアスカはしばし、妄想の世界へと
旅立つ。

「シンジが欲しいじゃなくて、赤ちゃんが欲しいの方が良いかなあ？　でもそれじゃ、ス
トレートすぎるかしら？　」

　そこをどうするかアスカの結論は出なかった。のぼせてしまったからだ。

「ア、アスカ。大丈夫？　」

　あまりにアスカが出てこないことを不審に思ったシンジがバスルームの扉を開けて、湯
船の中でゆだっていたアスカを発見、お姫様だっこをされて寝室へ運ばれた。
　そこはアスカ、ただ潰れてはいない。喉が渇いた、暑いから扇いでくれとシンジを側か
ら離さず、シンジはついに客が来るまで部屋から出ることができなかった。
　客が来るまで息も荒く今にも死にそうな状態だったアスカは、ヒカリとケンスケが来た
途端に起きあがり、はしゃぎ始めた。

「はい、アスカ。これ私からのお祝い」

　ヒカリが出したのは、赤いシャープペンシルである。

「折らないでね」

　３年生の２学期から復帰したアスカは、昔より性格は穏やかになっていたが、シンジに
寄りつく女には前にもましてきつくなっている。さすがにヒカリと貞春には焼き餅を焼か
ないが、他の女がシンジに話しかけるだけで目つきが変わる。ちょっとした接触でも時と
場合によっては我慢できず、その第一弾として手にしていた筆記用具が犠牲になる。あま
りの被害に今ではエヴァの装甲板を軸にした特注ペンを使っている。象が踏んでも壊れな
い筆箱ではない、戦車が踏んだら戦車が壊れるシャープペンシル。それがちょっと曲がっ
ているのは、ご愛敬である。

「き、気をつけるわ」

　アスカはこのシャープペンシルは家専用にしようと決めた。

「俺からは、これさ」

　ケンスケは新聞紙半分ぐらいの大きさの包みを渡す。

「開けていい？　」

「ああ」

　アスカは包装紙を遠慮無く破き捨てる。丁寧にはずしてまた使おうとするシンジとはえ
らい違いである。

「相田、アンタこんなの撮っていたの？　」

　アスカは驚きの声をあげる。そこには、ユニゾン特訓で一緒に踊っている二人の姿があ
った。

「小型のデジカメでフラッシュ無しだからな、それ以上大きく伸ばすとあらが目立つ。そ
れで勘弁しろよ。同居のきっかけとなった訓練だろ。それ」

　ケンスケがしんみりとした声を出す。シンジの防衛戦に一役買ったケンスケは、アスカ
の口からサードインパクト前に二人がどれだけお互いを憎んでいたか聞いている。その上
でこの写真を選んできたのだろう。アスカは、ケンスケの心遣いに感謝した。

「アリガト」


　
　シンジが二人にお茶を入れた後、諜報部の三人が来た。

「三人からです」

　水城一尉が代表して渡したのは、キングサイズの毛布である。

「三佐の寝相は、かなりアクティブだと伺いましたので」

　飯田一尉が笑いながら言う。

「アンタ、まだ根に持っているのね」

　アスカは飯田一尉を睨む。

「いえ、三佐には感謝しております。ああやって目の前で告白しなさいと言われなければ、
私はまだユリアとつきあっていなかったでしょうから」

　まじめな顔をして飯田が応える。告白できたことは感謝しているだろうが、その光景を
ビデオで撮影して、後日鑑賞会を開いたのが、禍根となっている。アスカと飯田一尉の視
線が火花を散らす。

「いやあ、助かります」

　空気を読めないシンジが毛布の手触りを楽しんでいる。

「アスカったら、すぐに毛布とか布団を取り込んじゃうんですよ。一つの布団で寝ている
ものですから、僕が寒くて」　

「シンジ、ちょっと話があるから、寝室まで来てくれる？　」

　アスカの声が低くなる。

「遅れてごめんね。ミサトお姉さんよ」

　シンジの危機はミサト、リツコ、マヤの三人の来訪で回避された。

「おめでとうアスカ。１５歳だっけ。で、シンちゃん、ビールは？　」

　挨拶もそこそこにミサトはビールを探す。

「先にプレゼントを渡しなさいよ。はい、アスカ、私からはこれ」

　リツコが手渡したのは、白い錠剤の入った瓶である。

「なにこれ」

　アスカは受け取ろうともせず、怪しい目でリツコを見る。

「性欲を無くす薬よ。これ一錠で１ヶ月は性生活が不要になるわ。副作用もなしで、習慣
性も無し。これでアスカも悶々たる日々から解放されるのよ。世界を救う薬よ」

　得意げに説明するリツコは、アスカの顔が夜叉になっていることに気づかない。

「こんなもん作っている暇があったら、完全な避妊薬でも作りなさいよ」

　アスカは錠剤を窓から捨てた。

「わたしからは、これ」

　マヤが差し出したのは、小さなバッジのようなものである。

「なにこれ？　」

「蚊除けに超音波が有効なことは知っているわよね。あれはメスの嫌がる電波を出すこと
で、蚊を近づけない。それの応用なの。これは女を近づけない超音波が出るのよ。これを
シンジ君につけておけば、どんな女も決して寄ってこなくなるわ」

　アスカの問いにマヤが説明する。

「ありがとう、マヤ。アタシが欲しかったのはこれよ」

　アスカはマヤの手を取って感激を表す。

「喜んでもらえてうれしいわ」

「マヤ。ちょっと訊くけど、これって全ての女に有効なの？　」

「ええ。例外はないわ」

「アタシも？　」

「あっ……」

　マヤが口を押さえる。アスカはゆっくりとバッジを握りつぶした。

「相変わらず荒っぽいですわね」

　入ってきたのは留学生４人組である。

「出たわね、脂肪のかたまり」

　アスカは凶悪な目つきで有る一点を睨み付ける。

「無い物ねだりはみっともないですわよ」

　それを軽くいなして、イリーナが封筒を差し出した。

「わたくしとマリアとフランソワーズからですわ」

「へえ、アンタたちも世間並みの常識ぐらいは持っていたんだ」

　アスカは嘲笑しながら受け取る。

「なによこれ」

　出てきたのは一枚の航空券である。

「ドイツ行きの片道航空券ですわ。そろそろお帰りになってはいかがと。碇さまのことは
わたくしが責任を持ってお引き受け致しますから」

「アタシはもう日本人よ」

　アスカは怒りにまかせて航空券をバラバラに引き裂いた。

「アンタたち、アタシを怒らせたいのね」

「碇さま、お助け下さいませ」

　三人がそろってシンジの背中に隠れる。

「シンジから離れろ」

　アスカは怒鳴りつけた。

「アスカさん、綺麗なお顔が台無しですよ」

　呂貞春が笑いながらアスカを止める。　

「はい、わたしからのプレゼントです」

　呂貞春が手にしているのはレターセットである。

「思いの丈を形にして送って下さい。人というものは弱いものです。声を聞くことのでき
ないときに、好きな人の書いた手紙が有れば、それは何より強い絆になります。恥ずかし
くて言えないことでも文字にすることはできますし」

　かつてアスカとシンジが陥った心の闇。もし、あのときどちらかが、一枚でも想いを綴
った手紙を書いていれば、二人は憎み合うことはなかっただろう。

「…………」

　アスカは何も言えず頷くしかできない。

「さあ、料理が冷めてしまいますよ」

　シンジの一声で楽しい宴は始まり、ヒカリの気遣いで終わりを告げる。

「そろそろ二人きりにしてあげましょう」



　騒ぎの後というのは寂しいものである。後片付けを終えてしまうと家の中は急に冷えた
ようになる。

「お疲れ様、シンジ」

　往事には及ばないが、普通の女子中学生並の体力には戻ったアスカは、家事一切をしな
い。させてもらえないのだ。

「妙に疲れたらどうするの」

　一度洗い物をしようとしたアスカをシンジは真剣に叱った。それ以来アスカは何一つし
ない。将来の子育てだけは、絶対譲らないつもりでいるが、その前に子供ができるかどう
か、同居人の鈍さがアスカの最大の悩みだ。

「アスカこそ、疲れたでしょ。あまりお客さん好きじゃないから」

　生い立ちの特殊性か、アスカは他人をあまり自分のテリトリーにいれたがらない。普段
からマンションへの出入りを許しているのは、ヒカリとケンスケをはじめとして１０人ぐ
らいしかいない。

「うううん。楽しかったから」

　アスカは座っているリビングのソファをぱんぱんと叩く。ここへ座れとシンジを呼んだ。

「ごめん、ちょっと出かけたいんだけど……」

　エプロンをはずしながらシンジが遠慮がちに口にする。

「だめ。誕生日を迎えた恋人を一人きりにするつもり？　」

「その大事な恋人へのプレゼントを買いたいんだけど」

「何ですって、シンジ。アンタまさか、アタシの誕生日プレゼントを買ってないの？　も
うアタシのことなんてどうでもいいのね」

　アスカはシンジの罪の意識をえぐるように、よよとソファーに泣き崩れる。

「ごめん、本当にごめん。だって、ここ最近アスカがまとわりついて……」

「アタシのせいにしようっていうの？　」

　久々に出るかつてのアスカ口調。変わり身の疾さは天下一品である。

「そんなことはないよ。でも、買いに行かなければ、アスカに何もあげられない」

「じゃ、アタシが欲しいものを言うから、それをくれる？　」

「うん。何でも言ってよ」

　シンジの答えを聞いた途端、アスカはにやりと笑った。

「じゃ、シンジを頂戴」

「へっ」

「だから、アンタを頂戴って言っているの」

「それは駄目だよ」

「なんで？　」

　拒否されると思っていなかったアスカは、顔が引きつる。

「だって、もう僕はアスカのものだから」

　顔を染めてそう言うシンジにアスカも頬を赤くする。

「じゃ、欲しいものを変えるわ。赤ちゃんが欲しい。シンジとアタシの子供が欲しい」

　アスカは自分の髪の色よりも紅くなる。

「ごめん、それもだめだよ」

　シンジが首を振る。

「どうして」

　アスカは叫んだ。

「リツコさんから止められているんだ」

「アンタは、アタシの願いよりもリツコの言うことが大事なのね」

　アスカのボルテージが急激に上がっていく。

「そうじゃない。そうじゃないんだって」

　シンジもいらついた声をあげる。

「じゃ、どういうことなのよ？　」

「僕だってアスカを自分のものにしたい。でも、まだアスカの身体は完成していない。若
いうちの性行為は子宮ガンの確率を高くするんだよ」

　シンジの叫びにも似た言葉にアスカは間の抜けた反応をした。

「はあ？　」

　アスカは、シンジが、適格者同士の子供は、地球を破壊するかも知れない能力を持つ可
能性があるから、それを押さえ込む方法が見つかるまで待ちなさいとリツコから聞かされ
ている思っていた。

「ひょっとして、シンジ。ずっと我慢していた理由は、アタシの身体のことを思ってなの？」

　アスカがそっと訊いた。シンジが黙って首肯する。

「辛いんだよ。毎晩アスカと一緒に寝ながら何もしないのは。ねえ、アスカ、僕が毎晩睡
眠薬を飲んでいたこと知っている？　」

　シンジの告白にアスカは首を横に振るしかない。

「アンタは本当に馬鹿ね。大馬鹿シンジ」

　アスカはシンジの胸に飛び込んでいった。

「アタシのことばっかり考えて、ちょっとは自分のことも考えなさいよ。アタシだって、
アンタのわがまま聞いてあげたいんだからね」

「ありがとう、アスカ」

　シンジがぐっとアスカを抱きしめる。

「でもね、アタシは不安なの。シンジが別の女をその腕の中にかき抱くかも知れないと。
ねえ、今日の誕生日、一年で一回だけの特別な日。アタシのお願いを聞いて。シンジ、あ
なたをアタシの身体に刻んで。アタシの不安を打ち消す証拠を頂戴」

　アスカはシンジの胸の中で俯きながら口にした。

「今日だけでいいから」

「アスカ……」

　シンジは掌中の玉を慈しむようにアスカを抱き上げて、寝室へと運んでいった。



　９ヶ月後、アスカとシンジの新たな絆が誕生し、リツコが頭を抱えることになる。　

了

後書き
　アスカ嬢、お誕生日おめでとうございます。

タヌキ　拝

　タヌキ様の当サイトへの１４作目。
　まずは、御祝アリガトね。
　まあ、ホントに欲しいプレゼントは貰っちゃったもんね。
　おまけもしっかりついちゃったみたいだけどね。
　ま、それは仕方がないか。
　いつかはできるもんだし。
　最初は今後の作品の内容を先に漏らしていいの？なぁんて思っちゃったけど、
　よく考えたら結果はＬＡＳなんだから別にいいのか。
　でも、未来がこうなるからって私は手を緩めないわよ！
　ホントに素晴らしい作品をありがとうございました、タヌキ様。